月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

空中庭園の散歩 其の拾八 女王はもう森で踊らない

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ぼくはひとりで道に出る。
霧の中で石ころ道が輝いている。
夜は静かだ。 荒野は神の言葉に耳を傾け、
星は星と語り合っている。

天空はおごそかですばらしい!
大地は青白い光の中で眠っている・・・
どうしてぼくの心はこんなにも痛むのだろう?
何かを期待しているのか? 何かを悔やんでいるのか?

ぼくはもう人生から何も期待していない。
過ぎ去ったことなんかちっとも残念じゃない。
ぼくは自由と静寂を求めているのだ!
ああ、何もかも忘れて眠ることができたら!

だがそれはあの冷たい墓の眠りなんかじゃない・・・
ああ、ぼくはとこしえに眠りたい。
心のうちではいのちの力が静まり、
息づくたびに胸がかすかに上下する。

日がな一日ぼくの耳を楽しませつつ、
甘美な声が愛について歌い、
ぼくの上ではとこしえに緑に色づきつつ、
薄暗いカシの木が身を傾けてざわめくのだ。
(ミハイル・レールモントフ『ぼくはひとりで道に出る』)


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まさきつねの気力があるうちに、続けてこのカテゴリー記事をUPしたい。

2009-2010年シーズンは五輪前哨の年で、タチアナコーチも「冒険はしない」と宣言されており、ショートのプログラムは前シーズンのフリーからの転用という、浅田陣営なりにエコな戦略となっていた。

しかし、まったく同じ楽曲を使用というのは目新しさに欠けるという欠点も併せ持っており、実際その点をついて曲の変更を求める声も少なからずあったのも確かだった。
特にエリック・ボンパール杯は2位、ロステレコム杯は5位で、シニア移行後初めてファイナル出場を逃すというGPシリーズでの不調が多くのスケート関係者の間でも騒がれ、代わって浮上したのがEX曲の『カプリース』をショートのナンバーに変更するという案だったが、メディア誌面をひとしきり賑わしただけで、実現することはなかった。

今にして思えば、キム選手の『007』を祭り上げる宣伝の派手さ、ご祝儀のように試合ごとにみるみる上がっていく不可思議なその得点に、当時のメディアも競技の関係者たちもただただ表層的に、日本の選手たちももっと華やかに、笛や太鼓で賑やかに盛り上げて対抗すれば何とかなるというくらいの認識でいたのかも知れない。

その前年のシーズンまでは確かに、実力は拮抗していたか、むしろ劣っていたはずの選手、精々中堅かその程度の立ち位置にいた選手が俄かに、演技の質もプログラムの難度も一切変わることなく、わずかにミスの回数が減少したという程度で、化け物のような得点を次々に叩き出し始めたのだから、キム選手以外の選手の陣営や各国の競技関係者が当面の対抗策をとりあぐねたのも無理もない話なのである。

「キムは奇跡だ」と語るブロガーは数多い。

だが何をもって奇跡と呼ばれるのか。
浅田選手はかつて『ミラクル・マオ』と冠された。一方、キム選手はmarvelと評され、これは「驚異」や「謎」と訳されることもある。

言葉のニュアンスだと言われればそれまでだが、まさきつねはやはり作為的なものの存在を感じている人々が皮肉っているようにしか思えない。
ウィアー選手はロンドンのワールドの後、「彼女には女王と呼ばれる理由がある」とツイートした。彼女を女王たらしめているもの、それもどこぞの伏魔殿がかけた謎だろう。

年を追うごとに劣化しているとしか見えないステップやポジションに、ここぞとばかりに惜しげもなく盛り上げられる加点は、どんな言葉で取り繕ったところでもはや常軌を逸しているとしか考えられず、コストナー選手でなくとも「別次元」と受けとめるしかないだろう。

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さて、まさきつねが今回ご紹介したいのは、レールモントフにもハチャトリアンにも一切関係のない、イギリスで活躍した絵師とその作品なのだが、その甘美で官能的な魅力は一目瞭然、言葉による取り繕いの必要もなく、まさきつねごときが解説を加える必要性など欠片もないものである。

絵師の名前はカイ・ニールセン、コペンハーゲン出身で、パリで絵の修行をし、1913年にイギリスで挿絵画家としてデビューを果たしたが、第一次大戦の勃発とともに豪華な挿絵本の出版する版元が消えたために、以後画家としては不遇の生涯に埋もれた芸術家である。

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☆カイ・ニールセン挿絵集☆

元々、劇場の舞台監督と女優を父母にもつニールセンは豊かな芸術的環境で育ったこともあり、画風にもその影響は色濃く反映しているが、本の仕事がなくなった後、糊口を漱ぐためにコペンハーゲンへ戻って、舞台装飾やコスチュームデザインなどを手がけている。やがて1936年、その一環として関わった舞台のひとつがアメリカ上演されるのを機に妻とともにカリフォルニアへ渡り、やがてハリウッドでディズニー・アニメーションという新分野に乗り出すことになる。

ニールセンの幻想的な画風にほれ込んだディズニーは、当時手がけていたアニメーション大作『ファンタジア』の中の使用曲、『アヴェ・マリア』と『禿山の一夜』の背景を制作依頼し、ニールセンはほかにも近年ようやく公開された『リトル・マーメイド』などのクレジットにも名を連ねている。

だが制作現場の過酷な労働条件や、動画と彼の画風との相性の悪さといったいくつかの面で折り合いがつかなくなり、首を切られた後は生活に困窮して、結局、養鶏場や教育現場といった絵画とは離れた分野の仕事で細々と暮らしの糧を求めていたようだ。
そんな不遇な中でも、彼に目をかけた図書館員の助けを借り、中学校の壁画を二年かけて完成させ絶賛を受けるという偉業をなしている。
ところが、学校の閉鎖とともに芸術に理解のないお役人らの無情な決定で壁画が外されるという憂き目に遭い、図書館員らの訴えで公的にもようやく絵の価値が認められて、再び二年の歳月をかけて壁画を修復するという辛苦を味わっているのである。

ニールセンの作品価値を認めたロスアンジェルスの教会や、ワシントンの中学校など、いくつかの壁画注文をこなした後、ついに芸術方面の仕事で声がかかるということがなくなると、貧窮生活のまま苦難は報われることなく、1951年に71歳で逝去している。
葬儀は彼自身が壁画を手がけた教会で行われているが、遺品として残された作品はどこの美術館や画廊からも引き取りの声が上がらなかったという。

この前のメイエルホリドに続き、何でこのブログって悲惨な逆境に立つ芸術家の、地べたを這いずるような人生ばかり取り上げるのと、いささか気の滅入る思いで読まれている訪問者も多いだろう。

まさきつねも申し訳ないと思うが、それだけ真の芸術というのはその先進性ゆえに同時代の理解を得難く、周囲からちやほやされることなく多くの偏見と無知に晒されて、辛酸を舐めるという憂き目に遭いやすいものなのだ。

教科書通りでいつも同じ、毎度変わらないから安心できるなんて形容詞が、完全無欠の優等生に対する最高の褒め言葉で、それに勝る讃辞はないなんて単純に信じられる人々はまことおめでたいとまさきつねはつくづく思う。

本当の芸術家なら、自分がいかに全身全霊傾けて、それまで根気強く作り上げ完成させたものでも、さらに新しいものへ進化し、もっと違う世界へ変貌を遂げていくためなら、すべてを無へ投げ出して、一からやり直すためにとことん壊すことも厭わないはずだろう。

完璧であることは所詮、停滞し、同じ場所に踏みとどまっていることの代名詞に過ぎないのだから、これ以上なく完成されたと評されてしまった芸術家なら、自分がもはや美しいもの、新しいことを創造する力を失っていることを思い知り、自分がすでに失ってしまったすべての自由、あらゆる夢みる力を焦がして、のた打ち回って嘆くだろう。

過去の地位や名声に縋るクリエイターなど、もはや芸術家でも何でもないが、名ばかりの栄光や中身のない賞讃で有頂天になって、執着から逃れられずに先に進もうとしない人間のどこに魅力があるというのか。

無論新しいものばかりが好いとはいえず、革新に失敗とリスクはつきものだが、たとえどんな結果であれ、創造的活動においてはそれを厭わない挑戦と冒険にこそ、最大の賛辞が贈られて然るべきとまさきつねは信じている。


閑話休題。以下はニールセンの代表作、『十二人の踊る姫君』に付けられた挿絵である。
まさきつねはニールセンの挿絵本や画集を何冊か、別ヴァージョンで収集しているが、日本の翻訳本もあるので、ご興味のある方は直接お読みになると良いと思う。

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まずは『十二人の踊る姫君』のあらすじを一応かいつまんで紹介しておこう。

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モンティグニーサー・ロックの村に住む天涯孤独の孤児「夢見るマイケル」は、ある日樫の木の下で昼寝をした時、ベル=イルの城にいけば王女を妻にできると美貌の女性のお告げを受ける。三度同じ夢を見た時、マイケルはベル=イルの城へ行くことにする。そこには十二人の美貌の姫君たちがおり、その王女たちは三重に鍵のかけられた部屋で寝ているのに、朝になるとサテンの靴がすりきれて穴だらけになるという噂になっていた。王様は靴の謎を解いた者に王女と結婚させるというお触れを出していたが、その難題を解いた者はまだおらず、そればかりか王女の部屋の前で不寝番をかってでた王子たちの姿までが消えるというありさまだった。
マイケルは城の園丁に雇われ、みごと王女たちの靴の謎を解く。王女たちは夜な夜な城を抜け出して、三つの妖しの森を通り、湖の向こうにそびえる城で、雄鶏が三度鳴く朝が来るまで一晩中踊り明かしていたのだ。そして彼女らの踊りの相手になっているのは、心を凍らされて踊ることしかできない人形に変えられてしまった行方不明の王子たちだったのである。
王女たちの一番末の妹リナは、マイケルが自分たちの秘密を握ったことを知る。十一人の姉たちは「結婚してあなたも園丁になれば」とリナをからかうが、マイケルが靴の謎を解いたことを知ると、一転マイケルを始末することを計画する。リナはマイケルも踊り人形にする提案で姉たちの計画を思いとどまらせるが、王女たちの密談のすべてを知るマイケルは「リナの幸福のために身を捨てるのなら、それもいい」と王女たちの計画に自ら飛び込むのである。
そして王子の盛装で準備万端整えたマイケルは、十二人の王女たちと次々に踊った後、ついに人間を踊り人形に変える薬が盛られたゴブレットを手にする。だが、マイケルが飲もうとした瞬間、たえかねたリナは「踊り人形のあなたを見るくらいなら、私は園丁の妻になることのほうを選びます」とそれを思いとどまらせるのである。
こうして妖しい魔法はすべて解かれ、リナが園丁の妻になるのではなく、マイケルが王子になることで物語は大団円。月光の下で娘たちが歌う歌で結びとなる。
「もう、森へは行かないわ 枝は切られてしまったのだから 秘密はなくなってしまったのだから」

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おとぎ話のストーリーはまったくレールモントフの『仮面舞踏会』に重なるものではない。
だが、このお話のクライマックスの挿絵は、たまらなく甘い舞踏会の一夜を限りなくロマンティックに描写していて、毒を飲んだニーナが薄れていく意識の中で、最後に思い出した宮廷の晩餐会はおそらくこんな夢でなかったかと想像するのである。

そしておとぎ話らしい大団円につながっていくクライマックスで、毒が盛られたゴブレットを差し出されたのは王女ではなく男性の主人公の方で、懊悩の果てに寸前で男性を死から救ったのは、愛に殉じた王女の献身だった。愛するひとを失うことよりも王族の身分を失う方を選んだ王女の覚悟は、夫の愛を失ってしまったニーナにとって、何よりも羨ましい自己犠牲の発露だっただろう。

