月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

一月の短歌 其の参

佳品嘆美38
レオナルド・ダ・ヴィンチ『洗礼者ヨハネ』1513-1516年


あたらしき年の晨に思ふかないまひとつ宇宙あるといふ説
(島田修二『春秋帖』)

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誰もが一度は思うだろう。自分にはもしや別の選択、ほかの人生があったかもと。だがそれは、光年の彼方にひらく朝の夢の欠片だ。



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拙ブログへご訪問いただいた皆さま、温かいコメントを変わらずお寄せくださるモジさま、ホビットさま、踊り子さま、キャベツさま、Mさま、花屋さまはじめ多くの皆さま、本当に長らくのご無沙汰申し訳ありません。
皆さまのお言葉とお気持ちはありがたくいただいております。

まさきつねは息災でおります。
フィギュア報道の動向やいくつかのブログ記事も見ておりますが、言葉にて発する内容がまとまりません。
言い訳ではありませんがただひとつだけお伝えしておきたいのは、あのバンクーバーの年と同じ言葉を不用意に吐き出したくないという思いはあります。

皆さまもご存じの通り、浅田選手は変わりました。ジャンプの跳び方やスケーティングは勿論のこと、メンタルの強さもそのオーラも、さらに磨きがかかり、パフォーマンスの芸術的な美しさや完成度はもはや他の追随を許す領域にないと云って好いでしょう。

しかしスポーツ競技である以上、数値的な評価はどんなに無粋でも付いてまわります。そして数字ほど、世の中に欺瞞を蔓延らせるのに都合の好い手段はないのです。
今更、フィギュア・スケートがスポーツか芸術かと不毛な論争を繰り返すつもりはありませんが、このソチ五輪のシーズンをもって競技用のリンクを去る幾人かの選手たちとともに、身体芸術としての美学はその極限と終焉を同時に迎えることになるのだろうと、まさきつねは感じています。

無論、時代が移り変わるのは当然のことで、まさきつねは決して過去だけを尊ぶアナクロニズムを良しとはしませんが、たとえばルネサンスの芸術作品などを観るとき、たしかに「失われた時間は戻らず」、二度と訪れることのない豊穣の時代というものはあるのだと実感せざるを得ません。

現在や未来が悪いとは思いませんが、懐かしい過去の持つ優しさ、甘さ、美しさはまさに愛の夢です。

過去に思いをはせるとき、ひとは何を悔やみ、誰を悼むのでしょう。
もしかしたら違う人生、違う選択、違う結果を欲するのでしょうか。

ヨハネの差す指の先、そこに確かに啓示はあり、人は確かにたゆまぬ歩みを続けることができるのでしょうか。


誰もが迷い続けて、正しい答えなどいつまでたっても見つけられない人生ですが、それでも花は美しく咲き、鳥は楽しく啼いて、風は芳しく野辺を渡ります。

後悔も反省もない人生など誰にもありはしないと思いますが、せめて過去と同じだけの光が未来にも降りそそぎ、美に充たされた風景がこの先見つめる世界にもずっと広がってあるように、新しい年の初めに祈りたいと思います。


佳品嘆美39



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