月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

秋野を走る思念 其の弐


何はともあれ、こうしてカナダ杯がまざまざと再確認させてくれた、バンクーバー採点の今季継続と、ウィルソンやローリー・ニコルらカナダ人のコレオグラファーとジャッジの癒着に関しては、もはや昨今のフィギュア界とはそうしたものと半ば諦観せざるを得ないのが実情なのだろう。

ところで、本題の小塚選手に話を差し戻したいのだが、バンクーバー採点のPCSやGOEによる評価はさておいて、彼のフリープログラム、リストの『ピアノ協奏曲第一番』の演技や盛り込まれたスケーティング技術を今こそ振り返っておきたい。

☆takahiko kozuka 2010 FS☆


とりあえず、ジャパンオープンの構成とリザルトから。

1 4T 10.30 (-3.00) 7.30
2 1A 1.10 (-0.06) 1.04
3 3Lz+2T  7.40 (0.40) 7.80
4 CCoSp3  3.00 (0.50) 3.50
5 SeSt3  3.30 (0.79) 4.09
6 3A+2T+2Lo 11.70 (-1.00) 10.70
7 3F e  5.83 X (-0.50) 5.33
8 3Lz+3T  11.11 X (0.80)11.91
9 3Lo    5.61 X (0.80) 6.41
10 3S    4.62 X (0.50) 5.12
11 FSSp4  3.00 (0.57) 3.57
12 ChSt1   2.00 (1.43) 3.43
13 FCCoSp3 3.00 (0.79) 3.79
技術点73.99


振り付けは三年前にも組んだというマリナ・ズエワによるもの。

小塚選手のインタビューによると、「僕自身、このフリーに関しては本当に気に入っていて、作っていただいたマリナ・ズエワ先生も、『このプログラムはタカにとってすごくいいプログラムで、この曲、このリストのピアノ(協奏曲)第1番=タカ になり得るプログラムだと思うからがんばりなさい』と言われたぐらい」とのことだが、確かにこの正統派のクラシック曲と小塚選手の端正な演技との相性は良く、洗練された気品を来年のリストイヤーに体現するものになるだろう。

彼自身が「三年たって、自分の中でも引き出しが増えてき」たというように、さらに磨きがかかってきたのは音を拾って繊細な演技に変換していく巧みさ、伸びやかな滑りに変幻自在な動きを加えていく無理のないナチュラルさである。

冒頭のジャンプに入る前の振り付けと中盤のサーペンタインステップがまずは見どころと思うが、音のひとつひとつに反応して、煌めくようなリストのピアノを鋭いエッジワークに変幻させる、とても秀麗なプログラムなのだ。

この小塚選手の演技について、「爽やかな紫翠の風が吹き抜けたような」と評した友人がいるが、技巧を技巧として見せず、上がっていくスピードに滑りのダイナミズムを体感させ、ノーブルな動きに支配した空間との融合を閃かせる、まさに卓抜したスケート技術だと思う。
膝の柔らかさ、大きく動かす体の安定感などは、「別格」と謳われたチャン選手にも勝ると感じる。

小塚選手の演技表現は、地味で印象が薄いという意見も洩れ聞くが、チャン選手の余裕を感じさせるフットワークに対するとやや強引な感のある上半身のリアクションに、若干誇張地味の印象を持つ人たちにとっては、小塚選手のスケートに滲む流れるようなさりげなさ、凛とした奥ゆかしさがたまらなく魅力的に映るだろう。

音楽の奥行きがアリーナの奥行きになり、音楽と一体になったスケーティングが観衆の視点と一体になって、いつしか小塚選手の思念も観衆の想像力も、氷上にトレースを刻みつけてゆくひとすじの風のように清冽な演技に凝縮され、あられもなく暴虐なフィギュア界のジャッジングを一掃する静かな力になればいい。

理知的な小塚選手の思念が、ポジティブに世界を変えてゆく透明感に充ちたパフォーマンスに変容し、「何でもいいんです優勝すれば、ねっ!」という至純な言葉を生み出すような、アスリートたちのひたむきで欺瞞のない挑戦へ向かう力を喚起すればいい。

きみは清雅なる光に充ちた宇宙の、見えざるがゆえに果てしなき可能性を持つ存在。

秋の野のえのころや蚊帳吊り草が揺れる向こうに、白く光る昼の月を眺めながら、そんなことを考えてみた。



☆おまけ☆FOI 2010 Takahiko Kozuka & Yamato-nadeshiko
やまとなでしこから愛のキスを

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まさきつねさまこんにちは。
ジャパンオープンより進化した小塚選手の演技、楽しみですね。
本当に、今期に入って小塚選手の演技が少し変わったように思います。うまく表現できませんが、柔らかさが出たというか。
中国杯は地上波放送があるようなので、録画しておいて楽しみます。
録画のほうが余分な見たくないところ、見なくて済みますし。
☆おまけ☆楽しかったです。話には聞いていたのですが、小塚選手は、災難でしたね。
2010/11/4(木) 午前 10:37 [ meiling ]

お邪魔致します。
小塚選手は、フィギュア界の一服の清涼剤 !まさきつねさまの前回の記事の小塚選手のイーグルの写真の美しい事!浅田選手と同じように、彼もどのスケーティングの部分をきりとっても 美しいとため息をついております。氷の上に立っただけで美しい選手って何人いるでしょうか?数少ない一人と思っております。そこがチャン選手との決定的な違いでしょうか。チャン選手の上半身の動きは美しいとは言えないですね。
2010/11/4(木) 午後 0:46 [ mairie ]

続きです-
チャン選手は肘の動きが固く、脇の下に空間が感じられず、肩から手の先まで柔らかさがありません。小塚選手は、スケーティングがすばらしいのに加えて上半身の動きもスムーズに美しくなりました。それは、本当に努力しているんだろうなと思います。ジャッジに一喜一憂せずにひたすら努力する姿は、真央選手と重なって見える事があります。小塚選手も爽やかさだけではなく、音楽性にもすぐれ、表現力も出て来たと思います。ジャンプの4回転と3Aの調整がうまく行きますように。応援しています。
2010/11/4(木) 午後 1:09 [ mairie ]

meilingさま
コメントうれしいです。
小塚選手、やはり五輪シーズンを契機に、ひとつ殻を破った感じがありますね。高橋選手や織田選手にはない、彼の持ち味を生かす方向性を見出したような部分もあります。
話変わりますが、やまと選手も素晴らしい四回転ジャンパーでしたね。やまとなでしこのお好みはやはり、エロ紳士や忍者よりもうぶな生真面目青年でしょう。まあ厄落としとでも考えておきましょうね。
2010/11/4(木) 午後 6:04 [ まさきつね ]

mairieさま
演技に向かうストイックさは、佐藤陣営の選手たちの共通項かも知れませんね。チャン選手に関してはいろいろな方から、キム選手に似ているという指摘をいただきました。ジャッジの偏愛を受けている人間の共通項でしょうか。バンクーバーに間に合わなかったという点は、残念だったのかな。同国のストイコでさえ、彼の言動には眉をひそめていますね。生き方に対する批判や賛同は、国や文化を超えるのでしょうね。
2010/11/4(木) 午後 6:17 [ まさきつね ]

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秋野を走る思念 其の壱


狐は知っている 
この日当たりのいい枯野に
自分が一人しかいないのを
それ故に自分が野原の一部分であり
全体であるのを
風になることも 枯草になることも
そうしてひとすじの光にさえなることも
狐いろした枯野の中で
まるで あるかないかの
影のような存在であることも知っている
まるで風のように走ることも 光よりも早く走ることもしっている
それ故に じぶんの姿は誰れにも見えないのだと思っている
見えないものが 考えながら走っている
考えだけが走っている
いつのまにか枯野に昼の月が出ていた(蔵原伸二郎『きつね』)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

NHK杯、カナダ杯と男子シングルで茶番劇のようなジャッジ采配を見せつけられて、どうにも気分が削がれている。次の中国杯は、小塚選手、ジュベール選手による正当な四回転によるガチンコ勝負に期待したいと思うのだが、順位とは別に、ジャッジが彼らにどんなPCSを付けるのかを考えると、どこか暗雲たる心持ちになる。

昨季の男子フリースケーティングのPCSだけを取り上げれば、ジュベール選手やベルネル選手は75点以上を平均してもらっているのに対し、小塚選手は70点前後が相場と決まっている。ただし、同じく70点前後のPCSだったリッポン選手が、何故か今季ジャパンオープンの演技で80点台を叩き出し、この時は小塚選手のPCSも77.72だったからお祭りイベントのご祝儀採点かなという雰囲気もなきにしもあらずだった。

先日のカナダ杯では、リッポン選手のPCSがまた75.16とジャパンオープンの82.36から7点以上も落ちているから、小塚選手の中国杯もジャパンオープンの結果をそのまま期待するという訳にはいかないのだろう。
また、カナダ杯の織田選手のPCSが74.28だったので、この点数を超えるか超えないかという辺りで、織田選手と小塚選手どちらが日本選手の二番手に位置付けられているのかという、ISUやスケート連盟の思惑を測るひとつの目安になるのかも知れない。