愛は常に残酷だ。
与える以上の自己犠牲を求め、そのくせ献身による見返りが必ず約束されるわけではない。

それでも愛が何より尊いと誰もが思えるのは、その夢のはるかな美しさ、純粋な魂の得がたさに誰もが気づいているからだ。

ニーナの死はリナの幸福の裏腹にある。
愛を求め、愛の幸福を信じていたニーナであるからこそ、彼女が夢想する仮面舞踏会は永遠の森の中、無垢な少女の夢の中で、いつまでも続いているのである。


さて、さらにとりとめのない話になってくるが、脱線ついでに論を進めさせていただくと、まさきつねはこの物語の最後に出てきたひとつのフレーズがこころに引っかかっている。

娘たちの歌の歌詞にある「もう、森へは行かない」という部分なのだが、多少シャンソンを聴きかじったことがある人なら、あるいはその昔、TBS系のテレビドラマで山田太一脚本の『沿線地図』(1979年)を視聴したことがある人なら思い当たるかも知れないが、フランスの歌手フランソワーズ・アルディの歌った『もう森へなんか行かない』というヒット曲を思い出されるのではないだろうか。

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☆Françoise Hardy - Ma jeunesse fout l'camp☆


フランソワーズ・アルディは1944年生まれの生粋のパリジェンヌで、十代のころからバルザックやロマン・ロランなどを読み漁った文学少女だった。16歳のころから両親に買ってもらったギターで自らシャンソンを書き始め、ソルボンヌ大学では政治学を学ぶ知性をもちながら、ファッション雑誌『エル』のトップ・モデルを務めるなど、多面的な魅力が彼女の持ち味である。
初期はアイドル歌手のような扱いをされることが多かったが、細身の長身というスタイルには中性的かつクールでアンニュイな雰囲気が漂い、また歌い方もけだるくどこか果敢なげで、フォトジェニックなルックスとナイーブで繊細な印象の個性はやがて、内省的な孤独感と芸術的な深みを帯びてゆき、セルジュ・ゲンズブールらとの親交が強まる中でシンガーソング・ライターや女優といったクリエイティブな仕事が充実していく。

多方面にありあまる才覚を発揮しながら、通俗的なショー・ビジネスやマスコミを嫌った彼女は、一時期活動を停止するなど、世間に迎合することなく独自のやり方を貫いた。私生活でも「未婚の母」であることを選択するなど、世間一般の社会通念にこだわらない自由なポリシーを信条としているようである。

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『もう森へなんか行かない〝Ma jeunesse fout l'camp"』は1967年、ギイ・ボンタンペリがアルディのために書いた曲である。原題は「私の青春は過ぎ去ってゆく」という直接的な内容そのままの意味だが、歌詞はもっと象徴的な意味が含まれており、その下敷きとなったのが、フランスの古い童謡「私たちはもう森へなんか行かない〝Nous n'irons plus au bois″」で、アルディの歌の歌詞の中にもこのフレーズが含まれている。
邦題はこのフレーズを用いてつけられたものだが、哀愁を帯びたメロディーと、このシニカルだがどこか切ないフレーズのあやの相乗効果で、日本では一時期アルディブームが起きるほどのヒットとなった。


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☆Ma jeunesse... ~ Françoise Hardy ~ 1967☆


私の青春は過ぎ去ってゆく
韻を踏み
一篇の詩をたどって
腕をだらんと垂らして
私の青春は
枯れた泉へと逃げ去ってゆく
そして柳の枝を切り落とす杣人が
私の二十歳の若芽を刈り取る

私たちはもう森へなんか行かない
詩人のつくった歌
安っぽいルフラン
俗っぽい歌詞を
祭りで出会った男の子たちにむかって
夢に浮かれて歌ったけど
でも、もうその名前さえ忘れてしまった
名前さえ忘れてしまった

私たちはもう森へなんか行かない
スミレを摘みに出かけることはない
今日はそぼ降る雨が
私たちの足跡を消してしまう
子どもたちはたくさんの歌を覚えているけれど
でも、私はその歌を知らない
私はその歌を知らない

私の青春は過ぎ去ってゆく
ギターの調べとともに
私から去ってゆく
静かにおもむろに
私の青春は去ってゆく
断ち切られた絆のあと
その髪に
私の二十歳の花を飾って

私たちはもう森へなんか行かない
秋がもうそこまでやって来ている
私は春を待つしかない
退屈しのぎの花をむしり取りながら
でも、春はもう戻らない
私の心がふるえるのは
それはただ夜のとばりが降りるから
夜のとばりが降りるから

私たちはもう森へなんか行かない
もう一緒には行かない
私の青春は過ぎ去ってゆく
あなたの歩調にあわせて
それがどれほどあなたに似ているか
あなたが知っていたなら
でも、あなたはそれを知らない
あなたはそれを知らない

Ma jeunesse fout l'camp
Tout au long d'un poème
Et d'une rime à l'autre
Elle va bras ballants
Ma jeunesse fout l'camp
A la morte fontaine
Et les coupeurs d'osier
Moissonnent mes vingt ans

Nous n'irons plus au bois
La chanson du poète
Le refrain de deux sous
Les vers de mirliton
Qu'on chantait en rêvant
Aux garçons de la fête
J'en oublie jusqu'au nom
J'en oublie jusqu'au nom

Nous n'irons plus au bois
Chercher la violette
La pluie tombe aujourd'hui
Qui efface nos pas
Les enfants ont pourtant
Des chansons plein la tête
Mais je ne les sais pas
Mais je ne les sais pas

Ma jeunesse fout l'camp
Sur un air de guitare
Elle sort de moi même
En silence à pas lents
Ma jeunesse fout l'camp
Elle a rompu l'amarre
Elle a dans ses cheveux
Les fleurs de mes vingt ans

Nous n'irons plus au bois
Voici venir l'automne
J'attendrai le printemps
En effeuillant l'ennui
Il ne reviendra plus
Et si mon cœur frissonne
C'est que descend la nuit
C'est que descend la nuit

Nous n'irons plus au bois
Nous n'irons plus ensemble
Ma jeunesse fout l'camp
Au rythme de tes pas
Si tu savais pourtant
Comme elle te ressemble
Mais tu ne le sais pas
Mais tu ne le sais pas

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フランスをはじめヨーロッパの人々にとって、日常のなりわいと森とのかかわりは深い。
木の洞や草の陰、水辺など深い緑のあちこちにさまざまな生き物が棲み、春には花が、秋には木の実や茸など多くの自然からの恵みにあふれた場所は、昔から日々の糧の宝庫でもあったし、大人子どもを問わず、遊びと憩いのひとときを過ごすところでもあっただろう。パリのような都会でも少し離れた近くの郊外には古くからの森が残され、きれいな小道が縦横に走って、週末には家族連れで散策ができるように手入れされている。

そもそも「森へ行く」という表現自体が古来から、ヨーロッパ人にとって恋人たちが人目に隠れて逢瀬を重ねるという隠語であり、「森でスミレを摘む」というのは、シューベルトの歌曲にもあるように、愛するひとを探すという文脈が隠されている。
アルディの歌のベースになった童謡は、「一緒に踊って、踊るのを見て、跳んで、はねて、好きなあの子にキスをしてEntrez dans la danse, voyez comm' on danse, Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.」という歌詞が節の最後に繰り返し挿入され、子どもたちは輪になってこの歌を歌いながら、次々別の輪に入ったり入れ替わったりをして遊ぶという、いわば日本の「通りゃんせ」や「かごめかごめ」のような振付の付いたわらべ歌のようなものだ。

こちらの歌詞も以下の通りだが、一説によると作詞者はポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour 1721年12月29日-1764年4月15日)で、楽曲はグレゴリオ聖歌の[天使ミサ (la messe De Angelis)] からキリエ冒頭の旋律を使用しているという。真偽は確かではないようだが、18世紀ころに成立して、以後、フランスでは誰でも知っている遊び歌として歌いつがれてきたらしい。

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☆nous n'irons plus aux bois☆


もう森へは行かない 月桂樹(ローリエ)が枯れてしまったから
かわりに可愛いあの子に踊ってもらうね
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

可愛いあの子に踊ってもらうね
でも月桂樹(ローリエ)が枯れたのはそのままでいいの
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

月桂樹(ローリエ)が枯れたのはそのままでいいの
だめだよ 順番に行って拾わなくっちゃ
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

順番に行って拾い集めてきたよ
セミが寝ていても、起こさないようにしてね
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

セミが寝ていても起こさないようにしたよ
夜啼き鳥(ナイチンゲール)の声が聞こえるまで
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

夜啼き鳥(ナイチンゲール)の声が聞こえるまでね
甘い声の鶯も一緒に啼きだすまでね
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

甘い声の鶯も一緒に啼きだすまでね
白い籠を持った羊飼いのジャンヌが出かけるからね
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

白い籠を持った羊飼いのジャンヌが出かけるからね
野いちごや野ばらを摘みに出かけるからね
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

野いちごや野ばらを摘みに出かけるからね
セミよ、セミよ さあ歌ってね
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

セミよ、セミよ さあ歌ってね
森の月桂樹(ローリエ)がまた芽をだした
一緒に踊って、踊るのを見て
跳んで、はねて、好きなあの子にキスをして

Nous n'irons plus aux bois Les lauriers sont coupés
La belle que voilà la laiss'rons nous danser
Entrez dans la danse, voyez comme on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.
La belle que voilà la laiss'rons nous danser
Et les lauriers du bois les laiss'rons nous faner
Entrez dans la danse, voyez comme on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.
Non, chacune à son tour ira les ramasser
Si la cigale y dort, ne faut pas la blesser
Entrez dans la danse, voyez comme on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.
Le chant du rossignol la viendra réveiller
Et aussi la fauvette avec son doux gosier
Entrez dans la danse, voyez comme on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.
Et Jeanne, la bergère, avec son blanc panier,
Allant cueillir la fraise et la fleur d'églantier
Entrez dans la danse, voyez comme on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.
Cigale, ma cigale, allons, il faut chanter
Car les lauriers du bois sont déjà repoussés
Entrez dans la danse, voyez comme on danse,
Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.

