月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

ラストダンスは私に

フィギュア343-1


音楽は心より生まれ、心に届かなければならない。
(セルゲイ・ラフマニノフ)



これはラフマニノフの有名な言葉である。「音楽」は「芸術」に置き換えてもいいと、まさきつねは思う。
すべての芸術は、こころより生まれ、こころに届かなければ意味がないのである。

キム選手が「ずっと前からスケートが嫌いだった」と語っている記事を読んだ。
引退について、現在の心境を素直に述べたもののようだが、「ずっと前からスケートが嫌になっていて、見たくもなかった。多分、滑り過ぎたせい。だから選手生活には少しも未練がない」という言外には、フィギュア競技から出来るだけ早く離れて、新境地の生活に移りたいという気持ちが滲んでいる気がする。

オリンピックの大舞台で銀メダルを獲ったばかりの選手にしては、ずいぶん冷めた心持ちだなといささかこちらも拍子抜けするが、彼女のスケートが与える、どこか機械的で淡々とエレメンツを熟すだけの面白みに欠ける印象からすると、誰もがさもあらんと納得の言葉かもしれない。

芸術どころか、スケートに対する何の思い入れもなく、好きですらなく、誰かに何かを伝えようという思いの欠片もなかったのなら、キム選手の演技が観衆のこころに届くはずもなかったのだ。


彼女の演技を観たタチアナコーチの感想がキム選手のスケートのすべてで、おそらくそれ以上でもそれ以下でもない。


※※※※※

タラソワ<キムがどんな曲で滑ったか覚えていない>

記者が偶然エレベーターでタラソワコーチと会ったときの会話だそうです。

2014年2月20日
イネッサ・ラスカゾワ

タチヤナ・タラソワ
今日キムが何の曲で滑ったか覚えてる?
私は覚えてないわ。これは刑事事件よ!

 (前文略)
 とっても幸せよ!アデリナは今日、世界で誰よりも良い滑りをしたわ。でも、このことはもうこれ以上しゃべりません。明日という日を待ちましょう!

 ― でも、彼女はユナ・キムに負けました。キムの演技はあっと驚くものではなかったと、あなたがテレビ中継で仰っていたことは、すでに私の耳に入っています。

 それは、彼女のプログラムがつまらないからです。新しいルールに十分則ったものではなく、つなぎが不十分で、とてもありふれたつなぎでした。スピンだけがとても良かった。ええ、彼女はすべてのジャンプを成功させましたよ…でも、ああいう滑りからは到底満足を得られないわね。彼女が何の曲で滑ったか、あなたは覚えてる?

 ― いいえ。

 私も覚えてないわ。これは刑事事件よ!


※※※※※

これは以前からロシアのニュース関連のエントリーでお世話になっている、『ロシア語自習室』というブログ主さまの翻訳記事である。

「刑事事件」という物言いが、いかにも歯に衣着せぬタラソワ節だなと苦笑するが、タチアナコーチにとって、音楽の楽想ひとつ伝えてこないキム選手のプログラムは、たとえジャッジがどんなに高いPCSで、曲との親和性や音楽の解釈ができていると評価しても、その採点が真っ当だとはとても認めるわけにはいかなかったのだろう。

タチアナコーチはオリンピック後、キム選手とロシアの間に起こった不正採点疑惑について答えたソビエトスポーツのインタビューでも、キム選手の演技を手厳しく批判している。