ちなみに毎年エントリーしながら棄権していた西日本学生フィギュアスケート選手権に、何故か今年は出場した小塚選手が先日行われた大会で出したPCSは73.90(7.55 7.20 7.40 7.40 7.40)で、結果はそれこそ技術点の79.17との合計153.07で無論ぶっちぎりの優勝だが、カナダ杯の織田選手には届いていない。

別大会の結果を比べるのはナンセンスという前提を承知の上で言っているのだが、それにしても誰に遠慮もない国内大会でも大体このくらいのPCSが妥当とレッテルを貼られてしまっては、選手ひとりひとりの演技を絶対評価するという建前論からしても、小塚選手自身の実力がジャッジから真に評価されているのかどうか疑いたくなるのも当然の話だし、ましてや国内の小規模な大会の結果であっても、国際大会で高い評価を得るための妨げになるようなことを何故わざわざと日本スケート連盟に問いただしたくもなるのである。

それにしても、自分で記事を書いていて言うのもおかしな話だが、何とさもしく虚しい予測なのだろう。
小塚選手のスケート技術をもってしても、高橋選手やチャン選手並みの80点を超えるPCSを望めない理由はどこにあるのか。

順位に関しては、ジュベール選手が昨季の五輪のように大崩れしないとも限らないし、それに対し小塚選手がジャッジに有無を言わさないくらいのパーフェクトな演技やクリーンなジャンプでアリーナ中に魅せつけることが出来たら、如何様にも表彰台は見えてくるだろう。

だが一方で、もし誰かの大崩れした演技に、カナダ杯のチャン選手のSPのようにジャッジの心付けみたいな采配が盛り込まれたとしたら、実際の順位がどうあれ、白けた観衆の気持ちはさらにジャッジングから乖離していくばかりになる。
いや、もうすでにNHK杯とカナダ杯で充分に出来レースの茶番は見せつけられた。
自国の選手が自国の大会で優勝する。まことに結構なことだが、そんなことでフィギュアファンの気持ちが真に昂揚し、競技観戦熱が高まるなどと、組織のお偉方は本気で思っているのだろうか。

そして日本のフィギュアファンを喜ばすお祭りのひとつだったジャパンオープン、現実的には浅田選手の現時点でのジャンプの完成度が露わにされ、今季のさまざまな難問が燻し出されたかたちで終わった感があるが、男子選手に関しても、やはり今季予測に多くの示唆を与えるものであったことはまちがいない。


【ジャパンオープン男子シングル(フリースケーティング)の結果】

166.63 Adam RIPPON USA 技術点84.27 演技構成点82.36 (8.00 8.07 8.32 8.43 8.36)
159.19 高橋大輔 JPN 技術点73.47 演技構成点85.72 (8.57 8.29 8.57 8.61 8.82)
151.00 Evgeni PLUSHENKO RUS 技術点67.50 演技構成点83.50 (8.39 7.89 8.61 8.32 8.54)
150.71 小塚崇彦 JPN 技術点73.99 演技構成点77.72 (8.00 7.61 7.64 7.93 7.68)
134.90 Michal BREZINA CZE 技術点60.04 演技構成点74.86 (7.75 7.25 7.25 7.64 7.54) 
128.39 Jeffrey BUTTLE CAN 技術点51.15 演技構成点77.24 (7.79 7.61 7.50 7.86 7.86)


前に述べたリッポン選手についても含め、技術点に関しては一位リッポン選手、二位小塚選手、三位高橋選手、四位プルシェンコ選手、五位ブレジナ選手、六位バトル選手と各国入り乱れ、概ねジャンプや各要素の出来栄えに沿った結果だが、演技構成点に関しては、一位高橋選手、二位プルシェンコ選手、三位リッポン選手、そして四位に小塚選手、五位バトル選手、六位ブレジナ選手と見事に一位から三位までが各チームの一番手、四位から六位までが二番手と仕分けされているのだ。

メダルを選手の実力とは別の次元で、各国均等に振り分けたいと考える上層部の作為的な意図がありありである。これを政治力と呼ばずして何と言うのであろう。

このPCSが実際の選手の演技についてそれぞれ妥当かどうかという議論は、各人のスケートに対する考え方や好みといった主観が関わってくるから、元より不毛な話である。まさきつねの拙ブログにも、チャン選手の「スケーティング技術が別格」云々というコメントが寄せられた。

誰が誰の演技を「別格」とお考えになろうが、それをもって彼に付けられたPCSは妥当と思われようが、まったくの個人の主観なのだから、それに対して無益な論争をするつもりは毛頭ない。
だが、ジャッジが高い評価を下したからといって、それがすなわちその選手の実力や表現力だと鵜呑みにしなければならないいわれもありはしない。

いみじくもチャン選手を「別格」とコメントされた方も仰っていたが、あざといジャッジシステムは批判されて然るべきであるし、ジャッジそのものの権威もすでに地に堕ちている。
ビアンケッティさんがウィーラーさんに寄せた手紙に「現在のジャッジの仕事はスーパーのレジ打ち並みの高揚感」と書いていたが、それも然り。
またウィーラーさんがブログで告発していた、イタリア人ジャッジのお粗末なカンニング採点も然り。

ましてやチャン選手の発言にあった通り、練習で良い成果が出せていれば、ジャッジはその選手の実力を認め、たとえ試合で失敗したとしても高い評価を約束というのなら、競技会におけるジャッジによる判定そのものが端から無用ということになる。

最初から結果が用意されているのならば、出来レースの辻褄を合わせるためのプロトコルがどんなに公けに発表されようと、結局は「実績」だの、技術や演技の「完成度」だの「表現力」だのと説明されて、チャン選手曰く「ジャッジと手に手を取って仕事している」選手のお墨付きぶりを確認させられるだけだ。
だめ押しに「(視聴者も)見る目をもって、もっと勉強しなくちゃいけない」と現役選手なんだか解説者なんだか、ISUの広報担当なんだか訳が分からない立場の方からお達しを受けたひには、観衆がわざわざアリーナに詰めかけて熱心に観ている試合の演技すべてが、衆目の集まる中での厳正な判定とはそもそも無関係のエキシビションと、何ら変わりがないということではないか。

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まさきつねさん、こんにちは。
小塚くんのスケーティング大好きなんですよねぇ。今回もそれを見に北京に行くようなものですから。
姿勢もよく全体的に静かで滑らかで本当に美しいんです。
明日、明後日としっかり見て来ます。もちろん、ジャッジも含めて...ですけど。
2010/11/4(木) 午前 11:39 [ cha ]

mairieです。
ジャッジの実力に見合わないルール!ジャッジがその場で点数をつける能力がないので、『あらかじめ得点』が決めてある。あるいはチャン選手の言う『ジャッジ希望点』が決めてあるんですね。その場で、判定する能力がないとしか思えません。情けないですね。迷惑千万!!
2010/11/4(木) 午後 1:24 [ mairie ]

理解できないジャッジは、選手の努力を削ぐだけでなく、素晴らしいフィギュアスケートを貶めると思います。せめて今期は、選手の皆さんには不可解なジャッジはあまり気にせず(似たような子コメントをなさった選手がいたような)、純粋にフィギュアに専念してほしいし、その力で多くのファンを感銘させ、またジャッジを公正なものにするよう、私達も注視していかなくてはと思います。・・・トリノ、バンクーバー、なぜかメダルは各国1つずつなんです。今更ですが、選手の演技とは無関係なものを感じずにはいあられません。こんなままの競技にはしたくありません。素人なりに頑張ります。
世界選手権では、エキシビジョンを見に行きたいです。
2010/11/4(木) 午後 3:50 [ jun*u*noma*a ]

chaさま
中国へお出かけの前に、コメントありがとうございます。
ぜひ小塚選手の演技を生観戦なさった感想をお寄せください。
小塚選手はチャン選手のように、振付師がジャッジにベタ褒め情報を耳打ちしていないし、ジャッジと仲良しこよしで仕事もしていません。でも彼の演技を目の当たりにすれば、誰だってその技術や表現力の確かさは理解出来る筈なんですけどね。
2010/11/4(木) 午後 4:49 [ まさきつね ]

mairieさま
サッカーでもテニスでも、スポーツ競技では本来、選手に匹敵する力を持っている人間がジャッジをするのが当然だと思うのですが、フィギュアに関してはお粗末な話ばかりがボロボロ出てきますね。
能力値はともかくとしても、少なくとも自分の出した判定に、誇りと責任を感じて欲しいものです。
昨今のフィギュアは、スーパーのレジ打ちがダイヤモンドの価格を決めているようなものです。安っぽいレジ袋に入れられた選手たちが、気の毒でなりません。
2010/11/4(木) 午後 5:00 [ まさきつね ]

jun*u*noma*aさま
コメントありがとうございます。
仰るとおり、選手たちにはあまり邪念に悩まされないで欲しいと思いますね。チャン選手の無思慮なインタビューには、不愉快な思いをした選手たちも多いでしょう。
東京ワールドのエキシビションは、心置きなく楽しく観たいものですね。
2010/11/4(木) 午後 5:05 [ まさきつね ]