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わらべ歌というものは古今東西、得てしてそんなものだが、実にたわいのない内容である。
だがひとつひとつの言葉の持つ象徴性を考えていくと、無作為に並べられたように見えるモチーフや定型句さえ、何らかの意味があって選ばれていることがわかるのだ。

たとえば第一節にでてくる月桂樹(ローリエ)だが、ヨーロッパでは製薬や香辛料にも使われる大事なハーブのひとつで、古代ギリシャの時代から神聖化されて、月桂冠のような勝者や栄光の証として伝えられている植物である。この月桂樹に守られている森ならば、怖い魔物や毒のある生きものがいても子どもたちは安心して出かけることができる。だが月桂樹が枯れてしまったら、子どもたちはもう森で楽しく遊べない。
そこで登場するのが、セミと夜啼き鳥(ナイチンゲール)と鶯だ。

セミはヨーロッパではあまり馴染みのある昆虫ではないようだが、南仏では幸運を運ぶシンボルとしてさまざまなモチーフに使われており、アジアの中国などでは土中から出てくる生物として復活の象徴とされている。イソップ寓話の『蟻とセミ(←近年は分かり易いキリギリスに変換されているが元々はセミ)』にあるように、夏に楽しく歌を歌って過ごす楽天家の代名詞でもある。

そしてナイチンゲールは、古代ギリシャ・ローマでは我が子の死を嘆き悲しむ母の象徴であったらしい。嘆きの声は愁いと甘美な響きを持ち、それは後に詩歌への憧憬をいだく者たち、すなわち詩人の立場からは見倣うべき師と仰がれ、詩人たちは自らを「ナイチンゲールの弟子」と称することとなった。
ナイチンゲールの鳴き声は、ヨーロッパの民間信仰では、夜に煉獄の憐れな魂が助けを求めて上げる声と考えられてきたが、キリスト教では一転、天国へのあこがれをあらわすものとされ、いずれにしても悲しみに相反して希望や恋慕を詠う存在と受けとめられてきたようだ。

ナイチンゲールの近種である鶯もまた、その特殊な美しい声から、幸運の予兆とされている。
つまり月桂樹が枯れた後、セミやナイチンゲールや鶯ら、幸運をはこぶものたちの出現によって、羊飼いの娘が野いちごや野ばらを摘みに出かけられるように、月桂樹は再び芽吹き、森はもとの穏やかさを取り戻すという結びである。

アルディの歌は、この童謡の大団円を踏まえて、もはやこんな幸せが二度と訪れることはない、私の青春はもう終わってしまったのだからと、終始哀感を帯びた嘆きを語っている。

だが実際にこの歌が日本でも大ヒットになるほど魅力的だったのは、まだ充分青春の盛りといえる二十代のアルディがそのアンニュイな響きの柔らかな声で、過ぎ去った日々への憧れを込めて失われてしまったものへの悲しみを歌っているからであり、彼女の見た目や声の若さや美しさとは相容れないはずの歌詞の内容やテーマが、ただの時間的な老いや近づく死に添っているだけではなく、年齢や経験に関係なく誰もが運命的に背負っている、それぞれの時代で受け入れねばならぬ悲しみや嘆き、人生の理不尽さ、不条理さといったもの、あるいは無法に降りかかる絶望やそれ故の喪失感という幅の広い憂いを伝えているからではないのかと、まさきつねは思う。

人生の無常は老いも若きも関係ない。

運命の過酷な仕打ちは、運と言ってしまえばそれまでだが、時として誰かにはなぜか甘くスルーしていくが、また別の誰かにはあまりにも厳しく残酷な一面を顕わにする。

アルディの物憂げでどこかメランコリックな歌は、なげやりに人生のはかなさや愛の不毛を伝えながら、それでもわずかに残る夢や希望、過ぎた青春でも咀嚼すれば苦味だけでなく、どこかにほのかに感じる甘さといったもの、絶望の中でもアンビヴァレンツな光の存在を感じさせてくれる。

それはアルディの、無表情で気怠くクールな面立ちの中にも凛として現実を見据える視線があり、その視線が放たれる深いブルーの瞳の底には、理知的で鋭い感性と悲しみを受けとめる優しさが秘められていて、色を持たない孤独と静謐な美しさに縁どられたその歌が、もう森へ行くことのできない絶望や死を乗り越えた先にある永遠に、歌を聴く者の思いを遠くいざなってくれるからなのだろう。

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翻って思うに、若くして非業の死を遂げたレールモントフの人生も、七十代まで生きたが不遇の時代が多かったニールセンの人生も、彼ら自身の見地からすれば確かに不条理なものではあるけれども、その悲劇性が彼らの生涯や作品の価値を下げ、つまらない、くだらない一生だったと唾棄されるいわれは微塵もないのだ。

彼らが生涯かけて遺した作品は、その創作された時の情熱や美しさそのままで、後世にもその真価を問い続ける。泥に埋もれていた宝石も、踏みにじられてきた名前も、打ち捨てられてきた輝きも、時代が下って何の邪念も下心もない純粋な眼には何の曇りもなく、濁った言葉に振り回されることもなく、ただその価値だけが映るだろう。

愚かな利権の追従者にはどうでもいいことかも知れないが、美しいものは美しいと、きらきらしたものに憧れる無垢な少女のような心だけが、魔物の潜む暗い森に出かける若者のむこうみずな冒険や、自己犠牲を払っても純粋な愛を求める人生の価値を理解する。

波乱にとんだ青春に倦み飽きて、枯れ果てた泉で疲れた足を洗って、森を抜けた後は手にした人生の分け前に執着するばかりの老いさらばえた心には、今も踊りやまない少女のあどけない笑顔、天真爛漫な夢への挑戦心など、まったく無意味で「別次元」の世界だろう。

ひとは誰しも歳をとる。老化は誰にとっても避けがたい人生の無常である。
だがそれでも、無鉄砲に不可能と思われる夢に挑戦し、理想を追い求め、真実の愛に近づこうとする若さの価値を、青春を過ごした森へのあこがれを、(身体的にはすでにぼろぼろのまさきつねだが、)いつか流した涙の記憶とともに忘れたくはないと思うのである。


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今回は、五輪シーズンのショートプログラムから『仮面舞踏会』の画像をご紹介しよう。
ただあまり大量なので、バンクーバー五輪以降はまたの機会にする。

まずはエリック・ボンパール杯での水色の衣装。

☆Mao Asada SP TEB 2009☆

ロマンチックで爽やかな薄い色の衣装もこの頃では目新しかったが、昨季のフリー演技との相違を強調するイメージチェンジの狙いもあったのではないか。
だがPCSでは思わぬジャッジからの洗礼を受け、キム選手とは12.17もの得点差をつけられ、メディアはこぞってSPの改造を口にした。

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こんな甘い砂糖菓子のような衣装でタチアナコーチが表現したかったもの、それは、初めての仮面舞踏会を待ち望む少女の初々しい夢やまだうら若い妻の見た愛の幻だったのだ。
マスコミやアンチが何とかの一つ覚えのように書き立てた「目新しさがない」「曲調が重い」、はては「絶望的」というネガキャンが、いかにコレオグラファーの深慮や創作的な動機に無理解な薄っぺらい論評だったかと思う。

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次に迎えたロステレコム杯では、前の試合結果を気持ちの上で振り払うためか、衣装を一新し、色もさらに可愛らしいストロベリーキャンディのようなピンクに変えてきた。

☆Mao Asada 浅田真央 2009 Japanese Nationals (SP)☆

華やかさと優雅さが増し、音楽の響きも衣装のせいか心なしか明るく優しいものに聞こえたが、肝心の演技はジャンプの出来がさんざんで、51.94とこれまでにない最低の得点を記録した。
だが、ステップの切れ味やスパイラルのポジションはあいかわらず完璧で、決して不調ではないのに踏ん切りが悪く、ジャンプをうまくまとめることができなかったのは、どこかに精神的なダメージから立ち直っていない虚無感があるように思われた。

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GPの二位と五位という結果からこのシーズンは結局、グランプリファイナルへ出場することはかなわなかったが、メディアによる根拠のない非難と中傷の嵐の中、年末の全日本、そして続く四大陸選手権と孤独な闘いに挑み、二戦とも見事優勝。
バンクーバーに向けて着実に歩みを進め、けっしてあきらめない姿勢を最後まで崩さなかったのは、その挑戦した試合結果以上に見事だった。

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青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
(サミュエル・ウルマン『青春』)

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空中庭園の散歩 其の拾七 仮面の下に緞帳の奥に

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お前たち 王座のまわりに貪欲に群がる
自由と天才と栄誉の首切り人どもよ!
お前たちは法律の庇護にすがっている
お前たちの前では裁きも正義もみな口をつぐんでいる……
しかし 神の審判はある 淫蕩の痴人(しれびと)よ
峻厳なる裁きの人はいるのだ 彼は待ち望んでいる
彼は黄金のひびきにも耳を傾けず
お前たちの企みや仕業をとく見抜いている
そのとき お前たちは毒舌に縋ろうとも
もはやそれはお前たちの助けとはならないであろう
そしてお前たちはどんなにその黒い血を流そうとも
あの詩人の正しい血潮を拭うことはできないであろう!
(ミハイル・レールモントフ『詩人の死』)


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久しぶりにこのカテゴリーで、浅田選手の昔の写真をまとめたいという気持ちが湧いてきた。

あまりにも長くブログを放置して、まさきつねのピクチャ・ライブラリもいい加減パンク状態になってきたからではあるが、どうもこのたびの世界選手権での順位結果が出てからというもの、あちこちの真央ファンのブログが「バンクーバーの悲劇」再来のショックゆえか、ポジティブな記事の更新に遅疑逡巡をきたしておられるようで、またそれに反するかのようにアンチのブログは「真央を金メダルにしないためにはキムを応援するしかない」と俄かに浮足立った記事を次々UPしているらしい…等々、まこと他山の石ながら、こちらのこころがざわつく現況の一端をここ数日、目の当たりにしたからである。

まさきつねも実際、自分の過去記事を久しぶりに読み返しなどして、今このまま四年前とそっくり同じ記事をUPしてもさほど違和感を覚えぬほど、キム選手を含め北米寄りの陣営はバンクーバーの時と同様の緻密な戦略とロビー活動の実績で、五輪までの勝算を固めつつあるなと、ちょっと怖気の立つ思いで、改めてこの競技の不透明な運営と採点方法を眺め返した次第である。

だがそれでも、楽天的と言われればそれまでだが、まさきつねがさほど絶望的かつ投げやりな気持ちで、記事を更新する意欲を殺がれたりせずにいられるのは、掛け値なしに競技の現場やメディア報道そのものはまさに、バンクーバー五輪を前にしたシーズンと変わらぬどころか、もっと酷くなっているのではないかと思わざるを得ない有体だが、それではどうにも救いようのない有様かと言えば、まさきつねはどうもそこは何か違う、四年前とは何か変わってきていると、どこがどのようにとは具体的に説明は出来ないものの、何らかの変化の端緒を感じているからである。

変化の中心は無論、浅田選手自身のメンタルとそのスケーティング技術で、その成長の足跡を「希望」という言葉で置き換えて何とか皆さまにお伝えしたかったのが、先日UPした記事だったのだけれど、その後しばらくさまざまに考えを深めていくうちに、妄想あるいは幻想と言い捨てられても致し方ないものの、何かそれ以外の選手たちを取り巻く空気というか、試合以前の攻防や駆け引きの流れというものが、バンクーバーを目前にした時ほど北米寄りの見通しで目算できるほど、それほどキム陣営に優位と甘く想定しきれないのではないかと容易に推察できたからなのだ。

まあ無論、北米に甘くないからと言って、それじゃあ簡単に日本勢が有利かという話になるとそれはまた別問題ではあろうから、タチアナコーチ経由で即浅田選手に朗報という訳にはいかないことも重々承知なのではあるけれども…

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のっけから云々と、くだらない前置きが長く、長くなりすぎて申し訳ない。

さて、今回まとめたいのは、順番から行って、2008-2009年と2009-2010年の二シーズンに渡ってタチアナコーチがそれぞれ、フリーとショートに振り付けた『仮面舞踏会』のプログラムである。

このプログラムに対して、今日それほど批判的な評価を投げかける者はいないだろうし、むしろこの曲の一端を耳にすれば誰もが「ああ真央ちゃんの曲」とすぐ声を上げるくらい、浅田選手の代表作のひとつとなった感があるのだけれど、このプログラムが初お目見えした当時は誰もがこぞってというほどの非難めいた感想が相次いだものだった。

勿論、マイナス評価のほとんどはアンチによって拡散された、元より何の根拠も説得力もないものだったが、それでも2008-2009年のグランプリ・シリーズ初戦にこの曲で挑んだ結果が二位で優勝できなかったというお粗末な理由だけで「曲が重厚すぎて『(ふわふわ)まおちゃん』には合わない。曲を変えるべきではないか」というご意見番の苦言めいた言葉が、メディア各面に踊っていたことをまさきつねは記憶している。

タチアナコーチはこうした外野からの難癖をものとせず、このシーズンの選曲によって今までにない傾向のプログラムを滑り、ルッツ、サルコウや三回転アクセルといったジャンプの課題に真っ向から取り組ませるというねらいで、浅田選手をプログラム攻略に専念させたようだが、一心にコーチを信じ、ひたすらテーマの克服に勤しんだ選手の側の肝も相当据わっていたのだろうと今にして感服する。

