月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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空中庭園の散歩 其の七 チャルダッシュの愁い

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シモオン、木の葉の散つた森へ行かう。
落葉は 苔(こけ)と石と小径(こみち)を被(おお)うてゐる。
  
シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?

落ち葉の色はやさしく、姿はさびしい、
落葉ははかなく捨てられて、土の上にゐる!

シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?

夕べ、落葉のすがたはさびしい、
風に吹き散らされると、落葉はやさしく叫ぶ!

シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?

よりそへ、われらもいつかは、哀れな落葉であらう。
よりそへ、もう夜が来た、さうして風が身にしみる。

シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?
(ルミ・ド・グールモン『落葉』堀口大學訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


SP『ノクターン』に続き、2006年-2007年のFS『チャルダッシュ』の画像をご紹介する。『チャルダッシュ』の解説は例によって、過去記事でエントリーしているのでそちらをお読みいただければ幸いである。
(→『チャルダッシュの涙』

さて、このモンティ作の『チャルダッシュ』、元々はマンドリンのために書かれた曲だったが、ヴァイオリンやピアノは勿論のこと、金管楽器、木管楽器の演奏でも超絶技巧の難曲として知られ、演奏形式としてもピアノ伴奏付の楽器独奏だけでなく、アンサンブルやオーケストラ伴奏の協奏曲風のものなど、さまざまなアレンジがある。
今日ではロビー・ラカトシュの演奏などによって、ヴァイオリン用に編曲されたものがよく知られるようになっているが、彼はハンガリーのジプシー・ヴァイオリン演奏の名門ラカトシュ家の生まれで、英才教育を受けてブタペスト音楽院で研鑽を重ねているのだから、その濡れた枯葉の匂いが立ちのぼるような艶めいた音、水の滴が震えるようなトレモロ、熱い吐息が重なるような演奏はいかにも野生のクロニクルの末裔といった趣がある。

☆Roby Lakatos and his ensamble playing Monti Csardas☆


マンドリンで演奏された『チャルダッシュ』にさほど良い動画が見つからなかったのだが、ヴァイオリンとは違う独特の奏法でどこか鄙びた哀愁のある曲想が紡がれるのも、マンドリンの美しく透明な音が際立って奥深い味わいがある。

☆Detlef Tewes & Boris Björn Bagger -Czardas by Vittorio Monti Mandolin Guitar☆


ところで古今からジプシーを描いた絵画は数多くあるが、その中でもジプシーとマンドリンの組み合わせは珍しくない。日本で人気のある画家のひとりにジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot 1796年-1875年)がいるが、彼はバルビゾン派とも親交が深くその一人とされる場合も多いけれども、独特の色調で描かれたヨーロッパの風景画は詩情に充ち、その靄の掛かったような空気感が水墨画に親しんだ東洋人にも強く惹かれるところがあるのだろう。
コローはまた一方で古典的な味わいの人物画も描いているが、そのほとんどが著名人ではなく、自分の身近にいた親戚、友人などの肖像画か、あるいはモデルに民族衣装を着せた空想的人物画である。マンドリンを持ったジプシー女性も幾通りか描いているが、風景にも隠れたストーリーを忍ばせたように、人物の背景にも彼がイメージする物語性を滲ませたかったものだろう。

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『マンドリンを手に夢想する女』(1860年-1865年セントルイス美術館)

コローの、観る者の感性や想像力を刺激するモダニズムは、彼の時代に続く印象派や後期印象派の画家たち、さらに、フォーヴィスム(野獣派)のマティスやドラン、キュビスムのピカソやブラック、グリスといった画家たちに強い影響を与え、こうした画家たちにはコローの絵を模した作品も残されている。

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ホアン・グリス『マンドリンを持つ女 コローに基づく』(1916年)

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ジョルジュ・ブラック『マンドリンを持つ女 コローに基づく習作』(1922年-1923年)

まさきつねが実は、ジプシーとマンドリンを描いた絵画で最も好きなのは素朴派アンリ・ルソーの『眠るジプシー女』(1897年ニューヨーク近代美術美術館)なのだが、『チャルダッシュ』の野趣に溢れた粗削りな魅力からの連想には少し外れているような気がする。今の時代から観るとビビッドで清冽な色彩感覚で描かれたルソー作品の画面は実際、土着性が強く純朴な印象よりも、現代的で斬新なインパクトがある。砂漠にライオンを配したルソーらしい寓話性は素朴な詩情があり温かみを感じるが、煌々と照らす月の光や人物の衣装の独創的な配色がクールで洒落た感触をもたらすのだろう。

