月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

提灯と山百合とふわふわマオと

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汝ら、羊飼いよ、私に語ってよ。「僕のフローラがここを通るのを見ましたか」
その花で花飾りの輪を作って、牧歌の中に歌われる美しい女王にふさわしい冠にして。
羊飼いよ、私に語ってよ。「僕のフローラがここを通るのを見ましたか」
彼女の髪を飾る花飾りの輪、カーネーション、リリー、リリー、ローズ。
そして彼女の手一杯に、彼女の吐息を甘くするカーネーション、リリー、リリー、ローズ。
羊飼いよ、私に語ってよ。「僕のフローラがここを通るのを見ましたか」
うるわしの花輪は彼女の髪を飾る冠、それは彼女の真実、その手は百合のごとく白く、唇と頬は薔薇のごとく赤くと、その美しさを伝えてよ。
Ye shepherds tell me have you seen my Flora pass this way? a wreath around her head she wore, Carnation, Lily, Lily, Rose, and in her hand a crook she bore and sweets her breath compose. the beauteous wreath that decks her head forms her description true, hands lily white, lips crimson red, and cheeks of rosy hue.
(ジョセフ・マッツィンギ『花飾りの輪』)


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(ジョン・シンガー・サージェント『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』1985-86年)

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白い少女幻想から、ふわふわマオの世界へ。

今回はさらに大塚英志の定義を外れて、少女というよりも幼女に近い存在について語ろう。もっとも、まさきつねの中ではこの二つの存在に、無垢な純真さという点ではまったく区別はない。


折しも(もう過ぎてしまったのだけど)「母の日」なので、この絵をご紹介するのもちょうどいいと思う。以前、『マダムXMadame X』の記事でお話しした画家、ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent 1856-1925)の『カーネーション、リリー、リリー、ローズCarnation Lily Lily Rose』(1885-86)という作品である。

『マダムX』の記事は以下の通り、サージェントの略歴なども記載しているので参照までに。
『空中庭園の散歩 其の六 マダムXのソワレエ』


この『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』は、『マダムX』のスキャンダルでパリの社交界を追われたサージェントが、失意のうちに英国に渡ってまもなく、ストラッドフォード・アボンエイヴォンの南、オックスフォードの西に広がる丘陵地帯、ウースター州コッツウォルズのブロードウェイにあった、米国人画家F.D.ミレーの別荘に滞在していた時に着手した作品である。

ミレーとはイタリアの修業時代からの旧知で、ミレー宅には当時頻繁にエドウィン・オースティン・アビーEdwin Austin Abbey やフレデリック・バーナードFrederick Barnardといった多くの画家が出入りして、一種の芸術村の様相となっており、サージェントはこうした芸術家仲間との交遊によって、パリ時代のゴシップで受けた落胆から立ち直り、また、新しい創作動機を得たものと思われる。

『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』は、バングボーンのテムズ河でアビーと舟遊びをしていた際に、その頃日本から大量輸出されハロッズやリバティなどの百貨店で販売されていた日本提灯が、野外パーティのために樹木の間にぶら下げられているのを見て、画想を思いついたといわれている。
和紙から洩れる温かな光が、夏の夕暮れの情景をほのかに浮かび上がらせるその神秘的な効果が、画家の創作意欲をそそったのだろう。

この絵画の着想について述べた、サージェントの手紙が残っている。

「私が夕暮れ時に見た魅力あるものを描くつもりです。薔薇の木の合間で花々に囲まれて、点灯する提灯に映し出される薄明かりの庭と、ふたりの小さな少女たち。私があきらめて途中で筆を投げ出すことがなければ、この制作に長い期間を費やすつもりです」


実はこの作品の前、1884年イギリスのサセックスで描いた『Garden Study of the Vickers Children』という作品があるのだが、百合と子どもたちという画材は明らかにテーマとして、先駆的な役割を持つものと考えられる。この画材に、日本提灯の柔らかな光の働きが加わることによって、グリーティング・カードなどにもありがちな子どもの絵が、どこか不思議な魅力を持つ傑作として再生させられているのである。

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絵のモデルになったのも、バーナードのふたりの娘で、左が十一歳のドロシーDorothy(愛称ドリーDolly)、右側が七歳のマリーMary(愛称ポリーPolly)である。初めはミレーの五歳の娘ケイトKateを起用したらしいが、幼すぎておとなしくモデルを務めることができず、またバーナードの娘たちの方が、サージェントが絵の理想とする髪の色にあっていたということのようだ。

