月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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朝のように、花のように、水のように 其の弐


浅田選手は畢竟、スロースターターではあるのだろうが、暗い夜が明ければ必ず朝が来るように、しっかりと課題を修正し、上り調子にプログラムの完成を目指して進化する。

ある面で、彼女ほどジャッジの下した判断に素直に対応して来た選手はいないだろう。
エッジエラーを指摘されれば、不正は直すのが当然と考えているし、回転不足をDG判定されれば、不足にならないように努力を惜しまない。
(反面、エッジエラーも指摘されず、回転不足は見逃され、それどころかコーチと一緒になってジャッジに噛み付く選手もいるというのに、観ている側はフラストレーションが溜まる一方である。別試合ならともかく、同じ試合の中でもひとりだけ別のメソッドで評価されるなど、どう考えても健全な競技の採点法とは思えない。)

フィギュア106-2


浅田選手はいびつなルールにも、水のように柔軟に姿を変え思考を変え、何とか対応しようと苦慮していたのだ。
ジャッジの出した結果を受け入れ、次は何とか付け込まれた弱点を乗り越えようと苦心している。
彼女は天才だが、何も努力せずして自らの想いが観衆やジャッジに届くなどと慢心したりしてはいない。彼女が演技中、ふわりと開いた花のように微笑むのは、届けたい気持ちが自らの演技表現の中に、しっかり体現化出来たことを確信するからだ。

ひとつひとつ、まるで絵のように美しいポジションを確かめてみると好い。
水のように自然に流れ、かたちを静かにキープしているが、そのために彼女はどれだけのものに柔軟に対応し、死に物狂いで努力をし、多くのことを乗り越えてきたことか。
彼女が微笑むのは暗い底のない夜が明けて、朝が訪れたことを信じたからだ。

五輪のSP演技。そしてトリノの世界選手権での演技。
どちらも朝露を浴びた花のように、光がこぼれるような『仮面舞踏会』だった。
瑞々しい「朝のように、花のように、水のように」、どこまでも美しいこころが溢れ、神に祝福された舞踏。

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ところで『仮面舞踏会』の音楽は、美輪明宏さんが演じる三島由紀夫の『近代能楽集』のひとつ、『卒塔婆小町』の舞台でも使用されていた。

美輪さんが扮した老婆は実は「小野小町」の生まれ変わりなのだが、公園を徘徊する宿無しのような境遇に落ちぶれている。若い恋人たちがベンチで愛を語らう公園に、ある夜酔っ払った詩人がやって来て、恋人たちを追い出した後のベンチに座り、老婆と詩人はしばし老婆の昔語りで時を過ごすのだ。

「夜のベンチは恋人たちのものだ」という詩人に対し、「彼らは死の世界にいて、生きているのは私のほうだ」と言い返して、九十九歳の老婆は自らを「昔、小町と呼ばれた女」と名乗り、「私を美しいと言った男はみんな死んじまった。私を美しいと言う男はみんな死ぬんだ」と男を牽制するように、あるいは誘うように呟く。そして八十年前の思い出を話し始めた老婆は、いつか二十歳の「小町」の姿になり、百夜通いをしている恋人の「深草の少将」の訪れを待っている。

実は「深草の少将」の伝説では、九十九夜で病に倒れた少将は百夜通いを達成出来ずに亡くなっている。絶世の美女である「小町」は、百年待たないと愛する人に出逢えない運命にある。だが「小町」の美しさに心を奪われる男たちは、「小町」の美しさを讃えては至福のうちに次々と死んでいくのだ。

三島の幻想は、原典の能を踏まえ、俗悪な現代から美しい過去へメタモルフォセスを試みる。場面は明治の鹿鳴館の庭へと変わり、舞踏会の衣装を着た「小町」と「深草の少将」に姿を変えた詩人は、ワルツの調べに身を任せていく。小町の美しさを鹿鳴館の人々が口々に賞賛する中、不思議な陶酔の思いにとらわれた詩人はついに、言ってはならない言葉を「小町」の制止も振り切って口にしてしまう。倒れた「深草の少将」のいる場所はまた現実の公園に戻り、憧憬に満ち足りたまま息絶える詩人を前に老婆は「もう百年!」と逃れられない宿命を呻く。

詩人は一瞬の至福のために自らの命を賭ける。美に溺れるこの上ない恍惚と歓喜が、死と引き換えである。

三島と美輪さんは、美しいものが背負う宿命と架せられる苛酷な罰を知っている。初々しい少女が舞踏会で味わう恋と官能の歓びは、老い朽ちた老婆の永遠に続く絶望と背中合わせである。だが、悲しみや嘆きのない人生は、真に美しく輝くことがあるだろうか。

タチアナコーチも分かっていた筈だ。
五輪シーズンの『仮面舞踏会』に繰り広げられた甘い一夜の歓びは、人妻となったニーナがいずれ味わうことになる絶望と裏腹であったことを。

天才のその一途な献身と絶え間ぬ努力を持ってしても、打ち破ることの出来ない壁があり、限界がある。それはこの現世に落とされた影であり、人の心に巣くう闇であり、宿命であり、果てることのない悲しみだ。
それでも、いつの世も詩人は奇跡を夢見、老婆は少女の恋をし、神々は俗悪な世界のひとときの美しさを祝福する。美しさは儚いが故に永遠だからである。
浅田選手の演技は確かにそのひとつであろう。


