月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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新しい朝、世はこともなし

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時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(ロバート・ブラウニング『春の朝』)

The year's at the spring 
And day's at the morn;
Morning's at seven;   
The hill‐side's dew‐pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in his heaven ― 
All's right with the world!


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フレデリック・レイトン『燃え上つ六月』1895年

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


このところ、長くて論文調の話題が続いたので、軽めの話をお伝えしよう。


最近ちょっと見入ってしまったCMの話である。

ガゴメの野菜生活という飲料水のコマーシャル映像なのだが、結構あちこちに取り上げられているのですでにご存じの方も多いと思う。

☆野菜生活100☆


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出演している女の子が、人気のあるアイドルグループ出身ということで、その方面からもかなり騒がれているようだが、まさきつねが魅かれたのは流れている楽曲の方だ。
歌は日本人なら大概、子どものころの夏休みの思い出とともに懐かしく思い出す『ラジオ体操の歌』、しかしヴォーカルは、作曲者でもあり本家本元の藤山一郎さんによる正調ではなく、少しだみ声でむせび泣くような独特の節のある、いわばジャズ調のスイングが入った若い男性のものだ。

この迫力はあるが少し蓮っ葉な癖のある歌い方と、体の中から搾り出すような生々しさのある声は、ちょっとがつんと忘れられない印象を、ぼんやりとテレビを観ていた視聴者にも与えるのではないのだろうか。
朝日が昇る映像とともに、飾り気のない人間臭い歌声が、まるで本当に生まれたばかりの、瑞々しいというよりもっと肉感的な朝を連れてきたような、そんな強烈なインパクトをまさきつねは感じた。

歌っているのは知る人ぞ知る、奇妙礼太郎さんという(名前も奇妙だ)大阪で大所帯の歌謡スイングバンドを率いて、年間200本ものライヴ・ステージをこなしておられるヴォーカリストだが、まさきつねは数年前からようつべで彼の歌う映像を何度か見たことがあり、そのお名前だけは知っていた。

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けっしてスマートでも端正でも流麗でもなく、格好良く完璧に作り上げられてもいないが、ただ純粋に弾け、爆発し、泣いて笑って、時には激しく怒る人間の生き生きとした感情が、何のごまかしもなくそのメロディーとリズムから、ストレートに伝わってくる。失敗することも、間違うことも、脱線することも厭わない、タフネスに生きる人間に流れる血の温かさが。その臭味や色気とともに感じられる音楽なのである。

彼のインタビュー記事があるので、それを転載させていただき、その人となりと背景を知っていただけたらと思う。


*****

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◇エモーショナルな歌声で心を揺さぶる大阪のソウルマン Time Out Tokyo (タイムアウト東京)

真っすぐな歌声と歌詞がジワリジワリと話題となり、全国区の人気を集めつつある奇妙礼太郎。このたびリリースされたファーストアルバム『GOLDEN TIME』は、ソロおよび彼が率いる奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の演奏をそれぞれに収めた2枚組。“君が誰かの彼女になりくさっても”や“機嫌なおしておくれよ”といった代表曲も収録した話題作だ。そんな彼にメールインタビューを試みた。

─ 生まれ・育ちも大阪ですか?また、子供のころ育った街はどんな場所でしたか?
奇妙礼太郎:大阪で、大人の男はみんな機械の油と汗にまみれて働いている町でした。みんな毎日笑ってたし泣いてた。



─ 子供のころはどんな音楽を聴いてました?
奇妙礼太郎:音楽番組とかアニメのテーマソングぐらいかな。「かぼちゃワイン」とか「うる星やつら」とか。ちょっとエッチな感じが。



─ はじめて手にした楽器はなんでしたか?
奇妙礼太郎:教材のリコーダーです。ヘタ過ぎてうんざりしました。

─ 現在の奇妙さんの音楽世界を形成するうえでルーツとなったアーティストがいれば教えてください。また、そのアーティストのどういう部分に惹かれたのでしょうか。
奇妙礼太郎:たとえばサム・クックとかもそうですけど、説明不要なところです。音出した瞬間からもう完璧に圧倒される。問答無用。そういうとこです。

─ 
奇妙礼太郎という名前を名乗り出したのはいつごろから?また、その名前の由来は……いつもインタビューで聞かれるでしょうから、こう質問したいと思います。「名前の由来を尋ねられるのはあんまりいい気分がしないんじゃないですか?」
奇妙礼太郎:この名前を名乗り出したのは10年ぐらい前からかな。いい気がしないというより、気の利いた答えがなくてわるいなと。あったら教えてほしい。

初めて本格的にスタートさせたバンドとなるとアニメーションズになるのでしょうか?

