月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

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色とりどりのこころ

フィギュア328-1


ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る
手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
  
こうしていると
 二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる
  日も暮れよ 鐘も鳴れ
 
  月日は流れ わたしは残る
流れる水のように恋もまた死んでゆく
  
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
  日も暮れよ 鐘も鳴れ
 
  月日は流れ わたしは残る
日が去り 月がゆき
 
過ぎた時も
 昔の恋も
二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ川が流れる
  日も暮れよ 鐘も鳴れ
 
  月日は流れ わたしは残る
(ギョーム・アポリネール『ミラボー橋』)


フィギュア328-2
『三人の乙女』1938年

☆Léo Ferré Guillaume Apollinaire - LE PONT MIRABEAU☆

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


絵画の話題が多くて申し訳ないのだが、今回は色鮮やかな浅田選手のCM映像から連想した絵画作品と画家の紹介である。

浅田選手の写真は、まずストナ製薬さんから、三色のパターンで三つの衣装三つの演技といろいろな表情を見せる風邪薬の広告画像である。

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そして多少無理やりだけれど、三人の女を描いたマリー・ローランサンMarie Laurencin, (1883-1956)の絵画、そして彼女にちなんでアポリネールGuillaume Apollinaire(1880-1918)の有名な『ミラボー橋』を、やはりローランサンにゆかりがある堀口大學訳で併せて掲載した。

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『自画像』1908年(キュビズム運動の影響を受けていた頃の作品)

ローランサンとアポリネールそしてピカソPablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Crispin Cripriano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picassoと、エコール・ド・パリの画家たちの名前を連ねていくと、彼らが身を寄せるようにして棲んだモンマルトルの「洗濯船Le Bateau-Lavoir」と呼ばれる下宿にいきつく。洗濯船と名付けたのは詩人のマックス・ジャコブMax Jacobで、ぎしぎし廊下の床板が鳴るおんぼろの細長い長屋が、セーヌに浮かぶ洗濯船に似ていたからだ。

フィギュア328-4


ポーランド人の母とスイス系イタリア人との間にローマに生まれたアポリネールは、1899年十九歳の時にパリに赴き、当時、芸術家たちがたむろしていたモンマルトルでピカソやマルク・シャガールMarc Chagall、マルセル・デュシャンMarcel Duchampといった先進の画家たちと出会い、1911年頃から当時の前衛芸術だったキュビズム運動に参加した。

お針子と代議士の間の私生児としてパリに生まれたローランサンは、画家を志してアカデミー・アンベールという私立の画塾で学んでおり、そこで知り合ったジョルジュ・ブラックGeorges Braqueを介してアポリネールに出逢い、恋に落ちた。
当時、アポリネールは二十七歳、ローランサンは二十二歳で、まだ若いふたりの恋を、時代を先んじる芸術の象徴として祝福するかのように、すでに晩年近くであった素朴派の画家アンリ・ルソーは『詩人に霊感を与えるミューズ』(1909年)という恋人たちの肖像画を残している。

フィギュア328-9


(ちなみにこの作品には、ほとんど同じ構図の前作品があり、それはモスクワのプーシキン美術館所蔵、こちらはスイスのバーゼル市立美術館が所蔵している。二作ある理由は、本来、画家が描こうとした詩人の花を象徴するカーネーションを、誤ってウォールフラワーとも呼ばれるアブラナ科エリシマム属の花であるチェイランサス(和名ニオイアラセイトウ)で描いてしまった為に、訂正作品として本作が制作されたということだ。
ルソーは事細かにモデルたちの全身や顔の細部を採寸し、背景にリュクサンブール公園を選び、肖像と背景の一体化という創作動機に基づき、古典的主題をきわめて実直な制作技法で作品化した。

フィギュア328-5

人物は勿論のこと、木々や花など画面の構成要素のどれもが、正確な採寸に関わらず伝統的な写実を大きく逸脱し、ルソーらしい個性の詩的な世界観で対象の本質を描きとっているのは、画家の狙い以上に夢想を顕現化するルソーの才覚が勝っていたということにほかなるまい。)

