月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

口の端よりことばのいずるその前に

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キム選手のコーチ騒動から、中国のアイスショー、さらに浅田選手の新コーチ発表と、GPS開幕前の九月だからこそとはいえ、大きなニュースが目白押しで書きそびれていた記事をひとつ。

先だって何気なく観ていた深夜NHKのBS放送で、Studio Lifeという劇団による公演中継『トーマの心臓』を観た。

☆2010年スタジオライフ公演『トーマの心臓』予告☆

Studio Lifeも『トーマの心臓』も(知っている人は知っているけれど、)女性中心に人気な分野に属するものだと思うが、一般的には少々解説が必要かも知れない。なのでまず、無粋とは思うが通り一遍な説明をしよう。

Studio Lifeは、脚本・演出の倉田淳氏のみが女性で後の俳優陣は男性ばかりにより構成され、「耽美」をキー・ワードとして少女漫画や文芸作品、海外の翻訳劇作品などを中心に上演する小劇団である。構成員に女優がいないので、男優が女役を演じる訳だが、宝塚のように男役・女役が固定しているのではない。
優れた演出力と、男性だけの舞台が編み出す特殊な雰囲気が、美しく耽美的な世界観を創り、『トーマの心臓』は1996年の初舞台化以来、再演を繰り返しているいわゆる劇団の看板作品で、原作は萩尾望都による少女漫画である。
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『トーマの心臓』は萩尾望都の代表作のひとつだが、ドイツのギムナジウム(高等中学)を舞台に少年たちばかりの世界で展開する、キリスト教的宗教色の滲む友情と人間愛をテーマとした作品である。
萩尾望都のインタビューによれば、ヘッセを読んで以来ドイツに憧れた彼女がドイツ人を主人公に選んでいるが元々は、男子寮を舞台に男子学生同士の友愛を描いたフランス映画『寄宿舎~悲しみの天使~』をモティーフとして生み出されたストーリーということで、自殺した少年を巡って残された人間たちの心情を事細かに拾った精神性の強い内容が特徴である。

タイトルにあるトーマという少年が自殺した時点から物語が始まるという、(少女漫画ではなくても)ショッキングな出だしが印象的だが、彼に同性愛的な友愛や憧憬や嫉妬心などの感情を抱いていた少年たちが、彼そっくりのエーリクという転校生が寄宿寮に入ってきたことでさまざまな思いに悩み苦しみ、ぶつかりあう感情の中でやがて宗教的な人間愛に覚醒し、魂の救済を見出していくという、少女漫画としてはいささか出色の心理劇が中心に描かれている。

Studio Lifeは原作をストーリー、登場人物とも大きく改変することなくほぼ忠実に舞台化しており、『アヴェ・マリア』を中心としたセンスの良い音楽と、パロディ的な揶揄も一切なく真摯に演じられるひとつひとつの場面による構成は、原作の持つ一種の透明感に充ちた世界を演劇的な虚構性の中で巧みに成立させている。
少女漫画のいわばBL的な世界が好みな人や原作のコアなファンといった、多少マニアックな人種でなくとも充分堪能出来る美しさや、舞台としての演出の巧さが光り、宝塚的な面もありながらまた一味違う面白さを持った舞台劇として完成されているのである。

まさきつねは十代の頃に萩尾望都原作を読み、その少年愛的な甘さとストイックな純潔性、そしてヘッセやケストナーに通じる文学的な香りのする芸術性といった独特の空気に鮮烈な印象を持った。何より、萩尾望都の個性的なモノローグ、流れがあり情感豊かな言葉の美しさが、漫画の画面という視覚的なインパクト以上に記憶に残り、作品のキーともなるいくつかの科白や言葉に強烈な魅力を感じた。

