月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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ポゴレリッチの衝撃

無題2


フィギュアスケートの記事を拾っていて、とても懐かしいものに出逢った。



「オリンピック フィギュアースケート 女子フリー」(NHK総合) 
2010年2月26日 8時50分~

『日本人の七割(?)は見ただろうから映像批評はしない。敗因について述べる。キム・ヨナのコーチが以前から言っていたことにヒントがある。彼は要するに勝つための綿密な戦略を立て、その通りに成功したのである。競技をパーツに分け、パーツの難易度と加点の出安さを勘案して繋げていった。3回転3回転などごく僅かを除いて、失敗しにくい要素を並べた。冒険はゼロだからつまらない。
即ち、ピアノ国際コンクールにおける「勝ちに行く」方式である。課題曲以外は聴き栄えがする曲を並べる、弾き込んだ手の内の曲を並べる、冒険は一切しない。主張もしない。万人(つまり審査員)に反感をもたれないようにする。解釈が分かれる曲は選択しない。ひたすら無欠点主義でミスなきようにさらう。どのコンクールでも、どの競技会でも、採点は減点主義なので減点されないことが一番だ。
その代わり、演奏は無個性で面白くもおかしくもない。後々無欠点主義のコンクール覇者は芸術家として大成しない。かつてショパンコンクールで超個性的・挑戦的な青年が三次で落ちた。怒った審査員のマルタ・アルゲリッチは、席を蹴立てて審査員を降りた。その青年は落選したことで有名になり、元々実力があったから、今や大演奏家である。その時の優勝者は消えてしまって名前も知らない。
浅田真央は挑戦したのだ。安全策もとらず、果敢に挑戦して、疲れて自爆した。無難な金より遥かに立派だった。泣くな、真央!』


。。。。。。。。。。。。。。。。

イーヴォ・ポゴレリッチ。
☆IVO POGORELICH plays Chopin in 1980☆

知っている人は知っている。知らない人はとても多い。

1980年のワルシャワで行われた、第10回ショパン国際ピアノコンクール。
彼の名前はとてもスキャンダラスに世界中に流れた。
予選落ちして、その経緯が同コンクールの優勝者よりもはるかに大きくマスコミに取り上げられ、一躍、時代の寵児になったから。
彼のショパン楽曲への解釈と演奏があまりにも個性的、斬新過ぎて、審査員の間でも賛否両論が起こったのだ。
ルイス・ケントナーは彼の第一次予選通過に抗議して、審査員を辞した。マルタ・アルゲリッチは彼の第三次予選落選に激怒して、その後の審査を放棄、即刻帰国してしまった。
コンクールでの彼の風貌もクラシック界ではまるで異質。タイをせず、くたびれたシャツにジーンズで、言動もとてもパンキッシュだった。
本選会場に観客として現れた彼に、客席からは「イーヴォ」コールが送られ、現地の聴衆の絶大な支持と、アルゲリッチをして「天才」の賛辞を受けて、ポゴレリッチは最も有名なコンクール落選者となった。

無題


ところで肝心の彼の演奏は、とても挑戦的で異端。

「冒涜」「歪曲」とまで言われるが、批判ととるか褒め言葉ととるかはあくまで主観のバイヤス。「反逆児」「革命児」は褒め言葉と思うが、記事の中の「大演奏家」はぴんと来ない。定石を平然と破り、約束事を傲然と無視して聴衆を確信犯的に振り回す。

いわば不良だ。

だが、ただの不良、与太者ではない。裏に完璧にコントロールされた技巧がある。知性によって洗練された感覚があるのだ。自傷行為のような陰影は、繊細にして大胆な彼の企みの隠し味でしかない。
彼のピアノは、音楽を解体して奔放に組み立てなおすのだが、晦渋を狙ったあざとさとか、技巧を駆使した難解さとかいう類ではなく、むしろ磊落で自然体だ。
伝統的な解釈や感覚を排斥した一方、音はアルカイックな静謐さに充ち、響きには色彩があり、ディナミクとテンポの無限に向かう試みに知的な野心が見え隠れする。音のひとつひとつが旋律から分離され、垂直に立ち上がり、美音でも透明でもないのに、和音の深さに滲み出る輝きがある。

十代のまさきつねは、彼の指先からこぼれ出した音が、毀れた万華鏡のガラスのように色を乱反射させていることに驚いた。
そして散らばったガラスは、実は彼の研ぎ澄まされた知覚神経によって緻密に計算されて、楽曲がつむぎ出す網の上に乗せられていたのだ。

アルゲリッチが他の審査員ら二人と語っている中に、「ショパンらしくないという観点からの減点ならわかるが、あれほどのテクニックと音楽性に対して最低点しか与えなかった者がいるとは何事か。それは審査員としての不正行為だ」という言葉がある。
「不正行為」という表現の強さに、他の審査員が訂正を加えてはいるが、それでもポゴレリッチの異常な才能に対しては三人とも、コンクールの規定で計れるものではないと認めている。
この直後、アルゲリッチは前述の「彼こそ天才よ」という棄て台詞を残してコンクール会場を後にするのだが、ここでぜひ考えて欲しい。

審査、音楽、そして才能というものに対して、アルゲリッチを始め審査員たちがそれぞれの見解の違いはあろうが、なんと真摯に向き合い、自らのプライドを懸けて議論していることか。

どこぞの競技のジャッジとはえらい違い…とは言わずもがな。

蛇足だが、記事で書かれているコンクール優勝者は、ベトナム出身でポゴレリッチと同じモスクワ音楽院に学んでいる。
水が流れるように自然でオーソドックスな演奏は、文字通りの「ショパン弾き」と銘打たれ、優等生的と揶揄される部分はあるが記事にある「消えてしまって名前も知らない」という表現は、「大演奏家」同様ニュアンスとして少しずれがある。
だが正直なところ、ポゴレリッチに比べるとポテンシャルがあまりにも違いすぎる。音楽に対するアプローチも対極的だ。

