月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

バッハのアリアのゆかしき

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悲しみの余震のなかを
去って行くバッハの背中。

他人の破滅をふかくいつくしむ端正。
自分の破滅ときびしくたたかう端正。

いつまでくりかえされるのだろうか。
肩や胸や腰の揺らぎ。
重たげで軽やかな
軽やかで重たげな。
(清岡卓行『ひさしぶりのバッハ』)


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もうすっかり、フィギュアスケートのブログの様相ではなくなっている、まさきつねの部屋だが、シーズン・オフでもあることだし、あいかわらず絵画だの詩だの映画だのと別ジャンルの話を続けるけれど、適当に楽しんでいただけたら幸いである。

今回は素敵な動画のご紹介と、それに使用されていた『G線上のアリア』から連想した映画の話を語ってみたい。

まずは動画がこちら。制作者のコメントによると、アジエンスとオリンパスのCM映像のみで作られたそうだ。

☆浅田真央(Mao Asada)Montage(G線上のアリア)☆

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『G線上のアリア』はご存知、ヨハン・セバスティアン・バッハJohann Sebastian Bach (1685年-1750年)がケーテン時代におそらく36才から37才の頃、管弦樂組曲第3番二長調.BWV1068の第2曲(=エア(アリア))として書かれたものが原曲でとなったものだ。
バッハ生存中はさほど評判になることもなく、没後100年以上経った1871年、ドイツのヴァイオリニスト、アウグスト・ウィルヘルミAugust Wilhelmjによるピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏のための編曲が行われ、ようやくこの曲の優雅で荘厳なメロディーに焦点が当てられた。

ヴァイオリンのソロ演奏など、楽器の地位が確立してきた頃で、ヴァイオリンの一番低い音源のG線だけで演奏するというアクロバティックなことが話題に上っていた時代らしく、ライプティヒ音楽院に学び、天才と名を馳せていたウィルヘルミは当時、多くの名曲を掘り起こしてヴァイオリン演奏用に編曲することに情熱を注いでおり、このバッハの旋律はニ長調からハ長調に移調することでG線のみの演奏を可能にした。

バッハの方に話をしぼると、音楽家を目指して向かったワイマールの南にあるアルンシュタットで、ヴァイオリン演奏の仕事を得た後、教会専属の音楽家として地位と名を挙げた。この地で、ひとつ年上のマリア・バルバラに出逢い、二十二歳の時ミュ―ルハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストの職を得て、彼女と結婚、七人(うち数人は早逝)の子どもをもうけて、ささやかな家庭を築いた。

その後、ワイマールで宮廷の職に就くが、人間関係のもつれで投獄されて結局この地を去り、1717年ケーテンの宮廷学長に迎え入れられ、しばらくは家族ともども幸せな日々を送っている。
突然の不幸が襲ったのは1720年の夏で、十三年間連れ添った妻が急死、大勢の子どもを抱え、バッハは途方に暮れたようだ。

翌年、十六歳年下の有能な音楽家であった宮廷歌手のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚。
夫の仕事を助け、写譜なども任された妻は、その美しい歌声としっかりした子育て(アンナはバッハとの間に十三人もの子どもを産んでいる)で、夫に慰安と音楽の幸福に充ちた家庭生活を与え、バッハは妻に、家族のために演奏されたと思われる曲を折々に書き込んだ『アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帳』を贈っている。
『G線上のアリア』の原曲となる管弦組曲もこの時代に書かれ、バッハの充実した創作活動が結実した作品のひとつといえるだろう。

しかしこの後ケーテンを離れ、ライプティヒに移り住むと、教会音楽を中心とした創作活動はあいかわらずの幅広さで続き、また多くの理解者からの尊敬を得ていたものの、一方で成功を妬む人間からの迫害や、脳卒中や眼病など身体的な不調で不運に見舞われ、決して万々歳とはいえない状況に陥っている。
特に眼疾患の手術の失敗は大きく、晩年は失明と後遺症に苦しみ、六十五歳で没。死後は次世代の古典派に古臭い音楽と理解されず、埋没した存在になっていった。
唯一、家族との暮らしだけは最後まで円満で、愛情と音楽にあふれた人生であったことが現世的な救済といえるかも知れない。

ところで、このような作曲家の日常とアンナとの半生を、妻の視点で映像化したのが『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記(年代記)Chronik der Anna Magdalena Bach』である。

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☆Chronik der Anne Magdalena Bach - Famous Scene 01☆
☆Chronik der Anne Magdalena Bach - Famous Scene 02☆
☆Chronik der Anne Magdalena Bach - Famous Scene 03☆
☆Chronik der Anne Magdalena Bach - Famous Scene 04☆
☆Chronik der Anne Magdalena Bach - Famous Scene 05☆


フランス出身の映画監督、ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレが西独とイタリアで共同製作した作品で、1967年に発表された。この映画は、古楽器オーケストラの草分けであるコレギウム・アウレウム合奏団Collegium Aureumのほか、チェンバロ奏者ボブ・ファン・アスペレンBob van Asperenやチェロ奏者ニコラウス・アーノンクールNikolaus Harnoncourt、ヴィオラ奏者アウグスト・ヴェンツィンガーAugust Wenzingerといった名立たる古楽器演奏者たちがそろって出演し、十八世紀の生活習慣や衣装、演奏風景の忠実な再現に努め、きわめて純粋で禁欲的な音楽への愛着をフィルムに収めた、多少マニアックなドキュメンタリー風な仕上がりの伝記映画となっている。

今日の古楽演奏に関する研究や時代考証からすると、演奏技術の水準の低さや、解釈の間違いなどがいくつか目に付くようだが、こうした瑕もさほど気にならないほど、映像に魅力を与えているのが、バッハ役のグスタフ・レオンハルトGustav Leonhardtの謹厳な演奏と、その礼節正しい立ち居振る舞いで、謹厳実直なバッハのイメージにぴたりと重なるその演技が、この映画に対する高い評価にも結び付いている。

レオンハルトはオランダを代表する鍵盤楽器奏者で、古楽演奏のパイオニアだが、当時はまだ無名に近く、その彼を起用したという点で映画製作者たちの炯眼の凄さがうかがえる。
また、映画が製作された1960年代には古楽器研究も緒についたばかりだったにも拘らず、内容のほとんどがその演奏風景とアンナによる日記の朗読という、シンプルかつ大胆な構成で全編にわたって派手なドラマひとつ導入せずに、ストイックで静謐な映像美を作り上げているのも、通常の劇映画と一線を画すところだろう。

音楽が主役の「音楽映画」と呼んで好いのだろうが、楽曲が終わるたびに唐突な日記の朗読を差し込み、勿論監督の計算と思うのだけれど、音の余韻を、まるでフィルムを切り落とすようにばっさり断ち切っていく手法は、「詩の映画」とも呼ぶべき散文的な魅力も備えている。

ぶつ切りの記憶、ぶつ切りの心象風景がぶつ切られた音楽に合わさり、合間に挿入される現実のエピソードを描いた寸劇が、奇妙なリアリティーをもって立ち上がってくる。

学校と対立したバッハが、自分の曲を断りもなく使用している演奏会に乗り込み、指揮者を追い出す場面。
アスペレン扮するバッハの従兄の息子がアンナに「教頭が首をつって自殺した。むごい死にざまだ」と告げにくる場面。
晩年、もはや視力を失った眼で窓の外を眺めるバッハの姿に、「ほとんど眼が見えなくなった彼でしたが、死の数日前、まるで光が見えるようでした」というアンナのモノローグが被さる場面。

