月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

空中庭園の散歩 其の参 虹を超えて

20100930-3.jpg

☆Judy Garland - Somewhere Over The Rainbow - HIGHEST QUALITY Music Video - The Wizard Of Oz, 1939☆

いつか世界中から希望が消えうせ
激しい雨が地面を叩きつけているとき
天は魔法の国に続く扉を開く

空の道がどす黒い雲に覆われているとき
虹の彼方に向かうハイウェイがつながるから

その道はあなたの部屋の窓から
太陽の後ろ側
雨の向こうにまで続いている

虹の彼方はるか高い空の上に
いつのときか子守歌で聴いたひとつの国がある

虹の向こうでは空は限りなく青くて
そこではどんな夢も叶えられるのだと

いつの日か 星に願いをかけて
目が覚めたら 雲はどこかに消え去ってしまって
悩みごとはレモンの飴みたいに溶けていくの

屋根の煙突よりもはるか上に
あなたが私を見つけるのはそんなところ

虹のどこか彼方
青い鳥たちが飛んでいく

鳥たちは虹を超えていくのだから
私だっていつかきっと 飛べるはず

幸せの青い小鳥たちが虹を超えて飛べるのなら
私だっていつかはきっと できないはずはないでしょう
(エドガー・イップ・ハーバーグ『虹の彼方に』)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2006-01.jpg

空中の庭園を散歩するように、ネットで拾った画像を見ていると、本当に時間の概念というものがあやふやになってきて、この無邪気に笑っている少女が何故、バンクーバー五輪で涙に暮れなければならなかったのだろうと、一体どんな誤った選択がそこにあったのかと返す返すも悔やむことしきりである。

だが確かに時間は流れ、取り戻すことの出来ない過去はある。しかし結果はどうあれ、豊穣な追憶に充たされた時はやはりかけがえのないものであることに違いないのだ。それは間違いなく、これからの競技生活、浅田選手の人生にとってこの上なく大事な財産になるものなので、愛おしく抱きしめるようにひとつひとつ思い返してみたいと思うのである。

          ※

2006-02.jpg

フィギュア238-4

2006-04.jpg

フィギュア238-13

フィギュア238-14

2006-06.jpg

フィギュア238-16

フィギュア238-17

☆Mao Asada 2005 Japanese Nationals EX - Over The Rainbow☆


まずは2005年-2006年のエキシビション『虹の彼方に』の演技。リンダ・エダー(ウィキではエヴァ・キャシディとなっているが、おそらく誤り。ちなみにウィキでは『虹の彼方に』をジョン・ウィリアムス(←ズ?)作曲としているが、これも間違いで、作曲者はハロルド・アーレン、作詞はエドガー・イップ・ハーバーグである。ジョン・ウィリアムズは『スター・ウォーズ』などを作曲した映画音楽の第一人者だが、彼が指揮したボストン・ポップス楽団の演奏を浅田選手のSPで音源として使用したことによる、単純な誤解だろう。)のヴォーカルによる音楽を、ローリー・ニコルが振り付けている。
リンダ・エダ―はバーブラ・ストライサンドと並び称されるブロードウェイ・ミュージカルの名ヴォーカリストという。豊かな声量と、力強く伸びるメゾ・ソプラノの色彩感のある歌声が耳に残る。

プログラム自体は、いかにもこの頃の浅田選手のイメージそのままの演目といって良いだろうか。可愛らしくひたむきな少女のヒロインを演じさせたら、当時彼女の右に出る者はいなかっただろう。
山田コーチの「あんまり、こんな言葉は使いたくないけど、まるで天使みたいなんですよ。私は、真央の持つ『らしさ』を大事にしてやりたい。あの子が十分に力を発揮できるよう手助けをしてやりたい。」という有名な、本当に親身になって選手を育てている指導者の気持ちがこもった言葉があるが、山田コーチの感じていた天使のような子どもを顕現したのが、『オズの魔法使い』のドロシーだったのだろう。

