月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

芸術

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このところ、こんな更新もいい加減なブログに、次々と新しいご訪問者さまからコメントをいただき、嬉しい限りである。

無論、前々からのお馴染みの皆さまからも励ましのお言葉をたくさんいただいて、まさにブロガー冥利に尽きるといったところなのだが、新しい方々にはなかなか検索も難しいと思われる過去記事を、今回もいくつかご紹介させていただく。

バンクーバー五輪直後に書きためたもので、主に『鐘』の演技をモティーフに身体芸術を語った芸術論である。

比較としてキム選手の『007』を引き合いにしたりしているが、当時、浅田選手の演技に関して「表現力がない」とか「(子供っぽい)彼女に振付が合わない」とか、あまりにも根拠のないネガティブな意見が横行していたため、その風潮を払拭し、そもそも「表現力」とは何かロジカルに追究してみようと試みた記事だったと記憶する。

『浅田選手の表現力について思うこと 其の壱 感受性を放棄することなかれ』

『浅田選手の表現力について思うこと 其の弐 エンターテイメント性と芸術性』

『浅田選手の表現力について思うこと 其の参 舞踏する肉体』

『浅田選手の表現力について思うこと 其の四 想像力を欠如することなかれ』


「芸術」の定義は難しい。ましてやフィギュア・スケートの場合は、スポーツか芸術かという二面性を孕んでおり、採点競技である以上、芸術性さえも秤にかけられる運命にある。

ジャッジされるということは、すなわち品定めのための物差しがあることが前提となるべきで、理想としての型が厳然とあるのならそれを目標とすればいい筈だ。
ところが、そもそも個体差がある人間の身体芸術であるがゆえに、その理想の基準を示すことは非常に難しく、ましてや美しいか否かという判断となれば、それは概ね個人の主観にゆだねられることになる。
結局のところ、理想の型に近いか否か、客観的な絶対評価を下すという次元どころか、きわめて曖昧で相対的な良し悪しが現行ルールの演技構成点の正体ということなのだろう。

(今回、かの国が自国の銀メダル選手に関して不正採点疑惑を声高に叫んでいるが、こうした騒動があろうがなかろうが四年後の五輪開催を前に、フィギュアの採点方法にまた何らかの改正が行われることはまず間違いない。キム選手引退後、有望な若手選手が育っていない現状では、どれほどの改正を施しても、メダルに食い込ませるどころか、フィギュア人気を盛り上げることもままならないのではないかと要らぬ心配もするが、スピード・スケート等も絡んだ国際的な駆け引きだって考えられる訳だから、いずれにしてもまたぞろ、選手やコーチらの頭を悩ませるルール改正が話題に上がってくるのだろう。)

まあ今時、ジャッジの採点がそのままフィギュア演技の芸術的価値と得心される御仁はなかなかおられまいと思うが、それにつけても、ソチ五輪の浅田選手のフリー演技によって、メダリストの演技が必ずしも芸術性の高い演技ではないという、言われてみればごく当然のことに気づかされた面々は多かったのではないだろうか。

それでもまだ、「真央ちゃんはSPで失敗したから…」と四の五の仰る人間もいるとは思うが、それならフリー演技の得点だけで考えてみればいい。トリプルアクセルが入った六種類の三回転ジャンプ八回の演技が、ミスをしたりエレメンツで劣ったりする演技の得点よりも低いのだ。

そうすると今度は、「滑走順がもう少し後だったら…」などと仰る人間もいるだろうが、滑る順番が早いか遅いかで演技の得点が変わるというのなら、それこそ自らスポーツ競技にとって最も重要視すべき、絶対的評価であるはずの採点の公平性が破綻していることを指摘しているようなものだ。

まさきつねはリコメで「浅田選手の四分間がもたらした奇跡、彼女の芸術の勝利」と書いたが、あの奇跡的な四分間で、スポーツ競技としてのフィギュア・スケートに、浅田選手の演技の芸術性が勝利したのだと思う。