結局はGP二戦目のNHK杯、そしてGPファイナル、全日本選手権と続けざまに優勝を果たし、トリプルアクセルの代名詞とともに押しも押されもせぬ名プログラムとして、『(浅田選手の)仮面舞踏会』の名を定着させたのだから、どこまでがタチアナコーチの想定内だったのか分からないが、恐るべき活眼の士と呼ぶべきだろう。

まさきつねにとってもこのプログラムはマイ・フェイヴァリットのひとつだから、このブログでもたびたびとりあげ、さまざまな面から切り取って論評している。
以下、旧記事の中から再読いただければと思う。

『百鬼夜行の夜』
『朝のように、花のように、水のように 其の壱』
『朝のように、花のように、水のように 其の弐』

さて、このたびの記事も書き始めはこれまで同様、楽曲の内容解説や原作であるレールモントフの戯曲に関する多少の情報や論評などを交え、浅田選手の画像などを掲載しようかと思っていたのだが、少し詳しく調べていくうちに存外、政治色の濃い背景が浮き彫りになってきた。

戯曲のあらすじや組曲『仮面舞踏会』のワルツの持つ作品的な意味などはウィキを開けば誰でもお分かりになることなのだけど、そのあたりは大きく端折るとしても、今回はちょっとばかりロシアの政治的情勢などに歴史的な踏み込みをしながら、論を進めてみたい。
『仮面舞踏会』からかなり外れる話に膨らむかもしれないが、どうかご勘弁を。


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☆ロシア文学:レールモントフの伝記☆

まずは戯曲『仮面舞踏会』の創作者ミハイル・レールモントフだが、彼は才能豊かな詩人で、優秀な軍人でもあったが、その実力も献身的な努力も大きく報われることなく、若くして悲劇的な決闘事件の末の最期を遂げることになる。

その唯一の戯曲作品である『仮面舞踏会』は、まさに暗い絶望的な十九世紀ロシアの閉鎖的な上流社会を背景に、その特殊な価値観や抑圧された政治への懐疑や軽蔑を根底として創作されているのだが、ストーリーとしてはシェイクスピアの『オセロー』のヴァリエーションという指摘もあるような、妻ニーナの貞節への疑念を刷り込まれて破滅への道をたどる新興貴族アルベーニンという悲話の側面、そしてまんまとアルベーニンを悲劇に追いやった男の復讐劇という二重構造で組み立てられた人間の愛憎劇である。

浅田選手が使用したハチャトリアンの組曲『仮面舞踏会』の中のワルツは、アルベーニンがついに無実の妻に毒を盛り、死へ至らしめるまでの物語上もっとも痛ましい場面を彩る楽曲で、美しくも純粋なニーナの心情へ涙とともに観客の共感を深めていくためには、何よりも重要な役割を持ったパートであることは間違いない。

ハチャトリアンに師事した日本の作曲家、寺原伸夫氏の解説によれば、このワルツの創作のためにグリンカ以前(なぜグリンカなのかは後で述べるもう一人の作曲家グラズノフに関連しているのでご記憶されたし)のあらゆるロシアの円舞曲から示唆となるものを調べたが「回答になるような衝動を与えてくれるものは見当たらず」、行き詰ったハチャトリアンが悩み抜いた次の翌週、突然天の啓示のように一瞬の閃きが降りて来て、一気に曲の脱稿をしたといった経過が伝えられている。

ハチャトリアンのワルツに対するこころの砕きようがうかがえるエピソードだが、真偽はともかく、ニーナが生前最後に踊った舞踏曲であり、夫による殺害という悪意に気づかぬまま、舞踏会から帰宅した彼女が、もう二度と踊ることのないそのメロディーをうっとりと回想するという、女性側の心理描写を中心とした展開の中で扱われる主要曲として、激しく重く重なり合って高揚していく舞踏のリズムや華やかな旋律の奥深く、滾ってはぶつかり合う人間の感情、生へ執着する熱量、そして抗えぬ宿命との対峙といった、レールモントフの物語に沿って作曲家のよみとったあらゆる人生観や人間哲学が隠されているということなのだろう。

この曲初演となった1941年6月21日は、ナチス・ドイツによるソビエト侵攻が一斉にモスクワの新聞各紙に報じられる前日だったということで、芸術監督ルーベン・シモノフによる新演出でモスクワのヴァフタンゴフ劇場にて、かろうじて全14曲からなる劇音楽『仮面舞踏会』プレミアの幕は上げられたらしい。

ただし、公演はすぐに打ち切りになり、ヴァフタンゴフ劇場はその後のナチスの爆撃で、多くの装飾品の破壊や俳優の死者を出すほどの被害を受けたようだが、攻防の末モスクワはドイツ軍による陥落を免れ、同年には映画『仮面舞踏会(:ru:Маскарад фильм, 1941)』が公開されている。

タチアナコーチが演技の勉強にと浅田選手に見せたのはこの映画だが、愛する夫に毒を盛られ、苦しみもがきながら部屋の中をのた打ち回るニーナの姿は、映画的演出としては迫真のリアリティに満ちていたと思うが、舞踏的な美しさには程遠かった。

どなたか(おそらくはフィギュア・ファンのおひとりと推測するのだが)、ネットに1985年に制作されたロシアのバレエ映画の映像が上がっていたので、そちらをご紹介しよう。
この作品はUSAからDVDが発売されているようなので、収録情報はそのレビューをそのまま使用させていただいた。

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☆"MASQUERADE" Part1☆
☆"MASQUERADE" Part2☆
☆"MASQUERADE" Part3☆
☆"MASQUERADE" Part4☆
☆"MASQUERADE" Part5☆

■浅田真央ですっかり有名になった
ハチャトゥリアンの『仮面舞踏会』の映像!

浅田真央がワルツを用いたことですっかり有名になったハチャトゥリアンの『仮面舞踏会』。そのワルツを含む管弦楽組曲は有名で録音も多々あるものの、本来の劇音楽としての実像にはほとんど触れることができませんでした。このDVDでは、劇付随音楽である『仮面舞踏会』をバレエ映画として収録しています。
 物語は、凄腕の賭博師アルベーニンが誤解から妻ニーナを不貞と疑い、ついには妻を毒殺してしまうものの、無実を知り正気を失うというもの。主役のアルベーニンにはソ連が誇る名手ニキータ・ドルグーシン。哀れなニーナを演じるのは来日も多数のプリマ、スミルノワ。まだ20代半ばだった彼女の美しさは格別です。(キングインターナショナル)

【収録情報】
・ハチャトゥリアン:『仮面舞踏会』バレエ映画版
 スヴェトラーナ・スミルノワ(ニーナ)
 ニキータ・ドルグーシン(アルベーニン)
 セルゲイ・バラノフ(ズヴェズヂッチ)
 ナタリア・バリシェワ(シュトラーリ)
 アレキサンデル・コレアノフ(シュプリク)
 ラファエル・アヴニキアン(見知らぬ男)、他
 振付:ナタリア・レジェンコ、ヴィクトール・スミルノフ=ゴロヴァノフ
 アレキサンデル・スペンダリヤン・アカデミー・オペラ・バレエ劇場管弦楽団&合唱団
 ハコブ・テル=ヴォスカニアン(指揮)

 収録年:1985年
 収録時間:64分
 画面:カラー、4:3
 音声:モノラル
 NTSC
 Region All

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アレキサンデル・スペンダリヤンはクリミア生まれのアルメリア人作曲家、指揮者ということで、サンクトペテルブルクやモスクワで音楽を学んでいるが、アルメリア国民楽派の基礎を開き、晩年を過ごしたアルメリアの首都エレバンに彼を記念する博物館やオペラハウスAlexander Spendaryan State Academy Opera and Ballet Theatreが開設されたようだ。

同じくアルメリア人だったハチャトリアンもこの劇場に深い縁があり、『仮面舞踏会』は1982年にこのDVDと同じナタリア・レジェンコとヴィクトール・スミルノフ=ゴロヴァノフの振付演出で初演されたと劇場のオフィシャルに紹介がある。
ゴロヴァノフはモスクワシティバレエ団の創設者で、彼の演出は人間の二面性や性悪説といった心理的な暗い部分に焦点を当てることが多く、この『仮面舞踏会』もアルベーニンの狂気やそれに至らしめる男の復讐心などの心理劇をうまく、舞踏表現やクライマックスの演出で構成していると思う。

ところで、もう一つ興味深いのは、ハチャトリアンの劇音楽による上演以前の1917年、グラズノフが伴奏音楽を担当し、メイエルホリドによる演出でレールモントフの戯曲『仮面舞踏会』が舞台演劇として上演されていることだろう。
異常に高価な書籍だが、以下のようなネット情報が実に象徴的に、革命前夜の帝政ロシアにおける頽廃的な時代背景、そしてその断末魔の叫びのような最後の豪奢なる芸術的葛藤を表しているのではないだろうか。

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『メイエルホリド演出によるレールモントフ“仮面舞踏会”上演イラスト資料集』

■仮面舞踏会
『メイエルホリド演出によるレールモントフ“仮面舞踏会”上演イラスト資料集』
Маскарад
Издательская программа «Интерроса»
2007, 312 с., илл. ISBN 978-5-91105-017-7
H2868 税込予定価格 ¥67,473

レールモントフの戯曲“仮面舞踏会”をメイエルホリドが演出、舞台美術をA.YA.ゴロヴィーンが担当してアレクサンドリンスキー劇場で上演した演劇“仮面舞踏会”の資料を掲載する。帝政ロシア最後の芝居であり初演は1917年2月25日、2月革命の銃声のとどろくペトログラードで行われた。
大部分のイラスト資料はバフルーシン演劇博物館から提供された。ゴロヴィーンによる舞台装置・衣装・小道具のエスキス、レールモントフの戯曲の初稿も載せられる。エスキスには詳細な注釈が付される。

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メイエルホリドといえば、ロシア・アヴァンギャルドの演出家、俳優で、挑戦的かつ実験的手法による演劇革新に邁進し、現代演劇における創作活動の絶対的自由と先駆的演出の提唱者である。
必定、ロシア革命において文化的、精神的牽引の役目を果たし、時代がソビエトに変わった後もその前衛的創作姿勢を崩すことなく、また映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインらを養成するなどの影響力を持った天才であったにもかかわらず、共産党官僚らの全体主義に対立して終にはスターリンの大粛清によって処刑されている。

グラズノフも帝政ロシアからソビエト建国期にかけて活躍した作曲家かつ指揮者で、音楽教育者でもあり、院長職として帝国のペテルブルク音楽院から革命後のレニングラード音楽院へ改組を担った立役者だが、当時の名声からすれば後世の評価はあまり高くないと思われる。
それは、創作法の完成度や書法の巧みさ、卓越した記憶力と音楽的才能を基盤にした確実で綿密な楽曲の構築と技法など、今日でも高く認識される手腕はあるのだが、何にしても形式主義や折衷主義にこだわるあまり、モダンな傾向を受け入れず、革新的で独創的な新しい流れに否定的だったという点にあるのだろう。

グラズノフがどれほどメイエルホリドとの共同作業になる『仮面舞踏会』の作曲に入魂したのか分からないが、劇中最も重要とされるべき、夫が妻に毒を与える舞踏会の場面に流れるワルツに関して、独自の創作をすることはなく、代用曲としてグリンカの『ワルツ=ファンタジー』というありきたりな作品を転用し、後にこの曲を聴いたハチャトリアンも「これはレールモントフが意図した主題を表現したワルツではない」と感受したらしい。

グラズノフのやっつけ仕事だったとまでは思わないが、当時新進気鋭の演出家だったメイエルホリドと舞台美術を担当したゴローヴィンほどの熱量も、戯曲に対する愛着も感じられないのは致し方ないことと思う。

メイエルホリドとグラズノフと名を連ねれば、必然的にショスタコーヴィチに行き着くのだが、グラズノフの有名な門弟であった彼は、その長所と偉大な影響力を認めつつも、グラズノフの時代遅れな保守性や先進的なものへの無寛容を看破していたようだ。

