月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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つぶやいてみる 其の廿六

フィギュア345-1


心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ


フィギュア345-4




このところ、ゴーストライター作曲事件とかstap細胞論文の過誤疑惑事件とか、何だか聞くだけで心が淋しくなるような不正疑惑騒動がニュース誌面を占有している。

勿論、このふたつの事件は内容も経緯もまったく異なるもので、今後の決着も全然違う方向に進むものだろうから、そもそも同等に扱うべきものではない。

だがどちらも、どたばたした騒動が必要以上に広がって、センセーショナルな話題性があざといくらい鼻につくのは、代作だの捏造だのパクリだのといったいかがわしい事件性の部分よりも、「現代のベートーベン」だ「割烹着のリケジョ」だと安っぽいコピーまがいの売り出し文句で、売名第一の芸能界とは本来一線を画すべき音楽や科学の分野において、言葉は悪いが色物のスターをクローズアップしようと躍起になっていたマスコミの取り上げ方に、初めから問題があるからだ。

テリー伊藤などが「次元が違う」「魔女狩りだ」と一方を必死に擁護にしているが、そもそもこの二つのトピックを同じ次元で、ベートーベンだリケジョだと華々しく持ち上げておきながら、旗色が変わったら一転手のひらを反して、虚像だ幻想だと先頭に立って叩きに回っているのは、自分たちを含めたメディア側の人間だということを、寸分も自覚していないのが怖ろしい。

(佐村河内守の事件に関しては、大きな実害を被った高橋選手のことなどもあり、ほかにもハンディキャップのあるひとたちや果ては被爆者二世にまで問題が及んでいる辺り、少々情状を掘り下げたくらいでは済まない胸糞の悪さが残るけれど、stap細胞に関する顛末は、科学研究の門外漢である以上、おいそれと踏み込めない複雑な経緯や事情が絡んでくる上、端から一般人にはその科学的成果の結論云々も含め、直截的な利害とあまりにかけ離れたところにある問題なので、まさきつねごときが簡単に首を突っ込むべき話題でもないだろう。)

まさきつねが取り上げたいのは、この二つの疑惑事件そのものよりも、どちらの場合も、ことの重大さが当事者たちの内側から発覚するまで、何の疑念も持たずに情報を鵜呑みで受け取って、派手なキャッチフレーズまでくっ付けて大々的に取り上げたあげく、最後まで細部に踏み込んだ取材や検証もせずに、耳触りのいい言葉や表層的な解釈で報道を垂れ流し続けたマスコミの罪過である。

よくよく考えてみれば、全聾の作曲家だの、若き女性科学者の開発した万能細胞だのと、さすがアニメ大国日本ならではと感心したくなるような、刺激的でファンタジックなフレーズが乱れ飛ぶ物語を、次から次へとろくな裏付けもとらず、ぬけぬけとニュースのトップ記事に押し出したものだと感心するが、それだけ報道が言うところの「真実」がいかに精度の低い虚構に過ぎず、各メディアがくだらない粉飾にまみれたゴシップまがいの記事を、利権絡みでひっきりなしに売り込み続けているかという証である。

非常識でデリカシーの欠片もないやり口で、、大衆をマスコミが好き勝手に実のない言葉で踊らせて、メディアが祀り上げた時代の寵児に喰いつかせ、渦中の人が地に堕ちたと見るや、瞬く間に態度を豹変させて、今まで笛や太鼓で散々持ち上げていた自らの所業は棚上げにする。
まさに吐き気を催す醜悪さだが、こうした疑惑事件報道によく似た悪臭を、まさきつねは例の悪名高きライターが書いた『エイトトリプルの真実』という記事に感じて、またも心底うんざりしてしまった。


※※※※※

【浅田真央、「エイトトリプル」の真実(1)――一人歩きした呼び方

オリンピックが近づき、「トリプルアクセルをフリーで2回」という当初の目標を断念した浅田は、夏に掲げたあのジャンプ構成にソチのフリーでは挑戦したい、というコメントを出した。
 もちろんN記者はすかさず、「真央、エイトトリプル」と打つ。ここから、である。存在しなかった、というか、ただのトリプル8回、という意味だけの言葉が、「エイトトリプル」としてあたかも伝説の必殺技のように広まっていったのは!】


【浅田真央、「エイトトリプル」の真実(2)――メディアの大騒ぎがプラスに?

 さらにいえばフリー後、記事によっては「エイトトリプルを『見事に』すべて着氷」といった論調で書かれているものもあるが、これもおかしい。
 浅田のフリーは見事だったが、それとは別に、今回の「エイトトリプル」は成功とはいえない。回転不足やエッジエラーが付き、基礎点からマイナスされてしまえば、そのジャンプは成功ではない。(中略)
 
 表現は、作るもの――しかしここで、怒らないでいただきたい。
実は今回の「通称『エイトトリプル』」の蔓延。浅田真央にも悪くない影響があったのだという。
 トリプルアクセルを1度に減らすという作戦変更、それはやはり、元々の目標を断念したことであり、アスリートとして悔しい気持ちはぬぐいきれていなかった。しかしまわりが「エイトトリプル!」と囃し立てるうちに、「新しい挑戦」は大きな意義があるものだと、彼女自身も納得し、気持ちを切り替えられた、と聞いている。

 メディアが選手たちに及ぼす影響については、今回のリポートでも何度も書いてきた。「エイトトリプル」と書きたて、騒ぎ立てることが良かったとは思わないが、結果的に選手にプラスになったのだとしたら、それもまた有り。今回はメディアの大騒ぎがいい方向に作用した稀有なケースかもしれない。】


※※※※※


フィギュア345-6


ライターの名前も、その記事も、全文紹介したくなどないので、一部抜粋で掲載したが、ファンが読む価値など小指ほどもなく、あいかわらず競技やアスリートに対するリスペクトの欠片もない上に、真綿にくるんだ針のような悪質さで、空々しく世論誘導し、薄汚い偽善的な文章でひとりよがりな持論や推論を展開しては、確信犯的な印象操作に躍起になっている。

もはやギャラガーさんどころではない、低俗で不潔な駄文だが、もはや自己陶酔とか説得力がないとか見当違いとか稚拙とかの域ではなく、明らかな「六種類の三回転ジャンプ八回」という演技に対する冒涜的な文章で、しかも選手の地道な努力を斯くもないがしろにするがごとく、あたかも浅田選手の五輪での偉業は「エイトトリプル」というコピーを作った(自分を含めた)マスコミの手柄だと言わんばかりの、無茶苦茶なコンテクストの羅列である。

このライターの論理に従えば、ゴーストライター作曲家にしても女性科学研究者にしても、彼らの音楽や研究は元より、マスコミが勝手にくっつけた「現代のベートーベン」だの「割烹着のリケジョ」だのといったコピーが生み出した業績という訳のわからない話になるが、くだらない疑惑事件の登場人物たちなら、そんな展開によって捏造されたファンタジーの方が真相に近く、むしろ妥当なのかも知れない。

だが、あの大勢の観衆を興奮の渦に巻き込んだ浅田選手のジャンプを、「エイトトリプル」という言葉を蔓延させたメディア騒動による賜物などと、どこでどれだけ寝惚けたらこんな妄想が飛び出してくるのか知らないが、救いがたい自己欺瞞にもほどがあるというものだ。

大体「エイトトリプル」なんて、「八回の三回転ジャンプ」を下手糞な和製英語で言っているだけで、宣伝文句としてもキャッチフレーズとしても、あまりにも稚拙でお粗末だ。


そもそも呼称が「一人歩きした」などと銘打っているが、「エイトトリプル」という言葉に、端から何の意味があろう。

いわゆる「八回の三回転ジャンプ」なら、伊藤みどりがジュニア時代、現在のザヤックルールがない頃すでに、四種類の三回転ジャンプ(3T、3F、3Lo、3S)で挑戦している。
本来は3Lzも決めたかったようだが、ジャンプの申し子といわれた彼女でさえ、パンクしたり転倒したりとルッツを入れた五種類ジャンプでの成功はなかなか難しかったようだ。
彼女はその後、トリプルアクセルを含む六種類の三回転ジャンプを組み込んだ構成に成功しているが、その高いポテンシャルをもってしても、さすがに六種類で八回もの三回転ジャンプを跳ぶことは叶わなかった。