以下はその一部を抜粋して、意訳したものだが、タチアナコーチの話の趣旨は伝わるだろう。



フィギュア343-39


「…要するにキムの振付は古臭いの。ジャンプの前に見せ場になるつなぎを入れたり、そんな工夫もしないで、ひたすら漕いでるだけでしょ。ステップだって、ステップ・シークェンスだけじゃないのよ。ジャンプにも連動して、プログラムとしてつないでいかなくちゃ。
アデリナは連続ジャンプの着地で失敗し、両足着氷して0.9ポイント減点されたわ。でもキムが跳ばなかった2A-3Tを成功させたから、得点が高かったの。キムにはプログラムの後半に、難度の高いコンボがなかったのよ。
コストナーも良い演技をしたけど難しいジャンプはなかったわ。キムを比較するのなら、コストナーと比べるべきね。アデリナとでは難易度が違うのよ。
アデリナの構成は高難度だったし、ジャンプまでのつなぎも、着氷後の流れも素晴らしくて、とても難しいステップをしてるのよ。
アデリナのジャンプには、ただ前向きに漕いで、クロスオーバーして入るつなぎなんてないわよ。PCSでも大差があってもいいくらい。キムがアデリナに勝っているなんて、ありえないわ。私が審判なら、もっと低い点を付けたわよ。
キムは衣装でさえ古臭かったわよ。衣装は採点には入らないけれどね。
でも衣装が古臭いってことは、それがすべてを物語っているの。衣装デザインだって進化してるの。振付はなおさらよ。
キムのショートの音楽表現なんて、私はまったく理解できなかったけど、ジャッジは高いPCSを与えたわね。滑りが音楽にどのくらい同調しているかを見る項目でも、ずいぶん高評価だったけど、キムの動きはどこをとっても音楽に合ってなんかいなかったわよ。
アデリナのショートは、高さのあるジャンプと、キムよりはるかに素晴らしいスピンがあったわ。すべてレベル4よ。キムのスピンでまあまあだったのは、キャメル・スピンだけ。彼女のプログラムでは毎度お馴染みのね。」





タチアナコーチの弁によると、ISUの採点はしごく公正で、現在のルールに沿ったもの、ソトニコワの金メダルに難癖をつけている人間は、単にロシアに対して何かしらの因縁をもっているに過ぎず、ISUのルールをもっと勉強してから競技批判するべきということのようだ。

ロシアにしてみれば、前のバンクーバー五輪でISUのルールを盾にカナダに好き放題されたのだから、今回そのルールを逆手にとって、勝つための定石を今の採点システムに従ってしっかり打ってきたに過ぎない。
大舞台にも気後れしない若手選手を育成し、リスクアセスメントをした上で考えられたプログラム構成やコレオを練り、団体戦も考慮したタイム・スケジュールでロシアの五輪女王誕生の瞬間を、手ぐすね引いて待ち構えたのだ。

ロシアの腹づもりに、日本の女子選手には端からメダルの配分はなかったとまでは云わないが、メダルを狙ういかにも開催国らしい強い心構えや、絶対的な意志というものに比べると、やはり日本の競技関係者の鈍い動きからは、組織的な甘さやメダルに対する執着の弱さがあちこち覗いているような気がしてならない。

そして端から純粋なアスリートたちの闘いとは別の次元にある、こうした政治的な思惑や組織的な胸算用が乱れ飛ぶメダル争いはさておき、浅田選手は、彼女なりに彼女の闘いの下準備をし、彼女なりの目標に向かって努力し、このたびの五輪で、その目指すところの一部には到達して、充実した達成感を得られたことと思う。

その歩みの中で折々に刻まれた、浅田選手の心中と足跡をつづった朝日デジタルの画像がある。

それをご紹介して、ラフマニノフの「心より生まれ、心に届かなければならない」芸術とは真に何たるか、もう一度考えてみたいと思う。


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聞くところによると、タチアナコーチはロシアの幸せの青い小鳩「グルボーチカ」をイメージして、浅田選手の青い衣装をデザインし、彼女に贈ったのだという。
タチアナコーチが解説していたロシアの放送で、浅田選手の演技を観ながら「私の小鳩ちゃん、頑張るのよ」とつぶやいていたというのは、ふたりの間にこういう経緯があったからだろう。

グルボーチカは日本では蓑鳩といい、画像を見ると確かにタチアナコーチの衣装デザインが、この鳥の可愛らしくも華やかな姿かたちを忠実になぞっており、浅田選手が「より高くより強くより美しく」飛翔できるように、そして何より幸せであるようにと、深い祈りを込めて作られたものだということがわかる。