抑制された感情表現と、常に繰り返し演奏風景に立ち返っていく構成スタイルが、観客を偽物のメロドラマに溺れさせることなく、バッハの実に人間的なふたつの側面に対峙させるのだ。すなわち、聖的な芸術創造への奉仕に埋没する音楽家であると同時に、子どもの教育や職場での人間関係や政治的駆け引きに悩む世俗的な父親という、彼の少々偏屈だが実に微笑ましい個性が、淡々と続く清楚な映像によって虚飾なく浮かび上がってくる。

全編を彩る古楽器の演奏はどれも、出演している演奏家たちによる念密な打ち合わせや知識、才能を駆使した活力のあるもので、無駄な贅肉を省いた疾走感が音楽的な快感を呼び起こすが、映画に描かれている説得力のある人間像やドラマも、余分なものが一切なく、観客と一定の距離を取りながらも十八世紀の世界観へ、独特の緊張感を途切れさせずにいざなっているのである。

この映画出演の三年後、1970年に、レオンハルトとアーノンクールは分業で、バッハの二百曲に及ぶ教会カンタータの全曲レコード録音に挑んでいる。この途方もない企画は、1989年の完成を見るまで十九年の歳月をかけて実現され、その間の1980年にはレオンハルトとアーノンクールふたりして同時に、文化のノーベル賞ともいわれるエラスムス賞を受賞した。
バッハのカンタータの全曲録音という偉業を通して、古楽の復興に対して絶大な貢献をしたことが、受賞の理由である。

その式典のスピーチの中で、レオンハルトは、己を空しくして作品と作曲家に献身する、またそのような行為を通じて聴衆にも献身する、という彼の演奏哲学を披露したという。
このレオンハルトの芸術に対する禁欲的な態度が、映画にもその風貌を通して滲み出て、何よりもバッハとその音楽に対する敬意と献身が、観客に感覚的な心地よい陶酔と知的な衝撃を存分に与えてくれるのだろう。


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ところで、浅田選手の動画に使用されていた『G線上のアリア』は及川リンとユニットQ;indiviによるハウス・ミュージックにアレンジされたバージョンで、祝福や愛情をテーマにした英語歌詞を歌うヴォーカルが透明感のあるイメージを喚起させ、軽やかなビートが古典的な楽曲の可憐なメロディーを引き立たせている。
この曲を含むクラシック・カヴァーのアルバム『Celebration』は、ほかに『月の光』や『別れの曲』といった浅田選手のプログラム使用曲も入っており、クラシックといえど今はかなりポピュラーな旋律の選曲になっているので、BGMにおすすめかも知れない。

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モノクロームの映画にゆらりと立ち現れるバッハも、硬質で物静かな印象を胸に強く刻む映像だったが、彼が残した美しい旋律が現代のエレクトリックなサウンド・テイストで味付けされて、浮遊する電子脳のシノプスにほの見えてくる十八世紀の幻想もまたゆかしいものだ。

マルティン・ルターは「音楽は神が人間に与えた最も美しい贈り物」とその教えで説き、バッハはその教えを最もシンプルで複雑な美しさを持つ旋律に顕現化した。
バッハが好んでいたルターの箴言が次のような一節である。

「天然の楽の音が人の手を通して高められ霊化せらるるならば、人間はその楽の音のうちにこそ、大なる驚異もて、 いかばかりか(けだし「のこりなくすべて」というは不可能なれば)偉大にして全き神の叡智をさとるなる。
神はその創造の大なる楽曲のうちにこの叡智を据えたまえり」


世俗の地上に君臨する領主を讃える歌も、神の栄光を賛美する歌もバッハにとっては何の分け隔てもなく、ともに神の叡智を人間に伝える手段にすぎなかったということなのだろうが、つまりは聖なるものも俗なるものもすべて呑み込んで、常にその時代の活力を表現する芸術となり得るものを、この偉大なる作曲家が楽譜にしたためていた結果なのだ。

美しきものは美しきままに。
神のみこころは神のみこころのままに。

「天然」という存在のかけがえのなさを、現代人ももう一度、バッハの音楽の楽章の陰に感じてみるべきだろう。


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地球の裏がわから来た
老指揮者の振るバッハに
幼い子はうとうとした
風に揺らぐ花のように。

父は腕を添え木にした。
そして夢の中のように
甘い死の願いを聞いた
鳩と藻のパッサカリアに。

幼い子が眼ざめるとき
この世はどんなに騒めき
神秘になつかしく浮かぶ?

ああそんな記憶の庭が
父にも遠くで煙るが
フーガは明日の犀を呼ぶ。
(清岡卓行『音楽会で』)


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新しい朝、世はこともなし

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時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(ロバート・ブラウニング『春の朝』)

The year's at the spring 
And day's at the morn;
Morning's at seven;   
The hill‐side's dew‐pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in his heaven ― 
All's right with the world!


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フレデリック・レイトン『燃え上つ六月』1895年

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このところ、長くて論文調の話題が続いたので、軽めの話をお伝えしよう。


最近ちょっと見入ってしまったCMの話である。

ガゴメの野菜生活という飲料水のコマーシャル映像なのだが、結構あちこちに取り上げられているのですでにご存じの方も多いと思う。

☆野菜生活100☆


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出演している女の子が、人気のあるアイドルグループ出身ということで、その方面からもかなり騒がれているようだが、まさきつねが魅かれたのは流れている楽曲の方だ。
歌は日本人なら大概、子どものころの夏休みの思い出とともに懐かしく思い出す『ラジオ体操の歌』、しかしヴォーカルは、作曲者でもあり本家本元の藤山一郎さんによる正調ではなく、少しだみ声でむせび泣くような独特の節のある、いわばジャズ調のスイングが入った若い男性のものだ。

この迫力はあるが少し蓮っ葉な癖のある歌い方と、体の中から搾り出すような生々しさのある声は、ちょっとがつんと忘れられない印象を、ぼんやりとテレビを観ていた視聴者にも与えるのではないのだろうか。
朝日が昇る映像とともに、飾り気のない人間臭い歌声が、まるで本当に生まれたばかりの、瑞々しいというよりもっと肉感的な朝を連れてきたような、そんな強烈なインパクトをまさきつねは感じた。

歌っているのは知る人ぞ知る、奇妙礼太郎さんという(名前も奇妙だ)大阪で大所帯の歌謡スイングバンドを率いて、年間200本ものライヴ・ステージをこなしておられるヴォーカリストだが、まさきつねは数年前からようつべで彼の歌う映像を何度か見たことがあり、そのお名前だけは知っていた。

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けっしてスマートでも端正でも流麗でもなく、格好良く完璧に作り上げられてもいないが、ただ純粋に弾け、爆発し、泣いて笑って、時には激しく怒る人間の生き生きとした感情が、何のごまかしもなくそのメロディーとリズムから、ストレートに伝わってくる。失敗することも、間違うことも、脱線することも厭わない、タフネスに生きる人間に流れる血の温かさが。その臭味や色気とともに感じられる音楽なのである。

彼のインタビュー記事があるので、それを転載させていただき、その人となりと背景を知っていただけたらと思う。


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◇エモーショナルな歌声で心を揺さぶる大阪のソウルマン Time Out Tokyo (タイムアウト東京)