とはいえ伊藤みどり選手のこうした技術的に時代の先を行く、難度の高いプログラムへの挑戦が、それまでの芸術性重視だった女子シングルの演技構成に風穴を開け、彼女に刺激を受けた世界中のトップレベルの選手たちが、以後こぞって五種類の三回転ジャンプに挑戦するようになり、規定をも廃止させるほどの変革をもたらしたのだから、競技に与えたその業績は大きい。

翻って、浅田選手の今回の挑戦となったトリプルアクセルを含む「六種類の三回転ジャンプ八回」は、伊藤みどり選手以来の驚異的な記録であり、メディアや周囲がやいのやいのと囃し立てるのに感化されて、それじゃあやってみようかと簡単に腰を上げられるようなレベルの生半可な決意では、おいそれとできない冒険なのだ。

それにもかかわらず、「回転不足やエッジエラーが付き、基礎点からマイナスされてしまえば、そのジャンプは成功ではない」などと、タチアナコーチを始め世界中の目の肥えたスケート関係者が絶賛した衝撃的な演技構成を、よくも無造作な一言であっさりと片づけて、本来なら筆舌に尽くし難いほどの功績を、いとも無残に地べたに叩きつけるような真似が出来るものだ。

ここまでスポーツやアスリートを小馬鹿にした文章が書けるなら、それはそれで厚顔無恥も上等と呆れ果てるが、これほど念入りに「感動」を「挑戦失敗」へと印象操作する文脈を書きつらね、「流行語大賞」まで引き合いに出して、浅田選手の挑戦は成功もしていないしメダルも獲っていないと駄目押しする意図の裏側では、結局、バンクーバーでの演技で彼女のトリプルアクセルがギネス認定されたことから察知して、今回再び「六種類の三回転ジャンプ八回」すなわち「エイトトリプル」とやらがギネス認定されることを何としてでも阻止しようとする、浅ましい下司な人間たちの卑劣な思惑が行き交っているのが一目瞭然だ。

まさきつねは浅田選手の芸術性を評価するのに、五輪のメダルと同様に、ギネス認定なども一切不要と思っているが、世の中の多くには、やれプロトコルだメダルだギネスだと、数字の記録に執拗にこだわる面々がおられ、数字の結果を盾に人間の感性がとらえた感動や歓喜をいとも無感覚に踏みにじり、他者の芸術的パッションを誹謗して嘲笑うのが平気な俗物根性があふれているから、こんな薄汚い記事を公然と曝して何とも思わない無神経なライターが、臆面もなくのさばっているのだろう。

まるで蛭のように利権に吸い付いて、自分を誇示するために取材対象であるアスリートを利用して憚らない、こんな自称もの書きが、「表現は、作るもの」と得意そうに浅はかな発言をのたまう。

「真実」と云いつつ何ひとつ人間の魂にも、情念の深淵にも切り込まないお粗末な分析で、小手先で拾った情報に大衆コントロールの色をつけて垂れ流し、美しいものを美しい言葉で讃えようとする尽力もせず、血の滲むような選手の努力を血を吐くような言葉で訴えようとする使命感も持たず、ぬくぬくと書き散らしたもので悦に入っているライターに、あの五輪の四分間に集約した浅田選手の身体芸術の表現が、スケートのエッジよりも鋭く細い崖っぷちを歩くようなアスリートの辛苦が、一体どれほど理解出来るものだろうか。


表現は、作るものじゃない。ほとばしり出るものだ。

自己のこころの内から、感動に揺さぶられた魂の奥底から、途轍もない衝動に突き動かされて、血の通った言葉を探して、ふりしぼる叫びのように、涙のようにあふれ出てくるものだ。


燃えあがるジプレッセン…情念の焔のようなかなしみを、その目も眩む美しさを、俗物の小手先で作りだした表現の見えない悪意で、穢せるものなら穢してみるがいい。


砕け散る空に舞う、春のエーテル…よぎる青き日輪の火花が飛び散る中、走り去る修羅の吐息のような、春の気層から吹く風を、玲瓏の雲を波立てる一陣の風を、腐った人間の爛れきった言葉で、呼びだせるものなら呼んでみるがいい。


フィギュア345-5


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フィギュア345-3
フィギュア345-2


(風景はなみだにゆすれ)
 砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
  れいろうの天の海には
   聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
    ZYPRESSEN 春のいちれつ
     くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
      その暗い脚並からは
       天山の雪の稜さへひかるのに
       (かげろふの波と白い偏光)
       まことのことばはうしなはれ
      雲はちぎれてそらをとぶ
     ああかがやきの四月の底を
    はぎしり燃えてゆききする
   おれはひとりの修羅なのだ
   (玉髄の雲がながれて
    どこで啼くその春の鳥)
   日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
   (気層いよいよすみわたり
    ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
 いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
(宮澤賢治『春と修羅(mental sketch modified)』)


フィギュア345-7


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ラストダンスは私に

フィギュア343-1


音楽は心より生まれ、心に届かなければならない。
(セルゲイ・ラフマニノフ)



これはラフマニノフの有名な言葉である。「音楽」は「芸術」に置き換えてもいいと、まさきつねは思う。
すべての芸術は、こころより生まれ、こころに届かなければ意味がないのである。

キム選手が「ずっと前からスケートが嫌いだった」と語っている記事を読んだ。
引退について、現在の心境を素直に述べたもののようだが、「ずっと前からスケートが嫌になっていて、見たくもなかった。多分、滑り過ぎたせい。だから選手生活には少しも未練がない」という言外には、フィギュア競技から出来るだけ早く離れて、新境地の生活に移りたいという気持ちが滲んでいる気がする。

オリンピックの大舞台で銀メダルを獲ったばかりの選手にしては、ずいぶん冷めた心持ちだなといささかこちらも拍子抜けするが、彼女のスケートが与える、どこか機械的で淡々とエレメンツを熟すだけの面白みに欠ける印象からすると、誰もがさもあらんと納得の言葉かもしれない。

芸術どころか、スケートに対する何の思い入れもなく、好きですらなく、誰かに何かを伝えようという思いの欠片もなかったのなら、キム選手の演技が観衆のこころに届くはずもなかったのだ。


彼女の演技を観たタチアナコーチの感想がキム選手のスケートのすべてで、おそらくそれ以上でもそれ以下でもない。


※※※※※

タラソワ<キムがどんな曲で滑ったか覚えていない>

記者が偶然エレベーターでタラソワコーチと会ったときの会話だそうです。

2014年2月20日
イネッサ・ラスカゾワ

タチヤナ・タラソワ
今日キムが何の曲で滑ったか覚えてる?
私は覚えてないわ。これは刑事事件よ!

 (前文略)
 とっても幸せよ!アデリナは今日、世界で誰よりも良い滑りをしたわ。でも、このことはもうこれ以上しゃべりません。明日という日を待ちましょう!

 ― でも、彼女はユナ・キムに負けました。キムの演技はあっと驚くものではなかったと、あなたがテレビ中継で仰っていたことは、すでに私の耳に入っています。

 それは、彼女のプログラムがつまらないからです。新しいルールに十分則ったものではなく、つなぎが不十分で、とてもありふれたつなぎでした。スピンだけがとても良かった。ええ、彼女はすべてのジャンプを成功させましたよ…でも、ああいう滑りからは到底満足を得られないわね。彼女が何の曲で滑ったか、あなたは覚えてる?

 ― いいえ。

 私も覚えてないわ。これは刑事事件よ!


