月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

虹の彼方

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☆エアロと競演☆


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『オズの魔法使い』について、以前の記事はこちら。

☆空中庭園の散歩 其の参 虹を超えて☆


夜毎に見る夢は 虹の橋の デイトの夢
今日も祈る夢は 虹の橋の デイトの夢
お星様 おねがい 私の小さな夢
お星様 きっとね 一度でいいから 聞いてよ
私の好きな人と デイトしたいの 虹の橋
(水島哲『虹の彼方に』)

☆虹の彼方に☆


これは1974年から75年にかけて、日本テレビで放送された『オズの魔法使い』全26話のエンディングに用いられた『虹の彼方に』の日本語歌詞である。

ドラマは全編ミュージカル仕立てで、音楽は山本直純が担当、オープニングの『オズの国の唄』をアイドルデビューしたばかりでドロシー役に抜擢されたシェリー、『トトの子守唄』をトトの声を担当した山崎唯、『ブリキマンの唄』をブリキ男役の富田富士男、『夢見るカカシの唄』をカカシ役の高見映(ご存知ノッポさん)、『ライオンの勇気リンリンの唄』をライオン役の佐藤博らが歌った。

途中、立体メガネによる鑑賞を必要とする立体映像が挟まれ、また前述の効果的なキャスティングや、アングラ演劇の旗手、寺山修司が監修するといった、子供向け番組にしては画期的な試みが話題になったが、いかんせん裏番組が『仮面ライダーアマゾン』で人気や視聴率という点では今ひとつ及ばなかったという作品である。

寺山修司はもともと少女趣味的な世界に造詣が深く、彼自身も童話めいた作品を書いたりしているから、オズのドロシーやアリスなど、ちょっとロリータ愛好的なファン感覚でその世界に接近していたのだろう。

さて、寺山修司さえ魅了された児童文学『オズの魔法使い』であるが、1900年ライマン・フランク・バウムLyman Frank Baum(1856‐1919)原作、W・W・デンスロウWilliam Wallace Denslow(1856-1915)挿絵による初版出版以来、凝った構成の魅力的なカラー図版と、個性的なキャラクターたちによる奇想天外な物語がたちまち当時の子どもたちのこころを捉え、増刷の追いつかない文学史上の人気作品となった。

バウムによる続編は第一冊とあわせて十四冊、彼の死後、ルース・プラムリー・トンプソンRuth Plumly Thompson、ジョン・R・ニールJohn R. Neill、ジャック・スノウJack Snow、レイチェル・R・コスグロースRachel R. Cosgrove、エロイーズ・ジャーヴィス・マグロー&ローレン・マグロー・ワーグナーEloise Jarvis McGraw and Lauren McGraw Wagnerと多くの作家によってシリーズが書き継がれ、現在オフィシャルに認められている作品数は四十作にのぼる。

バウムはニューヨーク州にある小さな町の裕福な家庭に生まれ育ち、病弱だった子供時代に家庭教師の指導の下、読書や文芸作品の創作に耽り、十代の終わりごろからニューヨーク市の新聞記者として文筆業に勤しんだ。劇団関係の仕事などさまざまな事業を経験しつつ、シカゴの業界誌編集に就いていた頃、商業デザインの画家をしていたデンスロウに出会い、1899年ふたりで組んで『ファーザー・グースの本』を出版した。これが好評だったため、バウムが子どもたちに聞かせていた話を元に、ひき続き共作による『オズの魔法使いThe wonderful Wizard of Oz』を手がけたのである。

1902年にバウムはこの作品を自ら舞台化し、脚本や演出を手がけ、デンスロウは舞台装置や衣装デザインを担当した。この際、デンスロウが利益の折半を要求したもののバウムがそれを受け入れなかったため、二人の関係に修復できない亀裂が生じることとなった。

デンスロウは当時、ケイト・グリーナウェイやランドルフ・コールデコットといった名立たる絵本作家と並び評されるほど才能ある画家で、バウムと組んだほかの著書『ファーザー・グースの歌』『楽しい国のドットとトット』、クレメント・C・ムーア原作の『クリスマスのまえのばん』の挿絵など魅力的な作品を残しているが、オズの人気に乗じて、バウムに無断で自分の絵本にオズのキャラクターを流用するなど、いくぶん良識を逸脱した行為が多かったのも事実のようだ。

バウムとの破局の結果、デンスロウによる挿絵は最初の一作だけで、二巻以降はジョン・R・ニールJohn R. Neilが担当することとなったが、バウムはニールの画風にはユーモアが足りないと不満をいだくこともしばしばで、彼もまたバウムに無断で『オズの切り抜き絵本The Oz Toy Book: Cut-outs for the Kiddies』といった副読本を出版したりするなど、原作者と新しい挿絵画家の間の意思疎通が決してうまくいっていた訳ではないらしい。

実際、デンスロウのイラストは多色木版特有の渋みのある色彩や厚みのある線を活かし、登場人物たちのユーモラスな表情や芝居がかった決めポーズを味わい深く表現することに成功している。
バウムの原作から、より趣きのある世界観を引き出して、物語と一体になった生き生きとした絵画を軽快なテンポで提示してみせることができたのは、いかに画家が原作者の意図や作品の本質を汲み取っていたかということの証だろう。

対するニールの作品は、確かに装飾的なデザインとして美しく、主人公のドロシーに関して言えば、髪もスカート丈も短めになり、活発で明るく垢抜けた当代風の女の子に仕上がっている。だが、良くも悪くも優等生的で型破りなところがなく、バウムの不満通り、くすっと笑えるようなおかしみに欠け、どこか食い足りなさが残る。

