月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

笑顔の能力

フィギュア344-1


人間は鷹のように遠くを見る眼は持っていない。しかし、人の眼を見て人の気持ちを想像する眼を持っている。
人間は、犬のように小さな吉を聞く耳を持っていない。しかし、川のせせらぎから心地よさや平和を想像できる耳を持っている。
人間の身体はその身体そのものの中に他者の気持ちを想像したり、思いやる機能(感性)を持っている。
(ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ)





先日たまたま見ていたテレビ番組で、織田信成選手が天才子役の女の子とコラボしてスケート演技を披露するという企画があった。

プログラムは織田選手のバンクーバー五輪のフリー演技『チャップリン・メドレー』、宮本さんが振付し直したというパフォーマンスは、男子シングルの演技に女子シングルの華やかなコレオが重ねられ、なかなか巧くアレンジされていて、可愛らしい九歳の女の子の愛くるしい所作とともに、エンターティメントとしてかなり楽しめる内容になっていた。

織田選手の卓抜したやわらかな演技は無論言うまでもない出来だが、天才子役という女の子の演技も、ジャンプ、ステップどれをとってもなかなかハイレベルで、さすがフィギュア大国日本で育成された若手の一人と、若年層の裾野の広さを改めて感じ入る次第だった。

それにしても天才子役ならではということなのかも知れないが、身振り手振り、顔つきどれをとっても九歳らしからぬさすがの完成度で、ベテランの織田選手相手に一歩もひけを足らないパワフルなスケーティングもさることながら、大人顔負けの俳優根性で披露された芝居っ気たっぷりの演技表現は、むしろ織田選手以上に濃密な芸達者ぶりに思われた。

これほどの熱演、愛嬌たっぷりに振り撒かれる笑顔を見ていると、たとえどんなに口さがないジャッジやマスコミ連中でも、表現力がないとは言い難いだろうなとは思うものの、それにしても、音楽とは切り離せない舞踏のような身体芸術の表現というものと、芝居を演じる上での動作や表情というものが何故かフィギュアでは、いつも同次元で論じられ、作り笑顔や外連味のある所作をしなければ一括りに表現力がないと断じてしまうのは、やはり芸術性を評価する視点からすればいかがなものかと、まさきつねなどは首を傾げる。

小芝居や印象的なポーズ、顔や動きを使った具体的な感情表現が不要とは勿論言わないが、演技的なパフォーマンスとは一線を画す純粋な身体表現を、(視覚芸術の領域からのアプローチも含め)抽象的な音楽表現として認識するべきだと思う。
(こうしたパフォーマンス・アートを論じるとき、避けて通れぬ演劇性の否定、物語や背景の否定という問題についてはまた後日、機会があったら語りたいと思う。まさきつねが実は最も、浅田選手の演技に感じる芸術的意義は、フィギュア競技をパフォーマンス・アートの領域に近づけたその業績の部分なのだ。)

浅田選手を長らく悩ませたのが、何かといえば表現力が足りないという通り一遍のこき下ろしだったが、これほど何ひとつ根拠もなく、いわゆる印象操作の決まり文句としてメディアで垂れ流しされ続けたネガキャンもあるまい。

確かに、天才子役のパフォーマンスに比較すると、浅田選手の演技には、大仰な動作やしなを作る振付、誇張した表情や取ってつけたような派手な笑顔といった、意識的なアクションは少ない。
そもそも彼女は女優ではなく、アスリートなのだから、スケートの練習以上に、芝居演習に割く時間などあるはずがない。

むしろ浅田選手は、過剰なポーズで音楽を寸断させないように、ひとつひとつの動きを流れるように結びつけており、大抵の場合、笑顔も演技メソッドで培われたものではなく、内面からにじみ出る自然な感情表現で、ジャッジングにおもねる類いの作られた表情ではない。

キャンデロロが十五歳頃の浅田選手の演技を解説しながら、「真央はもう少し笑えばいいのに」と注文を付けていたが、彼女はおそらく昔も今も、演技的パフォーマンスの一部として故意に笑顔を作るのは苦手で、音楽や自分の演技に触発されてわき起こる感情が伴わなければ、笑顔のみならず喜怒哀楽の感情表現を、所作や顔の表情に投影することが難しいのではないかという気がする。