タチアナコーチは五輪を目指す可愛い教え子のために、心のこもった衣装を贈り、教え子はその気持ちに応えて、心のこもったラスト・ダンスを五輪の舞台で披露したのだ。


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それぞれの演技が観衆に訴えるものに違いがあるように、流す涙にもその理由に違いがある。


キム選手は試合後の涙を、「ショートプログラムが終わった後の夜も、ついに引退かと思ってこみ上げてくるものがあった。ずっと我慢してきたことが涙になってあふれ出した」と話している。
彼女にとってスケートは、もう長い間、耐えがたい我慢の連続で、審判に評価されて表彰台に上がる以上の意味を持たないものだったのならば、引退はもはや評価を求める必要のない日常へ解放される、まさにあらゆる足枷からの免除放免の証しだろう。

そして流された涙は、ようやく釈放される安堵の気持ちの表れなのだろうが、選手にとって苦役でしかなかったというその演技は、観衆にとってもスケートのよろこびや楽しさを味わえる作品には、とてもなり得ないのが当然だったということだろう。


浅田選手もまた、彼女自身の言葉にあるように、演技や技術、そして精神状態に苦しみ続けた数年間を振り返っている。

かつては無邪気にオリンピックに出たい、メダルを獲りたいと語っていたあどけない天才少女は、自身の成長とともに多くの困難に見舞われ、越えられぬ限界を知り、失敗を噛みしめてはさまざまに苦悩し、涙し、それでも歩みを止めることはなかった。

観衆もまた、無心な彼女の笑顔がいつか、大人びた憂いを含んだものに変わり、失敗の悔しさがさらなる挑戦のバネとなり、かなしみが怒りに、怒りが祈りに、祈りがよろこびに移ろっていったように、小さな子供の他愛無い夢が大いなる日本の希望と育っていゆくさまを見届け続けた。

浅田選手の苦悩の足跡が、最後にうれし涙の終幕を迎え、彼女にとっては最高の演技、観衆にとっては最高のスケートを見るよろこびとなったのは、ひとえに浅田選手がスケートをする自らの失敗、絶望、苦しみ、悩み、切なさを観衆の前に赤裸々に吐露しながらも、一方で「スケートが好き、スケートが楽しいという気持ち」を決して忘れず、滑るよろこびをパワーに変えて、常に挑戦する演技を求め続けてきた結果だからにほかならない。

浅田選手にとっても観衆にとっても、彼女の失敗は常に成功への足がかりであり、彼女の苦悩は挑戦するがゆえの道程であり、試練は人生における成長の糧であって、避けがたいがゆえに逃げない姿勢が何よりも美しく尊いことを、こころの底から理解していたからこそ、のた打ち回った絶望の果てに見えた希望の光を、深い感動とともに受けとめたに違いないのだ。

浅田選手のスケートは、彼女の人生そのものであり、彼女の愛したもの、愛したすべてにささげる祈りだった。

彼女の演技はメダルではなく、多くのひとの流した涙によって、その真価が五輪の歴史に刻印されたのだ。



人生の節々に流される涙も、有終のラスト・ダンスもその価値に優劣の違いはない。ひとの人生の価値に違いがないように。
だが、その美しさ、芸術性のあるなしは別の話だ。

競技の瞬間も、そしてこれからずっと、いつまででも、たくさんのひとたちがあなたのラスト・ダンスに恋をして、淡い月明かりの下のような美しい夢に酔い痴れたいと思うだろう。

あなたのラスト・ダンスの手をとって、何かを愛すること、生きる意味に触れさせてくれた涙、こころに届いた芸術のことを思うだろう。


もしも夢の中ででも、ラスト・ダンスの手をとることができるのなら、まさきつねも大勢の涙で飾られた、あなたのとともに踊りたい。


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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『The Drifters-Save The Last Dance For Me Lyrics』

