月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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葡萄の悲しみを喜びに

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葡萄に種子があるように
私の胸に悲しみがある

青い葡萄が
酒に成るように
私の胸の悲しみよ
喜びに成れ
(高見順『葡萄に種子があるように』)

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久しぶりにNHKの教育番組『新日曜美術館』を観た。

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美術作品や芸術家を特集するこの手の紹介番組は、司会だのコメンテーターだのの言葉がかったるく感じたり、時に的外れだったり、煩わしいことが多く途中で観るのが嫌になる場合があるので、めったにチャンネルを合わせることがないのだが、今回はテーマが伊藤若冲を始めとするプライス・コレクション、しかも司会が最近、まさきつねのフェイヴァリット俳優の井浦新さんに代わったというので、興味をそそられたのである。

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画家の伊藤若冲についても、その著名なコレクターであるジョー・プライスさんについても、今まで何度もテレビは無論さまざまなメディアで取り上げられているから、そんなに目新しい情報はないが、このたびは、東北大震災の惨状に心を痛めたプライスご夫妻が被災した三県の博物館・美術館で、2006年から2007年にかけて東京国立博物館を皮切りに京都・福岡・名古屋を巡回した『プライス・コレクション展』の再公開に踏み切られたという経緯らしい。

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伊藤若冲『【紫陽花双鶏図】アジサイの花と二羽のニワトリ』

東日本大震災復興支援特別展
『若冲が来てくれました―プライスコレクション 江戸絵画の美と生命』
<仙台展> 仙台市博物館 3月1日~5月6日まで
<岩手展> 岩手県立美術館 5月18日~7月15日まで
<福島展> 福島県立美術館 7月27日~9月23日まで


当初は『鳥獣花木図屏風』一点を出品という構想が、主催の新聞社から30点、美術館から50点、博物館からは100点と要請が増え、結局、宮内庁三の丸尚蔵館を始め、国内の公私美術館数館から賛助出品が相次ぎ、2006年の展覧会106点に迫る100点の展示内容にまで膨らんだそうだ。

夫妻は被災でトラウマを抱えた子どもたちに心を痛め、「子どもと動物」をテーマに掲げたいと提案され、最終的に「美」と「生命力」を主要テーマとしてそれが子どもたちにも伝わりやすいよう作品タイトルと解説文を工夫、情緒的・詩的・歴史的な背景をやさしく説明したキャプションが好評のようだ。

展覧会は高校生以下が無料で、元々あまり名品揃いの有力な展覧会が巡回することがないと一種の疎外感を感じていたらしい東北の人たちには、若冲をはじめとする生命力にあふれた色鮮やかな江戸絵画の世界が新鮮で目新しく、被災した人々のこころを少しでも勇気づけられればという夫妻の気持ちが充分に伝わっている企画の実現となったのは、関係者にはうれしいことだろう。

新日曜美術館の「東北に届け 生命の美~アメリカ人コレクター 復興への願い~」(これはあんまりセンスのないタイトルだニャ)は、ジョー・プライスさんが石油パイプライン建設の会社を経営する父親の資産を受け継いで、現在あるコレクションを形成するまでの背景から、彼が今回の展覧会に関して感じたことをその生の声で伝えていた。

父の事業を受け継ぐべくエンジニアとして大学で機械工学を専攻して卒業するまでは、全く美術に関心がなかった彼に、アートを見る眼を開かせたのは、二十四歳の時に骨董店で会った一枚の葡萄の水墨画だったという。
絵師の名前もその来歴も知らず、その作品に一目ぼれした彼は、これを発端に江戸絵画有数のコレクターになったのだ。

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伊藤若冲『【葡萄図】ブドウの木』


この葡萄の絵が伊藤若冲で、日本ではほとんど顧みられることなく海外に持ち出されていたその代表作の数々が、それからプライスさんのもとへ集結していくきっかけになった。

プライスさんの審美眼の確かさは、美術史家の山下祐二さんも番組の中で高く評価していたが、日本の中にいると、どうしても平安時代の絵巻物などに代表されるいわゆる王朝美術の流れと、もう一つは桃山時代の狩野永徳とか長谷川等伯といった戦国武将の金に飽かせた豪華絢爛の美術品といったものに目を奪われがちで、江戸の絵画は時代も下って、評価も低くみられがちになる。
ところが、アメリカにいて、予備知識もなく素直な審美眼で鑑賞したら、若冲、蕭白、芦雪、応挙といった絵師たちが名を連ねる時代の凄さを何のこだわりもなく発見できるということなのだろう。

