月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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つぶやいてみる 其の拾伍


フジテレビのドラマなど長年観たことがないのだが、たまたま付いていたテレビで始まったので、スイッチを消すことなく『ジョーカー 許されざる捜査官』の初回放送を最後まで観てしまった。

主演の堺雅人さんは嫌いな役者ではないし、その他の配役も可もなく不可もなくという俳優陣だったので、ドラマの最初の方は別段気にもせず、まあ昨今の刑事ドラマはこんなものかなと思って観ていたのだが、真ん中辺りで犯人役の目星が付くと、とたんにストーリーの流れに突っ込みを入れたくなって困った。

堺さん演じる主人公の背後にあるらしい、何やら物々しい暗い過去はどうでもいい。一癖も二癖もありそうな同僚、上司に関しても、いささか劇画調の個性ではあるが、話を盛り上げるキャラ設定としては許容範囲だ。
だが肝心の事件の内容とその解決方法とやらは、陳腐を通り越して、そのメッセージ性のいかがわしさに、こんなものを一体公共の電波で流して、フジは一般視聴者に何を喧伝したいのかと腹立たしくなってしまった。

事件そのものの猟奇性や凶悪犯人の異常性など、今の世の中ではさほど驚くにあたらない。
被害者の子供に対する殺害方法が、ドラマの時間帯(火曜日夜九時台)としてはショッキングだというクレームもあったようだが、いわゆるホラー映画やR指定ゲームの類から比べれば、ドラマとしては違和感があるだろうがそこまで目くじら立てるほどではない。口うるさいPTAよろしく、模倣殺傷事件が起きたらというクレームもあるようだが、端から猟奇殺人を企てるような異常性格者は、この程度の刑事ドラマに触発されはしないだろう。

過剰な演出に垣間見える、年少の視聴者に対する配慮や倫理観の欠如など、ポルノ雑誌やラブホテル、パチンコ店など風俗・ギャンブル産業に溢れた、教育上不適切といわれる環境と隣り合わせで成長せざるを得ないこの国の子供にとって、今更改めて取り上げねばならぬ問題でもない気がする。

まさきつねが腹立たしかったのは、猟奇的な連続殺傷事件を起こした犯人の、その心理描写や異常性格を描いた部分に関して、そのあまりの底の浅さである。いや、底が浅いというよりも、凶悪犯人の鬱屈した人間性が生まれ育った背後は、ストーリー展開の中で全くと言って良いほど触れられていないのである。こんな一方的な偏見に充ちたドラマのどこに、視聴者は感情移入するのだろう。

被害者の両親で良いではないかというご意見もあるかも知れない。だが被害者の遺族が怒りと悲しみに充ち、正常な感覚の持ち主ならその立場には同情と共感を寄せざるを得ないというのはあまりにも当たり前の話だ。
そしてさらに苛立たしいのは、遺族の怒りを増幅させるかのように、殺人者は実は警視総監の息子という権力側の人間で、父親の圧力で難なく罪を逃れ不起訴処分になり、ゲームのような軽薄さでさらに罪を重ねていくという、どうしようもなく陳腐で非現実的な伏線を張っているのである。

こうした伏線に従い、堺さん演じる主人公の刑事は、昼は「仏の伊達さん」と呼ばれながら、夜になると法で裁けない凶悪犯に厳罰を与える冷酷な無法の番人とやらに豹変する。

正義のヒーローが凶悪犯罪に染まった人間を制裁する。まことに結構な話だが、一方で権力をかさに法を捻じ曲げて息子の罪をもみ消す、腐敗した組織については、それが人生だと言わんばかりに登場人物の誰もが口を拭って終わりである。
正義をどんなに振りかざしたところで結局、世界を牛耳っている巨悪に関しては手の施しようがないという、真性のやりきれなさについては、当然のごとく一切メスが入らないのである。
(これからドラマが進行すれば、警察内部の巨悪にも正義のヒーローは刃を向けるのか? ちょっと考え難いのだがどうなのだろうかニャ?)