踊っておいで
きみを誘う手のすべてをとって
あちこちからきみを誘惑する
男たちの腕に抱かれて
月明かりの下、素敵な笑顔で
微笑んでおいで
きみをその手で抱きしめている
男たちのために
でも忘れないで
今夜、きみを家に送るのは
それは僕だよ

スパークリング・ワインのように
素敵な音楽
きみを酔わせる歌があるだろ
思いきり歌って、そして笑って
でもお願いだから
僕以外の誰かに
きみの心を渡さないで
そして忘れないで
今夜、きみを家に送るのは
それは僕だよ

愛しい人、分かっているよね
僕はきみを愛しすぎているから
僕の望みはただひとつだけ
こころからきみを愛しているから
いつかきみが僕のもとから
離れてしまわないように
僕たちの愛は美しすぎて

さあ踊っておいで
楽しんでおいで こころから
夜明けまででも
僕はきみと一緒に帰るまで
ずっと待っているよ
もし誰かが
きみを家に送ると声をかけてきても
きっぱり断るんだよ
だって忘れないで
今夜、きみを家に送るのは
それは僕だよ
だから取っておいてね
最後のダンスは僕のために

だから忘れないで
きみを腕の中に
今夜抱きしめるのは僕だよ
(ザ・ドリフターズ『ラストダンスは僕のために』)


『Dalida - Garde moi la derniere danse』


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Comment

Blue wind says... "ありがとう"
はじめまして。いつも美しい言葉でフィギュアを語ってくださる、まさきつねさんの文章が大好きです。
あの日の浅田選手のFPに感動で身体が震えるという生まれて初めての経験をしました。
そして、今日まさきつねさんの文章を読ませていただき、涙があふれました。
自分でも何が書きたかったのかわからなくなってきましたが、あの浅田選手のFPを見ることができた感動と、まさきつねさんの文章での感動をありがとうとお伝えしかったのです。
支離滅裂でぎめんなさい。
2014.03.12 00:14 | URL | #VO98Xzzc [edit]
ピンクエッジ says... ""
言葉によって、ソチのFSが再現されましたね。
涙、涙のラストダンスをありがとうございました。









それでもあえて思うのは、 審査員の質の問題です。

スケートを一度も滑ったことのない人でも審査員をしていると聞いたことがあります。
少しでもスケートを知っていたら、3Aがどれほどむつかしく、ステップの変化からジャンプに入る難易度を実感しているはずです。
ナントラ協会のエライさんとかが審査員になっているのでしょうか。

やはり審査員は実際に選手であった人で、スケートの事をよく知っている人になってもらいたいのが審査を受ける選手側の気持ちではないでしょうか。
世界選手権入賞者以上のような資格を設けて、実名にするべきだと考えます。

そうでなければ、女性で3Aを一人だけ成功させ、8トリプルを成し遂げた選手にメダルがいかず、「古臭い」「易しい」演技者がオリンピックで銀メダルになるなどというオリンピック精神に反する事が起こるはずがないのです。

今、フィギュアは「芸術点を競う」のか「世界記録のないスポーツ」になり下がるのかの分岐点だと思います。





2014.03.12 01:12 | URL | #- [edit]
林檎 says... ""
まさきつねさん、素敵な記事をありがとうございます。
あの時の感動が再びこみ上げてきました。

真央さんの衣装ですが、どこで見たかは覚えてないのですが、真央さんの希望で、亡きお母様の好きだった矢車菊の花をモチーフにしたという話を見ました。
タラソワさんはそこに幸せの象徴であるグルポーチカを重ねて、真央さんの成功と幸せを祈ったのかもしれませんね。

あと、これは蛇足ですが、キムさんの「スケートが嫌」発言ですが、翻訳によって「スケート靴を見るのが嫌」という説もあって、少しばかりニュアンスが違うのかもしれません。…それでも彼女の演技からは、情熱も愛情も感じられないという、私の感想は変わらないですが。
2014.03.12 02:15 | URL | #- [edit]
M&M says... ""
まさきつねさま、
素敵なエントリーをありがとうございます。