芸術の評価には豊富な知識や経験が必要だと、ど素人の意見は邪魔とばかりに排除したがる似非知識人も世の中には多いが、本来芸術の鑑賞に、名前や肩書も必要なければ、余分な知識や情報も無用ということである。

美しいものは美しい。それでいいと、プライスさんは考えるのだろう。

絵を買うときには、絵師の名前さえ聞かず自分が好いと思ったものを買うと彼は言う。
その眼が、若冲を始め、埋もれていた江戸の絵師たちの名品を発掘したのだ。

江戸後期から明治、大正と、日本で評価されることなく、海外にみすみす流出してしまった日本美術の逸品は数多い。浮世絵、水墨画、そして陶器や蒔絵、漆器など、海外の人々は自分たちの持ち得なかった、東洋独自の美意識と色彩感に純粋に反応する。
実際、日本独自の島国ならではの風土は世界のどの国にもない四季折々の自然に恵まれ、シーボルトも折り紙つきだが、日本人が気づかない植物や生物、絵画でいうところの花鳥草木の美しさは世界中どこを探しても比ではないのだ。

プライスさんはまた、電気等の近代文明の入らない江戸時代の、日本人の生活様式にも着目して、同時代の灯明の光の下で鑑賞する作品の美しさを賛美する。

江戸期は文学においても怪奇・伝奇ものが流行り、薄暗い灯りの中で語られる妖怪や幽霊などが出てくる怪談はさぞかし恐ろしく、また魅力的だっただろうと思うが、暗がりの中に浮かぶ水墨画や屏風絵もまた、身の毛のよだつような怖さをひそめた美しさに充ちていただろうと思う。

番組の中でも照明を落とした展示室で、作品を灯火のもとで鑑賞する試みがなされていたが、金箔が反射してそれまでにない奥行きが生まれたり、絵具の色鮮やかな色彩が闇に包まれてまた別の階層を持って現れたり、昼日中の鑑賞とは違う蠱惑的な世界を展開するのが興味深かった。

プライスさんは、美術館に照度を極端に落とした展示を提案したこともあるそうだが、画面がよく見えないという理由ではねつけられたと、苦笑気味に話しておられた。
画面が見えにくければ、ひとは熱心にその作品の奥深くを探して、美術品に長時間対峙し続けるだろう。
ろくすっぽ作品を観もしないで展示室を去る来館者が多いと嘆く美術館関係者をちょっと揶揄するように、鑑賞時間を長くするにはもってこいの方法なのにと、プライスさんが少し残念そうに語っているのが印象的だった。

(確かに研究者にとっては、細部がはっきり見えないのは困るだろうが、鑑賞を楽しむ人間にはむしろ、その作品を見るという行為をいかに満喫するかが重要なのだから、照明や展示方法にもう少しいろいろな工夫があっても好いのかもしれないと、まさきつねも思う。

昨今の美術館・博物館は軒並みどこを訪れても、学校同様に鑑賞者が学習する場であるかのように堅苦しく、セオリー通りの生真面目な展示や解説ばかりで、肩が凝っていけない。
作品の展示順番にしても、ほとんどが年代別だの、派生や流派別だのと、博物館や美術館に行ったら社会や歴史・美術史のお勉強をしろと言わんばかりだ。

確かにそういった一面も必要なのかも知れないが、東京のように年間多くの展覧会が開催される中なら、舞台演出のように照明や展示に実験的な工夫を凝らして、プライスさんが仰るようなその作品が作られた当時の鑑賞法を再現してみるのも一興というものだろう。

この点で、この三月東京丸の内に開館したばかりの東京大学総合研究所によるJPタワー学術文化ミュージアムは、既存の博物館とは一線を画していると言えるのかも知れない。
こちらの詳細情報については別の機会に譲るが、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館の協働運営になる公共施設という、あいかわらずお堅い母体でありながら、それを飛び出したいわゆる「未知との遭遇」を体感する場としての博物館運営を模索している姿勢が何とも斬新である。)

話を新日曜美術館の番組内容に戻すが、後半のプライスさん自身による言葉が、いかにも美術や江戸絵画を心から愛する気持ちを伝えてきて、昨今の資産投資だの税金対策だので自分の好き嫌いに関係なく、やみくもに名前の通った芸術家の作品ばかりをオークションで買い漁っている成金コレクターとの違いを感じさせた。