さて、以下は多くのひとがもうご覧になっていると思うが、ソチ五輪を前に公開されていたタチアナコーチに関する記事である。
彼女へのロング・インタビューで上・中・下の三部構成になっていたが、浅田選手に言及した上と下の部分を抜粋する。

※※※※※

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「真央は天才児で音楽的なスケーター」 
浅田選手との深い絆2014.1.1 話の肖像画]

 2月7日、黒海沿岸のロシアのリゾート地、ソチで冬季オリンピックがいよいよ開幕する。注目はなんと言ってもフィギュアスケート競技。12月の全日本選手権で代表選手が発表され、各種目ともメダル獲得への期待が高まっている。女子のエース、浅田真央さん(23)は2回連続の出場。前回2010年のバンクーバー五輪では、ロシアの名コーチ、タチアナ・タラソワさん(66)とのコンビで銀メダルに輝いた。タラソワさんは今季も、フリープログラムのラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』の振りつけを担当。「私は真央が大好き」とエールを送る。モスクワ郊外にあるタラソワさんの住まいを訪ね、浅田さんと結ばれた深い絆、そして、人生の全てをかけたフィギュアスケートへの熱い思いを聞いた。(モスクワ 佐々木正明)

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 --最初に浅田さんと会ったのはいつごろですか?
 「あの子がまだ小さい時から、競技大会のたびに会う機会があって、ジュニアの大会で彼女が勝利するのを見てきた。そう真央は天才児だったわ。氷上での動きは素晴らしく、スケーティングは非の打ち所がない。全てのステップ、全てのジャンプの難易度が高いのに、どの演技もいつもミスなしで演じていた。そして、真央は何よりも『音楽的な』スケーターだった。彼女はあらゆる曲目にあわせて自分を表現することができたのよ。私は、自分が教えることを演じきれない選手は受け入れないことにしているの。真央が小さい頃に、将来、素晴らしいスケーターになるということに気づいていなかったら、真央とパートナーを組むことはしなかったでしょう」

 《浅田真央さんがシニア大会デビューを果たした2005年。12月、東京で行われたグランプリファイナルで15歳の浅田さんがロシアが育てた世界女王、イリーナ・スルツカヤを破り、優勝、衝撃的なシニア大会デビューを果たした》

 「あのシーズン、スルツカヤはこの上なく調子がよかった。全ての大会で勝利を手にし、記録的な得点を獲得していた。3回転-3回転のコンビネーションジャンプを見事に決めていたし、力強い本物の滑りがあった。彼女しかできない難しいジャンプも決めていたしね。真央は技術的にもスルツカヤに近づいていた。世代を超えた滑りがあったわ。もし、グランプリファイナルに2人とも出場権を得られなかったら、スルツカヤは余力を蓄えることができた。少しだけ休むことができた。私にはそう思えるのね。

 真央はね。スルツカヤをこのシーズンで疲れさせたのよ。スルツカヤは東京のグランプリファイナルで負けたことに意気消沈した様子を見せなかったし、翌2月のトリノ五輪にも、生き生きとした良い状態で臨んだし、落ち込んだ様子を見せなかった。結局、トリノでは(荒川)静香が金メダルをとったのよね。でも、コーチとして思うのだけれど、グランプリファイナルの結果は、スルツカヤに心理的な影響を与えた。彼女はその影響を払拭することができなかった。真央はね、スルツカヤが金メダリストになる心理的な妨げになった。真央はスルツカヤを打ち負かしたのよ」

 --浅田さんは五輪出場の年齢制限にひっかかり、トリノには行けませんでした
 「真央の五輪は実質的には今回のソチで3度目になるのよ。トリノのときはたった数カ月、出場資格年齢に達していなかっただけ。私はまだそのとき、真央と一緒のチームじゃなかったのだけれど、彼女がトリノに出場できず、次のバンクーバー五輪まで4年間待たなくてはいけないということを悟り、大会関係者に「この子をオリンピックに出すべきよ」と提案したの。私は自分の考えをはっきりと述べる人だから、年齢は関係がないと言ったのね。でも、認められなかった。出場は許されなかった」

