月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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ピアノよこころあらば

フィギュア256-1

文藝春秋 六月特別号 特別企画 文藝春秋88年が伝えた震災・津波・被爆の証言


関東大震災 朱儒の言葉 或自警団員の言葉 大正12年11月号 芥川龍之介

しかし、スヨウペンハウエルは―――まあ、哲学はやめにして、我々はとに角あそこにきた蟻と大差のないことだけは確かである。人間らしい感情の全部は一層大切にしなければならぬ。我々は互いに哀れみ会わればならぬ。況や殺戮を喜ぶとは―――もっとも相手を絞め殺すよりは、議論に勝より手軽である。

     ◇

災後雑感 大正12年11月号 菊池寛

地震は、われわらの人生を、もっとも端的は姿で見せてくれた。人生は根本的にではあるが、何が必要であるかを見せてくれた。われわれは、生命の安全と、その日の寝食と、その外は何も考えなかった。食べて寝ればそれ丈で充分満足していたのだ。

     ◇

震災 大正12年11月号 横光利一

東京付近に住んでいるものなら、こう言う地震がいつかは来るにちがいないとは、誰しも予想していたと思われる。しかし、人々は不思議にこの災害の予想については一様にぼんやりとしていた。地震に合って初めて、こう言う地震はもう必ず起るに定っていると思っていた事を想い出した。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


東日本大震災の後、芥川龍之介の『大震雑記』を含む雑文をいくつか読んでいる。

さすがに稀代の名文家であるから、どんな短い文章にも彼独特のペーソスとアイロニーに充ちた観察眼が感じられ、時代を超えた見識が綴られている。

関東大震災(1923年9月1日)直後に、「地震は天譴(てんじん・天の怒り)だ」という世論を一括りにするかのような説得論が説かれた際、これに反撥したのが芥川龍之介で、彼は地震という自然現象に関して、自然科学的な分析に基づく予知も含め、物理的かつ理論的に考察している。

植物の二度咲きなどの異変から天変地異の予兆を読み取る感覚は、決して神秘主義的な非科学的論理ではないのだ。芥川の鋭利な感覚は、自然の異変に災害の予知をすることが可能であるように、大震災を人間の防災の知恵や備えが及ばぬ「天罰」と片付けてしまうことに異を唱え、「絶望すべからず。絶望は死と暗黒へとの門なり」と主張して、「冷淡なる自然の前に,アダム以来の人間を樹立せよ」と個々の人間が持ち得る気の隆盛を、人間復活の礎としているのである。
ここには厭世的な諦観をもって、堕落した人間への天罰を受け入れるような無常観に充ちた知識人の姿などはない。(かつての芥川賞作家であるらしき現都知事の妄言から察するに、無知蒙昧たるこの行政の長に芥川の言葉は届いていないのだろう。)

芥川にとってもっとも怖ろしかったのは、大震災という自然の猛威そのもの以上に「人間たる尊厳」を放棄した被災者のこころであろうが、彼は震災直後に日比谷公園の池に遊んでいた鶴と家鴨が食べられたことを憂い、また救護がなければ人肉さえ食される獣心を語っているが、だが一方でそれほどの境遇に人間を貶めた自然の猛威に対し、「されど人間なるが故に、人間たる事実を軽蔑すべからず」と決して悲嘆的に、否定的になることを良しとしていないのである。

「人肉を食(くら)はずんば生き難しとせよ。汝(なんぢ)とともに人肉を食はん。人肉を食うて腹鼓然たらば、汝の父母妻子を始め、隣人を愛するに躊躇(ちゅうちょ)することなかれ。その後に尚余力あらば、風景を愛し、芸術を愛し、万般の学問を愛すべし。」というくだりは、いかにも芸術至上主義に傾倒していたブルジョア作家と揶揄された文学者の面目躍如たる雰囲気があるが、ここで重要なのは、芥川は決して、人間らしさ以上に芸術や文学、学問を賞賛しているのではなく、震災と大火に見舞われたとしてもあくまで人間の感情に従って嘆くのは良いが、絶望してはならないと戒めている点である。