─ このバンドがめざしていたものとはどのようなものだったのでしょうか。
奇妙礼太郎:そうですね。大好きなリトル・リチャードを日本語でパンクロックでやりたかったんです。

─ 
奇妙礼太郎トラベルスイング楽団が結成されたのは2007年末だったそうですが、どのような経緯で結成されたのでしょうか。
奇妙礼太郎:なんとなくはじまって、いまもなんとなくやっています。

─ 
このバンドは10人以上のメンバーを抱える大所帯バンドですが、大所帯を維持するうえで大変な面はありますか?
奇妙礼太郎:大変なことはなにもなくて、維持するつもりもないので気楽です。一緒に遊ぶ時間作っておいでよと思うし、楽しく歩いてたら、楽しそうな足あとができている。

─ 
しゃかりきコロンブスの“君が誰かの彼女になりくさっても”をカバーすることになったきっかけを教えてください。

奇妙礼太郎:いい曲だなあと思って、(メンバーの)サンデーカミデさんに訊いたら「ぜんぜんOK~」と言うてくれたのです。最高にうれしいことです。

─ 東京においてはクボタタケシさんやDJ YOGURTさんのようなDJが奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の紹介役になったところがあります。そのことに関してはどうお考えですか?
奇妙礼太郎:最高のDJにプレイしてもらうのは、もちろん最高にうれしいことです。



─ 今回のアルバム『GOLDEN TIME』がソロ/トラベルスイング楽団という名義を変えた2枚組になった理由を教えてください。
奇妙礼太郎:これは(プロデューサーの)井出さんのアイデアで、おもしろいな~と思って乗っかりました。

─ 
レコーディングにあたって気を使ったところ、大事にしたポイントがあれば。
奇妙礼太郎:ん~、楽しんでたらあっという間に終わっちゃいました。



─ 奇妙さんが音楽を通して伝えたいこととは?
奇妙礼太郎:それはまさしく愛です。

***************


あえて語るが、CMで奇妙さんが歌う『ラジオ体操の歌』を、楽譜通りに正確に歌わないアレンジとか、元歌が台なしとかという理由で、否定的に嫌う方もおられることと思う。
それは個人の好みだから致し方ない。
けれど表現という側面からとらえれば、奇妙さんとその楽団の音楽は、これほどパワフルで人生そのものを味わい深く描いてくれる感動的な作品はないと思う。

バレエの芸術論の中でジャン=ギヨーム・バールも言っていたが、厳密に規律を守ろうとする一方で損なわれる表現ほど、芸術にとって本末転倒なものはないのだ。芸術はあくまでも人間が創造する作品であり、良くも悪くも人間の一部だ。
人間の魂が感じられない表現は、たとえそれがお手本や規律通りにとてもよく出来た優秀なものだったとしても、所詮何かの模造品(レプリカ)のようなものに過ぎない。

退屈でつまらない、駄作でしかないということになる。

人間の魂が生で感じられる作品は、鑑賞する人間の魂をまるで素手でつかんで、ぎゅうっと握りしめてくるような強さを感じさせる。つかみ取られた魂の一部は、そこがいつまでも焼けてくすぶるように、熱い。その熱さが、人間が生きる情熱で、新しく訪れる朝をまだかまだかと待ちわびさせてくれるのだ。

芸術を知る感性とはそういうものだと思う。


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奇妙礼太郎さんの動画もふたつご紹介。

☆奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 / わるいひと☆

☆奇妙礼太郎『SWEET MEMORIES』☆


ほかに以下のようなCMでもご活躍のようなので、ぜひ見かけたら、ご注目を。

2012 明治製菓ファルマ企業 TVCM
2012 学研教室 夏期講習 TVCM
2012 サントリー 秋楽 TVCM
2013 リクルート じゃらん TVCM
2013 カゴメ 野菜生活100 TVCM

☆じゃらんのにゃらん TV未公開「またたびへの巻」旅ねこ 師匠と弟子 猫CM ☆


『SWEET MEMORIES』の下手くそな口笛もおかしみがあってまた好し、崩れかけたような音程が飄々とした味を生み、そのくせどこか忌野清志郎を思い出させる、切なく涙も涸れ果てたようなしわがれた声が、旋律に悲しさを帯びさせるのだ。

