月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

空中庭園の散歩 其の九 ふたりの幻想即興曲

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浅田選手の『幻想即興曲』について画像をまとめようと思いつつ、ようつべを眺めているうちにフジ子・ヘミングの演奏する『幻想即興曲』に出会った。

☆Fujiko Hemming "Fantaisie Impromptu" op.66 フジコ・ヘミング 幻想即興曲☆

先日から芥川龍之介の『ピアノ』などを記事にしていたし、そういった辺りからの天の采配かなという気もしたので、フジ子さんに関して以前から多少思うところを書き連ねてみたいと思う。

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彼女の名前は数年前のNHKの特集番組や最近の民放番組などでも盛んに取り上げられていたから、彼女のその特殊な経歴やここ近年の活躍も含め、一度もその噂を耳にしたことはいないという人は少ないだろう。クラシック音楽に詳しい人間よりも、むしろ一般のゴシップネタ好きの方々の方が精通しておられるのではないかと思う。
それくらい彼女に関する話題はネットユーザーの間でも、ファンとアンチがほぼ同じ程度の総数で昇っているのではないだろうか。

このような現象から察するに、狂信的なファンもアンチも感情的な意見や批判をお互いぶつけ合うのが関の山で、その間に立つ冷静な音楽ファンの多くは、触らぬ神に何とやらで理論的かつ眼識ゆたかな所感ひとつも述べることも出来ずに、フジ子の話はタブーとするか、とりあえず達観という姿勢でおられるのではないかという気がする。

実際、彼女のコンサートは開けば一定数の集客があり、そのCDは「アルバム・オブ・ザ・イヤー」など各賞を受賞するほどの販売数を誇っているが、彼女のコンサート評やレコード批評をまともに論じるクラシック専門誌はなく、彼女が出演する音楽番組などがあるにもかかわらず、メディアでの扱いも公式の「ピアニスト」というよりも、芸能人という取り上げ方に近い感覚である。

まさきつねも正直な話、自分のさほど専門分野ではない音楽のジャンルであまり必要のない波風を立てたくはないのだが、ごく一般的な鑑賞者のひとりとして、感じたままの感想程度には語っておいても、さほどファンとアンチの喧々囂々にさらに油を注ぐような支障はなかろうと思う。

まずはフジ子の音楽について。
アンチの意見では、彼女の演奏は「へたくそ」でそして「遅い」というのが定番の見解のようだが、その概ねの意見の根拠がこれまでの世界に名だたる演奏家たちビッグネームの演奏と聞き比べてみろ、聞いたことがない俄かの音楽ファンだけがフジ子のピアノに感動する(あるいは感動したと錯覚する)のだということのようだ。

絵画の世界では、レオナルドやボッティチェリのようなルネサンス絵画、あるいはもう少し時代が下がって精緻なフェルメールやレンブラントの油絵なぞを観ている人間が、ピカソの近代絵画を論じたって、たとえそのどれにも同じように敬意を表しても、それを見る目がないとか俄か評論家だなどと難癖付けられるようなことはまずあり得ない。
絵画においては、過去の天才がどの次元でどんな作品を創作しようとも、それと全く違う次元、全く違う毛色の天才が突然出現することに違和感を覚える人間はほとんどいない。むしろ同じ類の画風や技法であったら、古典の模倣かせいぜい過去の画家の再来と評価はされても、結局は大方マンネリズムと揶揄されて、時代を変える天才だのモダニズムだのと持ち上げられることはないだろう。

とはいえこんなことを言ったところで、音楽と絵画は違う、フジ子はピカソじゃないとアンチは反論するのだろう。確かに音楽と絵画は違う。その決定的な違いは、演奏家には過去の音楽家が遺したスコアというものがあり、それを手本に忠実に再現することが求められる。フジ子の演奏が「ミスタッチが多い」「速く弾けないから絶対的に遅い」とやり玉に挙げられる所以であろう。

まあ、あまりしのごの説明しても長くなる一方で、所詮「へたくそ」か「稀代の天才」かという議論になれば不毛なやりとりになるだけなので、これ以上は突っ込むまい。
だがひとつだけまさきつねが確信しているのは、どんな芸術でも聞き比べろ、見比べろという鑑賞姿勢では、個別の作品に対して何の真実も見えてこないばかりか、その芸術の本質にも一切迫れないということなのだ。

