月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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エロスのgravity

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浅田選手の素敵なビデオモンタージュがあったので、ご紹介する。

☆Mao Asada montage 『gravity』☆

写真にさまざまな加工を施して、絵画風なイメージを作っておられるのが個性的な動画である。写真の選び方も秀逸だと思うが、どのポジションを見ても体の軸が通っていて、あの激しい動きとスピードのある演技の中で、計算し尽くされたようなポージングが良く出来るものだと、改めて感心する。そして何より、これほど幻想的で詩的なイメージをかきたてられるというのも、浅田選手の中に内在する独特のミューズ的な霊力によるものだろう。

リンクの外の浅田選手は、ごく普通の二十歳前後の少女の顔だ。バラエティ番組で見せていた無邪気な笑顔も、オリンパスのCMで演じていたレポーター役のちょっととぼけた焦り顔も、愛らしく微笑ましいが、雰囲気として同年輩の女の子とさほど変わりはしないだろう。
だが一度氷上に上がると、不思議なオーラを身に纏って、詩人でも画家でもない一般の観衆にまで眩惑と詩的な霊感を与えるのだ。

浅田選手の演技に色気がないという意見があるが、「色気」というものを、異性を挑発し性的興奮を呼び覚ますということに限定すれば、それは確かにそうであったかも知れない。
(と言って、腰や胸を突き出したり、体をくねくね捩じらせたりするポージングを、セクシー路線として評価する風潮は、いい加減勘弁願いたいのだが。)

しかし「色気」を、芸術的なエロティシズムの概念として捉えるなら、浅田選手の舞踏や演技に色気がないという評価は当てはまらない。

無論エロティックの解釈は時代や地域によって変化するので、一律に定義すること自体ナンセンスだと考えることも出来るだろう。だが時代や地域が異なるにせよエロスの共通概念となる「官能性」という方向から見たとしても、浅田選手のひとつひとつの動作、その指先まで神経の行き届いた仕草のどれをとっても、観衆の眼を釘付けにする美しさに溢れていた。

異性を誘惑したり性的欲望を煽動したりする、流し目や表情も、劇画的な動きやポーズも一切無用である。なぜならエロティシズムは本来、相手をそそのかす誘いや色仕掛けによる籠絡とは無関係なものだからである。

ジョルジュ・バタイユによれば「エロティシズムとは、死におけるまで生を称えることだ」という。
人間はみな一個の存在として、他者から切り離され孤独に死んでいく「不連続性」に侵されている。だが、それに耐えられない人間は、他者との繋がり、すなわち「連続性」を求め、他者と関わる「生」の体験を希求する。「死」は、「不連続」の存在が絶対的な「連続」へ回帰する唯一の方法だが、そこに至るまでは「生」を称え続けることを、バタイユはエロティシズムの本質としたのである。

自己を失う危険を冒しつつも他者との共同へ、感じるものと感じられるものへの共同へ身を溶け込ませようとすること、それがすなわち快楽と呼ばれるものだが、エロティシズムは結局、快楽を呼び覚ます肉体への好奇心あるいはそうした身体に対する魅惑によって現れるという。

それゆえ、エロティシズムは戦いでもあり、他者を聖なるところから引きずり出し、侵犯に身を晒させることでもある。愛の営みが冒涜という一面を持つように、(いささか過激な表現であるが)「美を汚す」というところにエロスはある。

ただし大事な点であるが、欲望を肯定するエロティシズムは、一方で欲望の暴力性を退ける。エロティシズムは他者への熱狂的な接近を試みつつも、同時に熱狂を抑制し、肉体的興奮を観念的思想へ昇華する。それはセクシュアリティを排除するものではなく、セクシュアリティを純化して、一個の芸術へあるいは生命の律動へ作品を導くものだという。

話を浅田選手の演技に戻すが、彼女の媚びへつらいのない舞踏、たとえば今最も新しいプログラム『バラード第1番』にしても、バレリーナのレッスン風景という見てはいけないものを垣間見たような清廉たるエロティシズムに充ちていた。
純白の衣装は、汚したい欲望に駆られながらそれを我慢することで、より気高いものへ、セクシュアリティを越えた「真理」へ近づいていく、観衆の知的創造力を刺激した。
若い生命力の躍動する踊りを「色気がない」と評するのは、エロティシズムとポルノグラフィの区別も付かない下賎な感覚のみであろう。