※※※※※

これは以前からロシアのニュース関連のエントリーでお世話になっている、『ロシア語自習室』というブログ主さまの翻訳記事である。

「刑事事件」という物言いが、いかにも歯に衣着せぬタラソワ節だなと苦笑するが、タチアナコーチにとって、音楽の楽想ひとつ伝えてこないキム選手のプログラムは、たとえジャッジがどんなに高いPCSで、曲との親和性や音楽の解釈ができていると評価しても、その採点が真っ当だとはとても認めるわけにはいかなかったのだろう。

タチアナコーチはオリンピック後、キム選手とロシアの間に起こった不正採点疑惑について答えたソビエトスポーツのインタビューでも、キム選手の演技を手厳しく批判している。

以下はその一部を抜粋して、意訳したものだが、タチアナコーチの話の趣旨は伝わるだろう。



フィギュア343-39


「…要するにキムの振付は古臭いの。ジャンプの前に見せ場になるつなぎを入れたり、そんな工夫もしないで、ひたすら漕いでるだけでしょ。ステップだって、ステップ・シークェンスだけじゃないのよ。ジャンプにも連動して、プログラムとしてつないでいかなくちゃ。
アデリナは連続ジャンプの着地で失敗し、両足着氷して0.9ポイント減点されたわ。でもキムが跳ばなかった2A-3Tを成功させたから、得点が高かったの。キムにはプログラムの後半に、難度の高いコンボがなかったのよ。
コストナーも良い演技をしたけど難しいジャンプはなかったわ。キムを比較するのなら、コストナーと比べるべきね。アデリナとでは難易度が違うのよ。
アデリナの構成は高難度だったし、ジャンプまでのつなぎも、着氷後の流れも素晴らしくて、とても難しいステップをしてるのよ。
アデリナのジャンプには、ただ前向きに漕いで、クロスオーバーして入るつなぎなんてないわよ。PCSでも大差があってもいいくらい。キムがアデリナに勝っているなんて、ありえないわ。私が審判なら、もっと低い点を付けたわよ。
キムは衣装でさえ古臭かったわよ。衣装は採点には入らないけれどね。
でも衣装が古臭いってことは、それがすべてを物語っているの。衣装デザインだって進化してるの。振付はなおさらよ。
キムのショートの音楽表現なんて、私はまったく理解できなかったけど、ジャッジは高いPCSを与えたわね。滑りが音楽にどのくらい同調しているかを見る項目でも、ずいぶん高評価だったけど、キムの動きはどこをとっても音楽に合ってなんかいなかったわよ。
アデリナのショートは、高さのあるジャンプと、キムよりはるかに素晴らしいスピンがあったわ。すべてレベル4よ。キムのスピンでまあまあだったのは、キャメル・スピンだけ。彼女のプログラムでは毎度お馴染みのね。」





タチアナコーチの弁によると、ISUの採点はしごく公正で、現在のルールに沿ったもの、ソトニコワの金メダルに難癖をつけている人間は、単にロシアに対して何かしらの因縁をもっているに過ぎず、ISUのルールをもっと勉強してから競技批判するべきということのようだ。

ロシアにしてみれば、前のバンクーバー五輪でISUのルールを盾にカナダに好き放題されたのだから、今回そのルールを逆手にとって、勝つための定石を今の採点システムに従ってしっかり打ってきたに過ぎない。
大舞台にも気後れしない若手選手を育成し、リスクアセスメントをした上で考えられたプログラム構成やコレオを練り、団体戦も考慮したタイム・スケジュールでロシアの五輪女王誕生の瞬間を、手ぐすね引いて待ち構えたのだ。

ロシアの腹づもりに、日本の女子選手には端からメダルの配分はなかったとまでは云わないが、メダルを狙ういかにも開催国らしい強い心構えや、絶対的な意志というものに比べると、やはり日本の競技関係者の鈍い動きからは、組織的な甘さやメダルに対する執着の弱さがあちこち覗いているような気がしてならない。

そして端から純粋なアスリートたちの闘いとは別の次元にある、こうした政治的な思惑や組織的な胸算用が乱れ飛ぶメダル争いはさておき、浅田選手は、彼女なりに彼女の闘いの下準備をし、彼女なりの目標に向かって努力し、このたびの五輪で、その目指すところの一部には到達して、充実した達成感を得られたことと思う。

その歩みの中で折々に刻まれた、浅田選手の心中と足跡をつづった朝日デジタルの画像がある。

それをご紹介して、ラフマニノフの「心より生まれ、心に届かなければならない」芸術とは真に何たるか、もう一度考えてみたいと思う。


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聞くところによると、タチアナコーチはロシアの幸せの青い小鳩「グルボーチカ」をイメージして、浅田選手の青い衣装をデザインし、彼女に贈ったのだという。
タチアナコーチが解説していたロシアの放送で、浅田選手の演技を観ながら「私の小鳩ちゃん、頑張るのよ」とつぶやいていたというのは、ふたりの間にこういう経緯があったからだろう。

グルボーチカは日本では蓑鳩といい、画像を見ると確かにタチアナコーチの衣装デザインが、この鳥の可愛らしくも華やかな姿かたちを忠実になぞっており、浅田選手が「より高くより強くより美しく」飛翔できるように、そして何より幸せであるようにと、深い祈りを込めて作られたものだということがわかる。

タチアナコーチは五輪を目指す可愛い教え子のために、心のこもった衣装を贈り、教え子はその気持ちに応えて、心のこもったラスト・ダンスを五輪の舞台で披露したのだ。


フィギュア343-41

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それぞれの演技が観衆に訴えるものに違いがあるように、流す涙にもその理由に違いがある。


キム選手は試合後の涙を、「ショートプログラムが終わった後の夜も、ついに引退かと思ってこみ上げてくるものがあった。ずっと我慢してきたことが涙になってあふれ出した」と話している。
彼女にとってスケートは、もう長い間、耐えがたい我慢の連続で、審判に評価されて表彰台に上がる以上の意味を持たないものだったのならば、引退はもはや評価を求める必要のない日常へ解放される、まさにあらゆる足枷からの免除放免の証しだろう。

そして流された涙は、ようやく釈放される安堵の気持ちの表れなのだろうが、選手にとって苦役でしかなかったというその演技は、観衆にとってもスケートのよろこびや楽しさを味わえる作品には、とてもなり得ないのが当然だったということだろう。


浅田選手もまた、彼女自身の言葉にあるように、演技や技術、そして精神状態に苦しみ続けた数年間を振り返っている。

かつては無邪気にオリンピックに出たい、メダルを獲りたいと語っていたあどけない天才少女は、自身の成長とともに多くの困難に見舞われ、越えられぬ限界を知り、失敗を噛みしめてはさまざまに苦悩し、涙し、それでも歩みを止めることはなかった。

観衆もまた、無心な彼女の笑顔がいつか、大人びた憂いを含んだものに変わり、失敗の悔しさがさらなる挑戦のバネとなり、かなしみが怒りに、怒りが祈りに、祈りがよろこびに移ろっていったように、小さな子供の他愛無い夢が大いなる日本の希望と育っていゆくさまを見届け続けた。

浅田選手の苦悩の足跡が、最後にうれし涙の終幕を迎え、彼女にとっては最高の演技、観衆にとっては最高のスケートを見るよろこびとなったのは、ひとえに浅田選手がスケートをする自らの失敗、絶望、苦しみ、悩み、切なさを観衆の前に赤裸々に吐露しながらも、一方で「スケートが好き、スケートが楽しいという気持ち」を決して忘れず、滑るよろこびをパワーに変えて、常に挑戦する演技を求め続けてきた結果だからにほかならない。

浅田選手にとっても観衆にとっても、彼女の失敗は常に成功への足がかりであり、彼女の苦悩は挑戦するがゆえの道程であり、試練は人生における成長の糧であって、避けがたいがゆえに逃げない姿勢が何よりも美しく尊いことを、こころの底から理解していたからこそ、のた打ち回った絶望の果てに見えた希望の光を、深い感動とともに受けとめたに違いないのだ。

浅田選手のスケートは、彼女の人生そのものであり、彼女の愛したもの、愛したすべてにささげる祈りだった。

彼女の演技はメダルではなく、多くのひとの流した涙によって、その真価が五輪の歴史に刻印されたのだ。



人生の節々に流される涙も、有終のラスト・ダンスもその価値に優劣の違いはない。ひとの人生の価値に違いがないように。
だが、その美しさ、芸術性のあるなしは別の話だ。

競技の瞬間も、そしてこれからずっと、いつまででも、たくさんのひとたちがあなたのラスト・ダンスに恋をして、淡い月明かりの下のような美しい夢に酔い痴れたいと思うだろう。

