月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

愛の森のジゼル


NHKが先日、今年のローザンヌ国際バレエコンクールの放映をしていた。

数年前まではローザンヌといえば、毒舌の司会者ジャン・ピエールパストリと、同じく毒舌の解説者クロード・ベッシーの情け容赦のない辛口コメントが付き物で、隠れファンは多かったと思うが、まさきつねもたまらなく癖になり、何とも不純だが、毒舌聞きたさに熱心に観ていたものだ。

ローザンヌは知名度こそ年々高くなってはいるものの、本来の目的がバレエの専門教育機関や希望するバレエ団への道筋を開くという特徴からか、最近はロシアやフランス、英国など、自国に有名バレエ学校がある国からの出場者は減少する傾向にあり、近年は日本や中国などアジアからの決勝進出者が目立つようになっている。
そのため残念ではあるが、出場者のレベルは以前より下がってしまったように見受けられ、テレビ放映の解説も日本人によるものになり、番組構成も変わってしまったが、それでも若いダンサーの瑞々しい才能が自らの可能性を求めて競い合う、シビアな舞台であることに大きな変化はないようだ。

要するに踊り手として、技術力はあるか、表現力はあるか、オーディエンスを惹き付ける魅力を持っているか、昔も今もこの三点を評価するだけ。シンプルできわめて基本的な力のあるなしを競うのだ。
感動はその先に生まれる。

さて、まさきつねがローザンヌで思い出すのは、もうかなり前の1997年に、ジュリー・タルディーというフランス人出場者が、コンテンポラリーのバリエーションで踊ったマッツ・エック振り付けのの『ジゼル』である。

エックはスウェーデンのバレエ・ダンス振付家で、父が俳優、母が本国の国民的なバレリーナという家柄に生まれ、映画監督の助手を経験したのちにコレオの道を選んだという風変わりな経歴を持つ。

『ジゼル』はご存知のとおり、ロマンティック・バレエの代表作で、貴族アルブレヒトに裏切られた村娘ジゼルが亡霊となって、妖精ウィリーとともに愛する人を苦しめるという悲恋物語が一般的なストーリーである。
アルブレヒトのジゼルへの愛が、貴族の戯れに過ぎなかったのか、それとも真実のものだったのかはダンサーによって解釈が異なり、また演出によっては、二幕で傷心のジゼルがアルブレヒトを許し、彼をウィリーたちから守るという展開をする解釈もあるという。

いずれも愛に揺れる悲しき女心が主題ではあるが、現代人のシニカルな眼からすれば多少、男性側のご都合主義が鼻につく部分もなきにしもあらずという気がする。

エック版はこうした古典的な展開に全く違う色を加えたものである。

第二幕の舞台が精神病棟になり、一幕の終わりでジゼルは死んだのではなく精神を病んで、亡霊が彷徨う夜の森ではなく病室に入棟しているのである。さらに、悪霊ウィリーは白い服を着た患者たちに、ウィリーの女王ミルタは看護婦長に、それぞれ置き換えられ、見舞いに来たアルブレヒトと正気を失ったジゼルが対峙するという現代的な解釈が与えられている。

男の裏切りを許し、彼を守って自分は静かに消えていくという美しくも儚いジゼルの面影は、エック版にはない。
すれ違う心はどこまでも行き違い、愛は他人と分かりあう術にはならない。
どんなに相手を想っていても、どうしても心を繋ぐことが出来ない現代人の孤独と絶望を、抽象的でグロテスクな精神病患者たちの狂気のダンスで表現した異色作なのである。

ローザンヌの舞台で、タルディーという十七歳のダンサーは、細身の身体を白い入院服と包帯で包み、奇妙に捻じれた愛の世界を無垢な狂気で演じていた。
クラシックの部門ではさんざんな評価を毒舌ベッシー先生から戴いていたが、コンテンポラリーの『ジゼル』は満場一致の絶賛だったように記憶している。

都合のいい古典の女ではなく、現代的な感覚を持ち、虚栄を剥ぎ取った一筋の愛に精神を狂わせていく、異端の顔をした『ジゼル』。甘い綺麗ごとではないエック版のコレオは、ヨーロッパ各地の一般公演でも大当たりを取っているプログラムである。
☆Roberto Bolle in Mats Ek Giselle at San Carlo Theatre Naples Apr. 28, 2010☆


ところでフィギュアのナンバーでは勿論、昨シーズンに中野選手と安藤選手が滑った『ジゼル』が記憶に新しいだろう。
しかも二人が出場する試合を含め、あまりにももろかぶりだったために、安藤選手の方が結局、GPFではサン=サーンスの『交響曲第3番オルガン付き』に変更という、ハプニングのオチがついてしまった。