先ほどバタイユの「美を汚す」という言葉を引用したが、「見られる」「視線に晒される」ということによって、「美」は常に鑑賞者から汚され侵犯され続けているが、真に美しいものは、それでも尚且つ汚され得ないものなのだ。肉体の地平という彼方で、限りなく純潔でありながら、「見られる」行為によって常に鑑賞者の官能を刺激し続ける身体芸術のエロティシズムを、正当に評価したいものだ。

まさきつねは豊潤な芸術的刺戟をもたらす田選手の演技に、反逆する魂を感じ、熱狂する喜びを味わい、視覚のエロス的快楽を意識する。鑑賞者の決して充たされぬ欲望の向こう側で、浅田選手によって氷上に繰り広げられるフィギュアという、限りなく降り注ぐ美の極致。
鑑賞者におもねる嬌態などひとつもなくても、知的創造力を呼び覚ましそして詩的イメージを喚起させる「美」の重力が「見る」ことの逸楽に観衆を引きずり込み、甘く揺蕩う官能的な快感をもたらしてくれるのが彼女の舞踏なのである。

最後はもう一度バタイユの言葉で。

「極限へ赴きながら死んでゆく、欲望の過剰な暴力に従いながら死んでゆくということをせずに、この欲望の対象〔客体、事物〕の前に長く留まり、生の内に自分を維持するのは、なんと甘美なことだろう。」


フィギュア96-2

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ご紹介のビデオモンタージュを見始めた途端、またまた驚いてしまい…
gravity-アニメwolf's rain by 菅野洋子の一曲、気に入っているアルバムの一曲でした。音楽の好みなど人それぞれなのに、まさきつね様を通して、それは言い換えれば「浅田真央」を通して、感性がつながるのは、それだけ彼女が実に多様な人々の感性を刺激する何かを持っているからでしょうか。
仰る通り「…一般の観衆にまで眩惑と詩的な霊感を与える」、同感でございます!
少し話が逸れますが、以前こちらでフィギュアの曲にどうかと紹介された中に(おっ、まさきつね様も目をつけられたか)好きな曲がいくつかあり嬉しく思いました。ワタクシ事で恐縮ですが、「DIVA」のSentimental Walkでソロを踊ったことがあります。振付けよりも極めて踊り手の感性を試される曲でした。コンテンポラリーな振付けで真央さんがスケーティングしたら面白いかも…などと空想しております(笑)
2010/7/10(土) 午前 11:34 [ 踊り子 ]

浅田選手のあの美しいポーズが真剣勝負の試合の中(あれほど濃密な連続技のプログラム)のものだという事は、彼女が素晴らしい舞踏家である証明だと思います。彼女を「子供っぽい」だの「表現力が劣る」などと世迷言を言う輩は己の審美眼の無さを世間に晒している愚か者です。(自分の保身の為に魂を売っている自尊心の無い者も)
こんなおばさん(芸術の素養の無い)の魂まで震わせる浅田選手の演技は、「ギフト」だと思っています。「神様」は私には遠い存在ですが、これはやはり「神」に感謝しなくてはなりません。彼女の演技は勿論、あの可愛らしい笑顔を見ると人に優しく接しようと思うのです。心が癒され、洗われます。浅田選手は尊敬するアスリートであり、優れた舞踏家で、なお且つ私の初めての「アイドル」でもあります。

まさきつね様の浅田選手の素晴らしい評論に大拍手です!このような正当な評価を浅田選手に贈るべきなのに・・・!(マスコミは酷過ぎです。)
2010/7/10(土) 午後 2:18 [ ゆき ]

訂正:wolf's rain は菅野よう子氏でした。失礼しました。
2010/7/10(土) 午後 3:56 [ 踊り子 ]

踊り子さま
コメントありがとうございます。
まさきつねも菅野よう子さんの音楽が大好きです。リズムセンスが良く、編曲も洗練されていますよね。菅野さんを使用したアニメも、ハイセンスな作品が多いですね。
Sentimental Walkで踊られたことがあるのですね。これもまた凄いセンスの良い選曲ですね。甘く怠惰な感じがたまらなく好きなのです。音感の良い選手に、モダンな雰囲気でぜひ踊って欲しいですよね。
2010/7/10(土) 午後 5:59 [ まさきつね ]

ゆきさま
ご訪問うれしいです。
仰るとおり、浅田選手は神さまからの「ギフト」なのでしょうね。
それなのにまだ彼女に足りないものがあると、滅茶苦茶な採点を棚に上げて公けに書き連ねるライターがいるのは、困ったことです。あのライターは、先日のDOIのEXを観て、今度はどんな風にアリバイ工作みたいなコラムを書くのでしょうか。
素人でも思わず下手な文章を承知で、あの稀有な舞踏を何とか詩のように絵画のように表現したいと思うのに、組織に洗脳されたライターもマスコミも、心をどこかに置き忘れていますね。
2010/7/10(土) 午後 6:13 [ まさきつね ]

