月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

菫は輝く星に似て

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誰ひとり足を踏み入れることのない
山里の ダウの泉のほとりに住む乙女
誰からも称賛されることもなく
また愛されることもなく

苔むす岩の陰に咲き
人目に触れることもない
菫のごときその清楚な姿
それは空に輝く星に似て

人知れず暮らす乙女の逝きし日を
誰か知る者のありやなしや
今ははて乙女ルーシーは永久に眠る
ああ 昨日とはまるで異なるわが想い
(ウィリアム・ワーズワース『ルーシーを悼む歌』)

☆The Divine Comedy : Lucy (album version)☆

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国別対抗戦のニュースが上がってきた。

まさきつねは以前からこの対抗戦の意義に懐疑的だが、ペア不在の現在、一体何が最終的な目標で、何の必要性があって開催されているのか明確に説明できる人がいるなら説明していただきたいものだと思う。

とりあえず、選手たちに思い切りこれまでの鬱憤を晴らすかのような演技を披露してもらって、(まずは上の目論み通り、日本が優勝して)気持ちよくシーズンを終えていただければそれに越したことはないのだろうが、日本が勝っても負けても、それがソチ五輪に向けて何らかのアピールや戦略のひとつにでもなるのか、まったく得体が知れない大会ではあるのだ。

しかしとりあえず、頑張ると言っている選手たちにこれ以上味噌はつけたくないので、日本代表の記者会見と、浅田選手の練習風景写真を掲載しておこう。

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さて話は変わるが、今年は何だかいきなりのぽかぽか陽気になって、咲き始めたと思った桜があっという間に盛りを終えてしまった。

それで今日は、明後日金曜日からチューリップの花が満開の東京オランダ大使公邸庭園の一般公開を告知するニュースも流れていたが、チューリップやアネモネ、パンジー、水仙、ヒヤシンスと名前を上げたら限りないくらい、春の花はどれも華やかで、色彩も鮮やかだから、公邸の花壇もさぞかし美しいだろうと思う。

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先日、(泣き言のような)お話をしたまさきつねの出瓶した華展も無事終了し、まずまずの評価を周囲からいただいて、とりあえずほっとしているところだ。

まさきつねの作品は、まず大まかなアウトラインとして、花屋さんのごみ箱からいただいた梅の古木は組み合わせてビスねじで留め、それを茶色の花器の上に乗せた。
ディティールは古木の間からパンジー、アネモネ、ユーフォルビア、クリスマスローズなどさまざまな花をのぞかせ、その上にアスパラのグリーンと脱色した羊歯で、湿った春の芝土をイメージしてアクセントをつけ、高さと春の芽生えを印象付けるために、カラマツの枝を一本差し込んだ。

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自分の花で使用したから言うわけではないが、まさきつねはパンジー(三色菫)が好きだ。

冬の寒さを耐えた後、春の野辺をとりどりの色で飾り、そのくせどこか岩陰に隠れているかのようなつつましさを忘れていない。

冒頭に載せたワーズワースの詩は、ルーシーという架空の女性を詠った五篇の詩のひとつだが、人知れず咲く花と天空に輝く星にたとえられた女性の美しさを清楚な菫でイメージしたのは、自然を限りなく愛した詩人らしい選択だと思う。

このルーシーのモデルは諸説あるが、一説にはワーズワースが恋人のように愛していた妹ドロシーともいわれ、ルーシーの死を想定することで詩人は妹への思いを断ち切ったという解釈もされている。この説がどこまで真実か定かではないが、人知れず生きて亡くなった少女、その自然と一体化した生涯を愛おしむという構造は、まさに自然と人間の感情を共鳴させて、「死」さえも自然の営みのひとつとして「愛」とともに受け入れていこうとするワーズワースらしい思想が見え隠れする。

つまり、ワーズワースは命が失われた少女を、その墓前でただ嘆き悲しんでいる訳ではない。
菫は枯れてしまったが、詩人は菫を空の星に戻すのだ。
菫が星となるのは、死が生と融合し、詩人が噛みしめる宇宙の孤独の中で、あらゆる生命が自然と合体を果たしていることを実感するからだ。

ルーシーはありのまま、自然のままに生きたいわば自然の精、自然の象徴とも考えられるが、詩人は同時に彼女は、人間と自然が合体した宇宙そのものと詠っているのである。

ワーズワースにとって、現実社会の悲劇、人間誰もが避け得ない苦悩を自らの中で咀嚼し、それを受け入れるには、宇宙の混然と己が意識が一体化し、絶望とともに慈愛をもたらす自然の中に悩める魂を解放していくことが重要だったのだろう。


…と、この記事を書いていると、テレビのヴァラエティ番組「マツコ&有吉の怒り新党」の「新三大○○調査会」というコーナーで、スルヤ・ボナリーが取り上げられていた。これも国別対抗戦の前に、視聴者の関心をフィギュアスケートに向けさせるテレビ局らしい作戦だろうと思うが、何となくあざとさが鼻について、いつもの「新三大」ほどには楽しめなくて困った。

