月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

白い羽根のファンタジア

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浅田選手に関する大きなニュースがふたつ流れている。
ひとつはSPのルール変更で3Aが認められたというもの、もうひとつはいろいろ取り沙汰されていたジャンプ専門の指南役に、鈴木選手を指導していた長久保コーチが就任するというものだ。
報道で言われているほど手放しで、浅田選手有利だの、ジャンプに関する懸念が払拭されただのと喜べるような状況ではないと思うが、とりあえず選手の努力が少しでも報われる環境が一歩ずつでも整っていくのは、歓迎すべきことだろう。

SPについてはプログラム構成の選択肢が大きく増えた。これは朗報だ。しかし、3Aジャンプを跳ぶリスク自体は軽減された訳ではない。浅田選手の理想としては無論、3A、3F?3Lo、3Lzの構成だろうと思うが、かかるプレッシャーも半端ではないと容易に推測出来る。ルッツを完全に習得するまで、トゥループを跳ぶという選択肢もあるだろう。

また、三回転のコンビネーションで、セカンドジャンプを3Loから3Tにするという方が現実的に、回転不足による減点を避けられると思うが、浅田選手の今までの構成からすると、プレッシャー的にあまり差異はないのかも知れない。
三回転のコンビが不調なら、セカンドジャンプを二回転にするというパターンもあるが、中間点の導入があるなら回転不足も覚悟で三回転に挑戦し続けた方が、ジャッジの印象は高いだろう。

一方、3Aを入れられない多くの選手はおそらく、キム選手や安藤選手のように、ルッツからの三回転コンビネーションを高得点の目標に掲げて、挑戦してくると思う。浅田選手にしても一般の選手生命から考えると、いつまでも3Aだけを頼みにプログラムを組むのはなかなか厳しい。
だが彼女の人並みはずれた体力と努力に、優れたジャンプコーチの適正なアドバイスがあれば、今のジャンプの質を落とさずに、ルッツジャンプの矯正などの課題を乗り越えていけるだろう。


さて、以上述べたのが浅田選手の報道から予想される現況であるが、彼女が今のように二十歳を迎える頃にも、ジャンプのレベルを保っていられるのかどうかその不安を強く抱かせたのが、2007年?2008年のシーズンだった。

まずご紹介するのは、シーズンの幕開けに行われた日米対抗フィギュア2007での動画である。

☆Mao Asada - SP 2007 USA vs Japan (No Commentary)☆

フィギュア87-2

シーズンの緒戦で、しかもお祭りのようなイベントなので、どの選手も全くと言ってよいほどジャンプの調整がされていなかったのは致し方ない。
浅田選手の場合も、最初の三回転のコンビネーションでセカンドジャンプが抜けてしまっている。難度の高いトリプルループを跳ぶには最初のジャンプから降りて来た時に体が傾き過ぎ、スピードを殺して間髪を入れずにループジャンプを跳ぶのに躊躇いがあったようだ。

三回転コンビの失敗は、実は前のシーズンにおいてもしばしば見られた光景であり、2007年ワールドの際も結局、FS演技で歴代最高得点を叩き出しながらSPでの同様の失敗が後々に響き、銀メダルに甘んじたのである。

練習では跳べるジャンプが本番で決まらないというジレンマは、2007年?2008年シーズンも尾を引くこととなり、GPSはファイナルでもついに三回転コンビを完璧に決めることが出来ないままに終わっている。

だがこのように、ジャンプの要素で大きな失敗をしながらも、60点に迫る得点を出すことが出来るのは、ジャンプ以外のエレメンツが充実して、それまで低いという固定観念で語られていた浅田選手の表現力に驚異的な魅力が加わってきたからにほかならない。
何より観衆に衝撃的だったのは、タチアナコーチが振り付けた『ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア 』の楽曲世界の幻想的な素晴らしさであり、とびぬけて目を奪われたのは終盤、複雑かつ難解なフットワークと、上肢と上半身を大きく使い、柔らかく優雅なターンとステップを繰り返して舞い続けるストレートラインステップだった。

「強く飛ぶ鳥」をイメージしたという表現は、随所に、飛び立つ鳥が翼を広げるように腕を大きく開いたり、祈りのように手を合わせたり、音楽に合わせた細かなモーションが付けられて、一瞬一瞬が雪原の幻燈のように目蓋の裏に焼き付き、余韻となって心に残るのだ。風よりも軽く、風にそよぐラヴェンダーの草群よりも匂やかに、現実にそこにあるもの以上にイマジネーションが生み出す世界の強さ、美しさを観衆に思い知らせた、タチアナコーチの描く叙情世界の勝利だった。

しかしこのエレメンツをぎっしり詰め込んだプログラムは、連続ジャンプやルッツの不安要素が抱える課題と表裏一体で、惜しむらくは結局、いくつかの細かい振り付け部分や、魅力的なモーションは、シーズンが進むにつれ、削ぎ落とされたり変更を余儀なくされたりすることになる。