冒頭に挙げた中央公論掲載の記事を参照にしても興味深いのは、いかにもジャーナリスト上がりの現実主義者、菊池寛に対し、どこか浪漫主義的なアンニュイを漂わせつつ、不健全に陥らぬ警告を発している芥川の現状認識である。
菊池寛は続けて「震災四五日〔しごにち〕、我々は食うことと寝ることの外は、何も考へなかつた。『パンのみに生くるものに非ず』などは、無事の日の贅沢だ。 凡ての商売の中でも、人生に第一義に必要な物丈が残つた。食物の店である。」と「芸術の悲哀」を嘲笑っているが、芥川は未曾有の震災の中でも自らの思想的スタンスを失うことはない。

『大震雑記』は震災の二年後に書かれた彼の短篇『ピアノ』を、ちょうどスコアを逆から演奏したように、神秘主義的情趣を払って解説してくれている。

「僕はかう云う〔震災被害の丸の内の堀端〕風景を見ながら、やはり歩みをつづけてゐた。すると突然濠の上から、思ひもよらぬ歌の声が起こつた。歌は「懐かしのケンタツキイ」である。歌つてゐるのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。僕の中にもその少年に声を合わせたい心もちを感じた。少年は無心に歌つてゐるのであらう。けれども歌は一瞬の間にいつか僕を捉へてゐた否定の精神を打ち破つたのである。

 芸術は生活の過剰ださうである。成程さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。
 僕は丸の内の焼け跡を通つた。けれども僕の目に触れたのは猛火も亦焼き難い何ものかだつた。」

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『ピアノ』はどこまで芥川のフィクションなのか分からない、随筆に近い味わいもある珠玉作だが、大震災の翌年、主人公が訪れた横浜の山手で、崩れた家の跡に雑草に埋もれて放置されているピアノが突然、人影ひとつないのに音を発したことに驚愕する前半、オカルトのような内容がゴシック小説を思わせる精緻な文章で語られている。
(→『小鳥の雨』

後半の内容は再び現地を訪れた主人公による種明かしであるが、どんな絶望的状況の中でも何かしら美しいもの、光を感じさせるものへの芥川の深い心酔が、文学的救済となって輝きを放つのである。

「冷淡なる自然」の仕打ちを「我欲」の溜まった日本人、傲慢極まるその行動への「天罰」だと説いて、大震災後の原発問題や直後にあちこちで発生した『羅生門』の盗人のごとき犯罪の数々も、政治家や官僚たちの机上の空論のような防災対策も復興計画も、まるで誰にも非がなく責任もなく、反省も無用とばかりにふんぞりかえっている行政側の人間には、芥川の語る「人間を人間たらしめるもの」の大切さ、その宝石のような輝きなど微塵たりともわかるまい。

ましてや、茶番劇のような退陣問題などで紛糾して、与党も野党もひたすら自らの保身にしか知恵が回らない今の政治政争劇の主人公たちには、この物悲しき運命を背負わされた国の窮地が、どれほど骨身に沁みて実感し得るのか、震災被災者の身体的精神的痛みも、放射性物質と汚染水に穢され続けている故郷の自然の嘆きも、まるで対岸の火事のごとく絵空事みたいに受けとめているのだろうとしか思えない。

ピアノよこころあらば秘めた音を出して、美しき音を響かせて、どうか「冷淡なる自然」の仕打ちにも蝕まれることなく、悲観せず、ただ前を向いて歩む人びとの健やかなる精神に、せめてひとときの慰めとなる旋律を届けてよと願わずにいられない。

日本の再生に不可欠なものが菊池寛の現実主義が言うように単に寝食足ることなどではなく、「人間を人間たらしめる生活の過剰」であることを、こころから真に理解出来る人たちの手によって、温かい血の通った復興計画がなされるべきであろうと、このところの政治劇を見るにつけ思わずにいられないのである。


さて話変わって、浅田選手が立ち上げた着物ブランドから、卒業式向け袴姿の画像がUPされていたのをご紹介しておこう。

フィギュア256-2


こうしたプロデュース活動も彼女たちスポーツ選手がいろいろに関わるスポンサーの広告宣伝と同様、何かと批判中傷のネタにされることが多く、その口汚く罵る言葉の羅列に触れるにつけ、選手たちが気の毒な限りなのだが、日本古来の伝統がある着物については特に、戦災だの震災だのといういわゆる有事の際には豪勢華美に過ぎる贅沢と叩かれて、昔から非難の対象にされてきたものだった。
しかし元来、豪勢でも華美でも、贅沢でもない伝統文化など、どこの世界にあるだろうか。