サージェントは少女たちの自然な動きや表情をとらえるために、庭で遊ぶ二人を数多くスケッチに残している。提灯同様、庭に咲く山百合もまたリバティ百貨店で買い求めた日本産の球根で、花の中心にある金色の芒と斑点が特徴とされ、十九世紀末のヨーロッパを席捲していたジャポニスムの影響がうかがえる部分である。

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肖像画家で名を馳せたサージェントはもともと戸外での制作することは少なく、『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』は外光を生かした珍しい作品のひとつだが、1885年の九月から十一月にかけての最初の仕上がりに満足できなかった彼は、次の年の夏に再び同じ状態を再現して取り組み、十月にようやく完成を見たらしい。

サージェントの伝記作家サー・エヴァン・チャトリスによる記述では、「すぐに、彼はカンヴァスから離れたところに場所をとり、光の様子を記憶にとどめると、セキレイのようなすばやい仕種で芝生の上を走ってくるやいなや、絵の上に絵具をすばやく軽いタッチで入れて、そして、再び下がったかと思うと、同じような唐突さで、セキレイの動きを繰り返した。こうしたことは2、3分しか続かず、光が急速に弱くなると、やっと彼は少女を自分の構図から解放してやって、再び私たちに合流してローン・テニスの最後の一勝負をするのだった。」とある。

画家は、夕暮れに提灯の灯がもっとも適正な効果をもたらす数分間だけを制作時間にあて、秋になって花が枯れてしまうと、造花を使用するなどの工夫をしながら、想像と記憶に頼らない実写的な手法で、藤色に滲む独特の夕刻の光をカンヴァスに描きとる彼なりの印象派的作品を残したのだ。

それにしても、どちらかというと理知的で、技巧的なエレガンスが身上の彼の作品としては、この作品の構図は洗練さがなく、多くのスケッチから描き起こしたにしてはモデルの表情も茫洋としてつかみどころがなく、記憶の彼方の情景のように何かたよりない。

しかしそれこそがこの絵画に、サージェントのほかの肖像画作品とは違う魅力を与えている要因であり、ふたりの少女以外に日本提灯の浮かび上がる夕べの光という、もうひとつの主題を追い続けた画家の意図が芸術として結実したにほかならぬ証しだろう。

サージェントは1900年代になると、次第に肖像画の注文を断るようになり、晩年間近は水彩による風景画の制作に没頭している。

室内の人工的な照明の中で描く肖像画の作家ではなく、自然の外光に映し出される風景をつかみ取りたいと考える、いわゆる「印象派」の画家としての芸術的志向をもったサージェントの真情がうかがえるエピソードである。


そしてもうひとつ、風変わりな絵画の題名であるが、冒頭に挙げたジョセフ・マッツィンギJoseph Mazzinghi(1765-1844)というコルシカ島出身の作曲家によるイギリスの流行歌『Ye Shepherds, Tell Me(The Wreath)汝ら、羊飼いよ、語ってよ(花飾りの輪)』の中の歌詞からとられたものだという。

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まあ、古式ゆかしい歌詞とノスタルジックな情感を喚起させる絵画が結びつくのに不思議はないが、まさきつねはそれより、ミレーの妻エリザベス・メリルElizabeth Merrillの愛称がリリーLilyであることから、人妻とのゴシップが付きもののサージェントならではの謎が隠れているような気がする。

世話になっているミレーの妻と、サージェントが実際どんな関係であったのか無論まったく憶測に過ぎない話ではあるが、エリザベスを描いた訳ではない絵に、彼女の愛称が入った題名を付けるというのはちょっとまわりくどい感じはするけれども、何となくロマンティックな告白めいたものを感じたりはするのだ。

それに(これこそゴシップ話ではあるのだけれど)、ミレーはローマで一時期、同性愛趣味のあるジャーナリスト、チャールズ・ウォーレン・ストッダードCharles Warren Stoddardと同棲したりしているので、このあたりも頽廃的な十九世紀末の新興階級にありがちな恋愛観やスキャンダル臭が漂っていて、純粋で無垢な少女の絵画とは対照的な話ではあるけれども、まさきつねとしては人間臭い奥深さを感じて眩暈を覚えるほどだ。

ちなみにミレーは後に、例のタイタニック号に乗船して、運命的な最期を遂げた。その様子は極めて紳士的で、率先して救命ボートに女性や子どもたちを助け上げる姿が目撃され、自らは海の藻屑となって運命的な船の犠牲となった。