真央さんの演技は芸術です。

私はチェロが大好きなのですが、名演を聞くと(見ると)チェロは演奏者の一部になっていて、彼の息遣いがチェロに響き、チェロの響きは彼の体にも共鳴していく。。。技巧を見せるとかメロディを聞かせるとかそんなものを超越したところで、奏者のありのままがさらけだされていき、音楽ができあがっていく。。。そんな演奏を聞くと涙が出てきます。

絵を描くことも、文を書くことも皆同じですよね。。。
日々の鍛錬の中で身に付けた技術、研ぎ澄まされた感性、それらを惜しむことなく余すことなくさらけだしてできあがるもの。。。そのうみの苦しみに比例して人を感動させる力も強くなる。

小さな頃から彼女の演技はいつもその時の精一杯でした。
持っているものをすべて見せてくれた。いつも上へ上へと向かいながら、苦しむ姿も、もがく姿も全部ありのままに、いつも精一杯の彼女でした。

そして、苦しみながら身に付けたすべての技術を使って、あの日、彼女が表現したかったラフマニノフを見事に演じきった。
心のそこから湧き出てくるような彼女のスケートに対する情熱、18年間の苦しみも悲しみも喜びもみんなこのプログラムに込めると語っていたとおり、ジャンプを跳ぶ度に、ステップを踏むごとに、これがいまの私、いまの精一杯、そしてそれはいままで培ってきたもの全てをかけた最高の演技。。。。もう、3Aを降りた時から、涙が止まらずにぼろぼろになってみていました。
バンクーバーの鐘は凄かった。彼女の気迫に鳥肌が立ちました。あの演技は忘れられません。でも今回のラフマニノフは何か違う、もっと静かだけれど強い、心のそこに触れるのだけれど無理強いしない、誘われるような、あらがえないような、そんな力に心がとらわれていったような感じで、涙が止まりませんでした。

感動的なコンサートを聞いた後のような、美しい絵画に魅せられた時のような本当に良い物を見たっ。。う~ん、ていうより、心を打たれた感動がずうっと消えなくて、ずうっとその余韻に浸っていたくて。。。。。
本当に彼女の演技は芸術です。

2014.03.12 09:18 | URL | #6goa5kBQ [edit]
はろいん says... ""
はじめまして。
浅田選手のことばに尽くしがたい滑りに対しての興奮さめやらぬままにあちこちブログやネットあさりの日々で、久しぶりにまたこちらを拝見させて頂き、とてもうれしい記事に沢山出会いました。それでうれしくて書き込みさせて頂きます。長文になってしまってすみません。

バンクーバーの鐘は悲しかった。
あれと比べた時、今回はメダルすら無いのですから、本来ならもっと悲しく悔しいはずで、確かに心の一部はその通りなのですが、しかしまた逆に、今回のソチのラフマニノフのピアノコンチェルトは、もはやメダルやら得点などは大きく凌駕した崇高な何か、フィギュアスケートの真髄そのものにたどり着いていて、ある意味どうでも良い部分も確かにありますね。

浅田選手の演技に、政治的思惑の鵺と化した現行のISUはメダルも得点も与えられなかった。
だからこそ、私たちの心が、ことばが、浅田選手の演技を永遠に刻もう。
このブログは、浅田選手のあの演技にふさわしいことばに満ちていて、読んでいてうれしくなります。
こういう観客が居て、さまざまなことばや思いを浅田選手に捧げる。そのこと自体が浅田選手の金メダルなんだろうと思います。