閑話休題。ルソーの作品はさておき、ローランサン自身が洗濯船の仲間たちを描いた絵画もまた残されており、こちらはパリのポンピドゥー・センター国立近代美術館に所蔵されている。

フィギュア328-8


『アポリネールとその友人たち』と題された作品もルソー作品と同じ1909年制作、八人の人物が描かれており、向かって右端の青い服の女性がローランサン自身で、その背後右から順に詩人のモーリス・クレムニッツMaurice Kremnitz、女流詩人のマルグリット・ジローMarguerite Gilot、ピカソ、中央のアポリネールをはさんで左側は特定の個人ではなくミューズを表し、その左隣がピカソの恋人でモデルのフェルナンド・オリヴィエFernande Olivier、そして左端はアメリカ人の著作家ガートルード・スタインGertrude Steinである。アポリネールの手前には犬のフリッカが傅き、左背景には詩人がのちに歌ったミラボー橋が描きこまれている。

(ところで、この作品にも1908年制作の前作があって、タイトルは『アポリネールと招待客』、人物はピカソとアポリネール、そして彼らの恋人オリヴィエとローランサンの四名だけだが、技法として稚拙である分、ペーソスのある味わいが面白い。

フィギュア328-61

この作品によって、ローランサンはキュビズム仲間からの称賛を浴びたが、揶揄する声も少なくなかった。肖像画家ブランシュはローランサンを、ラ=フォンテーヌ寓話にある大金欲しさに牛乳をこぼした乳搾り女にたとえて「キュビズムのペレットと牛乳壺」と呼び、名声目当ての小賢しい女流画家と貶し、ジャン・コクトーもまた「野獣派と立体派の間で罠にかかった哀れな雌鹿」と、フォービズムとキュビズムの影響が濃いだけでオリジナリティのない画風を手厳しく批判した。
一方で、この時代の新進画家たちの作品を精力的に収集していたガートルード・スタインは、キュビズム運動によるひとつの結晶とこの作品を評価し、大西洋を越えて新大陸に持ち帰り、後にほかの収集品とともにボルティモア美術館に寄付、現在も所蔵先は同館となっている。)

気鋭の詩人、アポリネールは1909年の詩集「腐ってゆく魔術師:L'enchanteur pourrissant 」や1913年の「アルコール:Alcools」で名声を確立する。芸術仲間の間ですっかり女神扱いのローランサンとの恋も順調だったが、彼女がキュビズム運動と自分の画風に違和感を感じ始めるようになった頃から、詩人の独占欲や浮気などで二人の仲も次第に微妙な食い違いを見せ始める。

破局への決定的なきっかけとなったのが、有名な1911年のモナ=リザ盗難事件である。
アポリネールとピカソの共通の友人だった男が窃盗の常習をもつ小悪党で、盗品の彫像を二人に預けていた関係から、アポリネールにも警察から盗みの嫌疑をかけられたのである。結局、数日の留置で無実の罪は晴れたものの、かねがね詩人との交際を快く思っていなかったローランサンの母の進言もあり、六年間に及ぶふたりの恋は終わりを告げた。

『ミラボー橋』はこのローランサンとの恋と別れを未練たっぷりに詠ったもので、詩集「アルコール:Alcools」に収録されている。
時代はすでに、パリ華やかなりしベル・エポック(Belle Époque・良き時代)も、ボヘミアンたちの風潮が濃い洗濯船の実験室的な画家たちのモンマルトルも終結の翳りを帯び、ヨーロッパ全土は第一次世界大戦(1914-1918年)の戦火に巻き込まれ始めてゆく。

アポリネールもまた、ニームの野戦砲兵第三十八連隊に入隊し砲兵として戦地に赴き、1916年に頭部に重傷を負い、除隊してパリに帰国する。
1918年には献身的に尽くすジャックリーヌ・コルブJacqueline Kolbとサン・トマ・ダカン教会で、ピカソと画商ラールらの付添で結婚。しかしこの頃から全世界に猛威を振るうスペイン風邪にかかり、11月10日三十八歳の若さで早逝、ペール・ラシェーズ墓地に眠ることとなった。

フィギュア328-10
『二人の姉妹』1911年(まだキュビズムの影響が残っており、色彩に個性が見え始めた頃)