どんな国、どんな民族でも、子孫に伝えてゆく由緒格式をもった伝統や文化遺産といったものは、多かれ少なかれ人がこころを込めて手をかけ、時間や資産の限りを尽くして創り上げた、いわばその固有の魂の、よりしろのようなものなのである。
豪奢だからとか、生活に不要のものだからという身も蓋もない理由で、時の権力者が芸術や文化に向かって、禁令を発するような時代に、未来に対するヴィジョンも民衆に対するコンセンサスも何ひとつ見受けられる筈はないのだ。

もういつもながらの繰り返しになるが、浅田選手は今や、日本が世界に向けて発信出来る、日本そのものを象徴する美のよりしろのひとつであるに違いないのだ。
その彼女による、日本の伝統的な衣装である着物文化の推奨、実に素晴らしいことだ。

芥川の言葉を借りるなら、「人間を人間たらしめる生活の過剰」を「復興の女神」のごとく、清く美しく身に纏い、若い彼らの力によって目に見えぬ大いなるもの、祖先からの遺産や歴史や魂といったものに寄り添った、国として民族として誇りある再生と復活を目指して欲しいものである。

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「第一これでも鳴るのかしら。」
 わたしはかう独り語を言つた。するとピアノはその拍子に忽ちかすかに音を発した。それは殆どわたしの疑惑を叱つたかと思ふ位だつた。しかしわたしは驚かなかつた。のみならず微笑の浮んだのを感じた。ピアノは今も日の光に白じらと鍵盤をひろげてゐた。が、そこにはいつの間にか落ち栗が一つ転がつてゐた。
 わたしは往来へ引き返した後、もう一度この廃墟をふり返つた。やつと気のついた栗の木はスレヱトの屋根に押されたまま、斜めにピアノを蔽つてゐた。けれどもそれはどちらでも好かつた。わたしは只藜の中の弓なりのピアノに目を注いだ。あの去年の震災以来、誰も知らぬ音を保つてゐたピアノに。
(芥川龍之介『ピアノ』)


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Comment

Canadaから says... "衣食足りて芸術を知る"
こんにちは、まさきつね様。
この非常時に相も変わらずのお気楽な日本の中央政治(溜息)。単にトップの首を挿げ替えた所で、この逼塞した流れをそんなに容易に変えられるとは、とても自分にも思えません。義援金の僅か15%しか被災地に届いていないとか、被災地の震災企業倒産、失業率の増加、教育問題、長期化深刻化の一途の原発問題…山積する問題に被災県知事の嘆願も中央には馬の耳に念仏で、一刻も早い震災政策の議論、法制化そして執行が望まれる状況に所詮政治屋には、他人事なのか(怒)と異国の地に住む日本人ですが、情けないないやら歯痒いやらで本当に暗澹たる気分になります。
某都知事には、天罰の戯言を吐く暇があったら、福島原発の電力の恩恵を受けていた都民の長として、積極的にその指導力を発揮すべきだと思いました。
と、前置きの方が長くなってしまいましたが(汗)、芸術を生み出す方も受け取る方も衣食、つまり命あってのものだねですよね。生きることにある程度の余裕がないとやはり芸術は生まれないし、綿々と受け継がれて行かないものですね。一方、ぎりぎりの生活の中にも腹の足しにならないけれど心の足しになるものは、芸術を含め色々なものがありますし、またそういったものがないと今度は、精神を病むケースが多々ある訳で…このバランス感覚にも個人差はあろうと思いますが、人間として生きる上で大切にしたいものです。(何やらいつも以上に纏まらないコメントですいません。m-ーm)
2011.06.07 10:43 | URL | #QU3xRRRs [edit]
cha says... "日本国って..."
近頃”菅おろし”などの話題しかニュースで出ないので、復興はどうなったのか?と疑問に思ってました。時々日曜討論(NHKしか映らないもので...)見てますが、何か期待できる話題はないかと思った私がバカでした。今回の放送はいつも以上にイライラしました。

確かに菅さんでは不満もあるのかもしれませんが、与野党含めてこの非常事態にやるべきことを優先しない政治家が多いですよね。あれを見て、あの人達は生きていくのに苦労したことないんだなと痛感させられました。嘆かわしいことですよね。あの大震災からたった3ヶ月しか経ってないし、原発問題は今も継続中なのに。こんな時に政治家が率先しないで誰がやるのでしょう?いい加減茶番劇はやめにして、やれることからさっさと行動に移してもらいたいものです。国会でくだらない議論が繰り返されることがどれだけ無駄な時間であるか、誰か教えてあげれる人はいないのでしょうか?小学生以下ですな。今は自民も民主も小沢も鳩ポッポも関係ありません!人間として協力し合いましょうよ、政治家さん。