真っすぐな歌声と歌詞がジワリジワリと話題となり、全国区の人気を集めつつある奇妙礼太郎。このたびリリースされたファーストアルバム『GOLDEN TIME』は、ソロおよび彼が率いる奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の演奏をそれぞれに収めた2枚組。“君が誰かの彼女になりくさっても”や“機嫌なおしておくれよ”といった代表曲も収録した話題作だ。そんな彼にメールインタビューを試みた。

─ 生まれ・育ちも大阪ですか?また、子供のころ育った街はどんな場所でしたか?
奇妙礼太郎:大阪で、大人の男はみんな機械の油と汗にまみれて働いている町でした。みんな毎日笑ってたし泣いてた。



─ 子供のころはどんな音楽を聴いてました?
奇妙礼太郎:音楽番組とかアニメのテーマソングぐらいかな。「かぼちゃワイン」とか「うる星やつら」とか。ちょっとエッチな感じが。



─ はじめて手にした楽器はなんでしたか?
奇妙礼太郎:教材のリコーダーです。ヘタ過ぎてうんざりしました。

─ 現在の奇妙さんの音楽世界を形成するうえでルーツとなったアーティストがいれば教えてください。また、そのアーティストのどういう部分に惹かれたのでしょうか。
奇妙礼太郎:たとえばサム・クックとかもそうですけど、説明不要なところです。音出した瞬間からもう完璧に圧倒される。問答無用。そういうとこです。

─ 
奇妙礼太郎という名前を名乗り出したのはいつごろから?また、その名前の由来は……いつもインタビューで聞かれるでしょうから、こう質問したいと思います。「名前の由来を尋ねられるのはあんまりいい気分がしないんじゃないですか?」
奇妙礼太郎:この名前を名乗り出したのは10年ぐらい前からかな。いい気がしないというより、気の利いた答えがなくてわるいなと。あったら教えてほしい。

初めて本格的にスタートさせたバンドとなるとアニメーションズになるのでしょうか?

─ このバンドがめざしていたものとはどのようなものだったのでしょうか。
奇妙礼太郎:そうですね。大好きなリトル・リチャードを日本語でパンクロックでやりたかったんです。

─ 
奇妙礼太郎トラベルスイング楽団が結成されたのは2007年末だったそうですが、どのような経緯で結成されたのでしょうか。
奇妙礼太郎:なんとなくはじまって、いまもなんとなくやっています。

─ 
このバンドは10人以上のメンバーを抱える大所帯バンドですが、大所帯を維持するうえで大変な面はありますか?
奇妙礼太郎:大変なことはなにもなくて、維持するつもりもないので気楽です。一緒に遊ぶ時間作っておいでよと思うし、楽しく歩いてたら、楽しそうな足あとができている。

─ 
しゃかりきコロンブスの“君が誰かの彼女になりくさっても”をカバーすることになったきっかけを教えてください。

奇妙礼太郎:いい曲だなあと思って、(メンバーの)サンデーカミデさんに訊いたら「ぜんぜんOK~」と言うてくれたのです。最高にうれしいことです。

─ 東京においてはクボタタケシさんやDJ YOGURTさんのようなDJが奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の紹介役になったところがあります。そのことに関してはどうお考えですか?
奇妙礼太郎:最高のDJにプレイしてもらうのは、もちろん最高にうれしいことです。



─ 今回のアルバム『GOLDEN TIME』がソロ/トラベルスイング楽団という名義を変えた2枚組になった理由を教えてください。
奇妙礼太郎:これは(プロデューサーの)井出さんのアイデアで、おもしろいな~と思って乗っかりました。

─ 
レコーディングにあたって気を使ったところ、大事にしたポイントがあれば。
奇妙礼太郎:ん~、楽しんでたらあっという間に終わっちゃいました。



─ 奇妙さんが音楽を通して伝えたいこととは?
奇妙礼太郎:それはまさしく愛です。

***************


あえて語るが、CMで奇妙さんが歌う『ラジオ体操の歌』を、楽譜通りに正確に歌わないアレンジとか、元歌が台なしとかという理由で、否定的に嫌う方もおられることと思う。
それは個人の好みだから致し方ない。
けれど表現という側面からとらえれば、奇妙さんとその楽団の音楽は、これほどパワフルで人生そのものを味わい深く描いてくれる感動的な作品はないと思う。

バレエの芸術論の中でジャン=ギヨーム・バールも言っていたが、厳密に規律を守ろうとする一方で損なわれる表現ほど、芸術にとって本末転倒なものはないのだ。芸術はあくまでも人間が創造する作品であり、良くも悪くも人間の一部だ。
人間の魂が感じられない表現は、たとえそれがお手本や規律通りにとてもよく出来た優秀なものだったとしても、所詮何かの模造品(レプリカ)のようなものに過ぎない。

退屈でつまらない、駄作でしかないということになる。

人間の魂が生で感じられる作品は、鑑賞する人間の魂をまるで素手でつかんで、ぎゅうっと握りしめてくるような強さを感じさせる。つかみ取られた魂の一部は、そこがいつまでも焼けてくすぶるように、熱い。その熱さが、人間が生きる情熱で、新しく訪れる朝をまだかまだかと待ちわびさせてくれるのだ。

芸術を知る感性とはそういうものだと思う。


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奇妙礼太郎さんの動画もふたつご紹介。

☆奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 / わるいひと☆

☆奇妙礼太郎『SWEET MEMORIES』☆


ほかに以下のようなCMでもご活躍のようなので、ぜひ見かけたら、ご注目を。

2012 明治製菓ファルマ企業 TVCM
2012 学研教室 夏期講習 TVCM
2012 サントリー 秋楽 TVCM
2013 リクルート じゃらん TVCM
2013 カゴメ 野菜生活100 TVCM

☆じゃらんのにゃらん TV未公開「またたびへの巻」旅ねこ 師匠と弟子 猫CM ☆


『SWEET MEMORIES』の下手くそな口笛もおかしみがあってまた好し、崩れかけたような音程が飄々とした味を生み、そのくせどこか忌野清志郎を思い出させる、切なく涙も涸れ果てたようなしわがれた声が、旋律に悲しさを帯びさせるのだ。

一方でリクルートの旅猫との共演もまた、肩の力が抜けていて、洒脱なおとぼけ感があり、奇妙さんの声の揺れ具合が「じゃらん」という言葉にあっているような気がする。
パワーで押しても、にゃらんと引いても、いずれにしても温かみのある、血の通った人間の声だと思うのだ。

(ちなみに猫の声にも個性があって、日本の猫は大体鈴が鳴るようなきれいな声という風に世界的にはとらえられているそうだ。猫が日本文学で最初に登場したのは弘仁年間(八一〇から八二四年)に成立した我が国最古の仏教説話集『日本霊異記』ということだが、猫の鳴き声がオノマトペとして出てきたのは『源氏物語』だったかなと思う。

「明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひ給ふ。人気(ひとげ)遠かりし心も、いとよく馴れて、ともすれば、衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦(むつ)るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたく眺めて、端近く寄り臥し給へるに、来て、『ねう、ねう』と、いとらうたげに鳴けば、かき撫でて、『うたても、すすむかな』と、ほほ笑まる。」
(紫式部『源氏物語』若菜下)

