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不思議だ、霧の中を歩くのは!
どの茂みも石も孤独だ。
どの木にも他の木は見えない。
みんなひとりぼっちだ。
私の生活がまだ明るかったころ、
私にとって世界は友達に溢れていた。
いま霧がおりると、
だれももう見えない。
ほんとうに、自分をすべてのものから
逆らいようもなく、そっとへだてる
暗さを知らないものは、
賢くないのだ。
不思議だ、霧の中をあるくのは!
人生とは孤独であることだ。
だれも他の人を知らない。
みんなひとりぼっちだ。
(ヘルマン・ヘッセ『霧の中』)
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「挑戦真央らしく」―悔しいけど前を向く 真央、五輪後のシーズンを終えて
http://www.asahi.com/sports/spo/TKY201105170221.html
■体調不良、自分の責任
フィギュアスケートの浅田真央(中京大)にとって、バンクーバー五輪からの出直しのシーズンが終わった。ジャンプの修正やコーチの交代、生活面での変化。ロシアでの世界選手権を終え、この1年を振り返った。
連覇を狙った世界選手権では事故最低の6位に終わったが、本人は意外とさばけた表情だった。
「心残りもありますし、悔しい思いもありますし、すべてを出し切れなかったかな、という思いはあります。やはりトリプルアクセル(3回転半)を跳べなかったことが悔しい。公式練習で一度もクリーンに決まらなかった。そのことが一番流れを悪くしてしまったかもしれない。佐藤信夫コーチはショートプログラム(SP)もフリーも『やめるべきだと思うけど、自分で決めなさい』とおっしゃったので、自分は『やります』と言った。先生は最終的に『わかった』と送り出してくれた」
佐藤コーチは敗因を「パワー不足」と表現した。
「大会前に『やせた』と言われたけど、それだけが理由じゃないし、自分の責任としてしっかり受け止めている。自分の体調面のコントロールがうまくできなかった。力がこもってなかったのは、自分でも感じていた。食べていなかったわけじゃないけど、ストイックになり過ぎていたのかもしれない」
東日本大震災の影響で、大会日程が3月から1カ月ずれたことも影響した。
「中止になるかもしれないということになって、1週間のオフを取った。そのあとからアクセルがうまく跳べなくなった。2月の四大陸選手権(台北)までは、うまくいっていたんですけどね。他のジャンプは跳べるのに、なぜかアクセルだけが回れなくなったんです」
オフにジャンプの修正をし、9月から就任した佐藤信夫コーチの指導スタイルにもなじんできた。今までのコーチからは怒られることは少なかったが、大声で怒鳴られてしまう場面も。
「フリップジャンプの説明を先生がしているのに、自分で勝手に滑り出してしまって『まだ話は終わっていない。1人でやるのか?話を聞いているのか?』って。もうなんか頭の中がパニックになるんですよね。怒られちゃいました。佐藤先生の奥さんの久美子先生からは『真央ちゃんは本当おもしろいわ。主人の話を聞かないで滑り出した選手を、初めて見たわよ』と言われるし……」
それでも、バタバタと過ぎていったシーズンに納得はしている。家族からは「休んでいいんだよ」と言われていたが、試合に出続けることが最高の練習であると信じていた。
「終わったことを経験として、今後はそれをしっかり改善していけばいい」
◇
■ソチへの助走 自分の足で
20歳。大人への階段を一歩一歩上がってゆく。今季の浅田を表現するならば「挑戦」と同時に「自立」という言葉も似合いそうだ。
中京大では、先輩の小塚崇彦(トヨタ自動車)が練習パートナーだ。学食で昼食をともにすることも多かった。
普通に定食を食べる小塚の目の前で、浅田がほおばっていたのは自分で握った玄米おにぎりとサラダ。ほんのわずかな体重増減が演技、特にジャンプに表れる。今までは親頼みだった部分も多かったが、一人のアスリートとして着実に成長した。
そのシーズンを振り返れば、最高位は四大陸選手権の2位。SPとフリーにトリプルアクセルを組み込む演技構成を貫き、調子が悪くても「逃げることなく」臨んだ。そのやり方にも賛否両論があったとしても、今季男子で4回転に挑む選手が急増したように、技術レベルを落とすことがのちのち命取りになることを知っていた。