ピアノが巧い凡才と型破りの天才。

仕方ない。
人にはそれぞれ立ち位置がある。
立ち位置が違えば、ものの見方も価値観も当然違ってくる。
それぞれの人生でもらえるご褒美も違ってくるが、もらったご褒美の価値は与える側が決めるのではない。
もらった人間の価値が決めるのだ。


五輪のメダルだって同じだ。


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☆おまけ☆Beethoven - Fur elise


もらったご褒美の価値は与える側が決めるのではない。もらった人間の価値が決めるのだ。

・・・まさにそのとおり。

今回の五輪のフィギュアスケートのメダルに関しては、その価値が変質した大会だと思いましたが、このように捕らえると、浅田真央というアスリートにとっては、これもまた彼女の通過点なんだと思えて救われました。

彼女は本来、型破りな天才ではなく、どちらかと言うと全ての要素が揃ったバランス良い天才選手でしたよね。あるのはルッツのエッジエラーのみ。その彼女を潰す為の対策をここまで徹底的に講じた韓国とオーサー、そしてISUに、私は狡猾さと異常性を感じます。彼らをそこまでさせた理由に興味があります。

ヨナはジャンプに関して実力はあった。しかし、彼女のジャンプのみに加点を与えるルールへの変更は明らかにおかしいのに、それを肯定する日本の国際ジャッジや、コーチ、連盟関係者、彼らもある意味不思議な存在。ルールに対して素直すぎるそういう日本人の傾向を巧みに利用した結果がこれなのです。

日本中のマスコミ、中でもテレビが日本選手を貶めるコメントや放送をするのは全く意味不明です。
2010/3/21(日) 午後 1:01 [ エミリン ]

エミリンさま
連投でありがとうございます。
マスコミや日本の識者たちは本当に不甲斐ないと、まさきつねも感じています。でもそれが、選手たちや選手の演技の真価値を決めるものではないですね。
そのために、一人でも多くの人が自分の感受性が捉えたものの価値を、大事にするべきなのだと思います。
2010/3/21(日) 午後 1:13 [ まさきつね ]

まさきつねさま、確かにマスコミや識者の評価が選手の価値を決めるものではないと私も思います。ですがそうでない人が多すぎますね。残念なことに。

私は今、子供の教育に近い現場にいるのですが、最近の子供はまさにこのマスコミからの支配を十分すぎるほどに受けている存在です。自分の感性で発言したり行動するとすぐに叩かれます。
マスコミのなかでもテレビの、しかも最近の低俗なお笑いやバラエティが彼らの価値基準になっているのです。
「空気読めよ。」と言う合言葉が中学年の教室でも飛び交います。これが一つの集団いじめに繋がっているようです。

今回の浅田の銀メダルに通じる4年間の流れにはこれに近いものを感じ、お金にまみれた大人に寄る浅田・安藤への集団いじめのようだなと感じておりました。

自分の感受性が捕らえた価値を大事にする、まさに日本人が苦手とすることで、これを実行するのは難しいけれど、忘れてはいけない事だとは理解しています。
2010/3/21(日) 午後 1:34 [ エミリン ]

エミリンさま
まさきつねも今の日本の教育現場は、異常だと思っています。
教育者も現場も子供たちを指導するための確固たる指針を持たず、子供も保護者も自己中心的に利を得ることを考え、モンスター化しています。
フィギュア界も教育現場も、ある面で今の社会の縮図ですから、社会全体が変わっていくことが必要なのでしょうが、そのためにも、個人個人が出鱈目に迎合せず、誇りある価値観を持ち、誠意と意志を持って行動することが大事なのだと思います。(とってもとっても難しいけどニャン。)
2010/3/21(日) 午後 2:23 [ まさきつね ]

こんにちは、ロシア語自習室のecoです。

ポゴレリッチ!3年前に来日したときに聴きに行ったのですが、本当に衝撃的でした。
つんつるてんのタキシードを着込み、むっつりと無表情で登場。最小限まで抑えられた照明の中、あまりに有名すぎる『エリーゼのために』を、楽譜を見ながら弾き始めるポゴレリッチ。私はそのとき、ベートーベンの作曲部屋を覗き見していました。『エリーゼのために』という名曲の、まさに誕生の瞬間に立ち会っているという錯覚に陥ったのです。
自分がなぜそんな風に感じてしまったのか、いくら考えてもわかりません。思いつく由はひとつ、「彼が天才だから」。同じ会場にいたピアニストの知人は、「リストもショパンも、今日はじめて聴いた」と言っていました。

アルゲリッチの生演奏は残念ながら聴いたことはありませんが、ポゴレリッチの採点に激怒して帰ってしまったというエピソードのみで、彼女もまた一流の芸術家であることを確信しています。
2010/4/27(火) 午後 11:23 [ eco ]

eco さま
ご訪問うれしいです。そしていつもお世話になります。本当にありがとうございます。
ポゴレリッチ、まさきつねも衝撃でした。天才は常に、完成をなぞるものではなく、未完成を生み出すものなのでしょうね。
アルゲリッチもそうですね。彼女はポゴレリッチという天才を世に送り出した訳ですから。

またいろいろなロシアの情報をお願いします。たくさんの人が心待ちにしていると思いますが、まさきつねもそのひとりです。
今後ともよろしくお願いします。
2010/4/28(水) 午前 4:14 [ まさきつね ]
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