こんばんわ。まさきつね様

カナダ大会ひどかったですね。(チャンのコメントは特に・・)
私は、もう競技としてのフィギュアは、終わってしまったような気がしてなりません。
私は、もう大会は、録画をして採点やニュースなど一切見ずに、好きな選手の演技のみ見て楽しむ方向に変えようかと思ってるぐらいです。
選手やコーチなどは、おかしいと声をあげてるのでしょうか?
それともジャッジは神様かのように、当然のように受け入れているのでしょうか?その変が、いつも不思議に思います。
フィギュアは、今、アメリカでもヨーロッパでも人気低迷してると聞きます。カナダは人気なのでしょうかね?日本も含めて一度、全ての国での人気がドン底に落ちた方が良いのかも?・・とも思います。
2010/11/4(木) 午後 8:09 [ ちゃーちゃ ]

ちゃーちゃさま
コメントうれしいです。
ストイコが「フィギュアは死んだ」と言ったのは正しかったのでしょう。それに今はネットでようつべ動画が自由に閲覧できますから、テレビ放映などに頼る必要はないでしょうね。
選手やコーチは声を上げたくても上げられないのではないでしょうか。あのプルシェンコでさえ酷い目にあっているのですから。
日本のフィギュア人気だって、今の隆盛をもたらしたのは浅田選手の功績でしょう。トリノ五輪で金を獲ったのは荒川選手ですが、彼女にあれほど注目が集まったのも、その前に浅田選手の出場云々が話題になったからですよね。残念ながら日本の人気は、浅田選手とともに収束するでしょうね。それはニワカファンが悪いのではなく、元々フィギュアに関心のなかった人たちまで巻き込むくらい、浅田選手のカリスマ性が強かったためです。逆にオールドファンの中に、彼女に反発を覚える人がいるようですが、それも彼女の才能、ポテンシャル、人気、美しさすべてが破格だったからでしょうね。
2010/11/4(木) 午後 10:40 [ まさきつね ]

初めまして。いつも読ませて頂いてます。
最近のフィギュアを見てモヤモヤが治まらずコメントさせて頂きます。
PCSはシーズン毎、大会毎、今なら選手毎でも、キャッチフレーズが、都合よく変わっていくようで着いていけないです。(カナダ大会は、ただの暴挙だとおもいますが)
でも、日本男子は例外なく実績点+何番手かでPCSが出ていると思うんですよね。どんなに理由付けをしても、整合性なんて見受けられません。
この選手は例外とか、この大会は例外とか、ルールはいつも後から付けられてウンザリです…。
でも今の才能豊かな日本のフィギュアを見ないコトも応援しないコトもできないんですよね。
傷つけないでほしい。
2010/11/5(金) 午前 6:07 [ サキ ]

サキさま
初めまして。ご訪問うれしいです。
ルールやジャッジにそもそも例外だの別格だのとあるのなら、それはもう競技とは呼べませんね。高橋選手が自分のPCSを見て困った顔をするたび、おばあちゃんに特別贔屓されている孫みたいで、居たたまれなくもなるよなあと思います。
才能ある選手の演技は観たくなるし、応援したくなるのが当然ですよね。採点に傷ついた顔は確かに見たくありませんが、それでも少しでも支えになるように、彼らの活躍を見届けてあげたいですね。
2010/11/5(金) 午後 2:13 [ まさきつね ]

こころをすくう


水は つかめません
水は すくうのです
指をぴったりつけて
そおっと 大切に──

水は つかめません
水は つつむのです
二つの手の中に
そおっと 大切に──

水のこころ も
人のこころ も(高田敏子『水のこころ』)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下は高橋選手の短いが気持ちのこもったインタビューである。
地方紙の記事から拾ったが、これまでのテレビインタビューなどで語っていたことを総まとめにした内容だったので、ご紹介する。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「再び世界王者に」フィギュア・高橋 意気込み語る

フィギュアスケートのバンクーバー冬季五輪銅メダリストで世界選手権で優勝した高橋大輔(24)=関大大学院、岡山・倉敷翠松高出=が本格的なシーズン開幕へ意気込みなどを語った。(井上将志=共同)

大人の雰囲気を重視

―昨季は大活躍。シーズンオフも多忙でしたね。
しっかりと成績を出した後のオフだったので楽しかった。忙しい中でも(長光)歌子先生と一緒に初めてハワイに行けたし、沖縄にも行った。リフレッシュして新シーズンを迎えられる。

―昨季との違いは。
五輪シーズンを終えて、スケートへの思いが今まで以上に熱くなった。怖さがなくなって、失敗しても仕方がないと大胆になってきた。

―右ひざ靭帯の断裂から完全復帰しました。
もう怖さはない。やっと自分の感覚が戻ってきて、選手をしていたい、現役をやめたくないと思った。本当はバンクーバー五輪のシーズンで引退するつもりだったんですけどね。自分の素直な気持ちに従った。

―けがの功名ですか。
けがをして考え方も変わった。力になってくれた人が周りにたくさんいた。これまでは選手をやめたら、この世界とは縁を切るつもりだったが、今はスケートを通して恩返しをしたいと思う。

―今季は世界王者で臨みます。
重圧は感じていない。世界選手権のタイトルを目指す選手の一人にすぎない。ただし二連覇が可能なので、意識をもって取り組んでいる。

―24歳になりました。
男子では古株というか「おじさん」。若手に出せない大人の雰囲気、24歳でしかできない演技を見せられればいい。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


NHKで放映されたサンデースポーツの映像も観たのだが、何だかもやもやする部分もあり、せっかくの特集にも拘らず、今ひとつ番組からの突っ込みの弱いところもあったような気がする。

http://www.youtube.com/watch?v=596kdbTFKAc


高橋選手に関しては、「技術とかはある程度限界が来ればできなくなったりすると思うんですけど、表現に限界はない」と彼自身が語っているのは頷けるのだが、「バンクーバー五輪でひと区切りだったので、違ったスケート人生を歩んでいきたい」というのは、もう少し踏み込んだ説明が欲しかったと思う。

「違ったスケート人生」というのが、上記のインタビューで語っているように、高橋選手がスケートを通じてお世話になったり力になったりしてくれた人々に「恩返しをしたい」というような人生なら、それは彼にとっても非常に可能性の拡がる生き方ではないかと感じたりする。

たとえばコーチであれ、振付師であれ、現役選手を引退した後にも繋がっていくような試みを含めて、スケートから離れないさまざまな挑戦に、今の彼が魅力を感じているのなら、フィギュア界にとっても大いなる才能の流出とならずに済んだということだし、また高橋選手にとっても自身の才能を活かした、馥郁たる人生の選択となったということだろう。

ところで、サンデースポーツの中で最も興味深かったのはカメレンゴさんのインタビューで、彼が「我々は音楽が醸し出す表情を動きによって表現しようとしている。心を込めて滑ることさえできればそれを観客に伝えることができるのだ。」と話していた高橋選手のプログラムの狙いに関してだった。

高橋選手は自分を「おじさん」と諂いながら、若手にない「大人の雰囲気」を醸し出したいと考えているようだが、それが畢竟、技術とか失敗とかに振り回されることなく「大胆に」演技に臨める大人の余裕として、カメレンゴさんの言っている「心を込めて滑る」という部分に結びついていくのだろう。
そしてそれは、勝敗に絡むジャッジ攻略のためのプログラムではなく、観客の心に響いていく表現によるプログラムであることは言うまでもない。

NHKの番組は「高みを目指す」の一辺倒だったが、周囲から持ち上げられただけの「高み」なら、辿り着いたところでさほど意味があるとは思えない。
自分が納得のいく滑りを追求して、深く内容を掘り下げて、その果てにゆき着いたところが頂点だったというのなら、これほど嬉しいことはあるまい。

高橋選手の心を込めた滑りが、観衆のこころをすくい、こころをつつみ、喜ばしい結果を導くことを願ってやまない。

☆2010NHK杯国際フィギュアスケート競技大会大会概要☆
http://www.skatingjapan.or.jp/nhk2010/index.html

☆高橋大輔10月18日web版新インタビュー
―どんな大会にしたいか?
まずは表彰台、(昨季)久々に逃してまあちょっと悔しかったので、試合が終わってバスに乗って帰るときすげえ寂しかったので、そういう思いはしたくないですし。
最終戦にもかかわってきますし、第1戦なので、ショート・フリー両方見せるんですけど、それを見た評価がどういうものなのかも楽しみですし、シーズン始めに勢いづくと次も楽というか課題も見つかってくると思うし、いろいろな意味で次につなげていけるような良い試合にはしていきたいと思います。


(…マラカス、EXでほんとに登場するのかニャン?)