とはいえ「らしさ」というものほど、ある種のあざとさや怖さを持つ縛りもなく、それが魅力だと相手に印象付けているうちは良いが、鼻につくようになったり厭きられたりするという弱点にもなり得る。
浅田選手の『虹の彼方に』はこの前の年のシーズンにも競技用のSPで演じられたのだが、こちらはリー=アン・ミラーの振付で、浅田選手の柔らかな体の動きを音楽の哀愁のこもった響きに連動させて、品良くまとめていた。
そして、ヴォーカルを使用したEXのニコルの振付の方はいかにも演劇的で、前半はコミカルに明るく、後半は切ない歌声に合わせて物悲しげにクライマックスまで盛り上げて、氷上のミュージカル仕立てが楽しく作りこまれていたが、良い意味で観客の期待を裏切り、想像を掻き立てるような刺激やインパクトは持ち得なかった。

無論、ジュニアデビューをしたばかりのようなこの時期において、まずはオーソドックスに選手のイメージを定着させることの方が重要であろうから、浅田選手の詩的な美しさをキャラクターの枠組みで際立たせるという点で正しい選曲であり、コレオの方向性としても統一されていたのだと思う。

ところでこの前のエントリー『空中庭園の散歩 其の弐』でいただいたコメントの中に、小学生時代の浅田選手について、「真央さんはすごいと思ってましたが、私は選曲、振り付けあまり好きではありませんでした」というまことに率直なご感想があったのだが、まさきつねも然りと考えている。

ジュニアらしい振付と言ってしまえばそれまでなのだけれど、「子供らしさ」「真央らしさ」という印象は自然で無理のないイメージで多くのひとに好感を与えるだろうが、こころを揺さぶる革新性にはつながらない。

それはたとえば、今でこそ映画『オズの魔法使い』の代表曲になっているこの『虹の彼方に』は、実は作曲家アーレンがメロディとともに思いついた「Somewhere over the Rainbow」というフレーズから世に出るきっかけになったのだけれど、作詞担当のハーバーグの方はカンサスの少女のイメージには子どもらしくないと最初から導入にあまり乗り気でなく、ジュディ・ガーランドの歌うシーンが撮影された後になっても幹部陣からも「14歳の少女の歌にしては大人びていて相応しくない」と物言いがつき、あやうく編集でカットされかけた経緯があるというこぼれ話から確かめてみたい。
幸いプロデューサーのアーサー・フリードがこの曲を気に入ってカットに猛反対したために、葬られる寸前で日の目を見たのだが、結果としては映画公開後アカデミー歌曲賞を受賞する快挙で、今や映画音楽のスタンダード・ナンバーとして知らぬ者はいないという訳である。

要するに何が言いたいのかというと、「らしさ」に引きずられて狭い料簡で物事を判断するだけでは、作品そのものの芸術性や真価を見誤ってしまうとまさきつねは考える。
何を観衆に伝えたいか、どう表現するか、創作者としての妥協のない姿勢は「らしい」「らしくない」という次元で振り回されることはないものなのだ。それがクリエイティブな仕事をする人間のプライド、芸術作品だけが持つ品格なのだろう。

          ※

200606.jpg

200607.jpg

200608.jpg

200609.jpg

200610.jpg

☆Mao Asada - 2007 JSC☆


これは2006年シーズンに始まった国内のエキシビション大会、Japan Super Challengeでの演技。愛犬のエアロと共演ということで、今でも語り草になる作品のひとつである。衣装は2004年-2005年シーズンSPで着用の舞選手から譲り受けた青色のドレスを彷彿とさせる、スカイブルーに白いリボンというコントラストが目に鮮やかなコスチュームに替っている。

五輪シーズンは、ジンクスを基にした女子の衣装の色を巡る論議がかまびすしかったが、一口に青といってもその色調は実にさまざまである。浅田選手は今季のFSのようなラヴェンダー色もとても綺麗に着こなすが、薄い水色系のドレスも本当に爽やかに彼女の透明感のあるイメージを引き立てると思う。
勿論、深みのあるロイヤル・ブルーも品があって良いのだけれど、水色や空色といった茫洋とした色調を、まるで妖精のように嫌味なく着こなせる選手はなかなかいないのではないだろうか。

この『虹の彼方に』の衣装や、『仮面舞踏会』の水色の衣装のように、浅田選手にはほんの数回しか着る機会のなかったコスチュームがあるのだけれど、清涼感に甘さの交じった彼女にしか着こなせないような色調の衣装をもう少し試して欲しいなと個人的に思っている。

。。。。。。。。。。。。。。。
         

When all the world is a hopeless jumble   
And the raindrops tumble all around      
Heaven opens a magic land           

When all the clouds darken up the skyway  
There’s a rainbow highway to be found    

Leading from your window pane         
To a place behind the sun             
Just a step beyond the rain            

Somewhere over the rainbow          
Way up high                     
There's a land that I heard of          
Once in a lullaby                   

Somewhere over the rainbow           
Skies are blue                     
And the dreams that you dare to dream    
Really do come true                  

Some day I'll wish upon a star         
And wake up where the clouds are far    
Behind me                      
Where troubles melt like lemondrops    
Away above the chimney tops          
That's where you'll find me            

Somewhere over the rainbow         
Bluebirds fly                     
Birds fly over the rainbow            
Why then, oh why can't I?             