コレクションの発端となった若冲の葡萄の絵について、「これほどさまざまな葡萄の様子を描きながら、それを支える葡萄棚を若冲は描いていない。だから決して写実的な絵ではないのにこの絵を眺めていると、これほど葡萄らしい絵はないと気づく。それは若冲の絵が、自然の本質を捉えているからだと思う」と、プライスさんは語っている。

江戸の絵師たちが、自然の本質を強くとらえているからこそ、描かれた絵画から生命の力が伝わってくるのだと、彼は絵を創造した人間の自然を描写する才能を評価する。
目に見えない自然の力を感じとり、それを目に見える作品に表す、それが絵師の感性であり力なのだ。

また、プライスさん自身の絵を見る基準、その審美眼の根幹に触れるような話も面白い。
彼は「絵を見る時、最初に確認するのは不必要な筆遣いがないかどうか」確認するという。
「絵師たちは余計なものを取り除き、対象の本質だけを残そうとする」ので、画布に残されるのは選ばれた線と必要な形だけだ。「限りなくシンプルでありながら描いてあるものよりも多くの事を感じさせてくれ」る日本画の要素を、プライスさんはこよなく愛しているという。

おそらく、多くのすぐれた芸術が同様なのだと思うが、対象の本質に迫るには、いかに余分なものを削ぎ落とし、大事なものだけを浮き彫りにするかその選択が課題になるのである。

ダンスやフィギュアの身体芸術も例外ではない。音楽やテーマを表現するのは、積み重ねられた練習の中で表現者がつかみ取っただひとつの動き、この上なく均整のとれた美しい姿勢だ。
それ以上に雄弁な表現力はない。
そしてそれを見て、感じとる鑑賞者の側だって、表現者と同じようにシンプルで、純粋であればいいのだ。

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プライス夫人の悦子さんが『新美術新聞』のインタビューで答えた言葉も、示唆に富んでいる。

「(ジョーが)初めて作品を購入したのは若冲の『葡萄図』で、24歳の時です。同じように、頭で考えないで目で見て欲しい。見た後に頭で考えてもらえればいい。子どもや若い人たちには、無垢な目と気持で作品を楽しんでいただきたいと思います。」

そしてご夫妻の目に映った東北の被災地も、死の色彩に囲まれて辛い日々を過ごされた人々の悲しみに充ち、先人が美術品の上に残した生命の力による励ましと甦生が必要と感じさせる暗さに覆われていたのだろう。

番組は最後にプライスさんの「この会場で出会った人が、震災後の十日間の苦しい体験を語ってくれました。最も悲しくて、寒くて暗い日々だったそうです。全てが茶色に染まり、世界から色が消えたようだったと話してくれました。私は、命を色でとらえたことがありませんでしたが、その話を聞いて初めて色の価値が理解できたように思います。」という言葉で締めくくり、今回の展覧会が開催されたことの本質的な意味、さらに、美術品が根源として持つ慰霊と復活の力にそれとなく触れておられたのが胸に残った。

確かに、夫妻が愛する美術品によって、その故郷である国の復興と再生へ何かの手助けにと企画された美術展の意義は大きい。

それが誰も疑うべくもない、伊藤若冲のほか、円山応挙、長沢芦雪、酒井抱一、鈴木其一といった、時に可笑しみやユーモラスも交えて生きることの美しさ、楽しさを伝える、誰もが親しみやすい本物の絵画となれば、尚更ということだろう。

『若冲が来てくれました』という展覧会名もなかなか洒落ていると思うが、『鳥獣花木図屏風』は『花も木も動物もみんな生きている』、『百福図』は『「おたふく」がいっぱい』、『達磨遊女異装図』は『「だるま」さんと〈ゆうじょ〉さんが着物をとりかえっこ』など、作品に付けられたタイトルも遊びとユーモアに富んでいて、子供向けということでなくても工夫が効いていて面白いと思う。

もともと絵画に決まったタイトルがある訳ではないのだから、前述の展示や照明同様、無理に堅苦しく学術的にしなくてはならない決まりはないのだ。
表現者が何の規定にもとらわれることなく、自由にその心を羽ばたかせて好いように、鑑賞する側も知識だ教養だ経験だと口幅ったい難癖を付けられることなく、自由にその想像力を解放していいのだと思う。


