月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

フランドルの氷上からアリーナの望みの歓びを


「アンソールからマグリットへ?ベルギー近代美術の殿堂 アントワープ王立美術館コレクション展」という全国巡回の展覧会で、久々にヴァレリウス・デ・サデレールの作品を観た。

元々マグリットの作品目当てだったのだけれど、アンソールやスピリアールトなど象徴主義のメランコリックな作品が比較的充実していて、サデレールもその中の一人である。

(閑話休題。パスキンやスーティン、あるいはシーレのような病性を感じさせるシュルレアリスムの作品群もそれなりに印象的だったが、ベルギー美術ならではの独創性という点で、このジャンルではデルヴォーやマグリッドがやはり群を抜きん出ている。

マグリットは、ポスターと図録表紙にもなっている『9月16日』という、一本の樹の真ん中に描かれた三日月が鮮烈な作品が魅力的だった。
数年前の「ベルギー王立美術館展」の目玉の一つだったマグリットの代表作『光の帝国』を彷彿とさせる、時空間の捻じれと樹木のシルエットの美しさが作品的に似通った感動を与えるかも知れない。
もう一つの『嵐の岬』はやはりマグリットの代表作『ピレネーの城』(イスラエル美術館蔵)と同じ岩がモティーフだが、彼ほど「岩」という無機質の塊にファンタジアを与えた画家はいないだろう。
「夢の解釈」もしくは「夢で見た風景の解釈」がたとえ批評家によって試みられようと、マグリットの表象はまやかしではなく、あくまでも写実に寄り添う。「騙し絵」から最も遠く離れながら、表象に疑念を突きつける表象、それがマグリットのアイロニカルな戦略であり、写実が写実を裏切る幻想性が彼の夢である。)

さて、サデレールであるが、「ベルギー王立美術館展」でも『フランドルの冬』という作品が出品されていて、展覧会の一番の目玉だったブリューゲル(父)の『イカロスの墜落』との呼応が展示ポイントになっていたのが記憶にある。
(最初の展示作品がブリューゲルで、一番最後がサデレールだったということ。担当学芸員の意図的な展示プランニングで、ブリューゲルに始まり、ブリューゲル的な作品で終わるように趣向が凝らされていたらしい。)

サデレールの作品は、色彩感覚などに東洋の浮世絵からの影響も見えるのだが、モティーフや風情は確かにフランドル絵画の先駆者ブリューゲルを彷彿とさせるものがある。
ブリューゲル作品ではしばしば魅力の一つである人物を画面から一切排除した人影のない風景画が特徴なのだが、構図の近似や樹木の描き方、雪の量感といった各所に母国の先人画家の薫陶を受けて、フランドルという地方の重たくもどこか温もりのある冬景色を描いている。

そもそも展覧会の名称にある「ベルギー近代美術」という定義も明確なものではなく、(パスキンやスーティンの名を前に挙げたが、)フランス絵画との近似性は避けがたく、また言語的にも北はゲルマンの流れを汲みオランダ語を主用とするが、ラテン文化が入りやすい南はフランス語が中心となってきたようだ。アントワープは北に位置するから、フランドルの特色を強く意識させる内向性精神性を持った作品が多く見受けられるのも当然であろう。

今回の展覧会ではサデレールの『フランドルの雪景色』という作品が出品されていたが、ほぼ正方形に近い画面の上半分(二分の一強)を、日没間近の空が占めており、この空間配置の感覚が、やや画面を俯瞰して描くブリューゲルとは異なる近代人の虚無感を伝えているかも知れない。

ブリューゲルは『イカロスの墜落』や『嬰児虐殺』のような悲劇的なテーマを描いても、田舎の風景と人々のなりわいの中に、宗教的葛藤や社会的動乱をまるで日々の営みや日常的な人間模様のように、背景のひとつとして描いていく。凄惨な事象も寓話の挿絵のように、どこか突き放した出来事として冷静に、それでいて温かみのある人間観察の下に捉えられているのだ。

サデレールはそうしたブリューゲルの人々の生活に添った観察眼を踏襲しながら、近代人のシニカルな現実把握を画面に表出させている。生活者のいない風景と、どこまでも広々と描かれた空は、猥雑なものを離れ、絵画空間に開放された精神の純化と孤独を表現しているのである。

ところで、ブリューゲルの代表作にウィーン美術史美術館所蔵の『雪中の狩人』という作品がある。
brueghel_snow_top.jpg


ドイツ・ルネッサンスの田園風景画としても、農民ブリューゲルの異名を証する、当時の農民生活を緻密に描写した歴史的資料としても貴重なものと知られている。

雪の降り積もった山間を猟犬を連れた狩人たちが猟銃を背負って歩いていく情景が左下に近景で描かれ、山下の集落では凍った池でスケートやカーリングやそり遊びなど冬の遊戯に興じる村民、右上に遠景の山岳を配す、ブリューゲルならではの遠近法を巧みに用いた構図である。