If happy little bluebirds fly            
Beyond the rainbow                
Why, oh why can't I?
(Over the Rainbow)


78a876e1.jpg


☆おまけ☆それ行けエアロ(Mao Asada)

b0038294_18103344.jpg
2007年1月エアロリンクオープニングイベントにて…

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ぽちお願いします
にほんブログ村 その他スポーツブログ スケートへ
blogram投票ボタン


関連記事
スポンサーサイト

Comment

Canadaから says... "結局順位操作点で主観採点のPCS"
こんにちは、まさきつね様。
自分も以前コメントさせて頂きましたが、浅田真央選手のプロの中でBells of Moscowこそ彼女の表現力を示した作品だと思っています。妖精の如き人間離れした重力から解放されたかのようなスケートという彼女に張られたレッテルは、逆に言えば、彼女にとってそれは自然なことで、力を込めて表現する必要がない訳ですし、バンクーバー五輪の曲の選択も彼女自ら決めたのもそんなレッテルを剥がしたかったのではないかと想像しています。ユナ選手とは逆で、振り付けは毎回違うが、曲想が似通っているとやはり別の意味で表現力が…云々されたのではないかと思います。もっと他の分野の芸術家のコメントとか宣伝すればとも思いますが、結局最後は、「フィギュアスケートの採点は○○の表現や芸術性と違う観点でされている」で片付けられてしまうのが関の山(やれやれ)でしょうね。
2010-2011シーズンは、多くの選手が、SPとFSの曲想を対照的なものにして、演技審判員に分かり易いよう自分の表現力をアピールしていましたね、それだけ各曲の背景を理解している演技審判員が多くないということなのでしょう。
結局、PCSは、順位操作点(Position Control Score)で個人的お好み点(Personal Choice Score)なのでしょうね。ビデオに撮られたカンニング審判員は論外ですが、エリック杯の小塚選手のFSのPCSで5要素全て同じ点数を付けていたジャッジがいたのは、脱力ものでした。(国際審判員が、まともに演技を見て採点していたら普通有り得ない)競技者の技術や資質のアップに反比例する演技審判員の能力低下…PCSの1要素採点にジャッジ間で1点以上の差が見られたり、TESとPCSのスコア差が大き過ぎる採点を観る度に一体何を基準に採点しているのかとそのスポーツとしてのあり方に溜息するばかりです。
2011.04.10 12:32 | URL | #QU3xRRRs [edit]
まさきつね says... "主観競技の宿命でしょうか"
Canadaから さま
ご訪問うれしいです。
以前いただいたコメント覚えております。まさきつねも同意です。
タチアナコーチのコレオはマニアックな傾向も強いですがそれだけ、振付師の創意を酌んだ表現者の力量が問われる作品ですね。
浅田選手はタチアナコーチの振付によって、いろいろ開眼することが多かったのではないでしょうか。

>もっと他の分野の芸術家のコメントとか宣伝すればとも思いますが、結局最後は、「フィギュアスケートの採点は○○の表現や芸術性と違う観点でされている」で片付けられてしまうのが関の山(やれやれ)でしょうね。

そうですよね。何だかんだといくらでも後付けで説明されてしまうのが、歯痒い話です。仰るとおり、一番問題なのは、芸術性を評価する審判の力量で、そもそも芸術の何たるかが分かっているとはとても思えない面々が芸術点なるものを採点することの大いなる矛盾ですよね。
どんなスポーツも、選手同様、あるいは選手以上に、その競技に精通した審判を育成することが大事ということなのでしょう。競技の根幹にかかわる部分なのですから、ないがしろにせず、もっとしっかり考え直して欲しいものですね。
2011.04.10 14:31 | URL | #- [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://maquis44.blog40.fc2.com/tb.php/271-4bd63d52
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。