「一流オーケストラに招聘される」とか「優れた先人に評価される」とかいった他人の鑑識眼も無用のことだ。

重要なのは個人がひとつの芸術に触れ得たとき、そこにどんなシンパシーやケミストリーが発生し得るか、もっと単純に言えばそこに感動が生まれたかどうかなのだが、アンチはさらに「でもその感動とやらが生まれた要因は、フジ子の演奏ではなくて、テレビだのマスコミだのが喧伝したフジ子の他人と一風変わった半生にあるのではないのか」と言い募るだろう。

確かにフジ子の数奇な人生を必要以上に報道し、話題にし、それが彼女のすべてであるかのようなドラマや特集は、山のように作られている。だがそんな彼女の半生記を知らない人間でも、彼女自身のあの風貌を一目見れば、彼女自身がいわゆる普通の演奏家とは全く違う次元にいる存在だとは分かるだろう。
断っておくがこれは勿論、良い意味でも悪い意味でもだ。人生の紆余曲折を乗り越えてきた、ほかに比べるものがないほどの年季の入った達観者と捉えるひともいるだろうが、それと同じくらい、どこか胡散臭い、平凡なものを拒否する奇人変人の類いと感じるひともいるだろう。

「年老いたオフィーリア」と言い得て妙な表現も聞いたことがあるが、確かにチュールレースやリボンの切れ端のようなもので古いドレスを飾り立て、タッセルの付いた裳裾を引きずって歩くその様子は、愛すべき物狂いの美女の往年を彷彿とさせるなまめかしさと品位に溢れ、胸が痛くなるようないとけなさが恥ずかしげなその仕草からこぼれ出ている。だが、見る人間によっては「犬猫好きの薄汚いばあさん」とか、「いかれた瘋癲のなれの果て」とか、どうしようもない拒否反応を感じる人物にしか受けとめられないことも分かる。

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結論から言えばそのどちらもが彼女なのだと、まさきつねは思う。
彼女の周囲も含め、「商業主義に毒されている」「彼女にかける費用があれば若いピアニスト四、五人にチャンスが与えられるのにその機会を奪っている」と、まるで彼女ひとりが数奇な運命を売り物にして、金儲け主義に走っているかのようにやっきになって否定する人間もいるが、そもそも彼女が売れていることと、若いピアニストが脚光を浴びないことに何の関連性もない。
確かに社会通念からすると破格のCDやグッズや、彼女の名前を冠したいかがわしい商売があることはその通りなのかも知れないが、需要があるから供給する人間がいるという市場の仕組みとしてはそれだけのことで、彼女の芸術性を語る上においては、これも著しく的の外れた議論であろう。

フジ子は前々から「間違ったっていいじゃない、人間は機械じゃないんだから」と言っているが、彼女の最大の魅力はまさにこの、間違いを犯す人間性に対する、彼女自身の許容度の高さだ。
彼女の言葉で、「『あの人はああいう人だから付き合うのはやめなさい』なんて言う人がいる。これはまったくあてにならない言葉。自分で見て判断すればいいことだから。『あいつはケチだ』と思えば、そう思って付き合い、『あいつは泥棒だ』と思えば、盗まれないように気をつければいい。人殺しなら、殺されないように気をつけて付き合えばいいことじゃない。」「以前、あの人はいい人で、あいつは悪い奴だ、なんて決めつけていたことがあった。それがとんでもない間違いだったと、この歳になってわかってきた。いい人にも悪いところはいっぱいあるし、悪い人にもいいところはいっぱいある。それを分けて考えないほうがいい。」といった、いかにも彼女らしい人間観が語られているが、こうした彼女の価値基準が世間一般の倫理観や通念に沿っていないことは端から分かっているのだけれども、それが生理的に受け入れられなければ彼女自身の音楽を理解することはおそらく半永久的に不可能だろう。

話が少し飛んでしまうが、たとえばジョン・ケージの『4分33秒』をフジ子が演奏したら、どうなるだろう。まさきつねはこれまで奏したピアニスト以上の名演になると想像するが、(こんなちょっとした大衆からの提案にも各所からはてんこ盛りの反論が押し寄せてくるのだろうか。)このケージの名曲に似た、インチキ臭さと裏返しの途方もない芸術性が、フジ子のピアノ演奏の本質ではないのかと考える。