こうした悲劇的なエピソードも背景に持つ絵画ではあるが、懐古的な切なさや抒情的な美しさにあふれた画面は、1887年にロイヤル・アカデミーの展覧会で発表された当時から今なお多くのひとに賞賛され、愛され続けている。ウィキにも書かれているが、アイルランドのミュージシャン、エンヤEnyaが1995年に発表したサードアルバム『メモリー・オブ・トゥリーズThe Memory of Trees』の一曲『オン・マイ・ウェイ・ホームOn My Way Home』のPVに、この作品の情景を転写した映像が用いられている。

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☆Enya — On My Way Home☆


白いエプロンドレスを着た少女と、日本の盆提灯、そして百合という古めかしい構図が、汽車で故郷へ向かう主人公の追憶の場面として、アルバムの写真から立ち上がるのだ。

世界中どこの国でも、ひとのこころを揺さぶる幼少期の記憶の美しさ、その甘く苦い涙にかすむ光景には何か共通したものがある。

黄昏の冷たく青い空気、茜色と藤色が入り交じる夕闇の光、樹木の影に揺れる金色の灯り、高く咲きほこって甘い香気を立ちのぼらせる百合の花、提灯が張り巡らされた薔薇の花の生け垣、地を這うように開くカーネーションの花…イギリスから遠く離れた日本でも、同じ日本提灯のほのかな明かりに照らされた、幼いころの盆踊りの夜や夏休みの田舎暮らしなど、一瞬でノスタルジーにとらわれるモティーフがあるだろう。

夏の終わりのひとときの幻のような、甘く切ない風景。
優しく、いとおしいものたちがそっと息づく、夢の庭の世界。

いつか帰りたい、懐かしい場所、それが失われた時間への果てのない夢の旅だ。


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さて、まったくサージェントとつながりはないが、とても懐かしい浅田選手と邂逅するマテリアルを手に入れたので、この機会にご紹介しよう。

その昔、ネピアからキャンペーンで配布された『ふわふわマオマオ』の絵本である。

500冊限定ということで入手の難しい本ではあるし、企画からだいぶ時間が経っているので、ご存知の方もそうでない方も十代の浅田選手を思い出しつつお楽しみいただきたい。

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◇◇◇◇◇

はじまりはじまり

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ある朝 目が覚めると…
ふわふわマオマオは ふわふわの国にいました

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「………」
「クシュン!クシュン!クシュン!」
「ふわふわマオマオが 起きた!起きた!」
「こんにちわちにんこ~」

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「ここは どこ?」
ふわふわマオマオは
空を飛ぶフワッチュに 聞きました

でも フワッチュは
チュッチュッと キスしてくるだけです

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「いま なんじ?」

ふわふわマオマオは
おしゃべりなパララパララに 聞きました

「1時か 4時か 6時か 12時か たぶんそのどれかさ」
パララパララは 得意そうに 答えました

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「きみたち どこへいくの?」

ふわふわマオマオは
クシャミしながら大移動するクシュクシュに 聞きました

「クシュン!クシュン!」
あれれ?
ふわふわマオマオ どこへいくの?

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「このあな なあに?」

ふわふわマオマオは
くるくる回るマシュマルに 聞きました

「ぽっかりかっぽ~」
マシュマルは くるくる回りながら 答えました

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「あなたは だあれ?」

「……」
大きな紙のホーは 何も言いませんでした

でも ふわふわマオマオが
ホーに そっとふれると
ホーは とってもふわふわでした

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ふふふ ふわふわ ふわふわの国
ふふふ ふわふわ ふわふわの仲間たち

うまれたときは みんな ふわふわ
右も左もわからない

未来は いつも ふわふわ
どうなるかわからない

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「…あしたは もっと ふわふわになるといいな」

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「とてもかわいい絵本が出来上がりました。
ふわふわの国は、今までに行ったことの無いような
とても不思議な世界です。
色々な仲間たちといっしょに、
みんなも楽しんでくださいね。」

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◇◇◇◇◇

おさんぽへいく

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ある日 ふわふわの国で
ふわふわマオマオは 思いました
「あの ふわふわの向こう側には なにが あるのかな?」

ふわふわ空を飛ぶ フワッチュといっしょに 出発です

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「こまったっまこ~」

あそこのあなに はまっているのは
マシュマルです
みんなで ふわふわ 助けてあげました

「たすかったっかすた~」

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「あら おおきながけ 渡れないわ」

ふわふわマオマオが こまっていると
おしゃべりな パララパララが あらわれて
橋になってくれました

「僕の上を 歩きなよ
早く!早く!早くして!
いたい!いたい!いたくない!」

じっとしてて パララパララ
みんなが 落ちちゃう

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あ あ あ あ~~~~

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ふわり ふわり ふわり 落ちたところは……
「クシュン!クシュン!ここは どこ?」