おもしろいことにショスタコーヴィチもまた1938年前後にメイエルホリド演出の『仮面舞踏会』を下地としたオペラ作品の創作を考えていたらしく、それがハチャトリアンによる1941年の劇音楽化、1944年の組曲への再編成化とほぼ同時期だというあたり、やはり何かこのレールモントフの戯曲とソビエトの時代情勢には深い因縁があるのではないかと考えざるを得ない。

実のところ、スターリンによるメイエルホリドの粛清が行われたのは1940年二月であり、それ以前の1938年にはメイエルホリドが創立したメイエルホリド劇場が政治的に流布された批判によって閉鎖の憂き目にあい、彼自身が残忍な拷問を受けることとなった最初の逮捕、投獄は1939年なのである。

ショスタコーヴィチにしても、ハチャトリアンにしても、カリスマ的な才覚に長けていた革新者メイエルホリドに対するこのように無残きわまる政治的弾圧が行われている最中に、オペラや劇音楽といった形式の違いはあるにせよ、その代表的な演出作品の再演を目指すというのは、ソビエトの芸術家たちにとってこの演目がもつ作品的な象徴性がよほど創作的な示唆を与えるものであったか、あるいはどれほど彼らが芸術的活動を追求する内的動機や意義に結びついていたか、その一端をうかがい知ることができるというものであろう。

帝国主義であろうと共産主義であろうと、芸術家の最も憎悪すべきは己が自由を脅かすそのことなかれ的な体制と、管理統制や権威に依存した全体主義であり、批判すべきは変革を畏れる自己保身と無気力に充ちたぬるま湯指向の先例集団主義なのである。

(翻って考えれば、ナチスによるソビエト侵攻は皮肉にもひとつの歴史的必然がもたらした、スターリン体制への砲火であったといえるだろう。スターリンの大粛清によって1930年代後半に強行された処刑が、芸術家のみならず多くの有能で経験豊富な知識層、および軍人や政治家をも排斥していたため、指揮官不足により軍は弱体化し、その政策的失敗につけ入るように進軍するドイツの攻撃を許したからである。)

仮面の下に隠された人間の交錯する思い、歴史的時間の彼方に消え去っていった、不可思議に蠢く欲望に翻弄された人々のさまざまな宿命、そのどれもが重なり合うヴェールに覆われ、真相は深い闇の中…外見は粛々と取り繕いながら、深奥にある精神的な頽廃は免れ得ない愚かな人間たちの本性というものを見透かしているからこそ、ロシアの賢哲タチアナコーチは『仮面舞踏会』を競技関係者へのアイロニーとして選曲したのだと、独断ではあるがまさきつねは2008年の当時も今も思っている。


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ニーナの悲劇、重ねて体制の犠牲となったメイエルホリドの悲劇を考えると、どこまでも暗鬱な気分から逃れられないのではあるが、ただひとつ、ほんのりと心が温かくなるのが、フセヴォロド・メイエルホリドのウィキでも掲載されている、アレクサンデル・ゴローヴィンの描いたメイエルホリドの肖像と、ふたりの間の友情について思いめぐらす瞬間だろう。

ゴローヴィンは前に紹介した『メイエルホリド演出によるレールモントフ“仮面舞踏会”上演イラスト資料集』で、4000枚に上る舞台装飾の素描を残した舞台美術家であり、また画家であるが、一見貴族趣味にしか見えないゴローヴィンの作風とは全く相反するような気質のメイエルホリドながら、ふたりは単なる仕事仲間というだけでなく、精神的な結びつきの深い友人同士であったらしい。

アメリカのインディアナ・ポリスニュースで演劇編集の主筆を勤め、ロシアでの演劇視察をした後『露西亜劇論』をものとしたオリヴァー・セイラーによる次のような文章がある。

「ゴロヴィンと付き合えば付き合うほど、私は彼のスピリットに惹きつけられました。それは、子供の魂のように美しく単純な精神です。メイエルホリドもおなじくらいすばらしい精神の持ち主でしたが、彼は、よりアグレッシヴな性格で、共同制作ではいつも彼がリーダーシップをとっていました。」

察するに、芸術的表現の違いはさておき、クリエイターとしていかにこのふたりが純粋で、内なる衝動に従って自己の理想を具現化しようとしていたか理解出来るだろう。

ゴローヴィンの遺した有名な作品にマリンスキー劇場やエルミタージュ劇場といった大劇場の緞帳があるが、その優雅で華やかな芸術的趣向は、舞台から華美で装飾的な要素を一切排除していったメイエルホリドの前衛性とは相容れないもののように見えつつ、芸術的創造の本質的な価値において享受者を、豪奢なる精神的な刺激と創作活動のエネルギーがもたらす快楽という目に見えぬ充足に至らしめるという点で合致する。
いかなる造形であれ、表現形式であれ、本物の美あるいは一流の芸術である限り、互いの価値を理解し、共感を寄せるということなのだろう。

ゴローヴィンとメイエルホリドは、『仮面舞踏会』の共同作業以後、それぞれが活躍する場所も理想として求める芸術世界も異としたが、互いの仕事に対するリスペクトやその意義への認識は失われることがなかった。
ゴローヴィンが描いたメイエルホリドの肖像画は『暗き天才』という副題が付けられ、舞台衣装をまとって静かに画家を凝視するメイエルホリドの姿には、鋭い見識で時代を切り拓いていった運動家の激しさは微塵もなく、鏡を通して何か内的な光に照らし出され、ひたすら優しく穏やかだ。

一方、ゴローヴィン自身は生涯、メイエルホリドのように社会に対して問題意識を突き付ける過激で尖鋭的な姿勢は持たず、体制の犠牲になることはなかったが、彼の作品もまた、帝政から共産政権時代そして現ロシアへと移り変わる時代の波に翻弄された。

彼が描いたエルミタージュ宮殿の緞帳は、ロマノフ王朝の紋章である金の冠を戴く『双頭の鷲』が掲げられ、それ故いつスターリン政権下の粛清の対象になってもおかしくなかったのだ。劇場は緞帳の表面に薄い別の幕を張り、偽装することによって監察部隊の眼から逃れさせ、1991年にソ連が崩壊するまでの長きにわたって、この芸術作品を政治力による無粋な破壊や焼却の暴挙から守り続けてきた。

緞帳の粗野なカモフラージュが剥ぎ取られ、真の優美が再び表に現れたのは、エルミタージュが二十一世紀に公的な機能を持つ美術館として改組されると決定されてからである。

(ちなみに、このエピソードの秘話およびペレストロイカ前後のロシアの政変など、興味深い内容を書かれた書物として、NHK特派員だった小林和男氏の『エルミタージュの緞帳』がある。

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著者の小林氏は良心的なジャーナリストとして「共産党独裁政権下の特権階級を批判し」、問題意識を持って具体的な事例に対峙しながら国家の崩壊と解体、その裏に潜む政治や権力、イデオロギーの幻想を露呈させているが、自身が浴してきた特権的な恩恵も自覚しつつ、ロシアやロシア人の一筋縄ではない複雑でしたたかな内面や、懐の深さにも通暁しておられ、そうした内省的思索やさまざまな角度からの切り込みなど、実に色彩豊かな読みものとなっている。)

鉄のカーテンは開かれ、エルミタージュの緞帳はもとの芸術的美を取り戻したが、緞帳の奥に潜みうごめくこの国のかかえる闇はまだまだ深く、歴史の闇に埋もれたままの真実はいまだ数多い。

だがそれは、ロシアという国だけのことではない。

莫大な利権をめぐるあらゆる体制の政治、権力、そしてふりかざされる国家の威信、情報を操作する悪意、そして犠牲になる芸術、文化、危険を恐れず、結果にひるむことなくただひたすら自己に忠実な人々…、時代は流れても、国は変わっても、欲望や我執に振り回される人間の愚かな過ちや背徳は幾度となく繰り返され、毎度のように誰かの絶え間ぬ努力や腐心は踏みにじられ、誰かの私利私欲の影で誰かがどこかで必ず泣いているということ、それをまさきつねは忘れない。ずっと心に刻んでいたい。

仮面の下で涙する美しい貴婦人の面差しのように、エルミタージュの緞帳にずっと匿われたままでいたロマノフ王朝の『双頭の鷲』のように、いつか、いつの日か必ず忍従の時が過ぎれば、優雅なるものが変わらぬ姿を現して、封じ込まれた純潔な魂が光の中に自由に解き放たれることを信じていたい。

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☆☆ 2つの「仮面舞踏会」・・浅田真央(Mao Asada)☆


さて、今回も最後に、2008-2009年シーズンのフリー『仮面舞踏会』の画像を掲載しておく。

このシーズン、ほとんどはお馴染みの黒の衣装で通していたが、世界選手権と国別対抗戦ではワインレッドのレースとビロードの胸飾りが可憐な衣装を着用している。

まさきつねはどちらもまったく別の趣きがあって好きだが、黒の衣装の方がどこかニーナの悲劇的な宿命を思わせ、音楽の重厚感ともマッチして鮮烈な印象があった。

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ワインレッドの衣装は華やかさと上品な趣きがあったが、どこか古風で、沈んだ色調が試合結果に影響を与えてしまったような感があり、ファンにはあまり好い記憶に残っていないかも知れない。

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タチアナコーチの衣装はごてごてと装飾が多過ぎ、時代錯誤で黴臭いなどというアンチによる叩きのネタにもされ、このときの低評価が五輪シーズンの衣装まで引きずられたように思う。
だが実際には、ふわふわした妖精のような少女に人間的なふくらみと強いキャラクター的な輪郭を与え、豊かな感情表現のひだを演技に加えていく、重要な役割の一端を担っていたとまさきつねは感じている。


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笑うときには大口あけて
おこるときには本気でおこる
自分にうそがつけない私
そんな私を私は信じる
信じることに理由はいらない


地雷をふんで足をなくした
子どもの写真目をそらさずに
黙って涙を流したあなた
そんなあなたを私は信じる
信じることでよみがえるいのち


葉末(はずえ)の露(つゆ)がきらめく朝に
何をみつめる小鹿のひとみ
すべてのものが日々新しい
そんな世界を私は信じる
信じることは生きるみなもと
(谷川俊太郎『信じる』)


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空中庭園の散歩 其の拾六 よそゆき着と普段着

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少し重たいテーマのエントリーが続いたので、今回は軽やかで他愛のないお話と画像をお届けしようと思う。


まずは、まおまおブランドから発表されていた成人式の振袖画像をまとめて掲載。
すでに本サイトでご覧になられた方も多いと思うのだが、どれも古典柄の組み合わせで色調がさまざまに変えられてはいるが、奇抜な印象のものはひとつもなく、二代三代に渡っても着用出来るような流行に左右されない模様の着物ばかりである。

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トラディショナルという言葉の響きは、時として堅苦しく、新し物好きの人には飽き足らず物足りないというイメージがあるかも知れないが、古来より伝統的に受け継がれてきた文様や柄や型にはひとつひとつに込められた意味や祈りがあり、成人式や結婚式といった記念的な行事には、それらが表す祝賀の気持ちや季節感などがきわめて重要な役割を果たしている。

礼装用には吉祥模様、慶長模様、御所解(ごしょどき)模様、正倉院文様、茶屋辻、辻が花、四君子、熨斗目(のしめ)模様などがあり、普段着用の着物(小紋柄)の代表的な柄には、市松模様、立涌、壺垂れ、矢絣、井桁絣、亀甲、唐草、紗綾形(さやがた)、季節感を表すものに桜や藤、菊などの花型、あるいは秋草や雪輪など数多くの文様があるのだが、そのどれもが華やかで洗練された印象にまで完成されているのが、日本独特の美意識を象徴していて実に見事である。