ローランサンの方はといえば、詩人と別れた後1914年にドイツ人男爵オットー・フォン・ベッチェンOtto von Betsenと結婚、ドイツ国籍となったために戦時中はスペインへの亡命生活を余儀なくされたが、酒好きで誠意のない夫との結婚は幸せとはいえず、絵筆をとる機会も減り、専ら詩作とアポリネールとの文通に慰めを得ていた。
その中でアポリネールの結婚、続いて死の知らせを受け、度重なる失意と悲しみに暮れるローランサンは自らの思いを、よく知られる詩『鎮静剤』に込めて詠った。

フィギュア328-53
『鐘を持つ女』1916年(画家の傷心を映すかのような愁いを帯びた踊り子)

「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。」と結ぶこの詩は、忘れられて生きるより死んだ方がまし、愛のない人生など考えられないという、孤独を避けて新しい恋を求めるローランサンらしい生き方が垣間見える。
彼女と親交があった堀口大學が和訳し翻訳詩集『月下の一群』に収録したが、大學のローランサンへの傾倒も凄まじく、彼女の本格的な画集が日本の求龍堂から出版された折も、情熱的な序を書き綴っている。
若き大學にとって、アポリネールのミューズはまさに女神のように感じられ、激しい恋心のようなものも抱いたのだろうが、ローランサンの方では東洋から来た一介の留学生ごときに気を配る余地などなかっただろう。

フィギュア328-11
『コンポジション・スペインの踊り子たち』1921年(まだ陰鬱と憂いの印象が濃い頃)


1921年単身パリに戻った彼女は翌年、ようやく離婚、画風を大きく変え、心中の悲しみを華やかな色彩の下に押し包むように、淡く美しい画面に官能的な少女らを描き、フランス史上狂乱の時代(Les Années Folles)と称される1920年代にあって、デカダンと乱痴気騒ぎで爛熟したパリの寵児となってゆく。
パリの上流婦人の間ではローランサンに肖像画を注文することが流行となり、また、舞台装置や舞台衣装のデザインといった彼女の個性が生かされる場での才能が開花し、創作者としては充実した幸せな時期を迎えている。

フィギュア328-56
『二人の少女』1923年

フィギュア328-55
『牡鹿と二人の女』1923年


ところで、1923年の絶頂期、ローランサンが描いたココ・シャネルCoco Chanelの肖像画『マドモワゼル・シャネルの肖像』は、同じ年に生まれ、同時代に活躍した女性同士の接点を示すものながら、出来上がった作品に対する評判が芳しくなく、シャネル本人からも「似ていない」と受け取りを拒否されたという。

フィギュア328-14


実際、ローランサン特有のロマンティックな色彩と小鳥や犬といった愛らしい生きもので構成された魅力的な作品で、モデルの髪型や高い頬骨や薄くて形の好い大きな口といった顔かたちの特徴はとらえているものの、シャネル自身が発する周囲を威圧するような強烈なオーラは再現されていない。
どこか頼りなげで憂愁を帯びた表情は、当時のモード界を牽引する女王の自覚を持つシャネルにとって、あまりにも脆弱で受け入れがたい姿だったのだろう。一説には、ローランサンから寄せられたレスボスの求愛を、シャネルが拒否した結果とも伝えられるが、いずれにしてもこの作品は依頼人の手に渡ることなく、コレクターの所蔵を経て、現在オランジェリー美術館に飾られている。

ローランサンはシャネルの受け取り拒否に際し、「私がドレスを注文したときにはちゃんと代金を払うわ!」と憤慨し、「シャネルは有能な女だけど、オーヴェルニュの田舎娘よ。あんな娘に折れてやろうとは思わなかったわ」と断固、自分が描いた作品の修正をしようとはしなかった。

ローランサンには、男性顔負けのエネルギッシュな業界人としてのシャネルが、誰からもまるで女神のように崇められることを願って振舞う様子の、その裏に潜む、ひとりぼっちの子ども時代を過ごした孤児の繊細で無防備なこころ、惨めで貧しい暮らしに怯えて華やかな世界を夢みる少女の果敢ない願いといったものが、どうしようもなく透けて見えていたのだ。
そしてそれはおそらく、ローランサン自身にもある、華やかさとは裏腹の陰鬱で怯懦な気持ち、母を亡くした小鹿のように頼りなく救いを求めるいとけない姿だったのだろう。

