月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

ボッティチェリと浅田選手の愛と夢 其の壱


始めにまず、掲載から多少時間が経過してしまったが、全日本前の浅田選手の様子が伝わる記事から、彼女の生の声を抜粋してご紹介しよう。


浅田舞のスポ友!」シーズンはまだ半分
読売新聞浅田真央のスポ友!
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/supotomo/supotomo101212_1.htm


≪抜粋≫
 ――演技中は何、考えてた?

 真央 フリーは(愛犬の)エアロのこと。それまでは、ジャンプのことばかり考えていた。

 ――今シーズンの評価は。

 真央 ここまであまりよくないけど、シーズンはまだ半分。これから良くなると思う。

 ――そうだよね。20歳になって、何か変わったことは?

 真央 自分で何でもするようにしている。そういう風にやっていくシーズンだと思っている。

(中略)

一番つらいのは真央
 真央が一からジャンプをやり直そうと心に決めたのは、2月のバンクーバー五輪から帰る飛行機の中ででした。すぐに4年後のソチ五輪を見据えたことに私は驚かされました。体に染みついたジャンプを一からやり直すことは容易ではありません。

 真央は、楽しみにしていた20歳の誕生パーティーも辞退して、練習に打ち込んできましたが、GPシリーズで良い結果を残すことはできませんでした。「真央なら必ずできる」。そんな気持ちで見守っています。

 五輪翌シーズンぐらいは、「試合を休んだら」という周囲の声もあります。だけど、真央はミスが続いても出場を続けています。一番つらい思いをしているのは真央です。私はそんな姿を見て、真央を支えるために何ができるのか、もっとたくさんのことを学ばなくてはいけないと思っています。

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なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか/岩崎夏海
パリで浅田真央さんは「私はスケートが好きなんです」と言った
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20101213/217523/?P=1


≪抜粋≫
 試合での真央さんは、ぼくの目からは、あえて跳ぼうとしていないように見えた。特にフリーの本番では、跳ぶ直前にちょっとした躊躇いがあって、トリプルアクセルを成功させることはもちろん、挑戦することさえ最後までなかった。
 そこには、ショートプログラムの練習の時にはあった、跳ぶ直前のゆっくりとしたモーションや、直前の「ため」といったものがなかった。だから、もし仮に跳んだとしても、成功には終わらなかったように思う。

 だから、ぼくには、真央さんもそれに気づいていたから、直前になって力をセーブし、跳ばなかったように見えたのだが、果たして実際はどうだったのか?
 その質問をしてみると、彼女はこう答えた。
 「自分でも、ウーンという感じでもどかしいんです」
 それから、彼女が言ったのは、「ここまで一日の無駄もなく、悔いのない練習を積めてきた」ということだった。
 真央さんは、練習までは、自分でも「いけるかも」という好感触をつかんでいた。だから、本番での自分にも期するものがあったらしいのだが、しかしそれが実現しなかったことに、もどかしさを感じているということだった。
 真央さんは、胸の辺りに手を当てて「この辺まで来ているのに、試合でだけ跳べないんで、すっきりしない感じ」と言った。
 それでぼくは、多少失礼かも知れないと思ったが、こう尋ねてみた。
 「今シーズンは捨てる――つまりオリンピックまでの捨て石にする――という意識はないのですか?」
 すると彼女は、少し考えた後、しかしすぐにこちちらを真っ直ぐな眼差しで見つめ、こう答えた。
 「それはありません」
 真央さんは、こう言った。
 「自分でも、オリンピック後はモチベーションが下がるかなと思ったんですが、しかしそんなことはありませんでした。オリンピックが終わってすぐ、また滑りたいと思ったし、試合に出たいと思ったんです。そのために、すぐに練習もしたいと思いました」
 「私は、試合で滑るのがすごく好きなんです。だから、今はファイナルに出られないことがすごく悔しい。終わった直後は『あーあ』という力が抜けた感じだったけど、今(フリーの翌日)は、徐々に悔しさがこみあげてきているところです。私は、去年もファイナルに出られなかったんですけど、その時はテレビで見ていて『私も出たかったなあ』と、悔しい思いを味わったんです。だから、今年のファイナルも、たぶんテレビで見ると思うんですが、その時に、本当に悔しい思いを味わうと思うんです。それから去年は、その後の日本選手権に出た時に、『ああ、出られて本当に良かった』と、心から思ったんです。そうして、気づいたんです。『ああ、私は、こんなにも試合が好きなんだ』って。それは、もしかしたら生まれて初めての体験だったかも知れない――これまで、そんなふうに思ったことはなかったんです。だから今年も、日本選手権に出られた時に、『出られて良かった』と、思うと思います」