Studio Lifeについては、前からその名前と活動について情報はあったが、舞台を観たのは今回の放映が初めてだった(…遅過ぎるニャン)。原作を知っている者ならいささか感じるであろう、日本人の俳優によって演じられることへの視覚的な面映ゆさは致し方ないと思うが、それを別にしても綺麗な外観の俳優たちが編み出す少年愛固有の微熱、倒錯した世界の虚構の美しさ、その幻想性みたいな部分は存分に楽しめた。
リピーターが夢中になるであろう、良い意味でのナルシスティックな臭味とか耽美的な味わいといったものも、俳優陣の真面目で高潔な姿勢から感じられた。だが、それにも増して好感が持てたのは、やはり原作の言葉をそれぞれの俳優の台詞回しに乗せ、原作の持つ透き通った空気感を、シンプルだが蠱惑的な言語空間的ファンタジーで構築して魅せたところだろう。

含蓄に富む言葉はいくつもあるのだが、その癖のある言い回しと場面的な心情を拾った優しさで胸に沁みるのが、物語の終局、トーマの自殺の要因に深く関わっていた品行方正の委員長ユーリが、トーマについてエーリクに話し始める科白である。

「ぼくはトーマが好きだった。口の端より、ことばのいずるまえにすでに目は ものごとを語るけれどトーマ・ヴェルナーはそんな子だった…」

ユーリはこの科白の後、好きだったトーマを心情的に裏切ってしまう自らの罪悪感に満ちた体験をエーリクに語るのだが、その衝撃的な場面を回想シーンとして見せていく演出の前ふりとしても、巧みに活かされた言葉なのである。トーマがユーリのみならず、誰からも愛される少年だったということは、ユーリの苦悩をやや達観しながらも見守っている同級生のオスカーが、やはりエーリクに語る言葉にも表れている。

「ぼくたちは、トーマをフロイライン(お嬢さん)って、よんでいたけどだれもがほんとうにトーマを好きだったんだよ。なぜなら…あの子のなかには、幸福(=アムール)が住んでいたんだ。それもきわめて、きっと上等のそれは、もうそれだけでふれた人間をしあわせな気持ちにせずにはおかないようななにかが…」

萩尾望都のこうした宝石のような詩篇のような言葉が、各場面に散りばめられた作品の宝石箱のような魅力に撃たれた小説家、森博嗣もまた『トーマの心臓』を散文作品として換骨奪胎しているが、残念ながらこちらの翻案にはあまり魅かれるものがない。原作の言語世界以上の詩的味わいを、森さんの散文がもたらしてくれぬからであろう。

さて、またも取って付けた話かと思われると悲しいのだが、まさきつねは浅田選手がジュニアで一気に注目を集め始めた頃、彼女を見るたびに、オスカーがトーマを讃えた前述の科白、特に「それもきわめて、きっと上等のそれは、もうそれだけでふれた人間をしあわせな気持ちにせずにはおかないようななにかが…」という部分を思い出さずにいられなかった。

その存在が幸福を体現して、周囲の人間さえも幸福を感じずにいられない、そんな人種がこの世の中にファンタジーではなく生身の人間として、確かにいるのである。そういう人にとって、誰かを嫉むとか許さないとか、そうした負の感情は理解し難いどころか、ほとんど思い至ることもないのだろう。

悲しみや苦悩を抱えた多くの人間にとって、あまりにも眩し過ぎ、彼らについて言葉を口の端にのぼらせることすら憚られるような距離感を感じてしまうのだが、それでも、愛を目で語る彼らのことを常人は言葉に変換せずにいられなくなるのだ。

「愛しているといったその時から彼はいっさいを許していたのだと、彼が、ぼくの罪をしっていたかいなかが問題ではなく…ただ いっさいをなにがあろうと許してたのだと」

愛(アムール)は光であり、この世のすべての希望である。たとえ一切が失われ、胸が傷む悲しみに心が闇に閉ざされたとしても、愛はそっと扉を開けて、言葉はなくともその目で何かを語るだろう。