思うに、彼女は昔も今も、内面はごく普通の(スケートが大好きな)少女で、それもごく普通にどこにでもいる、はにかみ屋だったり甘えん坊だったりする女の子と変わらないのだから、スケーティングの練習とは別に、子役たちのように役作りのための演技力をことさらに磨いて、笑いたくない時に笑い、泣く必要がない時に泣くなんて芸当を強いられる方が、本来違和感があることなのだろう。

ましてやまさきつねの感覚からすれば、スポーツとしてはスケーティングの巧拙を評価するべき競技であるのに、満面の笑顔を浮かべていたというだけで、表現力があるなどと芸術的評価が跳ねあがるなんて採点基準の方がよっぽどおかしく、こんな非論理的なジャッジ・アピールがまかり通っているのが、いつまでも採点競技として不可解だと指摘を受ける要因のひとつに思われてならない。

以下(拙ブログへのコメントでも触れられていた)、デイリー・スポーツの記事より抜粋。

※※※※※


「一番首をかしげるのは、キム・ヨナではなくトリプルアクセルを成功させた浅田のフリーの点の低さである。ソトニコアはフリーで両足着氷のミスあったと思うが、ミスとは判定されておらず149・95点の高得点を挙げた。ノーミスのキム・ヨナは144.19点で、銅メダルのカロリーナ・コストナーの142.61を上回ったものの浅田は142.71点にとどまった。

 浅田は試合後、『できるって思ってやって、これが自分がやろうと思っていた構成なのでよかった。今回のフリーは、しっかり自分が4年間やってきたことを、そしてたくさんの方に支えてもらったので、その恩返しもできたのではないかなと思う。五輪という大きな舞台で、自分が目指しているフリーの演技ができた』とコメント。フリーでのパーソナルベストを振り返ったが、ここで、出来栄え点といわれるGOE(Grade of Execution)に注目してほしい。演技審判によって0をベースとし-3から+3の7段階で評価された各要素の出来栄えのことだが、要素ごとにそれぞれ評価の観点(着眼点)が設定されている。

 ソトニコアのGOEが14・11点、キム・ヨナは12・20点、コストナーは10・39点だったのに対し、浅田はわずか6・69点。浅田はトリプルアクセルで回転不足を取られず、0・43点の加点をもらったが、続く2連続3回転ジャンプは二つ目が回転不足の判定。3回転ルッツも踏み切り違反と判定された。さらに、その後のダブルアクセル3回転トゥループも回転不足と判定され、ステップシークエンスなどで加点はあったが、GOEはわずか6・69にとどまったのである。

 なぜ、浅田のGOEが優勝したソトニコアと7・42点、キム・ヨナとは5・51点、コストナーとも3・70点も離れているのか?さらに、演技構成点の合計もソトニコアは74・41点、キム・ヨナ74・50点、コストナーは73・77点に対し、浅田は69・68点にとどまっている。日本国内のみならず、世界中に感動を生んだ浅田の評価が、これほど低いのか。私は今のところ納得のいく説明を目にはしていない。
(フィギュア 4年後の平昌開催ヘ向け公正な採点方法を/3月15日(土)配信 今野良彦)」


※※※※※

今野さんでなくとも、納得のいく説明など一度たりとも聞いたことがないフィギュアの演技構成点ではあるが、長年その恩恵を被ってきた選手の側から、今回はメダルの色が気に入らなかったと異議申し立てが出ているのだから、まったく笑止千万だ。

この騒動もいずれほとぼりが冷めた頃、組織の伏魔殿がなあなあの着地点を探して、何事もない決着に収まるのだろうが、それでも今回、採点方法の在り方をめぐって多少なりともさざ波が立ったのは、表彰台上の醜い争いよりも、浅田選手の歴史的なプログラムが不可解な評価のまま、メダルの圏外に置き捨てられていることに起因するのだろう。


以下は浅田選手の八年の軌跡を綴った画像メモリアル。

彼女の試練の多くは、まさに偏向ジャッジングと不可解な採点システムがもたらした苦悩に起因し、その対応策として、バンクーバー五輪から後の四年間は、選手生命を賭けたジャンプの改造に取り組んだのだ。


フィギュア344-2
フィギュア344-3
フィギュア344-4
フィギュア344-5
フィギュア344-6
フィギュア344-7
フィギュア344-8
フィギュア344-9
フィギュア344-10