 それから、真央さんはこんなふうにつけ加えた。
 「私は、試合も好きなのだけれど、練習も好きなんです。練習でしっかりやらないと、試合でも自信を持ってやれないから。私は今、本当に充実して練習しています。だから、今年を捨てるとか、そういうつもりは本当にないんです。やる気も全然失ってないし、一日も無駄にしていないという自信があります。ただ、試合でだけできていないんです。試合でだけ跳べていない。だから(胸を押さえて)ここら辺に、ウーンと詰まってる感じがあるんです」
 真央さんは、とても自然な表情で、いっそ明るい口調で、そう話してくれた。そこには、成績が出ないことへのもどかしさや、周りの人々、応援してくれる人々への申し訳ない気持ちもあるのだろうが、一方で、練習をしっかりやれていることの自信から、現状を自然と前向きにとらえているようでもあった。


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浅田選手が多くの人のこころを捉える理由は何だろう。まさきつねはこのふたつの記事に併せて、自分の過去記事も読み返しながら、もう何度も自問自答した疑問を考えている。

岩崎夏海氏はベストセラー『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら 』でブレイクした小説家だが、秋元康さんに師事した元放送作家ということで、目のつけどころの巧さが際立つ頭脳派のようだ。この日経ビジネスオンラインのコラムは連載のようで、この内容をいずれそのまま書籍として出版するという流れなのだろう。

岩崎氏はご自分が浅田選手に興味を持った理由を、「ぼくは、浅田真央さんに人間の本当の顔を見たのだ。その顔に興味を持ち、なぜそうした顔ができるのかを知りたいと思った。」という風に書かれている。彼が観た浅田選手の顔は、やはりコラム本文から抜粋すると、「真央さんのその顔は、心の深いところにまで降りていき、そこにあるものを見聞きしてきた人間のそれだった。その過程で、人間としての見栄や体面といったものが全て削ぎ落とされ、魂が剥き出しになった時の、作り物ではない、本当の顔だった。」というように表現されている。

浅田選手というアスリートは、常にそのジャンプやスピン、ステップといったエレメンツを熟す才能や技術力が高い評価の対象とされてきた半面、表現力という側面では何故か識者の間でもその能力が認められないというのか、評価の対象として軽んじられる傾向が強かった。
この点の不可思議さと、彼女の表現の特殊性に関しては、拙ブログでもこれまで何度も話題にし、また分析を試みてきたので繰り返し述べることは遠慮するが、要は彼女が自己演出というものをしない演技手であり、パフォーマンスの中で自分以外のキャラクターを演劇的に再現するような、他者に自己同化あるいは憑依した表現を行わない身体芸術家だということに尽きる。

これはすなわち、前の記事で解説した村上選手とは対極の表現法であり、浅田選手の場合は、『鐘』のような(彼女に似合わないと言われた)重苦しく荘厳なプログラムを滑ろうと、『愛の夢』のような(彼女のイメージそのままと感じられる)優しく甘い楽曲を演じようと、彼女自身が見せるのは「彼女自身」の顔であり、ありのままの彼女の時間が作品に共鳴するかたちで表出するのである。