後は、こうした文様を描き出す染めや織り、あるいは型抜きや箔や刺繍といった職人芸や技術の良し悪しにかかってくるのだろうが、いずれにしても大枚はたかねばならぬ礼装であればこそ、数回で顧みられなくなるような程度のものではなく、長い年月の鑑賞に堪えうる着物を見極める力というのが、二十歳前後の女性たちにも必要な時代なのではないかと思うのだ。

もっと細かく指摘すれば、着物や帯が同じでも、帯揚げや帯締め、重ね襟といった小物の色を変えるだけでもずいぶん印象が変わってくる。高価な着物を買っても、一度きりしか着られないというのは嘘で、まさきつねは着物くらいいろんなヴァリエーションを工夫して、何度も着こなす楽しみがあるファッションはないと考えている。
さすがに三十振袖、四十振袖と揶揄されるのも恥ずかしいので、あまり年を重ねると公けの場で振袖を着るのは難しいかも知れないが、二十歳の成人式から二十代いっぱいくらいはいろんなパーティなどで、同じ着物だからと臆することなしに、帯の締め方を変えるとか小物の工夫をするとかで自分なりに着回しして欲しいものだと思う。

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ところで、着物による写真撮影というのは殊の外難しくて、何にしても元々直線裁ちで構成された着物というのは誰が着ても、色紙で折った紙人形のような印象を与えてしまう。だから少しモデルは斜め向きに立って、首を傾げたり、腰を曲げたり、身体全体がS字のカーブを描くようにちょっとだけ曲線を付けると女性の色っぽさが滲み出て、変化が出てくるのだが、こうした成人式の振袖写真では、浮世絵のようなあまり極端なくねくねを見せるといやらしさが先に立って、楚々とした美しさが感じられなくなる。

浅田選手も、体はあまり動かさず、腕を折り曲げるとか少しだけ外向きに開くとかいった上半身の動きで変化を付けているが、一般的にはどれも同じに見えたとしても致し方あるまい(笑)。
髪型ももっとさまざまなバリエーションがあっても好いのかも知れないが、やはり成人式用におでこを見せて髪をアップにした、ちょっと古風な日本髪の髷を意識したヘアスタイルでまとめている。
最近では前髪を垂らすのも横分けでおでこを出すのも、その人の顔形によってさまざまな選択肢があっても好いと思うが、襟際を詰めて後ろの貫も少なめに着付けをする振袖では、顔を広く出して、後ろの襟足も後れ毛を出さずしっかりまとめて始末した方が清潔感があって、綺麗に見えるものなのだ。

最近流行りの、金髪の盛り上げ髪も人それぞれの個性だとは思うが、浅田選手のような昔ながらの古典的な着こなしというのは、どこかほっとさせる安心感を感じさせる。
先日は安藤選手が着物姿でテレビのバラエティ番組に出演していたが、彼女もまた白い紬織の着物を凛と着こなして、髪型をきちんとまとめて、大人びたイメージだったが美しかった。

やはり着物のような民俗性の強い衣装をまとう場合は、斬新な個性はそれぞれの内面にとどめて、外観は伝統を守った着こなしをする方が好印象なのかも知れないと、当たり前のことを当たり前のように感じた次第だった。

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さて、今度はいわゆるよそゆき着の着物から一転して、普段着まではいかないまでもカジュアルな服装の浅田選手を、空港でのショット写真からいろいろに集めてみた。

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試合前、試合後によって、緊張した顔や解放されてリラックスした顔など、いろんな表情を見せてくれるが、いかなる時も人前でコメントを求められたり、笑顔で答える必要があったり、さすがにスター選手は大変だなとまさきつねなどは感心するのだが、浅田選手は本当に終始穏やかで、疲れたような翳りを帯びる時はあっても決して露骨に嫌そうなしかめ面を見せない。

演技やふりをしているということではなく、幼い時からいろんな意味で人々の好奇の視線にさらされてきた中で、彼女なりにスター選手ならではの宿命を受けとめ、こころからの感謝の念で声をかけてくる人に対し柔軟な対応を心掛けているのだろう。

以前、空港は公共の場だという一方的な理由だけで、投げかけた質問に答えてくれなかったのみならず、浅田選手のそばにいた小塚選手が勝手にシャットアウトした云々と、恥知らずな愚痴を記事にしていた記者がいたけれども、記者会見場ならいざ知らず、プライベートに近いような状況の中でさえ、タイミングを見計らってはずかずかと土足で這入り込んでくる輩が後を絶たないのだから、どうしようもない。
その中で、本人が公けにしたくないような写真ももっと数多く撮られているのだろうが、それでもこれだけひとを和ませるような笑顔を浮かべて、柔らかい表情を見せられるのだから、やはり相当の年月、人間的に辛抱強く鍛えられているのだろう。

さて、最後に(ちょっと懐かしい)会見場などでのスーツ写真。
マスコミや取材記者の方々は、こういう場所でこそしっかりした質問を選手たちに投げかけて、彼らから得た回答は歪曲や曲解をすることなく、正しい日本語で報道して欲しいものである…と苦言を残しておこう。

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私を束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
たばねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
(新川和江『わたしを束ねないで』)


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空中庭園の散歩 其の拾伍 白色のプログラム  

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花びらの白い色は 恋人の色
なつかしい白百合は 恋人の色

ふるさとの あの人の
あの人の足もとに咲く 白百合の
花びらの白い色は 恋人の色
青空のすんだ色は 初恋の色
どこまでも美しい 初恋の色

ふるさとの あの人と
あの人と肩並べ見た あの時の
青空の澄んだ色は 初恋の色
夕やけの赤い色は 想い出の色
涙でゆれていた 想い出の色

ふるさとの あの人の
あの人のうるんでいた ひとみにうつる
夕やけの赤い色は 想い出の色
想い出の色
想い出の色

☆上高地 冬 白い色は恋人の色  ベッツィ&クリス hayley westenra☆

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いよいよ始まる「The Ice」、今年は東日本大震災のチャリティーイベントとして、“被災地と日本に愛とパワーを送る”をテーマに開催され、ショーの利益は日本赤十字を通じて被災地復興に役立てられ、また東北でのチャリティー公演は被災者を無料招待するという趣旨になっている。

ここ数年、外国ではMAO SHOWとして名が通っているらしい「The Ice」だけれど、浅田選手が17歳だった2007年の頃から本格的に彼女をホストとして開催されるようになった経緯があるらしいのだが、詳しいことは分からない。
ロシアでのワールド開催からオフ・シーズン突入が大幅にずれ込んだ今年は特に、浅田選手が出演する夏のアイス・ショーはこの「The Ice」だけのようで、被災地への配慮をしつつ自らの課題をクリアするために念入りに絞り込んだスケジュールにしたのだろう。

開催前夜の今回のエントリーはとりあえず、これまでの「The Ice」を振り返る動画や画像を、ペア演技を中心にお届けしておこう。

まずは愛知高速交通(株)から五年連続して「The Ice」開催を記念して発売されているリニモカード。企画開始の頃から、いかにも浅田選手が看板娘と言わんばかりの彼女を中心としたデザインだが、それが功を奏してか毎年、発売と同時に売り切れるほどの人気という話である。

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2007年はフィナーレで少しだけ舞選手とのペア演技を披露。このときの好評ぶりが、浅田姉妹による次の年からの本格的なペアプログラムを実現させたらしい。黒とオレンジの組み合わせもそのまま引き継がれている。


2008年、舞選手とのペアプログラム「Dream girls」を初披露。
この姉妹プログラムは、さすがに息があった演技とお互いの美点を巧く演出した振付が好評で、この後長くファンからのリクエストに応えてさまざまに趣向を変えて続けられている。この年はふたりのキュートさに焦点が当てられ、可愛らしい小悪魔ダンサーが楽しげに舞い踊るといった雰囲気がショーを明るく盛り上げた。


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☆Mao Mai Asada - Dream Girls 2008☆


浅田選手のシングル演技は『Sing Sing Sing』。パンツルックは珍しいが、弾けるショーナンバーを小道具の帽子を使いながら、溌剌と披露している。妖精のような浮遊感だけではない、エンターティナーとしてのタフさを垣間見せた魅力のある作品だと思う。音を拾う感覚、リズムに乗る巧みさが生かされた振付だった。

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☆Mao Asada 2008 The ICE -Sing Sing Sing☆


この年のショーで、最後の見せ場になったのが、ジェフリー・バトルと組んだディズニーの『魔法にかけられて』のペアプログラム。

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☆フィナーレ / finale ~真夏の氷上祭典2008 THE ICE~☆


このシーズン、ともに世界王者と女王になったふたりによるこのナンバーは何かと話題になり、特にアドリブでバトル選手が浅田選手にキスをしたサプライズは、ファンを熱狂の渦に巻き込んだ。ディズニーのどこかほんわかとした温かさ、健康的で爽やかなラブラブモードが、誰よりも似合うペアだったといって良いだろう。バトル選手は「The Ice」の常連組だが、この年結成されたこのペアの清涼感ある明るさが、ここ数年このアイス・ショーの持ち味や方向性を決定づけたと言っても過言ではないだろう。


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2009年のオープニングは華やかに、昨年のシングルナンバー『Sing Sing Sing』を浅田選手が安藤選手とともに踊り、さらにそのほかのメンバーが合流するという演出で始まった。
浅田&安藤というペアも浅田姉妹ペアと同じくらい、ふたりの個性が際立って実に見応えのあるプログラムになると思う。ともに世界女王の座を競うスター選手に駆け上がってしまったので、昨今はなかなか同じショーで共演することも難しい事情があるかも知れないが、まさきつねはこのふたりが同じナンバーを踊っているのを見比べて楽しむのが個人的に好きだったりする。

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この年のシングル演技は五輪シーズンのEX『カプリース』を初披露。
「The Ice」は恒例のように、昨年は『Por Una Cabeza』、その前は『So Deep Is The Night』と競技会のEXを初お披露目する場になっており、毎年その完成度の高さや趣向の多様さで新しいシーズンへの期待を高めてくれる。今年の「The Ice」でも来季の新しいEXが発表されるだろうと胸を躍らせているファンが多かろうと思う。

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舞選手とのペアプログラムは“ワイルド&セクシー”をテーマにしたという『LADY MARMALADE』。舞選手相手だと、浅田選手はやはり多少背伸びをした雰囲気になるのだが、そのオシャマさが独特の可愛らしさに通じてゆくのが彼女の特徴だろう。姉御肌の選手にはない、永遠の少女性が魅力なスケーターなのだと思う。

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☆Mao Asada & Mai Asada THE ICE 2009 LADY MARMALADE☆


フィナーレではバトル選手との『アラジン』。
昨年に続き、ディズニー作品との相性の良さを見せつけたナンバーだが、バトル選手以上に浅田選手のアジアン・ビューティなエキゾティスムが、さらに作品の魅力を深めた気がする。競技会用のプログラムでも『シバの女王』や『シェヘラザード』、『サロメ』といったこうしたアラブ的な異国情緒のある音楽に挑戦して欲しいと思ったりするのだが、いろいろ諸事情があるので無理は言うまい(でも希望したい…)。

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☆Mao Asada & Jeffrey Buttle THE ICE 2009 - A Whole New World.flv☆


次の画像はショーのパンフレットから浅田選手紹介ページ。

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2010年はいきなりオープニングからミュージカル仕立ての華やかな幕開け。バトル選手とのペアプログラムがしょっぱなに来るという構成だった。
同じショーの中で、プルシェンコ選手が浅田選手とペアを組むという特別な演目があったことも関係しているのだろうが、「The Ice」が年々豪華な顔ぶれを揃え、さらに充実したプログラム内容を準備するようになってきた証しなのだろう。

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☆オープニング / Opening ~真夏の氷上祭典2010 THE ICE ~☆


シングル演技はやはり次のシーズンで大当たりの評判となったEX、ショパンの『バラード一番』を披露。清楚な美しさと新鮮な印象を与えるプログラム構成が、たまらなく瑞々しい魅力だった。