一度も表彰台の頂点に立てなかった初のシーズンになったが、収穫は多かったとみていいはずだ。すべては2014年のソチ五輪に向けた助走なのだから。(坂上武司)
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特に目立った内容が書かれている訳ではないが、その分、実に腑に落ちる、浅田選手自身の素直な言葉が並んでいる。殊更、世界選手権の結果について言い訳じみた理由や、他に責任を押し付けるということもなく、記者に尋ねられるまま自己の内省をそのまま声にしたという受け答えだろう。
要はすべてが自然体なのだ。
出来なかったことは出来なかったと素直に反省し、それを糧にレベルアップするための改善点とする。彼女の生き方や選択はいつも実にシンプルだ。どんなリスクがあるとしても、常に全力で立ち向かってゆき、最後はきっと乗り越えられると確信している。
たゆまざる努力が、日々の練習の積み重ねが、彼女の無限の自信を支えているのだ。
そしてこの揺るがない自信、未来につながる確信が彼女の天才たる所以なのだと思うのだが、このリスクに対する無防備さが、天才に対する凡庸なる人間たちにある種の苛立ちというのか、嫉妬の念を湧き起こさせる…アマデウスの天衣無縫さに対して、それを神への不遜と感じるサリエリの羨望のごとき、いわれなき言いがかりのような仕打ちを生み出しているような気がしてならない。
彼女の美しい3Aを執拗に狙う回転不足、判定すること自体が悪いというのではない、だがトップスケーターなら跳んで当たり前の2Aの得点に対し、たとえ若干の不足があろうと、ツーフット気味の着氷の場合があろうと、ほかの女子選手の誰ひとりまともに競技で跳ぶことの叶わないジャンプが、2A以下の価値しかないとばかりの低い得点しか与えられない採点基準が、果たして妥当と言えるものなのだろうか。
勿論、3Aだけが価値のあるジャンプという訳ではない。だからこそ、浅田選手は苦手意識を払拭してすべての種類の三回転をフリー構成に入れるという挑戦を、ジャンプ改造という難儀な取り組みの最中であるにもかかわらず、黙々と続けたのだろう。
前々のエントリーにいただいたコメントの中で、印象に残った言葉がある。
「浅田選手が3Aを跳ばなくなれば今の醜悪なジャッジ環境が改善するのでしょうか? 浅田選手はルールやジャッジの異様な偏りや矛盾を是正するために選手をやっているのでしょうか?」
答えは勿論、どちらもNOだ。そしてこのコメントを下さった方も、当然否であることをご承知で仰っていることは、まさきつねもよく了承している。
だがそのコメレスにも多少書いたのだが、最初の質問の方は、実は恐ろしい落とし穴がある。
浅田選手が3Aを跳ばなくなれば、ジャッジの態度が変わるという訳ではないことは誰もが予測の範囲で分かっている話だ。
今の頑ななジャッジングは、浅田選手の3Aだけを狙い撃ちにしている訳ではなく、浅田選手のセカンドジャンプや、世界選手権では村上選手、GPSでは鈴木選手やアメリカの選手たちにも厳しかった。だが逆に言えば、浅田選手が3Aを跳び続けてもジャッジの態度は変わらない。
そこでアンチファンの言い草に従えば、浅田選手はルール対応能力がない、現行ルールに適応しようとする柔軟性が欠けるということになるが、これこそルールやジャッジの問題を、選手の個人的な技術向上に対する努力という別次元の課題に混同してしまう、論理のすり替えでしかない。結局、不毛な押し問答だけが繰り返されるということになるのである。
浅田選手に限らず、どんな選手も本来は、純粋にそのスポーツを愛しているから競技を続けている訳で、決して「ルールやジャッジの異様な偏りや矛盾を是正するために選手をやっている」訳ではない。だが時として、組織やジャッジから不可思議なほど特別な恩寵を受ける選手が現れ、あられもないほど偏向なジャッジが矛盾もあからさまに行われるから、その呷りを喰らうほかの選手たちは仕方なくその対応に追われるということになるのだ。
今季、モロゾフの念入りな作戦の元に用意周到なほどリスクマネジメントをして、圧倒的な強さでシーズンを闘ったのが安藤選手だった。世界選手権ではその勢いを活かして、隙のない演技と研ぎ澄まされた技術の美しさで、一年のブランクにもかかわらず目一杯の加点と昨季のPCSをそのまま引き継いだキム選手の得点を退けて、文句なしの優勝に輝いた。
一方で浅田選手が現行ルールに何ひとつ対応していなかったかと言えば、そんなことはない。彼女が一シーズンを懸けて取り組んだジャンプ改造こそ、長い目で見たルール対策のための礎だった筈である。