先ほどまさきつねは、浅田選手には天才子役ほど、笑顔を故意に作る演技メソッドに長けた力はないだろうと語ったが、かといって彼女に、「笑う」能力が欠けていると言っている訳ではさらさらない。
むしろその逆で、浅田選手は演技パフォーマンスの一環として「笑顔を作る」という意識には乏しいと思うが、いわゆる人間の力として「笑う」という能力には誰よりも秀でているという風に、まさきつねは考えている。

動物行動学者フランス・ドゥ・ヴァールによると、「笑い」は人間が進化の過程で獲得した能力であり、相互のつながりや幸福感をもたらす機能として働き、「あくび」や「泣き」という行動と同様に、周囲との連帯感や仲間意識を生み出す「身体的同調機能」のひとつであるという。
ヴァールは、類人猿の持つ協力行動などの連帯感が人類の道徳心に発達したと考えているらしく、「身体的同調機能」の中にこそ、他者の気持ちに共感したり、他者の気持ちを思いやったりする、人間の身体に埋め込まれた社会性の起源があると、動物行動を宗教学や哲学的な視点で分析している。

「笑う」という行動は、人間のコミュニケーション・ツールとして重要な働きを持つものだが、とはいえ、人間同士の相互関係を円滑に保つために、目に見える表現媒介として「笑いを作る」ということになると、身体的存在としての人間にある「感性の知」という概念からはどこか程遠く、「笑い」が持つ本来ポジティヴなメカニズム、すなわち人間の心身の健康と、共同生活の親和性を保持するという機能とはまるで逆に、人間が社会的関係性を維持するためには「笑う」という行動を起こさねばならぬというストレスを与えられているように思える。

つまり人間がこころから「笑う」という行動は、感性の働きである感情表現と直結しているなら、心身の健康や社会の連帯という幸福感につながるものとなり得るが、「笑顔」を作る、「笑い」を演じるという行為はその作為性が露わになれば、人間関係の緊張や対立を解消するという側面においてはかえって逆効果で、機能としては本末転倒でしかない。

要するに人間の「笑う」能力と、「笑い」を作る能力とは、そもそも似て非なるものだということなのだ。

「表現は、作るもの」と言ったコラムニストをまさきつねは否定したが、同じように「笑顔は、作るもの」ともし誰かが発言したら、それもやはり違うと否定するだろう。

こころから切り離された「笑顔」に、人と人を結びつける、健全でポジティヴな「笑い」の機能が働くとはとても思えないからである。

翻って、演技のメソッドで培われたものではない浅田選手の「笑顔」というものは、いかに彼女の心身の状態に直結して、純粋な感情の発露であるかとまさきつねは考える。
「表現力」「表現力」とさかんに煽るマスコミを尻目に、彼女は決して取って付けたような笑顔をジャッジ・アピールとして浮かべることはなく、音楽や自身の演技内容に誘起されなければ、「笑い」という感情表現を意識的にパフォーマンスに組み込むことはなかった。

ニコルが近年、『アイ・ガット・リズム』や『スマイル』といった楽曲をわざわざ選び、さまざまな苦悩で気持ちの落ち込む浅田選手を昂揚させる作戦をとったのは、それが一番自然に彼女から「笑顔』を引きだすことができるという狙いがあったからだろう。
音楽を解釈した振付で、快活に動く身体に同調して「笑顔」の表情が浮かぶという浅田選手ならではの心身のメカニズムを、ニコルはよく理解しているとまさきつねは思う。

このように考えてくると、演じるという作為性のない浅田選手の「笑顔」というものが、彼女がメディアで大々的に取り上げられた十五歳前後の頃にさかのぼって省察してみると、現在の彼女の知名度の凄さからして、いかに長い年月にわたって、日本の社会全体に大きく作用してきたか推して知るべしという気がする。

浅田選手は常に、人間の感覚・知覚の主体である身体の、欲求し切望する喜怒哀楽の感情に逆らうことなく、「こころ」から生まれ出た「笑顔」で、多くの人々を虜にしてきた訳だが、それは人々が気づいていたか否かはさておき、彼女の笑顔が「他者の気持ちを想像したり、思いやる機能(感性)を持っている」身体的存在、すなわち「浅田真央」という人間そのものに起源を持ち、彼女の「こころ」の顕現として無垢に、人々の「こころ」に届けられてきたからにほかならない。