あなたのラスト・ダンスの手をとって、何かを愛すること、生きる意味に触れさせてくれた涙、こころに届いた芸術のことを思うだろう。


もしも夢の中ででも、ラスト・ダンスの手をとることができるのなら、まさきつねも大勢の涙で飾られた、あなたのとともに踊りたい。


フィギュア343-38

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『The Drifters-Save The Last Dance For Me Lyrics』

踊っておいで
きみを誘う手のすべてをとって
あちこちからきみを誘惑する
男たちの腕に抱かれて
月明かりの下、素敵な笑顔で
微笑んでおいで
きみをその手で抱きしめている
男たちのために
でも忘れないで
今夜、きみを家に送るのは
それは僕だよ

スパークリング・ワインのように
素敵な音楽
きみを酔わせる歌があるだろ
思いきり歌って、そして笑って
でもお願いだから
僕以外の誰かに
きみの心を渡さないで
そして忘れないで
今夜、きみを家に送るのは
それは僕だよ

愛しい人、分かっているよね
僕はきみを愛しすぎているから
僕の望みはただひとつだけ
こころからきみを愛しているから
いつかきみが僕のもとから
離れてしまわないように
僕たちの愛は美しすぎて

さあ踊っておいで
楽しんでおいで こころから
夜明けまででも
僕はきみと一緒に帰るまで
ずっと待っているよ
もし誰かが
きみを家に送ると声をかけてきても
きっぱり断るんだよ
だって忘れないで
今夜、きみを家に送るのは
それは僕だよ
だから取っておいてね
最後のダンスは僕のために

だから忘れないで
きみを腕の中に
今夜抱きしめるのは僕だよ
(ザ・ドリフターズ『ラストダンスは僕のために』)


『Dalida - Garde moi la derniere danse』


フィギュア343-42


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つぶやいてみる 其の廿五

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久しぶりにこのカテゴリでエントリーする。(最近、拙ブログをお訪ねになった方にはちんぷんかんぷんだろうが、実はまさきつねの毒吐きエントリーだニャン。ご興味のある方は、競技雑感のカテゴリをクリックされるか、「つぶやいてみる」で検索をどうぞ。)


前の記事で取り上げたタチアナコーチのインタビューを読んでいて、前々から引っかかっていた部分なのだが、「真央はね、スルツカヤが金メダリストになる心理的な妨げになった。真央はスルツカヤを打ち負かしたのよ」という言葉、そして「真央の五輪は実質的には今回のソチで3度目になる」という彼女の中での位置付けを聞いていると、どうもタチアナコーチには(多分にあるだろう真央贔屓も認めるけれども)真の金メダリストが誰なのかという、彼女なりの所見があるように思われてならない。

まさきつねはリコメで、「バンクーバーも今回も浅田選手が金」と書いたが、もしかしたらタチアナコーチはそれどころか、「トリノもバンクーバーもソチも真央が金」と思っておられるのではないかと、推測したりするのだ。
勿論、品性のある良識をわきまえた方だから、物議を醸すようなことをわざわざ公言なさることはないので、あくまでもまさきつねの妄想ではあるが。

それにしたって、この三つの五輪シーズンに渡って、まだジュニア上がりそこそこのころから、すでに当時の女王スルツカヤを凌駕する実力を兼ね備え、メダリストとして君臨するにふさわしいスケーターとして、浅田選手を認識しておられることに間違いはない。
そしてそれはおそらく、国籍だの、師弟関係だの、もっと下賤な拝金主義的関係だのといったものには一切無縁の、芸術家として創造的なコレオグラファ―としての、タチアナコーチのプライドや感性に基づく識見だろうとまさきつねは思う。

ソチの閉会式に流れるラフマニノフのピアノ交響曲第二番を耳にしたとき、まさきつねは、ソチの真の金メダリストは誰か、厳かに高らかに世界中にその名を宣言する、フィギュアの神の声を聞いた。
老獪なロシアの母は、美しく響もす、ラフマニノフの苦悩の旋律で、メダルにふさわしい真のアスリートの姿をもう一度ロシアの大地に描いたのだと思った。

(正直な話、あの閉会式の音楽は、マスコミが騒ぎ立てるようなサプライズでも付け焼刃の取り計らいでも、何でもない。ロシアの五輪関係者の上層部で、あらかじめ企画され準備され、前々からタチアナコーチも承知の特別な演出である筈だ。つまりタチアナコーチは、厳粛な閉会式で印象的に流され、誰もが最後にソチ五輪の音楽と胸に刻むだろうとわかっている音楽を、ロシアの選手ではなく浅田選手のフリーに選んだのだ。

さらにシェヘラザード、白鳥の湖、仮面舞踏会と、まるで真央コレクションのようだった後の演奏は、ご愛嬌というものだろう。だがそれだけの数のロシアでお馴染みの音楽を、次々にフィギュアの名プログラムとして披露し続けてくれた東洋の小さな女神に、ロシアの神さまがご褒美に報いてくれた贈り物だったという気もしないではなかった。)


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『デニス・マツーエフ 「ピアノ協奏曲第2番」 ソチオリンピック閉会式 』


さて、ここから本気で毒を吐くが、ロシアの伯楽はこれだけ東洋の美姫に気遣いを見せてくれたものの、やはり金メダルはソトニコワ、これは現行の採点システムにおいては、致し方のない結果であり、揺るがない事実である。

(まさきつねは、あくまで自分の芸術的感性において真のメダリストは…と述べているのであって、不正だ疑惑だと、かの国のように騒ぎ立てて、結果を覆せとシュプレヒコールしたい訳ではないので念のため。
現行のルールも採点システムもこころの底からおかしいと思っているが、五輪のジャッジ運営はそのルールとシステムに従って、このたびも粛々と行われたのだ。それについては何の異論もない。)

だから、かの国の不正採点騒動など今更何をとしか思えないドタバタであるが、イタリアまでがコストナーが金、韓国が銀とソトニコワの三連続ジャンプのミスを挙げて騒いでいるらしい。
(このイタリアの言い分の背景には、何となくチンクワンタの当初の腹づもりが反映しているような気がする。少なくとも、コストナーを何としても表彰台に上げるというのは、女子フィギュアの五輪メダリストがいないイタリアの命題だったのだろうけれども。)

最終的にロシアは女子の金メダルをかっさらい、スピード・スケートでアン選手による恩義のある韓国に銀を与え、イタリアになけなしの銅を渡した。

かの国にしてみれば、アン選手の途轍もない功績の見返りとしてならキム選手に銀メダルじゃ生ぬるい、何としても金を寄越せというくらいの勢いで巻き起こした、不正採点疑惑の騒動だったのかも知れないが、実際これが真実なら、ロシアと韓国の間のとんでもない裏取引疑惑に発展するから、適当なところでお茶を濁しておくに限る話というものだ。
(言わずもがなですが、これもまさきつねの妄想ですよ。)

まあ、韓国、イタリアいずれにしても、最終的にロシアにしてやられた感があるのかも知れないが、用意周到に準備を重ねてきたロシアにしてみれば、当然の結果というに過ぎないのだろう。

まさきつねだって、リコメでは何のかんのとお答えし、真のメダリストは…と嘆いているが、先ほども述べたように、ロシアの十七歳の五輪女王が生まれた必然性は充分に承知しているのだ。

今回目玉の新種目というお題目で始まった団体戦…、森元首相の発言のほとんどはいただけなかったが、初めから勝ち目のない団体戦に浅田選手を出す必要はなかった(というより出場させてほしくなかった)という視点に関しては、まったくの同意である。

この団体戦だって、ロシアは開催国の意地と誇りをかけてトップをもぎ取ったように見えるが、プルシェンコの戦線離脱を除いては、全ては入念に計算され、お膳立てした筋書き通りの結果であり、ロシアにとってはメダル量産に向けての最初の布石だったのだろう。

一方で、日本の組織や上層部のお偉方は、団体戦は勿論のこと個人戦でのメダル奪取に向けて、充分な戦略や下ごしらえ、そして大事な選手たちへのサポートといった職務を果たしたと言えるのだろうか。