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☆Flower Mao Asada&Daisuke Takahashi☆

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まさきつねさまこんばんは。
高橋選手の演技、いいですねー。自信が演技をパワーアップさせているというか、あふれ出る魅力がありますね。
真央さんにも、いつか自信に満ちた演技を見せて欲しいなー。プルシェンコさんの言葉「世界女王なんだから」はきっとそういうことかなって思います。自信は演技を光らせますからね。
NHK杯、またドキドキはらはらしながら応援したいと思います。
2010/10/19(火) 午前 0:38 [ meiling ]

meilingさま
コメントありがとうございます。
高橋選手も怪我や五輪などの経験で、今の心境に至ったのでしょうね。浅田選手にはマスコミの嫌な下げ報道がありますから、高橋選手とはまた違う苦悩があるのでしょうが、いつかそれも乗り越えて、押しも押されぬ世界女王の自信を身に纏う日が来れば良いですね。
2010/10/19(火) 午前 2:42 [ まさきつね ]

まさきつねさま、おはようございます。
徹夜で仕事をしておりましたら、朝になろうとしています(~_~;)
高橋選手、すごいですよね。ケガからの復帰、そして八木沼さんの言葉を借りれば、『踊り心』があるというのでしょうか。
とくに昨季のオリンピックのショートはすごかった。余裕さえ感じられました。
今回のプログラムはそれをしのぐものに仕上がっているのでしょうか、楽しみです。
浅田選手ももちろんですし。ジャンプの修正の具合はどうでしょうか?あせらなくてもいい、じっくり取り組んでほしいと私などは思うのですが…。
eマークや!がついても「自分のエッジやジャンプに問題はない」と言いきる強心臓な選手もいますが、浅田選手には自分のジャンプを見つめなおす強さと素直さがあるのでしょう。

それから…う~ん、織田選手のあの舞い降りるような着氷、織田選手と安藤選手には、もっともっと自信を持って滑ってもらいたい!上手なんですから。
今年も始まりますね。ワクワクします。
疑問を抱くような採点がないように、と願います。
2010/10/19(火) 午前 5:32 [ windy_weather_windy ]

Windさま
ご訪問うれしいです。
朝方までお仕事ですか。大変ですね。ご無理なさらないようにね。
『踊り心』も大人の余裕の現れですよね。鈴木選手などにも同様のことを感じますね。
仰るとおり、浅田選手の良さは自分を見つめる強さ、素直さ、そして謙虚さですよね。3Aの女王の称号をいただきながらもジャンプを修正するなんて、普通は出来ないことです。きっと良い結果に結びつくことを祈ってやみませんね。
織田選手、安藤選手も挫折を経験して、今季は強くたくましく挑戦して欲しいですね。
疑惑のジャッジについては、もう何をかいわんやですが、彼らがどんな採点を下したとしても観衆は観ています。
政治やお金で数字は左右出来ても、ひとのこころは支配出来ないものですから。
2010/10/19(火) 午前 8:45 [ まさきつね ]

まさきつねさま
いつもながらの素敵な題名!に魅せられながら読んでいました。
「こころをすくう」高橋選手に真央選手にもぴったりな言葉だなあと思います。
高橋選手はけがを乗り越えて本当に素晴らしい選手になったように思います。紙一重の「結果オーライ」ではあるけれど、怪我がもたらした効果は測りしれませんね。あのまま順調なら、ここまで成長しなかったと思われます。心に届く演技ができるようになったと思います。
NHKの練習の模様をみながら、真央さん、ある意味順調に練習を重ねているのかなと見受けられました。これがきちんと結果に結びつくまでにはまだ時間がかかるかもしれませんが、その点は開き直って試合に臨んで欲しいなあと思いました。
週末、楽しみですね。
2010/10/19(火) 午後 2:03 [ miho_ann ]

今晩は。
スレ違いですみませんが、速報です。

真央選手の二つ目のEXはプッチーニの「ある晴れた日に」と判明しましたね。
姉の浅田舞さんがインターネットラジオ番組「OTTAVA moderato」の火曜日放送の中で教えてくれました。
番組が始って2時間20分くらいの箇所です。「ある晴れた日に」の音楽が流れた後です。
Xのアンコール用とのことです。
振り付けはタラソワさんかニコルさんかは触れていませんでしたが、ニコルさんにもEXを依頼したと当初報道されていましたので、ニコルさんの可能性がありますね。
しかし、私的にはこのドラマティックな曲はタラソワさんの方が良さそうな感じがします。
今度のNHK杯で見れるかもしれないですね。

そうすると、まさきつねさまの「ある晴れた日に」についての「論文(笑)」が楽しみにもなります。
NHK杯の楽しみがまた一つ、増えました!
2010/10/19(火) 午後 7:29 [ 桔梗 ]

miho_annさま
コメントありがとうございます。
浅田選手は着実に、真面目に練習を積み重ねていることだろうと思います。しかし結果が出なければ、またしても心無い人たちは無神経に、副業に時間を割き過ぎているなどと批判するのでしょう。
もうすでに浅田選手自身は、あらゆる雑音に対しても負けないほどの心の強さを持っていると思いますが、耳にする周囲の方がうんざりしますよね。
いずれにしても仰るとおり、選手たちには開き直って自分たちの思うように、試合に臨んで欲しいですね。
2010/10/19(火) 午後 9:54 [ まさきつね ]

桔梗さま
ご訪問うれしいです。
舞さんのラジオ番組はいろいろ楽しみな情報満載ですね。タチアナコーチのお話にプッチーニのことはなかったので、ニコルさんの振付の可能性が高いですね。演劇的な内容なので、甘くこってりとしたニコル風味は填まり過ぎかも? まずは観てのお楽しみですね。
…とコメレスしましたが、タチアナコーチのふたつめのEXだったようですね。プリンスアイスワールドの岡崎公演で初披露されたという情報がありました。
NHK杯では晴れ晴れとした気持ちでEXを拝見したいですね。
2010/10/19(火) 午後 11:00 [ まさきつね ]

まさきつねさん、はじめまして。

いつも拝読しております。
さて、NHKのカメレンゴ氏のインタビューを聞いていると、字幕とは少し違いますね。
氏は「高橋選手はどうすれば観客にそれが伝わるのかを解っている」と言っていると思います。今季のプロも、とても楽しみですね♪
2010/10/20(水) 午後 11:10 [ ぽこちゃん ]

ぽこちゃんさま
コメントありがとうございます。
カメレンゴさんは、He knows how to give the emotion to the audience.と言っているのかな。
NHKの字幕はかなりの意訳だけど、「彼は(音楽のもつ)感情や感動を観客に伝えるすべを知っている」→「(彼は)心を込めて滑っている」という流れでしょうかね。
意訳はまさきつねの得意分野(?)ですが、NHKもかなりの力技ではありますね。カメレンゴさんが高橋選手の力量を認めているということは、もう少し文意に含めた方が良かったかも知れませんね。
2010/10/20(水) 午後 11:52 [ まさきつね ]

鏡のイマージュ


少しばかり耳にした話であるが、ランビエール選手が振り付けをした高橋選手の新しいEX『アメリ』は、日本国内ではどうやら賛否両論らしいということ。演技のそこかしこにランビエール選手の面影が顔を出し、二人が重なって見えるのが良し悪しの意見の分かれ目であるらしい。

ともに卓抜した表現力の持ち主であるだけに、面白い化学反応を起こす反面、相殺する部分もあるかも知れぬという懸念はなきにしも非ずだった。だが、スピンに定評のあるランビエール選手に対し、その部分で弱さ物足りなさを見せていた高橋選手という取り合わせだったから、振り付けによって何かしらの示唆を受けるのではないかという期待感も大きかったのだ。そして実際に発表された演技が、以下の動画である。

☆高橋大輔 Daisuke Takahashi  Amelie☆

使用されていたのは映画の中の『アメリのワルツ』である。
この音楽はアメリが自分の寝室にいる場面に流れており、とてもか細く不安そうな旋律だが、ぽろんぽろんと手のひらから転がり落ちるような音の雫が、繊細に揺れ動くアメリの心情を剥き出しにして、夢かうつつか分からない乙女の日常をパリのアパルトマンの一室に焼き付けていく。

☆Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain☆
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日本でも大ヒットした映画ではあるが、一方で生理的に受け付けない、どこが良いのか分からないという向きもあり、いわゆる経済的富裕や社会的成功といったハリウッド的ハッピーエンドを持って至福と解する御仁には、アメリが求めている些細で身近にあるちっぽけな幸福感などおよそ理解の範疇を超えているのだろうと思う。

映画の序盤に語られる「クリーム・ブリュレのお焦げをかりかり割ること」や「包装用のぷちぷちを潰すこと」、「指の骨をぱきぱき鳴らすこと」といったある種の人々には、それのどこがそんなに楽しいのかと言い捨てられてしまうような他愛のない快感が、実はこの映画のテーマであり、家族愛も他人とのコミュニケーションも、恋愛の成就さえ全篇、触れる手のひらの僅かな温もりのような感覚で描かれている。アメリが周りの人々に繰り返す、姑息で愛らしい悪戯の数々も実に無邪気でくだらないのだが、された側の肌身が実感する不幸としてはかなり強烈な復讐だろう(サッカー中継を邪魔されるおじさんなんて、最悪に不運だと思うニャン)。