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そこで『チャルダッシュ』の世界観に素直に添うような、マンドリンを持ったジプシー女性の絵画をさまざま考えてみて、この記事の冒頭に挙げたのが、あまり著名な画家とは言えないが、ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル(Jules Joseph Lefebvre 1836年-1911年)というフランスの人物画家が描いた『マンドリンを持つ少女』という作品である。

ルフェーブルはトゥルナン生まれのフランス人で、この前のエントリーでご紹介したサージェントとはまさに対照的な肖像画家のエリートであり、公立の美術学校エコール・デ・ボザールに入学後、芸術を学ぶ学生に与えられる奨学金付留学制度であるローマ賞を受賞、その後パリのサロンに72点の肖像画を出品して、1891年にはフランス芸術アカデミーの会員に招聘されている申し分のないキャリアの持ち主である。
パリにあった私立絵画学校アカデミー・ジュリアンで講師になり、女性や外国人を問わず多くの教え子に思いやり深く指導をし、生徒の中にはフェルナン・クノップフなどもいたという。優秀な教授であった彼は、自らがかつて学んだエコール・デ・ボザールでも長らく教鞭を取り、そのかたわらナポレオン四世ら著名人の肖像画を描くなど画家として活躍し、その功績がパリ万国博覧会1等メダル(1878年)、名誉勲章(1886年)、さらにレジオンドヌール勲章コマンドール、フランス学士院会員といった数々の輝かしい名誉の経歴に結実したようだ。

いわばサージェントが強く望みながら、ついに辿り着くことの出来なかったサロンお墨付きの画家としての頂点を極めた訳であるが、ルフェーブルの作品の多くは肖像画よりも、神話や物語の登場人物、いわゆる想像上のニンフや女神、理想的な女性像を描いたもので、その技法はあくまでも古典的で伝統的なアカデミズムに従った制作となっている。

まさきつねは、在野で独自の道を切り開いたサージェント同様、ルフェーブルのような学者肌の、自分に課せられた任務を全うしつつ正統派の教義を守るという生き方も、それもまたひとつの芸術家の道として理解する。
正直なところ、彼の作品で描かれた女性像の多くは残念ながら、実に繊細で美しいが巧緻に作られた工芸品以上の感動を呼び覚ますものではない。
それは作品が語る物語が、古くから語り継がれている神話や伝説の定型を逸脱するものではなく、イメージをあそばせる面白みに欠け、絵画技法の方向性から鑑みても、革新的な試みや新しい理念を示そうとする前衛性の欠片もない、いわば古臭く埃を被った伝統の再生に過ぎないものだからだ。

だがそれでも、この『マンドリンを持つ少女』の浮かべる表情の切なさ、保守的な描き方であるがゆえに、時代に左右されず普遍的な「自由」という理念のもとに生きるジプシーの存在感を滲ませたモデルの個性は、静かに画面から立ち上がり、観る者のこころに染み入ってゆく力を持っている。
時代の舵を取って、絵画を新しい視界へ導いてゆくような力は持ち得ないものだけれども、この流浪の少女は確かに19世紀という時間のゆがみの隙間に生き、ヨーロッパという空間のひずみの中に息づいていたことを伝える、ルフェーブルの佳品だと思う。

          ※

フィギュアの話題に返って浅田選手の演技であるが、この2006年シーズン緒戦、『チャルダッシュ』はまず黒に薔薇をあしらった衣装で、アメリカで開催された日米対抗戦のキャンベル・カップから披露された。この時の彼女は髪型も珍しくポニーテールで、ロマの女性のような野生的な雰囲気が漂っているように思ったのだが、彼女自身はさほど気に入ったコスチュームではなかったようだ。

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☆Mao Asada-2006 Campbell's Cup LP☆