実際にどんな鳴き声だったか知らないけれど、今も昔も日本の猫はさほど差はなく、「みゃあ」か「にゃおん」か、鈴のような澄んだ音まではいかないにせよ、甘えたような可愛い声だったろうと思う。
ところが、まさきつねのパートナーである三毛猫は仔猫の時からなぜかあまり声が出ず、口だけは開けるが、かろうじて「ぁああ」とかすれた鳴き音をもらす。本人(本猫?)はちゃんとほかの猫と同じように「にゃあ」と鳴いているつもりなのだろうが、どう聞いても蛙がひき潰されたような、壊れた楽器のような声だ。
CMの旅猫にゃらんは多分とてもきれいな声で鳴くのだろう。
きれいな甘い猫の鳴き声は、それはそれで猫好きには愛おしかろうけれど、まさきつねは手前味噌は承知で言うが、我が家の三毛猫のつぶれ蛙のような鳴き声がどうにも可愛くてたまらない。)


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さて、朝つながりで冒頭に掲げたロバート・ブラウニングの詩について、最後に語っておこう。

上田敏の訳で非常に有名な詩ではあるが、元々は彼の代表作である劇詩『ピッパが通る、ピッパ過ぎゆく』(Pippa Passes1841年) の中の一節『ピッパの歌』(Pippa's Song)を指すものだ。この翻訳はクォリティ出版から松浦美智子さん訳で出版されているが、話の外枠は、イタリア、ヴェネト州アーゾロの紡績工場で女工として働く純朴な少女ピッパが、元旦の日、年に一度のお休みを満喫しながら街の中を歌い歩くという他愛のないものである。

ピッパは休みが嬉しくて、一日中散歩を楽しんでいるだけだが、一方で彼女の歩く周りでは、彼女がひそかに「アーゾロの幸せな四人の人たち」と呼んでいる、さまざまなごたごたを抱えた街の住人が右往左往する。

ブラウニングの詩の翻訳者、富士川義之さんの脚注によると、「第1部の朝の場面の主題となる歌。可憐な少女ピパが年に一度の休暇である元日の朝に、丘の上の邸宅の前で歌う無心の歌。邸内では前夜、主人のルカが妻オティマとその愛人ゼーバルトによって殺害されていた。ピパの歌を聞いたゼーバルトは強い良心の呵責にせめられて自害し、オティマもまた男の冥福を祈りながら彼のあとを追う。最後の2行はピパの無心さを表わしており、従来しばしば指摘されてきたブラウニングの楽天主義的な人生観自体のストレートな表明ではないとする解釈が近年では有力。劇中歌としても読むべきである」という解説がある。

オティマとゼーバルト以外の人々も、ピッパの無邪気な歌声にこころを動かされ、それぞれの問題に対処するが、そんなことはつゆ知らずピッパは休日を楽しみ、「慎ましく隙間風の入る部屋」の我が家に帰宅すると、上田敏の「春の朝」に当たる部分を歌って、満足した一日の感謝を神に捧げる。

屈託のないピッパにとっては「こともなし」世の中だが、胡散臭い悶着の最中にある人間にとっては「ことばかり」の世間である。だからこそ、ピッパの歌の鄙びた素朴な歌詞は一種のアイロニーとして、世の喧騒を皮肉るように響き渡るのだ。

『赤毛のアン』の最後を締めくくる「神は天にいまし、すべて世は事もなし」というアンの言葉がこの詩から引用されているのは有名な話だが、アガサ・クリスティの「ABC殺人事件」、ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」、そしてエラリー・クイーン『チャイナ・オレンジの秘密』といった英語圏の推理小説ではお馴染みといってよいほど、事件の裏に顔を出す詩句でもある。

まさきつねは萩尾望都さんの『ポーの一族』の中の一話『小鳥の巣』の中で、ギムナジウムの学園祭に学生がこの詩を朗読するというシーンが印象的でよく覚えているが、もっと最近では、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の中で、特務機関ネルフのシンボルマークとして、原罪の意味を表す無花果の葉とともに「God is in the heaven. All right with the world」が使用されていたから、日本でもサブ・カルチャーに親しむ人たちには、結構キリスト教教義の象徴のように知られた文節かも知れない。

この世のすべては神のみこころのままに、そのお導きを信じようという前向きな姿勢と、平穏な日々を祝福する穏やかな思いが滲んでいながら、その裏でどうしようもなく人間たちは騒がしい明け暮れに追われ、傷ましくも罪を重ね、過ちを悔いて生きていかなくてはならぬのである。


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ところで、あまり何度も引き合いに出すのもとは思っているのだが、例のスルヤ・ボナリー選手、まさきつねは決して彼女の表彰台拒否やバック・フリップなど、一般良識のマナーやルールに反して、いくつかの問題を引き起こした態度や演技を肯定している訳ではない。

だが、彼女を最終的にあのような孤立無援の状況に追いつめた背景を、いくらかでも理解することはできる。
ボナリー選手がただいきなり独りよがりに、子供じみた我欲だけで周囲を巻き込む身勝手な行動に出たわけではないと、ある程度はそうなるまでの彼女の立場や状況、感情といったものを憫察することはできるのだ。

勿論まさきつねが勝手に思うことだけで、どこまでがボナリー選手の真情に近いのかどうかは分からないが、それでもこの世にすべてが悪のものもなく、逆に善ばかりのものもないとするなら、やはり人はそれぞれのどうしようもない過去も、犯してしまった間違いも、その悔いや反省とともに受け入れるべきなのだと思う。

長野五輪のフリー演技で彼女は、1994年世界選手権で佐藤有香選手に敗れたときと同じ、ヴィヴァルディの『四季』を選曲し、そして往年の彼女の滑りにはとても追いつかない、連続するミスの果てに、バック・フリップの披露で競技人生の幕を下ろした。

ボナリー選手のパワーとアクロバティックなジャンプ技術で押し切るエネルギッシュな演技には、正調のクラシック音楽はかえってマイナスだったのではと思うのだが、表現力や芸術性で点が稼げない分、古典的な曲調で優雅な流麗さを補完しようという狙いがあったのだろうか。いずれにしてもそれは裏目の結果にしかならず、『四季』は二度にわたって、彼女に辛い憂き目をもたらした。

皮肉にも長野五輪の演技解説を担当していたのがすでにプロに転向していた佐藤選手で、演技終盤にボナリー選手が禁じ手のバックフリップをした直後、「うーん、これは…」と当惑するNHKアナウンサーに続けて「今のは…、競技会ではやってはいけない…」と彼女が苦笑交じりに答えていたのが印象的だった。

キス&クライで採点を待つ間、アナウンサーがしきりに、競技会の規定の中で闘ってほしかったと佐藤選手のコメントを求めるかのような私見を述べて発言を促していたが、ついに佐藤選手は沈黙を破ることなく、ボナリー選手の八位という順位が出てもそれ以上、何も語らなかった。

当時、佐藤選手の脳裏に、あのヴィヴァルディの『四季』の旋律とともに、どれほど四年前の世界選手権での光景が蘇っていたのかどうか知るすべはないが、バックフリップが競技会の禁止技だということを述べたきり、ボナリー選手については最後まで非難するような言葉を一切口にしなかった彼女に、まさきつねはその人格者としての懐の深さ、同じ競技を同じリンクで闘ってきた選手同士のつながりの強さ、寛容の美しさを見る。