中野選手の『ジゼル』は古典にきわめて忠実で、演技の中間あたりにバレエのアチチュードみたいなポージングと爪先立ちステップが入り、それが作品全体にとても愛らしい印象を与え、チャーミングな衣装とともに完成されたプログラムになっていたと思う。
☆Yukari Nakano - 2008 SA FS☆
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一方、安藤選手の『ジゼル』も作品として決して悪くはなかったが、二選手が出場したGPSでは曲の解釈の得点で若干中野選手に劣るということもあってか、安藤選手の言葉によれば「今までは曲に自信がなくて変えたけど、今回はいいものをつくろう、いい印象を与えようというプラス思考で変えた」というポジティブな理由での途中変更になったようだ。
☆Miki Ando 2008 Skate America Free Program "NBC Commentary"☆

同じ国の有力選手の競演ということで注目を集める話題にもなったのだが、実際に滑る側とすれば結果を出さなければ致し方ないということで、安藤選手が譲るという形を選んだのだろう。(この辺の心的な動きは古風なジゼルっぽいのだけどね。)

今更、こんな昨シーズンの話をするのもどうかと思うのだが、まさきつねは実はあの時安藤選手に、曲目を変更せず、『ジゼル』のマイナーチェンジをしたらどうだろうと勝手に妄想した。
つまり、エック版の『ジゼル』をぜひ安藤選手に踊ってもらいたかったのだ。無論、フィギュアの演出としてはかなりの冒険で、リスクが大き過ぎることは百も承知である。

まあ今後も実現はあるまいと思うので、妄想だけ書き連ねるが、基本的に安藤選手とコンテンポラリーダンスの相性は、決して悪くはないだろうとまさきつねは考えている。

同じ年彼女は、EXでラヴェルの『ボレロ』を踊っているし、今季(『レクイエム』と並行であまり観られなかったのは残念だったが)ナイマンの『夜の女王』だって、かなりの異色作であることには違いない。
(むしろ『夜の女王』の禍々しさに比べたら、エック版の『ジゼル』など、内面の掘り下げはかなり複雑ではあるが、外見はきわめてシンプルで素っ気ない白の入院服である。)

精神を愛に蝕まれ、他人との心の触れ合いに傷つき、弧絶した魂を抱えたままの現代女性として表現される『ジゼル』。これほどの精神の屈折を、フィギュアが演技表現に取り入れた例もないだろう。

愛は孤独に変わり、絶望はジゼルを狂気に走らせるが、その一方で、アルブレヒトは自らが失っていた豊かな感情を取り戻し、人間の純粋さ無垢さに気づく。荒々しい暴力さえもが、まやかしや偽善のない人間同士のぶつかりあいとしてその真の姿を見せるとき、どうしようもなく矛盾する人間存在の悲しみが荒削りな野生の魂を浄化するのである。

だがまずおそらく、どう考えてみても今のフィギュアのジャッジが、『ジゼル』のこうした作品解釈をすんなりと受けとめ、その精神性を評価するとは思えない。
(その前にモロゾフコーチが、こんな訳分からん女じゃ手に負えないっつーて却下するだろな。…そりゃ絶対、お好みじゃなさそうだからニャン。)

だからどうしたって、お蔵入りが仕方のないプログラムなのではあるけれど、ローザンヌ国際バレエコンクールのきわめて妥当で素人目にも不可思議さのない順位結果を見ながら、安藤選手によって氷上に繰り広げられる、病的だが純粋でデモニッシュだが無垢な愛そのものが剥き出しになった劇場を、想像たくましくして思い描いた次第である。


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少しだけお久しぶりです。今回の記事を拝見して、またしても嬉しくなってしまいました。あのジゼルを取り上げて下さるとは!最近のローザンヌコンクールの放送は久しく見ていないのですが、当時バレエを習っていたこともあり、わりと様々な作品を鑑賞していた中でもあの演技は自分の記憶に残っているもののひとつです。ロマンティックでファムファタル的なオリジナルのジゼルより、生身の女の内面表現としては「こっちが正解だ」と感じたのを覚えています。
たしかに安藤選手ならあれをうまく表現してくれそうですね。氷の上でスケート靴を履いているということで、けっこう動きに制限がかかるでしょうがアレンジしたらいける気が。それに今の彼女なら、オリジナル版とエック版を演じ分けることもできそうに思います。男が望む女らしさと女が感じる女らしさの分裂と両立の不安定感みたいなものを、クレオパトラやレクイエムから感じるところがあるので。そういう意味ではモロゾフに感謝かな。
やはりこんなふうに色々と想像してみるのは楽しいですね。ジャッジが正当なら、もっとコンテンポラリー色が強いものも出てくるんじゃないかなと私も思います。
2010/5/7(金) 午後 7:48 [ say*sa*u*081 ]

say*sa*u*081さま
ご訪問うれしいです。コメントありがとうございます。
1997年のローザンヌをご覧になっておられたのですね。多分、多くのバレエファンがご覧になっているだろうと、思っていたのですが。
ジャッジが公平で、そしてもちょっとまともな芸術的評価に長けていたらねと思いますね。ローザンヌはきちんとした芸術的評価を出していますよね。ローザンヌの採点者がフィギュアを評価した方が、よっぽとまともな順位になるんじゃな~い? と考えたりします。
コンテンポラリーなプログラム、望んでいるんですけれどね。
2010/5/7(金) 午後 10:44 [ まさきつね ]
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