月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

ポーカーフェイスの薔薇


あなたと一緒にやりたいのよ 最強のペアでしょ
あなたと一緒ならギャンブルも最高(ぞくぞくするわ)
ロシアンルーレットは弾なしじゃ出来ないの
ベイビー 魂の抜けた愛なんてつまらないでしょ
(レディー・ガガ『ポーカーフェイス』)

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遅まきながら、糸井重里さんのブログ『ほぼ日刊イトイ新聞』にプロローグ、エピローグを含め十回に渡って掲載された、ジョニー・ウィアー選手と糸井さんの対談をご紹介する。
全編は直接お読みいただければと思うが、中から特に心に残った部分を以下に抜粋引用して転載させていただこうと思う。

http://www.1101.com/johnnyweir/index.html


(ジョニー)フィギュアスケートというスポーツを糸井さんがあまりご存じないのは、むしろ、いいことだと思います。
なんにも知らない赤ちゃんみたいな目で見れば、さまざまな芸術を、新鮮に感じられると思いますから。

(糸井)なんていうのかな、あなたは誰とも戦ってなかったと思う。
(ジョニー)ええ、戦ってません。滑っているときは、雲の上というか、もう、べつの世界で滑っていて、アートを表現するにはそうするしかないと思います。

(ジョニー)ずっと常に自分の本当のところを表現できるような強い人って、なかなかいない。だから沈黙の中には美しさがあると思うし、それをいかに引き出していくのかということについて考えるんです。でも、沈黙していることはぼくには不可能です。目を見ただけですべてが伝わってくるような人たちには憧れますけれど。

(ジョニー)氷の上で、最高の演技をするときはもう、すべての感覚と感情が魂(ソウル)からあふれ出してくる。フィギュアスケートはぼくの表現であり、芸術であり、絵であり、ファッションであり、ぼくのすべて、ぼくの言葉なんです。ぼくはそこで魂から伝えます。氷から離れたとき、どちらかというとぼくは心(ハート)によって行動します。ぼくにとって、魂と心は、違うものです。魂は、生まれてからずっと自分の奥にあって、死ぬとき最後にそれを感じるようなもの。ハートは、「その人らしさ」をつくっている。顔だったり、個性だったり、生きる力だったり。氷の上にいるときは魂。氷から離れたら心。そのふたつがあるのはいいことだと思います。

(糸井)そう、もうひとつ言いたいことがあった。 あなたのドキュメンタリーを見て、 思ったことなんですけど、 あのなかで、あなたを批判する、 こんな発言が出てきますよね。 「彼は、私たちのコミュニティを代表していない」って。 でも、誰もなにかのコミュニティを 代表することなんて、ほんとはできない。 それを誰よりも表現しているあなたが、 みんなの前に立っている。 それがぼくはすばらしいなと思ったんです。(略)
(ジョニー)ぼくが代表できるのは 「ジョニー・ウィアー」だけ。 誰かにについていくことには興味がなくて、 自分がついていきたいなと思うのは、 自分の魂とハートだけです。 ぼくにはそれで十分。 誰かに受け入れてほしいとも思わない。

(ジョニー)誰しも二面性がありますよね、 白と黒、善なる面と悪しき面、 都会的なところと田舎的なところ‥‥。 両方を受け入れることができる人が、 前へ進んで行けるんじゃないかな。


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ウィアー選手の実に彼らしい側面を浮き彫りにした、秀逸の対談だったと思う。
何より、ウィアー選手の何かを表現する力と、表現された世界の魅力を高く評価する糸井さんの思いが、ウィアー選手の熱のこもった言葉と化学反応を起こして、フィギュア選手の域を超えた彼の芸術に対する解釈や人生観に深い陰影を与えているのだろう。

フィギュアについての知識がないという糸井さんに、その方が「赤ちゃんみたいな目」で芸術を観ることが出来ると応えているのも、おそらくウィアー選手自身が観衆からそのように純粋に、なまじっかな知識や情報に汚された既成概念も偏見も持たずに自分の演技を観て欲しいと考えているのだと思う。