でもさー、どちらの選手の演技に色香を感じるかは、もう個人の好みじゃないのかなー。男性の多くはやっぱ某選手を綺麗だなーと言うよ。国籍を問わず。でもそれは、ベッドを共にしたいとかいうような感覚とは違うみたい。ちなみに女性受けは半々くらいかな。
2010/7/11(日) 午後 2:58 [ まりも ]

まりもさま
コメント拝受しますが、ただ、まりもさまのコメントは、何の根拠もソースもないご意見で、このエントリーの内容とは関連がないお話とお見受けします。

まさきつねは「個人の好み」の次元で話をしている訳ではありません。「色香を感じるか」という表現をしておられますが、まさきつねのこのエントリーは、どの選手に誰が色香を感じようがそんな「個人の好み」に関わりなく、下世話な表現で「色香」といわれるものをエロティシズムと考えるかポルノグラフィと捉えるか、その解釈の違いについて述べているのです。
某選手と仰っているのが、誰を指しておられるのか分かりかねますが、まりもさまが「個人の好み」で語られたい選手がおられるのなら、その選手のお名前を挙げて、その選手の「色香」についてしかるべき場所で語られたら良いと思います。蓋し、このエントリーの本論には、あまりにも無関係の内容と存じます。
2010/7/11(日) 午後 11:48 [ まさきつね ]

まさきつね様こんばんは。
とても興味深い話題でした。
それでもいわゆるセクシーと、エロティシズムの違いがわからなかったり、好みの問題だと断じる意見があるのは、それはそれで仕方のないことなのでしょうね。
007のSPを、うちの連れ合いは「気持ち悪い!」と言いますし、逆に女の私でも、彼女の体の線はとても綺麗だとは思います。

ただ、007を題材にすれば、あれは男の夢や願望の表われですから、どうしたって色気を強調した挑発的で媚びたものになるのは当然でしょう。妙に静止のポーズが多く、受け狙いが顕著でも、それが色っぽくて好きなら、別に構わないでしょう。

ただ、これこそ大人の女の魅力だとばかりに、その点ばかり強調し、下品な騒ぎ立て方をしていたマスコミのあおり方は馬鹿馬鹿しいものでしたし、フィギュアの美というものはまったく感じられませんでした。
好みは人それぞれ。それを否定する気は毛頭ありませんが、観客におもねることのない、揺るぎのない技術に裏打ちされた氷上の舞を観た時に、遥かな高みへといざなわれるような、エクスタシーにも似た感動に貫かれてなかば呆然としてしまうのです。こんなおばさ
2010/7/12(月) 午前 1:22 [ オレンジ ]

まさきつね様、申し訳ありません。
またしても文字制限を越えてしまったようです。以後気をつけますので、どうかご容赦下さいませ<(_ _)>

こんなおばさんでも…と書き添えたかったのですが、失礼致しました。女性であっても、そしておばさんであっても、計算されたものでない、ふとこぼれ出る匂いたつようなエロチシズムに触れたとき、やはり感動するものなのですよね。

なんか的外れな意見があるな~、と思って一言申し上げたかったのですが、すでに主様ご本人がずばり的確なことをおっしゃっていましたね。僭越で恐縮してしまいました。
次回はサッカー決勝戦のことでお目にかかれるかもしれませんね。
楽しみにしております。
2010/7/12(月) 午前 1:41 [ オレンジ ]

オレンジさま
コメントこちらこそ恐縮、そしてありがとうございます。
そう、人にはそれぞれ好みがありますし、その好き好きの感想を述べることは大事なことですね。ただ的が外れると、せっかくの意見も台無しになります。若い方がさかんに「空気を読め」と仰いますが、まさに場の空気を読んで、発言すべきところで発言されるべきということですね。
いわゆるセクシーというか、ポルノグラフィについても(ベッドを共にしたい云々も含め)、それをすべて否定する訳ではありません。そういう行為もそういう表現も、それはそれで評価されるべきです。ただ、オレンジさまが仰るような「エクスタシーにも似た感動」にいざなわれるエロティシズムと一緒くたにするなとこのエントリーは言いたかった訳です。
まさきつねの拙文では、まだまだ皆さまに真意が伝わらない部分が多々あるということで(汗)、精進いたしますね。
オレンジさま、皆さま、これからもよろしくお導きください。
2010/7/12(月) 午前 4:02 [ まさきつね ]