一方、長野五輪で演技後のボナリー選手は、キス&クライでも終始笑顔で、その晴れやかさは積年の鬱屈に報復したというよりも、あらゆる規制から解かれて自分の持てる力すべてを出し尽くした表現者の歓びにあふれていたと感じられたのだが、無論この両者に対する感想はともにまさきつねの勝手な想像にすぎない。

だからそもそも、まさきつねの文章が笑止と思われる方々もおられると知りつつ、あえて述べるのだけれども。

いつも、どんな時代でも、ひとは誰しも多かれ少なかれ胸に鬱積した悩み、苦しみ、不満を抱え、それからいつか逃れたい、自由になりたいと悪戦苦闘して一日が過ぎる。

それでも深い闇の夜が明けて、また次の新しい朝がやってくるなら、縮こまっていた体をもう一度いっぱいに広げて、手足を伸ばして、次の挑戦に立ち向かうことも出来るだろう。

艱難辛苦、すべてが神の御業と思えるほどまさきつねは信心深くはないが、春の花咲くなだらかな丘に雲雀が高く舞い上がり、美しい声で歌い、かたつむりが朝露に濡れた葉の上に白い筋を刻む、そんな清々しい朝がやってくるのなら、久しぶりに早起きでもして、子どもの時分は大嫌いだったラジオ体操でもやってみるかと、あまりに奇特で雹でも降りそうな考えも浮かんでくるのである。


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…しかして、まさきつねのラジオ体操などとてもお見せできる画像ではないので、例によって、浅田選手の公式練習画像とラジオ体操MAD映像で記事を締めくくる。

動画はとても可愛いので、ご一緒にラジオ体操をどうぞ。

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☆Radio calisthenics(Mao Asada)☆


新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三

新しい空のもと 輝く緑
さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ
ラジオとともに 健やかな手足
この広い土に伸ばせよ
それ 一 二 三
(藤浦洸『ラジオ体操の歌』)

☆ラジオ体操の歌 藤山一郎 ☆
…ちなみに正調の歌も好いものですよ。

☆GANTZ あーた~らし~いあ~さがきた☆
(…これは不気味なんだけれどニャ。)


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美しき魂のワルツ

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浅田選手の新EX『ショパンのワルツ第七番』が動画公開されていた。

ジャズアレンジのショパンということだったが、フルの編曲というよりも、間にジャズ調の部分を差し込んだという印象で、まさきつねはサンソン・フランソワのエスプリの効いた演奏を思い出した。

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☆Mao Asada / 浅田真央 ~THE ICE 2011完全版☆


よく知られていることだが、ショパンは19歳の時ウィーンへ演奏旅行に出かけた際、その当時、音楽の都で流行していたヨハン・シュトラウスによる優雅な舞踏のためのウィンナ・ワルツに懐疑的な思いを抱き、後年「何故自分の独創的な音楽や演奏が受け入れられず、陳腐で似たような舞曲ばかりがもてはやされるのか、ウィーン聴衆の趣味が理解出来ない」といった内容の手記を残している。つまりショパンは自分の音楽哲学に確信があり、実用的な舞踏音楽としてのワルツを嫌って、ワルツのリズム形式を借りつつも個性的で精神的な表現を目指し、結果として哀愁に充ちた一篇の抒情詩のような芸術性の高い作品に昇華させていったのだろう。

1831年のワルツ第一番『華麗なる大円舞曲』では、明快で親しみやすいサロン風のポピュラー性が強く感じられ、優美さと技巧のユニークさで人気があるが、内面的な深さはあまり伝わってこない。時とともにショパン自身の心情が詩情あふれる旋律に反映するようになり、構成や演奏技巧の卓抜した工夫が楽曲の内容に溶け合って、彼の意図する優雅だが深く情緒的なワルツに結実していったようだ。

ジョルジュ・サンドとの破局も間近な1846年-1847年に書かれたワルツ第七番は、ワルツというよりもポーランドの民族舞踊形式であるマズルカのリズムが色濃く、彼の国民性と晩年の陰鬱な心境が滲み出た作風が指摘されている。嬰ハ短調は中間部で変ニ長調に転調するが、美しさの中に被さる悲哀と諦念の情が「死」の影を呼び覚まし、その複雑で繊細な情緒的表現が魅力となっている。

タチアナコーチはジャズアレンジの音源をクラシック演奏の間に差し込むというユニークな編曲をされているが、古典的な演奏でも繰り返しのピウ・モッソが鍵盤を転がるように遊ぶ辺りが印象的なこの楽曲は確かに、ジャズのシンコペーションやスウィングの即興的で軽快なリズムにも重ねあわせ易いのだろう。
タチアナコーチが使用された音源は明らかでないのだが、このワルツのジャズ演奏の事例は数多くあり、まさきつねが以前、浅田選手の昨季のEX『バラードの一番』を記したエントリーでご紹介したジョン・マルティーノの『ショパン・ジャズ』の中にも『ラバーズ・テンプテイション~ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2』という題名で入っている。

浅田選手の演技は、メランコリックな序盤から甘く優雅なツイズルのターンの繰り返しで始まるが、スピードに乗っていかにも伸びやかで瑞々しい。可憐な花が次々に咲きほころんでゆくような、新鮮な躍動感にあふれている。
スパイラルやイーグルの要素で楽曲の物憂い哀愁を味あわせつつも、ジャジーに弾ける部分に切り替わるとキュートな少女のこの上ない溌剌とした動きで、吹っ切れたようにイノセントな軽快さを持った天衣無縫の明るさを表現してみせる。

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『ジュピター』は天上に奉げる祈りのような舞踏だったが、このワルツもまた、天真爛漫でナイーブな魂が辛苦を乗り越えて必死に前を向こうとしていることを顕現した、生への謳歌としての舞曲なのだ。

数年前、NHKの『ピアノで名曲を~バッハからプロコフィエフまで~』という教育番組で講師をされていたモスクワ音楽院の教授のヴェーラ・ゴルノスターエヴァさんがこの曲について次のような解説を残している。

「このワルツの持つ繊細で詩情溢れる清純さは、秘められた心の内側の世界だ。それを極めて簡素に伝えられている。その音に込められた親密な告白によって、現代の私たちの心をも虜にする。このワルツはどんなに軽い手が書いたのだろうと思われるほど軽やかだが、それでいて意味は非常に深い。絶えず湧き起こっているひとつのイメージ~他よりも速い“ 踊る” ワルツのイメージ~は、現実のものではない。これは思い出なのだ。」

ふさぎ込んでしまいそうな過酷な現実と、束の間顔を見せる甘く美しい思い出の数々、東日本大震災の被災者でなくとも誰もがそれぞれの裡に抱え込んでいるであろう記憶と、目の前に立ちふさがる日々の苦悩、それを言葉以上に結晶化された世界として創り出したのがショパンのワルツなのである。甘い追憶の歓びに同衾するほろ苦さ、切なさがこの作品の醍醐味だ。

涙とともにある人生だからこそ何よりも美しいことをタチアナコーチは知っている。それを愛という名で呼ぶことも。

新しく始まるシーズン、選手のさまざまな思い、心情を飲み込んで、シーズンの最後まで薫り高く発酵してゆくEXの育ってゆくさまを見届けたいものである。

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最後にもうひとつ、ヴェーラ・ゴルノスターエヴァさんの著作集からの言葉である。