フィギュア328-57
『アンドロメード』1928年

フィギュア328-12
『舞台稽古』1936年

フィギュア328-52
『シャルリー・デルマス夫人』1938年

フィギュア328-51
『女道化師』1940年

フィギュア328-54
『テラスの女たち』1946年

フィギュア328-15
『三人の若い女』1953年


絶頂期以後のローランサンは第二次世界大戦を人並みの苦労をしつつも潜り抜け、三十一年間をともにした二十一歳年下の女性シュザンヌ・モローSuzanne Moreauを養女とし、彼女に看取られて1956年七十三歳で不帰の人となった。

家政婦で愛人でもあったシュザンヌとの恋仲も周知のことだが、若く嫉妬心が強い彼女はローランサンを束縛し、捨てられるのが怖かったローランサンは彼女の言いなりであったらしい。孤独への不安と、愛の喪失が、最期までローランサンに付きまとって、もはや何が愛で、何が愛の幸せか、かつてミューズと呼ばれた年老いた女流画家にはすでに、見極めることもできなかったのだろう。

純白の衣装をまとい赤い薔薇を手にした遺骸の胸には、遺言通りアポリネールから送られた手紙の束がのせられていたらしく、彼女が真に殉じた愛の在り処をはからずも示しているような気がする。

かつて、アポリネールもまた、その病の床が置かれた部屋ではローランサンが描いた『アポリネールとその友人たち」の絵画が壁に飾られ、彼の最期のねむりを見守っていたという。
詩人とミューズは遠く生き別れて別の伴侶と暮らしつつも、お互いが決して離れ得ない宿命のようなもので結ばれていることに気づいていたのだろう。

フィギュア328-6


古き良き時代、モンマルトルの洗濯船で青春を過ごした詩人とミューズの別ち難い絆はもしかしたら、老年のローランサンに連れ添ったシュザンヌもまた、どこかで薄々悟っていたのかも知れない。
どんなに尽くしても、どんなに傍らに寄り添ってその世話をしたとしても、ローランサンのこころはここにない。詩人の喪失によってミューズのこころに出来た虚無は、自分ではどうしても埋めることはかなわないのだと、シュザンヌも幾度となく自らの無力さを思い知ったに違いないのだ。

ローランサンの死後、彼女は遺産のほとんどを施設などに寄付し、ひとり慎ましく孤独な余生を送った。

ローランサンの絵画は、甘くやわらかな少女の未成熟な夢を描いているが、彼女の周囲には孤独に苦悩する芸術家やこころ淋しい人間ばかりがたむろして、誰もが愛の成就を感受していないのだ。
アポリネールが詠ったように、ミラボー橋だけがセーヌの流れのようにいつまでも変わらぬこころ、変わらぬ愛の在り処を人々に伝えているのだろう。


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『接吻』1923年頃


さて、ここからストナの画像をまとめて掲載。ネピアとはまた違った、色とりどりで表情や動きのある浅田選手のヴァリエーションである。

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ついでと言っては何だが、オムロンの広報画像も掲載。
こちらはビビッドな青のスーツが大人びて、コンシェルジュをイメージしているようだが、フライトアテンダント風の雰囲気もあって素敵だ。

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最後にちょっと趣きは変わるが、以前にもご紹介したアルソアの広報画像。
こちらは『月の光』の衣装を着た浅田選手を使用。

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こうして画像を並べてみると、改めて企画者の演出によって、一人の少女からいくつもの色彩、いくつもの表情や風情といったものを引き出すことができるのだと得心する。
いや、むしろどんな人間でも、常に同じ色、同じ表情で、いかなる時もそれを崩さないという方があり得ないのだ。

ローランサンが、気丈な女シャネルの中にどこかはかなげな少女じみたか弱さを見たように、どんな人間どんな女性でも、誰もが知っている顔の裏には、誰も知らない面差し、誰も知らない感情が多かれ少なかれ潜んでいる。