大丈夫、希望はまだここにあって、あなたを幸せに導く力を失ってはいないから。



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まさきつねさま、こんにちは。いよいよシーズン開幕が近づいてきて、待ちどおしいです!今頃、浅田選手を初めみなさん練習に打ち込んでいることだろうと、応援する気持ちでいっぱいです。まさきつね様の文章にもいつも心を動かされています。いろいろな考察がとても勉強になって素敵です。私も萩尾望都は大好きです。私が美大生の頃、当時漫画に興味なくてもこの方は別格で、好きだと言う人が多かったです。誌的ですよね。

浅田選手の演技を見ると幸せな明るい気持ちになりますよね。私もなぜだか分からないけれど、そう感じます。そういうオーラが出ているという気がします。私には効果絶大です。
一方、見るとなんだかきついものがある選手もいるんですよ。名前は出しませんが、なぜでしょう?他には全く正も負も感じられない普通の選手もいます。本当にただ、私が感じるだけなのですが。浅田選手の幸せのオーラ、こんな世の中だからこそ、受け止めたいと思います。

更新を楽しみにしています。今期もよろしくお願いいたします。
2010/9/10(金) 午前 10:35 [ rko*a5* ]

以前、とても才能を持った人がいて。その表されたものによって、向かい合う姿勢によって、それに対する思考の深遠さ高邁さによって、認めざるを得ない人がいて。周りは随分苦しみました。バンザイとホールドアップを同時にするまでは。影に甘んじる者あり、別の地に落ちて別の花咲かせる者あり。強烈な光はより濃い影を作ります。その背後に、もしかしてその内部に。モーツァルトとサリエリ、北島マヤと姫川亜弓。もうひとりの選手に無視出来ない醜聞の噂あれど、心情的には小さな拍手を送りたい、なおかつ浅田真央と同時代にいる幸せを感じるのは、自分がすでに真央ちゃんのお母さんより多分年上のせいかなあなどと思います。
2010/9/10(金) 午後 3:28 [ 花屋 ]

rko*a5*さま
コメントありがとうございます。
いるだけで人を幸せにする、そんな稀有なオーラを放つ選手はめったにいるものではありませんね。
萩尾望都さんのテーマは「人はいつ愛を知るのか、愛に目覚めるのか」だったそうです。浅田選手の演技は、人が愛を知る朝、人間としての再生と生誕の日の歓びに観客をいざないますね。
こちらこそ、またよろしくお願いします。
2010/9/10(金) 午後 7:04 [ まさきつね ]

花屋さま
コメントうれしいです。
この世に光と影は付き物。でももはや、影ですらない闇の奥底に堕ちていくものもあります。影に立つ醜聞は噂に過ぎませんが、闇は醜聞を光の側になすりつけ、白いものを汚して憚りません。それはもはや、ライバルとかもう一人の自分といった類でなく、醜悪な欲望の成れの果てです。
まさきつねも浅田選手をリアルタイムで観る歓びを感じますが、現時代の腐敗をみすみす見過ごさねばならぬ歯痒さに、唾棄したき思いもかみ締めています。
2010/9/10(金) 午後 7:25 [ まさきつね ]

まさきつねさま、こんばんは。
萩尾望都ですか!私が今でも幸運だったなーと思うのは、まだ感受性の豊かだった年頃にあの方の作品(「トーマ」以外にも「ポーの一族」や「11人いる!」等など)に出会えたことです。その作品だけで人を幸せにしてくれる…。萩尾氏も間違いなくそんな天才の一人ですよね。

いるだけで人を幸せにしてくれる人。そう聞いて私が一番に思い浮かべたのは、歌舞伎界の至宝、今人気の海老様のお父様、現・團十郎さんです。数年前に白血病に侵されるも克服して復帰。しかしすぐに再発。二度目の闘病は想像を絶する過酷なものだったそうですが、それをも克服されて復活された時の舞台を、幸運にも拝見することができました。歌舞伎座の三階という遠い席ではありましたが、團十郎さんの存在感は素晴らしく、花道のそこだけスポットライトが当たっているような、團十郎さんが出てきた瞬間、あの広い歌舞伎座の隅々にまで暖かな光のシャワーが降り注いでいるような気がしました。
(長くなったので続きます)
2010/9/10(金) 午後 8:28 [ nen*81*ora ]

