月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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チャルダッシュの嘆き

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またぞろ、過去記事を整理していると、真央さんの新しいニュースが飛び込んできた。
日本スケート連盟が主催する平成28年度優秀選手表彰祝賀会で、真央さんに連盟初の特別賞を贈ったというものだった。



【浅田真央さんに特別賞「失敗恐れず前進したい】
(2017年4月27日21時54分日刊スポーツ)

 今月現役を引退したフィギュアスケート元世界女王の浅田真央さん(26)が27日、日本スケート連盟の優秀選手表彰祝賀会にサプライズで登場し、特別表彰を受けた。
 黒いスーツ姿で壇上にあがった浅田さんは、「とてもうれしい気持ちでいっぱいです。選手の頃は、常に挑戦する気持ちを持って試合に挑んできた。これからも挑戦する気持ちを忘れずに、失敗を恐れず前に向かって前進していきたい」とあいさつした。
 また、18年平昌五輪を目指す後輩へ「今の選手の子たちはまだまだみんな若い。これから大変なこともあったり、乗り越えなきゃ行けないこともたくさんあると思うので、山に負けないように乗り越えてほしいなと思います」とエールを送った。
 先日、自分がブランドの顔を務める給水器のイベントに臨み、新たなスタートをきったばかり。現在の予定は、座長を務めるアイスショー「ザ・アイス」のみで、5月の大型連休明けから練習を始める。その後もプロスケーターとして活動を続けるかは「(ショーが)終わってみないと分からない」とした。また、「『真央リンク』をオープンさせたい」と先の大きな夢も語った。

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先日の愛知県民賞しかり、このたびの特別賞しかり、巷でざわざわ取り沙汰されている国民栄誉賞も含めて相も変わらず、アスリートの圧倒的なスター人気にあやかろうという行政や団体の常套的手段だが、それでもめでたいお話なのだから、ここは大人の対応として素直に祝福すべきところだろう。

選手をアイドルのごとく消耗品扱いし続け、利権をむさぼり続け、不調の時には掌を返してニューヒロイン押しに躍起となり、肝心の大舞台では必要なサポートを怠った無能なお偉いさん方や、その太鼓持ちでしかない八方美人のマスコミについては、今更何の期待もしていないが、依然として「ポスト真央」とか「浅田二世」という言葉がメディア紙上に踊るのを見ていると、いかにそれだけ「浅田真央」という存在が、後にも先にも空前絶後の人気を誇る稀有なものであったかと思わざるを得ない。

無論、まさきつねも世の中には、競技としてのフィギュアスケートに一切興味のない人種や、浅田選手の引退会見に「あまりピンとこなかった」組と自称される方々が、おそらくコアなフィギュアスケートファンよりもはるかに多くおられるということくらい、重々承知だ。
そして、たまに競技会のテレビ放映を観る程度のファンや、有名選手の名前を知っている程度の一般観衆を含めても、会見に涙した人々以上に、「真央ちゃん引退したのか。お疲れさまでした」くらいの感慨しか持たない大衆の方が、数で優っていただろうことは容易に想像がつく。

「日本中が泣いた」だの「誰もが感動した」だのという陳腐な煽り文句は、(新作映画の宣伝コピーじゃあるまいし)それこそマスコミお決まりの慣用句でしかない。
だが逆に、「こいつで涙しなきゃ非国民」といったマオタファシズムみたいなものも、一部のアンチファンがことさらに騒ぎ立てているだけで実際にありはしない。

涙も感動も、勿論第三者から強制されるものではないが、どんな蛮行をもってしても強制できるものでもないからだ。

ただ、知名度という一点から鑑みれば、「日本中の」とか「誰もが」といった枕詞をマスコミが使おうが使うまいが、そして多分、日本中どころか「世界中」という言葉でさえ通用してしまうのが「浅田真央」だと思う。


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それが明快に証明されたのが、世界国別対抗戦で掲げられていた世界各国の選手やコーチから寄せられたメッセージボードだったが、シニアの国際試合に登場してからこの方、世界中の観客から熱狂的な応援を受けつつ、日本では一部の愛好家が楽しんでいただけでほとんどテレビ放映もされていなかったフィギュアスケートを、あれよという間に国民的な人気スポーツのひとつへ押し上げ、競技人口を2000年から比較するとおよそ倍近くにまで増加させた立役者が「浅田真央」であったことは、まぎれもない事実なのである。