先日のエントリーでまさきつねは、ラフマニノフの言葉を引用して、芸術は「心より生まれ、ここ心に届かなければならない」とお伝えしたが、「笑顔」もまた、心より生まれ心に届くものでなければ、端から心身の健康や、コミュニティの連帯感といった幸福感をもたらすポジティヴな社会的機能をもち得ないものなのだと思う。

たとえどんなに巧みでも、体裁で整えられ、演技で作られた笑顔や、感情とはぐれた表情などでは、所詮他者の気持ちはつかめず、多くの魂を揺さぶる感動は生まれ得ないのだ。

さて、冒頭の言葉は、「肉体の復権」をゲオルグ・ビューヒナーらドイツの若き文学集団が唱えていた十九世紀前半、この傾向を背景に独自の身体論を構築した哲学者フォイエルバッハの、「感性的身体観」を語った一節である。

「他者の気持ちを想像したり、思いやる機能(感性)を持っている」身体的存在から現出した「笑顔」であればこそ、浅田選手という稀有な天才の優れたスケーティング技術をジャッジやメダルが評価する以前から、多くの人々が十五歳の彼女に夢中になり、彼女の演技からあふれる優しさ、慰め、穏やかさ、温かいこころの温もりというカタルシスを享受したいと願ったのだ。

EX『スマイル』に散りばめられた、彼女の優しくやわらかな笑顔の数々を見るとよく分かる。

軽快なコレオが紡ぐ美しいポジションに重ねられる、きらきらとこぼれるような甘い微笑…笑う能力は、生きる肉体の能力なのだと、他者とともに生きるこころの能力なのだと、つとに思うのである。


フィギュア344-11

フィギュア344-12

フィギュア344-13

フィギュア344-14

フィギュア344-15

フィギュア344-16

フィギュア344-17

フィギュア344-18

フィギュア344-19

フィギュア344-20

フィギュア344-21

フィギュア344-22

フィギュア344-23

フィギュア344-24

フィギュア344-25

フィギュア344-26

フィギュア344-27

フィギュア344-28

フィギュア344-29

フィギュア344-30


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「先生 お元気ですか
我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」
他家の姉が色づいたとて知ったことか
手紙を受けとった教授は
柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか
    
「次の会にはぜひお越し下さい
枯木も山の賑わいですから」
おっとっと それは老人の謙遜語で
若者が年上のひとを誘う言葉ではない

着飾った夫人たちの集うレストランの一角
ウエーターがうやうやしくデザートの説明
「洋梨のパパロワでございます」
「なに 洋梨のパパア?」

若い娘がだるそうに喋っていた
あたしねぇ ポエムをひとつ作って
彼に贈ったの 虫っていう題
「あたし 蚤かダニになりたいの
そうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」
はちゃめちゃな幅の広さよ ポエムとは

言葉の脱臼 骨折 捻挫のさま
いとをかしくて
深夜 ひとり声たてて笑えば
われながら鬼気迫るものあり
ひやりともするのだが そんな時
もう一人の私が耳もとで囁く
「よろしい
お前にはまだ笑う能力が残っている
乏しい能力のひとつとして
いまわのきわまで保つように」
はィ 出来ますれば

山笑う
という日本語もいい
春の微笑を通りすぎ
山よ 新線どよもして
大いに笑え!

気がつけば いつのまにか
我が膝までが笑うようになっていた
(茨木のり子『笑う能力』)


フィギュア344-31


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケートへ
blogram投票ボタン

関連記事
スポンサーサイト

Comment

なべとも says... "笑顔とは?"
まさきつね様  こんにちは

{笑顔がステキな真央さん} 私はいつも彼女の美しく優しい笑顔を目にした時つぶやいてしまいます。
残念ながら私はあまり歯並びが良くなく口の形も少し歪んでいるせいか昔から自分の笑顔に自信が持てず笑顔がきれいだなと思う人に出会うとちょっぴり落ち込んだりしていました。
たしかに笑顔はだれでも好感はもてますが、それでもやはり極上な笑顔の持主がいるのだとその頃から感じていました。
真央さんもまさしくその一人のような気がします。
15歳でシニアデビューした時から彼女の笑顔に魅了され、それ以来演技の美しさと合い間って更に美しく彼女を輝かせているように思います。