続くアメリカ杯でも同じ衣装で臨んだが、3Aジャンプが一回転半、三回転の連続ジャンプも単発の二回転になるといったミスを重ねて、SP一位からの出発がフリー四位の演技で結果、GPシリーズ初戦は三位で終わってしまった。シーズン立ち上がりの遅さはこの頃からの課題だったのだろうが、常識的に考えると優勝は逃しても台乗りしているのだから、決して惨敗という内容ではない。しかし、前シーズンの結果が常に高く、一般的な素人目では優勝が当然という認識が浸透してしまった中で、さらにマスコミが追い打ちをかけるように失敗や自滅といったマイナス要素ばかりを書き立てるのだから、一位でなければ負けという重圧を背負わされてしまったスター選手ならではの悲劇が、すでにこの辺りから浅田選手に襲いかかり始めていたのだろう。

この時の演技をモンタージュして、サラサーテの『Gypsy Airs (ツィゴイネルワイゼン)』の楽曲に合わせた動画があり、こちらではジプシーの情感に溢れた振付を多少粘っこく演じている浅田選手の所作がうまくマッチして、物悲しさが強調された雰囲気の作品になっていた。

☆Mao Asada - Gypsy Airs [SP montage] ☆

実際のアメリカ杯の『チャルダッシュ』では演技後半になって滑るスピードが落ちたためか、音楽のリズムに身体の動きがずれ気味になり、活発なジプシー舞踊のイメージを外れたのが、シーズン後半になってステップをストレートラインに変更するなどの変更で演技のテンポを速める工夫へと繋がっていったようだ。

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☆Mao Asada 2006 Skate America LP☆

          ※

アメリカ杯での苦戦によって、GPファイナル出場が厳しい状況に追い込まれた浅田選手は、この頃のマスコミ報道によると、ジャッジ印象を変えるためにコスチュームを黒から明るい色に変更、そして自力でファイナル出場を決めるためにはNHK杯優勝しかないというピンチになったと伝えられている。実際、記事の内容通りの現況だったのかも知れないが、NHK杯に対する観衆の関心をさらに高めるために、メディアが必要以上に彼女の窮状を煽っていた感は否めない。要するに五輪シーズンでピークを迎えた、浅田選手の一挙手一投足に対するメディアの偏向的な過熱報道はこの時代からすでに始まっていたという訳である。

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☆2006 GP NHK杯 フィギュアスケート 浅田真央 FS 「チャルダッシュ」☆


NHK杯の結果としては、SP、FSともに一位で得点は200点越えにあと僅かと迫る199.52、続くGPファイナルではFSのジャンプで二度の転倒をして優勝を逃しているが、このサンクトペテルブルクで行われた大会に関しては、浅田選手だけでなく高橋選手や安藤選手といった日本の主力選手たちがことごとく体調不良を訴えており、あまり後味の良くない試合であったことは追記しておこう。

日本に舞台を戻して、12月のクリスマスの後、開催された全日本選手権ではGPシリーズの鬱憤を晴らすかのようにNHK杯も周囲の予想も軽々と超える結果でSP、FSともに一位、ISU非公認ながら200点越えの211.76でワールド出場権を手に入れている。
このときの全日本は、男子2、女子3、アイスダンス1のワールド出場枠を「一発勝負」で決めるという、それまでの選考方法を全く白紙に戻したいわゆる全米選手権方式を採用しており、トリノ五輪シーズンにもめた二シーズンに跨るポイント制の選考方法では、ワールド開催時点での勢いと実力のある選手が選べないというのが理由だったようだが、いつの時代になっても代表選手選考というのは頭が痛い難題ということのようだ。

浅田選手に話を戻すと、この試合でのジャンプ構成はショートで3Lz、3F+3Lo、2A、フリーで3A、2A+2T、3F+3Lo、2A 、3Lz、3F、3Lz+2Lo+2Lo、サルコウジャンプは外しているが、それ以外はバランス良く三回転を組み込んだ内容である。ただし、このシーズンの後からエッジエラーや回転不足の規定がさらに厳正化され、次第に3Aジャンプ頼みの構成に変わっていき、ついにはジャンプ矯正に踏み切った経緯は記憶に新しいところだろう。

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☆Mao Asada 2006 Japanese National LP☆