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☆Mao Asada 浅田真央 ~THE ICE 2010完全版☆


舞選手とのペアプログラムはしっとりとしたナンバーで『白い色は恋人の色』。この曲はザ・フォーク・クルセダーズの北山修さんと加藤和彦さんが作詞・作曲を手がけた、イントロのアコースティック・ギターが印象的なフォークソングだが、アメリカ人女性デュオが美しいハーモニーで歌って、和製らしくない宗教性と洗練されたイメージを与えている。

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☆Mai Asada & Mao Asada 浅田舞&浅田真央 ~THE ICE 2010完全版☆


北山修さんは『戦争を知らない子供たち』『あの素晴らしい愛をもう一度』などの歌詞でも有名だが、どこか芸能界特有の軽薄さとは無縁の骨太な思想性を感じさせる詩情が魅力だった。
経歴も異色で、学生時代は音楽活動に準じていたものの多くのヒット作を出しながらも精神科医を目指して芸能界を退いたのちロンドンに留学、日本に帰国後、アルバムを制作するなど芸能活動との二足のわらじで精神科医、臨床心理学者として医学博士の道を歩んでいる。

精神分析学関連の著作も無論多く出されているが、文化論や作詞活動をネタにしたエッセイなども執筆されており、まさきつねは小学生の時分だったが、少し寺山修司を思わせるような時代性を持った彼のエッセイ集『戦争を知らない子供たち』や『さすらい人の子守唄』『止まらない回転木馬』などに目を通したことがある。
学生運動やヒッピー文化の沸き起こる70年代特有の、戦後生まれらしい言い知れぬ原罪意識や焦燥を抱えた若者の苦悩や逡巡が、北山さんの詩や文章の行間には滲んでいた。

『白い色は恋人の色』はごく素直なラブソングのようだが、「白百合」にはどこかキリスト教的な宗教性が感じられ、今はいない「初恋」の相手にも戦争の影が漂っている気がする。
浅田姉妹が滑ったナンバーはヘイリー・ウェステンラさんがカヴァーした英語バージョンで、透明感のあるピュアな声が姉妹の清純な美しさを引き立てていた。ウェステンラさんは欧米でも日本特有の言葉のニュアンスが理解され易いように、自身で時間をかけて英語訳を練り直し、メロディーラインにも無理なく乗せている。
彼女は日本語での歌唱もアルバムのボーナス・トラックで聴かせているので、この曲の原詩に強く感銘を受けていたのだろう。

浅田姉妹は初めて恋を知った女の子をイメージして、ピュアと癒しをテーマにこの曲を滑ったと聞く。
原詩も勿論のこと、ヘイリーの英語詞も幼い恋の甘酸っぱさが曲の骨格となっているのだから、詩の世界観を真正面からとらえた正当な解釈ではあるが、それにしてもどこかひと昔前の清楚きわまる昭和の乙女を思わせるような姉妹のたたずまいは、初恋に胸を焦がす少女のロマンティックな憧れだけではない、ノスタルジックな悲哀を感じさせるものではある。

薄いブルーとピンクのシフォンとレースのエアリーな衣装に身を包み、長い髪を風になびかせている少女たちには、この曲が流行った昭和70年代への強い懐古の情をかき立てるような、良い意味での古めかしさと憂いがまつわりついているような雰囲気がある。
ベトナム戦争も安保闘争も無論、平成育ちの浅田姉妹にとっては歴史の教科書の中の知識でしかないだろうが、それでも無為な戦争や学生運動で流された多くの血に対する、鎮魂と慰安のしるしとなるような清らかさと美しさに充ちたふたりの演技だったと思う。


最後のフィナーレ演目の中からはこの年のショーの目玉になったプルシェンコとのペアプログラム。Van Halenの『Jump』というインパクトのあるナンバーで、「ジャンプ同盟」らしいパンチのある演技で息の合ったパフォーマンスを見せた。

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☆フィナーレ / finale ~真夏の氷上祭典2010 THE ICE~☆


このふたりを観ていると、ペア演技というものが技術的な巧さや身体的な相性の良さだけでなく、精神的なシンクロがいかに必要かが伝わってくる気がする。スケートや競技に対する考え方や姿勢という部分で、ともにナンバー・ワンを目指す二選手には共通するところが多いのだろう。
ただやみくもに世界一を極めるのではなく、オンリー・ワンの個性を重要視しながら、誰にも真似の出来ないフィギュアスケートの頂点に向かってただ黙々と歩み続ける孤独な魂が、お互いを認めて求め合った一夜限りのプログラム、またそれゆえに価値のあるペアプログラムだったのだと思う。

そして一番最後は、以前まおブランドの着物のエントリー記事でも紹介したが、「夏祭り」をテーマに浴衣での群舞。

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アイス・ショーにはどれもそれぞれ、特徴のある醍醐味や雰囲気があると思うが、「The Ice」は出演する選手たちがまるでひとつの家族のような、温かなムードに充ちており、広い年齢層が興味を持てる演目やお楽しみで構成されているように思う。
もっとスタイリッシュで派手な演出や通好みの演目が並ぶショーもあるだろうが、誰もが和やかに選手の個性や演技の趣旨に触れて、その世界観に入り込めるというのは、わざわざ足を運ぶファンにとって重要なポイントのひとつだろう。

今回の「The Ice」、勿論誰もが注目しているのは浅田選手と小塚選手の初めての本格的なペアプログラムだと思うが、まずはショーのテーマである被災地と日本のための「祈り」、復興への強い願いを込めた選手たちの気持ちを汲み取りながら、イベントの成功にこころから期待したいものである。

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White is the colour of sweet true love,oh,the colour of our love.
White is the colour of petals that fell,oh,the sweet lily's smell.

He was my love,my first true love,
a boy from the same land that raised me,white lilies at his feet.
White is the colour of sweet true love,oh,the colour of our love.

Blue is the colour of first love,oh,the colour of our love.
Blue as the sky on a clear summer's day,oh the meadows we lay.

Red is the colour of memories,oh,the colour of the seas.
Glowing in red from the sky above when you gave back my love.


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空中庭園の散歩 其の拾四 月の光のノスタルジア

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浅田選手の2008年-2009年SPはクロード・ドビュッシーの『月の光』である。
このシーズンはSPをローリー・ニコルが振り付け、FSをタチアナコーチが振り付けた。コーチ不在になってしまった昨シーズンに、苦手なルッツやサルコウへの取り組みなど浮き彫りにされた多くの課題が盛り込まれ、よりパーフェクトなプログラムの完成を目指す試練のシーズンが始まった。

『月の光』についてはすでに過去のエントリーで多少ながら解説をしているので、こちらを参照されたい。
『月下の一群』

ところで、今回は少し切り口を変えて、この『月の光』を使用したフェリーニの映画の話をしたいと思う。

フェリーニと言えば、高橋選手が五輪シーズンにカメレンゴ振付で滑ったニーノ・ロータ作曲『道』の主題曲がフィギュアファンには記憶に新しいと思うが、ネオリアリスモの後継者として注目されていた若きフェリーニが妻のジュリエッタ・マシーナを主人公にしてイタリアの各村にロケをし、叙情性とヒューマニズムに充ちた物語で国際的な名声を得たのが1954年製作の『道(La Strada)』だった。
フェリーニはその後、ネオリアリスモ的な作風を離れ、宗教的あるいは精神的な象徴性を持った映像表現や寓話性の強いストーリーに近づいていき、チネチッタで組んだ巨大なセットによるスタジオ撮影を中心とした、重層的で夢幻性を深めた映画手法を確立した。

この辺りの、イタリア映画と映画撮影所チネチッタの歩みについても以前のエントリーで語っているので、ご一読いただけたらと思う。
『「道」の続くところ』

そして今回、お話ししたいのはフェリーニがスタジオ撮影にこだわりつつ映画製作をした中期以降、1983年作品の『そして船は行く』である。

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☆E la nave va de Fellini☆


端的に説明すると、これまでの幻想と虚構で作り上げたチネチッタでの製作作品、「甘い生活」「8 1/2」「魂のジュリエッタ」「世にも怪奇な物語」「サテリコン」といった映画の流れにつながるものでありながら、その世界を集大成したものという側面と同時に自らが確立してきた「フェリーニ的世界」を破壊してまた別の虚構を再生するというひとつの節目のような作品として扱われているように思う。
それゆえか賛否両論が多く、フェリーニっぽさとその映画手法全ての凝縮という側面が、衰退しつつある映画芸術そのものへのオマージュあるいは失われゆく時代への哀悼として好意的に受けとめられる反面、彼自身の創作意欲や映画的な創造力もすでにピークを過ぎて、その僅かな残り火のようなアイディアとアイロニカルなテーマをかき集め、過ぎし良き時代へのノスタルジアを断片のように紡いでみせたいわば燃え滓のようなものと捉える向きがあるようだ。

確かに『そして船は行く』のストーリー自体が雑然としており、フェリーニ作品に馴染みのないひとには冒頭から、一体何のことやらと理解し難いエピソードの積み重ねで構成されているのである。
映写機の動作音とともに無声映画のようなセピアの画面から始まるプロローグ、やがて港の雑音が被さり、カラーに変わってゆく画面から出演者たちのコーラスが響き、豪華客船を舞台にしたオペラ風の味付けをした人間ドラマの幕開けを告げるのだ。

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出来事らしい出来事が起こる訳ではない。物語は、野次馬たちが集まって船に乗り込む選ばれた人たちを眺めている最初の場面から、数多くの登場人物が入れ代わり立ち代わり、愛すべき奇妙なエピソードを繰り広げてゆく中で航海の終焉、そしてストーリーの終焉へと移り変わってゆく。
航海の目的は亡くなった偉大な歌手(マリア・カラスがモデルらしい)が生まれた島の沖で葬儀を執り行い、散骨をするためという話が、同船する新聞記者オルランドによって語られる。オルランドはフェリーニの分身のような存在で、取材手帖を手に航海の経緯を綴っていく彼が映画全体の狂言回しの役回りをし、登場人物たちのエピソードを次々にナレーションしてゆく手法は、フェリーニのシネマトグラフィーでは常套手段である。

全編に溢れる音楽の多彩さは、1979年に没したニーノ・ロータに対するアイロニカルな構想でもあるのだろう。厨房の水を張ったグラスで奏でられるシューベルトの『楽興の時』第三番。数小節でお茶を濁すのではなく、年老いたふたりの音楽教師が全小節をしっかり演奏して、クラシック音楽を映画の添えもののように扱わない。

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また、機関室を見学に来るオペラ歌手たちも次々に、船員たちの要望に応えてアリアの一節を歌って自慢の美声を披露しあう。
セルヴィアからの難民が甲板で踊る民俗舞踊も、ラストの伏線となる第一次世界大戦前夜の政情不安を裏返しにした映像上のアクセントである。
こうした中で、登場人物たちはひたすら亡き偉大なディーバを讃える言葉を口にする。彼らは何を偲び、何を懐古してレクイエムのような音楽を奉げているのか、だがのんびりした鎮魂の旅であった筈の船にもついに、サラエボでのオーストリア皇太子暗殺事件の余波が押し寄せ、オーストリア=ハンガリー帝国の大公と皇女も乗船していたという設定から、政敵の予期せぬ砲撃を受けて船は沈没の憂き目にあうというあっけない終幕が待っている。