一方でリクルートの旅猫との共演もまた、肩の力が抜けていて、洒脱なおとぼけ感があり、奇妙さんの声の揺れ具合が「じゃらん」という言葉にあっているような気がする。
パワーで押しても、にゃらんと引いても、いずれにしても温かみのある、血の通った人間の声だと思うのだ。

(ちなみに猫の声にも個性があって、日本の猫は大体鈴が鳴るようなきれいな声という風に世界的にはとらえられているそうだ。猫が日本文学で最初に登場したのは弘仁年間(八一〇から八二四年)に成立した我が国最古の仏教説話集『日本霊異記』ということだが、猫の鳴き声がオノマトペとして出てきたのは『源氏物語』だったかなと思う。

「明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひ給ふ。人気(ひとげ)遠かりし心も、いとよく馴れて、ともすれば、衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦(むつ)るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたく眺めて、端近く寄り臥し給へるに、来て、『ねう、ねう』と、いとらうたげに鳴けば、かき撫でて、『うたても、すすむかな』と、ほほ笑まる。」
(紫式部『源氏物語』若菜下)

実際にどんな鳴き声だったか知らないけれど、今も昔も日本の猫はさほど差はなく、「みゃあ」か「にゃおん」か、鈴のような澄んだ音まではいかないにせよ、甘えたような可愛い声だったろうと思う。
ところが、まさきつねのパートナーである三毛猫は仔猫の時からなぜかあまり声が出ず、口だけは開けるが、かろうじて「ぁああ」とかすれた鳴き音をもらす。本人(本猫?)はちゃんとほかの猫と同じように「にゃあ」と鳴いているつもりなのだろうが、どう聞いても蛙がひき潰されたような、壊れた楽器のような声だ。
CMの旅猫にゃらんは多分とてもきれいな声で鳴くのだろう。
きれいな甘い猫の鳴き声は、それはそれで猫好きには愛おしかろうけれど、まさきつねは手前味噌は承知で言うが、我が家の三毛猫のつぶれ蛙のような鳴き声がどうにも可愛くてたまらない。)


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◇◇◇◇◇


さて、朝つながりで冒頭に掲げたロバート・ブラウニングの詩について、最後に語っておこう。

上田敏の訳で非常に有名な詩ではあるが、元々は彼の代表作である劇詩『ピッパが通る、ピッパ過ぎゆく』(Pippa Passes1841年) の中の一節『ピッパの歌』(Pippa's Song)を指すものだ。この翻訳はクォリティ出版から松浦美智子さん訳で出版されているが、話の外枠は、イタリア、ヴェネト州アーゾロの紡績工場で女工として働く純朴な少女ピッパが、元旦の日、年に一度のお休みを満喫しながら街の中を歌い歩くという他愛のないものである。

ピッパは休みが嬉しくて、一日中散歩を楽しんでいるだけだが、一方で彼女の歩く周りでは、彼女がひそかに「アーゾロの幸せな四人の人たち」と呼んでいる、さまざまなごたごたを抱えた街の住人が右往左往する。

ブラウニングの詩の翻訳者、富士川義之さんの脚注によると、「第1部の朝の場面の主題となる歌。可憐な少女ピパが年に一度の休暇である元日の朝に、丘の上の邸宅の前で歌う無心の歌。邸内では前夜、主人のルカが妻オティマとその愛人ゼーバルトによって殺害されていた。ピパの歌を聞いたゼーバルトは強い良心の呵責にせめられて自害し、オティマもまた男の冥福を祈りながら彼のあとを追う。最後の2行はピパの無心さを表わしており、従来しばしば指摘されてきたブラウニングの楽天主義的な人生観自体のストレートな表明ではないとする解釈が近年では有力。劇中歌としても読むべきである」という解説がある。

オティマとゼーバルト以外の人々も、ピッパの無邪気な歌声にこころを動かされ、それぞれの問題に対処するが、そんなことはつゆ知らずピッパは休日を楽しみ、「慎ましく隙間風の入る部屋」の我が家に帰宅すると、上田敏の「春の朝」に当たる部分を歌って、満足した一日の感謝を神に捧げる。

屈託のないピッパにとっては「こともなし」世の中だが、胡散臭い悶着の最中にある人間にとっては「ことばかり」の世間である。だからこそ、ピッパの歌の鄙びた素朴な歌詞は一種のアイロニーとして、世の喧騒を皮肉るように響き渡るのだ。