どうやら クシュクシュたちの おうちに
まよいこんでしまったみたいです

「クシュン!クシュン!クシュン!」

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そこに 大きな大きな紙のホーが あらわれました

「……」
ホーは 何も言いませんでした

でも そのふわふわの背中に みんなを乗せて
ひきあげてくれました

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みんなでいこう ふわふわの 向こう側まで

ころんだって わらっちゃう ふわふわの 向こう側まで

ほっぺたつねっても いたくない ふわふわの 向こう側まで

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そして ふわふわの向こう側に 広がっていたのは……

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ふふふ やっぱり ふわふわの世界でした

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「今回の絵本は、
とてもかわいい、おさんぽのお話です。
私も、ふわふわの向こう側まで
行ってみたくなりました。
色々な仲間たちといっしょに、
みんなも楽しんでくださいね。」

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◇◇◇◇◇

CM映像がこちら。

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何とも甘酸っぱい思いが広がる、懐かしい思い出との邂逅といったところだろうか。

この頃はまだ、フィギュアスケート人気も今ほどでなく、トリノ五輪の荒川選手の優勝などで、採点やさまざまなルールの偏向などに歪んだ競技の実態に気づく人も少なかった。

まだ日本中が、やにわにスケート界に現れた天才少女のあどけない笑顔に、純粋な世界制覇の夢を描いていたものだ。

その夢も一部は着実に実現を果たしたが、キス&クライで次第に途方に暮れた表情や涙を見ることが多くなり、いつか無邪気だった笑顔も深慮をつつんだ大人びた微笑に変化し始めて、ようやく観客たちも、ただふわふわと夢の世界におぼれるように、競技を鑑賞できないことを悟って、衝撃を受けたのだ。


日本は美しく、そして奥深い伝統と文化を持つ国だ。
そして何よりも、折り目正しく、「をかし」と「あはれ」の風情を知る精神性の強い国だ。

だからヨーロッパでは早くから、どの東洋の国々よりも日本の文化と芸術が尊ばれ、ジャポニスムとして長く愛されて、その美しさがさまざまなかたちで取り入れられていったのだ。

まさきつねは国粋主義者ではないが、西洋人でさえ愛する日本の良さは、どんな国際化、グローバル化の波の中でも失われるべきではないし、ましてや他国のまちがった勝利主義や実益主義に惑わされて、その高い精神性が損なわれるべきではないと思う。

浅田選手はいろいろな点で、現在の日本の状況や立場を象徴的に顕在化してくれたし、そしてどんな時も、彼女自身は正しく日本のとるべき態度、選択、その在り方、そして進み方を示してくれた。

「ふわふわマオマオ」は、題字もひらがなとカタカナで表現されているが、それは優しく温かく美しい日本の仮名文化から生まれたものであり、同時に優しく温かく美しいこの国の象徴でもあるのだ。

サージェントの絵の中の、優しく温かく美しい日本提灯の灯りや、白い山百合と同様に、優しく温かく美しい「ふわふわマオマオ」の世界もいつまでも、絵本を読む子どもたちのこころに懐かしく残る情景であって欲しい。
そして優しく温かく美しいこの国の風土が、醜いものの足に踏みにじられることなく、どこまでも続く「ふわふわの世界」のように、夢の果てで引き継がれる思い出のように、本当に豊かなものを知るこころに、いつまでも大切に受け継がれて欲しいと思う。

※※※※※


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やさしい 気もちは
ふわふわ してる。
こわい 気もちは
ぶるぶる してる。

さみしい 気もちは
ほそぼそ してる。
うれしい 気持ちは
ぴょんぴょん はねる。
(さくらももこ『気もち』)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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Comment

moonlight says... ""
まさきつね様
 以下、コメントのお気遣いなどなさらぬようにお願いします。

  「そしてふわふわの向こう側に 広がっていたのは・・・

  フフフ やっぱり ふわふわの世界でした」

 それでいいのだ。
2013.05.13 11:18 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "ふわふわは"
moonlightさま

ご訪問うれしいです。

ふわふわは、ふわふわのままでいいのでしょうね。
ふわふわのままが、いいのでしょうね。
2013.05.14 12:38 | URL | #- [edit]
moonlight says... "ふわふわは"
まさきつね様

(誤爆覚悟で、いきます)

いーーんです!
2013.05.14 23:55 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "そのままで"
moonlightさま

やっぱりふわふわも天然も、そのままがいいですね^^

2013.05.16 23:04 | URL | #- [edit]

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