ローランサンの絵画には、一人のモデルだけよりも複数の少女たちを群像で描いた作品が数多くあるが、それはローランサンが少女たちの持つ、まるで万華鏡のようにくるくると変わる表情や感情、その多彩な色彩のような豊かな風味を、さまざまに表現したかったからに相違ないのだ。

甘く愁いを帯びて、愛の幸福をいつまでも夢見る女性たちの中に、誰もが噛みしめねばならぬ人生の苦い味、裏切りや嫉妬、憎しみや悲しみ、そして絶望も、憐れで惨めな姿を曝してひっそりとたたずんでいる。

強さの陰には弱さが、優しさの陰には怒りが、微笑の陰には涙する眼が、得たものと同じ数の失われたものへの嘆きとともに隠れているものなのである。

だがそれでも、ローランサンの少女たちがどこまでも美しい、軽やかで幻想的な世界に生き、甘美で汚れのない色調につつまれているのは、最愛のアポリネールを亡くし、結婚や人生に倦み疲れ果てた後にも、彼女が守るべき唯一の魂、詩人のミューズたる誇りが、芸術への献身と、真実を追求する創造へ意欲を喪失させなかったからだろう。

その芯に、自らを自らたらしめているもののある限り花は色あせず、その香りは失われず、ひともまた、こころを錆びつかせることなく、そのやさしさも損なわれまい。
どのように時が流れ、どのようにその姿が変わり果てたとしても、決して変わらぬもの、汚されぬ魂、残されたこころだけが大切なものなのだ。

月日が流れても、ミラボー橋の下に流れるセーヌのように、いつまでもひとのこころに遺される、愛の記憶があるように。

雨の日も風の日も、そして晴れた日も、絶えずひとの上に降りそそぐ天の祈りがあるように。


フィギュア328-50
『鳩と花』1935年


花はいろ そして匂ひ
あなたはこころ
そして やさしさ



雨の日は雨を愛そう 
風の日は風を好もう
晴れた日は散歩をしよう 
貧しくば心に富もう
(堀口大學『人に』『自らに』)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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Comment

さくらこ says... ""
まさきつね様、ご無沙汰しております。
ブログの記事が更新されなくなって寂しく思っていましたが、また更新が多くなられてからもずっと拝読しておりました。コメントもせずに失礼しました。
変わらずにいつも素敵な真央ちゃんの写真と深い芸術論をありがとうございます。
まさきつね様が教えてくださる芸術が真央ちゃんにぴったりあてはまるようで、読後の余韻にいつも浸っています。

私事で恐縮なのですが私は先日映画『レ・ミゼラブル』を観てきました。ラストで感動して今でも「民衆の歌」など素敵な音楽に今も心が震えています。
とはいえ、私はフランス文学や歴史、芸術には詳しくなく、表面的な理解しかできてないような気もしています。
もし機会があればまさきつね様のレミゼ考察も伺ってみたいなと思った次第です。
ただ、フィギュアのレミゼといえば、どうしても思い浮かべてしまうこと(ていうか人)がありますね・・・。(私はあの演技に芸術的な感動は出来なかったのですが…)
2013.05.20 23:05 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "レミゼ"
さくらこさま

ご訪問うれしいです。
まさきつねの芸術論(芸術よもやま話?)はどうも余分が多過ぎて、くどくなって申し訳ないです。

レミゼはまさきつねも語ってみたい話がいくつもあるのですが、仰るようにいかんせん、思い出す人がね…でも逆に考えれば、あのお粗末な演技では表現しきれていない世界が大きいですから、折りを見て記事をUP出来ればと思います。

ところで、あの演技はエポニーヌを反映していたんですかねえ…やたら苦悶の表情だったのは覚えていますが、なにも伝わってきませんでしたね。
多分、アカデミー賞云々の話題性を狙った(例の007と同じ)戦略でしょうが、浅薄だなあと思います。
でもアボット選手など、ほかにも素晴らしい演技がありましたし、来季もレミゼで踊る選手が出てくるかも知れませんから、もう少しいろいろ調べてみますね。
2013.05.21 16:59 | URL | #- [edit]

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