月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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白き花のくずれるように


大野一雄さんが逝った。

☆Antony and the Johnsons - Her eyes are underneath the ground☆

彼の肉体はとうに時間も空間も飛び越えた次元で舞踏の神話を語っていたのだが、神話の化身である肉体がいつか神話そのものになったように、死の化身である舞踏が死そのものについに変容してしまった。

「踊りとは命掛けで突っ立った死体である」と語ったのは、戦後日本に「暗黒舞踏」と呼ばれる独創的な身体芸術を創始した、土方巽である。
土方自身は、1960年代から70年代にかけて、十年間あまりしか舞踏家として活躍していない。それは土方巽が舞踏神と名指されるような不世出の踊り手であったと同時に、象徴的な語りに充ちた言葉の天才であったからなのかも知れないが、最後まで肉体の表現者であった大野一雄さんと期するものが何か違っていたのだろう。
土方の言葉はシュルレアリストの自動記述に喩えられるように、難解で哲学的かつ構築的だが、大野さんの言葉は詩のように幻想的で、啓示を含みながら浮遊感に充ちている。

「私たちの肉体は、すでに壊れながら生れ落ちるもので、私たちはそれを生理で知っている」と土方は言ったが、誕生とともに死を孕む肉体の壊れやすさ、霊を包む肉体の重さを体現したのが、その踊りだった。
土方は既成の舞踊概念を外れ、60年代の日本を席捲した文学的芸術的コンテクストの中で、トランスジェンダーな倒錯的エロティシズムや挑発的な暴力性を前面に出した身体表現をものとした。70年に入ってからはさまざまな文化から「採集」した一種の型のようなものと、重たげにがにまたで跛行する独特の様式を完成させたが、他の舞踏家に定着させる意識はなく、74年以後は演出や振り付けに専念して、自らの舞踏する肉体を封印し、舞台に立つことはなかった。

一方で、大野さんは50年代に土方に出逢い、1977年は土方の演出で『ラ・アルヘンチーナ頌』を踊り生涯の代表作とした。大野さんは国境を越えて、時に土方へのオマージュのように踊って「ブトーBUTOH」を世界へしろしめし、九十歳を越えて衰え崩れゆく肉体に逆らうことなく、詩のように語る言葉のごとく踊り続けた。
「私は幽霊となって、幽霊の姿を借りて幽霊と出会いたい。」という言葉のひとつは、詩的幻想に溢れた身体表現に滲み出る、策術なき無心の表れだろう。

「舞踏とは、はぐれてしまった自分の肉体に出会うこと」という土方の言葉もまた、趣き深い。
膝は曲がり、不均衡な動きを見せる手脚は捻じれ、ひきつり歪み、痙攣する全身は軽やかに飛翔することもなく、大地にひれ伏して「美貌の青空」を仰ぎ見る。その踊りは、「私」の肉体への遥かな希求である。世界中の観衆が涙するのは、舞踏家が「私が私であること」に拘り、生命そのものである肉体にしがみつき、肉体の中の深い「闇」に向きあい続けているからである。

明らかに、弾けるような肉体のダイナミズムで構成される西洋舞踊のアンチ・テーゼとして生み出された「ブトーBUTOH」は、死に向かって解体され、壊れながら衰弱していく肉体の動きを「美」と定義づけた。

肉体と永遠にはぐれてしまった幽霊が、自らの肉体や過去の英霊たちを探し求めてゆく姿、その佇まいのひとつひとつを踊りにしてしまったのが、大野さんの優雅な舞踏世界だった。

大野さんの魂や肉体の中に蘇る「死者」が、積み重ねる日常だけでなく日々の夢や眠りの中で育ち、大野さん自身も「幽霊」となって「死者」の霊と戯れている、その幽玄の世界が大野さんの身体表現として結晶化した。観衆は「死者」とともにあるいのちの鮮やかな眩さ、過去との懐かしい邂逅、生きる喜びと悲しみを、大野さんの肉体を通じて気づかされたのである。

「花の世界は死の世界だ。花を見ている。魂が交感し、肉体がひとつになって、自分が生きていることを忘れる。死そのもののなかで踊っている。あるときは死の世界で、気がつくと生の世界。死、生、死、生。」

生きる今だけでなく、あまたの過去の記憶が棲む肉体の「闇」。闇の中を白い閃光のように、サヨナラを告げる白い手巾のように無数の花の花びらが降りしきる。

夕方、山の沢に清流の飛沫にうたれて咲く、白い山法師の花を見た。
金色の黄昏の光を照り返しながら、花は咲き、咲きくずれた花の花弁は川の流れに落ちて踊るように回りながら渦に呑まれた。

舞踏家は「闇」の中に去り、この世に残されたのは咲き残る「生者」なのか、「死者」なのか。

夢の語る物語に棲む者たちの視界はただ溢れる涙で溶けて、もう何も分からない。



大野さんをアンソニーのPVではなやかに見送る。

☆ANTONY AND THE JOHNSONS - Epilepsy Is Dancing☆

フィギュア79-2
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何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ
何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり
ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や 
夢幻や 南無三宝 
くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (閑吟集)


フィギュア79-2


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