 --トリノ五輪後、2007・08年のシーズンから浅田さんはタラソワさんの本格的な指導を受け始めました
 「私が日本を訪れたとき、とても暑かったことは覚えています。それ以降、私たちは練習を積んでいきました。真央がいつもモスクワへやってきました。お母さんと一緒でしたね。真央がまだ別のコーチに師事していたとき、私が曲の振りつけを行ったのね。そのコーチが私のもとへ真央を何週間か派遣したとき、後から『真央は別人になって帰ってきた』と電話があったの。でも私は特別なことをしたわけではない。真央はそばでいつも、私のエネルギーを感じていて、そのエネルギーを吸収したまで。真央は練習の虫ね。とにかく真面目に取り組む人だった。私は真央が自分に打ち勝って、実力以上の演技をしたときが大好き。それはコーチとしての誇りなんです。真央は男子の選手がするような演技をして、私のコーチとしてのイメージを広げてくれました」

 --浅田さんに「恋をしなさい」とアドバイスしていますね
 「恋というのは、誰かのことを簡単に好きになるということではありません。誰かのことを真剣に思い続けることが恋というもの。恋は何らかの変化をもたらし、インスピレーションを与えてくれる。自分のことを鼓舞してくれる。力がみなぎるのです。恋はこの世に存在する物事の中で最も素晴らしいことなのよ」

 タチアナ・タラソワ
 1947年、モスクワ生まれ。4歳からフィギュアスケートを始め、10代でペア競技の欧州王者に。負傷のため19歳で現役を引退、コーチに転じた。トリノ五輪金メダルの荒川静香選手らを指導。浅田真央選手とは2007年から、かつては専属コーチとして、現在は演目の振付師として師弟関係が続いている。

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    ◇

浅田真央さんにエール
「ソチで、とびきりの笑顔を待っているわ」2014.1.2 話の肖像画]

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 2010年のバンクーバー五輪で浅田真央さん(23)とコンビを組んだロシアの名コーチ、タチアナ・タラソワさん(66)は、地元のメディアにも「私は真央のことが気に入っている」と言ってはばからない。今回、行われたインタビューでも「真央のいる日本に敬意を表して」として、多忙の中、1時間以上も時間を割いてくれた。今季限りの引退を表明した浅田真央さん。約束の地、ソチで、成長した愛弟子を待つタラソワさんはこう言った。「真央、誰もができないことを成し遂げたときのことを思い起こしなさい」(佐々木正明)

 --バンクーバー五輪でのエピソードを教えてください
 「私は彼女が素晴らしく演技をしたときがとても好きなんです。真央はバンクーバーで、ショートプラグラムで1回、フリーで2回のトリプルアクセルを成功させた。これはね、女子が跳ぶ技術じゃないの。彼女の可能性というのは際限のないものなのよ。真央の練習ぶりはまったく驚くべきもので、ミスは少なく、五輪でも十分に3回跳ぶ準備ができていた。これは前人未到の記録だし、きっと将来も長年、破られることはないでしょう。ジャンナのおかげよ。ジャンナのことを忘れてはいけないわ。私が彼女を指導していないときは、ジャンナが日本に行って指導していたの」

 《ジャンナ・フォレさんは浅田真央さんのアシスタントコーチ。今回の五輪前にも練習を指導した》

 --バンクーバーで結局、銀メダルでした
 「フリーで逆転優勝を果たすために、私たちはリスクを冒さなくてはならなかった。彼女は、2回のトリプルアクセルをオリンピックの大舞台で計算に入れていたのよ。フリーの前日、私は真央には休息が必要だと思っていた。翌日、100%の演技ができるように。でも、私は日本人関係者の希望もあって、練習を中止することができなかった。結局、真央は疲れからフリーの途中で力尽きてしまった。後半でミスをしてしまったの。十分に勝つチャンスはあったと思う。もし彼らが私の言うことを聞いていれば…と今では確信しているわ。だから、私はすぐに彼女の担当をおりたの。前日に、練習を止めれなかった自分にも責任があるから」