「グランドピアノの造形は美しい。それは見るだけでも喜びを与えてくれる。私が一度ならず感じたのは、シルエットから言って、ピアノとハープは親戚であるということだ。ハープのラインがピアノの蓋にひき移されたのではないだろうか。このラインにはメロディがあり、音楽の響きが宿っている。ここには、その昔ピタゴラスが謎を解こうとした神秘的な数学、数の音楽が潜んでいるかのようだ。」

かたちのない音楽と、音のない造形は常に響きあって神秘的な芸術を創る。楽器の造形も然りだが、身体芸術もまた絶えずかたちを変える血の通った造形である。この世にあるうるわしきものの魂に触れた瞬間、その美しさに耐えかねて音あるものは音をだし、かたちあるものはその姿を追い求める。

芸術とは、この世の美しさに耐えかねたものの魂の叫びなのである。

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この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう
(八木重吉『素朴な琴』)


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ざわわと風が吹く美ら国

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ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
むかし 海の向こうから いくさが やってきた
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
そして 私の生れた日に いくさの 終わりがきた
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
風の音に とぎれて消える 母の 子守の歌
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
知らないはずの 父の手に だかれた夢を 見た
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
父の声を 探しながら たどる 畑の道
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
お父さんて 呼んでみたい お父さん どこにいるの
このまま 緑の波に おぼれてしまいそう
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ けれど さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみが
ざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる
風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 風に 涙はかわいても
ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない

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立秋を過ぎて、夏の暑さが緩み大分涼しくなってきた。

この八月は幾度か終戦にまつわる記事をエントリーしたが、夏の終わりにもうひとつ、沖縄に関連する話をしよう。
沖縄戦の惨たらしさはもう皆さま重々ご存知と思うので殊更語るつもりはないのだが、太平洋戦争の最終段階で地上戦の舞台として、最も甚大な被害を受け、そればかりか米軍占領が終わり領土返還問題が終結した戦後となっても、米軍専用施設の配置など大きな犠牲を強いられたのが、この日本最西端に位置する亜熱帯気候の島である。

まさきつねはこの地のあまりに美しく深閑とした自然を見るたびに、本来ならどこよりも安穏と、この世のユートピアのごとき平和を貪って然るべき場所がたどらねばならなかった苛酷な宿命を思う。
美と幸福を悪魔は妬むというが、この島の平和を奪い去ったのは悪魔よりも恐ろしい人間の欲望と宿業だったのだろう。

さて、冒頭に挙げた沖縄の反戦歌としてあまりにも有名な、「ざわわ」という繰り返す言葉のゆったりした響きに反戦歌であることに気づかないでしまうような『さとうきび畑』という歌について。
元来は10分近くも続く長い歌詞の歌で、全編を唄った森山良子のものがよく知られているが、まさきつねは(まさきつねと同年配の人間は大概そうだと思うが)、NHKの『みんなのうた』で紹介されたちあきなおみの声が一番しっくり来る。

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☆サトウキビ畑の歌(stereo for headphone)☆


強く太い声だが周りの空気にとけてゆくような透明感があり、特に芝居がかった抑揚をつけている訳ではないのに、伸びながら響く部分と消え入るようにふるえる部分が不思議なビブラートで音に表情を付ける。乾いた悲しみが、さとうきび畑を吹き抜ける風のように近づいては遠ざかり、歌が終わってしまった後には、戦争の虚しさを告げるメッセージだけが結晶化した嘆きのようにころんと地べたに転がっているのだ。

ちあきなおみという伝説化してしまった歌手については、その全盛期を知らない世代でも、近年のCMやネット動画などで新たなファンを増やしているし、ウィキの解説もあることなので詳しい説明は端折るが、昭和の歌謡曲を代表する歌手のひとりというのが一般的な認識だろう。
戦後生まれだが、米軍キャンプやジャズ喫茶、キャバレーで歌い、演歌歌手の修行をして、人気歌手の前座をしながら下積みを重ねたその経歴はいかにも昭和の苦労人といった様相で、平成に入ってまもなくの1992年には芸能活動を停止しているあたりも、その認識を深める一因となっているかも知れない。

とりあえず、最近のカラオケ慣れしてデビューする歌手の歌い方からは想像もつかないだろう、昭和の歌姫の声とパフォーマンスをどうぞ。

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☆朝日楼(朝日のあたる家) ちあきなおみ UPC‐0003☆

☆星影の小径 ちあき なおみ☆


興味深いのは、彼女のオリジナル曲の中で売り上げ上は唯一の大ヒットといえるのだろう『喝采』でレコード大賞を受賞した70年代前半よりも、70年代後半頃から80年代にかけて、船村徹の演歌を歌う傍ら、中島みゆきや飛鳥涼らに楽曲提供されたニューミュージックや、シャンソン、ジャズ、そしてポルトガル民謡のファドなどジャンルにこだわらない音源録音やアルバム制作を手がけた時代の方が、よりその鮮烈な個性に磨きがかかり、歌手としてのテレビ露出は減ったもののレコーディング活動自体は精力的に行われていたという事実だろう。

この頃、テレビの歌番組ではアイドル歌手ばかりがやたらと目に付き始め、もう一方ではレコード会社が推す演歌歌手の知名度だけが上がって、フォークにしろロックにしろ歌唱力のある歌い手たちの多くはテレビに背を向けて、コンサートなどのライブ活動やスタジオ録音に尽力するという風潮があったが、ちあきなおみもまた、そうした芸能界の流れの中で、積極的に自己の歌をアピールするというよりも好きな歌を好きな時にだけ歌うという、歌手としての名声よりも自分の世界の追求に傾斜してしまっている。

よく引き合いに出されるのが『矢切の渡し』にまつわるエピソードだが、元々ちあきなおみが歌ったオリジナル曲を1988年に細川たかしがカヴァーして二度目のレコード大賞に輝いたのだけれど、こうした大ヒット曲が生まれる機運に対し、焦るのは常にレコード会社の側で、彼女自身は全くそれに頓着しない。
有線放送のチャートではいつもちあきなおみの歌の方が順位が上だったというくらい、その内容の深さや出来の差は歴然としているのだが、彼女自身は一度完成させた作品を再度歌って改めて売り出すというようなレコード会社の敷いたヒット路線に乗ることよりも、その当時すでに彼女が試み始めていたジャズやシャンソンの新しい世界のアルバムを作るという別な喜びに力を注いでおり、芸能界的な栄光や名誉や評判になど何の関心も持たなかったのだろう。

先に挙げた『さとうきび畑』にしても、ちあきなおみのバージョンは『みんなのうた』の収録時間に合わせて前半と最終部だけのごく短いものだけだが、全編を歌い切った歌手の作品以上に迫力があり、それはむしろ、省略されて歌われなかった歌詞の部分の悲しみを声にならなかったがゆえに内包している。

ちあきなおみ礼賛ついでに語っておくが、フィギュア競技で何かと子供っぽいだの大人っぽいだのとメディアが主導して観衆に刷り込もうとしていた演技表現の感想に即して言えば、ちあきなおみの圧倒的な表現力を前にすればそんな単純な所見ごときで評価の基準とすることがいかに偏向的でくだらなく、馬鹿馬鹿しいか一目瞭然だろう。