『赤毛のアン』の最後を締めくくる「神は天にいまし、すべて世は事もなし」というアンの言葉がこの詩から引用されているのは有名な話だが、アガサ・クリスティの「ABC殺人事件」、ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」、そしてエラリー・クイーン『チャイナ・オレンジの秘密』といった英語圏の推理小説ではお馴染みといってよいほど、事件の裏に顔を出す詩句でもある。

まさきつねは萩尾望都さんの『ポーの一族』の中の一話『小鳥の巣』の中で、ギムナジウムの学園祭に学生がこの詩を朗読するというシーンが印象的でよく覚えているが、もっと最近では、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の中で、特務機関ネルフのシンボルマークとして、原罪の意味を表す無花果の葉とともに「God is in the heaven. All right with the world」が使用されていたから、日本でもサブ・カルチャーに親しむ人たちには、結構キリスト教教義の象徴のように知られた文節かも知れない。

この世のすべては神のみこころのままに、そのお導きを信じようという前向きな姿勢と、平穏な日々を祝福する穏やかな思いが滲んでいながら、その裏でどうしようもなく人間たちは騒がしい明け暮れに追われ、傷ましくも罪を重ね、過ちを悔いて生きていかなくてはならぬのである。


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◇◇◇◇◇


ところで、あまり何度も引き合いに出すのもとは思っているのだが、例のスルヤ・ボナリー選手、まさきつねは決して彼女の表彰台拒否やバック・フリップなど、一般良識のマナーやルールに反して、いくつかの問題を引き起こした態度や演技を肯定している訳ではない。

だが、彼女を最終的にあのような孤立無援の状況に追いつめた背景を、いくらかでも理解することはできる。
ボナリー選手がただいきなり独りよがりに、子供じみた我欲だけで周囲を巻き込む身勝手な行動に出たわけではないと、ある程度はそうなるまでの彼女の立場や状況、感情といったものを憫察することはできるのだ。

勿論まさきつねが勝手に思うことだけで、どこまでがボナリー選手の真情に近いのかどうかは分からないが、それでもこの世にすべてが悪のものもなく、逆に善ばかりのものもないとするなら、やはり人はそれぞれのどうしようもない過去も、犯してしまった間違いも、その悔いや反省とともに受け入れるべきなのだと思う。

長野五輪のフリー演技で彼女は、1994年世界選手権で佐藤有香選手に敗れたときと同じ、ヴィヴァルディの『四季』を選曲し、そして往年の彼女の滑りにはとても追いつかない、連続するミスの果てに、バック・フリップの披露で競技人生の幕を下ろした。

ボナリー選手のパワーとアクロバティックなジャンプ技術で押し切るエネルギッシュな演技には、正調のクラシック音楽はかえってマイナスだったのではと思うのだが、表現力や芸術性で点が稼げない分、古典的な曲調で優雅な流麗さを補完しようという狙いがあったのだろうか。いずれにしてもそれは裏目の結果にしかならず、『四季』は二度にわたって、彼女に辛い憂き目をもたらした。

皮肉にも長野五輪の演技解説を担当していたのがすでにプロに転向していた佐藤選手で、演技終盤にボナリー選手が禁じ手のバックフリップをした直後、「うーん、これは…」と当惑するNHKアナウンサーに続けて「今のは…、競技会ではやってはいけない…」と彼女が苦笑交じりに答えていたのが印象的だった。

キス&クライで採点を待つ間、アナウンサーがしきりに、競技会の規定の中で闘ってほしかったと佐藤選手のコメントを求めるかのような私見を述べて発言を促していたが、ついに佐藤選手は沈黙を破ることなく、ボナリー選手の八位という順位が出てもそれ以上、何も語らなかった。

当時、佐藤選手の脳裏に、あのヴィヴァルディの『四季』の旋律とともに、どれほど四年前の世界選手権での光景が蘇っていたのかどうか知るすべはないが、バックフリップが競技会の禁止技だということを述べたきり、ボナリー選手については最後まで非難するような言葉を一切口にしなかった彼女に、まさきつねはその人格者としての懐の深さ、同じ競技を同じリンクで闘ってきた選手同士のつながりの強さ、寛容の美しさを見る。

一方、長野五輪で演技後のボナリー選手は、キス&クライでも終始笑顔で、その晴れやかさは積年の鬱屈に報復したというよりも、あらゆる規制から解かれて自分の持てる力すべてを出し尽くした表現者の歓びにあふれていたと感じられたのだが、無論この両者に対する感想はともにまさきつねの勝手な想像にすぎない。