 --タラソワさんは、ソチ五輪のフリーでもラフマニノフの曲目の振りつけを担当しましたね
 「私が音楽を聴くときは、いつも真央をその旋律の向こう側に見ていた。振りつけを行うときは、いつもそばで真央を感じた。振りつけを行うことは、彼女に音楽という名の衣装を仕立てるようなものなのよ。私は今回も、彼女にあうラフマニノフの曲目を選び出した。前回のオリンピックもラフマニノフだったわね。どちらの曲目もまったく違うもので、曲の雰囲気も内容もまったく違う。ロシアの音楽を理解して、それにステップを調和させる方法も違う。でも彼女には、ラフマニノフを生み出したロシアの振付師がいる。それは私。長年、彼女は私と組んできたから、彼女はこのような素晴らしい音楽に身を委ねる準備もできている。彼女は何について踊ればいいかわかっているし、私がどんなふうに演じさせようとしているのかも理解している。

 ソチは、彼女の五輪にとっても記憶に残る演技となるでしょう。この曲目を通じて、彼女はこれまでのフィギュアスケート人生の全てを表現するのよ。困難を克服すること。それがこの演目のテーマです。もし、真央がラフマニノフの調べにのって、全ての演技を終えることができたら、それこそが困難を克服したということ。1人の人間の人生、一流のスケート選手の人生を表現したことになるのよ」

 --浅田さんは今季限りの引退を表明しました
 「真央はもう23歳になるのね。彼女はスポーツの世界の第一線で10年以上も戦ってきた。これだけ長い間、最高の状態を維持しているというのは、並大抵のことではないわ。この間に、真央は最愛の母親をなくし、大きなショックを受けたのよ。それでも、トップの位置を保ったの。すごいことだわ。今の真央には、過去の自分自身を見つめ直し、全てを一新した姿を見せる必要がある。難しいことだけど彼女ならできる。真央は、いつも努力を怠らず、成長を続ける優秀な人だから。

 キャリアというものはいつ何時も終わりがないもの。私たちのスケート人生は終わらないの。真央は1つの状態を終えて、別のステージに移動するだけ。彼女はきっと、世界中でアイスショーを演じることになるでしょう。自分の劇場を作るようなものね。これは彼女のキャリアにとっても大きな経験になるわ」

 --多くの日本国民がタラソワさんと浅田さんの絆を知っています
 「私は真央がそばにいないときでも、真央のことを考えている。昨シーズンは1つの衣装で大会に出ていたから、演目の『白鳥の湖』の音楽にあうように、羽根つきの衣装を贈ったのよ。私は彼女の演技が大好きなの。もし彼女が勝ち続けることができたら、私が振りつけしたプログラムも勝利を得るということなのよ。

 真央は、かけがえのない、とても特別な人。私は真央を愛している。五輪で、真央がとびきりの笑顔を浮かべることを心から祈っている。彼女がいつものように調子がよくて、ちゃんと準備をしたのならきっと良い結果を残すわ。私はいつも公平です。誰が良い結果を残すか、誰が勝たなくてはいけないのか? それは出場選手自身が知らなければならない。オリンピックでは、全てが公平なのよ。あとは神のみぞ知るというところね」

《「最後に、浅田さんにアドバイスを送ってください」と言うと、1分間近く考え込み、こんな言葉を紡ぎ出した》

 「真央、フリーで2回のトリプルアクセルを達成したときのことを思い出さない。誰もができなかったことを成し遂げたときのことを思い出しなさい。そして、そのためにすべてをかけなさい。プロのコーチのアドバイスをちゃんと聞き入れなさい」

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※※※※※

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タチアナコーチが行う振付の芸術性に関しては、このブログの中でも再三にわたって述べてきたが、その振付を熟すということだけでも、その選手の身体能力の高さと芸術的センスがうかがい知れるというものだろう。