フリーは愛犬のことを考えて、練習の時の出来よりも良い成績を出し、それまではジャンプのことに頭がいってショートでは失敗してしまったという事の次第も、彼女のメンタルの揺れがいかにそのまま彼女のフィジカルな演技内容に直結しているかという表れだろう。
とはいえ、練習で充実した内容が出来ているのに、試合になると結果に結びつかないというのは、昨季のGPSの中でも似たような現象が起きていたが、今季もまた同じような流れでファイナルを逃し、そしてまた、彼女のメンタルが弱いというアンチの意見も飛び出すのだが、それはやはりどこか違和感を感じる話である。

以前のエントリーで取り上げた青嶋氏のコラムでは「あきらめ」という言葉が出てきたが、こんな彼女らしからぬ感情で説明出来るような話の筋道でもないだろう。

彼女の言葉曰く、「ここまで一日の無駄もなく、悔いのない練習を積めてきた」筈なのに、本番ではあいかわらずの転倒と失敗の演技を披露せねばならなかった難しさを彼女自身は「自分でも、ウーンという感じでもどかしいんです」という真情を吐露して語っている。誰もが認める「練習の虫」である彼女が不思議なことに、試合で練習の成果を出せないでいる理由、だがその答えこそ彼女の「試合も好きなのだけれど、練習も好き」という言葉の中に隠されているのではないだろうか。

彼女のフィジカルもメンタルも、今はジャンプの矯正という事もあって、すべてが「練習」中という範疇の中に放り込まれている。日々の練習実績も無論、その日のコンディションによって幾分か出来不出来があるだろうが、概ねは数値的な成績を出す必要のない内容を自己確認するだけに終わる。
彼女の目標は四年後のソチや、近いところでも年が明けての世界選手権にある訳だから、今の段階ではGPSの試合と言えども、そこにベストコンディションのピークを合わせる次元にはない。
つまりは彼女の無意識下で、練習の最中に組み込まれてしまっていたGPSの試合では、どんなにこれは試合だと気持ちの上で言い聞かせていたとしても、身体的な反応はあくまで練習の一環としてフォームやプログラムの調整をするだけの動きにとどまってしまったということなのだろう。


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とても繊細なスポーツなのではないでしょうか 安藤さんもちょうど同じような年齢からジャンプが跳べなくなって オリンピック前後大変なバッシングにさらされた中からはいあがり 現在があるように
真央さんには メディアの過激で執拗な バッシングがないだけ
幸せではないでしょうか
メディアの操作反対
2010/12/21(火) 午後 3:25 [ akatuki ]

akatukiさま
コメントありがとうございます。
仰るとおり、かつて安藤選手に容赦のなかったマスコミや各方面からのバッシングは、胸が痛むほどの非道さでした。浅田選手は安藤選手に比べると多少マシかも知れませんが、それでも元々叩かれる云われはないのですから、偏向報道は止めて欲しいですね。
結局、誰のためにもならないのですから。
2010/12/21(火) 午後 7:36 [ まさきつね ]

まさきつね様、こんにちは!
記事はいつも読んでおりますが久しぶりのコメントです^^

私も、「顔」に関する記述がとても印象的でした。
痛々しいくらい剥き出しの情熱、ペルソナによって隠すことのない魂の表現(というより、"表出"?)が、彼女の魅力であり、それを爆発させる『鐘』を与えたタラソワ師のすごさを改めて実感します。

あの結果からまったく立ち直っていなかった(←ショックで熱を出したほど)自分の目には、バンクーバーの閉会式での浅田選手の、雲ひとつない青空のようなピュアな笑顔が驚きでした。ミステリアスとさえ思いました。

彼女の中にはなにか偉大な価値観があり、それは本当にブレないし、それがあることで、自分の身を投げ出すようにスケートに尽くすことができるのでしょうか。シンプルに、「スケートが好き」という言葉に尽きるのかな。

岩崎氏には、試合ルポをベースに、そんな彼女の側面を描いていってほしいと思います。
2010/12/22(水) 午前 11:19 [ くまねこ ]