狩人の背中の獲物は一匹だけと冬場の窮状を凌ぐには満足な収穫ではなく、帰路を急ぐ背中にも疲労の色が滲み、ネーデルランドの冬の厳しさが伝わってくる。だが左に目を転じると、居酒屋らしき家の前で勢いよく火を焚く女たちがいて、前方には氷上で遊ぶ人々が視界に入り、無事に里へ戻って来た安堵感が狩人の心に宿った一瞬の素朴な人間感情を、ブリューゲルはライト・モティーフ(主導動機)に描いたのである。右上奥には遠景に、ネーデルランドには本来ある筈のない雪に覆われた絶壁の山々を配し、農民生活の苛酷な生活環境、貧富の差、人生の浮沈などを効果的に演出する。架空の世界であっても、ここには確かにブリューゲルが体感していた、暗いフランドルの冬と農民たちの日常、四季折々の暮らしへの画家の愛着が息づいているのである。

興味深いのは、この作品の注文主はブリューゲルの友人でアントウェルペンの裕福な金融商人ニコラース・ヨンゲリンクであり、本作は彼の邸宅の装飾画として制作された六点から成る連作月暦画の1点だと推測されているという。つまり、画中に描かれるフランドル農民たちの営みは、貧しさや社会的階層差を告発する類の社会風刺ではなく、厳しい大自然や経済的貧困や社会的圧力に屈することなく、仮借のない日々にも楽しみを見出して生き抜いていく庶民のしたたかさ強さの表れであり、氷上の遊興はその最たるものだということだ。

まさきつねは『雪中の狩人』を観た時には正直に言って、疲れた足で厚い雪を踏んで行く狩人たちの息遣いや、群れる犬たちの吼える声、飛び立つ鳥の羽音、枝から落ちる雪の音が裂く凍るような大気といった、前景に描かれる世界観で満たされて、中景の凍った池の上で遊びを営む人たちの視点に共鳴することまで気が回らなかった。

言い訳なのだがブリューゲルの俯瞰図は、点景のような人影を鳥の眼で眺望させてしまうものなのだ。

サデレールの『フランドルの雪景色』は、鑑賞者を不意に人影のない画面の中に引き込んで、雪中の人物の眼で重たく頭上に広がる鉛色のネーデルランドの冬の空を見上げさせてくれたのである。
そして不思議なことに、サデレールの絵に描かれた世界の空気と、ブリューゲルの画中の空気が、時空間を越えて交じり合って、ブリューゲルの氷上のスケーターたちが眺めたであろうと思うような空の色や広さを、普遍のリアリティで体感させてくれたのだ。
瞬間、過去のスケーターが味わったであろう遊戯中の興奮が、今のスケーターたちの滑る歓びに集中している胸の高鳴りに連動し、フランドルの空と、空のないアリーナの氷上から仰ぎ見る眼が捉えたであろう光景が感応して、胸に迫った。

そして思い出すのは、FSプログラムの最後に、高く掲げられた浅田選手の両の腕。
神へ、あるいは絶対なる存在へ、ひとすじに何かを求めるように差し伸べられた腕は、個人的な我執も信仰も超えていた。ただ純粋な祈りが結晶していた。

祈りの腕は届いたのだろうか。望みのものに。

主よ、人の望みの歓びは、こんなにも気高く美しい。
ブリューゲルの生きたルネッサンスの頃からサデレールの時代、そして現代に至るまで、日本のフィギュア選手たちが見上げる空が変わらなく、果てしなく普遍に美しくあるように。


img_939936_32805014_0.jpg

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ぽちお願いします
にほんブログ村 その他スポーツブログ スケートへ
blogram投票ボタン



こんばんは、まさきつね様。

ついさっきまで、浅田選手のコラージュ動画を観ていました。
演技の動画でもそうなんですが、
コラージュの場合は、動画主さんの浅田選手への想いが凝縮されているせいか、
観ているうちに泣けてきてしまうことが多いです。
先程観ていた動画でも、
『鐘』の最後、両手を天に掲げる浅田選手の姿がおさめられていました。
ラストカットは、まさきつね様も以前使われていた、祈りの表情の浅田選手でした。

浅田選手の姿を観ると泣けてしまうのは、
自分が忘れたくない部分を刺激されてしまうからなのかも知れません。
彼女の中にそれを見て、言い知れない感情がこみ上げてくるのかも、と感じます。

浅田選手をはじめ、真っ当に頑張っている選手たちが少しでも報われますように…
毎朝、通勤途中の神社の前でお辞儀して一日の無事を小さくお祈りするんですが、
明日から、もう一つお願いごとを増やしてみようかな。。。
(実は、世界選手権の前にも同じ神社でお参りしました)
2010/5/12(水) 午前 2:03 [ もじ ]

もじさま
引き続きコメントありがとうございます。
コラージュを作られる方は皆さん愛が溢れておられますよね。大変なご苦労だと思いますが、選手やフィギュアへの愛が、苦を苦と感じさせないのでしょうね。
選手たちは勝ちたいと祈るのではなく、練習の成果が試合に発揮されて、正当に評価されることを望んでいるのだと思います。自分だけが「勝つためのルール」制定なんて、失礼にもほどがありますよね。
2010/5/12(水) 午後 7:33 [ まさきつね ]

関連記事
スポンサーサイト

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://maquis44.blog40.fc2.com/tb.php/184-0a87d340