こんにちは。まさきつね様。
今期浅田選手のEXをみてドキドキする理由が、こちらに来てわかったような気がします。
今までのEXと違い、お客さんにアピールすることがないというか、視線をあえて合わせないといういううか。
これはやはりバレリーナのレッスン風景を、こちらが覗き見ているからなんですね。
むこうから与えられているのではなく、こちらが求めている。だから何度でも覗き見したくなるEXですね。
2010/7/14(水) 午後 8:53 [ neg*7*59 ]

neg*7*59さま
コメントありがとうございます。
フィギュア演技では良く、ジャッジや観衆にアピールすることが大事と言われますよね。しかし、押し付けられた色気以上に、他意なく自然であるがゆえに、ぞくぞくするようなエロスを発散する姿態というものがあることは確かです。
ショパン200年を記念してのタチアナコーチの選曲という話が出ていましたが、ショパンを原点に戻すかのように、一切の飾り気を省いて、舞踏演習の場面という切り口で演出したのは面白いと思います。『鐘』のステップさえ虚飾を剥ぎ取られた様相でしたね。
こんな形で素の浅田選手に対面出来るのも、ファン冥利に尽きますね。
2010/7/14(水) 午後 11:56 [ まさきつね ]

>異性を誘惑したり性的欲望を煽動したりする、流し目や表情も、劇画的な動きやポーズも一切無用である。なぜならエロティシズムは本来、相手をそそのかす誘いや色仕掛けによる籠絡とは無関係なものだからである

って貴方が書いてたからだよ。これってやっぱり某選手の事で、真央と某選手を比較しているって連想する人は連想するじゃん。

空気読めなくてごめんね。まあ鈍感力があるってことで。
それからオレンジさんもごめんね。
2010/7/18(日) 午前 8:54 [ まりも ]

まりもさま
そうですね。ご引用の部分を某選手と連想なさるのはご勝手ですが、それはまりもさまが某選手とやらの演技をそうだとご想像なさっているに過ぎません。
まさきつねはまりもさまが仰っている某選手の演技表現の如何に関わらず、浅田選手の演技には、引用部分のようなポルノまがいの表現は必要ないと考えているだけです。(あえて書きますが、ポルノ表現全てを否定する訳ではありません。ポルノ表現が必要な分野も世の中にはありますから。)
まりもさまがどうなのか分かりませんが、浅田選手にもそうした表現が必要だと考える方がいらっしゃるのなら、それが必要だと思われる根拠を挙げてご意見を述べられたら好いと思いますよ。
2010/7/18(日) 午前 10:38 [ まさきつね ]

あのーポルノまがいだとは言ってないんだけど。
でもちまたでは某選手の演技がセクシー路線だという人多いよね。

真央にはそういった演技は必要ないよ。似合わないし。
選手自身の個性を生かした表現が一番だと思うよ。
2010/7/18(日) 午前 11:31 [ まりも ]

まりもさま
あなたが「ポルノまがい」と仰ったと書いている訳ではないのですよ。
本論をもう一度お読みください。このエントリーは浅田選手の演技とそれに対する批判を例に挙げていますが、本旨はエロティシズムとポルノグラフィ表現に関する論説です。
某選手と仰っていますが、その選手が誰であれ、この論説で名前を上げていない選手の演技がポルノだろうがセクシーだろうが、それについては全く無関係の内容です。(空気を読んでコメントくださいとお願いしたのはそのことです。)
浅田選手に関するご意見は拝読します。仰るとおり、「選手自身の個性を生かした表現」が大事だということですね。
2010/7/18(日) 午前 11:48 [ まさきつね ]

続き。

貴方は全く某選手の演技を意識せず文章を書いたんだね。流し目や
表情も某選手がよくやる演技だからさ、ついそう思ったよ。
じゃあ私の完全な勘違いだね。ごめんね。あやまるよ。
2010/7/18(日) 午前 11:51 [ まりも ]

まりもさま
引き続きコメントありがとうございます。
まさきつねの文章に紛らわしい表現があったということでしょう。謝罪のお言葉痛み入ります。
「流し目や表情も、劇画的な動きやポーズ」なども、もとより特定の選手や演技手の専売特許という訳ではないと考えていますので、ご了承いただいたとおりです。
2010/7/18(日) 午後 0:49 [ まさきつね ]
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