ファイナルの後の全日本選手権では、衣装も(舞選手から強奪したという)新しいものに一新し、観衆が祈るように見つめる中で、軽やかな三回転のコンビネーションを成功させ、若干スパイラルのスピードが落ちたものの、丁寧なスケーティングと力強いステップで高い得点を叩き出した。
銀色の音楽に乗って、自由を目指して羽ばたく鳥のように、限りなく優雅で限りなく高潔な魂の顕現のように、「ラヴェンダー」のステップはSPのジャンプに纏わり付いていた因果な鎖をついに断ち切った浅田選手の心を象徴するかのごとく、ひたすら軽やかで、苦悩や絶望や心的なあらゆる悲しみから解放されていた。

☆mao 08jn-sp 8:16jpn☆

フィギュア87-3

ほかの選手たちに比べればはるかに強靭な体力と、意志の力で、ジャンプの課題をクリアして、終盤の鮮烈な力強いステップの演技に繋げたのだ。いくつか犠牲となって削られた振り付けは、今になって動画を見直しても惜しいと思うが、高難度のジャンプを盛り込んで、柔軟な姿勢のスピンとスパイラルをこなし、一切の妥協のないステップへなだれこんでいくプログラムの完成には、仕方のない選択だったといえよう。


ところで、これからこのエントリーの冒頭に述べたようなジャンプ構成を目指して、ルッツの矯正やトリプルループの復活などを課題として、浅田選手が試練を重ねていくのなら、それはやはり怖ろしく困難な道であると考えざるを得ない。

タチアナコーチは浅田選手に、独創的かつ想像力豊かな演技表現を教え込んだが、その実、コーチが最も重要で、浅田選手に必要なものとして叩き込んだのは、障害にめげない強さ、難壁に挑む精神力だっただろう。

白い羽根が舞い散るように美しく、銀盤の上に広げられたひとときの幻想は、この世に蔓延るいかがわしい現実、人間の浅慮と欲望が滲む世界を軽やかに飛び越えていくための最も効果的な手段である。

人はときにあまりにも辛い体験、苦しみや悲しみに出くわした場合に、心の奥底の夢や幻の中で苦難を乗り越えようとする。それを「逃避」と呼び、忌み嫌う人種もいるだろうが、そう言い放つ人たちは実際に、身が捩れ、心が引き裂けるほどの苦悩や不幸を味わったことがないに等しいのだろう。

ファンタジア(幻想)は現実から目を背け、安易なところに逃げ込もうとする弱い人間の常套手段ではない。
真実を求め、逆境を克服して、前へ進もうとする人々の心が集うところ、果敢なく弱いけれども美しく、美しいけれども形をもたないゆえに何よりも強い、決して壊れることのない魂の結晶なのである。


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高難度の技と振付けのバランス、まさきつねさまに同感です。
このSPを初めて見たとき、こ、これは!…驚異でした。
3Lz着地の前足をそのままプリエでアラベスク、2Aの着地後はそのままアチチュード…ジャンプの後にきっちり振りが入っていて次に繋げる動き。高度なステップラインの中で上半身を動かす、特に頭部を腰のラインより下げてそしてまた起こす、踊る側から見てもとても大変なタラソワ振りに驚きました。ジャンプ、ステップに加えて細部にわたるballeticな振付けをこなさなければならない真央さん、これは・もの凄いこと・をしている、と感じたものです。
不思議ですね、真央さんのスケーティングには彼女の感じたであろう喜び、辛さや悲しみもすべて見えるような気がします。身体をコントロールしながら集中してあれだけの高度な演技をおこなうことに必死なはずなのに、彼女の身体そのものから見えてくるもの…「形をもたない強い、決して壊れることのない魂」でしょうか。
2010/6/20(日) 午後 0:30 [ 踊り子 ]

踊り子さま
コメントありがとうございます。
踊り子さまはバレエのご専門でしょうか。とてもお詳しい解説をいただき、大変うれしいです。
浅田選手がロシアでも、バレエの訓練を受けていたことは報道されていましたし、今も熱心に続けておられると思いますが、それに対し、バレエをやる時間があるならスケート技術を高めろという批判的なご意見も聞きました。とても視野の狭い、浅はかな話ですよね。
タチアナコーチはアイスダンスのステップやモーションまで、浅田選手にはごく普通に行わせていますが、それが大変な訓練と習得技術の賜物だということを、もっと評価して然るべきだと思います。踊り子さまの仰るような、バレエ的な演技表現についても同様です。
浅田選手は自分の演技についても、苦労や苦悩についても、全くと言って良いほど語りませんが、彼女の心から望むものや夢は、幻想のように美しい身体表現に表れていますね。
2010/6/20(日) 午後 1:30 [ まさきつね ]
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