ある時から彼女は競技の中で笑顔を見せる事が少なくなりました。不安やプレッシャーなどからくる緊張感のせいか私的な部分の悩みなどのせいかデビューしたての頃に見せたはじけるような笑顔はなくなりました。
このエキシビの真央さんは開放感あふれるステキな笑顔を見せてくれています。
紆余曲折を経てやっと彼女らしい誰もが幸せな気持ちにさせてくれる優しさと暖かさにあふれる笑顔です。
ちょっと笑顔に自信のない私を包み込んで一緒に笑顔にしてくれます。

これからこのステキな笑顔見る機会が少なくなると思うと寂しいですが、真央さんがいつも笑顔で送れる日々があればそれが一番と今は願わずにはいられません。

真央さんステキな笑顔をありがとう。
2014.03.19 14:53 | URL | #- [edit]
はすかっぷジャム says... "忘れない"
まさきつね様

オリンピックフリー演技直後、真央さんがとめどなく流れる涙のなか浮かべた笑顔。
本当に本当に美しかったです。

彼女の演技とともに、きっと一生忘れられないだろうなと思います。

2014.03.20 01:02 | URL | #Z8A0VCFE [edit]
フーサ says... ""
まさきつね 様

いつも素敵な文章をありがとうございます。
真央さんの笑顔は、本当に美しいなあ、と 今回ソチのいろいろな場面での写真を観るにつけ思っていました。
気品がある、媚がない、内面の美しさがあふれ出ている、と自分でも書いていて恥ずかしくなるのですが、見るたびに思っていました。

私は自分では真央オタではないと思っていますが、彼女の笑顔を観るたびに心が洗われる思いがするのです。

彼女の表情には嘘がない。だからこそこれだけの人を引き付ける力があるのでしょうね。

まさきつねさんの文章力やセンス、真央さんの愛にあふれながら冷静に論じる姿勢が大好きで、いつも感謝しつつ読んでます。(うーん、気持ち悪い?何と書いていいかわからない。文章力のない私を許して)

2014.03.20 14:48 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "幸福のバロメータ"
なべともさま

ご訪問うれしいです。

私の母などは、自他ともに認める不細工な女性で、いわゆる醜女という部類だと思いますが、なぜか笑顔だけはとてもパワフルで華やかな印象があり、周囲を楽しくさせるムード・メーカーでした。ですからまさきつねは昔から、笑顔に顔の美醜は関係ないんだなあと思っていましたが、逆に、どんな美女でもいつも小馬鹿にしたような笑い顔で、何だか周りをイラッとさせる人もいますね。

浅田選手の笑顔が消えたように感じるのは、バンクーバー前の十八歳ころからでしょうか。バンクーバーの後のジャンプ改造のころも、お母さまの件もあってか、とても切ない笑顔でしたね。
でも彼女の笑顔が美しいのは、苦しみや悲しみの中で、他者を思いやるこころを育んできたためだと思います。(私の母も、自分のためよりもひとのために涙を流すひとでした。)

浅田選手はきっと、自分の周囲が幸せだと感じられれば、自分も幸福感を得られるのでしょうね。
ということは、彼女の笑顔がやはり、この国の幸福を測るバロメータなのかも知れませんね。
2014.03.20 21:39 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "笑顔は国境を越える"
はすかっぷジャムさま

ご訪問うれしいです。
仰る通り、涙ほど笑顔を輝かせるものはないかも知れませんね。

純粋な笑顔と涙は、世界中の人々の胸を打ちました。笑顔に国境はないですね。
2014.03.20 21:44 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "冷静と情熱のあいだで"
フーサさま

初めまして。ご訪問うれしいです。

まさきつねも自分を真央オタと思ったことはないのですが、最近はまあ他人にどう思われて別に好いやと考えるようになりました。好きなものは好き、で構わないかなと。
他にもいっぱい好きなものはあるのですけれど、それらも含めて、他人にとやかく言われる筋合いでもないですしね。

文章力…はどうなんでしょうね。ただ、浅田選手の表情と同様に、嘘のない文章を心がけてはいます。作るのではなく、他人に押し付けるのでもなく、自分の気持ちに正直な言葉と表現をいつも探しています。
冷静かどうかは自分では分かりませんが、状況判断だけはニュートラルにしているつもりです。でも好きなものへの愛は隠せないし、隠すつもりもないので…、まさきつねが好きなものを、好きでも何でもない人からすれば、「気持ち悪い」かもしれないですね(笑)。