いうなればピアノを弾く必要がないほどの閾に達しているのが、フジ子ではないのかとまさきつねは思う。
ピアノを弾かないピアニストなどあっていいのかと思われる御仁も沢山おられよう。だが、世の中にはもはや踊る必要のないダンサーだっているのだ。
まさきつねが以前エントリーした『白き花のくずれるように』『豪奢なる人生』では、大野一雄と暗黒舞踏の土方巽を紹介した。
無論、彼らも全身で表現に向かっていたときもあったが、「命懸けで突っ立っている死体」と自らの踊りを説いてみせた土方の舞踏は、ダンスする肉体のかたちそのものを形骸化してしまう次元で、自らの芸術を何もない空間に昇華せしめた。彼らの舞踏を「へたくそ」「プロではない」「踊りの態を為していない」と非難する身体芸術の評論家や知識人にはお目にかかったことはないが、肉体の動き自体が作品となる身体芸術の世界でも、振付に忠実ではないとか技術的に未熟あるいは劣化しているということのみが、その作品を評価するすべてとはならない場合が多いのだ。

絵画もまた然り、(先ほどこれ以上は突っ込まないと言ったものの)前に述べた内容に話を戻すが絵画には確かに作曲家が遺した楽譜というものはないのだけれど、楽譜同様に畏敬の念を以て讃え尊び、模倣し、再現せねばならぬ「自然」という偉大なる手本があるのだ。だが、究極にそのままそっくりのレベルに再現し得たスーパーリアリズムの作品やその技法ばかりが鑑賞者たちに賞賛され、好まれるということはまずないと言っていいだろう。
絵画ではそのものの姿を寸分違わず写し取ることに、何の意味も芸術性も見出されない。
対象の本質を見極め、それをいかに描くかが、絵画が作品として成立しているかどうかの第一の基準であり、音楽で言われているように、スコアにいかに忠実であるか、運指が速く、タッチが的確であるか、そうしたテクニック云々を論じることは二の次、三の次の話だ。極論を語れば、こころに触れる美しさ、胸を震わせる色やかたちを画家が表現しているかどうかが、絵画が造形芸術として成立する上で最も大事なことなのである。

繰り返しになるがそれでも、あくまで音楽と絵画は違うというスタンスから、まさきつねの意見はただの屁理屈だと仰る方はおられるだろう。それはそれで、かまわない。
「フジ子・ヘミングはへたくそだ」と仰る方のお話では、どんなに「へたくそだ」と言っても信泰者には分かって貰えないと嘆いておられたが、「へたくそではない」と言っている側の人間からすれば、やはりそれをどんなに言い募ったところで、アンチには理解してもらえないのと同じことだ。結局はどんなに舌戦を繰り広げても、売り言葉に買い言葉の不毛なのだ。

ところで、ここまで語っておいて今更なのだけれど、まさきつねはフジ子が評価される理由も、拒否される理由も同じようによく分かる。その上で、彼女を必要以上に崇めようと思っている訳でもないし、彼女を「大きなお世話ですが」と銘打ちつつ、ろくにその演奏に耳を傾けることもなく何が何でも「へたくそ」に貶めたい人種のあてこすりに同調したい訳でもない。

先ほどまさきつねは、彼女の芸術性について「ケージの名曲に似た、インチキ臭さと裏返し」と述べたが、決して彼女のピアノが「インチキ」と言っているのではない。むしろ逆だ。
フジ子は欧州からの帰国後、テレビやマスコミのコマーシャリズムによって、聴力とともに一度は失いかけたピアニストの肩書を取戻した上、その特異なキャラクターと経歴で一般大衆の間に大ブレイクを巻き起こして、デビューCDに至ってはクラシック界では異例のセールスを記録し、日本ゴールドディスク大賞「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。
『奇蹟のカンパネラ』を弾くピアノ弾きとして再生したその物語は、何度も言うようだが、如何ようにも商業主義に毒されているし、持ち上げられているフジ子は裸の王様のごとき胡乱さにまみれているが、それでも彼女の演奏は偽物でもないし、ぺてんでもない。

彼女の出す音は間違いなくふくよかな色とやわらかく伸びてゆくメロディライン、伴奏の変幻自在な和声によって、小刻みに震える小鳥のような自然な描写力と、繊細に構築された造形力を持っているのである。