それにしても、今回の記事を通じて改めてタラソワコーチのことばや言動を読ませていただき、いろいろ思うに、不思議な気持ちになりました。

一人の内気で勝ち気な、なかなかの才能をもった一人の少女が、国の威信や思惑もあって国民からもてはやされ、期待もされるようになったとき、隣国にはきらきら輝く同い年の天才(努力に支えられた天才)少女がいた。
アスリートのプライドにかけて、真正面から戦って勝ったり負けたりするか。それとも威信をかけたがる国のバックアップを受けて、アスリートとしてのプライドを少し棚上げにしてでも、必ず勝つか。
少女は後者を選び、祖国の後押しをうけて採点システムを味方に付け、またこの採点システムでの高評価が求める演技を磨いて、史上最高点をたたき出し、少女は勝った。

少女のために、正確には少女の祖国の国威発揚のために、だいぶ歪んでしまったジャッジシステム。
最大の特徴はジャッジによる恣意的な操作幅が非常に大きいこと(GOEとPCS、回転不足とeも)。それと連動して、女子の3Aとセカンド3Loをほとんど封じる認定の厳格化。基礎点の低さ。
ついでにステップとスパイラルの評価の低さ(得点にあまり反映しない)
大国ロシアは、しかしこのジャッジシステムを見直させるのではなく、このジャッジのもとで高い評価を得られる選手を4年かけて育成した。つまり、女子の3Aやセカンド3Loは捨ててセカンド3Tを磨き、GOEを付けざるを得ない繋ぎやスピンを充実させ、「ちゃんとやってるのだからGOEとPCSを付けろ」「eでグタグタ言うな」とにらみを利かせる。
大事なのは国をあげてのバックアップがあったということ。そして金メダルを見事とった。現行ジャッジシステムに則った最高の演技で。

浅田選手の今回の演技は、皮肉な言い方ですが、国のバックアップがないからこそあり得た演技だったのかなと思います。女子にはとてつもなく難しかったりほぼ認定しなかったりの3Aやセカンド3Lo、そのくせ基礎点が努力に見合わぬ低さに抑えられている、そんな非効率的な技なんて、国の威信にかけて勝ちをねらいに行く時にはなかなか練習などさせてもらえないし、プログラムに組み込むこともできなかったんじゃないか。

佐藤コーチが、「あれだけ芸術的な演技をしそうな身体をもっていながら3Aを飛ぶ。並大抵の努力ではできないこと」「身長が高くなれば、それだけ女子がジャンプの軸を維持するのは難しくなる。163センチの高身長で3Aを飛ぶのは並々ならぬ鍛錬そのもの」と言っていました。
(確かに伊藤みどり148センチ、ハーディング153センチ、中野友加里と15歳の浅田は158センチ)
浅田の3Aへのこだわりを見守り、それを活かそうとするのは葛藤や苦悩の連続だったとも。

浅田選手は本当に傑出したスケーターで、3Aやセカンド3Lo以外にも優れたところはたくさんあるし、そちらのほうをひたすらに磨いた方が効率よく得点を重ねられるでしょうから、佐藤コーチの苦悩は無理からぬところだったでしょう。

浅田選手のSPの大失敗は、国のバックアップがなく、ジャッジのしょぼすぎるGOEやPCSや厳しい回転認定に悩まされてきた必然的結果だろうと思います。GPシリーズでの浅田選手のSPのすばらしい完成度と練達ぶり、それに逆行するジャッジの採点のおかしさ。なのに、国のために高い得点を―今まで出したことのない75点を―出したいと思ってしまったことが、あの大失敗を生んだのではないか。

でも逆に、そんな情けない国に生まれた天才少女だったからこそ、3Aを跳び、セカンド3Loを跳び、(大して得点にはならないが)芸術の結晶のようなステップを踏むプログラムが許されたのだろう。
タラソワコーチは、「私のプログラムを滑ってくれて、ありがとう」と讃えました。

現行の、政治に翻弄されて目指すべきフィギュアスケートの形への哲学を見失ってしまった鵺のようなジャッジシステムのもとで、フィギュアスケートの神がもとめるフィギュアスケートの真髄を形にするのには、この国に生まれるしかなかったのかもしれません。