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フィギュア・ファンのマツコさんは勿論いろいろ内情はご存じと思うが、それにしてもあいかわらず「たとえジャンプが巧い選手でもやっぱり表現力が…」といういつもながらの論調で流して、さらに、実力があってもメダルには手が届かなかったという点を強調し、結局アスリートタイプのフィギュア選手は、アクトレスタイプに勝てないという結論で収めているのも、今回の「新三大」の監修にどうやら例の胡散臭いコラムニストが絡んでいるのが関係しているのだろう。

番組の最後に、三九歳でなおも現役のプロ・スケーターとして活躍しているボナリー選手を紹介し、マツコさんと夏目アナウンサーの涙で締めくくったのは、せめてもの番組の良心かも知れないが、細部でちょこちょこ「表現力」だの「ジャンプの後の流れ」だのと耳障りなキーワードを挟んで、どんなにジャンプが跳べても勝てない選手はいる(裏を返せば、いつの時代もジャッジの採点が絶対なのよ)ということを、それとなく視聴者に刷り込んでおこうという魂胆が見え見えだ。

実際のところ、ボナリー選手の四回転ジャンプへのこだわりは、浅田選手のトリプルアクセルと同等には語れないし、彼女が五輪で披露したバックフリップに込められた抗議や意味は、採点に対する不信だけでなく人種差別問題など彼女が抱えていた多くの苦悩が滲んでいるものだろうから、ボナリー選手を紹介するならもっと真摯に、彼女のジャンプの凄さやその演技の美しさを語ってほしかった気がする。

とはいえ今の時代、ボナリー選手の名もフィギュアに興味のない面々及び若い世代には全く耳新しすぎて、彼女の話題がお茶の間に再登場して、1994年千葉の世界選手権や長野五輪での演技や行動に対する日本人が抱いていたさまざまな誤解が解けたのなら、まあ良しとすべきなのだろう。

それにしても、ボナリー選手もそうだが、時代のその時々で名前をはせる名選手はいるものだけれど、やはり思うのはどんな実力も、決してその同時代に正しく評価されることはないということだ。
この世の中には人知れず咲き、人知れず散る花のなんと多いことか、ボナリー選手は勿論無名ということではなかったが、それでも結局、彼女も自ら望んだほどの評価を世界大会で得ることはなかった。

ただ彼女にとって幸せだったのは、今現在もプロとしてアイスショーで高い人気を誇っているという点も含め、フランス国内の選手権では九連覇、欧州選手権では五連覇を成し遂げているようにフランスを始めヨーロッパの人々からは昔も今もその実力、才能を認められ、深く愛されているということだ。

むしろボナリー選手にとって、彼女の長いスケート人生の強い支えになっているのは、彼女が試合の中で得たいくつかのメダルよりも、彼女や彼女の演技、代名詞であるバックフリップを心から愛し待ち望んでいるファンたちの熱狂と声援に違いないのだろう。


誰にも知られることなく咲き、日陰でひとり涙した花は、愛されて空の星となり、輝きを取り戻す。


花の涙は朝に露となって、乙女の泉にあふれ、詩人の孤独な魂をうるおす水となるだろう。


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未来にむかって大いなる展望を与えてくれるような高所に立てば、時折、風が激しく吹きぬけても、一向(いっこう)に気にならないものなのだ。
(ウィリアム・ワーズワース『序曲』)

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Comment

ホビット says... "なつかしい・・・"
ケイト・グリーナウェイ、ワーズワースと、私が中学生から大学生にかけて好きだったものに関連する記事が続き、とてもうれしく感じています。ケイト・グリーナウェイは、シシリー・メアリー・パーカー(Flower Fairies)とともに、中学生のころ、夢中になっていたものでした。真央さんは、ときに妖精と表現され、それを揶揄するむきもあるようですが、彼女が氷の上にたったときのあの透明なる雰囲気は、こういった、子供時代のこわれやすい美しきものと重なりますね。本当に無垢なるものは、自分が無垢であることなど考えたこともなく、ただ、ひたすら、太陽に向かうイカロスのように飛び続けるのだなと、彼女を観るとそんなことを思ってしまいます。
マツコさんは、ここまで売れる前、地方の番組などでは、もう少し本音をもらしていたような気がします。今は大人の諸事情なのでしょうかね?残念です。
少し前の記事でMIZUMIZUさんのブログにも言及されていましたが、まさきつねさんと同じく、MIZUMIZUさんの記事と、あともうお一方、男性(オネエさん)の方の記事もよく読んでいました。皆さん、同じころに、ぱったりとフィギュアの記事を中断されたので、何かあったのかしらと思っておりました。採点競技の難しさ、フィギュアスケートは華があるスポーツだけに、観るほうも悶々としてしまいますね。また、とりとめもなく、書いてしまいました・・・
2013.04.11 12:11 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "悶々と"
ホビットさま