まさきつねは前にも述べたように、芸術の鑑賞において基本的に聞き比べたり、見比べたりすることは不要であるばかりか、作品の本質を見極める目を曇らせるように感じているが、あえて言うなら、確かにフジ子にはポリーニの演奏のような、正確無比の超技巧も突き抜ける高雅な香りのような美音もない。アシュケナージのような何でも弾きこなす器用さも、耳に馴染み易い綺麗な音色もなければ、アルゲリッチのような豪快な音の波に乗ってオーケストラを飲み込む気迫も、圧倒的な即興によるリアリズムもないし、ブレンデルのような通好みの朴訥で堅実な表現と、穏やかで奥行きのあるスケール感といったものにも程遠い。
こうした演奏家たちに馴らされた耳と固定観念に縛られた価値観でフジ子のピアノを聞けば、「アマチュア並みの雑音」とか「習い始めの小学生テクニック」と罵倒したくなるのかも知れないが、芸術は残念ながらそれほど単純でも一面的でもないし、音楽の価値も目に見えて優劣の付け易いものでもないのだ。

フジ子のリサイタルは時として「襤褸襤褸」で、ミスタッチやパッサージュのずれは茶飯事、酷い時は演奏を途中で中止したり、楽譜を間違えたり何でもありだという噂も聞こえてくる。プログラムに書かれた演奏曲目を弾かなかったり、逆にアンコールでもないときに新しい曲目を入れたりと変幻自在がフジ子流らしいが、その程度に目くじらを立てるくらいなら大枚叩いて聴きに行かぬ方が良いということのようである。

ライヴの醍醐味は臨場感なのだから、そこで何が起こるか分からないのはプロとかアマに関係なく、また音楽もスポーツも変わりあるまい。どうしようもなく駄目なときもあるだろうが、逆にとんでもなく素晴らしく「これぞ芸術の生まれた瞬間」と観客を興奮の渦に巻き込むときもあろう。
いつ、いかなる場所でも同じレベルのパフォーマンスを約束するのがプロだなどと、軽々しく口にする人間もいるが、それこそ精密機械じゃあるまいし、血の通った生身なら興行のたびにコンディションが変わるのが普通で、いつ、いかなる場所でも平均値しか出せない演奏よりも、同じ曲を弾いても毎回出来映えが変わり、ときに出色の演奏に出逢える方が聴衆にとってもエキサイティングなのではないだろうか。

いずれにしても、「襤褸襤褸」の演奏の時も、体調の優れない時も気の乗らない時もあるらしき、むらがあるフジ子自身は実に人間的で、その発言の通り、彼女の『ラ・カンパネラ』は「ぶっ壊れそうな鐘」でありながら「一つ一つの音に色をつけ」られて、煌めくような輝きを緩やかに歌うメロディに残して、途方に暮れる夕星のごとき甘い嘆きを主題に響かせてみせる。
『ラ・カンパネラ』以外の楽曲でも、テンポを思い切り揺らして、情感豊かな楽曲場面の立体描写を試みたり、哀感を帯びた和声を間延びしたリズムに乗せて音の造型を練り上げたり、ピアノという楽器を存分に響かせるメソッドに長けていなければ、とても出来るものではない。

まさきつねが驚いたのはアニメ『MONSTER』のエンディングで彼女が歌った『Make it home』は、まさにピアノのトリルで震わせているコロラトゥーラのような響きをそのまま声に変えたような歌唱だったことだ。
声量とか、声の美しさといったことに関係なく、その春の芝土の上に降る雨のしずくのような、やわらかい膨らみのある声、消えてゆくのではなく大地に染み透ってゆくような余韻、崩れてゆく砂の城が新しいかたちを構築するような音楽、そして揺れながらも安定した旋律が不思議な説得力を持っていた。

☆Monster OST - Make it home☆

アニメ作品中に出てくる絵本『なまえのないかいぶつ』に被さる歌は、それ自体は温かな内容の歌詞であるにもかかわらず、アニメの主題に共鳴するどこかクールで不気味な静けさを伝えて、アニメソングとしても異色の演出的な巧さを見せていたように思う。また、フジ子の音楽の特性と言ってもいい、姿を変幻自在に変える柔軟さ、進化し得る伸びしろの幅の広さを見せつけた感もある。