とはいえ「気持ち悪い」もマニア的には褒め言葉だそうですから、他人にはそう感じられるくらい情熱を傾けるものについて、語れることが幸せなのかも知れないですね。
2014.03.20 22:09 | URL | #- [edit]
mik says... ""
はじめまして。
いつも素敵な文章だなあと、楽しませていただいています。
私は浅田選手の笑顔や演技に癒されるファンのひとりです。
私にとって、曲と演技が一緒に心に残る選手です。
素人目からすると、毎年様々な曲を滑りこなし、美しく印象深い演技をしているのに、表現力が足りないというマスコミの、曖昧な根拠のネガキャンは違和感でいっぱいで、腹立たしく、悲しいです。
そんな中で、とても癒される文章で、写真も素敵なものばかりでした。
世界選手権、演技後のキスクラで、浅田選手の笑顔がみられるといいですね!
2014.03.21 05:52 | URL | #- [edit]
says... "管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014.03.21 06:08 | | # [edit]
M&M says... ""
表現することがどんなものであるのか、美しい言葉で語ってくださるまさきつね様ご自身がよくご存知だと思いますが。。。
音楽であれ、美術であれ、文学であれ、内にあるものを表に出すという作業は完成品を見るものの目には見えないところで苦しんだ表現者の努力のかたまりです。あらわしたいと思うものをあらわすためにはそれなりの技術が必要であり、自在に表現できるようになるには並大抵でない努力の積み重ね、鍛錬がそこにはあります。そしてその鍛錬の中でこそ感性が研ぎ澄まされていくのであって、努力を怠ってしまった時点でその人は表現者であることを諦めてしまったのと同じです。
多くの人が、真央さんとあの人の表現力の違いをあらわすのに役を演じる役者の演技力を引き合いに出します。私は演劇も芸術のひとつであると思っていますので、演技力というものを過小評価するつもりは有りません。本物の演技力というのは、ここでこういう顔を作るとかせりふにこう抑揚をつけるとかそんなことを考えた時点で、もう違ってしまっていると思うのです。演技を真摯に学び感性を研ぎ澄ませた人のうちから溢れ出てくる演技は観客の心を捉えますが、努力を忘れてしまった者のうわべの演技は薄っぺらで見ているのも辛くなります。

結局、表現力云々の話は、技術の上では到底説明できない二人の得点の差をフィギュアを知らない人々に納得させるために誰かが考え出した苦肉の策だと思っています。表現力の何たるかを分かりもしない人たちが大騒ぎをして、異論を唱えようとしている人たちを黙らせるために躍起になって広めた言葉。。。。もともと彼女に表現力はあったのかも知れません。でも努力を怠ってしまった時点で、それは離れていってしまいました。それでもそれしかよりどころが無かったために、あのガーシュイン。。。ジゼル。。。もう冒涜の域にまで達してしまうような演技を見せるしかなくなって。。。。今では普通の人でも、どこが表現力。。?と思ってしまっているのではないでしょうか?

それを一生懸命かばおうとネットの中で頑張っている人たちがいますが、実の無い言葉は人の心を捉えることは出来ず、また、自分の立場を隠そうとしながら繰り返す甘言や詭弁は薄ら寒さを与えるだけで、読む人の心を蝕んでいくような気味悪さを憶えます。
言葉には魂があることを知ってか知らずか、不誠実にそれを操ることがどれだけ罪深いことか知ってか知らずか。。。。。。

それがネットの中の無責任な輩だけではなく、一般の人が正確で、中立ではなくとも、民衆をだますことは無いであろうと信じられている新聞(私はもうとっくに信じルのを止めてしまいましたが)が、その絶大な発信力を使って、たった一人の二十歳そこそこの女性を、彼女の成し遂げたことの偉大さを無い物にしようとしていることをまざまざと見せ付けられてしまって。。。書きながら手が震えてしまいます。(今日は腹が立って、気持ちが治まらずあちらこちらで騒いでしまっているのですがすみません。)、いちばんいやらしいのは、称えているように見せながら貶める。文句を付けられても、考えすぎでしょ?と平気な顔が出来るように考えつくされている偽善です。すみません。考えすぎだよと誰か私を納得させてくれる人はいないでしょうか。。。。