☆ちあきなおみ 夜へ急ぐ人 良い曲です☆


ちあきなおみのいわゆる「大人っぽさ」は、外観的な色気や官能的な仕草から来るのではない。あらゆる人生や運命に対峙して、不運や不幸に苦悩し、道を選択し、状況を諦観しつつもなお生きることを諦めきれない人間の深い精神世界を、歌という力で表出することの出来るディーバの熟成した才能がもたらしたものなのだ。

キム選手がどんなに体をくねらせようが、性的なポーズでパフォーマンスをしようが、ちあきなおみが演じた以上の、爛熟して退廃的な、もはやどん詰まりの悲哀に行き着いた世界を顕現し得る訳はない。
無論、フィギュア競技にそんな世界にまで掘り下げる必要性があるかどうかという点からすれば、それはまた方向性が違うだろうとしか思えないので特別優劣をつけようとは思わないが、いずれにしても「大人っぽい」という鷲掴みな賞賛同様、「子どもっぽい」という過小評価の切り口がいかに大雑把で根拠のないものか理解出来ると思う。

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さて、またもや話が広がってしまったが、記事冒頭の沖縄に戻ろう。

沖縄という碧い美ら海の美ら国に、今も残り続ける昭和の記憶、処理され切らぬ戦後の長い歴史がずっとこの島の人々に重たい足枷のような犠牲を強いてきた。『さとうきび畑』の「ざわわ」は誰を咎めることも、何かに戦争責任を追及することもなく、ただ人が人を殺し、美しい自然を壊し、人間の尊厳と誇りを踏みにじるものの年月を悲しく見つめながら、その上を行き過ぎる。

平成に入ってもこの国はいまだ迷走を続け、それどころか自国の文化や尊厳を自ら放棄してしまうような暴挙を、政治家もマスコミも己が理念も存在意義も忘れてやみくもに続けているけれども、そんな愚かな人間たちが欲まみれの意図や作為でどんな虚構を捏造しようが、どんな事実を粉飾しようが、人びとは結局、真に大切なものは何か、本当に伝え続けてゆくべきものは何か分かっているのだと思う。

民衆を愚民と言い捨てて、組織的な力を使ってでっちあげたブームや欺瞞の社会現象で思いのままに操れるなどと思っている連中には、端から理解出来ない話なのかも知れないが、レコード大賞や金メダルなどの冠がたとえなくても、多くのひとがちあきなおみの声に惹かれ、浅田選手の演技に酔う。
本当に価値あるものは、さとうきび畑をざわわと鳴らして風が通り過ぎるように、何もかもが行き過ぎて消え去ってしまった後、きらりと光って零れ落ちる涙のようにひとの胸の奥底に輝くものなのだろう。


ところで今回は最後に、昨年の五月のものですでにご覧になっている方も多いと思うが、浅田姉妹が沖縄を訪れた際の写真をまとめてご紹介しよう。

今年は何だか秋が早いのか、それともまた暑さが舞い戻ってくるのか分からないが妙な天候が続いているけれども、残暑のお見舞いには好適な画像ではないだろうか。
浅田選手も今季は昨年のようなのんびりしたオフシーズンという訳にはいかなかったと思うので、きっとご自分でも練習の合間に昨年の写真を眺めつつ、避暑をされていることだろう。

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ぼくの生まれは琉球なのだ
そこには亜熱帯や熱帯の
いろんな植物が住んでいるのだ

がじまるの木もそのひとつで
年をとるほどながながと
ひげを垂れている木なのだ

暴風なんぞにはつよい木なのだが
気だての優しさはまた格別で
木のぼりあそびにくる子供らの
するがままに身をまかせたりしていて
孫の守りでもしているような
隠居みたいな風情の木だ
(山之口獏『がじまるの木』)


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ひとりひとり持てるPOWERを

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夢を見ていた 夢の中はいつも
明るく清らかなものばかり
その後 眠りは破られた
けれど 私の夢は傍らに残る

輝く谷の姿 それは
純粋な空気が存在する場所
私の感性は新たに研ぎ澄まされ
そして 私は目覚めて泣いた

人は力を持っている
愚か者の行為をあがない
弱い者に限りない慈悲をそそぐ
その力こそが 人の生き方を定める
人は力を持っている…

妄執のこころが 疑惑を生み
聞き耳をたてようと 身を折り曲げる
兵士達は前進を止めた
それは 人々が自分の耳を持っているから
星空のもとに 横たわり
互いの夢を語り合う
疲れた腕を横たえて

埃の中で浪費し
輝く谷に
純粋な大気を思い起こす
私の感性は新たに研ぎ澄まされ
そして 私は目覚めて泣いた
人は力を持っている…

砂漠のあった場所に
私は泉を目にした
クリームのように 水が舞い上がり
私たちは連れたって散歩した
笑うことも 悪意も無く
そして 豹と
そして 羊が
共に横たわる
私は望んでいた 私の望みは
以前見つけたものを 思い出すこと
私は望んでいた それは
神の知る清らかな光景
私は眠りに身を任せる
あなたの夢をゆだねよう

人は力を持っている…
夢を見る力 統治する力
愚か者たちから地球を闘いとる力
その力こそが 人の生き方を定める
その力こそが 人の生き方を定める

聞いて
私は信じている
夢見ている総てのことは
団結を通して実現できるし
私たちは世界を変え
地球の革命を方向づけることもできると
私たちにはその力がある
人々には力がある
(パティ・スミス『人々には力がある』)

☆Patti Smith - People Have The Power☆

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「The Ice」の画像がようつべに上がっている。

☆THE ICE CTV☆


本当に皆楽しそうで、嬉しそうだ。

被災した人々のために何ができるか、どんなちっぽけなことでも、誰かの元気の源になるならと、フィギュアスケーターの誰もが懸命に考えて、ひとりひとりが自分の精一杯を尽くしている。
悲しみは拭われるわけではなく、辛苦が終わりを告げるわけではない。だがそれでも、暑い盛りのひと時の慰めに、誰もが清涼感を覚え、こころを癒されたことだろう。

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ところで、今回のオープニングに使用されていたジョン・レノンの『Power to the people』、先日ご紹介した浅田選手の『I vow to thee my country 』にしても、このレノンの歌にしても、よく耳にする楽曲なので特に違和感はないのだけれど、歌詞の内容をじっくり読み込んでみるとどちらもかなり刺激的な内容ではある。
無論、浅田選手にしても小塚選手にしても、そのほかの「The Ice」の関係者にしても、さほど深く考えて選曲したわけではないのだろうが、どちらも元々は実に政治的意味合いの濃い楽曲ではあるのだ。

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特に『Power to the people』に関して言うなら、1971年にレノンが発表した当時はまさに労働者革命とフェミニズムがテーマで、武力を使った行動に関しては微妙なところだろうが、民衆に蜂起を促す煽動的な歌詞と叫ぶような旋律が印象的な、まさに社会的メッセージ性の強い革命ソングだったのだ。
実際に、ベトナム戦争への反戦歌ともなり、「平和を我らに」という合言葉とともに反戦や女性解放運動を含む平和活動家たちのスローガンとして用いられたという歴史がある。