ところで、今回もういい加減、語り過ぎてしまった気がするフジ子・ヘミング論ではあるが、あちこちに昨今のフィギュア競技が抱える問題への示唆となるような視点が含まれていたようにまさきつねは思っている。

それはまた別のエントリーで少しずつ取り上げてゆきたいと思っているのだが、とりあえず最後に、取ってつけたようで申し訳ないが(こちらが本来の目的だったのけれど)、浅田選手の『幻想即興曲』の画像をまとめて紹介しておきたいと思う。

まず、シーズン緒戦の黒と白のバージョン。オードリー・ヘップバーンの『マイ・フェア・レディ』の衣装に似ているともっぱらの評判だったが、モノトーンに抑えられた色調が和風のイメージも喚起させ、まさきつねは玉三郎の『鷺娘』を連想した。

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後半は一変して、深紅のベルベット素材やシフォン、ラインストーンをあしらった華やかなデザインへ。サロン音楽のイメージを強調しているのか、貴族的なドレスの雰囲気を出しているが、古風な感覚は否めない。
世界選手権では重たい印象があった肩と上腕の装飾を外し、少しだけ奔放な近代風淑女になった。身ごろ部分の飾りもラインストーンを減らして、チュールレースを目立たせたものに変わり、世紀の大失敗から軽やかに立ち上がったお姫さまは、勝利に向かって強く羽ばたく一途な演技で二度目の世界女王の座に着いたのである。

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結びに浅田選手の『幻想即興曲』の演技にフジ子の『ラ・カンパネラ』の音源を組み合わせた動画。スピードで押しまくれば、超絶技巧の芸術が成立するというものではない。ゆるやかに舞いながら、馥郁とした時間と優雅な空間を形成する造形美。ショパンやリストの時代にはあったやわらかな時の流れが、ここに再構築されている。

☆浅田真央 幻想即興曲+フジコ・ヘミング:ラ・カンパネラ☆

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YES
YES
YES
YES今この世界でわかること みつめて
YESあなたの瞳のやさしさを 信じて

Make it home
To your land of harmony
Make it home
To your land of purity
Make it home

YES
YES
YES
YES今この愛でわかること みつめて
YESあなたの心のぬくもりを 信じて

Make it home
To your land of harmony
Make it home
To your land of purity
Make it home

YES
YES…
(フジ子・ヘミング『Make it home』)


☆おまけ☆スケートベア:まお缶・幻想即興曲 Ver.
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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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Comment

踊り子 says... "感動:生きている実感"
やはり、まさきつねさまのブログには導かれて来たのかなと思わずにはいられません。
フジ子さんが帰国する以前、ご実家の2階は演劇/ダンス用のスタジオになっていてよく利用させていただきました。スタジオ管理をされていた生前のお母上、その圧倒的な存在感!に畏怖の念さえ持ちました。懐かしい思い出です。
彼女のピアノを聴くと、育った時代や環境、日本の家族から離れ、長い間欧州生活をしていた彼女の歴史といったものがどうしても思い起こされてしまいます。そういうワタシには、その演奏が純粋に音楽的に優れているのかどうかはわかりません。ただ、素直に心が安らぎます。Monster の Make it home には泣けました。フジ子・ヘミングがあのように歌うなど誰が想像したでしょう。
「重要なのは個人がひとつの芸術に触れ得たとき、そこにどんなシンパシーやケミストリーが発生し得るか、もっと単純に言えばそこに感動が生まれたかどうかなのだが…」に拍手です。
手段は様々ですが、表現されたものはどれもその表現者の人間性が出てきますよね。受け手がそこに共感できるかどうか、何かビビッとくるものがあるか無いか、それこそ他の表現者と比較して価値を決めるものでは無いと思うのですが。
2011.06.13 22:40 | URL | #3cfJX5.E [edit]
Canadaから says... "絶対評価と相対評価"
こんにちは、まさきつね様。
音楽にも絵画にも平均的知識しかない(爆)のですが、芸術は、やはり自分がどう感じるのか?が、重要なポイントだと思っています。つまり、「いいものはいい。」という主観入りの絶対評価が、芸術鑑賞における自分のスタンスです。故に、アンチファンになりようばないわけで(苦笑)、その点いつでも中立でいられる自分の性格に感謝しています(爆)。
しかし、これがフィギュア競技やバレエ、ピアノ等の芸術コンクールで点(フィギュアのPCSや旧採点下の芸術点)や席次をつけなければならない場合は、相対評価にならざるを得ないし、またそうあるべきと思っています。(だから、PCSの絶対評価スタンスは、はなっから破綻していると思うので、最近は、PCSとTESの点差やジャッジ間のばらつきの酷さに切れるのに疲れ、極力静観方向で見るよう努力しています。爆)
まあ、その評価の仕方(個々の芸術性の絶対評価とコンクール的相対評価)をごちゃ混ぜにしているか、アーティストの芸術以外の部分(性格、思考、発言、行動等)にとらわれることが、アンチファンになる所以ではないのかな?と思う次第です。
2011.06.14 04:31 | URL | #QU3xRRRs [edit]
cha says... "CDはいつも手に取るのですが、"
一度も聞いたことがありません。そんなにアンチが多いっていうのも知りませんでした。
コンクールでトップになった人でも常に賛否両論ですよね。実際私も期待はずれだったこともありました。
あくまでも個人的な感想ですから他人に強制することはありませんが、アンチが多いほど聞いてみたくなりますね。(捻くれ者です。笑)