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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

美しいものを羨んではならない。なぜならば、
その人々は美しく生まれついたが故の過酷極まる懲罰が課せられる
恐ろしい運命にあるのだから。(美輪明宏『葵上・卒塔婆小町パンフレット』)


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まさきつね様
いつも、深い文章、楽しく読ませていただいています。
オリンピックでの仮面舞踏会を観た時「真央さんは、こんな高いところを目指していたんだ。」と感動しました。醸し出す空気からして違う、二つの仮面舞踏会。孤独な闘いだったと推測することもできます。一人高見を目指し、これだけの表現力があることを見せてくれた真央さんの今年のプログラムも楽しみです。
巷では、ジャンプ云々の話題があふれていますが、何を目指していたのかを真央さんが演技の中で明らかにする日を楽しみに、ひっそりと応援したいものです。
2010/8/10(火) 午前 9:43 [ miho_ann ]

出る杭は打たれるのは日本。
海外はもっと寛大だと思ってました。
そんなことなかったですね。
賞賛と嫉妬は背中合わせなのでしょうか。

三輪さんじゃないけど人生プラマイゼロ。
これだけのスケートを手に入れるために真央ちゃんが手放したものいっぱいあるのでしょうね。
2010/8/10(火) 午後 0:46 [ ねね ]

miho_annさま
コメントありがとうございます。
マスコミの下世話な報道などさておいて、選手たちはいつもどこよりも高いところを目指していますね。眩しい限りです。
長久保コーチのジャンプに関する報道もにぎわっていますね。
前に本田武史さんと長久保コーチが出演した『ココロの旅』という短い番組を観ました。http://www.youtube.com/watch?v=i6pT5CsOgrg
長久保コーチは選手の潜在能力値を把握して、トリプルアクセルや四回転が跳べるかどうか指導されるのだと思いました。浅田選手の能力も高く評価するからこそ、彼女になら出来る筈のことを要求しておられるのでしょう。
ジャンプも含め、彼女の世界がますます広がることが本当に楽しみですね。
2010/8/10(火) 午後 2:07 [ まさきつね ]

ねねさま
仰るとおり、氷上に立つ浅田選手は、多くのことをあきらめ、多くのものを手放して、それでもスケートがやりたいという気持ちで演技しているのだと思います。
人生は繁栄と没落、賞賛と罵倒も紙一重ですね。
ロスで紙切れ一枚の名誉を押し頂いた五輪女王は、換わりに何を手放したのでしょう。フィギュア選手として浴びる筈だった賞賛が思っていたより少なくて、代替の称号を手当たり次第、かき集めているところなのでしょうね。
2010/8/10(火) 午後 2:26 [ まさきつね ]

まさきつねさま、こんばんは

浅田選手のSPの仮面舞踏会は、明暗の「明」のほうを描いていましたよね。
まだドロドロした愛憎劇になる前に、舞踏会を心から楽しんでいる女性の華やかさだけを。そして、最後まで浅田選手は、周りのドロドロに穢されることはありませんでした。

だから、五輪が終わったら、すがすがしい笑顔を見せ、また次の目標に向かって黙々と努力ができるんだと思います。
凡人ならそのドロに押されてぽっきりと折れてしまうかもしれないけれど、天才で天然な浅田選手だから、そういうものに心が穢されないんだと思います。

ただ、傍から見ている私たちには、「明」そのものの浅田選手と、それを取り巻く「暗」の部分が両方見えました。「暗」にむしばまれない浅田選手だからこそ、そのコントラストがはっきりして、「明」の部分の明るさと可憐さが悲しくさえ見えました。

でも、浅田選手は曇りのない笑顔で前を向いてジャンプの練習に励んでいて、その清廉さはますます増していきますよね。
何があっても、その笑顔だけを信じて応援したいなと思っています!
2010/8/15(日) 午後 10:24 [ くまねこ ]

くまねこさま
浅田選手の一途でまっすぐな姿勢は、何よりも貴重で凄いことだと思います。誰でも真似出来るものではありませんね。
汚れのないその生き方、その尊い演技を、踏みにじってしまったのが、フィギュア界のおかしな大人たち、そして現行ルールの奇妙な運営だったと思います。
浅田選手にはもしかしたらすべての現状、どうやっても勝たせてもらえないルールの偏向も見えていたのかも知れません。それでも彼女が「金メダルが欲しいです」と言い続けたのは、「最善を尽くしますから、ちゃんとジャッジしてください」というISUへの真摯なメッセージだったのかも知れません。
彼女は出来る限りの人事を尽くし、それなのに彼女の心は裏切られてしまった。トリノワールドの虚しさは浅田選手を通じて、世界中のフィギュアファンが噛みしめることになりましたね。
今、彼女はその悔しさをばねに、ルール以上の強さ、すべてをねじ伏せる位の実力を身に付けようと練習に励んでいるのでしょう。心から応援したいですね。
2010/8/16(月) 午前 0:25 [ まさきつね ]
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