もっとも誠実に、選手らの体調や環境、その重責について斟酌し、後ろ盾となって支援したと胸を張れるのか。

浅田選手に対するかの国からの異常な報道取材のありさまや、アルメニアの練習リンクに関する連盟の失態などがマスコミで伝えられているが、掲載記事の全てが真実とまでは言えないにしても、せめてもう少し、事前にある程度は予測して万全の態勢が取れなかったものかと歯噛みするような対応ばかりである。

タチアナコーチが「直前に練習のさせ過ぎ」と怒ったというニュースが流れていたが、佐藤コーチが「団体戦の後は中京大学のリンクで」と考えておられたというのも、おそらく慣れた日本で少しでも休養をという腹づもりだったのだろうに、最終的には連盟の言いつけ通り、アルメニアで疲労の蓄積する日々を過ごさねばならなかったという風に邪推してしまう。

五輪が始まった直前直後だけでなく、もっとさかのぼれば、現行の採点システムに対する改正への働きかけも、その対応策も、組織的にはまったくお粗末といわざるを得ない状況だった。

ルールに対する、リスクアセスメントもできていなければ、大事な選手をメダル候補として売り込むロビー活動も充分になされていない。
たとえば、金メダルを獲らせたいと考えている自国の選手なら、なぜ五輪直前である全日本の試合に、悪化している腰痛を押して出場させるようなことをするのかと、まさきつねは疑問に思った。

五輪や世界選手権への出場権云々のお題目があるにしろ、それ以前に浅田選手にはGPでの実績があった筈なのだ。

全日本では結果的に、鈴木選手が有終の美を飾る優勝で200点越えの高得点をマークした。

一方で、浅田選手はトリプルアクセルの失敗と200点に到達しない得点で、順位も三位、これは勿論、ある程度正当な評価なのかも知れないが、この時点で世界にアピールしなければならなかったのは、日本の金メダリスト候補者の強さ凄さであり、その圧倒的な印象を世界に見せつけることができなかったという幕切れで、試合の妥当性といった綺麗ごと云々はさておき、どうしてもちぐはぐな思いが残り、五輪に対する日本の組織的な戦略としての拙さを痛感せざるを得なかった。

(あえて言うが、まさきつねは鈴木選手や村上選手には、五輪の表彰台がふさわしくないと言っているのではない。
だが派遣する三選手の中で誰が、ポテンシャルとして最も高い実力を持ち、金メダルに最も近いと端から分かっているなら、その選手にはGPファイナル優勝の実績と世界ランキングによって、《体調不良の名目を付けても》全日本不戦勝くらいの肩書をもたせて、五輪に送り出しても良かったのではないのか。

あまりにも綺麗ごとだらけで、五輪選考会を全日本の結果勝負と位置付けていたが、男子選手の選考を見る限り、必ずしも全日本での結果だけを重視しないのなら、全日本当日、明らかに体調が悪かった浅田選手に(付け加えるなら高橋選手だって)、無理をさせる必要はなかったのではと、今更のように繰り返し思ってしまう。

無論、浅田選手の清廉潔白な気性では、腰痛を理由に挙げたり、ごり押しで五輪出場をしたりというようなアドバンテージなどもってのほかになるのだろうから、こうした意見もすべてまさきつねの妄言とご承知願いたい話なのだけれども。あくまでも、選手たちの生真面目で純真な意向には関わりなく、まさきつねが勝手に述べている私見であることを了承していただきたい。)

全日本、団体戦、そして過激な取材攻勢に、個人戦までの練習場所の確保…、どれも致し方なかったで済まされるような問題ではないと思うが、どれがどのように作用したか、断定できることでもない。
だが、地元有利のロシア、団体戦のない韓国、チンクワンタのお膝元であるイタリアの三国から比べれば、二重三重の重たい鎖が日本の選手に架せられていたことは容易に推測できる。

もう一度、タチアナコーチのインタビューに立ち返り、「グランプリファイナルの結果は、スルツカヤに心理的な影響を与えた。彼女はその影響を払拭することができなかった。」という一節を読むと、今回の五輪では、全日本及び団体戦の結果が浅田選手に心理的な影響を与えていたという風に置き換えられて、まさきつねには胸に突き刺さる。

「浅田真央はいろいろ背負いすぎだ」とロシアの記者が指摘していたけれども、周囲からの期待やプレッシャーに対して、それに見合うだけの支援やフォローもないまま、浅田選手を始め日本の女子選手たちは決戦を前に大きく疲弊し、心身ともに疲労困憊していった。

派遣選手の選考に毎度苦悩する、世界で最も高いレベルである筈の国の選手たちが、次第次第に五輪の表彰台から遠ざけられていった、その背景にある何か途轍もなく深い闇。疑念、絶望、孤独、冷たい氷の下に埋もれてゆく、こころも凍るような悲しみ…

あの誰もが想像だにしなかった、無残なSPの16位という結果は、浅田真央には金メダルを獲らせないという強い組織的な絶対的意思が根深く作用していて、「彼女はその影響を払拭することができなかった。」ということに尽きるのではないかと思われてならないのである。


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暗き空へと消え行きぬ
  わが若き日を燃えし希望は。

夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお
  遐(とお)きみ空に見え隠る、今もなお。

暗き空へと消えゆきぬ
  わが若き日の夢は希望は。

今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。

そが暗き思いいつの日
  晴れんとの知るよしなくて、

溺れたる夜の海より
  空の月、望むが如し。

その浪(なみ)はあまりに深く
  その月はあまりに清く、

あわれわが若き日を燃えし希望の
  今ははや暗き空へと消え行きぬ。
(中原中也『失せし希望』)


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花びらながれ

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あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らいあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂々(ひさしひさし)に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
(三好達治『甃のうへ』)


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真央、ソチ五輪で「最後の最高の滑りを」
フィギュア国別会見・一問一答
スポーツナビ 2013年4月14日 19:10


 フィギュアスケートの世界国別対抗戦2013(11日~13日)から一夜明けた14日、女子シングルで5位に終わった浅田真央(中京大)が会見に臨み、ソチ五輪を最後に引退する意向をあらためて示した。

 穏やかな表情で会見場に姿を現した浅田。大挙して集まった報道陣の姿を見て思わず「すごい人……」とつぶやいた。前日のフリースケーティング後の会見で「五輪という最高の大きな舞台で、集大成の演技をしたい」と発言し、ソチ五輪後の引退示唆と報道された。記者からあらためて「ソチ五輪のシーズンで引退ということか」と聞かれた浅田は「今はそういうつもりでいます」とソチ五輪を一区切りとすることを認めた。

 引退後のプランは決まっていない。ソチ五輪に向けては「最高の舞台で、最高の演技をしたいという気持ち」と前を向く。ファンにも「(ソチ五輪が)最後という気持ちで応援してもらえれば」と、決意を語った。

 以下は、浅田のコメント。

ソチ五輪へ「いつも通り、悔いなくできれば」
「(今シーズンは)大変でした。その中で良いことも悪いこともありましたが、たくさんの収穫がありました。満足しています。(今は)ソチ五輪というすごく大きな舞台で、最後の最高の滑りをできるようにという気持ちに向かっています。あとはケガをしないようにして、五輪に行けるように頑張りたいです」

――ソチ五輪のシーズンで引退ということか?

「今はそういう気持ちです。理由らしい理由はないです。今年に入って徐々に思ってきて、気持ちがふと来た時があったので、その時に『そうなんだなぁ』と思って。(引退の決断は)体力面ではないですが、いろんなことがあり、その中でちょっとずつ『そうなのかな、そうなのかな?』という感じで。昨季、スケートをちょっと離れたいと思ったときもありましたが、それがキッカケというわけではないですね」

――事前に周囲に相談は?

「姉(でタレントの浅田舞さん)やマネージャーには『そう思ってる』と伝えました。(反応は?)『そうだよね』『自分が決めればいいのでは?』とか、そんな感じです」

――五輪の準備で一番大切なことは?

「心技体だと思うので、心も体も技術もすべて整っていないといけないなと思っています。長い間スケートをやってきたのに比べたら(ソチまでは)本当にちょっとの時間だと思うのですが、いつも通り、悔いなくできればいいなと思っています」

――今後は?