こうしたドラマで描かれる犯人像や異常者の顔など、いわゆる水戸黄門の悪代官や必殺シリーズの外道な極悪人と同じで、それを現代ドラマに置き換えただけという捉え方もあるだろう。視聴者は水戸黄門の印籠や、必殺の仕置きに勧善懲悪の快感を覚えるように、「仏の伊達さん」が凶悪犯個人に対して無法に振り下ろした怒りの鉄鑓に、カタルシスを感じればいいのだというのが、ドラマの制作者であるフジテレビ側の言い分だろう。
所詮、テレビの連続ドラマなどエンターティメントに過ぎないのだから、何を深刻に小難しく考える必要があるかという、安直な作り手のせせら笑う顔が目に浮かぶようである。

実際、こんなドラマひとつ取り上げて、その安易な制作コンセプトをあげつらっても仕方ないのではあるが、こうして垂れ流し状態に作られるテレビ番組が世に与える影響力、大衆への刷り込み効果といったら、その放映回数や視聴率からいっても決して微々たるものではないだろう。
こうしたドラマをありふれた娯楽として観てきた人の幾人かの間では、組織がいくら腐って独善がまかり通っても、それに逆らうのは愚の骨頂という諦念が蔓延し、トカゲの尻尾切りのように罪を犯した個人だけを叩いて、根本的な問題解決というよりとりあえずの局面の収束を図る風潮を、知らず知らずのうちに容認してしまうのではないかと思ってしまう。

しかし、現実に起こっている凶悪事件のほとんどは、特別な生まれや育ち方をした異常者や根っからの極悪人によって引き起こされた訳ではない。むしろ、一般の人間とさほど変わらない人が、ほんの少しの歯車の狂いや僅かなきっかけで、短慮で浅はかな犯罪に突っ走ってしまった場合が多いのである。そしてその人生の背後には、必ず何らかの社会的な病理や、組織の持つシステムの弊害が関わっている筈なのである。
このような環境的な問題点を封印したまま、正義のヒーローが法に代わって犯罪者を裁くということのみに、事件の凶悪さに対する憤怒からの浄化作用を求めるのはいかにも無理があろうというものだ。

繰り返すが、『ジョーカー 許されざる捜査官』というドラマが気に入らないなら、目新しさのないストーリーと月並みな過剰演出で色取られたフジ定番のエンターティメント作品と、あっさり切り捨ててしまえば好いだけの話で、こんなにぐだぐだと批判を盛る必要などないではないかというご意見もあろうことは、百も承知だ。
だが、単なるドラマ批判に留めたくない、もっと本源的なものへの嫌悪感、個人ではなく体制そのものが持つ歪みへの不信感、そういったものに問題意識を感じてしまう部分を、この新ドラが持ち合わせていたことも確かなのだ。

フィギュアの報道や競技放映に関しては、多くのフィギュアファンから著しく評判の悪いフジテレビ。
それは、競技を運営している組織の論理やジャッジにおもねって、その腐敗や矛盾に一切言及せず、真実を追求し報道すべき立場にあるメディアとしての働きを放棄しているからである。

このフジの体質は報道だけでなく、ドラマ制作にも強く波及しているというのは想像するに難くない。
つまるところ、今回の新ドラが図らずも露呈してしまったフジテレビというマスメディアの、伏魔殿に居座る首魁への甘さや毒巣に対する無神経さが問題なのだ。
それが畢竟、堕落と退廃の温床となり、利権に走る人間の作り上げた組織の爛れきった病理構造を受け入れ盲従してしまう、ジャーナリズムの風上にも置けぬ自らのメディア姿勢を体現していると言って過言ではないということだろう。

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冒頭の写真は幼少の浅田選手のショット写真。この無邪気さを前にして、日本のメディアは自らの報道のあり方を猛省してみると好い。


わたしみずからの なかでもいい
わたしの外の 世界でもいい
どこにか「ほんとうに美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るということが 分かりさえすれば
ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ(八木重吉『うつくしいもの』)


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まさきつねさんのブログ、いつも興味深く拝見しております。何気なく日々をすごしていると見逃していることが多いということ・・・一つ一つのことを・・・心にひっかることをきちんとまた深く考えていくことを大切にしなければと・・・オリンピック、世界選手権の報道に接して思いを新たにしたことです。自分の感覚とのずれから乱れる思いをいたしました。浅田真央、魂の輝き・・・オペラのアリアを聴いたときと同じ感覚・・・報道は的外れのことばかりでした。それはフィギアにかぎらないことなのでしょう。
2010/7/15(木) 午前 10:52 [ リタ ]