デンスロウは浮世絵や日本文化を好む、いわゆるジャポニズムの影響が強かったようだが、日本的な剽軽さや軽妙な味わいも自らの画風にうまく溶け込ませ、それがオズの個性の強い登場人物たちの表現にも効果的に働いたものだろう。

ところで、デンスロウの作品ではブリキの木こりやライオン、カカシといったサブのキャラクターを際立たせるためか、おとなしめでむしろ無表情に描かれているドロシーではあるが、物語の中では実に沈着冷静にアクシデントや予期せぬハプニングに対処し、そのくせ常に自然体で、強い意志を曲げず、弱いものや虐げられた人に対する優しさや思いやりを忘れない。

謎や冒険に対する知的好奇心も旺盛で、正確な状況判断と素早い決断力は、軟弱な男性キャラクターなど足元にも及ばない凛々しさがあり、同時に女性的な柔軟な対応力と癒しの効能を持つ包容力がたまらない魅力の主人公なのだ。

少女キャラクターについては、現代では漫画やアニメ産業で他国に先んじている感のある日本の独壇場のような雰囲気もあるが、オズのドロシーにしてもアリスにしても、あるいはグリムやアンデルセンなどの童話の主人公たちにしても、そもそも西欧のお話で活躍するのは大抵の場合、賢明で勇気のある少女たちであり、同等の魅力を持った男性キャラクターを見つけるのはなかなかに難しいようだ。

これは今年公開の映画『オズ はじまりの戦い』を製作したプロデューサー、ジョー・ロスJoe Rothも同様に考えていたらしく、「...ウォルト・ディズニー・スタジオが企画に費した数年間、私は善良で強い男主人公のおとぎ話を見つけることがいかに難しいかを学んだ。あなたにはあなたの眠れる森の美女、シンデレラ、シンデレラ、アリスがある。だけど男主人公のおとぎ話を手に入れるのは非常に困難だ。でもオズの魔法使いの起源の物語によって、自然な男主人公のおとぎ話が登場する。」という製作動機についての発言にその旨をうかがい知ることができる。

この映画については、まさきつねはまだ未見なので何の感想も述べることはできないが、黒い飼い犬を連れた小さな女の子ドロシーの冒険譚の方が、優秀な男性キャラクターを主人公にする話よりもはるかに成立しやすく、熱狂的に歓迎されやすかったことは容易に推測できるので、その壁を乗り越える努力をまずは一歩として、『オズの魔法使い』の前日譚となる若いオズの物語が映像化されたという裏話は非常に興味深い部分ではある。
(無論、この企画者たちの狙いがどこまで当たり、『オズ はじまりの戦い』というディズニーのファンタジー映画がどこまで成功しているかは、まだ判断し得ないのだけれども。)

さても、雄々しく可愛らしいドロシーを、名曲『虹の彼方に』の甘いメロディーに乗せて表現したフィギュア・スケートの傑作となると、古今東西探してもやはり、浅田選手のエキシビション・ナンバー以上のものはないのである。

今に近いものでは、キーラ・コルピ選手のショート演技やケヴィン・レイノルズ選手のエキシビションなどがあるのだが、どちらも音楽の歌詞にある世界観を美しく抽象的に表現して、勿論それはそれで優れた作品と高く評価できるものの、原作や特にドロシーというキャラクター設定への純粋なアプローチではないことは確かだ。

けなげなドロシーと愛犬トトを、誰もが胸を切なくさせるほどの愛くるしさで具現化して、氷上に浅田選手しかなし得ないファンタジー世界を展開し観客を存分に魅了してくれた、これを虹の国からの贈り物と言わずして何と呼ぶべきだろう。

してみると、ドロシーのイメージに近い年齢で、3Aを含むジャンプ構成の奇跡というべき演技を披露した(しかも愛犬との共演というおまけつき)浅田選手の『オズの魔法使い』が、いかにスケート史に残る珠玉の作品であったか、今更ながら強い感銘を受けるのである。

ちなみに原作『オズの魔法使い』は発表当時からなぜか、この作品がアメリカ経済の動向を寓意的に風刺しているという政治的解釈を著述する歴史学者や文学者、経済学者などが引きも切らず、オズを金の単位オンスの略号(OZ)と見立て、登場人物たちに当時の政治家たちや労働者階級の役割を与えて、新聞掲載の風刺漫画のネタにされることも度々あったようだ。

バウム自身はオズがメディアの話題になること自体は喜んでいたのだろうが、物語の政治的解釈については不本意だった模様で、原作の序文で「わたしは、『オズの魔法使い』を、現代の子どもたちを、ひたすら喜ばすために書きました。ふしぎさと喜びを保ち、傷心と悪夢を除いた、現代の妖精物語であることを切望しております。」と明言している。

政治活動やリアルな時事問題に持ち出されるのは、作品にそれだけの蠱惑的な力があり、物語に多くのアレゴリーを惹き込む豊かさや奥深さがあるということなのだろうが、それでも、神秘的でチャーミングで美しいものは、政治や経済といったいびつで暗い闇が多くて、胡乱な魑魅魍魎の飛び交う世界とは出来るだけ無縁の方が好い。

やはり、浅田選手もドロシーも、そもそも彼女らに無縁の政治的な思惑やマーケティングの欺瞞などに一切煩わされる必要などないのだから、ただ純粋で強く優しくひたむきで、ファンタジックな冒険を畏れることなく進んでゆく、虹の彼方の永遠のヒロインでいて欲しいと思うのである。


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