アメリの恋の行く末はさておいて、高橋選手の演技であるが、彼の談話からすると「自分の苦手な動きがけっこう入ってる」ということからしても、端からランビエールの振り付けが決して高橋選手の長所を生かし、欠点を隠すという類のものではなかったというニュアンスである。
だがランビエールは、自己の得意とするポージングやスタイルをそのまま高橋選手に押し付けようということではなく、自分が理想とする形や世界観を飾らず相手に伝えることで、高橋選手自身が自分に必要だと思う部分を受容して欲しいと考えたのではないだろうか。

アリストテレスの言葉を持ち出すまでもないが、芸術はどんな分野であれ、まずは型の模倣(ミメーシスMimesis)から始まる。真の才能は模倣しながらも、それを凌駕するオリジナリティを自らの内に見出すことだ。スタイルを流用し型を真似たに終わる、いわゆるエピゴーネン(亜流)に過ぎない才能しかないと、よもやランビエール選手が高橋選手を見下していたとはとても思われない。
ランビエールにとっても、高橋選手がコレオの世界観をいかに咀嚼して、高橋選手独自の個性に開花させていくか、そのメタモルフォセスを心待ちにしていることだろう。

ところで、ランビエールの振り付けは何をイメージしたものだったのだろうか。
映画の『アメリ』にこだわる訳ではないが、『アメリのワルツ』が最初に流れるのは、テレビからダイアナ妃の事故のニュースが流れる中、アメリが驚いて落としてしまった香水壜の蓋が起こしたハプニングのシーンである。床に転がった蓋は壁の緩んだ煉瓦に当たる。煉瓦を外してアメリが見つけたのは、彼女の前に部屋の住人だったと思われる男の子の、古い写真やおもちゃの詰まった宝箱だったのだ。

「まるでツタンカーメン王の墓を発見したよう」と喜ぶアメリの表情がたまらなく愛おしい。他人にとってはおよそガラクタに過ぎないだろう幼年時代の遺物にときめくことが出来るのは、無意識にでも自分自身が過去に愛惜を持っている者だけだろう。幼少期がどれほど幸せであったかどうか、たとえ断言出来ずにいたとしても、少なくとも今ある自分に絶望してはいまい。

アメリが今はもう大人になっている男の子に、何とかして宝箱を届けようと苦心するのも、宝箱に再び出会うことで失われた時を取り戻し、今ある自分の幸せを噛み締める相手に、自分の幸福感を重ね合わせようとするためだ。奇跡のようにアメリが掛けた魔法で、宝箱とともに自分の過去に対面した男性は「昔は時間が永遠にあったのに、気がついたら俺ももう五十歳になる。俺を愛してくれている娘がいる。孫が生まれたそうだ。会いに行ってやろう。」と酒場で誰に言うともなく話している。盗み聞きするアメリの心に、人探しの小さな冒険から生まれた、連鎖する情愛の世界が開かれるのである。

『アメリのワルツ』はこの後も、アメリが寝室で、彼女が好きになった青年の落し物であるいわく付きの写真アルバムを眺めながらうたた寝をするシーンに流れる。宝箱にしても写真アルバムにしても、誰かにとって愛着のある「物」というのは、心が痛むほどの時間の経過を感じさせる人生の欠片であり、それ故に持ち主自身の一部であり、またすべてだったりする。アメリは、宝箱や写真アルバムを抱き締めながら、逢いたいと焦がれ、幸福であって欲しいと願う相手の人生を抱き締めているのである。

ここからは想像であるが、高橋選手の演技冒頭に見えるマイムの動きは、何かに隔てられた相手への強い思慕の念を表しているのだろう。隔てるものが距離なのか時間なのか、それともまったく別の障害なのかそれは分からない。いずれにしても、遠く届かぬ思いを胸に、狂おしく相手を求め続ける渇望を恋と呼ぶのか、それともただの執心なのかそれも分からない。
追いかける自分がいつか鏡のように、追っていた筈の相手に重なり、幸福を求めていた筈なのに、渇望は充たされないまま、いつか追い求める行為自体が幸福になり、もはや何を求めていたのかそれすら分からなくなって、恋も、恋をしていた筈の自分も、ただ虚しく、人知れず消えていくのだ。自分が溺れていた夢の中で。

映画『アメリ』のハッピーエンド、作品鑑賞後のさわやかな幸福感を思う人にとって、ランビエールの振り付けの終章は、どこか果敢なく悲劇的過ぎるという感はなかっただろうか。少なくともまさきつねは当初、美しいが切な過ぎるという印象を持った。

アメリは空想豊かだが、愛の何たるかをいまだ知らずにいる未熟さを持った少女で、パパや隣人のデュファイエル老人始め周囲の人々に「ちょっとの幸せ」を運ぶ他愛のない悪戯や会話を重ねながら、心を揺さぶられる新しい感情や視点に目覚めてゆき、ついには唯一の恋を実らせていく。ワルツが流れる場面で垣間見る、アメリの朱赤色した壁紙の寝室に掛けられた絵の数々が、またとても素晴らしい。
ミヒャエル・ゾーヴァというドイツ人画家・絵本作家の描いた作品であるが、マグリットにも通じる写実性と卓越した描写力を持ち、シュールまでいかないユーモアとペーソスに溢れた不思議なシチュエーションで、動物や小人が画面を牛耳るやわらかな発想のテーマをものにしているのである。

☆Michael Sowa☆
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アメリの部屋のベッドサイドにあった豚のテーブルランプも彼自身が作成したということだが、諧謔味に溢れたちょっと滑稽で、でも温かい、静かな温度に充ちた世界観が、ゾーヴァの持ち味ということのようだ。アメリの幼い頃のイマジナリー・フレンドであった「湿疹ワニ」も彼の作品なのだが、映画ではどうやら、傷つきやすい心が逃げ込む空想世界が、『アメリのワルツ』とゾーヴァの絵画世界に象徴されていたと思われる。

誤解されては困るのだが、空想というのは決して、現実逃避による手っ取り早い解決策ではない。また現実的欠落を補填しようといういかさま染みた妄想とも本質的に異なるものだ。
空想はあくまで、心が創造したもうひとつの現実であり、芸術を受けとめる感性においてはひとつの作品として成立する世界なのである。

アメリは、傷つく心、失われる時間、消え去っていくものへの愛惜の思いを抱き締めながら、それでも手のひらに少しだけ消え残る「ちょっとの幸せ」が何よりも大事なものであることを知っていた。
アメリは現実が失望だらけなのを分かっていたが、失望に絶望しない術として、夢を空想すること、「夢見る力」を持っていたからだ。

『アメリ』の映画の中で、ゾーヴァの犬と白い鳥は会話し、豚は自分で勝手にランプを消灯していたが、それを単なる映像マジックとか、子供だましのCGによる産物とかの分析で終わられてはあまりにも貧相過ぎる。あの場面は、ある筈はないがそうあって欲しいと繊細な心が奇跡を望むとき、アメリの「夢見る力」と映画鑑賞者の感性が共鳴して生み出した、現実と背中合わせのイマージュなのである。

話が逸れてしまったが、ランビエールの振り付けは、アメリの寝室でひそやかに交わされているゾーヴァの動物たちの会話や、ささやかな幸福で世界を構築しようとする人々の感性を、鏡の向こうのあり得ない世界として一切合切否定しようとする冷淡な現実主義者に対する、一種のアンチテーゼのように思われる。

現実主義者にとって、鏡の向こうの空想の世界は脆く壊れやすく、恋も幸福も一瞬で消えるうたかたの夢だ。一日の終わりに肩まで浸かるお風呂のお湯の温もりで、そんな僅かなことで幸せを感じるくらい人間は単純な生きものだが、その幸福感もまた、ほんのちょっと孤独を感じたり、誰かに少し意地悪をされたりするだけで、あっという間に消し飛んでしまうものだからだ。

ランビエールの振り付けと高橋選手の演技は、人間が何かを切実に求める美しさとその果敢なさを描き、その裏側でそっとアメリとゾーヴァの、受けとめる感性や「夢見る力」がなければたちまちにして崩れ去ってしまうイマージュの大切さを語っていたように思う。

「大切なものは目に見えない」それほど繊細なもの。ランビエール選手と高橋選手がメンタルを鏡のように重なりあわせた『アメリ』のコレオ。
だがいずれ、フィジカルに高橋選手が自らの個性でランビエール選手を脱していくとき、それでも高橋選手の演技に消え残り、観衆がそこに想像出来る世界こそ、ランビエールが『アメリのワルツ』で表現したかったイマージュへさらに近づくものとなるのだろう。


フィギュア95-4

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すごく詳しい解析(感想と言うより解析ですよね)で、読んでいてう~んとうなってしまいました。
私が「アメリ」を最初に見たのはyoutubeでの動画でした。
確かにランビを思わせる動きが垣間見られる事と「スピンが綺麗になったな」と言うのが第一印象でした。
昨日、PIWで実際に見た時にもその印象はありましたが、橋大輔の持つ彼自身の感性が動画で見た時よりも出始めている様に思えたのは、私の感じ方でしょうか?
私は、このEXがシーズンを通して、橋大輔がどう咀嚼して自分の物にして行くのかが一番興味があります。