タラソワコーチのインタビューを読みながら、そんなことを思いました。
2014.03.12 12:10 | URL | #- [edit]
ホビット says... "心より生まれ・・・"
冒頭の言葉、本当にそうですね。芸術は、心そのものでなければならない、目に見えない心を表すものが芸術なのだと、まさきつねさんの記事を読むたびに、あらたに気づく繰り返しです。

無意識のうちに、いつも私たちが忘れてしまった心の奥底の何かを見せてくれる真央さん、そして、プロフェッショナルなダンサーのごとく、毎回違った熱情(静かであれ、激しくあれ)を表出する高橋選手。二人が手を取り合っている姿は、せつなくもあり、誇らしくもあり・・・

競技者としての二人を思うと、採点そのものへの疑問を感じざるをえませんが、二人のソチでの演技は、数字を超越したものであることを、ファンとして忘れないでいこうと思うのです。
2014.03.12 17:40 | URL | #- [edit]
つる says... ""
はじめまして。
何年か読ませていただいています。
美しい言葉と美しい画像や動画をありがとうございます。

浅田真央選手。
とても うつくしい うつくしい うつくしい 方ですね。
2014.03.13 22:16 | URL | #- [edit]
says... "管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014.03.14 08:26 | | # [edit]
まさきつね says... "こちらこそ"
Blue windさま

初めまして。コメントありがとうございます。全然、支離滅裂などではないですよ。

まさきつねの言葉が少しでもおこころに届いたのなら、幸いです。それだけがブロガーの救いです。
2014.03.14 20:34 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "無理な話でしょうが"
ピンクエッジさま

コメントうれしいです。

フィギュアの審判問題は、もう何年もあちこちで言われていますが、一向に改まる気配なしですね。そして一方で、あいかわらずジャッジは絶対、ジャッジは正しいのオンパレードです。
今回の銀メダリストの不服申し立ては、それに一波乱呼んでいますけれども。

ジャッジの見直し、大いに結構。ただし、ソチの金、銀だけでなく、バンクーバーにさかのぼって、検証し直していただきたいものですね。
2014.03.14 20:38 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "情報ありがとうございます"
林檎さま

ご訪問うれしいです。

矢車菊の話はまさきつねも耳にしたのですが、少しばかりお話を作り過ぎかなあという気がして、触れませんでした。矢車菊は茎の細い繊細な花で、燃えあがる青い焔のような衣装の印象からは、ちょっとずれるのですよね…勿論、頭から否定する訳ではないのですが。

キム選手のスケート靴を見るのも厭というのは、その方が正しい気がします。坊主憎けりゃ袈裟までといいますから。いずれにしてもフィギュア・ファンからすれば、そこまで厭ならやらなきゃいいのにという話ですよね。
2014.03.14 20:46 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "芸術とは"
M&Mさま

コメントうれしいです。
チェロは大きな楽器なので、人間の身体と一体化したところに音源がありますよね。デュ・プレはもはや伝説ですが、彼女の演奏は地球と一体化したようなスケール感があったなあと思いだします。

浅田選手も演技もどこか地球とひとつになったような、冷たい氷を通じて、この星とひとつになったような、広がりがありましたね。小さな体が、青い火の鳥のように大きく羽ばたいていました。

芸術というのは、どこかすべてがひとつにつながっているものですね。
2014.03.14 20:55 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "日出ずる国の選手"
はろいんさま

初めまして。このところ新しいご訪問客が増えて、まさきつねはうれしい限りです。

タチアナコーチ、佐藤コーチ、いずれも年季の入った優れた指導者ですから、この競技のさまざまな問題点や苛酷な裏事情、すべて呑み込んでいらっしゃることでしょう。
その上で浅田選手とともに、この競技の哲学を貫いて、遺憾きわまるジャッジングシステムに楔を打つのは、それなりの覚悟も、腹もくくっておられたことと思います。