「今までスケート1本でずっとやってきたので、これからは自分も自分の道を切り開いていかないとというのは思っています。大学は今年で休学して、ソチ五輪までスケートを集中してやっていくと決めたので、(復学については)そのあとに考えたいと思います。

 将来は子供がほしいですね(笑)。良い旦那さんと巡り合って良い家庭を築きたいです。

 応援してくれている方にも、ソチを最後にするという気持ちを伝えたかったので、そういう気持ちで応援していただけたらうれしいです」<了>

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「愛しさと切なさと心強さと」という流行歌があったが、聞いている側はまさにそんな気持ちが入り混じってくる記者会見の内容だった。

懸命に自分の気持ちを偽らず、自分の言葉で伝えようとしている様子が感じられた。

もはやどうすることも出来ないんだなという無力感と、これまでもどうしてあげることも出来なかったんだなという自責の念が込み上げてきて、今まで世界屈指の演技でファンを楽しませてくれたことへの感謝と、ソチまでさらに素晴らしい演技でファンを魅了してくれるだろうことへの期待感、その決意のいじらしさと頼もしさに、改めて胸が締めつけられる思いでまさきつねはニュース映像を見た。


もうひとつ、先日ご紹介した住友生命のCMの別バージョンからも思うところがあったので、ここで掲載しておこう。


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☆いいなCM 住友生命 浅田真央 「私を強くするもの」篇☆


「オリンピックに出て、金メダルを獲りたい」と無邪気に語っていた少女は、「ソチ五輪というすごく大きな舞台で、最後の最高の滑りをできるように」と、もはやジャッジもライバルも一切関係ない、孤高の目標で自ら描いてきた物語の終幕を締めくくった。

少女の夢をかたちあるものから、かたちのないものへ、記録の証から記憶の残像へ、あどけない願望から静謐な祈りへと変貌させたのは、まさに五輪のメダルが輝く裏に潜む深い闇、計り知れない欺瞞や姦計の渦巻く現実社会だったのだろうと思うと、今はただ、その夢の行く末に胸が痛む。

しかし、もしかしたら浅田選手はすでに、こんな周囲の凡人たちが噛みしめている後悔や何の役にも立たない惻隠の情など、一切無用な境地に達しているのかも知れない。

このCMの中で流れている音楽を担当した高木正勝さんのインタビューを読んで、まさきつねはふとそう思った。

高木正勝さんについてはウィキもあるのでご参照いただきたいが、とりあえず略歴の抜粋は以下の通り。

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高木 正勝(たかぎ まさかつ、1979年 - )は日本の音楽家、映像作家。京都府出身・在住。
自ら撮影した映像の加工やアニメーションによる映像制作と、長く親しんでいるピアノやコンピュータを使った音楽制作の両方を手掛けるアーティスト。
国内外のレーベルからのCDやDVDリリース、美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。

☆Takagi Masakatsu (高木正勝) - 『girls』(2009)   【ピアノ solo】☆


そして「THE BIG ISSUE ONLINE」のサイトに掲載されていたのが、次のようなインタビュー記事である。

☆映像作家・音楽家 高木正勝さん「着地って跳ぶことよりも難しいし、その年齢も人それぞれでいいと思う」☆

インタビューの一部を以下に転載させていただく。


*****

…そんな高木さんにとって、舞台のイメージとは?

「フィギュアスケートの浅田真央さんに、とっても共感するんです。リンク上ですることは決まっているんだけれど、この1試合はジャンプにこだわるのか、演技で魅せるのか、何に挑戦して何を達成したいのか。僕にとっての舞台も、それと同じ」

デビューから10年。今後について尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。

「アーティストとしての着地のことを考えています。着地って跳ぶことよりも難しいし、その年齢も人それぞれでいいと思う。僕は今、着地に向けて遺作に取り組んでいるような感覚かな。これまでのようにつくりたいものをつくるのではなく、遺したいものをつくるという、そんな心境なんです」

***************


このインタビューから察するに高木さんもどうやら、浅田選手が試合でこだわっているのはもはやメダルや得点などではなく、彼女が挑戦している何か、ジャンプか演技内容か、その表現したいものがいかに観客に伝わったかという達成感にあると考えておられるようだ。

おそらく、CMの仕事などで浅田選手に深く関わっておられる間に、彼女の挑戦者としてのスタンスやそのこだわりや信念といったものに触れられ、高木さんも感銘を打たれたのではないだろうか。

そして最後の質疑応答の中にある、「着地って跳ぶことよりも難しいし、その年齢も人それぞれでいいと思う」という言葉が、まさきつねには高木さんから浅田選手に向けて発せられたメッセージのように思われてならなかった。

そう、誰にとっても、引退も転身も(結婚や出産、転職や退職をふくめ)、人生におけるさまざまな方向転換や折り返し地点は、年齢で定めるものではない。各人がその人生の折節に、挑戦し追求し、達成し成就し得たものによって、自己の中に決着する何かがあれば良いのだ。

自分の中に、しっかりと充実した感触があれば良いのだ。

(引退するには)まだ若いという意見もあるだろうし、まさきつねも確かにそう思う。
だが、先輩の鈴木選手が「年齢としては若いが、彼女は第一線で戦うのが早かったし、重圧の中で滑ってきたので、ソチで一区切りも分かる気がする」と浅田選手の引退に理解を示したように、その実際の年齢から感じるよりもずっと長く重い年月を、アスリートとしてのプレッシャーの中で重ねてきたということなのだ。

「金メダル」と何のためらいもなく口にしていたスポーツ万能の少女に、長く重い競技生活がもたらした多くのタイトルやメダルは、どれほど甘くて苦い果実だっただろう。

しかし浅田選手は大会ごとに甘く苦い思いを噛みしめるたび、自分が真に手にしてきたのは大会の称号でも勲章でもなく、記録の遺留品のようなメダルごときでもなく、シーズンごとに人々のこころに刻みつけていった美しいプログラム、演技そのものだったことに気づいている気がする。

高木さんは「遺作」と言われ、浅田選手は「集大成」と言っていたが、十代の幼いころから競技の最前線で闘い続けてきた浅田選手にとって、これまではとにかく試合のためにがむしゃらに必死に創りあげてきたプログラムが、競技生活の終焉を見すえる今になってくると、最後に生み出す大切な子どものように自分の分身のように、別の価値をもつものと感じられるようになったのだろう。


花びらながれ、時は過ぎ、少女はいつか静かに大人になった。

結婚も子どもも、もうひとつの夢として口にする大人になった。
花びらはながれ流れて、また時が戻ればいつか、あなたの後を追う子どもたちが、あなたが残した影を踏んで別の影を石の上に刻むかもしれない。

あなたは美しい影を残し、美しい夢を残した。

うららかの足音もひそやかに、限りなくゆきすぎて、いつか戻る春も、今は夢のあとさき。


花びらのようにしめやかに、美しい夢の後ろ姿を残して、やさしい時の彼方へ消えてゆくものの幸いを今は限りなく祈ろう。


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ところで以前、安藤選手の記事で、まさきつねが好きな彼女のプログラム五選を紹介した。
このたびは浅田選手のプログラムの中から五選を紹介したいと思うのだが、選びきれなくて困ったので、今回はとりあえず、ローリー・ニコルの振付作品から。


5位 『アイ・ガット・リズム』
作曲:ジョージ・ガーシュウィン
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4位 ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』より
作曲:シャーマン兄弟
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3位 『誓い~ジュピター~』
唄:リベラ
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2位 『ノクターン第2番変ホ長調 作品9の2』
作曲:フレデリック・ショパン
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1位 『愛の夢』
作曲:フランツ・リスト
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以下は、ローリーが今季の全日本の後、浅田選手に送ったメッセージから。

Mao, congratulations on your title at the Japanese nationals!
Everything, with Mao this year was about bringing Mao happiness.
I said "Mao, as a mother, I know your mother would want you to enjoy your life.
She wanted you to enjoy your skating, she wants you to find a happiness again.
So let's choose happy music, let's skate for pleasure!"
It is such an honor to watch your progress both as a skater and as human beings.
I adore you, respect you and admire you. Good luck at 4cc.