まさきつねさん、こんにちは!!
「ジョーカー」フジテレビでは朝から宣伝していましたが、やはりそのような安っぽい内容でしたか・・。
刑事物は小説では高村薫・佐々木譲等、リアリティを追求したものでないとスリルは味わえません。テレビドラマでは人物の掘り下げなど時間的に無理があるのでしょうが・・。
しかし、あくせく働いていたときには気付かなかったのですが、昼間の韓流ドラマの多い事!!浦島太郎になったようでした。
オリジナルの作品を作り出す脚本家が少ないのでしょうか??
・・・
ところで、雨といえばここ数日の豪雨。
私の住んでいる九州北部は大変な被害。
うちの犬の中の猫といわれる柴犬は窓の前で一日中不貞寝・・呼んでも反応なし・・。もっと分割して降ってもらえないだろうか~
2010/7/15(木) 午後 1:17 [ きゃべたれ ]

リタさま
ご訪問うれしいです。
些末でわずらわしい日常に追い立てられていますと、つい、いろんなことを見過ごしてしまいますね。まさきつねも、さまざまなことをおざなりにして日々過ごしてきました。
気がつくと世の中はえらく住みにくくなって、言いたいこともまともに発言出来ないような風潮まで蔓延しています。
「神はすべからく細部に宿る」といいます。些細だけれど大切な多くのものにもっともっと心を配って、日々を大事に生きること。
浅田選手のファイティング・スピリッツからもそのようなメッセージが感じとれましたね。
2010/7/15(木) 午後 5:35 [ まさきつね ]

きゃべたれさま
コメントありがとうございます。
仰るとおり、今は巷にあふれている韓流ドラマ、まさきつねには全くついていけません。日本の昼メロ、安直な推理ドラマも同じです。
かつては日本語を大切にした脚本家のホームドラマや、筋書きの面白いサスペンスなどあったような気がするのですが、なかなかお目にかかれなくなりましたね。
テレビ局はドラマ作りも、報道に関しても、何に本腰を入れているのでしょうか。
さて雨ですが、九州地方は今年はさんざんでしたね。雨や台風が多いと分かっているこの国なのに、行政は治水をどう考えているのでしょう。近年は山が荒れて、昔ながらの山里に土砂災害が増えていると聞きます。
美しい日本の自然についても、しっかり考えていくべき時代なのでしょうね。
2010/7/15(木) 午後 6:21 [ まさきつね ]

まさきつねさまこんばんは。
このところテレビをつけることも少なくなりました。ドラマはもう10年以上前から見なくなりましたが、ワイドショーを見なくなり、ニュースさえも見なくなりました。本当のことなんて報道しないことが分かったので。新聞を読み、いろんなブログを読み、本を読んで自分で判断するしかないと考えています。テレビ局が困るのは、見られなくなる事、スポンサーが広告媒体として認知しなくなることです。すでにテレビ広告は激減し、仕方なく番組宣伝が増えているようですね。価値のないメディアは近い将来淘汰される事でしょう。
「コンクリートから人へ」どこかの党のスローガンですが、老朽化した橋やトンネル、危険な崖などが予算不足のため各地で放置されています。学校の耐震補強はいつやるのでしょうか。中身のないスローガンで、国民の生活が危険にさらされているというのに、政府の赤字がなくなれば、みんなが幸福になれるのでしょうか。なんか変だと思いませんか。綺麗な言葉は胡散臭い、選挙に間にそう思うことが増えました。
2010/7/15(木) 午後 10:32 [ Meiling ]

Meilingさま
今、世の中は地デジがどうのと叫んでいます。これもメディアに関する自然淘汰への一歩かも知れませんね。
コンクリート神話に踊らされて、あちこちでダムだの道路だの新幹線だのと、建築ブームが起こっていたのはもう、ひと昔前のことになりましたね。経済発展も、うたかたの夢だったような気がします。
若い人たちも今はバブルのような大望よりも、身の丈にあった幸せを選ぶ時代なのでしょう。前の世代のつけばかり払わされる身になれば、それも致し方ない事かも知れません。
この国ではセレブ官僚と生活保護者が税金の身食いをしていて、まともな納税者が置き去りの状態です。仕分けも今となっては後の祭りで、なりふり構っていられなくなった政治家が右往左往しているだけのようですね。
仰るとおり、綺麗ごとでは何の解決も出来ません。耳に痛い言葉を口にする人を正しく認識する力こそ、若い人に教育する学校が必要なのですが、そういった指導者があらゆる分野でしりぞけられてきました。(相撲業界の体たらくは好い例です。)
本質を見分ける眼と感性が僅かでも残っていると信じられることだけが、この国の唯一の希望だと思います
2010/7/16(金) 午前 2:55 [ まさきつね ]

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