以前まさきつねは、トリプルアクセルを彼女の「宿命」と書きましたが、フィギュアの申し子に生まれた彼女にとって、すべてが宿命だったのでしょう。もしロシアやカナダに生まれていたなら、今回のソトニコワのように金メダルは悠々手にしたかも知れません。
もっと前のリコメで、安藤選手がモロゾフと結婚して、浅田選手がタチアナの養女になれば、ソチのメダルは楽勝だったろうと冗談混じり、皮肉混じりに書いたことがあります。
でもそうしたことはすべて本末転倒で、あくまでも彼女たちは、この日出ずる国でスケートをすることを望んだのです。
それがすべての答えで、結果だったのだと思います。
2014.03.14 21:09 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "こころは残る"
ホビットさま

コメントうれしいです。
浅田選手、高橋選手、素敵ですよね。誇らしいアスリートたちです。

感動は風化するのでしょうか。まさきつねはそうは思いません。風化するのは数字の方です。
こころはいつまでも感動した場所にとどまり、いつまでも同じ涙を残します。

人間がそれを忘れてはいけないだけなのだと思います。
2014.03.14 21:14 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "美しい言葉で"
つるさま

初めまして。
うつくしい、うつくしい、うつくしいひとは、美しい言葉で讃えたい、まさきつねのブログは本来、それしか求めていないのです。

でも世の中にはうつくしいものを平気で踏みにじる人間がいます。その性根は気の毒だと思いますが、やはり一言言いたくなるので、ブログの中に汚い言葉が混じってしまいます。
申し訳ないことだといつも反省しています。
2014.03.14 21:28 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "こころが閉じているなら"
-さま

コメントうれしいです。

キム選手のエコプログラム、いつもお馴染みの振付と演技ばかりだから、音楽と同調しないのは当たり前ですね。絵画でも、いつも同じ図案しか描かない画家がいますが、職人としては一流かも知れませんが、もはや芸術家とは呼べません。

まさきつねもあの非情なコラム、胸がざわついたので、思わず記事にしてしまいました。このコラムニストも、こころの何たるかが分からない人種でしょうね。

言葉で説明されないと分からないものは、言葉で説明されてもきっと一生分からないといいます。
こころが理解しなくては、言葉では何も理解できないのです。

こころが閉じてしまっている人種には、きっと一生、芸術など理解できないのでしょうね。
2014.03.14 21:39 | URL | #- [edit]
つる says... ""
レスありがとうございます。
まさきつねさんが『美しい言葉だけで綴りたい』と思っているだろうことも不本意に物申さずにはいられなくなる様子も伝わってきます。
…私自身は、自分のところで穢い言葉で喋り始めると、どろどろどろどろ止まらなくなるものですから、こちらにコメントを入れるにあたって出来るだけ汚い言葉を残すまいと思ったらとても短いコメントになってしまいました。

美しいものをそのまま真っ直ぐ感じたいですよね…美しく清浄な光輝くような素敵なものによくも無造作に残虐に絡み付くものだと腹立たしいことが多いです…
ときにはその汚泥を摘まんでよける作業も必要ですね…そもそも絡み付かねば良いのにと思います…
2014.03.16 15:06 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "血肉を削り取るように"
つるさま

コメントうれしいです。
まさきつねも時に、自分が喋り過ぎだと反省します。こんなに言葉は要らないのにと思います。

それで時には、詩や短歌に挑戦するのですが、あまりに下手糞さで、今度は中身がなくなってしまいます。
言葉は難しい…だからもっと、気を使い過ぎるくらい気を使って文章を書かなければといつも思うのですが、不作法きわまりない文章を目にすると、自分までがいきりたってしまうのですから、情けないことです。

それでもせめてまさきつねは、自分の血肉を削り取るように言葉を選んでいるつもりなので、そこだけは皆さまに分かっていただけると嬉しいと思います。
2014.03.16 19:53 | URL | #- [edit]

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