フィギュアスケートの演技のみならず、バレエやダンスなどの身体芸術であれ、あるいは絵画や音楽といった他の分野の芸術であれ、多くの人はなぜか自分が体感する印象や感動といったものを、素直な評価に変換することが出来ず、余分な知識や情報を吸収して、他人に歪曲された意見に左右されてしまうことがままある。
自分の感覚が信じきれずに、他人の考えに同調してしまう方が楽で、責任も感じないで済むからなのだろうが、ウィアー選手の言葉を借りれば、おそらくそこには自分の「魂」も「心」も、そのどちらの欠片もないだろう。

生きることに疲弊した人の多くは、考える力を放棄して、大抵の場合何かの「コミュニティ」に属し、その「コミュニティ」の理念だか行動原理だか規範だかを「=自らの考え」と思い込むことで、気楽に流されて生きる術に身を浸してしまう。
「コミュニティ」の人数が大勢であればあるほど、自分は正しいと信じ込むのが容易になり、この浅薄な集団心理によって自己はどんどん「コミュニティ」の中に埋没し、ウィアー選手とは真逆の感覚だが、集団への服従こそが正義と誤解することになるのである。

ウィアー選手が自分の弱いところも悪しき部分も認めながらも受け入れて、自分の「魂とハート」を拠りどころに表現活動の意義を見出しているのは、彼自身の持つ意志の強さの証であり、フィギュア選手としての彼の身体芸術が他の誰にも変え難い鮮烈な個性を持ち得た要因なのだろう。

☆Johnny Weir Figure Skates To Lady Gaga's 'Poker Face' At 2010 Nationals☆

さて、最後におまけとしてご紹介するのは、(一部では有名な)ランビエールとなぜか絡むウィアー選手の映像を集めた動画である。
映画『俺たちフィギュアスケーター』を髣髴とさせるペア演技もあり、この動画を作られた方の動機は不明だが、(申し訳ないが不純にも)腐女子心をくすぐられてしまうのは世界共通なのかなと思ったりする、ちょっと危険な世界にお誘いしよう。

☆Stephane Lambiel & Johnny Weir☆


フィギュア131-2

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まさきつねさま、こんにちは

私もこの対談、とても面白かったです。
糸井さんのポンポン投げてくる球を見事にすべて打ち返す、それほど自分の哲学が打ち立てられている人物だと思いました。
「誰とも戦わない」ということと、「ファイターである」ということは矛盾しないと思いますが、ジョニーは薔薇の冠をかぶった男前なファイターだと思います。

ところで、このランビエールとジョニーの写真、思わず「あっ」と声を上げてしまいました。
誤解を与える言い方かもしれませんが、トニー・レオンとレスリー・チャンの映画「ブエノスアイレス」のタンゴシーンを思い出してしまいました。ご存知ですか?
この映画は男性の恋人たちの話ですが、セクシャリティーを超えたところにある、人間同士の宿命的な心の結びつきのようなものが描かれた、美しくて痛々しいシーンでした。

あのタンゴのシーンで使われたピアソラの・・・題名が分かりません・・・を使って、この2人が踊ったら・・・!と思わず私も腐女子的妄想をしてしまいました(笑)
2010/9/13(月) 午後 0:42 [ くまねこ ]

くまねこさま
コメントうれしいです。
『ブエノスアイレス』大好きですよ。二人の踊ったタンゴはピアソラの『Milonga for 3』ですね。情景の映像美とレスリー・チャンの退廃美が混じり合って、この世の果ての恋の道行をバンドネオンの調べに乗せて描いていましたね。
ジョニーもランビエールも本当に男前なファイターなのですよね。でも競技を離れたら、素の自分を見せて、お茶目なところもリラックスしたところも披露してくれます。イケメン同士のいちゃいちゃですから、腐女子の勝手な妄想くらいは許して欲しいですね。実際ぜひとも、EXで踊って欲しいナンバーなんですけどね。
2010/9/13(月) 午後 1:47 [ まさきつね ]