「浅田真央」の奇跡をもう一度再現したい、あるいは彼女以上のスターを生み出したいと画策する、競技界のお偉方やその尻馬に乗るメディアが、なんとしても「ポスト浅田真央」の出現に躍起になる風潮も理解できないことではないが、お人形の首を挿げ替えるわけにも、それこそ強制的に涙や感動を押し付けるわけにもいかず、今はまだ男子選手の絶対王者が浅田選手とは別のムーヴメントを展開している最中だから、真央ロスの大きさ怖ろしさが詳らかではないものの、この先「浅田真央」という輝きを失った競技界が、どんなかたちでこの損失を補填していくのか。

ただ、これから平昌五輪に向かう新しい世代の選手たちには、スポーツ競技を今以上にマーケティング主義でもてはやす風潮や、次から次への使い捨てのアイドルのように消費する芸能界的戦略の波に飲み込まれないように、真央さんの言葉にもあった困難極まる「山」を一歩一歩諦めずに自分の足で越えてほしいと願うのである。


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話は変わるが、ご存知の通り、浅田選手引退の直後、村上佳菜子選手もまた引退を表明した。



【フィギュア村上佳菜子、今季で引退 「これが最後の演技」】
(産経ニュース2017.4.23 15:39)

 フィギュアスケート女子で2014年ソチ五輪日本代表の村上佳菜子(22)が、今季限りで現役引退することが23日、明らかになった。東京都内で行われた世界国別対抗戦のエキシビションに登場した際、「これが現役最後の演技」とアナウンスされた。

 驚きに包まれた会場に純白の衣装で現れた村上は、3回転サルコーを含む3連続ジャンプやダブルアクセル(2回転半ジャンプ)などを着氷。最後まで笑顔で手を振ってリンクを降りた。
村上は10年にジュニアの世界選手権で優勝。シニア参戦後は全日本選手権上位の常連へと成長し、14年に初出場したソチ五輪は12位だった。「次代のエース」と期待されたその後は伸び悩み、今季の全日本は自己最低の8位に終わった。

 背中を追ってきた浅田真央さんもすでに引退を表明。鈴木明子さんを加えたソチ五輪代表の日本女子は全員が現役から退くことになった。



まさきつねは以下のような過去のブログ記事などで、何度か村上選手の個性やその課題について指摘した。

『カラヴァッジオと村上選手の光と影』
『アメリカ杯のeと< 其の弐 』


その際いただいたコメントで「(村上選手の演技は)あまりお好みではない?」と看破されたりもした通り、まさきつねは決して彼女の演技を偏愛してはいなかったが、その天性の明るさ、溌溂した動きとエモーショナルなダンスパフォーマンスは、同世代の選手の中でも白眉と感じていた。
銀盤の妖精というよりも、血の通った若く瑞々しい女性らしい魅力、つまり氷の上であることを忘れさせるほどの、生き生きとしたダンスステップや素直な感情表現こそが、村上選手の持ち味で、どこまでも弾むボールのようなフレッシュな疾走感が小気味よかった。

村上選手もまた、ジュニア時代から浅田真央二世の冠を付けられ、ジャンプ不調な浅田選手の穴を埋めるヒロイン扱いでマスコミや連盟に過剰に持ち上げられたり、また裏切られたりと、起伏の激しい多難の競技生活を送ったように思うが、それでもどこか骨太の折れないこころ、肝が据わった頑健な根性で、絶え間なく降りかかってくる無理難題を粘り強く乗り切っていたような気がする。

しかしソチ五輪の後は、若い選手たちが台頭してくる中で、浅田世代からの過渡期に位置したことの利点や経験を活かすどころか、ひとり追われる立場に置かれたプレッシャーで自滅に向かった感がある。
無論、浅田選手はじめ多くの選手たち同様、毎度どうにも合点がいかない不可解な採点システムに翻弄された側面もあり、デビュー当時は奔馬のような鮮やかな三回転の連続ジャンプで観る者を惹きつけたが、近年は回転不足の判定を受けることも多くなり、エッジエラーも矯正がうまくいかず、苦手なループジャンプもプログラムを組む足枷となった。

もしや世界の頂点に君臨するための大胆不敵さや、勝利に対するなりふり構わぬ貪欲さがあと少し足りなかったか、次世代の急加速的な追い上げを必死で振り切る強さをついに持ち得なかったのも、鈴木選手、浅田選手とともに並ぶフィギュア三姉妹の末っ子的立場で、五輪前シーズンのある意味で神の恩恵というべき黄金のような日々を過ごせたことの反作用だったかと、今にしてみれば思わないでもない。