マオ、全日本フィギュアの優勝おめでとう!
マオをハッピーにするのが今シーズンの目標でした。
マオには「お母さんは人生を楽しんで欲しいと思ってるはずだよ」と伝えました。
だから楽しい音楽 楽しい演技にしたんです。
マオの成長は私にとって大きな誇りです。
あなたの事が大好きだし尊敬しています。
四大陸フィギュア ガンバッテ!!

※※※

ローリーもまた、浅田選手をもうひとりの自分、可愛い子どものように愛しんできたのだと感じられる言葉である。

まさきつねは基本的にローリーの振付がそれほど好きなわけではない。
綺麗で流れるような表現だが、どこか一辺倒で、見映えのする選手なら誰でもある程度の技術があれば熟せるだろうという、良くも悪くも無難でありきたりなイメージがある。

有体に言えば、ロマンチックだが退屈と感じてしまう。

好きな方には申し訳ないが、そういった意味でまさきつねが選べなかったのが『幻想即興曲』や『ソー・ディープ・イズ・ザ・ナイト』である。(いや、別に曲がありふれてるショパンだからじゃないのよ…)

しかし、柔らかく優雅で繊細な空気感を持っている選手が高い技術で演じれば、ローリーの作品ほどぴたりとはまるプログラムもないだろう。

浅田選手の『ノクターン』や『誓い~ジュピター~』は、美しさ以上に純粋な魂の高潔さを感じさせるプログラムだった。

一方で『チャルダッシュ』は浅田選手のまだ磨かれていない表現力や幼さが、曲調の哀愁に添っていなかったし、『月の光』は美し過ぎて今ひとつ物足りないという、いずれも今の彼女が演じてみたらどんな化学反応が起きるのか、想像すると惜しまれるプログラムではある。

『メリー・ポピンズ』と悩んで、やはり最近のものをという視点で除外したのが『虹の彼方に(オズの魔法使い)』である。
この作品と『くるみ割り人形』は、まさに十代半ばあの頃の彼女でなくては表現し得ない珠玉の作品だった。

そして表現も円熟した頃の『愛の夢』はローリーも渾身の作品で、選手、振付師ともども代表作となり得るプログラムに仕上がっていただろう。
ただ、浅田選手がジャンプの調整中という時期でもあり、なかなかこれが完璧という形で披露できなかったのはお互い辛かっただろうなと思う。しかし、たとえエレメンツにどんな瑕があったとしても、その芸術性や美そのものは損なわれることがない。

この『愛の夢』に関しては、おそらくこの先、ほかのどんな卓越した技術の選手が演じたとしても、これほど完成された世界観を生み出すことは出来ないだろう。
甘く切ない愛の中に、寂しくひそむ悲しみの影も感じさせるこの上なくエレガントなプログラムだった。

浅田選手が来季どんな集大成を持ち出してくるのか、今から楽しみだが、『ノクターン』や『愛の夢』のようなこの世ならぬ美しさに加え、誰もをその宝石のような輝きで魅了する彼女ならではの、「永遠の少女」性を顕現して欲しいと願っている。

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野原に出て座っていると、
私はあなたを待っている。
それはさうではないのだが、

たしかな約束でもしたやうに、
私はあなたを待っている。
それはさうでもないのだが、

野原に出て座っていると、
私はあなたを待っている。
さうして日影は移るのだが…
(三好達治『草の上』)



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花を摘むひと

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きみよ、賢明であってくれ。酒を飲みほせ。人生は短い。あまり先のことを思い悩むな。
こんなつまらぬ話をしている間にも、意地の悪い「時」は足早に去っていくのだから。
今日一日の花を摘め。
また朝が訪れることなど、誰にもわかりはしないのだ。
(ホラティウス『詩集』)

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(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『摘めるうちにバラの蕾を摘みなさい』1909年)

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まずは国別対抗戦において、浅田選手のショート、フリー演技の画像をご紹介しよう。

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浅田真央、五輪で「集大成の演技を」 引退に含み=会見コメント
スポーツナビ 2013年4月13日 21:15

 フィギュアスケートの世界国別対抗戦2013・第3日は13日、東京・国立代々木競技場で行われた。
 女子フリースケーティングでは、ショートプログラム5位と出遅れた浅田真央(中京大)は、フリー117.97点、合計177.36点で順位変わらず5位だった。1位は鈴木明子(邦和スポーツランド)、2位、3位は米国の2人、アシュリー・ワグナーとグレイシー・ゴールドが入った。

 浅田はなんとか演技をまとめたものの、キレを欠く内容となった。「今までになく、体も呼吸も苦しい状態で滑った」という演技は、冒頭のトリプルアクセルの回転が途中で開きダブルアクセルに。また後半のダブルアクセル-3回転トゥループは2つ目が2回転になるなど、転倒こそないもののなんとか持ちこたえての状態だった。フリー『白鳥の湖』の見せ場、終盤のステップシークエンスでも疲れが見え、「最高の演技ではなかったです」と振り返った。

 また、来季へ向けては「五輪という最高の大きな舞台で、集大成の演技ができるように頑張りたい」と最大の力を尽くす。「引退」の言葉こそ口にしなかったものの、「自分のスケート人生での最高の演技をすることが目標」とも冷静な表情で言葉を重ねるなど、競技人生最高の状態で五輪を迎える覚悟を見せた。

 以下は、演技後の浅田のコメント。

◇浅田真央「今までになく、体も呼吸も苦しい状態で滑った」

「今日はコンディションは悪くなかったし、いけるという気持ちで臨みました。トリプルアクセルは失敗してしまいましたが、それ以降は良い流れでジャンプも決まっていました。ただ、後半から脚と体に負担が来てしまって、自分の体をコントロールするのがすごく難しい状態でプログラムをずっと続けていた感じです。
 すごくきついプログラムではあるのですが、きつくなった原因は分かりません。ちょっと今までにないような、体も足も呼吸もすごい苦しい状態の中で後半はほとんど滑っていた感じでした。
 トリプルアクセルは練習ではまずまずだったので、そのままいこうと思っていました」

――今季最後のFSだったが?
「後半から体力が落ちてきてしまって自分の体を動かすのも大変な感じでやっていたので、最高の演技ではなかったです。SPもFSも大好きなプログラムなので、シーズンをすごく好きなプログラムで締めくくれたのはすごくうれしかったです。

――投げ込まれた花束を丁寧に拾っていたが?
「お花をたくさんいただいて、感謝の気持ちを込めて拾っていました」

――今シーズンの手応えは?
「自分のやるべきことは確実にできていると思うのですが、今日のような演技ではいけないと思うので、気持ちを切り替えて来シーズンに臨みたいと思っています」

――思い出に残っている大会は?
「四大陸選手権と世界選手権ですね。四大陸はSPでアクセルが跳べてすごくうれしかったです。世界選手権では3大会ぶりにメダルが取れましたし、自分の最高のレベルで(演技に)臨めたのが一番うれしいです」

――今シーズンは休養をはさんでスタートが少し遅かったと思うが?
「今年は五輪シーズンですぐにスタートしなければいけないので、ところどころ休息をして、また次のシーズンに臨みたいと思います」

――五輪シーズンに向けては?
「まず、新しいプログラムを作ることと、五輪という最高の大きな舞台なので、そこで自分の集大成の演技ができるように頑張りたいと思います。
 今の時点では五輪メダルよりも、自分のスケート人生での最高の演技をすることが目標。五輪に出られたら日本代表として出場するので、良い色のメダルがほしいと思っています。そのためには自分の最高のレベルで最高の演技をすることが、(頂点に近づくための)一歩なんじゃないかなと思います」

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国別対抗戦のことを書くなら、本来は優勝した高橋選手、鈴木選手を讃えるのが本筋というものだろう。

無論、両人とも素晴らしい演技だったし、日本がペア不在ながら銅メダルを獲得したという結果に大きく貢献したことも、重々分かっている。だがそんな綺麗事など、まさきつねはどうでもいい。(言わずもがなで言っておくが、優勝した選手たちがどうでもいいということではないので、ご了承を。)