印象的なガッツポーズとぬいぐるみを手にしての嬉し涙に終わった浅田選手だが、ほかの選手については、ショートの演技中に痛めた肩の関節がフリー後半のジャンプで、手をついたときに再び外れ、投げ出しそうになった演技をモロゾフコーチの「GO!」という声で耐え抜き、二位に粘った安藤選手、全日本で初めて台乗りした中野選手を併せて三人が翌2007年の東京ワールドに出場している。

そしてその世界選手権は前の『ノクターン』の記事にも書いたが、浅田選手のSP五位という波乱に始まり、安藤選手と浅田選手の日本の二選手によるワンツーフィニッシュという結果に終わった。安藤選手はショート、フリーともに二位で安定した演技の結果が優勝に結びつき、フリーで一位の浅田選手が二位に食らいついた形で、さらにショートでは驚異的な71.65という得点で一位にいたキム選手がフリー演技で二度の転倒をして四位、総合で三位になっている。

今季、もし当初の予定通り東京で世界選手権が開催されていれば、誰もがこの2007年の演技と結果を頭によぎらせたことだろう。いや、たとえロシアでの開催としても、おそらく誰かがこの試合を持ち出して比較するのではないだろうか。
キム選手はSPで『ロクサーヌのタンゴ』、FSで『あげひばり』を演じ、結局フリーでのジャンプの失敗が大きく響いた訳だが、それでも彼女の全身で突っ込んでくるようなジャンプの迫力、そしてそれと対照的な繊細な神経を感じる振付、スピードを緩めずに身体の関節を巧みに使った印象的な動きとポージングを繰り出すステップといった、この頃の彼女らしい独特の魅力は充分に伝わっている。
しかし、ことさら浅田選手に対峙させて比べる必要があるほど、演技の特徴や表現の方向性に対照的な部分が見受けられる訳ではない。むしろメディアが二人をライバルと位置付けて競演を煽るのが不思議なほど、この二選手がお互いだけを意識せねばならぬような相克するポイントが際立っている訳ではないのである。

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浅田選手は世界選手権で最後に、シーズン中、苦しんだステップからのトリプルアクセルという難しい挑戦を克服し、2Aに付けた連続ジャンプを全日本の2Tから難度を上げて3Tに変更したものの回転不足判定、だがそれ以外のジャンプは全日本以上の集中した演技で成功させて、当時フリーでは世界最高点の133.13を叩き出し、またも嬉し泣きの会心の結果となった筈だった。

浅田陣営にとって番狂わせだったのは、あいかわらず四回転ジャンプを煽るマスコミに関係なく冷静な判断でそれを回避し、ミスのない演技を披露して、多少無念があっただろう全日本の雪辱を果たした安藤選手の落ち着きだったと思うが、そのため最終的には再度、浅田選手は悔し涙に暮れねばならなかったとはいえ、この2007年ワールドの経験は彼女には非常に大きな意味のあるものになったように感じる。

どんなに最善を求め、自分の出来得る限りの人事を尽くしたとしても、常に最上の天命がもたらされるとは限らない。報われることのない努力、徒労と終る時間の非情に苛まれながら、それでもひとは自分が重ねた日々を愛おしみながら、重い足を一歩ずつ前へ歩みを続けることをやめない。
結果がすべてなのではなく、指の間からこぼれ落ちてゆく時のひとつひとつが、自分自身を、自分の人生を豊かにすることを信じている。涙した記憶、苦い後悔すら、苦悩した瞬間すらも大切に思えるからこそ、だからこそ一心に今よりも明日、今日手にした栄光には関係なくもっと高みを目指して進み続ける浅田選手に、不甲斐ない今の自分から頼りない人生から少しでも脱却しようとする人間の多くがこころを寄せ、彼女の夢に共感するのだ。

アナウンサーのちょっと面映ゆい「逆襲のチャルダッシュ」という言葉が名言に謳われるほど、怒涛の演技の激しさと揺るがない意志の強さを見せて、当時から誰もが浅田選手の名プログラムのひとつと認める完成度を極めた『チャルダッシュ』、ただ情熱的で奔放なジプシーの生きざまを想起させるだけでなく、どこかルフェーブルが描いた少女のように愁いを帯びて、楽曲の物悲しい響きに浅田選手の瑞々しい身体の動きが甘酸っぱい抒情をそそる不思議な魅力の作品に結晶化した。得点や順位よりも、浅田選手のほかの誰にも換え難い個性の一角を顕現したプログラムとして、評価されるべき点は多い。

