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月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

フィギュアの「美のよりしろ」考


美に特化していないがために、かえってそこに美の現れるときがある。
その物の美的な部分が無為化、空洞化しているゆえに、各人の思う美を託す『よりしろ』たりうるからだ。(山口晃)


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先日、NHKの番組『視点・論点』に画家の山口晃さんが出演して、ユニークな自説を主張しておられた。

山口晃さんは東京芸大大学院の油画専攻を卒業して、2001年に岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞を受賞されて活躍中の新進気鋭の画家だが、その作品は「大和絵や浮世絵のようなタッチで、非常に緻密に人物や建築物などを描き込む画風」で知られている。

イラストデザインでも高く評価されており、良く知られているもので、公共広告機構のCM「江戸しぐさ」や、日本橋三越の100周年広告などが代表作とされている。昨年は五木寛之さんの新聞小説『親鸞』の挿絵を担当されていたから、掲載紙を購読されている方はご覧になっておられると思う。

卓越したデッサン力と、ルーペで眺めたくなるほどの細密描写が作風の特徴として良く挙げられる部分だろうと思うが、いわゆる売れっ子イラストレーターとして批評するか、現代アートの旗手と見るか、さまざまな側面からの切り口が出来る面白さも、この画家の妙味である。

(とりあえず今は「画家」と書いているが、山口さんの感覚的には日本の昔ながらの「画師」あるいは「絵師」という呼び名の方が合っているのかも知れぬ。いずれにしても、画家とかアーティストとかいった、現在のマーケティング的なジャンルでカテゴライズするのに、違和感を覚えるスタンスの芸術家であることは間違いない。)

さて、本題であるが、まず『視点・論点』はご存知NHKのオピニオン番組であり、10分足らずで論者がストレートトークで自説や主張を述べるという、ニュースコラム風のシンプルな形式である。
今回の論題タイトルは「日本の美(1)電信柱」で、数名の芸術家が日本の美について論じるシリーズの最初の回が山口さんで、そこで彼は、これまでいわゆる「景観の敵」とされてきた電信柱がいかに芸術的に美しいかということを、自作やご自分の展覧会の紹介を交えて訥々と語っておられたという訳だ。

論説は、日本の文明開化の時代からの電柱の歴史に始まり、佐伯祐三らの作品に現れた例を挙げながらも、一般には景観を損ねると言われ、景気対策もかねて地中に埋めてしまおうという話が起こっている現状の中で、電信柱を「美の対象」と見上げる視点を、写真芸術や華道空間へのアプローチを加えつつ、オリジナルの作品創作への展開を紹介して終わっている。

電柱には電信柱と電力柱とがあるらしく、山口さんは道路にそのような電信柱を立てるのを華道に見立てて、「柱華道」というご自分の造語を付け加えて自由研究として自作を創作しているのだ。
日本には線的な風景が良く合うというのも彼の風景観察の実感としてあり、電柱が高い位置にあるため、見上げると空を背景にすることが多く、明快な存在感を示すということのようだ。

電信柱の機能美に魅かれる人も多いと思うが、山口さんはその辺が少し違っていて、冬枯れの樹や彼岸花の美しさやビーバーなどの生きものの巣に擬えて、生命感とか生活臭のようなものにまで感覚を拡げて、美の解釈をしている。

山口さんの電信柱をモティーフにした作品は展覧会で発表されているが、論の中では、実際に絵にしてしまうと本来の美しさが伝わらないと嘆いておられるのも逆説的で、彼ならではのアイロニーを感じるところである。
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ところで、山口さんのこうした新しい美の発見の試みは、実は電信柱だけではない。
彼が以前、日経新聞に『美のよりしろ』と題して十回に渡る連載をされていたコラムでは、電信柱は勿論のことビデオカメラの内部やモノレールの室内、寺にある小屋、波板や鉄塔など、一見雑多に選ばれたものが、超アートとしてその存在を見直されている。

日経新聞のコラム紹介記事によると、「『よりしろ』は、『依代』『憑代』と書きます。広辞苑によると、『神霊が招き寄せられて乗り移るもの。樹木・岩石・人形などの有体物で、これを神霊の代わりとして祭る』とあります。」という説明があり、山口さんは冒頭に挙げた一文のように、製作者の意図しないところにこそ、鑑賞者の自由な美の解釈が生まれ、神霊が乗り移ったがごとくの純化された意匠が認められるということのようだ。

二十世紀初頭にマルセル・デュシャンが既成工業品の便器に『泉』というタイトルを付けて展覧会に出品した話は、美術界では有名過ぎてもはや何の新鮮味もないトピックだが、美の概念やアプローチについてあらゆる既成の捉え方が原点に立ち戻された象徴であることは今も変わりがない。