「予備知識や情報に汚された既成概念を持たずに、他人に歪曲された意見に左右されずに」初めてキム・ヨナを見たならば、綺麗だと思う。氷上の美男美女コンテストのようになるのは好きではないが、フィギュアを身体芸術と捉えるならば容姿は大きな要素だ。美しい肢体を美しく動かしている。(一等賞なんかあげちゃうから残念なの。四位か五位なら記憶に残るのに。)一部のネット「コミュニティーの中に埋没し、集団への服従こそだ正義と誤解」しているせいか、今やキム・ヨナを偏見無しにみることが出来なくなってしまった。・・すみません、ちゃかしている訳じゃないんです。ジョニー好きな方多いのですね。私は007のSPが嫌いと同じ感じでジョニーのSP嫌いでした。でも記憶には残ってます。フィギュアが好きなので色々な表現者がいていいとは思うのですが、やはり王道とアウトサイダーはあると思う。又アウトサイダー故の魅力もある気がします。
2010/9/13(月) 午後 1:49 [ 花屋 ]

花屋さま
コメントありがとうございます。ちゃかしているなんて思いません。仰るとおりだと思います。浅田選手にしろ、キム選手にしろ、日本や韓国のマスコミがあまりにも彼女たちを情報操作でいじり過ぎました。ライバル関係などと言われ続けましたが、彼女たちの間に、他の選手たち以上の競い合うべき接点はなかったと思います。『007』と『鐘』なんて、後になってみれば比較するべきポイントは端から一つもないでしょう。
ジョニーファンは多いと思いますよ。ただし嫌いな方も同様におられるでしょう。それで良いのだと思います。好き嫌いと別に、実力や魅力に対する評価さえまちがっていなければどんな感想もあって良い。彼をアウトサイダーと感じる感覚も同感出来ますし、またそれ故に価値があるのだとも思います。
同性愛を始めいろんなマイノリティの世界観を、殊更正統化することも、上から目線で他者が擁護する必要もないのです。ジョニーが言っているように、みんなが自分らしく、「あなたらしく」あれば良いのでしょう。異端には異端の在り方、魅力がありますものね。
2010/9/13(月) 午後 4:36 [ まさきつね ]

しつこくなってはかえって失礼ですが、一言御礼申し上げたく、暖かなご返答有難うございます。
2010/9/13(月) 午後 5:55 [ 花屋 ]

まさきつねさま、たびたびお邪魔します。

きっと「ブエノスアイレス」お好きだと思っていました!
曲名教えてくださってありがとうございます。
唯一無二の存在感をもったレスリー・チャンの死は、本当に残念でしたが、今の男子スケーターたちは、あの息苦しいような愛の世界を鮮やかに描いてくれそう・・・EXといわず、男子フィギュア劇とか・・・?いつか見てみたいです。

花屋さまのコメント、興味深く読ませていただきました。
キム選手の「死の舞踏」、初めとてもワクワクしたんです。彼女が自分を見つけたプロだと思いました。ただリンクでの演技だけを見ていることができたら、また彼女があの路線を素晴らしく究めていってくれていたら、赤ちゃんの目で見続けることができたかもしれません。

だから五輪後の彼女の第一歩には期待もありましたが、プログラムも、言動も、残念なものでした。まだ20歳、大きな才能は確かに持っていますので、この人の演技をぜひ見たい、と思わせるような、名実共に偉大なスケーターに成長していってほしいです。
2010/9/13(月) 午後 8:40 [ くまねこ ]

花屋さま
コメレスのレス、いたみ入ります。またご訪問ください。
2010/9/13(月) 午後 10:06 [ まさきつね ]

くまねこさま
再度ご訪問うれしいです。
レスリー・チャンの早過ぎる死はショックでした。彼には生き難い世の中だったのかも知れません。
キム選手は、あまりに若くしていろんなものを手に入れ過ぎてしまったのでしょう。それも実力だけでなく、オーサーを含め多くの後ろ盾の力によって。今もクワンにおんぶにだっこです。
偉大なスケーターに寄りかかっても、自分が偉大になれる訳はないのです。彼女がすべきことは、赤ちゃんの目で自分の才能に向き合うこと。LAタイムズからも引退を示唆された彼女に、今更出来るとは思えないのですが。
2010/9/13(月) 午後 10:27 [ まさきつね ]
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