話がそれてすみません。
真央さんの表現力は本物です。
音楽を捉えてそれをスケートで表現する天性のセンスに加え、振り付けをこなす技術の洗練が、彼女を氷の上で自由にしていると思います。世選では、何も心配せず、思う存分自由に滑ってほしい。大好きなスケートを表現する喜びを、無垢な笑顔を見たいと心から思います。
2014.03.21 12:15 | URL | #cOaAkSgM [edit]
miya says... "笑顔"
まさきつねさま、お久しぶりです。
今回の世界フィギュアは本当に素敵でしたね。ノクターンの優雅さ、ラフマニノフの躍動感、真央さんの美しさに磨きがかかってきました。ソチのフリーで自信を取り戻せて良かった。
採点はあまりにめちゃくちゃで、何で最後くらい・・・と直後は喜びよりも怒りに震えて眠れなかったですが、真央さんのやりきった発言があったので、少しずつ消火して来ています。
解説はあまりにひどくて除いて録画したかったわ。これはあれですかね?わざと不快な解説にして後ほど、DVDが出たら買わせようとしているんですかね?

ともあれ、ソチよりずっと会場の雰囲気が良く、選手が幸せな気持ちになれたかしら?と思っています。
では、また。
2014.04.01 10:38 | URL | #- [edit]
花屋 says... ""
良いお年を
2014.12.31 21:26 | URL | #sDFifbQE [edit]
まさきつね says... "ありがとうございます"
皆さま、良いお年を。
2014.12.31 23:55 | URL | #- [edit]
果汁100% says... "はつよろです♪"
なんだかファンになっちゃいましたo(^-^)o

わたしですね…このところついてなくて(汗)
すべり台を滑っても滑ってもゴールが無い感じなんて言えば少しは伝わりますか?
ものすごい急降下中なんです。。

そんなこんなで色んなブログ読み漁ってたらここで足が止まりました(´ω`*)不思議と心惹かれたんです。
まさきつねさんも色んな時間を過ごされてるんですよね。きっと。。

急なお願いで戸惑わせてしまうかもしれませんが
話し込んでみたいというか話しを聞いてもらえたらって気持ちを持たずにはいられなかったんです(´∀`)

連絡してくれたら有難いです。
もしも迷惑であればコメントごと私のこと消してください。
2015.04.19 13:04 | URL | #- [edit]
花屋 says... ""
浅田真央がカムバックしたら、まさきつね様も帰って来てくれるかしら
2015.05.16 11:12 | URL | #sDFifbQE [edit]
つばさ says... "待ってまーす"
真央さま復帰します。まさきつねさま~、
またいろいろなお話してくれないでしょうかね~
試合はまだまだ先だろうけど、待ってますよ=。
2015.05.19 17:04 | URL | #- [edit]
踊り子 says... ""
皆でcome back。
2015.05.29 21:50 | URL | #3cfJX5.E [edit]
ホビット says... "お元気ですか"
まさきつねさま、お久しぶりです。
スケートのブログ界も様変わりして、私にとっては、魅力あるものが少なくなってしまいました。
真央さんの演技をいつかまた語ってくれたら、うれしいです。
2015.06.05 20:27 | URL | #- [edit]
みのり says... "さらなる高み"
まさきつねさま、こんにちは。お変わりありませんか。
浅田選手の復帰を聞いたときは、ずいぶん複雑な気持ちがしましたが、ご本人は迷いのない表情をされていますね。その美しさにまたもや驚きました。去年も後光がさしているような美しさだと感じましたが、さらに美しくなったような気がします。
京舞を見たときは上村松園の絵のようだと思いました。
アルソアの広告の写真もあまりにも綺麗だったので、つい壁紙にしてしまいました。今までは演技を見るだけで、そういうことをしたことはなかったんですけどね。
佐藤コーチも去年の時点で、まだ教えることはあるというような意味のことをおっしゃっていたと思います。
美しさもスケート技術も、さらなる高みは果てしないですね。
2015.06.26 14:53 | URL | #6wH.DH8I [edit]
says... "管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015.09.13 22:23 | | # [edit]
花屋 says... ""
生まれ替わった浅田真央
浅田真央第二章
この奇跡を共に寿ぎたいだけなんだ
あっでも隅々まできちんと折られた折り鶴のような宮原知子、腕を振り上げるだけで場面展開してしまう黒手袋のリーザ
どうよその辺と馴れ馴れしく言って見たくて毎日灯りの消えたお店の前をうろついてしまう私です
2015.11.07 08:13 | URL | #sDFifbQE [edit]
花屋 says... ""
よいお年を
2015.12.31 19:52 | URL | #sDFifbQE [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://maquis44.blog40.fc2.com/tb.php/504-e253be3e