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沈んでゆく船と遥かな海原へ落ちてゆくディーバの遺骨、だが船も海も空も、すべてがチネチッタの作り物で、物語も虚構なら映されている光景もすべて虚構という映画の嘘の中に悲劇はある。
そしてドビュッシーの『月の光』は、まさにこのスタジオにセッティングされた虚構の海と難破船を映し出す、ライティングによる虚構の月の光の中で、切々と夢幻の調べのように流れるのだ。
もはや何を哀惜しているのか分からない、だが確かに失われゆくものへのノスタルジアと限りない悲しみを込めて、もともと太陽の光の反映でしかない「月の光」という虚像によって、フェリーニの生み出した映画という虚構の群像劇はその真のリアリズムを明らかにしてゆく。『そして船は行く』の幕切れはチネチッタで撮影しているカメラや撮影隊、大道具を動かす人たちまで、セットや張りぼてのあらゆる内幕を暴いて、映画作りにおける多くの約束事を何でもないことのようにあっさりと裏切って、映像芸術における幻想をことごとく打ち砕いてゆくのである。

そしてエピローグは何故か船底に積まれていた犀をオルランドが連れ出してボートに乗せ、いっしょに難を逃れて「犀のミルクは美味しいから助かった」という彼のナレーションでフェイドアウト。オルランド同様に大半の乗船客も助かったという結末になっているので、この物語は難破する船の悲劇を描きながら、フェリーニらしい悲劇性のない寓話の世界に成立する夢幻のストーリーに過ぎないことも確かなのだ。

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思うにフェリーニは、この世のはかなさや美しさというものを描きつつも、それが決して「虚しさ」と一体ではないことを知り尽くしていたのだろう。
サイレントからやがてトーキーへ、モノクロの画像はやがてカラーへと変幻していった映画の撮影技術もまた、日を追うごとに進化し発展していったが、その中で銀幕のスターもまた虚像を暴かれ、秘密は失われ、約束事は消えて、芸術への憧れも薄れてゆき、距離を失った鑑賞者と演技手の間には二者を隔てていた溝がなくなった。
いつかさまざまな産業技術の発達によって、遠く触れがたいもの、手に入れ難かったものへの憧憬の念は失われ、何もかもが簡単に手に入り、その上楽にポケットに仕舞えるほどのサイズに変わってしまい、ベンヤミンの説に従えば、メディア=複製技術の発達は多くの芸術からその希少性を奪い去り、近寄り難さや珍しさといった価値を削ってしまったが、それが人間にとって幸せなことであったか不幸なことであったか、おそらくフェリーニは現代人が多くのものを手に入れると同時に失くしてしまった精神的な歓びと、その反面こころをうち塞ぐ虚しさに気づいていたのだろう。

まさきつねはフェリーニがこの作品で結びつけた三つの象徴的な存在、「犀」と「難破船」と「月の光」が秀逸な選択だったと思う。

「犀」は今でこそさほど珍奇な生き物ではないが、ヨーロッパでは1515年にデューラーが制作した木版画による普及とその芸術的影響が1930年頃までドイツの学校教科書に採用されるほど根強く、その絵画的正確さも学術的根拠も何もない虚像が「装甲に覆われた生きもの」という固定観念を長く人々に植え付けてきた。
つまり実物の姿とデューラーが描いた「奇怪で間違った姿」が錯綜し、長期に渡りこれほど大衆のイメージを混乱させ続けた動物の例としてヨーロッパでは類がないのだが、それゆえに絵画の虚構性と、様式化された記号的手法を語る上では重要な鍵を握るシンボリックな存在として受けとめられてもいるのである。

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「船」については、難破してゆく船としては「タイタニック号」の悲劇が最も有名な歴史的事件だと思うが、フェリーニは先ほども述べたように、乗船客の大半を救うことで沈没する船を悲劇のドキュメンタリーとして描くのではなく、あくまでも寓話として扱おうとしているように思う。つまり、フェリーニにとっては「船」は悲劇を演出する道具ではなく、集った人間たちの群像劇を描く舞台として重要だったのだ。
ヨーロッパで多くの人間が乗り込んだ船として昔から寓意の中で扱われるのが、ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』の中で言及されている「阿呆船(愚者の船)」である。歴史的に実在したか否かに関してはいまだにその論の分かれるところではあるが、いわゆる精神病患者たちを乗せて水上を漂泊する船のモティーフは15世紀ごろの北方ヨーロッパの絵画や文学、あるいは風俗の中で散見されており、その代表的なものがたとえばフランドルの画家ヒエロニムス・ボスの絵画や、バーゼルで出版されたセバスティアン・ブラントの風刺文学『阿呆船』なのである。

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フェリーニは無論、オペラ歌手の葬礼に向かう船に乗り込む貴族や音楽家たち、劇場支配人といった面々を愚者扱いしている訳ではない。
だが豪華客船の中で延々と繰り広げられる人間模様や風変わりなエピソードの数々は、傍で見ている限りどれもが馬鹿げたお祭り騒ぎであり、愛らしいがくだらない喜劇の類いである。フェリーニの目線では、いずれ難破してゆく運命にある船に乗り込みながら浮かれた狂騒に興じている人間たちは、精神的に病んでいるか否かに関係なく何も知らない愚か者たちの群像劇としか描けなかっただろう。けれども、彼らの大半を水中に没するという絶望的な終幕にしないのが、フェリーニの人間に対する温かな姿勢であり、愚者たちの船をあくまでもアレゴリーの中で戯画的に描こうとするヨーロッパの知的な風刺精神のひとつの顕れといって良いだろう。

そしてフェリーニは「犀」と「難破船」が紡ぎだす幻想的な寓意の物語を、スタジオで作り出した虚構の「月の光」で充たし、ドビュッシーの軽やかな旋律で包み込む。ドビュッシーの『月の光』に反映されていたイタリア喜劇の道化師たちの群像に関しては、前に紹介したエントリーを参照いただきたいが、ドビュッシーと彼のイロニー的手法については、興味深い記事があったのでその中の一文を引用させていただくとともに、ご紹介しておこう。

        
http://blog.goo.ne.jp/frutta_2005/e/56c0ed9782190197e3eebd1a684aaea2
「イロニーのおかげで、重いものは軽くなり、軽快なものは滑稽にも重々しくなる。重さの転倒が生じるのである。たとえばドビュッシーは、ペタペタ歩きの子守歌、《象の子守歌》の小曲を、鍵盤の低音域の音符に託した。そして、ソクラテスがあるときは重大なことをおどけた調子で言い、あるときは取るに足らないことを重々しく語ったりするように、ドビュッシーにあっては、重いものが軽やかになり、他方、軽快なものは象のおどけたステップを踊るのである。それは無限に続く『倒置法』である」(Vladimir Jankelevitch, L'Ironie, Paris, 1964, p. 79)。

     ※

『月の光』のこの上なく美しく軽快な旋律が奏でられる沈んでゆく船内で、偉大なディーバはそのプライベートを写し撮った「フィルム」に甦り、その麗しき声は録音した「蓄音機」に再生され、その確かな存在は消息を大衆に実況中継しようとする「新聞記者」によって伝えられる。映像の中で、実存性が確認出来るのはメディアの方だけなのだが、大衆のこころに刻まれてゆくのはすでに実体を失ってしまったディーバの虚像、そのはかなくも美しい芸術の残り香だけなのだ。

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フェリーニは映画の虚構と虚構を暴く映像、自身の投影と投影が赤裸々にする自己の内面という幾重にも重ねられたアイロニーを、ニーノ・ロータ亡き今、『月の光』という借り物のクラシックの楽曲に乗せて鑑賞者たちに届けた。
すべてが借り物で作り物でまがい物…だが人生とはそうしたもの、誰もが生きるということは日々失われてゆく確かさを、ひとつひとつ丹念に拾って他者のこころに刻みつけて託してゆくことでしかないと、フェリーニは無言で語っているのだろう。

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さて、芸術談義ばかりが長くなって申し訳ない。
浅田選手の『月の光』の画像を、最後にまとめてご紹介することとしよう。

ラヴェンダー色の衣装は前のシーズンの『ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア』から彼女にぴったりの色彩として定着したのだろうが、月光を表現するのにこうした寒色系を用いるあたり、太陽の温かさや激しさとは裏返しの冴え冴えとした冷たさや静謐さをイメージさせる方向性により強く傾倒していたということなのだろう。
胸元を飾る三日月を組み合わせた金銀のモティーフは、お気に入りだったのかそれとも三日月が主要なテーマだったのか分からないが、デザインを変えた青の衣装でも用いられており、丸い月よりもどこか鋭角な月の輝きが、浅田選手やニコルの想像の中にあったのだろうか。

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☆Mao Asada 2008-09 SP ドビュッシー「月の光」☆


四大陸選手権ではさらに青味の強いロイヤル・ブルーの衣装になり、デザインもギリシャ風をイメージさせるようなアシメトリーに右肩を露出したもので、月の女神をより連想させるかのような雰囲気になっていた。だがこの大会での戦績が思わしくなかったのが心的に響いたためか、このコスチュームは一度きりのお目見えとなっている。

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☆Mao Asada 2008-09 4CCspfs☆


はかなくも美しいもの、いつの日か浅田選手の演技にもこうしたコピーが被せられる時が来るだろう。いや、もしかしたらすでにそのような言葉が寄せられているのかも知れない。
スポーツ選手とりわけフィギュア・スケートのような採点競技においては、そのいとけない新鮮さがまだ十代にも達さぬ頃から愛でられ、その賞味期限が僅か十年かそこらの短さで消費されてしまうという厳しい現実がある。浅田選手や安藤選手のような、神から授かったような才能をもってしてもその身体的衰えを留めることは出来ないのだ。

ディーバのごときその美しさを、現代の鑑賞者たちはメディアの普及していない時代よりもはるかに便利よく、単純にカメラがとらえた画像や動画のみならずデジタルやCG技術を駆使した再生方法によって、さまざまに楽しむことが出来るようになった。
だが美神たちのはるけき姿、その真性の美を鑑賞者がどれほど誠実にとらえ、憧憬と陶酔に充ちた悦びを得ているかとなると、メディアの発達していなかった頃よりもはるかに進化しているかどうかは甚だ疑問だ。

メディアの技術が進化すればするほど、悪意に満ちた作為や、実体からかけ離れた虚像を作りだして大衆を惑わそうとする輩も増えて、「はかなくも美しいもの」を純粋に愛でようとする鑑賞者たちは疑念と困惑の渦の中に巻き込まれることも多くなってしまった。
現代のメディアはものごとの実相を暴こうとしていかがわしい粉飾に走り、人びとの想像力をことごとく奪って、自分たちに都合のいい理屈だけを押しつけようとしているのだ。

フェリーニは情報の波に楽に流されていこうとする大衆の無知と、それにつけ込もうとするメディアの愚行に気づいていた。だからこそ彼は「私は想像と現実との間に境界線を引かない」と言い切り、想像する人間の本物を見極める力を信じていたのだ。
そう、失われしディーバを現代に甦らせることが出来るのは、再生メディアの機械的な複製能力ではない。
ディーバを愛し憧れる人びとが想いを寄せ想像し、口々に語り伝える伝説、はかないものをはかないまま、美しいものを美しいままに過ぎ去ったものを追い求めるノスタルジアしかない。
浅田選手のはかなくも美しき『月の光』には、消え去ったものを愛おしみ懐かしみ、遠く触れがたいものになってしまった過去を哀惜する懐旧の力が、おぼろな暈のごとく滲んでいるのである。

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理論などありません。単に聴くのみです。空想が法律です。
(クロード・ドビュッシー『作曲の師エルネスト・グィローとの対話から』)

Clair de lune : Verlaine

Votre âme est un paysage choisi
Que vont charmant masques et bergamasques
Jouant du luth et dansant et quasi
Tristes sous leurs déguisements fantasques.
Tout en chantant sur le mode mineur
L'amour vainqueur et la vie opportune,
Ils n'ont pas l'air de croire à leur bonheur
Et leur chanson se mêle au clair de lune,
Au calme clair de lune triste et beau,
Qui fait rêver les oiseaux dans les arbres
Et sangloter d'extase les jets d'eau,
Les grands jets d'eau sveltes parmi les marbres.


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