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伊藤若冲『【鳥獣花木図屏風】花も木も動物もみんな生きている』

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伊藤若冲『【虎図】あしをなめるトラ』

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伊藤若冲『【雪芦鴛鴦図】雪のつもったアシとオシドリ』

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長沢芦雪『【白象黒牛図屏風】白いゾウと黒いウシ』

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雅熙『【百福図】「おたふく」がいっぱい』

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竹田 春信『【達磨遊女異装図】「だるま」さんと〈ゆうじょ〉さんが着物をとりかえっこ』

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酒井抱一『【十二か月花鳥図】十二ヶ月の花々と鳥たち』

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鈴木其一『【貝図】貝とウメの実』

◇◇◇◇◇


最後にとってつけたような話題ではあるが、プリンスアイスワールドのショーに出演した浅田選手について。

アイスショーの前に、伊藤ハムが主催したイベントにサプライズ参加した話題とともに、報道やたくさんのブログがすでに充分な情報をネットに上げていたので、今更特にお伝えすることはないのだけれど、引退報道だ何だと世間が如何ように取沙汰しようと、老若男女あわせてこれほど多くの人々から愛され、待ちわびて歓迎される国民的スターはいないだろう。
どんなアイドルもかなわない、衝撃的なオーラだ。

伊藤ハムのイベントに来ていた子どもたちも彼女にサプライズで登場してもらって、さぞかし驚いたと同時に楽しいひと時を満喫できたことだろう。

彼女が発散する光、その美と生命力が本物であるからこそ、ひとは本物の美術品と接するのと同様の衝撃を受け、その魅力に勇気づけられるのだ。

日本は美術品もそうだが、もっと自国にある美しいもの、世界中どこよりもはるかに素晴らしいものの価値をしっかり見極める眼を養わなくては駄目なのだと思う。
必要なのは知識でも無駄に多い情報でも、徒に増えた経験でもない。純粋なものを純粋に見つめる、子どもの無垢な眼があればそれでいいのだ。


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ところでプリンスアイスワールドは、小塚選手の(ナイスな?)一言で久しぶりに『バラード一番』がアリーナに回帰した。
『バラード一番』に限らず、過去の素晴らしいプログラムはまた何度でもアイス・ショーで復活して欲しいものだ。

滑りが磨かれ、、円熟味を増した彼女の演技が見せる内容は、また違う魅力を伴っているだろう。

そして美しいものを純粋に愛でる眼は、浅田選手の黒い飾り気のない衣装の向こうに、音楽の旋律から技巧を尽くしたコレオで音の色をすくい取る豊かな表現、表現からこぼれる美の欠片、欠片の中にきらめく生命の光を見出すだろう。


プライスさんは、空に向かって這いのぼる葡萄や葡萄蔓の生命力を生き生きと表現するために、若冲はあえて葡萄棚を描かなかった、そこに画家の写実ではなく、自然の真実をとらえようとする姿勢があると感じておられた。

目に見えるもの、ありのままのものだけがこの世のすべてではなく、またそれだけが真実ではない。

葡萄の実の中に種子があり、ひとのこころには悲しみがあり、誰もがいい知れぬ孤独をかかえている。だが、目に見えないものが、そのこころが、ひとの生命に価値を与え、ひとの生に輝きをもたらすのだ。

ひとは目に見えない葡萄棚のような、多くの人々の力に支えられ、自らの生を生き、孤独な存在同士が寄り添って、悲しみを生きる喜びに醗酵させていくのだ。

浅田選手を始めフィギュアの選手たちがアイス・ショーやいろいろなイベントで、多くの人や子どもたちと交流し、その時間を分けあうのは、ひとがそれぞれに胸にしまっている思いがひとつの場所で交じりあって化学反応を起こし、たった一つの喜びよりももっと大きな楽しみに、ひとりの願いよりも多くのひとの祈りに変わっていくことを知っているからだろう。


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(…この服、最近あちこちでお召しなのだけど、お気に入りなのかニャ?)


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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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Comment

オレンジ says... "お久しぶりです!"
 またブログを拝読することができて、本当に本当に嬉しいです!!
こうしてコメントを打っていても、興奮して前足の肉球が震えます!?(猫かっ!?)