美を論ずる決まりがリセットされている現代では当然、山口さんのように自由な観点、束縛のない自然観照によっていろいろな美が定義づけられるのも、無理からぬことである。

極端な話だがここ近年、話題になっている廃墟や工場などへのマニアックな愛好ブームも、現代における「美のよりしろ」探索の一環として捉えても良いのかも知れない。

山口さんは前述の、ビデオカメラの内部や波板などを「よりしろ」として論じられる際に、茶道やあるいは華道といった日本古来の伝統文化的な視点やアプローチを加えておられ、ご自身もそれに即した「携行折畳式喫茶室」なる茶室や平面作品などを創作しているが、確かに、廃墟や工場の持つ空気感や佇まいにも、利休や遠州が茶道具や茶室に見出していた侘びや寂びに通じる観照があると思う。

いささかサブカルチャー的なニュアンスを増してきた「美」の定義であるが、今でこそ伝統文化の香り高い風貌をしてはいるが、そもそも茶道や華道も風流人の嗜む趣味道楽の類であったのだから、それも当たり前のことであろう。


そして、いつもながらここまでが前置きで、フィギュアの話に転換するのだが、「美のよりしろ」たる側面をフィギュアスケートが持つとしたら、それはやはり、演技者の意図しないところに宿る神霊的な力が働くものだと思う。

まさきつねがこれまでいろんな方々からいただいた貴重なコメントの中には、「観衆に意図して魅せることが大事」とか、「上半身に力みが入り過ぎる3Aは、芸術的に美しくない」とか、「もっとジャッジ受けを考えた音楽や衣装や振り付けを」といった、フィギュアの芸術性をもっと趣向として構想すべきという意味合いのご意見があった。

ある程度さもあらんと思われる方も多いと思うが、こうしたご意見の方の大半は多少なりとも、キム選手を始め他の選手たちの五輪戦略を、意識下においてのことだったと受けとめている。

結果的にはルールやジャッジを巻き込んだISUによる採点コントロールは、五輪開催国にとって最良の順位結果をもたらした訳だが、続く世界選手権の結果と併せて、スポーツ競技としてはありえない展開と、演技印象と得点数値の乖離を世界的に知らしめることとなったのは、皆さまご存知のとおりである。

まさきつねは今までのエントリーで、フィギュアの芸術性や表現力についていろんな側面から論じて来たが、それでも畢竟、フィギュアスケートが芸術として発展するためには、アイスショーではなくスポーツ競技でなくてはならないし、そうあらねばならぬと考えている。これは揺るがない。

演技のバランスだの、表現力の豊かさだの、作品の完成度だのという話も、まずは選手が自分のプログラムの限界に挑戦し、より高度な技術や試練の克服に立ち向かってから、論じられるべき課題である筈なのだ。
回転不足やDGを畏れて、選手に技を封印させるような競技のあり方はおかしい。
失敗のリスクを抱えても限界に挑むのが、あらゆるスポーツの存在理由ではないか。毎回出来ることだけやっていて、新記録が生まれる競技など、どこの世界にあるものか。

フィギュアスケートが「美のよりしろ」として、多くの人の心を捉え、惹き付けてやまないのは、演技者が美しさや見栄えを他者に向かってアピールした時ではなく、ただ無心に自らのプログラムを演じ、新しい冒険へひた走り、自己の思いもよらぬ場所に辿り着いた時だけだ。
そしてその後にジャッジによって、プログラムに正当な評価が下されたなら、強く美しき演技は、歓声と微笑とともに記録に刻まれたであろう。

世界選手権のあの完成度の高いFS演技の後、キス&クライで浅田選手が見せた、がらんどうのような表情を、まさきつねは長らく忘れ得ない。

全てをやり切って、それでも下された無情な数値。
受け入れるしかない心はどれほど、傷ついたのであろう。それを思うと今でもたまらなく、切ない。
もはや涙もなかったが、それでもあなたは侘び寂びた風情の茶室のように廃墟のように、寒空にすっくと立つ冬枯れの樹のように凛として、ただ美しかった。


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初めてコメントします。
心のこもったブログを拝見し、私も同じ思いを抱えていたので応援コメントです。
世界選手権のFS演技後、キス&クライでの浅田選手の表情と
その後に語られた「得点を見るのが怖かった」と言った内容のコメントが
切なすぎて見ている方も辛かった…
それでも凛として自分との戦いに挑んでいる姿に
本当に心からのアスリートだと、真のフィギュアスケーターだと感動しました。
芸術性を評価というならば、ジャッジやルールを作る側も芸術とは何か自らを高め
誰にも納得の出来る定義をして欲しいものです。
2010/5/8(土) 午前 1:53 [ ワカバ ]