ご訪問うれしいです。
まさきつねもイギリスの古い絵本が大好きで、イギリスの詩人も好きなのです。またいろいろご紹介できたらなと思っています。

浅田選手は無垢というか、本当に天然ですよね。まっすぐに前を向いて、邪念がない。彼女の良いところです。イカロスのように落ちなければ好いのですが、傍からすると心配になりますね。

マツコさんはテレビ畑でお仕事される限り、仕方のないことが多いかと思います。でも、みどりさんのことは一生懸命訴えてくださいましたね。今の時期に起こっていることに関しては、さすがに軽々しく発言出来ないのでしょう。

MIZUMIZUさん、SAWAKICHIさん(のことですよね?)はどちらも素晴らしいブロガーさんです。フィギュアにもほかの芸術分野にも造詣が深く、卓抜した意見を論じておられました。
今、ブログを休止なさってるのはそれぞれ、事情があるのでしょう。でも、お二方とも決して現状が好いなんて思っておられないと思いますよ。実際、お二人が書かれていた頃とくらべて、現在も何も状況が好転していないのですから…
言ってみれば、ボナリー選手の頃だって採点に問題は多かったわけです。
同じ主観の入る採点競技でも、体操やスノーボードとかは、もっとスポーツとしての採点基準がしっかりしている気がするのですけれどね。

悶々とすることばかりで、本当にとりとめがなくなりますね。またお立ち寄りください。
2013.04.11 14:51 | URL | #- [edit]
ホビット says... ""
そうです、そうです、sawakichiさんです!
体操と同じように、正式にコーチが異議を申立てできるといいのですけれど・・・フィギュアの採点の不可思議さは、GOEとPCSという、二重の印象点によって、もたらされている部分が大きいように、個人的には感じています。この二つによって、順位など、どうにでも調整できますからね・・・

浅田選手をイカロスに例えたのは、ファンから見れば、どうにも理不尽に思える採点の基準やら何やら、そういうものを地上に残して、ただただ飛び続けるように思えたからです。もちろん、イカロスのように地上に落ちてほしくはありません。でも、心配な面もありますよね。このあいだの世界選手権で、ああ、やはり・・・と心配が頭をもたげてきました。
また、長くなってしまいました。いつも、素敵な記事をありがとうございます。
2013.04.11 22:20 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "どんな結果でも"
ホビットさま

ふたたびのご訪問うれしいです。

フィギュアでは今、抗議したもの勝ちで、日本人みたいに毎度おとなしくしてるのは礼儀正しいかも知れませんが、それでいいのかという気がしますね。ボナリー選手みたいな抗議行動が好いとは思いませんが、やっぱり採点システムとして綻びが多過ぎる競技だと思います。

まさきつねも、浅田選手には高く太陽まで届くように飛び続けて欲しいと思いますが、彼女にはやはりあまりにも足枷が多いように思います。国別もお祭り騒ぎで楽しいとは思いますが、選手に精神的な負担がないとは言い切れないように感じるのですね…いっそ、ただのエキシビションなら、どんなお祭り騒ぎでも構わないと思うのですが。
そしてどんな結果が出ても、マスコミは一切、選手たちを貶める報道は控えて欲しいと思います。
2013.04.11 23:52 | URL | #- [edit]
says... "管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013.04.12 16:18 | | # [edit]
まさきつね says... "メダルの価値は"
-さま

ご訪問うれしいです。
怒り新党の件は、まさきつねもいろいろ思うことがあります。まあ、国別のための番宣でしょうから、それほど目くじら立てなくてもと、自分で自分を諌めております。

マツコさんの『白鳥の湖』評は、おそらくバイウルの演技を念頭にしてのものでしょうね。バイウルの白鳥、ヴィットのカルメン、どれも凄いですが、今の競技規定や採点基準とは全く違う時代のものですから、一緒くたに論じられてもねと、まさきつねはいつも思っています。
浅田選手の白鳥、最初は熟しきれていない部分がありましたが、全日本のあたりから良くなっていきましたよ。バイウルのように、フリーでなくショートの演技だったらもっと凝ったバレエ的な表現も入れられたでしょう。でも「子供っぽい」とは思いませんでした。

国別のSP演技、叩かれていますね…よその国からも茶々が入ってますね。
演技の良し悪しに関わらず、余計な人間からの口出しが増えると分かっているので、まさきつねは国別の開催に懐疑的なんですよね。
でも昔と違って、浅田選手も良い意味で開き直りが出来るようになったと思いますから、あまり心配しないでおきましょう。
ボナリーを観て改めて思いましたが、魅力があって個性がある選手は、メダルに関わらず愛され、いつまでも惜しまれるものです。そしてメダルの価値は与える側が決めるのではなく、もらった側の人間の価値で決まるのです。
2013.04.12 19:05 | URL | #- [edit]

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