あの、なんともやるせない世選の前までは、ちょこちょこと覗きにきては更新がないのを
確認し、またすごすごと戻っていく・・・ということを繰り返しておりました。
まさきつね様にはそれなりの事情がおありになる。それを頭で理解してはいても、大切な
友人を失ったような寂しさは消えることがありませんでした。(勝手なことを言って申し訳 
ありません)
そして浅田選手の引退発言とやらが大々的に取り上げられ、心にぽっかりと開いた穴が
益々大きくなったような悲しみに襲われてしまいました。

でも今、こうしてまさきつね様は戻ってきて下さいました!
そして浅田選手もこうして笑顔を見せてくれています。
だからもういいのです。

巷では木香バラが咲き誇っています。
私がこの花の名前を知ったのは、こちらのブログででした。小さな黄色の花が、光を集めて
溢れるように咲きこぼれる姿を見たときに、もう一度まさきつね様のブログに伺い、更新がされてなくても、コメントを残していこう・・・そう決めて昨日こちらを久々に訪問してみたら、皆様とっくに同じ考えでいらしたのですね!!!

再開した日を辿り、一晩中読みふけっていたので、今日は少々(激しく?)寝不足です!?
それでも嬉しい疲労ですので、心の中は弾んでいます。
また宜しくお願いしますね。
2013.04.30 17:06 | URL | #aqzl0.Kg [edit]
まさきつね says... "ありがとうございます!"
オレンジさま

ご無沙汰です。ご訪問うれしいです。そして大変ご心配おかけしました。
長い間更新出来ずにおりますと、気が抜けて、ついぼんやりと日を過ごしてしまいました。
(まさきつねも猫並みに怠けものですので…)

世選でこれはやっぱりいかんと思い、花屋さまの一言で何とか奮い立ちました。皆さまからいただくコメントは本当にありがたいものです。
…で、今は一年近く書き溜めていたものをごそごそ集めていた画像とともに整理しては、お蔵出ししております。でもまだまだ、残っているんですよね~。どれだけの期間放っておいたのかと、自分で自分に呆れております。
とりあえずそういう訳で、今は結構な速さで更新していますが、そのうち息切れするかと思います(汗)。どうぞゆっくり、お読みいただいて、またお時間がおありでしたらどの記事でも構いませんので、お心に引っかかったところでコメントくださいね。

まさきつねも懐かしいハンドル・ネームでコメントいただくと、初心に帰った気持ちになります。
勿論、新しい方々からのコメントもうれしいのですが、こうして多くの方々にこのブログも支えられているのだと安心します。

今は春、たくさんの花が咲き誇って、日本は本当に美しい季節を迎えていますね。古いシーズンをこの美しい時期に閉じて、選手たちがソチ五輪へ新しい気持ちで向かうことを願ってやみませんね。
2013.04.30 21:34 | URL | #- [edit]
kero says... "昔のプログラム"
まさきつね様、更新ありがとうございます。
以前ぽつ・ぽつとコメントした以外はずっと読ませていただく一方ですが、的確で多彩な「美」の考察をいつも楽しみにしております。
・・・いや、プレッシャーをかける意図はまるで無いのです。春が来れば花が咲くように、溢れるときは溢れるままに、休息が必要になればそのとおりに、自然に書いていただければ、読む側は充分うれしいのです。

真央選手の思いがけない黒バラ復活。シーズンでこの曲を滑ったときは、まだジャンプ再構築が始まったばかりでしたよね。彼女は今回ショーで滑りながら、当時のことを思い出さずにはいられなかったと思うのです。
イメージどおりにはなかなか飛べなかったジャンプの、言われるようには上げられなかったスピードの、自己流も混じっていたスケート技術の、現在との違い・明らかな進歩を肌で感じられて、自信になったのではないでしょうか。
短いニュース映像を見ながら、そんなことを考えていました。彼女のあと1年弱の挑戦を、目をそらさず見守っていきたいなと思います。
2013.05.02 17:57 | URL | #ZcXVdhGY [edit]
まさきつね says... "挑戦者の新しい日々"
keroさま

ご訪問うれしいです。お気遣いすみません。いただいたお言葉通り、水が流れるように、素直な更新を目指したいと思います。

バラード一番は確かに良くも悪くも思い出のいっぱい詰まったナンバーですよね。あれから一歩一歩、踏みしめてきた日々、その時間の長さが彼女の自信になっていると良いですね。彼女には消えることのない冒険心があります。それがファンの目を逸らさせない、輝きになっていますね。

挑戦者の新しい日々を楽しみに見守りたいですね。
2013.05.03 18:34 | URL | #- [edit]

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