月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

空中庭園の散歩 其の八 ラヴェンダー色のしずく

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時間と空間を消滅させてしまって、一瞬のうちに何年間も、世界の果てまでも、旅のできる夢のように、私はべつの時代に入りこんで、そこで暮らして、柱時計の振り子が半球レンズのうしろで一振りする前に、もとのところへもどってきていました。

ある模様に縫い合わされた時間という織物があって、その中を、私は幽霊のように足音をたてずに移動しているのでした。

時間が、秒が、くっきりと丸い、すきとおった一つぶのしずくに結晶している、あの世界へ。
(アリソン・アトリー『時の旅人』)

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久しぶりに、世界選手権前に続けていた浅田選手の過去プログラムを振り返るシリーズのエントリーに戻ろう。…って、いつのまにかシリーズ化してしまったが、元々はまさきつねのピクチャ・ライブラリに溜まっている画像を、まとめてご紹介したくて始めた記事だった。

今回は多くのファンとまさきつねが愛してやまない『ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア』、映画『ラヴェンダーの咲く庭で』からの選曲でタチアナコーチによるプログラムである。
以前にも何度か取り上げ、解説したプログラムなので、そちらの記事にも目を通していただけると幸いである。

『ラヴェンダーは夢見る』
『白い羽根のファンタジア』


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内容に関する分析はこれら過去記事の繰り返しになるので、それ以外のところで語りたいことをつれづれなるままに書き連ねてゆく。

ここ最近でもまだ浅田選手の「表現力」がないとか、キム選手やほかの選手に劣るといった報道があるのかどうか知らないが、あいかわらずの印象操作したいアンチのネガキャンの中には、もう何がどう変わっても「表情が乏しい=顔芸がない」「色気がない=恋愛経験がない」という馬鹿の二つ覚えみたいな論理が根付いていて、まともにフィギュア競技を観ようという意識も評価する姿勢も端からないのだろう。
だから、こうしたネガキャンの向こうを張ってやっきになって反論するつもりはないのだが、このタチアナコーチ振付による『ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア』あたりから感じ始めたことについて、端的に論じておこう。

キム選手を振り付けるデビッド・ウィルソンのプログラムが、ジャッジ席からの見た目を重視して作られていることは多くの批評家からよく指摘されることである。
彼のプログラム内容はステップやつなぎの部分がどうにも省略的で、特にアイス・ダンスを好むようなフィギュアファンには、消極的な下半身の動きに物足りなさを覚えると思うのだが、それほど難度が高くなくてもそれなりに音楽に合わせてメリハリを付け、盛り上がりやトーン・ダウンを計算し尽くした巧緻な調整で選手の長所を引き立てるように考えられているのだろう。
それがキム選手のように、伝統舞踊的に身体を捻って稼動させる動きが得意で、またそうした勿体を付けた大仰な所作をどんな大舞台でも何の臆面もなくやってのける神経の図太さを持ち合わせていれば、これ以上はない演技力と受けとめられ、ある種傲慢だが大スター的風格という評価につながっていくのだと思う。それは畢竟、彼女の熱狂的なファンには、常に変わりなく味わえる安定した醍醐味となるのだろうし、複雑なスケーティング技術の難度や繊細な身体芸術の表現に興味や関心がない多くの一般の人たちにも、わかり易い迫力やアジア女性的な色香(ストイコの言う「セックスアピール」)を感じさせるのだろう。

競技のジャッジからしても、ウィルソンのプログラムをその演題に沿って、振付師の意図から寸分違わずやってのけ、また技術的にも毎度同じ構成を型通り(ジャッジが知っているお手本通り?)に熟してみせる勘どころや、競技ロボット的な完成度は、現行ルールに従って評価せざるを得ないということではないのだろうか。

実際、キム選手の昨季の世界選手権のような、途轍もなくやる気のない演技でもFS一位を獲ってしまう鉄壁な採点的強靭さ、今季のような一年のブランクの後でも失敗をものとせず台乗りしてしまう不安感の欠如といった、いかにも突出した世界歴代最高点を叩き出す超人的なパフォーマンスをここ数年続きで見せつけられると、単純にISUのジャッジから特別に寵愛される選手というだけでなく、演技手としての彼女に長年備わった特別な能力というものを認めざるを得ない。
まさきつねは、おそらくそれは「表現力」というべきものよりもパフォーマーの「演技力」というもので、それがよくアンチファンに「顔芸」「流し目」とか「くねくね表現」と呼ばれている、どこか外連味の強い芝居がかった身体表現なのだと感じている。