あえていえば、引退についての村上選手の「本当に幸せ者。感謝しかない」という言葉が、彼女らしいさばさばした潔さにあふれ、そして何よりも、彼女が心から慕っていたコーチや先輩選手たちと過ごした、甘やかで充実した時間が、試合結果以上の満足感や達成感を与えたのではないかと推測させるのである。

村上選手は今後たちまち、アイスショーやフィギュアと歌舞伎のコラボという舞台『氷艶 hyoen 2017 -破沙羅-』へ出演が決まっているそうなので、舞台芸術としても新たな試みである作品の中で、彼女らしい陰影のある情熱的な踊りでステージを沸かせてほしいと思う。

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最後に今回の本題、浅田選手がシニアデビューした次の年、2006年‐2007年シーズンのフリープログラム『チャルダッシュ』へのオマージュである。

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【浅田真央(mao asada) World 2007 FS ~ 「チャルダッシュ」 【保存版】】


おそらくこの頃の浅田選手も、まだ怖いもの知らずの挑戦者で、追われる側の重圧よりも、前を行く者に食らいついていく必死さと追い越せない口惜しさで精一杯だったのではないかと思う。

跳びまわる小鹿のような躍動感、若さが爆発したようなエネルギーの流れ、スピードに乗ったステップ、一切の重力を感じさせない綿毛が舞うようなジャンプ。

『チャルダッシュ』の哀感に充ちたメロディーさえ、弾けるような生命力で一蹴してしまう力強さと、少女のひたむきな演技からほとばしり出る純粋な美しさが誰もを虜にした。

難度の高いプログラム構成で、シーズン通して一度も完璧に滑ることのできなかったこのフリーは、2007年の世界選手権までファンの間で「未完のチャルダッシュ」と囁かれた。

それでもGPシリーズを闘い、全日本で優勝して世界選手権に臨めたのは、SPの『ノクターン』が高い完成度で今季を制するための彼女の武器となっていたからだ。
ところが世界選手権では、そのSPの連続ジャンプで失敗、五位と出遅れて台乗りが危ぶまれる要因となった。

この後、『チャルダッシュ』がまぎれもなく「浅田真央」の伝説プログラムのひとつとなったのは、「未完」と呼ばれたほどの難しいジャンプを次々に成功させ、複雑なステップや綺麗な体型のスピンも無難に熟して、今度は「逆襲のチャルダッシュ」と銘打たれたようにそれまでのフリー歴代最高得点を記録し、演技終了時点で一位に躍り出たためである。

笑顔は喜びの涙になり、勝利は掌中にあると思われた。

だが誰もがご存知の通り、予定の四回転サルコウへの挑戦を封印して、確実なジャンプ構成と大人びた女性らしい優雅な振付で、ショート、フリーともにパーソナルベストを更新する会心の演技で会場を沸かせた安藤選手が、わずか0.64点の僅差で優勝を掻っ攫っていった。

ふたたび堪え切れない涙に、暗い通路の奥へ消えていった十六歳の背中を、残酷なテレビカメラが映した。

浅田選手がフリーで跳んだトリプルアクセルは両足着氷と判定され減点、その結果6.60点のルッツジャンプよりも低い6.50点しか稼げず、世界の歴代最高点133.33のフリーであったにもかかわらず、彼女のジャンプはまだまだ完成されていない、逆に言えば最高得点はまだ伸びしろがあるというのが、容赦のないジャッジから下された評価だったといえるだろう。

まさきつねは当時も今も、浅田選手のトリプルアクセルへの採点評価が妥当とは思っていない。
たとえ両足着氷であろうとも、ほかのジャンプに比較すれば、このジャンプの難しさに対して、基礎点の設定そのものが端から低すぎると考えざるを得ない。
だから、この時の優勝者は浅田選手でも良かったとも考えるが、各エレメンツの得点をさておいて、演技全体の出来栄えや身体表現の完成度を公平に見れば、安藤選手の側に軍配を挙げる。

とはいえそれは、よくマスコミが叩いたように、浅田選手の表現力が低いということでも、根拠のない当時のある批評にあったように、音楽とスケーティングがずれていたということでもない。
浅田選手の滑りの中には、確かに『チャルダッシュ』の音が息づき、さまよえる民の世界観が物語として表現されていたし、彼女の演技は、難しい振付の一つ一つを思いのこもった動きとして昇華していた。