主様もきっと楽しみの方が多いのではないかと想像しております。

詳しい説明ありがとうございました。
2010/7/8(木) 午後 4:18 [ mon*kan*p*pa1*7 ]

mon*kan*p*pa1*7さま
コメントありがとうございます。また実際にPIWで鑑賞された印象をお伝えいただき、感謝です。
まだシーズンも本格的に始まっていませんから、これから滑り込んでいくことで、どの選手のEXも変わっていくことと思います。仰るとおり、楽しみが多くてわくわくしています。
ランビエールは残念ながら引退してしまいましたが、幻想的なイマージュを想起させる演技者としては抜きん出ていたと思います。振り付けでもその才覚を発揮して、後進を育てて欲しいものです。亜流や劣化版コピーではなく、コレオの世界観を引き継ぐ才能を見出して欲しいですね。
2010/7/8(木) 午後 5:54 [ まさきつね ]

まさきつね様はじめまして、yuraraと申します。

高橋選手の演技には観る者の想像力をかき立て色々な解釈を思い起こさせる“余白”があるように思います。わずか2分40秒ほどのパフォーマンスなのに、起承転結があり、光と影があり、濃淡があり、短い時間で“人生”を感じさせる稀有なアーティストだと思っています。
元々振付表現には定評がありましたが、大怪我をして試練を乗り越えたことで、作品の世界観をより深く表現できる選手に成長したように思い、これからがとても楽しみです。
そして、クリエイターとしてのランビエールにもとても期待しています。

私は得点を得るためにひたすらシステマティックに振付けられた無駄のないプログラムより、作品としての完成度を追求したアーティスティックで心に響くプログラムをついつい求めてしまいます。それを競技であるフィギュアスケートで観たいと願うのは贅沢なことなのかもしれませんが。その難しい命題に挑戦している選手をこそ応援したい、と思っています。
(まとまりのない文章ですみません・・・)
2010/7/10(土) 午後 4:37 [ yurara ]

yuraraさま
初めまして。ご訪問うれしいです。
そうですね。「余白がある」というのは、芸術にとってとても大事なことですね。鑑賞者にイメージする感性を求めるということですから、仰るとおり、高橋選手の演技にもランビエールのコレオにも、そのキャパシティがありましたね。
高橋選手とランビエールは若い才能をぶつけ合って、いかにも何か新しい風を吹き込もうという意気込みが見えて素晴らしいですね。yuraraさまが応援したくなるお気持ちは良く分かります。SPでも挑戦を見守りたいですね。
2010/7/10(土) 午後 6:39 [ まさきつね ]

こんにちは、まさきつね様。また来てしまいました。
「アメリ」を最初見たときは、「綺麗だけどこれならランビエール選手が滑ってくれたらいいのでは……」などと思ったものですが、その感想も今では少しずつ変わってきています。高橋選手らしさが徐々に色濃くなってきているということなのでしょうか。
映画「アメリ」は見たことがなくて、それでも簡単なあらすじだけは知っていたために、それがプログラムを見たときの印象と違っていることに少々戸惑っていました。「人魚姫」や「ナイチンゲールとバラ」のようなものを勝手に想起してしまい、それが伝え聞く「アメリ」のあらすじとどのような関係があるのかわからなかったのです。
でも、まさきつね様のこの解釈を読んでようやく得心がいきました。本当に素晴らしいですね!ここに出会えて本当によかったと思います。ありがとうございました。
2011/1/18(火) 午後 9:41 [ みちる ]

みちるさま
ご訪問うれしいです。
古い記事ですが、考えてみるとまだ今季の話なのですね。
『アメリ』は佳品というべきプログラムになりましたね。ランビエールも心から喜んでいることでしょうね。
四大陸、ワールドでの披露も今シーズン残りの楽しみと待ちたいものですね。
2011/1/19(水) 午前 2:26 [ まさきつね ]

織田選手の演技

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人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見れば喜劇である。(チャーリー・チャップリン)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

織田選手にはいつも驚かされる。

数いる日本の選手たちの中でも、見た目も決して派手でなく、彼の家系から鑑みてもむしろ控えめに一歩下がった発言の多い彼ではあるが、なぜかいつも、とんでもなく驚きのニュースに載るのだから、やはり持って生まれた宿命なのかなと首を傾げてしまう。

とりあえずはしかし、エールの気持ちを込めて、冒頭のチャップリンの名言を贈っておこう。ただ、今回のおめでたいニュースは、近くで見ても「喜劇(ハッピーエンド)」の慶事なので、その点は特記する。


私生活のニュースはさておき、本題である。
まずはジャンプを始めとする織田選手の技術力。モロゾフコーチは「マイナスを付けるところがない」と言ったが、まさにオールマイティーだ。重力を感じさせないジャンプの軽やかさ、無理なく伸びやかなスケーティング。
だが、「それで?」と言われると唸ってしまう。
出来すぎなくらい完成されている反面、個性は? 魅力は? と問われると、彼らしさを上手く表現し得る言葉に詰まる。演技の灰汁の無さは、日本史史上最も灰汁の強いキャラクターと思われる彼のご先祖さまに、どこでどう繋がるのか。
(ご先祖さまがばっさり切って棄てたホトトギスを、可哀想にと泣きながら木陰に埋めてやっている織田選手の姿しか思い浮かばない。…言いすぎだニャン。)

演技の灰汁の強さ、臭味と言えば、良くも悪くも高橋選手。自分にないものを全て持っていると、お互い認識している部分はあるのだろうが、高橋選手の長所と織田選手の長所は、合わせ鏡のように真逆の要素をもっているようだ。

体格体型も違い、筋肉の付き方もまるで異なっているのだから、演技やジャンプの持ち味が違うのも当然なのだろう。柔らかい膝を使った着氷の綺麗さ、回転不足によるDGがまずないくらいの完成度、セカンドジャンプのクォリティなどは織田選手のジャンプに良く言われる特徴だが、着氷後に回りすぎて締まりなく見えたり、空中姿勢があまり美しくなかったりという若干の欠点が見え隠れする。

高橋選手の方は空中姿勢の軸が締まって美しく、ジャンプの幅があるのだが、着氷後の流れが途切れたり、セカンドジャンプで極端に質が落ちたりという短所がある。

トータルとして、得意な連続した動きを生かしたコンビネーションジャンプの巧さや、柔軟な膝や関節のために転倒しにくいという特性が、採点上の有利性も含め、織田選手の側にジャンプ優位の印象を与えているようだ。

スピンについては、形のバリエーションも豊富な織田選手に軍配を上げたいところだが、肝心のレベル獲りにうまくいかない部分がある。同様にステップについても、高橋選手に今一歩及ばないのが、二選手のPCSによく現れている。

この差が畢竟、明瞭に示されたのが、五輪シーズンの二人のFSすなわち高橋選手の『道』の道化と、『チャップリン・メドレー』のチャップリンだったのだと思う。

高橋選手の演技については以前の記事で書いたが、情緒に充ちた表現力という点において、彼の力量とオーラは世界的に見てもずば抜けている。取り澄ました貴種ではなく、市井に堕ちながら「見られる」歓びに目覚めたエンターテイナー魂が、彼の演じる道化に、バロック的な陰影と同時にキュートな魅力を与えるのだ。まさに天才としか言いようがない。

織田選手の方はどうかと言えば、彼のチャップリンはあまりにも表層的過ぎた。
そう、有体に言えば、心的に薄っぺらいのだ。

チャップリンはご存知のとおり、「喜劇王」の異名を持つ世界に名立たるコメディアンであるが、コメディアンの道だけを極めた訳ではない。
彼は単純に肩書きを数えただけでも、映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサーといくつもの顔を持つ。彼の幼少期の悲惨な体験は勿論、彼の作品のいくつかに反映しているが、社会的弱者(プロレタリア)の立場から資本主義を批判する反骨精神と、反ナチズムやアナーキーな権力への風刺精神は、彼の本質理解に忘れてはならない部分である。
また作品制作に妥協を許さず、完璧主義者の一面も持ち、音楽家としての夢も捨てきれないという理想主義者でもあったという複雑な内面性が、チャップリンの実像なのだ。

織田選手のチャップリンは、おそらく彼がかつて『スーパーマリオブラザーズ』を演じ、『ルースター』をパジャマ姿で演じた、諧謔趣味的な戯画路線の延長線上にあるのだろうと思われる。しかし、彼が模してみせた「小さな放浪者=The Little Tramp」には、だぶだぶズボンとよれよれ背広なる外見的特徴と滑稽動作、若干のヒューマニズムに通じる笑いみたいなものは感じられたが、貧困階層の怒りや放浪者の悲しみという深い精神性は伝わってこなかった。

それはモロゾフコーチのコレオに元々そういったニュアンスの解釈が含まれていなかったのか、それとも演じた織田選手の楽曲解釈が浅薄なところに留まったためか、おそらくはその両方ではなかったかと思う。