抒情的で優雅な姿勢を保つスピン、ダイナミックだが繊細に、あらゆる人間の情感や諸行無常の人生の機微、運命の過酷さを物語るような気迫のステップ・シークェンス、そして高まる最後の波に衝撃的な神の刻印を押してゆく、ファンから変型アラベスクへ連続のスパイラル。

浅田選手はこれだけ詰め込まれたエレメンツに加えて、さらに3A、3F+3Lo、3Lz、2A+3T、3S、3F+2Lo+2Lo、3Loという高難度ジャンプの構成を完遂させてみせたのだ。

タチアナコーチはインタビューで「彼女が勝ち続けることができたら、私が振りつけしたプログラムも勝利を得るということ」と述べているが、ロシアの実況放送の様子が、まさにその勝利の瞬間を確認したタチアナコーチの、感極まった歓喜の声を伝えていた。

タチアナコーチは男子メダリストたちのフリー演技に対して、結果云々はさておいて、その内容のお粗末さに随分おかんむりだったから、それを踏まえても浅田選手のこの演技の完璧さ、見事さに溜飲が下がったということではなかったのではないだろうか。

「オリンピックでは、全てが公平」、タチアナコーチの言うとおりだ。

「誰が良い結果を残すか、誰が勝たなくてはいけないのか? それは出場選手自身が知らなければならない。」
その通りだ。

出場選手自身だけでなく、世界中が真に結果を出したのは誰か、誰が勝たなくてはいけなかったのか、一目瞭然に知ってしまった。

五輪では、芸術に順位が付けられないことも誰もが思い知ってしまった。

お粗末なジャッジが「厳正かつ公平」にはじき出した数値が、演技構成の内容との著しい乖離を露見させてしまったからだ。
PCSだGOEだと、何のかんのとこじつけたって、そのどれもがジャッジの思惑ひとつで如何様にも操作できる数字であることが、赤裸々になってしまったからだ。

結果ありき筋書ありきのお遊戯の発表会は、表彰台の上で繰り広げられる茶番劇だけでたくさんだ。(金でも銀でも、国同士が好きに獲り合いすればいい。)

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ソチ五輪の浅田選手のフリー演技は、確かにひとつの芸術として世界中に感銘を与えた。
フィギュア・スケートがメダルを競うスポーツの域を超えて、豊穣な身体芸術の美の源であることを世界に知らしめしたのだ。

極限まで高められた技術と訓練された肉体によって、生まれ持った音楽的感性がとらえた旋律を巧みに拾い上げては、洗練された姿勢とポジションを時空間に刻みつけていく動体の芸術。

然るに「芸術」とは何か、という問いには古今東西さまざまなひとが答えを求めており、そしてこれと単純には決めることのできない命題なのだが、まさきつねが自分自身、さまざまに逡巡して、これは間違いのない答えのひとつと受容しているのは、「芸術」とは光だということだ。

よく岡本太郎の「芸術は爆発だ」という言葉が取沙汰されるが、爆発をたとえば超新星(ノヴァ)の最初の光のようなものととらえれば、太郎もまた「芸術は光だ」と考えていたと解釈することも出来ると、まさきつねは思っている。

芸術は狂おしき光、この混沌たる世界に秩序を与え、美を施し、豪奢なる時間と静謐な場所、そして快楽に燃えるいのちを、何もない闇から奇跡のように生み出す、エネルギーの塊なのだ。

時としてひとは、それを夢と呼び、希望と名づけるが、その果敢なさゆえに枯渇した魂は尚更その存在を求めて、苦悩し、挫折し、また追い続ける。

そしてこれが大事な点だが、芸術には決して完璧はなく、完成されることもなく、その創造の道に終わりはないということだ。
ノヴァの光が永遠に宇宙の彼方に向かって放たれ続けるように、その熱量が彗星の尾のごとくいつまでも銀河の岸辺を横切り続けるように、芸術は終わりのないいのちの輝きだ。