フィギュアの芸術性も”私は素晴らしいと思ったから高く評価しました”と言われてしまうと反論できないのかもしれませんが、これはスポーツ競技ですので技術点は正確に評価されるべきです。そのためにはワンちゃんTCと猫ちゃんジャッジを良識知識のある人間に変えてもらいたいです。なんのためにVTRでスロー再生して検証しているのでしょう? もし真面目に検証採点しているのであればミスが多すぎるので、野球で言えばファームから鍛えなおしてもらいたいです。人間だったら恥ずかしくて国際大会に何度も顔出せませんよね。

真央ちゃん帰国したみたいですが、振り付け終わったのでしょうか? 曲だけでも知りたいですね、想像する楽しみ増えますから。
2011.06.14 11:28 | URL | #- [edit]
nao says... "バラ1もルービンシュタインがすき。。。"
まさきつね様 こんにちは♪

フジ子さんってアンチが多いんですね・・
あまりきちんと彼女の演奏を
聴いたことがないのですが
ほんと、アンチが多いほど聴いてみたくなりますw
わたしはルービンシュタインがとても好きで
私が好きな「ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 Op.26-1」
彼の演奏を聴いてびっくりしました。
他の方が弾く演奏と全く違って聴こえました。
それから虜になってしまったですが・・
フジ子さんの弾くポロネーズも
聴いてみたくなりました。


真央ちゃん帰国しましたけど
新プロ曲発表しなかったですね。
昨シーズンは確か帰国会見?ですぐ発表だったと・・
もしかすると、SP/FP 同じ曲??
昨シーズンのタンゴ・・ あきらめきれません^^;
でも新しい曲も観たい気もするし・・
シュニトケのタンゴは、聴けば聴くほど
やはり好きだなぁと。
曲一緒で、ローリー&タラソワ入れ替えてみたら
どうでしょう?(ぁ だんだん妄想が・・)