しかしそれも、今にしてみても致し方ないと納得せざるを得ないのは、織田選手自身にある気質的特性、良くも悪くも性格によるのだろうと考える。

冒頭にも述べたが、彼自身がこれまでに仕出かして来た何度かの未熟な失敗(責めている訳ではないので「大呆けポカポンタス」と呼ばせていただくが)、そのつど涙を流し、大いに自己反省はするのだが、そこにはなぜか常に、内観がないのだ。自分に対する疑問符がないのだ。
「涙くんさよなら」と言って、後悔し自戒はするのだが、結局「大呆けポカポンタス」の自己を許してしまっているのだ。

ある意味で、彼は彼のご先祖さまを超える大物である。なぜなら、この自己許容性こそが、彼の負けず嫌いの本性であり、全く資質の異なる高橋選手と切磋琢磨しながらトップ・アスリートの座を競い合えて来た要因に他ならないだろうと思うからである。

自分にないものを持つ相手に対して、ミメーシスの誘惑に囚われることなく相手の長所を認め、一方で自己を失わずに、今自分の持てるものを大事にするというのは、言葉で言うほど簡単に出来ることではない。
織田選手は、今の自分の長所を最大限生かしてくれるであろうという観測で、モロゾフコーチに師事し、モロゾフはそれに応えて、四回転の自重を促しながら四回転に頼らぬプログラムに自信を深めさせ、そして五輪対策としてごく記号的にSPで「死の使者」、FSで「喜劇王」というキャラクターを演じさせるという突貫的な戦略をとったのではなかったかと推察する。
もっとも、こうしたモロゾフの目論見が最良の結果をもたらしたか否かについては、皆さまの知るところであろう。

まさきつねは『チャップリン』のプログラムに関しては、上滑りで奥行きのない「喜劇王」の皮相的解釈に対し否定的にならざるを得ないのだが、『死の舞踏』の最後の審判を告げる冷酷な「使者」の方は、(この作品が成功していたかどうかは別にして、)こうした抽象的記号的なキャラクター解釈の方向性を、織田選手の演技表現法としてある程度評価できるのではないかと考えている。

織田選手のジャンプやスピン、ステップといったフィギュア・エレメンツの完成度の高さは文頭に述べた。そして表現力の質として、高橋選手のように、情感でアリーナの空気を巻き込む才覚は持ち合わせていない。だが感情表現の巧拙だけが、表現力の力量を計るモジュールではないのだ。

芸術表現といえばロマンティックでセンティメンタルな傾向を思い浮かべがちだが、むしろ逆に、クールでモダンな機能性や理論性を追求するねらいを、まさきつねは織田選手に思い描く。

すなわち、織田選手のひとつひとつのエレメンツ技能を存分に観衆に味わってもらうために、情動に訴える部分をいっそのこと極力斬り捨てて、抽象的なキャラクター設定に自らを留め、機能的な作用として楽曲を扱うこと、いわばフィギュア表現におけるモダニズムというべき手法を練るということである。

楽曲表現を生かすためのエレメンツではなく、エレメンツを生かすための楽曲として、曲の持つ物語性、キャラクター設定をべたで丸々いただき、新たな解釈や内面的掘り下げは無理に行わない。その代わり徹底して、曲の持つ芸術性やキャラクターの特異性にあったエレメンツの完成度、見栄えの美しさ、正確さに拘るのである。

いびつでとっぴな提案に思われるだろうか。まあ、あくまでも素人の考えるひとつの方向性である。

お分かりにくいようなら、具体的に述べよう。
例えばこの提案に即して、まさきつねが織田選手に推奨するナンバーがドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』である。
こういった曲は、ウィアー選手などが演じるとあまりにも別世界に行ってしまう(汗)危険性があると思うのだが、織田選手の(本質は知らないが)草食男子的風貌が、極端なエロティシズムに走らせず、作品にアルカイックな清潔感をもたらすような気がする。

そしてもうひとつ、モーッアルトの『魔笛』から「鳥刺しパパゲーノ」などもおもしろいのではないだろうか。
織田選手の『セビリアの理髪師』はとても洗練されたナンバーだった。それからすると、パパゲーノは少し色物ではあるが、愛らしく印象的なキャラクターであることはまちがいない。
(このように考えれば、「チャップリン」もメドレーであったから狙いがぼやけた訳で、例えば『モダン・タイムス』の機械化文明のペーソスに焦点を絞ったコレオだったりすれば、また違う評価が出来たかも知れない。)


以上、やや法外な提案と極端な意見に終わってしまった感があるが、皆さまのご感想お聞かせいただきたい。


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初めまして まさきつねさん。スミマセン、えらく長文になってしまい、3通に分けました。お許しください。

なかなかスケートの本質についていじって貰えない織田選手の事をこれだけ詳しく検証して頂いて、何だかうれしくなりました。

私は、ビールマン選手のビールマンスピンをリアルタイムで見ていたオールドファンです。最近ではめっきり美声をお聞きする事のなくなった五十嵐文男さんの現役時代も知っております。まだ子供だったのですが、彼の演技を見てフィギュアスケートのファンになった様に記憶しています。
長くファンを続けていますので、1人のスケーターに入れ込むのではなく、外国も含めてフィギュア全体のファンという感じです。(ま、強いて言えば美姫ちゃんにちびっとだけ肩入れしてますが・・・)
2010/5/1(土) 午前 4:04 [ イナバウアーの白兎 ]

その、子供の頃に見た五十嵐選手のスケートと、織田選手のスケートは、私の中では妙に重なるのです。勿論、小さかったので、五十嵐さんの記憶は確かなものではありません。しかし、織田選手のサラッとした軽さ、スマートさ、そして丁寧さ(失礼ながら、これはむしろ必要でない所で目に付いてしまう・・・いや、そこは勢いだろ!みたいな・・・)は、初めてフィギュアスケートなるものを目にした子供が自然に取り付かれるフィギュアスケートの魅力の基本中の基本の部分を持っている、と私は感じています。

まさきつねさん同様、私も『セビリアの理髪師』は大好きなナンバーでした。でも、1番好きだったのは『FLY ME TO THE MOON』かな? 彼は案外ジャズが似合うんだなぁ・・・ってうれしい発見のあったプログラムでした。きっと織田選手のサラッとした軽さとリンクしたんでしょうね。 クラシックならモーツァルトかシューマン、キャラクターならピンクパンサーが私のお勧めです。
2010/5/1(土) 午前 4:05 [ イナバウアーの白兎 ]

PCSの面でいうと、昨今のフィギュアスケートはロシア式と北米式が完全に分離独立し、勢力を争っているように感じます。前者は芸術を追及し、後者はエンターテイメントを追及し、もはやお互いが譲り合い、協調する事はもう無いでしょう。今季の浅田選手とキム選手の結果がそれを露呈してしまいました。

私は、織田選手は北米式の方が合っている様に見えます。だから新コーチのニュースも好意的に受け止めました。
でもね、織田君!(←あえて君付け)次のオリンピックは“ソチ”なのよ! しかもバンクーバーでロシア勢がことごとく辛酸を舐めさせられた次のオリンピックなのよ!・・・こーいうところがロスのリンクの壁に“何でやねん!”(いや、コンビネーションだったので“そんな訳ないやろ!”に訂正・・・)のツッコミを入れた、筆者の言う「大呆けポカポンタス」たる所以なんでしょうね。ま、憎めないんですけどね・・・
2010/5/1(土) 午前 4:05 [ イナバウアーの白兎 ]

イナバウアーの白兎さま
初めまして。コメントといろいろな情報ありがとうございます。まさきつねは五十嵐さんはさすがにおぼろな記憶ですが、ビールマンには驚いて観ていました。
五十嵐さんの頃は、フィギュアが氷上の社交ダンス的なニュアンスが強かったのかなと思いますが、どうだったでしょうか。丁寧に礼儀正しく滑り、規定どおり正確にエレメンツをこなすというイメージがあります。(今も同じ? そりゃ基本はそうですよね。)
ピンクパンサーはバーケルコーチなら候補に挙がってくるかも知れませんね。しかし仰るとおり、ソチを目指して何でカナダのコーチ?…まあ、直前に鞍替えという手もありますけどねえ…やっぱり、愛すべきポカポンタスですよね。
2010/5/1(土) 午前 9:07 [ まさきつね ]

(続き)
ビールマンといえば、ビットと争ったNHK杯を覚えているのですが、力でねじ伏せるみたいなビットに対し、柔らかく優雅なジャンプを決めていたビールマンの印象があります。
ビットも確かに美しく偉大な選手でしたが、純粋な競技としての質をより高めたのは、ビールマンや伊藤みどりさんだったように思います。
でも今みたいに、あからさまな数尻あわせみたいなことはなかったですから、オールドファンとしてはやはりいろいろ嘆きたくなりますよね。
2010/5/1(土) 午前 9:19 [ まさきつね ]

おおー、織田選手に『牧神の午後への前奏曲』とは思いつきませんでしたが、うん、すごくいいと思います!確かにウィアー選手だと似合いすぎてしまいますもんね。これは是非実現してほしいです!!
2010/5/1(土) 午後 5:36 [ eco ]

ecoさま
コメントありがとうございます。
『牧神の午後』ちょっと斬新で良いでしょう? 全面エロスでなく、古典的に洗練された神話的世界が生まれるような気がするのです。
2010/5/1(土) 午後 6:53 [ まさきつね ]