果てのない永遠の憧れの風景。だから誰もがいつまでも恋いこがれる。

タチアナコーチはキャリアとは「いつ何時も終わりがないもの。」と答えているが、それはつまり、タチアナコーチが長い人生の中で、どれほど多くの芸術的なコレオや演技の傑作を生み出そうとも、決してこれが完璧というものはないということなのだろう。

五輪でメダルを獲ろうが、ワールドを何度制覇しようが、求めるものに限りはない。理想とする世界は、人知を超えたまださらに先にある。


限りなく美しく、限りなく希望の残された正義の光が届く場所。

神の秩序と美、豪奢、静謐と快楽のみち充ちた場所に。


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わぎ妹子(もこ)よ、わが恋人よ、
思いみよ、その楽しさを
もろ共にわれらゆき、かの国に住み!
心ゆくばかり、恋をし、
恋をして、さて死ぬる、
汝(なれ)に似る、かの国に行き!
曇りがちなる、空に照る、
うるみがちなる、日のひかり、
それさえ、われに、なつかしや、
不可思議めきて、
涙のかげに輝ける、
いつわり多き、汝(な)が眼(まなこ)とも。

ああ、かしこ、かの国にては、ものみなは、
秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)。

経る年に、光沢(つや)つきて、
時代めく古き家具、
恋の間(ま)に、われらかこまん、
珍らにも、見知らぬ花の香(か)に匂い、
ほのかなる竜涎(りゅうぜん)の香(こう)とまじらん。
きらびたる五彩の梁(はり)は、
そこひなき鏡の面(おも)は、
東(ひんがし)の国ぶりはでに、
ものみなは、そことなけれど、
しみじみと、
人の心に、語るらし、
おのがじし、おのが言葉に。

ああ、かしこ、かの国にては、ものみなは、
秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)。

見よや、かの舟つきの岸へ、
来て眠むるかの大船の、
無頼なるその姿、
遠く世界のはてしより
大船のここに来(きた)るは
せめて汝(な)が小さき望み、
叶えんと、ただに希えば。
沈む日は、
野にも、川にも、都にも、
ひた塗りぬ金と紫、
わが世いま、眠り行くかな、
狂おしき光のうちに。

ああ、かしこ、かの国にては、ものみなは、
秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)。
(シャルル・ボードレール『旅へのいざない』)


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Comment

M&M says... ""
ありがとうございます。
涙しながら読みました。

外国特派員協会の会見での真央さんを見て、
こんな選手はもう現れないだろうとつくづく思いました。
彼女を貶めることで利益を得てきた輩はそのむなしさを感じているだろうか。。。と。
2014.02.25 23:28 | URL | #6goa5kBQ [edit]
miyu-rimiママ says... ""
まさきつね様

今日も素敵な言葉の数々をありがとうございます。

バンクーバーの映像はダビングしてありますが、あのインタビューはいつ見てもこみあげてくるものがあり、『鐘』は4年もたつのに1回しか見返していませんでした。しかも、見たのは今シーズンが始まる前、真央さんの悔しさから目をそむけてはいけないと覚悟を決めて。
あの演技を見ると真央さんのつらい涙も浮かんでしまうのと、それを見た時の自分の感情も蘇ってしまいます。

だからこそ、真央さんは笑顔で終わりたかったと言っていたのかなあと。
自分のためにも応援してくれる全ての人のためにも。
自分の演技を見て笑顔になってもらいたいという、優しさを感じたからこそ、ソチの演技は何回も見ようと思うし、実際もう何十回も見ています。
そして、見るたびに、「真央さん ありがとう」 と感謝している自分がいます。

本来、人は何に感動するかという 原点を 真央さんに教えられたような気がします。
フィギュアスケートの神様は、恣意性含む採点がいかに陳腐で浅はかなことかを、
『鐘』で警鐘したはずでしたが、ますますひどくなる現状に、
真央さんの演技をもって知らしめたかったのではと。