だからそもそも、まさきつねの文章が笑止と思われる方々もおられると知りつつ、あえて述べるのだけれども。

いつも、どんな時代でも、ひとは誰しも多かれ少なかれ胸に鬱積した悩み、苦しみ、不満を抱え、それからいつか逃れたい、自由になりたいと悪戦苦闘して一日が過ぎる。

それでも深い闇の夜が明けて、また次の新しい朝がやってくるなら、縮こまっていた体をもう一度いっぱいに広げて、手足を伸ばして、次の挑戦に立ち向かうことも出来るだろう。

艱難辛苦、すべてが神の御業と思えるほどまさきつねは信心深くはないが、春の花咲くなだらかな丘に雲雀が高く舞い上がり、美しい声で歌い、かたつむりが朝露に濡れた葉の上に白い筋を刻む、そんな清々しい朝がやってくるのなら、久しぶりに早起きでもして、子どもの時分は大嫌いだったラジオ体操でもやってみるかと、あまりに奇特で雹でも降りそうな考えも浮かんでくるのである。


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…しかして、まさきつねのラジオ体操などとてもお見せできる画像ではないので、例によって、浅田選手の公式練習画像とラジオ体操MAD映像で記事を締めくくる。

動画はとても可愛いので、ご一緒にラジオ体操をどうぞ。

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☆Radio calisthenics(Mao Asada)☆


新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三

新しい空のもと 輝く緑
さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ
ラジオとともに 健やかな手足
この広い土に伸ばせよ
それ 一 二 三
(藤浦洸『ラジオ体操の歌』)

☆ラジオ体操の歌 藤山一郎 ☆
…ちなみに正調の歌も好いものですよ。

☆GANTZ あーた~らし~いあ~さがきた☆
(…これは不気味なんだけれどニャ。)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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Comment

kaka says... ""
まさきつね様、こんにちは。

ラジオ体操の歌を使ったCM、いいですよね。
『希望の浅田(朝だ)』というところも気に入っています。
ちょっと胸が熱くなります。

ありがとうございました!
2013.04.28 11:11 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "希望"
kakaさま

ご訪問うれしいです。

凄い発見ですね!
『希望の浅田(朝だ)』というのは、びっくりしました。そう聞こえるというか、そうしか聞こえなくなるというか…(笑)。

こちらこそ、ありがとうございました。
2013.04.28 12:00 | URL | #- [edit]
あちゆた says... "はじめまして"
いつも美しい文章で記事をアップして下さって
ありがとうございます。

初めてコメントさせていただくのに
記事のテーマを少しずれていて申し訳ありません。

冒頭のブラウニングの詩。
というか、記事のタイトルを拝見して
速攻で『小鳥の巣』を連想しました。

『赤毛のアン』での引用も
もちろん大好きで知っていましたが
やはりイサイが朗読しているシーンが
強く印象に残っております。

まさきつね様も『小鳥の巣』が印象的であったと
記していらっしゃるので
つい嬉しくなりお邪魔させていただきました。

色々な思惑が複雑になりすぎているフィギュア界ですが
まさきつね様の的確な指摘と分析、
そして何といっても美しい文章そのものに
毎回心を浄化されております。

ありがとうございました。
2013.04.28 17:18 | URL | #H2bJx2BE [edit]
まさきつね says... "それぞれ引っかかるところで"
あちゆたさま

初めまして。ご訪問うれしいです。
記事のテーマにこだわられなくても、全然かまいませんよ。まさきつねの記事もあっちこっち脱線ばかりしていますが、美しいものや面白いものは多面的なものですから、皆さまがそれぞれ引っかかるところで楽しんでいただけたらうれしいです。

『小鳥の巣』は作品としても衝撃的でしたが、いくつもインパクトのあるシーンがあって、語りつくせませんね。まさきつねはほかにも、エドガーとグロフ先生が深夜盗まれた時計の話をする場面が頭に残っています。お互いに失ってしまった妹や娘を想ってお茶を飲む、その夜の冷気や風に揺れる木々の音など、抱えた孤独の悲しさがこんな風に絵として表現できるのかと感動したものでした。

美しいもの、感動するものはジャンルを問わず、いろいろな創造物の中にありますね。

だからこの世界は素晴らしいのでしょうね。
2013.04.28 20:29 | URL | #- [edit]

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