そしてさらに彼女には、昨季の世界選手権でキム選手を上回り、五輪の雪辱を果たしたという経験がひとつの確信としてあったと思う。
3Aをショート、フリーの両方で決め、ほかのジャンプも昇り調子のまま構成通りに成功出来れば、後のエレメンツも印象を崩さずまとめることが出来るという自信が、ラストチャンスをものにした全日本、そして二位になった四大陸と今季苦心しつつも一段ずつ階段を上がってきた彼女には、世界選手権の勝算として確かにあったと、まさきつねは思っている。
ただし、言うまでもなく東日本大震災と、それによる一か月のブランク、東京からロシアへ舞台を移した代替開催はすべてが誤算だった。
この話をすると、すべての国の選手が同じ条件ではないかと自国贔屓はまるで、負け犬の遠吠えと言わんばかりに忌み嫌う方々がおられるが、そんなことはない。やはり一番ダメージが大きかったのは、日本選手である筈なのである。
自国が戦後以来の未曾有の被災に苦しむ中、自分たちだけがお気楽にスポーツに興じているという逃れられない自責の念と、それをまたさらに煽るかのように陰湿なマスコミの報道、虚しさで何もかもに手が付けられない脱力感と言い知れぬ不安、若い彼らにはあまりに過重なプレッシャー…ストレスを感じるなという方が無理な現況だっただろう。
世界選手権の結果を浅田選手はもはや殊更、言い訳ひとつ口にすることはないが、まさきつねはやはり前にコメレスにも書いたのだけれど、今のようなジャッジとルールの醜悪な環境の下で、彼女に勝利を願うことの虚しさと、その裏腹に、それでも彼女ほど、勝利にふさわしい実力と才能があるだろうかという思いに揺れ動いてしまう。
この『真央らしく』の記事にある「心残りもありますし、悔しい思いもありますし、すべてを出し切れなかったかな、という思いはあります。やはりトリプルアクセル(3回転半)を跳べなかったことが悔しい。」という言葉は、四大陸選手権のフリー演技の後「トリプルアクセルは100点満点。昨日のSPの悔しさを晴らそうと思いました。」と語ったことの反語で、彼女のフィギュアはいかにも健全なアスリート精神に支えられているのだなということをしみじみ感じる。
ファンや家族や周囲の人々が彼女のことを心配して、「休んでいいんだよ」そんなに無理をしなくても、勝っても負けてもあなたを応援しているよといくら告げたところで、彼女はきっとそんな周りの思惑には一切頓着せず、絶対に諦めたりすることなどなく、噛み締めた悔しい思いを晴らそうと一心に前を向いてひたすら邁進を続けるのだろう。
不思議なことに彼女は勝つことにこだわってはいても、勝つために何が必要か、もっと合理的な勝利の仕方はないのかといった、必ず勝つための手段には一切こだわったりしない。
常勝することは彼女の目的にはなり得るかも知れないが(しかし連覇を意識しないあたり、これも怪しいものだが)、必勝のための常套手段を考えようとすることは彼女にはあり得ない。
そもそも競技に絶対的な勝利など元々ある筈がない。理詰めで勝てるスポーツなどないのだ。
彼女は常に負けることを意識しつつ、勝利を目指している。自分の弱さを認識しながら、強くなろうと懸命に努力する。リスクを恐れないのも、それを敢えて避けようとしないのも彼女にとっては、それがスリリングな挑戦であり、ストイックな反抗であるからだ。
結果の見えている挑戦になど意味はない。施しのような勝利も、アスリートに何の喜びももたらしてはくれないだろう。
そんな彼女に、常に望ましい結果が約束されている筈はないのだ。メダルの数や順位を恣意的に左右して国ごとに振り分けたい体制側の思惑からしたら、最も扱いづらく利用し難い選手ということになろう。
それが畢竟、筋書きのある結果と引き換えに、ドラマチックな展開と観衆の胸を打つ衝撃を、いつか運命から約束されているということにつながっていくのだ。
なぜなら彼女の挑戦は、常に常識外れであるがゆえに、時として狂気じみたパッションに駆られることにも躊躇いを持たない。
そして、時として彼女が意図せずとも組織やシステム、そしてルールへの大いなる反逆として、誰もが思いもよらない劇的な結末を用意するように思われて仕方がない。
それが「ミラクル・マオ」といわれる彼女、フィギュアスケートにとって誰よりも、運命の人である彼女しか為し得ない神の奇跡なのである。
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