ウィルソンがジャッジ席からの視点にこだわって、その角度からのスピード感や印象が増すようにプログラムを演出したり振り付けたりしているように、パフォーマーのキム選手もまた、ある一定のフレームを意識しながら顔つきや所作に動きや表情を付けているのだろう。
それはどちらかというと、アングルやレンズフォーカスが関わるカメラワークや構図によって制限される映画的な演技メソッドに近いのだろうが、本来はアリーナの広い空間を縦横無尽に滑り、あらゆる角度から演技を見つめている観衆すべてに向けて表現していくべき、リンクを舞台とする採点競技としての特殊性からすると、高得点を狙うための戦略とはいえ、ずいぶんジャッジ受けをあからさまな照準に充てた偏向のある振付と歪曲染みた演出という気がしないでもない。

さても、かくも合理的に圧倒的に勝利することを目標とした場合、キム選手の競技者としてあるいはウィルソンの振付師としての姿勢は、いずれも賞賛され見倣われるべきものであって、決して批判の対象となる類いのものではないのだろう。まさきつねもキム陣営のこうしたジャッジ攻略の戦法を、一概に咎めている訳ではない。
ジャッジの偏愛を存分に受けて記録した五輪シーズンの高スコアを盾に、おそらくはほかの選手とは格段にお気楽なメンタルで、さらに技術的に向上した演技や内容的に充実したプログラムを披露せずとも、次シーズンも同等か少しばかりルールに合わせて変更した程度のパフォーマンスが出来れば表彰台は確実という、実にキム選手にとって精神的に有利な現況が生み出されたとしても、それはすべてISUのルールとその運営がお膳立てしたもので、彼女や彼女の陣営に何ら非があるものでもないからだ。

彼女がたとえ、シーズン中ほとんどの試合をスルーしたブランクがある中で、世界選手権に復帰しても何のリスクも感じないでいられる巧みな絡繰りがあるとしても、ルール違反でも不公正ジャッジでもなければ、いわゆる八百長や出来レースと弾劾される範疇のものでもない。
キム選手は常に安定した、変わり映えのしない完成度のパフォーマンスを見せてくれる――昨季の『007』とガーシュインもそうだったが、今季の腹痛に身悶えるように闇に堕ちていったジゼルと、恨のこころで望郷の念を剥き出しにしたようなアリランも、どこがどう違うのか、寸分違わない怨念のこもった表情と、身体を捻じらせるポーズと素っ気ない手振りの表現で、情趣の欠片もなく終わってしまったし、多少のミスもあったが、それをものとしない無神経なまでの尊大な矜持であいかわらずの勝負強さを見せつけた。

とはいえ、大方の部分で昨季とさほど変わりのないそこそこの技術的な巧さを見せていたし、スピンのポジションなどは昨季よりも多少上達した側面をのぞかせていにも関わらず、それでもいくつか目に付いたジャンプの失敗や、明らかに滑り込みの足りないステップの味気のなさなどは、昨季の歴代最高点の高下駄、ジャッジによる過分な偏愛をもってしても埋めることの出来なかった彼女自身の演技の劣化によるものだろう。

さて、解説したかった本旨から脱線して、つい長々と別の内容を語ってしまったが、流れを元に戻そう。

キム選手の欠点を出来るだけ補完して、彼女の演技的個性であるスピードや流れの良さを強調し、彼女の演技的スタイルや巧さをジャッジに美しくアピールするのが、ウィルソンの振付だったとしたら、タチアナコーチの振付はこうした特徴に一切頓着しない類いのものと言えるだろうか。

タチアナコーチは振付によって選手の個性を生かすということよりも、本人すら気づかない新しい一面を引き出すような、別な切り口でその選手らしさを浮き彫りにする巧みさに長けているという気がする。

浅田選手のふわふわした妖精のような美しさや、幻想的な雰囲気は、ニコルの振付でも充分に堪能出来たし、ニコルのどちらかと言えばウィルソン的な、あまり内容の詰め込まれていないステップ構成やエレメンツの並びは、万人受けするわかり易さとゆとりがあり、同時に楽曲の流れに逆らわない素直さとクライマックスを抑えるツボを外さない巧さで、彼女らしさを十二分に印象付けるものだった。
こうしたニコル・プロの特徴は、今季の『愛の夢』でもしっかり発揮されていたし、それはそれで魅力的だったのではあるが、一方でまさきつねはタチアナ・プロのどこか晦渋で、ジャッジはおろか一般観衆からの支持にも迎合しない孤高の芸術性、選手に独自の演技表現を追求させ、時に自分らしさからも離反して全く違う新しい個性を見出させるような、フロンティア精神に充ちた冒険心を感じさせる部分に共感するのである。

『ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア』は非常に繊細で美しい旋律と、哀愁に充ちた詩情が特徴的な楽曲だが、楽想の解釈となると決して単純ではない内的な深さと複雑な世界観を持った作品である。