あら、また興奮してしまいましたわ。私こそ海外逃亡と言われても否定できない生活を送ってきてるのに、偉そうに語る権利ありませんね。反省

芥川先生(笑)は大学で研究したい!と思っていた大好きな小説家です。受験に失敗し、違った道を歩んでいますが...(これも笑える)
まだ子供だったので、彼の哲学を理解するのは無理でしたね。今はすっかりそんな気持ちも忘れてしまって、読み返すことも無くなってしまいました。今こそ彼の作品に触れることによって、人とは...と考えられるかもしれません。

今回のエントリーで、ダラダラ生きている自分を見つめなおす機会をもらえたような気がします。
まさきつねさん、ありがとうございました。

政治家やりません?!(笑)
2011.06.07 12:58 | URL | #- [edit]
cha says... "追伸"
真央ちゃん、モスクワにいるみたいですね。
タチアナプロですね!楽しみが100倍に増しました!!
2011.06.07 14:19 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "過去に学ぶべき"
Canadaから さま
ご訪問うれしいです。いつもながら卓見感謝します。
海外在住の皆さまの方が、今の日本のありさまに何をやっているんだと地団太を踏みたきお気持ちでしょうね。
衣食は無論大事なのです。でもそれだけじゃ駄目なのだと今の政治家連中には、肝に銘じて欲しいですよね。
芸術やスポーツや、こころを慰めるものがあってこその人生なのですから、遊び呆けた人間への天罰だみたいな発言を、行政に携わる人間には軽々しく口にして欲しくないですね。数年前、都知事は東京にカジノを作るだの戯言を言っていたような気がしますが、それこそ無駄な電力が必要になるバビロンの塔みたいな計画ですよね。
仰る通り、東京は今回の原発問題に一番率先して救援策と指導力をもって臨むべきです。
日本は大正の過去からも、何ひとつ学んでいないなんてさびしいことですよね。
2011.06.07 17:06 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "楽しみなロシア情報"
chaさま
ご訪問うれしいです。
こちらも海外からですね。本当に情けない話ですね。今の日本は国際的にはどうしようもなく最低レベルでしょうね。それでもテロや内戦もなく、国情が落ち着いているのは、ひとえに国民の理性と知性が高く、誰もが忍び難きを忍び、耐えがたきを耐えているからにほかなりません。民度が高い国ということだけが今の日本の誇りですよ。
芥川は面白いと思います。日本は今、明治古典文学が流行していますが、中でも一番時代性を持った作家でしょう。是非またお読みください。
浅田選手、ロシアで振付中という情報は入っています。もう少し詳しい内容が公開されるのが楽しみですね。
2011.06.07 17:14 | URL | #- [edit]
花屋 says... "3ヶ月ですね"
今より神さんや妖怪、祟りなんぞが人の身近にあった時代ならば、先駆的知識人が人間の理知を呼び覚ます必要もあったのでしょうが、いまや総インテリ時代、逆に天罰などという古い言葉が耳目を集めたのは皮肉です。
甘い解釈でしょうがこの言葉、「被災したしないでなく日本全体で受け止めよう。恐れ、慎むという気持ちを取り戻そう」という意味ならばちと共感します。
迷信の弊害はあれど、「罰が当たる」「冥利が悪い」の自戒自罰の自浄心理は捨てたもんじゃない。向田邦子に死後数十年たっても根強い読者がつくのはこの辺の心理でしょう。向田さんを「日本のカトリック」といった橋本治はするどい。なにを奉るかでなく、日本人、何がしかの戒律が欲しいのじゃないかしら。
ネットの一部で予知、予言が騒がれてますが、もしかして「MOTTAINAIを世界語に」といったマータイさんこそ預言者やもしれません。
2011.06.07 22:18 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "ナチュラル…"
花屋さま
ご訪問うれしいです。
そう、仰る通り、「『罰が当たる』『冥利が悪い』の自戒自罰の自浄心理」を個人ひとりひとりが持つことは大事だと思います。だからこそ震災後、誰もが節電、節制のこころをもって、世の中に混乱もなかったのでしょう。ただ行き過ぎて、かえって復興を妨げる不景気を招くというアンバランスはありましたけれども。そこでそのバランスの舵を取るべきが、行政の長だと思うのですよね。「天罰」は都知事が民衆に向かって檄を飛ばす言葉として発するのではなく、政治家や官僚や東京電力のお偉いさん方が、自らの戒めとするべき言葉だったのです。