まさきつねさまこんばんは。
本当に、まおさんの演技は妖精の粉を振りまいているように周りを幸せなオーラで包んでくれますね。(=おっさいさんより)醜悪な輩は感じることすら出来ないでしょうが。
萩尾望都さん、私も大好きです。高校生のころから、手に入れたものはすべてスクラップしています。大人になってからは、全集を大人買い。単行本、スクラップ両方持ってます。望都さま、文章もよいですが、絵は大きい画面で見たいですからね。画集ももちろん。何度読み返しても、感動しますね。「半神」「マージナル」「メッシュ」か特に好きです。
2010/9/10(金) 午後 8:31 [ meiling ]

(続きです)
あれがオーラの輝きというものだったのでしょうか?舞台の上には他の役者さんもいるのに、病み上がりということもあり短い登場時間だったにもかかわらず、劇場にいる全ての観客(そしてもしかしたら同じ舞台に立っている役者さんやスタッフの人たちも?)を幸せにしてくれました。今思い出しても凄い空間だったような気がします。私、一番好きな役者さんは違う人なのですが、あの時から團十郎さんは別格になりました(笑)。

真央ちゃんもきっとそんな人の一人なのですね。だからこそトリノの世界選手権では輝くような笑顔が見たかった(この愚痴もこれを最後にしたいものです)。でもいずれは、アンチの人達をも巻き込んで(アンチとか言っている時点ですでに巻き込まれてる?)その演技で、その笑顔で、みんなを幸せにしてくれるに違いありません。

ジャパン・オープンはだめだったのですが、カーニバル・オン・アイスには行けることになりました。シーズン始めの幸福をまず味わってきたいと思ってます

長々失礼しました。ねねまるでした。
2010/9/10(金) 午後 8:49 [ nen*81*ora ]

まさきつねさま、こんにちは!

拝読していて思い出したのですが、確か『半神』(なんで半身じゃないのかな?)もどこだかの劇団が上演したのでしたよね?
『半神』―あの内容のものを、どうやって舞台で上演できるのか、観劇していないゆえに今だに不思議なのですが…。
私は萩尾望都さんの『海のアリア』が特に好きです。言葉が詩的、叙情的なのに意表をつく表現もあったりで。
まさきつねさまの文章もそうですよね。
先日本屋に入ったら、萩尾さんの40周年だかの本が出ていて買いました。幼稚園の頃から絵を1点透視図法などで描けたというのがすごいなあ、と。
美内すずえさんも、萩尾さんが出てきたときは、「あの感性は、私にはない」と、ショックを受けたと言っておられましたね。
私、ただ『残酷な神が支配する』は途中で辛くなって、後は読んでないんです(笑)
2010/9/11(土) 午前 4:10 [ windy_weather_windy ]

ねねまるさま
コメントありがとうございます。
團十郎さんは確かにオーラの違う役者ですね。海老蔵さんとの舞台で、同じ役をしても格が違っていたという話を聞きます。海老蔵さんもいずれ育つのでしょうが、やはり長年の積み重ねが違うのでしょうね。
カーニバル・オン・アイス楽しみですね! ぜひまたお話を聞かせてください。いまやチケットを手に入れた方も、別格ですよ。
2010/9/11(土) 午前 8:14 [ まさきつね ]

meilingさま
おっさいさんの言葉も凄いですね。愛がこもっているから、これも別格でしょう。
萩尾ファンはやはり大勢おられますね。心を揺さぶられる感動の幅が違います。このエントリーあげて良かったです。
2010/9/11(土) 午前 8:17 [ まさきつね ]

Windさま
コメントうれしいです。
「半神」は傑作でした。萩尾さんの世界が凝縮していましたね。舞台はまさきつねも観ていませんが、こちらもその換骨奪胎ぶりが気になります。
萩尾さんの作品についてはまたエントリー出来たらなあと思っています。皆さまのご意見が参考になります。ありがとうございます。
2010/9/11(土) 午前 8:20 [ まさきつね ]
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