月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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森の中の一日


ようやく秋の風が立った。

この夏は日本中、何処も彼処も連日熱帯夜の猛暑で、お年寄りや持病のある方など抵抗力の落ちた人には辛い日々が続いたと思うが、かく言うまさきつねの母もとうとう熱中症で入院生活を余儀なくせねばならぬことになった。
(この話はランチを一緒にした友人にもなかなか切り出せなかった。隠したい訳ではないのだが、身内が寝込む話はやはり口にするのが悲しい。)

涼しくなれば母の体調も元に戻ると思うのだが、たとえ暫くの入院とはいえ、家にいつもいた人間の影が見えぬのは、どこかにぽかりと穴が開いたような虚無が出来てしまうのだ。
いつもはのんびりした父さえも、どこかで慌てているのか考えが定まらぬのか、間違えたこともない道を間違い、うっかりミスを連発する。同居猫も落ち着かぬ様子で玄関先に座り込み、二階の母の部屋に人影がないのを悟っているのか、階段を昇ろうともしない。

一人暮らしなどの体験もして、孤独など慣れっこであった筈の者でも、たかだか数日家族のひとりが欠けただけで感じる淋しさというのは、落ち込んだ心に夜の闇のように忍び寄ってきて、何も手につかぬほどの空疎なポケットを作ってしまう。

悲しみはそこを埋める言葉を欲しがる。

愛しいものに愛しいとと告げ、恋しいものに恋しいと伝える、ささやかだがひたすら優しい言葉はないか。今、愛がそばにいない者のために、愛するものと分かちあえない時間の冷たさを、過ぎてゆく時間の虚しさを、せめて温かいものに変えていくそんな言葉の欠片はないだろうか。

(プライベートに申し訳なくも暗い話になってしまったが、まさきつねの母は数日安静とはいえ、退院のめども付いているのでご安心ください。)

ところで、厳しくも優しい言葉といえば思い出すのが、浅田選手のお母さまの匡子さんが語られたという『浅田真央、15歳』の中の一節である。
コメントいただいたくまねこさまのサイトhttp://kumaneko037.blog103.fc2.com/blog-entry-57.htmlにお邪魔して、英訳された以下の文章から改めてさまざまなことを考えた。

「真央には、話した。ひとつのことをやり遂げようとすれば、何かを諦めなければならない。でも、それはいつか必ず、お前に返ってくるよ。きっと、誰にも体験できないことが経験できるよ、と。

Kyoko said to Mao, “You will have to give up something if you try to achieve something. But it will surely do good to you in the future. You will be able to experience what only you can experience.”」

この本『浅田真央、15歳』の中には、まだ幼い浅田選手の思い出話とともにさまざまな母親としての想いをつづったエピソードが収録されている。浅田選手自身が語った家族への感謝の気持ちも併せて紹介されており、勿論この著はファンには必帯の一冊で、掲載されたエピソードの数々についても既知の方が多いだろう。

無邪気な少女が好きなことに目覚め、道を追求していくにつれ世界を極めるほどに成長するまでに、彼女自身も含め周囲の人間たちが多くの苦悩を抱えながら、哲学的思索を深めていった様子がうかがえると思う。
そして著を読む側からすれば、日々の悲しみ苦しみをどんなに重ね、辛い思いに挫折しそうな時にも、いつか巡り来る歓びや至福を待ち望み、決してあきらめない人間の強さが、浅田選手と彼女を見守るご家族やコーチ陣の生きる姿勢に滲み出ていることに気づかされ、それを示唆として受け取ることが出来るのである。

人間は誰しも弱く孤独な生きものだ。
孤独な魂は、失われたものと共有出来ない失われた時間に、激しく感応し、枯渇の思いに咽び、深い悲しみに閉ざされる。だが、乾き涸れ果てた大地を潤す慈雨のように、やわらかき優しき言葉が心に降り注ぐなら、いつか悲しみは悲しみのままに、失われた時は失われたままに、涙も生きる糧と受け入れて残された時間をせめて雄雄しく、感謝の念とともに過ごすことが出来るだろう。

そして人生の最後には、ある時は優しき光が、ある時はやわらかき雨が絶え間なく降り注ぐ森の中で、恋しい人と見つめあって過ごした一日のように、透き通った充足の思いに浸れたなら、夢と引き換えた苦悩も悪いものではなかったと、いつの日か懐かしく思い出すだろう。

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わたしは新鮮な苺をもってゆく。
きみは悲しみをもたずにきてくれ。
そのとき、ふりかえって
人生は森のなかの一日のようだったと
言えたら、わたしはうれしい。(長田弘『人生は森の中の一日』)


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まさきつねさま

お母様心配ですね。
急に涼しくなって秋バテというのも増えているそうです。どうか早く回復されますように。。。

ブログを紹介してくださって、光栄です!
「浅田真央」シリーズ、特に15歳、16歳では、娘たちが脚光を浴びていく中で、お母様のさまざまな苦労や、優れた導きが窺えますよね。育児本などを出さないところがまた素敵ですが、この断片的な記録だけでも、ご両親の人柄や子供たちへの思いが伝わってきます。

山田コーチが、「スケートが終わって、違う人生を歩んでも、きちんと生きていけるような人になってほしい」とおっしゃっていましたが、お母様もそういう気持ちなんでしょうね。浅田選手がいつかこの本を読み返したときに、たくさんの言葉を改めて発見するのじゃないでしょうか?
2010/9/15(水) 午前 0:27 [ くまねこ ]

まさきつねさまこんばんは。
夢と引き換えた苦悩、たぶん夢を追いかけている本人にとっては、ある意味受け止めることの出来る物ではないでしょうか。
私事で恐縮ですが、息子は20歳のとき脳内出血で倒れ、生死の境をさまよい、何とか回復しました。後遺症で短期記憶が壊れ、夢だった研究者への道をあきらめる覚悟をしていたのですが、本人のがんばりで克服しやっと希望がかなえられそうです。私は応援することしか出来ませんでしたが、本人は努力を楽しんでいたようにも見えます。本当にやりたい夢を追いかけるってそういうことかな、と思えるんです。真央さんもきっとそうですよ。
訃報を耳にしました。療養中だったタラソワ先生のお母様が亡くなられたそうですね。ご冥福をお祈りします。
2010/9/15(水) 午前 0:31 [ meiling ]

くまねこさま
コメントうれしいです。引用ありがとうございました。
浅田選手の周囲は素敵なご家族だと思います。
人間が育つ環境の大切さをしみじみ思います。愛情や思いやりは伝染します。憎しみや悲しみも伝染するのですが、子どもに伝えるのは、負の感情でなく、出来るだけ温かく優しいものであって欲しいと思います。
思い出す記憶や言葉が、美しく愛おしいものであるように、拙ブログも心がけたいです。
2010/9/15(水) 午前 7:41 [ まさきつね ]

meilingさま
コメントと素晴らしいお話ありがとうございます。
努力や苦悩と引き換えに得た夢は、本当にきらきらしいものだと思います。何よりも美しい、輝かしい人生ですね。
タチアナコーチも大切な方を亡くされたのですね。人間は誰しも、人生で多くのものを失っていくのですが、残された人間の残された時間が少しでも充実した優しいものとなっていくように、今の時間を大事に生きていくべきですね。
2010/9/15(水) 午前 7:47 [ まさきつね ]
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