今季の『愛の夢』もまた、いずれ彼女の個性、演技の特徴を端的に示したプログラムとして、長らく多くの人々の胸に残り、語り継がれてゆくだろう。だが『愛の夢』にしても『チャルダッシュ』にしても、それが人々の心をつかむのは、いかに完璧で非の打ちどころがないかということだからではなく、浅田選手の演技の裏に彼女が積み重ねた時間、味わった人生の不運や苦悩、悲しみや痛みすらが悲喜こもごもの感情となって滋味を滲ませるからであり、彼女の指の先ひとつからも溢れる表現に、少女の胸を締めつける人生の愁いが、風雅に富んで美しい、深い陰影をもたらしているからである。

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Comment

モジ says... "我が意を得たり"
こんにちは、まさきつね様。
いよいよ、モスクワワールドが始まりますね。
女子はまだ少し先になりますが、既に現地入りしているのでしょうか。
今大会は、例年以上に日本人選手への注目度も高いでしょうけれど、同時に、『甦れ日本』を掲げる彼らを温かく応援してくれる空気に満ちているのではないかと思います。日本から世界から、彼らを後押しする力と努力を重ねてきた自分自身を信じて、思いきり演技してほしいです。

今回のエントリー、浅田選手に惹かれる気持ちを代弁して頂いたようで、思わず朝っぱらからウルウルしてしまいました。

>涙した記憶、苦い後悔すら、苦悩した瞬間すらも大切に思えるからこそ、だからこそ一心に今よりも明日、手にした栄光には関係なくもっと高みを目指して歩み続ける浅田選手に、不甲斐ない今の自分から頼りない人生から少しでも脱却しようとする人間の多くがこころを寄せ、彼女の夢に共感するのだ。

まさにその通りです。
年齢を重ねても不甲斐ない点が多い自分だからこそ、浅田選手の素晴らしさが分ります。試合に負けないからじゃなく、自分に負けない強さ、雄雄しさ、潔さを知るからこそ、こんなにも心惹かれるんです。

『浅田真央 さらなる高みへ』の最初のパートで、お母様が生まれたばかりの我が子を見て、
「この子、もう笑ってる」
と仰ったというエピソードが紹介されていました。

浅田選手の、フィギュアスケートへの深い愛情や弛まぬ努力を知った今は、お母様同様、心から、
「この子にはいつも笑っていてほしい」
と思っています。

上手くいかないことも多い人生ですが、浅田選手が現役でいる時代に同じ国に生まれ、応援できる自分でいられるということだけは、本当にラッキーだと感じています。
2011.04.25 10:36 | URL | #koCIqGuQ [edit]
まさきつね says... "今大会は笑顔で"
モジさま
コメントありがとうございます。
本当に日本の復興へ祈りを込めて、どの選手も頑張って欲しいものです。勝ち負けではなく、心に残る美しい演技を、どの国の選手も心を込めて滑って欲しいですね。
そして今大会は笑顔で笑って終えられるように、キス&クライで選手たちの表情が曇らぬように、願いたいものです。
平和と復興への祈りの念が、汚されることのないように。スポーツ競技の本旨は正々堂々に尽きるのですから。
2011.04.25 13:01 | URL | #- [edit]
無花果 says... "溌剌と奔放に"
浅田選手の鉄板プログラムといえば、ノクターンや愛の夢でしょうけど、チャルダッシュの躍動感あふれる演技は気骨があって好きです。やはり世界選手権の印象が強いですね。
ナガス選手や村上選手も、それぞれ印象は違えど同じ年頃に同様の溌剌とした演技を見せている事を鑑みると、「ジュニア上がりの強さ」にも通ずる奔放さが魅力の一つだったのかも知れません。
実際には「苦悩の二年目」に苦労したプログラムで、本人はあまり好きでは無いそうですが…。