くまねこさま
ご訪問うれしいです。まさきつねも、くまねこさまのブログをいつも訪問させていただいております。
「顔芸」がまるでPCSの中身のように評価されていますが、本当にくだらない採点基準だと思います。
五輪のとき、銀メダルを手に涙する彼女を外国人記者は不思議に思ったという話がありましたが、彼女はメダルの色に泣いたのではなく、完璧に演技きれなかったという悔しさに泣いていたのでしょう。
そして閉会式のときにはすべてを忘れ、次の五輪を見つめる。
周囲は金メダルが…採点が…ジャッジが…と雑念で頭がいっぱいになるのですが、彼女自身は本当にシンプルな生き方をしているのだと思います。
自分がクリアでパーフェクトで、ノーミスを目指せばいいとただ素直に考えているのでしょう。
だから「スケートが好き」な浅田選手の演技を、ファンは「観るのが好き」なのだと思います。
2010/12/22(水) 午後 3:14 [ まさきつね ]

まさきつねさま こんにちは
>要は彼女が自己演出というものをしない演技手であり、パフォーマンスの中で自分以外のキャラクターを演劇的に再現するような、他者に自己同化あるいは憑依した表現を行わない身体芸術家だということに尽きる。
これは衝撃です。今までもやもやしていた想いをはっきりと言い当ててもらえた喜びを感じます。ありがとうございます。
ただ、つい先日真央ちゃんはインタビューで吉田都さんのバレエを観た、と言っていました。そして「幼女を演じる時は本当に幼女の顔になりきっていた」と感嘆していました。真央ちゃんがあの素晴しい踊り手の芸術を生で体験したことの影響は、今後徐々に真央ちゃんの演技に現れるかもしれない、、と密かに思っています。
ただ、その場合も絶対に「憑依した」ような、作為が見える無骨な演技ではなく、真央ちゃん自身の芯から立ち現れてくるもので観るものを圧倒すると思います。鐘と同じように。
2010/12/24(金) 午前 9:42 [ sachi ]

sachiさま
コメントうれしいです。
浅田選手は舞さんといっしょに、バレエやコンサートにお出かけしていろんなものを吸収されているとお聞きします。きっと、クリエイティブな仕事をする人は、買い物ひとつでも色や香りやデザインや、さまざまなものを学び取ると思います。
吉田都さんのバレエなどは、本当に直截浅田選手の演技に影響してくることでしょうね。美しいものも醜いものも、この世のあらゆるものを表現出来る演技手になるのではないかなと思います。
無邪気に笑っていた少女は、笑顔の向こうの悲しみも怒りも経験してきました。そのすべてがいずれ、彼女の中から演技に昇華されてゆくことでしょうね。
2010/12/24(金) 午後 3:11 [ まさきつね ]

お久しぶりでございます。
いつも素敵かつ冷静な分析の記事を楽しみに読んでいます。

>身体的な反応はあくまで練習の一環としてフォームやプログラムの調整をするだけの動きにとどまってしまったということなのだろう。

そして今回はこの部分が、最近の浅田選手に対する私のもやもやとした印象を鮮明にしてもらえたようです。
浅田選手の最近のインタヴューの内容と、競技内容のバランスが、所謂不調不振とは全く違うものに感じていたのでスッキリしました。
億劫だった全日本も見る元気が少し出ました、感謝です。
矯正に二年は我慢々々と思っていますが、やはり辛いw
ですが楽しみも大きいのですよね、浅田選手は。
2010/12/25(土) 午前 6:38 [ uzu*a*ala ]

uzu*a*alaさま
コメントありがとうございます。
パソコンの調子が悪く、レスが遅れました。そうしたら、浅田選手の一報が入っていました。うれしかったです。
昨季のように、全日本、四大陸、世界選手権と立て直してくれそうな気がしますね。練習から本番へ、スイッチが切り替わったと捉えて良いのでしょうか。
ファンには一番のクリスマスプレゼントになりましたね。
2010/12/25(土) 午後 6:18 [ まさきつね ]

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