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音に身体表現を共鳴させ、そこに自分自身の素直な情感を込めて、大仰なポーズや芝居がかった表情とは無縁にあくまでも舞踏的な動きやステップで演技を構成する浅田選手にとって、美しいメロディーに滑りのエレメンツを同化させるのは決して難しいことではなかったと思うが、綺麗なだけではない人間のドロドロとした感情や人生の哀歓を表現の中に盛り込んでゆくのは、表現力の有る無し云々以前に、彼女の若さではそれだけで大変な作業だったと推測する。

タチアナコーチは、複雑な人間感情が絡み合う映画のストーリーとは別に「強い鳥」をキーワードにして、浅田選手に自由な発想と豊かなイメージの発露をうながしている。いつか、自分を心から愛したもの、想いを捧げてくれたひとにさえ背を向けて、自由を求めて旅立ってゆく人間の美しさと強さ…そして醜さと弱さが表裏一体の人間の悲しさを、羽ばたく鳥に重ねあわせて叙情的にイメージさせようとした、その示唆の巧みさが秀逸だと思う。

ひとつではない答え、これと限定されないイメージの拡がりが、アスリートに振付師の意図を超えた表現の可能性を与え、物語の解釈を膨らませ、完璧以上の演技を求める荒唐無稽さのようなものが、タチアナコーチの振付にはあるのだ。
だからこそ、単純に採点するジャッジの視点のみに合わせた一方向からの演出などタチアナコーチの発想にはあり得ないのだろうし、それゆえリンクの端から端までを使った内容の濃い演技が選手に求められ、それが必然的に劇場空間全体を支配するような表現技術に結実してゆくのである。

ハプニングが起きるようなあらゆるリスクを排除して、毎回が計算された起承転結を守りミスをしない安全策で、手狭な共有空間でジャッジとアイ・コンタクトしつつ勝利を確信するような、出来て当たり前のような振付を、毎度無難に完璧のみを目指して熟しても、そこにはアクシデントを乗り越える感動はない。
果てのない未来への予感に胸を躍らせてくれる、先の読めない面白さと、永遠に続くパッションと、何よりも人間臭い喜怒哀楽のドラマがないのである。

タチアナコーチは精密機械がロボットのように、振付師に言われるがまま、ただミスのない演技を繰り広げたところで、そこにフィギュア競技や身体芸術の新しい方向性を示す展望の何ひとつ見出すことが出来ないことを知っている。試合の場数を踏むことで、選手の経験値とコレオと劇場空間が三様にぶつかり化学反応を起こし、思いがけない変化や新しい感動が生まれることを、歴戦の古参である振付師は重々承知なのだ。

タチアナコーチは浅田選手に「乗り越えろ」という試練を与えたが、タチアナのプログラム自体が、選手が乗り越えねばならない高難度のエレメンツを散りばめられ、アイス・ダンスの選手並みの足捌きを求められ、そして音に遅れることなく細かな振付を熟していかねばならない繊細な身体の動きを要求してくる。それは、選手が試合のたびに難しい要素を自分のものとすることで大きく成長し、さらに演技表現が進化してゆくことが、振付師の意図や計算を超えた芸術的感動を生み、作品そのものをさらに美しく磨かれた質の良いものへ熟成させてゆくに違いないからなのである。

『ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア』は、確かに浅田選手が、幼く可愛い少女らしい演技から一歩踏み出して、美しい身体表現者となり得る将来性を示した作品だった。
人生経験の薄い十代の少女のパフォーマンスに、老練な選手の演技が醸し出すような内的な深みや円熟した表現を加えるには何が必要か、タチアナコーチはいろいろに思案されたことと思うのだが、そのひとつには、時間も空間も飛び越えたはるか彼方の世界に住む老女たちの想いに、『ラヴェンダーの咲く庭で』という映画作品を通じて触れさせることが、浅田選手に精神的な成長をもたらすと考えられたのではないかと、まさきつねは推測する。

優しく厳しい時を重ねた老姉妹の物語にこころを添わせて、「強い鳥」のイメージを羽ばたかせ、浅田選手は透きとおった時の欠片がきらきらと結晶化してゆくような演技を試合ごとに磨き上げていった。

それは勝利するための合理性やリスク・マネジメントに対する意識というものが全く希薄な、スケートへのアプローチだったと思うが、フィギュア競技をこころから愛する浅田選手と、浅田選手をこころから愛おしんだタチアナコーチにとってはまさにこうするしかなく、こうあるべき身体表現者とコレオの出逢いであり、その蜜月の始まりだったのだろう。

そして今なお、このふたりがフィギュアの歴史に遺したプログラム『ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア』は、ラヴェンダーの薫り高い時のしずくのようにファンの胸に輝き続けている。

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アーシュラ「人生は不公平だと思うわ」
ジャネット「そう、人生は不公平なのよ」
(『ラヴェンダーの咲く庭で』)

☆「Ladies in Lavender」 Royal Philharmonic Orchestra☆

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☆浅田 真央選手 <メダリストオンアイス 2007>mao asada☆


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