最近ではEXナンバーのタンゴ、カプリースがありましたが、今季のSPは同じ系統に入りそうで入らず、(出来の善し悪しを差し引いても)演技するたびに印象がぶれています。
昨季と違い、タラソワ氏に(たった3日で!)振り付けて貰っただけで、プログラムを一緒に作っていないせいでしょうか。
世界選手権の開催がロシアになったことで、タラソワ氏の手直しが入るかもしれませんが、個人的にはエレガントでアンニュイなだけでなく、骨太の躍動感があるような仕上がりを期待しています。
2011.04.25 23:14 | URL | #rHat8f7E [edit]
まさきつね says... "弾けるように"
無花果さま
コメントうれしいです。
まさきつねも浅田選手に関しては、この弾けるような魅力をもっと評価して欲しいと思います。シャネルの服を着た彼女を撮影したレスリー・キーのように、彼女の躍動感が表現に生かされると良いですよね。
SPのタンゴはしょっぱなにタイムディダクションを取られて、感覚がずれた気がします。毎度衣装替えしているのも混迷している証しでしょうね。
今回はワールドまで時間があったので、充分調整してくるのではないでしょうか。フリップの後に見せる微笑のように自信を持って、彼女の魅力のすべてを披露してもらいたいですね。
2011.04.26 01:35 | URL | #- [edit]
イーピン says... "漆黒のチャルダッシュ"
「未完のチャルダッシュ」とか「逆襲のチャルダッシュ」とか言われますが、私にとっては「涙のチャルダッシュ」でした。
前季にはほとんど無縁だった本格的なプレッシャーとアルトニアンからの課題によって、GPSではまともな3Aは全く跳べませんでした。
それなのに、全日本では実に見事な3Aを決めましたよね。
その演技が終わったときに初めて彼女の涙を見たのですが、本当に綺麗なしずくでした。
また、東京世界戦での興奮と歓喜の入り混じった観客との一体感の中での涙も深く心に刻まれました。
多くの人間をあそこまで自分の世界に引き込んでしまう16歳には、きっともう二度と会うことはできないでしょう。

「チャルダッシュ」の描き出す世界は、漆黒の闇に包まれた草原の夜、松明に赤々と照らし出されたジプシー達の宴会風景を想わせました。
・・長老の誕生祝いなのでしょうか、有力者の家族の結婚式なのでしょうか、稀に見る盛大な宴が盛況に達したとき、まるで満を持したかのように一人の娘が広場の中央に歩み出て踊り始めます。
人見知りをする子のはずでしたが、その舞は村人の誰もが眼にしたことのない優美さと躍動感に満ちあふれていました。
・・一瞬の静寂のあと湧き上がるどよめきと感嘆の声はやがて手拍子と歓声に変わり、その娘の汗が松明の明かりで光り始めるころ、宴会は最高潮へと達します。
酔いが回って一緒に踊りだす者、腹を抱えて笑っている者、辛かった恋を思い出して泣きじゃくる者・・
憂いを秘めたバイオリンの音色とジプシー達の歓声は、いつまでも、大草原の果てしない漆黒の彼方に吸い込まれて行きます・・・

だから私は、キャンベルやスケアメで着ていた黒地に赤いバラの衣装が好きなのです。
あの赤は、ちょうどこの踊り子の服に映える松明の明かりのようだからです。
2011.04.27 03:42 | URL | #TGomPju2 [edit]
まさきつね says... "漆黒の闇の中に燃える火が"
イーピンさま
コメントありがとうございます。
『チャルダッシュ』の黒い衣装は、成績が悪かったということもあったでしょうが、衣装の濃さが浅田選手の細身の体をさらにか細く、小さく見せて貧弱な印象がしたので変更したというような報道が当時ありました。真相は分かりませんが、成長期途中で今よりもまだ幼かった彼女ですから、そうした考慮もあったかも知れません。
彼女は赤を勝負色と捉えている感もありますから、それがこの『チャルダッシュ』の赤い衣装での成功からきているのかも知れませんね。
『鐘』では黒いスカート部分と赤い上半身という衣装でしたが、それがちょうど、この『チャルダッシュ』の赤と黒を織り交ぜたコンセプトだったのでしょう。
今季のタンゴの衣装も赤と黒の配色をしたバージョンがありましたが、不評だったのかな。ワールドではどんな進化と完成形で魅せてくれるのか、楽しみにしていましょう。2007年以上の歓喜と感動を、ミラクル・マオが届けてくれるのではないかと期待しています。
2011.04.27 09:23 | URL | #- [edit]

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