ネットで大騒ぎの予言については何とも分かりませんが、マータイさんの未来予知能力は信じます。日本人は売らんかなの化学製品に見切りをつけて、自然に寄り添った生活に立ち返るべきなのでしょうね。
2011.06.08 00:27 | URL | #- [edit]
says... "管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011.06.08 09:08 | | # [edit]
まさきつね says... "日本の魂を守って"
…さま
コメントありがとうございます。
まさきつねは政治には疎いのですが、何がまともで何がおかしいかは分かります。
今の与党が迷走しているのは確かです。でも野党は空中分解しています。どちらも八方ふさがりです。
日本に海外からいかがわしい武力集団や盗人集団みたいな勢力の手が伸びているのも感じています。でも、そんな人間たちでも放射能と汚染水で穢された国土を本気で再生してくれるのなら、言うことはありません。しかしきっとおそらく、位の一番に尻尾を巻いて逃げ出すでしょう。
まさきつねが願うのは、国籍云々に関係なく、本気で美しい日本の自然と言葉と日本伝統のこころを愛し、守ってくれる人たちが、この国をより美しく正しい方向へ導いて、文化を引き継いでくれることです。
まさきつねは間違っていますか。
2011.06.08 18:45 | URL | #- [edit]
says... "管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011.06.09 00:51 | | # [edit]
まさきつね says... "プリンシプルのリーダー"
…さま
再度ご訪問うれしいです。誤解のないように申しますが、まさきつねは…さまのコメントを不快に思っている訳では全くありませんよ。むしろ今の与党の体たらくでは、…さまのようにお考えになるのはもっともだと思っております。
思想や政策の違いはどこまでいっても如何ともし難いことも事実です。でも溺れている子どもを前に、考え方が違うから協力して助けられないという人間はいないでしょう。だからお互い忍び難きを忍び、今はこの日本の窮状をどう乗り切るかを第一にするしかないのだと思います。
ベストがいないからベターをという選択も仕方ないなと思います。でも、今まで世界にベストで選ばれてきた政治家たちでも、ろくな人間はいなかったような気もします。まさきつねはむしろ今の時代こそ、白洲次郎のようなオピニオン・リーダーの再来を待ち望んでいるのですけれどもね…
2011.06.09 01:40 | URL | #- [edit]
bonbon says... "何をやってきたのか"
政権与党であった長年にわたり電力会社から巨額の援助を受け続け二人三脚で原発を推進してきた現最大野党が自らの過去を1センチも省みることなく、議員立法に知恵を絞ることもせず、ひたすら口先で批判のみを繰り返す姿にはおぞましさしか感じられません。
その尻馬に乗るしか能のないマスコミの思考停止ぶりも今に始まったことではありませんが…
こんな時だからこそスポーツの持つ力を、スポーツだけが持つ力を信じたいのです。
プロ・アマ問わず商業主義に汚されている部分はあるでしょう、黒い噂も後を絶たないでしょう。
それでも彼らの闘う姿が、何度でも立ち上がる姿が私達に教えてくれる、与えてくれる何かを大切にしたい。
それにせめて彼らを応援するのに恥ずかしくない自分でありたい、とも思います。
来季プロの話が少しずつ聞こえてきましたね。
彼らの演技が一人でも多くの人に幸せな時間を運んでくれるといいですね。
2011.06.10 23:42 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "悪夢から立ち上がるシーズン"
bonbonさま
ご訪問うれしいです。
まさきつねは昔も今も原発反対、でもそのために何ひとつ出来なかった忸怩たる思いはあります。一市民さえそう感じるのに、推進してきた政治家連中は、あいかわらずこの国のために、何も出来ないでいますね。ジャーナリズムも解体されてしまっているのでしょうね。
スポーツ、特に世界で通用する力を持った選手たちの活躍だけは、今の日本の希望の光ですね。彼らのフェアな精神が、世界に日本の魂がまだ押し流されていないことを伝えてくれているような気がします。
来季のニュースは本当に楽しみです。いろんな意味で、再起のシーズンとなって欲しいものですね。
2011.06.11 02:32 | URL | #- [edit]

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