それでも、十九歳の安藤選手が披露した『ヴァイオリン協奏曲』は、流麗で華やかな曲想を完成されたエレメンツでとらえ、まだ若木のごとき浅田選手の清新なスケートに勝る、大輪の花のような艶やかでフェミニンな魅力にあふれていた。

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【2007 Worlds Ladies FS Miki Ando】


二人の演技はもともと相反する個性なのだから、評価が二分するのは初めから如何ともし難い。
そしてそこには確かに、一日の長としか言えない年齢、経験の差、どうしようもない年の功というべき人間の成熟度に対する、各人のシンパシーの相違があると思う。

さらに裏を返せば、十代半ばのまだ蕾のような女子選手しか持ち得ない、のびのびと勢いのある演技は、期間限定で楽しむ宝石のようなものなのだ。

現在、女子シングルのフィギュア競技は以前にもまして、体が軽くスピードの速い十代の若い層がメダリストを占める確率が高くなっている。
それは勿論、ジャンプの回転不足やエッジエラーの判定が厳しくなり、技術点重視の採点傾向が強まったためだが、結果、スポーツ競技としての厳正さや醍醐味は増えた半面、身体芸術としての表現力や円熟味を味わう喜びは半減してしまった。

五輪シーズン直前にして、ベテランの浅田選手や、まだ二十二歳の村上選手でさえ引退という現況に追い込まれたのも、長年培われたスケート技術の奥深い絢爛さや、カリスマ的風格に充ちた演技が芸術的評価として、現行ルールの設定とシステム運営においては採点に反映されることがあまりに乏しくなり、おそらくこの流れは少なくとも平昌まで、見直しの検討も修正もされまいと判断せざるを得なかったからだろう。

そして、なんとも苦笑いせざるを得なかったのが、平昌五輪後にさらに大きな改変が行われ、今度は競技方式が変わるという次の報道である。




【技術と芸術、別プログラムで=フィギュアで新方式検討―ISU】
(時事通信4/18(火) 7:14配信)

 国際スケート連盟(ISU)がフィギュアスケートの競技方式について、ジャンプやスピン、ステップの技術要素と、表現力などの芸術性を別のプログラムで評価する新方式を検討していることが17日、複数の関係者への取材で分かった。

 現在は男女ともショートプログラムとフリーで技術点と表現力などを示す演技構成点をそれぞれ出し、合計点で争われている。新方式案では評価をより明確にするため、プログラムを「テクニカル(技術)」「アーティスティック(芸術)」(仮称)の二つに分ける。2022年北京五輪後の導入を見据え、18年ISU総会での提案を目指す。

 テクニカルは技術要素の評価に重点を置き、アーティスティックはより自由な演技で技術点に上限を設けて表現力の得点比重を高める。テクニカル、アーティスティックのどちらかのみ出場することも可能にする方針という。

 ある関係者は「競技への関心を高めるため可能性を探る必要があり、案を精査している」と述べた。別の関係者は「(総会で)反対する人はおそらくいないのではないか」と話している。 




まあこうした報道の多くは眉唾だったり、記者の早合点だったりするものだから、組織からこのような提案があるというだけではなく、実際に新しい採点システムが公式発表され、競技内で運営されなければ、憶測記事に重ねて憶測するだけでは、何ひとつ建設的な意見を物申すことはできない。

ただ、今のジャンプ偏重で若手有利の傾向に、ISUの中でも検討の兆候があるのだろうと推し量れ得る一面はある。

このたびの浅田選手の引退に至る経緯や、世界中から押し寄せた惜別の声も鑑みて、観衆が銀盤の主人公たちのパフォーマンスとして真実一体何を求めているのか、アマチュア競技として公正無比な技術採点の結果なのか、それとも本来は数値化し得ない身体表現の主観的感動や芸術的魅力なのか。

その解答への鍵のひとつが、十代の浅田選手の『チャルダッシュ』、SP五位からの逆襲と謳われたもののワールド二位の結果に涙した美しくもほろ苦い記憶の、伝説的演技にあるように思うのだ。


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浅田選手の『チャルダッシュ』音源
タスミン・リトルTasmin Little, ジョン・レネハンJohn Lenehan
Tchaikovskiana / チャイコフスキアーナ2006年12月27日


薄らあかりにあかあかと
踊るその子はただひとり。
薄らあかりに涙して
消ゆるその子もただひとり。
薄らあかりに、おもひでに、
踊るそのひと、そのひとり。
(『初恋』北原白秋)

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