こんばんは。夜更かししてしまっています。
私は白状しますとお世辞にも芸術的な感性の鋭い人間ではないので、芸術性とはなんぞやという議論に加わることがためらわれます。私がかろうじて理解できると思われるものは、「機能美」というものでして、優れた機能を生かすにはこれしかない!というデザインに感動を覚えます。(工場好きというわけではありませんが、あの方たちの気持ちはちょっとわかります。)工場の目的がよい製品を作り出すことであり、外観の美しさを誇るものではないように、フィギュアも作品の真髄を表現するために、研ぎ澄まされた技術を作品に盛り込むんだと思います。演出それ自体を評価しているような得点って、工場を見た目だけでもてはやしているみたいです。(あぁ伝わるかしら・・)
2010/5/8(土) 午前 2:51 [ pke*k*_pi_n*an ]

ワカバさま
応援コメント感謝です。とてもうれしいです。
渾身の演技に対して非情なジャッジ…あの時、浅田選手が抱いた虚無感を全てのフィギュアファンが味わいましたね。
果たしてこのたびのISUのルール改正は、どう評価出来るでしょう。マスコミが騒ぎ立てるほど、浅田選手有利とはとても思えないのですけれどね。
2010/5/8(土) 午前 8:20 [ まさきつね ]

pke*k*_pi_n*anさま
夜遅くにご訪問ありがとうございます。
「工場を見た目だけでもてはやしている」風潮は確かにありますね。マーケティングに目ざとい方々は、廃墟や工場の美しさに秘かに痺れて来たマニア心さえ、ブームにしてしまいました。日の本に晒されてしまうと、逆に色褪せてしまう世界もあるのです。
廃墟に魅かれるロマンティズムも、BLにときめく腐女子心も、過度に演出されてしまうと興醒めですね。
仰るとおり「演出」にライトが当たっては本末転倒です。あくまでもものの真髄が正しく評価されてしかるべきですね。
2010/5/8(土) 午前 8:30 [ まさきつね ]

はじめてコメントさせていただきます。
いつもまさきつねさん独特の切り口からの記事を楽しくうんうんうなずきながら拝見させていただいております。
昔からフィギュアスケートが好きで観ています。私は特定の選手のファンというよりフィギュアを観るのが好きです。
選手が限界に果敢に挑戦し、成功させ演技を終えた瞬間の感動、どのスポーツにもありますが、その「一瞬」を目撃したいがためにフィギュアをずっと観てきました。しかし、選手のすばらしい演技とそれに感動する観客の呼吸がぴったりあった後に、出されるジャッジの得点がここまで乖離するものなのかと、ここ2年ほど苦しく観ていました。私もトリノワールドのFS終了後のキスアンドクライでの浅田選手の呆然とした表情は忘れられません。そしてきっと忘れてはいけないのだと思います。
ルール改定案が出されてましたが、もっと抜本的に見直してほしいものです。それにしても女子SPでのスパイラル廃止案には開いた口が塞がらない気分です。ISUは一体何を考えてるんでしょうか…。
再びフィギュアが楽しく観戦できるときが来ることを願ってやみません。
2010/5/8(土) 午後 9:46 [ you**i212 ]

you**i212さま
初めまして。ご訪問うれしいです。
日本選手のこれほど豊穣な時代を、オールドファンはかつて想像したことがなかっただろうと、自分に鑑みて思っています。技術的に高度でありながら、それぞれの個性もさまざまで、本来はもっと楽しく観戦できる筈であったものを、一体この競技のどこで何が起こっているのでしょうね。
フィギュア大国であった筈のアメリカも、いつのまにやら蚊帳の外です。タイムズ誌の「影響ある100人」をちょっと皮肉な思いで見ています。
スパイラルはイナバウアーの荒川さんのように、いずれ浅田選手の代名詞にでもするつもりかねと、ちょっと鼻で笑ってしまいました。
ロングイーグルだって今はお粗末な扱いだし、見応えのある技がどんどん消えてしまいそうですね。
2010/5/9(日) 午前 1:41 [ まさきつね ]

最後のくだり、涙が出ました。いろいろな芸術に造詣の深いまさきつねさんによる美しい表現は、ファン心理による不毛な水掛け論から離れてフィギュアスケートの美をさまざまな角度から考えなおさせてくれます。これからも楽しみにしています。
2010/5/11(火) 午後 3:28 [ nenjyu-mukyu ]

nenjyu-mukyuさま
初めまして。コメントうれしいです。
不毛な水掛け論は本当に嫌になりますね。まさきつねは、全ての選手のその個性と魅力が限りなく引き出された演技が、純粋に観たい。(普通のフィギュアファンなら誰でもそう思うだろうと信じているのですが。)
選手から個性は勿論、笑顔も感情も奪ってしまうような、ルールもジャッジも、マスコミも(しつこいと思われるでしょうが、)まさきつねは批判し続けます。
2010/5/12(水) 午前 1:43 [ まさきつね ]

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