月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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木香薔薇の下で思索する

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(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。 (西脇順三郎『天気』)


隣家の庭先に木香薔薇がかぐわしい薄黄色の花を沢山つけて、今が盛りのアーチを作っている。

まさきつねが同居する猫は、毎年この時季になると日に一度、他人の庭でもお構いなく、アーチの下に行ってどかっと座り、花の香りに鼻をぴくぴくさせながら、哲学の瞑想に耽っている。
ひととき温かな日差しで毛がふわふわに膨らんでくると、ゆっくり伸びをして、ぶんぶん飛び回っている羽虫なんかをちらりと眺めながら、のっそり我が家へ戻って来るのだ。そして今度は家の出窓に座って、レースのカーテン越しに向かいの薔薇を見ながら、こっくりこっくりお昼寝をする。
エピメニデスもうらやましがるであろう、結構なご身分である。

まさきつねはお隣の庭を拝借する厚かましさは持ちあわせていないから、とりあえず、いただいた薔薇の一枝を出窓の花瓶に挿して、床に寝そべって本を読む。
このとき読む本は決めている。

西脇順三郎の『雑談の夜明け』という随筆集だ。

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松岡正剛さんの『千夜千冊』でも紹介されていた。まさきつねはこの本が講談社の学術文庫で出版されたとき、たまたま本屋で見つけて読んだ。以来二十年以上繰り返し読んでいる。

松岡さんは「ポエジーのスルメを噛むように」と書いていたが、何度読んでも味が出るばかりか、咀嚼すればするほど喉から湧き出る唾のように(汚ねえなあ、もっと詩的な表現はニャイのか。)脳髄の渇きを潤してくれるのだ。

西脇順三郎は超現実主義と俗に定義付けられている詩人で、慶應義塾大学英文科の教授だった。
若かりし頃オックスフォード大学留学中にエリオットなどの英文詩に触れ、詩作を始めたようだ。
まさきつねは、マラルメやボードレールに近いのかと長く思っていたが、詩はイエーツに真似たという話を聞いて何だかとても得心がいったことを覚えている。

西脇順三郎の詩はとても刺激的だ。と言って別に言葉が挑発的だったり過激だったりする訳ではない。
「茄子」だの「皿」だの「てぶくろ」だの、なんちゅうことはない言葉を使っていても、(いわゆるシュールな「ミシンとこうもり傘との解剖台での邂逅」ではないが、)彼の言葉を借りれば「異なった二つのものが一つのものに調和されている関係が詩である」というように、「ボードレールのコレスポンダンス」に通じるような、異種同士の繋がりや関係性を詩に変えてしまう。
西脇順三郎は「詩的脳髄」とか「詩的神経」という表現をしているが、ニューロンとかシナプスの世界で言葉を論じている。言葉が意味ではなく、知覚で読み解く現象だったり記号だったりする。

『雑談の夜明け』はその詩人の脳髄エキスをぎゅっと搾り出した随筆の中から、飯島耕一・加藤郁乎・飯田善国の三方が選んだ十七篇が並んでいる。この二重三重のフィルターを透った効力で、木香薔薇が藪に咲き崩れることなくパーゴラのアーチを作るような、複式構造を持った随筆集に仕上がっているのだ。

とまれ西脇順三郎の話題はこのあたりで止めるが、まさきつねがなぜこの本を繰り返し手に取るかというと、この複雑なパーゴラはいくつもの木香薔薇の蔓を差し出して、その香り、美しさ、陽だまりの温かさなどいろんな楽しみを与えてくれるが、再生される感動や歓びの色や表情が、そのつど違うために同じものを読んでいるという気がしないからなのである。

西脇順三郎はこのような心の動きを「エピファニー(顕現)」と呼んで、何度も心に巻き戻される感動がないと体験は不変に辿り着かないと語っている。

行きつ戻りつ、決まりきったように思える平凡な日々でも、生まれ変わる感動のルーティンが「いつか」を「永遠」に連れて行ってくれるということ。一度観た芸術、毎日会う恋人に、そのつど違う想い、新しい感動をいだくのも、朝目覚めるたびに小さな神さまが心に生まれるから。

木香薔薇だって毎年、毎日咲いていても、同じ花同じ形ではないのだから、だからおいらは毎日、家の周りをぐるりと回って確かめて、同じ場所を見張りながら居眠りするんだニャ、と言って同居猫が出窓の上であくびをした。

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最後までフィギュアネタじゃなくてごめんね。フィンランド語解説の動画をUPしておくのでお許しを。
フィギュアの動画だって毎日再生しても、良い演技なら厭きるどころか、繰り返し観たくなるのは、何かしら新しい発見があるから。
フィンランドの解説者も「宝石のよう」と浅田選手の演技を褒め称えている。
☆浅田真央 フィンランド版字幕世界フィギュア2010 SP:仮面舞踏会☆
☆浅田真央 フィンランド版字幕世界フィギュア2010 FS:鐘☆

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まさきつね様 また訪問させて頂きました。西脇順三郎…私も一冊持っています。学生時代に小さな薔薇の咲く西洋風の庭でさまざまな想像をめぐらして文字を追った事も想い出しました。本を探して古くなった記憶を蘇らせてみたいと強く思いました。随分前の干からびた記憶の埃を払ってみたい・・想い出させてくれてありがとう!

真央ちゃんのフィンランド語解説付動画もありがとうございました。『何度も心に巻き戻される感動がないと体験は不変に辿り着かないと語っている。』とありましたが真央ちゃんのトリノSP、FSに毎日極限感動を貰ってリピートし続ける者はいつか不変に辿り着く事ができるかもしれませんね。また、楽しみに読ませて頂きます。
2010/4/20(火) 午後 11:54 [ nan*157* ]

nan*157*さま
コメントありがとうございます。
西脇順三郎には薔薇が似合うと思います。忘れてもいいよ、でもいつか思い出して、とささやくような記憶の庭に咲く薔薇ですね。
浅田選手は今シーズン、誰よりも記憶に残る選手になりました。世界中の解説者が、レフリーの下した判断と真逆の言葉を放ったことを忘れないでしょう。でもどの解説者も、自分の言葉を撤回するつもりはないだろうと思います。どちらが不変か、いずれ歴史が決めることでしょうね。
2010/4/21(水) 午前 2:37 [ まさきつね ]



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