この国別対抗戦、端からソチ五輪での団体戦に向けて、日本の出場を暗黙の了解でファンの脳裏に刷り込むための組織的な作戦だろう。
ペアもいない、アイスダンスの層も薄い、だが、シングルの選手たちだけの結果でも団体戦の表彰台に食い込めるという甘い見通しを、観戦した日本のファンにあらかじめ植え付けておこうというISUならではの計算尽くしの布石だ。

もうご存知の方も多いと思うが、ソチ五輪の団体戦は国別対抗戦とはルールそのものがまったく違う。

まず、「チーム編成は男女シングル各1名とペア、アイスダンス各1名より3種目以上」とあり、つまり、ペアがいなくても男女シングルとアイスダンスでチーム編成はできる。(実にいやらしいと思われないだろうか。ペアが不在でも形の上では日本は充分出場可能になる。)

そして国別と違って、シングルの出場は一人だが、ここでもうひとつ、実に巧妙なのが選手登録という仕組みである。

選手登録に関する規定は「複数枠出場権を取っている種目に関しては交代要員を含め事前に複数選手登録することができる(交代選手は個人戦出場選手に限られる)」とあり、つまり日本の場合、アイスダンスの出場権を獲得しても派遣できる選手は1組しかないので、選手交代ができるのは男女シングルのみになる。
そこで男女シングルについては、必然的にSPとFSでそれぞれ別の選手たちを出場させるという話になってくる。

楽観的な考えができる人なら、選手一人がひとつのプログラムでOKなんだからそれくらいの負担なら良いんじゃないと思われるだろうか。

だがこの団体戦、行われるのは個人戦の前だ。つまり、個人戦の前にすでに一度闘って、へとへとになった体で選手たちは個人戦に臨むという図式になる。
最悪(というか今のままでは当然そうなるだろうと推測できるのだが)の場合、日本はせっかく男女とも三枠の出場権を獲って六名で五輪に挑んでいるにも拘らず、そのうち四名は団体戦に使いまわされ疲弊させられて、その状態で個人戦の表彰台を狙わなくてはならないという、理不尽な状況に追い込まれるということだ。

フィギュア競技はメンタルが微妙に左右するスポーツだ。
個人の前哨戦で、団体の順位云々で精神的に揺さぶりをかけられ、結果が良くも悪くも、身体的には消耗させられた選手たちが、まったくリスクを持たない選手たちと同じ土俵に上げられる。

お偉方たちの発言やルールを目の当たりにしていると、強豪国は個人のメダルを犠牲にして、まずは団体のメダルを狙えと言わんばかりにしかまさきつねには思えないのだが、ペアやアイスダンスで絶対的に不利な日本が、ロシア、アメリカ、カナダなどを向こうに回して果たしてどんな成果が得られるのか、甚だ疑問だ。
二兎を追うものはのたとえではないが、個人戦の前の博打でマイナス要因を抱えさせられただけに終わる、そんな危険性しか想像できないのだ。

こんな誰でもちょっと考えればおかしいと思う(日本にとってはまるでトロイの木馬のような)五輪正式種目決定や、競技規定が組織的に平気でまかり通ってしまう、フィギュア競技の裏事情は何か。

結局、以前から活眼のブロガーさんが指摘なさっていたことだけれど、この競技のメダルは初めから各国にある程度、獲得できる数が振り分けられており、どんなに優れた選手が数多く五輪に出場しようが、表彰台の独占など端からできない仕組みになっている。

すなわち、優勝候補の実力を備えた三名が五輪に出場しようとも、ひとりが表彰台に上がればほかの二人にはもはやメダルの分け前はない。ならば団体戦でお茶を濁して、各国にそれなりの成果を上げさせれば表向きのごまかしが効くという計算が成り立つのである。

採点の胡散臭さに関してはもう、あまりにも繰り返しになるので長々と語るまい。

たとえば今回199.58で優勝した鈴木選手については、先日の世界選手権では、164.59で十二位である。
逆に今回177.36で五位の浅田選手は、三位についた世界選手権では196.47だった。

大会によって採点の基準も違うし、選手たちの好不調も違うという、またいつもながらの反論が出て来るかも知れないが、両者ともこれほど点差がつくほど、この二つの大会での演技に大きな違いがあっただろうか。

まさきつねは世界選手権の鈴木選手は、おそらくほかの国の五輪参加枠取りのためにこれでもかというほど下げられたなと思うし、今回の浅田選手は、カナダを銀メダルにするためにアメリカの選手二人を表彰台に上げたなと思っている。

(アメリカの選手、ワールド五位のワグナー選手は187.34、国別は二位で188.60、ゴールド選手はワールド六位で184.25、国別は三位で188.03だ。二人とも二大会でほとんど点差がない。演技の出来に違いはあったが、点数の上ではそれは読み取れないということか。日本の選手とは随分違った扱いだ。)

こんな風に、自国のスター選手の価値を大会ごとに上げ下げさせられて、それでもすべてが天の采配と受け入れる日本のスケート連盟は、よっぽどお人好しなのか○○なのか…いずれにしても、組織的には何らかのメリットがあり、しわ寄せを受けるのは個人の選手たちなのだろう。

結局は茶番でしかない、この競技の採点順位に一喜一憂する方が馬鹿馬鹿しいし、テレビの視聴率や大会チケット売りさばきのためにスター選手をかり出して、競技人気を煽るマスコミ報道に振り回されるのもうんざりする。

五輪のメダルが欲しいなら、それに向かって選手たちを早く無駄なプレッシャーから解放して、練習に集中させてやればいいではないか。こんな大事な時期に、ランキングにも反映されないお茶らけた試合に無理やり参加させて、余計な負担をかけさせて、怪我やコンディション不調に見舞われるといった悲運から、回避させてやるべきではないのか。

(チャン選手からこの団体戦に対する苦言がサンケイスポーツに掲載されていたが、それが自身の試合結果に対する言い訳だったかどうかはさておき、多少なりともすべての参加選手の心の叫びを代弁していたことは間違いない。だが、チャン選手は転倒してもSPは一位、何だかんだで総合二位におさまっているし、レイノルズ選手があれほどの演技をFSで見せても追い越せないのだから、やっぱり「奇跡」なのか「謎」なのか知らないが、あいかわらずの魑魅魍魎が漂っているようだ。)


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大会中、日の丸の扇子や鉢巻きで必死に自分を鼓舞して応援に専心している浅田選手の姿は、その様子が一見無邪気に弾けていればいるほど、まさきつねには痛ましかった。

逆に三位の表彰台での笑うに笑えないような、浅田選手らしくない中途半端な表情は、何もかもを決めかねているような彼女の心中を正直に表しているようで、その人間臭さが腑に落ちるのだ。

引退したその後のすべてが未知数で、今まで彼女の拠りどころだったフィギュア競技を離れることへの不安が、解放感よりもまずその小さな胸を締めつける。とはいえ、いくら彼女ほどのポテンシャルがあるとはいっても、ソチ後も次の五輪参加への目標もなく、競技生活を続ける意義などそう簡単には見出せまい。

だから今はとにかく過ぎてゆく日一日を、ジャッジよりもマスコミよりも、自分をふくめ選手たちのことを一番大事に思っているだろうファンの応援とともに、胸の中へおさめておきたいと精一杯大会を満喫し、丁寧にひとつひとつの演技を滑ろうとしている彼女の思いが、カメラが切り取ったどの浅田選手の表情からも滲み出ているようで、どの画像を見ても、ただ切ない。

演技が終了して、氷上にばらまかれた沢山の花束を、ひとつひとつ丹念に拾い集める浅田選手の姿から遠く響いてくるような声なき言葉が、今の彼女の思いの丈すべてだろう。


あなたは一日一日、無駄にすることなく努力の花を摘み、そしてすべてのひとに美しい花束を捧げてきた。

あなたの演技に花があり、その花を見るひとのこころに光が宿るのは、大事に重ねてきた「時」があなたのかわりに涙するから。
あなたの言葉に出来ない言葉が、口に出せない想いが、あなたが日々摘んだ花のひとつひとつを、夜露のようにあふれる光でみたすから。


そのひそかな輝きが、どんな勲章よりも美しく、あなたの胸を飾る星となるように。


フィギュア315-9

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心に ひとり
思うひとを 住まわせて
花を摘む
(高田敏子『花』)


フィギュア315-10


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