こんばんは、まさきつね様。

実は、私も、少し前にあるお芝居のチラシを見て、
「これを演じるとしたら、織田選手かなぁ」
とイメージしていたものがありました。

それは、私が子供の頃から愛してやまない
『ピーターパン』です。

織田選手の軽やかで美しいジャンプと、
少年のような風貌と、無色な感じ。
彼なら、イメージに合うような気がしました。
※本文中でご指摘の『自己許容性』も合っていると感じます。

…が、前後しておめでたいニュースが入ったので、
もう一児の父となる人に『永遠の少年』をというのは
かえって失礼かしら…と思い、
じゃあ、10代のピッチピチ(死語ですね…)の男の子に!
なんて考えていました(^_^;)

でもやっぱりあのジャンプは捨て難いんですよねぇ…。

『魔笛』のパパゲーノ!憶えてます!!
音楽の授業でオペラのビデオを観たんですが、
とてもインパクトのある愛らしいキャラクターでした。
2010/5/1(土) 午後 11:48 [ もじ ]

こんばんは、まさきつねさま。
織田選手への考察も面白く、また五十嵐文男さんの名前をご存知の
オールドファンの方のお話も聞けて、とても嬉しかったです。
私も同じぐらいのオールドファンなものですから。

そんな楽しい会話に水を差してしまうようで恐縮なんですが、新聞
ネタでどうにもひっかかることがありまして、聞いて頂けますでしょうか?
4月最後の金曜の読売新聞の夕刊に、森絵都さんという女性作家の方のコラムが載っていました。 長いので次に続きますね。
2010/5/2(日) 午前 0:28 [ オレンジ ]

その記事のタイトルは「ギネス認定 なんでも世界一って…」。
要するに、浅田選手のギネス認定の件なんですが、ただおめでとうと
祝福するには胸がもやつく(原文のままです)話だと。
浅田側から申請したわけではないし、そもそもギネスはいったいいつからなんでもかんでも世界一に認定するようになったのだろうと。
最近のギネスはそういった傾向が顕著で目に余る、真面目にスポーツをしている浅田までそこに巻き込むな、と怒っているような内容なんですね。 勿論ギネスには偉大な記録も多々あることも認めてはいるものの、認定の押し売りをするな、個人の努力をそういったものと
いっしょくたにするなと苦言を呈しているようではあるのですが、最後にこう締めくくっているのです。
「人のいい浅田は笑顔で認定の喜びを語っていたけれど、自らの成果が<世界一ジャンプ力のある豚>などと並び讃えられているのを見たらどう思うのか?もやつきを通り越して胸が痛む。と。
すいません、また続きます。
2010/5/2(日) 午前 0:53 [ オレンジ ]

確かにギネスには、純粋に凄い世界的記録というものと、おちゃらけ
部門とがあるようなのは誰でも知っていることです。
けれどフィギュアスケートにおいては、伊藤みどりや安藤美姫も認定されていますし、今回の浅田選手のそれも、どちらの意味を成すかは
おのずと知れています。彼女は何を否定したいのでしょうか?

私はこの作家の名前は知っているものの、作品は読んだことがありません。もしこの人が純粋な気持ちで怒りを持ったのだとしたら、それはそれで結構なことだが、表現の仕方に疑問を覚えるのです。
今までいろんなブロガーの方々が、自分と違う意見の人のコメントに丁寧に答えているのを見て、ああ、世の中にはいろんな受け取り方を
する人がいるからな、と感心したりしていたのですが、中にはどう
見ても曲解して、妙に攻撃的になったりする人っていますよね。
それでブログを炎上させるような間違った例も見たりしますが、言葉というものをどこまで掘り下げて読み取ればいいのか、少々悩んでしまいます。 長文、申し訳ありませんでした<(_ _)>
2010/5/2(日) 午前 1:16 [ オレンジ ]

織田君のジャンプが高く評価されがちですが,ジャンプの後の膝,足首の吸収はオーみたいですが,ジャンプ前の,さあ跳ぶぞ!!という構えは,肩や腰に力みがあり,プログラム全体の出来栄えからは美しさは感じません。小塚君の方がキレイ!!
同じことが浅田真央さんにも見えます。トリプルアクセル3回認定のギネスは凄いでしょうが,ジャンプの力みの無いのは,他の外国選手・・・ライバル達が魅せてくれます。

織田君のコミカルさは悲しく見えることも多くて,彼の泣き虫キャラからも・・もっと違うプログラムがあっていいのでは?
夫になり,親になることとスケートは関係ないし,信長の子孫ってのも・・・もう卒業して,違う自分を見せて欲しいですなあ~
2010/5/2(日) 午前 9:30 [ ozuozu ]

もじさま
「ピーターパン」確かに遅きに失した感がありますね。ベビー・フェースなので、外見は充分耐えられるとは思いますが、背景を知っていると違和感が…ね。
「チャップリン」もあのナンバー自体は記事に書いたように、あまり重厚感がなかったのですが、さまざまな彼のポカポンタスが付け加わって、SOIの演技をテレビで観た時は(転倒も含めて)何だかいろいろ悩んだろうなあと、しみじみ感じるものがありました。
来季からはもう少し、彼の演技本来の美点を前面に出したナンバーを期待しています。
2010/5/2(日) 午前 11:37 [ まさきつね ]

オレンジさま
コメントありがとうございます。
森絵都さん、本は読んだことありますが、もう少しいろいろ考察をしてから、レスをしますね。
2010/5/2(日) 午前 11:40 [ まさきつね ]

ozuozuさま
コメントありがとうございます。
そうですね。ジャンプの上半身の動きについては、ジャンプの種類や回転数、飛距離などいろんな条件が重なりますから、なかなか動作として自然体の美しさというものとは相容れないことがあるかも知れません。
ですからまさきつねは、本来エレメンツの美しさというのは、選手同士を比較するのではなく、その選手のベスト演技を基準として評価されなくてはいけないのではと思っています。
ジャンプ以外にも、ステップなどでも近年は、上半身の動きに重点をおいて評価する傾向が強いですが、フィギュア競技元来の特徴からすれば、もっと下半身というかフットワークそのものを観るべきではないのかなと考えたりします。
(きめ細かくターンやステップを踏んでいるのに、なかなかレベルが獲れないというのは疑問なのですよ。)
織田選手のコミカル性は、持ち味として決して悪くはないのですが、「イタイ演技」と思われたらマイナスですよね。そのあたりのバランスが難しいのかな。選手の抱える背景についても、演技にそれを感じさせない領域にたどり着くことが大事ということでしょうね。
2010/5/2(日) 午前 11:56 [ まさきつね ]

まさきつね様、素晴らしい洞察ですね。
私はチャップリンに「笑い」よりも「痛烈な皮肉」等をまず強く感じてしまうせいか、「チャンプリンメドレー」についての考察を拝見して膝を打つような思いがしました。
織田選手は繊細で不安定な面が、逆に魅力になっているタイプの選手で、その中でもちょっと異色的に稀有な存在だと思います。
最近、私も一連のハプニングは一種の才能なんじゃないかとさえ考えるようになりました(褒めてます)続きます…
2010/5/2(日) 午後 9:45 [ すずこ ]

上手い例えでなくて申し訳ないのですが、フィギュアファンから見て普通にとても親しみやすいキャラなのに、床から足が数センチ浮いているような奇妙な浮遊感も同時に持ち合わせているというか…
私が浮遊感を感じるアーティストは大抵、浮世離れしたイメージを多かれ少なかれ自覚してそれをベースに役作りをするタイプなんですが、織田くんのは無自覚なのか、違う何かがあるのか、単純にその括りに入れられないんです。
私の感覚がおかしいのかもしれませんが;

チャップリンより死の舞踏の方がいいというのは何となく感じてましたが、技術的にはもちろん、彼独自の滑らかさや華奢さ(体格だけでなく)、繊細さや抑えられた悲しみを昇華させるには、牧神の午後はぴったりですね!あの美しいジャンプも映えそうです。
生で見て、独特の柔らかなジャンプには感動しました。女子でもあんなジャンプを跳ぶ選手は少ないのではないでしょうか。
彼は表現力のポテンシャルはかなりのものを感じさせますので、ぜひいい方向に行ってほしいものです。
こういうエントリー大好きですし、まさきつね様はどの文章も選手への愛情が感じられてほんわかします。
2010/5/2(日) 午後 9:48 [ すずこ ]

すずこさま
コメントありがとうございます。
仰るとおり良くも悪くも「浮世離れ」した部分が、織田選手にはありますね。それを巧く作品の芸術性へ繋げて欲しいと思うのですよ。それこそ彼にしかない個性なのですからね。
高橋選手のマニエリズム、小塚選手の表現主義、そして織田選手のモダニズム…みたいな百花繚乱の個性がぶつかりあう競技が、まさきつねのフィギュアの理想なのです。
2010/5/2(日) 午後 11:18 [ まさきつね ]

オレンジさま
森さんのコラムに関する考察はコメレスではなく、次のエントリーに載せました。
またご感想をお聞かせください。
2010/5/2(日) 午後 11:20 [ まさきつね ]