週末は、フジコさんのCDを漁ってみます~♪

2011.06.14 13:14 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "生きている実感を求めて"
踊り子さま
ご訪問うれしいです。お話にあるのはお母さまの大月投網子さんがご存命だった時分のスタジオですね。まさきつねも耳にはしたことがあるのですが、お母さまはとても厳格な古式ゆかしい方だったようですね。
まさきつねもフジ子さんの演奏には、古い十九世紀から続く由緒正しい和声法のようなものを感じます。それがお母さまの影響か、留学先で学んだものに由来するのかは分かりませんが、そうしたノスタルジックな魅力も彼女のピアノにはあると思います。ですから、彼女のピアノが革新的かどうかとか、規範的かどうかとかいった視点で批評、批判することは出来るかも知れませんが、まったく聴くに値しないという切って棄て方をするアンチの意見は、いかにも乱暴に過ぎると思っています。
仰る通り、彼女の演奏には良くも悪くも彼女の人間性や人生観が滲んでいると思います。そんなものも不要という方たちは本当に、もっとメカニックに作られた機械の自動演奏でもお聴きになった方がいいんじゃないのかと思います。フジ子さんの演奏が好きな方はきっと、泥にまみれても生きている実感を味わいたい、こころを揺さぶられたいという思いを芸術に求めておられるような気がしますね。
2011.06.14 17:18 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "評価する以前にリスペクトを"
Canadaから さま
ご訪問うれしいです。
本当に芸術を鑑賞するなら、「いいものはいい」というのが一番ですよね。他人様がいくらいいと言ったって、自分にビビッと来るものがなければどうしようもありません。
勿論、コンクールやコンペティションなら、どうしたって評価を下す必要があるのですから、「いいものはいい」」だけではどうしようもないのも事実です。しかしその基準がダブルスタンダードだとしたらどうしようもない訳で、それが今のフィギュア競技の最大の問題点ですよね。(ダブルどころか、特別枠があるから大変なのですけど。)
アンチは時として、それがいることが人気の証拠と言われますが、執拗なストーカーまがいの行動をするから困るのですよね。嫌いなら嫌いで、無視するとか自分の胸にだけ収めておけばいいものを、執拗に攻撃したり他人にアンチ意見の賛同を求めたりするから妙な騒ぎになるのですよね。
ファンの数だけが芸術の評価だとは決して思いませんが、浅田選手にしろフジ子さんにしろ、アンチの過激な意見を耳にするたびに、その意見が正しいかどうか云々する以前に彼らのフィギュアや芸術に対するリスペクトのなさにうんざりしますね。
2011.06.14 17:41 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "情報を出さないですね"
chaさま
ご訪問うれしいです。
フジ子ブームは日本を席捲しましたが、外国におられるとあまりピンとこないかも知れませんね。騒がれ過ぎたのは事実です。彼女のようなピアニストは、本来、知る人ぞ知るという存在であるべきだったかも知れません。でもある意味で「のだめ」のような、クラシック音楽のメジャー化ポピュラー化に貢献する立場になってしまいましたね。それもある種のクラシックファンには苦々しいのかも知れません。
彼女のピアノがお好きかどうかは一度お聴きになって、またよろしければご感想などお寄せくださいね。
フィギュアはISUがジャッジに対し、シビアで明確な基準を示すべきでしょうね。ルール自体よりも、運用があまりにも杜撰過ぎます。
浅田選手、曲目を発表しないのは何か思うところがあるのでしょうか。今季は陣営の考えで、情報をあまり洩らさないようにしているのかも知れませんね。
2011.06.14 18:43 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "フランソワもコルトーも"
naoさま
ご訪問うれしいです。
ルービンシュタインですか…彼は時代によって全然違う色を出しますよね。スケール感があって伸びやかですから、ショパンの中でもポロネーズは彼に合っていますね。まさきつねはバラードはフランソワが好きです。コルトーも詩情があって素敵ですよ。
浅田選手、曲目が発表されないのでちょっとやきもきしますね。タチアナコーチが『愛の夢』をSPに振り付け直す…なんてことはないでしょうね。タンゴは最後に尻すぼみになってしまいましたが、全日本の出来は後少しで開花しそうな感じだったのですけれどね。とても良い曲なんですよね、シュニトケ…EXでもいいんだけどなあ。
でもやっぱり、心機一転して新しい世界に挑戦した方が、彼女らしいかも知れませんね。
2011.06.14 19:06 | URL | #- [edit]
れんまま says... "人がいいと言うからではなく"
まさきつねさま、こんにちは。私はフジコさん大好きです。フジコさんにアンチが結構いるとはしりませんでした。彼女のピアノはこちらの身構えがいらないんです。クラシックなんて、あまりよくわからない私にもフジコさんの奏でる音は入ってきます。かたや有名だと言われたり賞をとったりするピアニストの音は全く入って来ないときもあります。
自分がそうだからみんなもそうだとは思いませんし、逆にみんながいいというから自分もいいと思うとは限らないんだなぁと思います。若い頃は「みんながいいというから」という理由で音楽も聞いていたかも知れませんが…
フィギュアや他のスポーツ、芸能、芸術も人間関係もそうですね。自分がいいと思えるものに出会えたら、浮気などせずに長く愛せるものです。
私はフジコさんの演奏も人生もファッションも好きです。
ラカンパネラ、浅田選手にはぜひ一度演技して頂きたいですね。
2011.06.14 20:07 | URL | #wMCiUWtE [edit]
meiling says... "好きなものはしょうがない"
まさきつねさまこんばんは。
久しぶりにゆっくりパソコンに向かってます。
なんと、フジコ・ヘミングですか。
ピアニストということと、名前ぐらいしか知らなかったんですが、モンスターを見ていてどうしても気になってyoutubeでいろいろ聴いてみてすっかり虜になりました。なんか、心にズンッ!と来るものがあって何度も何度も聴いてしまいました。CDも買いました。技術的なことはさっぱりわかりませんが、好きなものはしょうがないですね。
THE・ICE大阪公演チケットとれました。真央さんの新プログラム、どれかお披露目してもらえるかもしれませんね。楽しみです。小塚選手とのペアプログラムも楽しみです。
2011.06.14 20:33 | URL | #F9U5ob0. [edit]
まさきつね says... "真正の才能に光を"
れんままさま
ご訪問うれしいです。
こうしていくつか比較してみると、アンチファンの論法というのはどれも似たり寄ったりで、同じなんですよね。ろくに演技や演奏を観も聴きもしない人間に限って、根拠もなく「へたくそ」と言い放ち、あげくに生き方や話し方にまで難癖をつけ、化粧やファッションに至っては「おばさん臭い」とか逆に「子供っぽい」とか言いたい放題です。つくづく、彼らの人気に対しやっかみ半分というか、ひたすら貶めたいだけなんですよね。
ですから大方気にしないに限るのですが、本当にいいものに対しては、きちんとした批評がなされるべきだと思いますね。
日本は売れるなら良しで、一過性の人気や人工的なブームに乗って商売をしたがりますが、反面、本当に素晴らしいものや真正の才能に光を当てるのが下手です。昨今のフィギュア競技などはその典型ですよね。