純真無垢であるからこそ、そこに神が宿ったと 感じた夜でした。

真央さんが 引退か休養後復帰かは今の時点では50%とお話しされました。
どのような選択をしたとしても、心から応援しています。

まさきつね様、こうして更新してくださって本当にありがとうございます。


2014.02.26 00:27 | URL | #- [edit]
ホビット says... "足し算と引き算"
また、お邪魔しました。
もとより、芸術とは、人の心にあるものだから、それを数値化することがどれほど馬鹿らしいことか・・・しかし、フィギュアスケートという競技の特性上、わかりやすさを求めて、今の採点システムになったのでしょうが、摩訶不思議な足し算と引き算で、芸術がおいてきぼりになっていますね。

足し算される観点はまだしも、引き算される観点の「回転不足」、これがどうにも、納得できないのです。今回の浅田選手の演技によって、さらにその気持ちが強くなりました。ほんのわずかの不足、これが、この演技全体の質を落としたでしょうか?感動を損ねましたでしょうか?

以前、同じくフィギュアファンの友人とあれこれ語り合っていた時に、私が以前から気になっていた、羽生選手の猫背(これはかなり良くなってきました)と、両肘のさがった腕について話したところ、「猫背だから減点、肘が下がっているから減点という項目はないから、後回しなのよ」と言われて、そうか・・と思いました。何とも美しくないのですけどね。
策士オーサーはなるほど、点を取るためのプログラムとトレーニングに非常に長けているようです。ヨナ選手についても同じでした。(彼女のジャンプ前のがに股は減点対象ではないですもの)

足し算と引き算ありきでないプログラム・・・だからこそ、芸術であったのだ、と思うのは短絡的でしょうか?
2014.02.26 21:12 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "後悔しているのでは"
M&Mさま

重ねてのコメント、本当にありがとうございます。
まさきつねも、こんなに連続して更新するとは思っていなかったのですが。

彼女を貶めることで利益を得てきた輩…のことは何とも分かりませんね。むなしさどころか、老害どもは何のことか分からず、マスコミは知らんふりで、けろっとしているのではないかと思います。
そう思うと、ますます腹が立つので…、とりあえずあちらの方が「後悔しているのでは」という、名言が一番だと思います。
2014.02.27 19:44 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "幸福な人生を"
miyu-rimiママさま

ご訪問うれしいです。

浅田選手、「ハーフハーフ」という名言をまたも残されたようですね。まさきつねも、彼女の気持ちのおもむくまま、好きなように自由にされたらいいと思います。

やりたいことをやりたいときに、自由にするのが人間一番の幸福です。
何よりも、幸福な人生を歩んでいただきたいと思います。
彼女にはそれにふさわしい、目に見えぬ遺産があるのですから。
2014.02.27 19:50 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "足し算と引き算のツケ"
ホビットさま

ご訪問いつもありがとうございます。

ジャンプの回転不足に関しては、もう神のみぞ知る…の領域でしょうね。解説者が「これは回っていると思う」とか「これは認めて」とか、混乱した言葉を口に出す時代ですから。
そもそも規定が曖昧で、選手次第でどっちにも転ぶという偏向ジャッジが胡散臭さを呼ぶのでしょうけれどね。野球のジャッジだって、試合によってストライクゾーンが違うそうですが、少なくともピッチャーによって変えるようなことはしないという話を聞きました。点数があまりにも大きく揺らぐフィギュアでは、やはり機械判定の必要性を感じざるを得ませんね。

姿勢やポジションの美しさに関しては、もう個人の審美眼に任せるしかないですね。でも、減点対象じゃないからという理由で改善しないような選手は、表現者としてはいずれ壁にぶち当たるでしょう。それでも、競技者としては台乗りできるからとたかをくくるのであれば、アイス・ショーのリンクでは、誰からもそっぽを向かれるのではないですか。
ソチのエキシビションでも、何だか寂しげな銀メダリストもいましたよね?
2014.02.27 20:25 | URL | #- [edit]

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