だが、そんな曲が作られた当時の時代背景はさておき、今回の東日本大震災の直後には、『Power to the people』の歌詞と曲が日本のロック・ミュージシャンを中心に、復興支援のチャリティーなどに絡ませて一種のプロパガンダのように使用されたようだ。
勿論チャリティーの活動そのものは有益なものだし、歌詞を口ずさんだミュージシャンたちやラジオなどのメディアで曲を流した音楽関係者たちも、おそらくは曲調の力強さや耳に残るメロディーの繰り返しが、そのまま民衆への応援ソングとして相応しいという判断をしたのだろうし、それは純粋に被災者や復興支援者たちの折れないこころを励まそうとしている行為なのだから、この歌が現代の日本でリバースされることに何もケチをつけようという訳ではない。
とはいえ、ジョン・レノンのこの直情的な歌詞の意味を考えると、やはりまさきつねには若干異質な気がしたのである。

まさきつねが「power」という言葉を聞いたとき、最初に思い起こしたのはパティ・スミスが1988年に発表した『People have the power』というアルバム『Dream of Life』に収められた曲だった。

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ブルース・スプリングスティーンやU2もライヴでカバーしたこの曲は、レノンの『Power to the people』ほどの分かり易さやがつんとした衝撃性はないけれども、機関銃のように鳴り響くドラムとアコースティック・ギターの鮮烈な音にキー・ボードの恍惚とした響きが重なり、哲学的な象徴性の強い世界観とパワフルなメッセージを歌うパティのシンプルで骨太の声が全身に沁みてゆくのだ。
幻想的な歌詞の底、パティの重層的な声の奥底から何か不思議な霊的な響きが湧き上がってきて、それが萎えたこころを奮い起こし、音楽に包まれた身体をどこかまだ見ぬ世界へ奪い去ってくれる、そんな疾走感がある。

アルバム『Dream of Life』をリリースした当時、パティはマザー・テレサに心酔していて、この曲は、民衆に奉仕する人ではなく「貧しい人たちを単に救済するだけでなく、互いの尊厳を認め、救済される人々自体が持っている力を引き出していった人」というパティのマザー・テレサ観をそのまま歌詞にしたものらしい。

パティが「DEMOCRASY NOW」というニューヨークにある非営利の独立放送局のインタビューで語った、この曲が出来た時の経緯がまた面白い。
まずは1986年に彼女と彼女の夫が民衆のためにこの歌の歌詞を書きあげた頃、歴史学者のハワード・ジンからステージで披露するように求められたが、演奏する準備が整えられなかったので代わりに朗読をして皆に聴かせたという話。
その朗読を再現した後、実際にこの曲が作られたきっかけが、パティが台所で子どもの世話に手を焼きつつ、じゃがいもの皮剥きに四苦八苦していたら彼女の夫がやってきて「(じゃがいもを剥く)力は民衆にあり」とつぶやき、その言葉を書き留めたことに始まるというエピソードを語っている。
☆Punk Rock Legend Patti Smith on Her Life, Her Art, Her Singing and Speaking Out☆

有名な逸話だが、マザー・テレサはノーベル平和賞を受賞したときに報道陣から「一般人が、世界平和のためにできることはなんでしょうか?」と尋ねられ、「あなたの家に帰って家族を愛してください。それが、あなたが世界平和のためにできることです。」と答えている。

パティにとって歌は、声高に他者に向かって世界の変革を煽動したり、世界平和の大義名分を訴えたりするような、どこか胡散臭い政治的活動家のためのプロパガンダに利用されるものであってはならず、あくまでも結婚、出産、子育てといった彼女自身も経験したようなごく普通の人びとの日常的な幸せの中で、強い意志と覚悟をもってこの家族を守るという静かなる主婦の愛と闘志が滲んだものだったのだろう。

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念のため繰り返しておくが、レノンの『Power to the people』もまた、単純だが力強いメッセージの名曲であることに違いはない。まさきつねはただ、民衆にはもともと内なる秘めた力があり、萎えた民衆に力を送ることが出来るのもまた、民衆に他ならないことを言いたかったのだ。

そう、民衆には元々自ら立ち上がる力があり、意志があり、それがただ時として、不穏な事態や不測の出来事などによって折れてしまいそうなとき、権力の無謀な暴挙によって踏みつぶされそうなとき、レノンやパティの歌のようにこころの奥底から相手を揺さぶる力を持つものの助けによって、あるいはフィギュアスケーターたちの清新で華麗な演技のように感動を湧き起こらせるものの慰めによって、萎えかけた思いをもう一度奮い立たせて、闘うこころを蘇らせることが出来るのだと思う。

世界は人間ひとりの力ではそう簡単に変わらない。だが変えようという意志のある人間がいなければ、何もかもはじまらない。レノンは変わってゆく、違う世界を夢見ようと言った。パティもまた、ひとりひとりが立ち上がることで子どもたちに未来を残そうと歌った。

どちらもただの綺麗ごとのような、空想の世界をなぞっているだけのような無意味な言葉の羅列だと、考えているひともいるだろう。だがパティはライヴの終わりに世界に向かって叫ぶ。
「We are Alive. We are Free.」
人はそれぞれの人生を生きていて、人は誰でも自由なのだ。

たとえ今、苛酷な現実に押しつぶされそうになっていても、自分に愛する人がいて、自分に愛する自由がある限り、価値のある未来を選びたい。
浅田選手や小塚選手や、大勢のフィギュアスケーターたちの祈りのような演技を観ながら、人びとから未来を選びとる力を失わせないで欲しいとこころから願った。

     ※

最後に「The Ice」の画像をまとめて掲載。
いずれまた、気になった演技については少しずつ解説出来たらと思う。

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I was dreaming in my dreaming
of an aspect bright and fair
and my sleeping it was broken
but my dream it lingered near
in the form of shining valleys
where the pure air recognized
and my senses newly opened
I awakened to the cry
that the people / have the power
to redeem / the work of fools
upon the meek / the graces shower
it's decreed / the people rule

The people have the power
The people have the power
The people have the power
The people have the power

Vengeful aspects became suspect
and bending low as if to hear
and the armies ceased advancing
because the people had their ear
and the shepherds and the soldiers
lay beneath the stars
exchanging visions
and laying arms
to waste / in the dust
in the form of / shining valleys
where the pure air / recognized
and my senses / newly opened
I awakened / to the cry

Refrain

Where there were deserts
I saw fountains
like cream the waters rise
and we strolled there together
with none to laugh or criticize
and the leopard
and the lamb
lay together truly bound
I was hoping in my hoping
to recall what I had found
I was dreaming in my dreaming
god knows / a purer view
as I surrender to my sleeping
I commit my dream to you

Refrain

The power to dream / to rule
to wrestle the world from fools
it's decreed the people rule
it's decreed the people rule
LISTEN
I believe everything we dream
can come to pass through our union
we can turn the world around
we can turn the earth's revolution
we have the power
People have the power ...
(Patti Smith『People Have the Power」)
      

そもそもパンクロックという考え方はそんなに狭い意味じゃないの。
鼻に安全ピンを刺すことだけがパンクじゃない。パンクは心構えのことなの。
エキサイトし、本質を見抜き、新たなものを発見し、誰も見たことのない視点で物事を見つめたいという心構え。だからある意味私は昔から変わってないの。今も同じ人間よ。
若い頃も同じことをしてた。写真を撮ったり、絵を描いたり、詩を書いたり。全部同じよ。だから私にとって、パンクロックとはひとつのスタイルとか音楽とかに限ったことじゃない。考え方なの。自由なものよ。だから私は今まで通り自由だって言えるのよ。
(パティ・スミス&スティーヴン・セブリング監督来日イベントインタビューより)

めいぷ~1
ロバート・メイプルソープ撮影のパティ


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