2011.06.14 21:56 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "生き方にポエジーが"
meilingさま
ご訪問うれしいです。
『make it home』は驚きでした。フジ子さんが自分の音楽で何を伝えたいのか、それが声になって迸り、剥き出しになっていたと思います。
芸術は作られるものではない、生み出されるものなのだとしみじみ感じました。芸術はすべからく造化随順、フジ子さんの生き方にはポエジーがあるのです。
THE・ICE楽しみですね。新プログラムのお披露目があるとさらに盛り上がりそうですね。
2011.06.14 22:14 | URL | #- [edit]
glacier says... "No title"
まさきつねさん、おじゃまします。
リストの「愛の夢」、辻井伸行演奏のものとフジ子演奏のものと聴き較べてみてください。私は弾く人間によってこれほどまでに「個」が表れるものかと感心しました。辻井君はいかにも若者といった輝きと生命力に溢れており、フジ子さんのほうはどこか哀愁を帯びており、幸せだった昔を思い出しながら演奏しているといった印象です。
その人の「個」を美しく表現できる芸術家は、国や世代を問わず人を惹きつけてやみませんよね。(真央さんも然り)
2011.06.15 21:24 | URL | #dGBb67BQ [edit]
まさきつね says... "人間が弾いているからこそ"
glacierさま
ご訪問うれしいです。
『愛の夢』もいろいろ聴き比べると楽しいですね。
辻井さんはテンポが少し速めでいかにも若々しいですね。若者が夢見る青春像という感覚でしょうか。辻井さんにしてもフジ子さんにしても、あるいは舘野さんといったピアニストはみな、身体的なマイナスも含めて、個性を音楽という芸術に昇華しているのが素晴らしいのでしょう。
生身の人間が出している音、ならではの世界ということでしょうね。
2011.06.15 22:44 | URL | #- [edit]
ココ says... "No title"
鷺娘、私も大好きです。真央さんにDVDをプレゼント
しました。他に藤娘と道成寺も。予算的にそれ以上は
プレゼントできませんでしたが・・・。
浅田真央、玉三郎、キエム、吉田都・・・何かに夢中でまっすぐ取り組む人は美しいですね。そういう人に憧れます。私自身もそういう何かをみつけたかった。みつけたいという思いがあるからでしょうか。

いつも興味深い記事をありがとうございます。
2011.06.16 01:45 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "芸術が芸術を"
ココさま
ご訪問うれしいです。
何かを表現することに夢中になれるって素晴らしいですよね。天から与えられた才能があるなら、尚更です。
そういう人たちには何かしら共通項があると思います。それぞれがインスパイアされたり、示唆を与えたり、そしてまた新しい芸術が生まれ出たら、なお素晴らしいことでしょうね。
2011.06.16 18:44 | URL | #- [edit]

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