月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

惜別

散る桜残る桜も散る桜(良寛和尚)

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Comment

みのり says... "祈ります"
真央さんが幸せでありますように
2017.04.11 08:58 | URL | #6wH.DH8I [edit]
まさきつね says... "Re: 祈ります"
> 真央さんが幸せでありますように

私も心からそう願っております。
2017.04.11 13:11 | URL | #- [edit]
花屋 says... ""
まさきつねさん生きててよかったw

散りてのちおもげにたつ牡丹かな

2017.04.11 13:46 | URL | #sDFifbQE [edit]
まさきつね says... "Re: タイトルなし"
> まさきつねさん生きててよかったw

あらら…ご心配をおかけいたしました。

ここ数年は絞り出す言葉もなく、皆さまと同じ思いで浅田選手の去就を見守っておりました。

奇しくもプルシェンコの引退に時節遠からずして、そして彼と同様、これが花道、これが最終試合と仰々しい看板を立てることなく、彼女もひっそりとスケート界から身を引きました。
とどのつまり、この潔い身の辞し方こそが、彼らが起こした奇跡の数々がどれも、作為的にお膳立てされ準備されたものではないという証であったように思います。

とはいえ口さがない連中はまだまだ、何かの折につけ、彼女の偉大な功績に平気で泥を塗る悪口雑言を並べることでしょう。

しかし、多くの人々が今や、ものごとにはすべて裏と表があり、喜びの背後にある悲しみを知らずして、たどり着く真実はないということに気付き始めました。
これも、バンクーバー、ソチと二つの五輪を含む浅田選手の競技人生が、彼女を見続けてきた人々に伝えてくれた、言葉ではないメッセージの賜物だと思います。

美しく、一点の曇りもない真心をスケートに捧げた、浅田選手の青春でした。

知る人だけが知り、わかる人だけがわかる、ほかに代わるもののない「浅田真央」という芸術でした。


あくがるる 心はさても やまざくら 散りなむのちや 身にかへるべき(西行法師・山家集67)
2017.04.11 19:11 | URL | #- [edit]
スーザン says... "輝いて"
まさきつねさま
ソチ以来ですね。ご無沙汰しております。
ソチのあとの世界選手権から、真央ちゃんのスケートがさらに深まったと感じました。真央ちゃんの作品がほんとうに楽しみでした。
正直ファンとして残念で、未練です。こんな気持ちも、時がたてば変わっていくのしょうか。
これからも真央ちゃんの才能が輝いていきますように。
2017.04.11 22:05 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "Re: 輝いて"
> ソチ以来ですね。ご無沙汰しております。

こちらこそ長いご無沙汰で、恐縮至極です。
こんな小さなブログなど、皆さまとっくにお忘れと思いつつ、ニュースのあまりの衝撃にいてもたってもいられず、恥ずかしながら投稿いたしました。

皆さまの心温まるご訪問に、ただただありがたい限りです。

フィギュアスケートはここ数年、男子も女子も低年齢化が急速に進んで、円熟した選手の味わいのある演技という方向性は、もはやスポーツという領域では点数値化できない傾向にあると思います。

もともと曖昧な芸術性への評価基準が、不明瞭な採点システムの中で何かと取り沙汰されることの多い競技ですから、これも致し方のない時代の流れということなのでしょうが、浅田選手の立ち位置は、ソチ以後の世代交代というだけではないタイムポケットに、泥沼のようにはまってしまったなという気がしてなりません。

さらに、一度頂点に立った競技者の孤独が、「浅田真央」という表現者の特異性に拍車をかけ、人間としての彼女の気力を根こそぎ奪うくらい追い詰めていったのではないのかと、浅田選手のスケートを見るたびに胸を痛めておりました。

望むらくは、これから後の「浅田真央」という芸術が、競技連盟や政治やマスコミといった一切合財の、周囲からの都合や雑音に凌辱され振り回されることなく、作品として正当に評価され、存分に賞味満喫されるような機会や舞台が用意されますように。

そしてできればフィギュアスケートという狭い世界だけでなく、彼女が興味の持てる可能な限りの選択肢の中で、あの溢れる才能にふさわしい輝ける未来が拓かれてあるように。
2017.04.11 23:03 | URL | #- [edit]
スーザン says... ""
ご返信ありがとうございます。
まさきつねさまの言葉をきくことができ、
うれしい限りです。

真央ちゃんの
あのすっとした気力にあふれたお顔が
好きでした。
みなぎってほしいです 。
2017.04.12 08:12 | URL | #- [edit]
M&M says... ""
まさきつねさま
ご無沙汰しておりました。

お元気だろうかと度々のぞかせて頂いていたのですが、ブログランキングのページに狐さんのお顔を拝見し、跳んできてしまいました。
こちらのブログで語られる美しい言葉に惹かれてまた伺ってしまいました。

「あくがるる 心はさても やまざくら 散りなむのちや 身にかへるべき」。。。
日本語はきれいですね。。。
彼女の美しい生きざまに奪われて、それをおっていた心は彼女がいなくなってもきっとかえっては来ないかもしれない。。。行き場を失ってさまよってしまうかもしれない。。本当にそんな気持ちにさせられる出来事でした。。
今は少し落ち着いて、良いことの方を考えようとしていますが、彼女の競技での姿を見られなくなることは本当に寂しい限りです。

これからは、私も皆さんと同じ気持ちです。ただただ、彼女の幸せを祈ります。
2017.04.12 10:07 | URL | #6goa5kBQ [edit]
まさきつね says... "Re: タイトルなし"
> 「あくがるる 心はさても やまざくら 散りなむのちや 身にかへるべき」

ブログランキング…まだそんなところに掲載させていただけたのですね。そのお蔭で皆さまにお会いできて良かったです。

美しいものに魅かれるこころは、その美しいものを失ったときに行き場を失ってしまいますね。でも、「美しいものを美しいと思う、そのこころが美しい」のだとあるひとは言います。
まさきつねも、浅田選手の演技を讃える言葉を、美しい日本語を、彼女が活躍し続けてくれた長い長いこの年月探し続けることで、自分の中にこのうるわしき世界との接点を、多くの人たちとつながる喜びを見出し続けていたように思います。

ソチが終わってからのこの数年は、重ねる言葉もなく、おそらくは皆さまと同じ思いで、浅田選手の演技を見守り続けておりました。
時に澱のように、心の底にたまっていく思いもありましたが、数値や競技結果のように無粋なかたちで評価されない美しさを、どんな言葉に変換してもそれは、無粋に無粋を重ねるだけではないかと悩み続け、結局ブログページを更新することなく、年月を重ねることとなりました。

今、振り返って思うに、まさきつねにとってフィギュアスケートはスポーツである以前に身体芸術であり、浅田選手は競技者である以前に身体芸術のパフォーマーでありました。
「記録より記憶」と多くの人が口にしますが、まさきつねにとっては、記録も記憶もない、今まさに脳内で再生し続ける作品でありました。

スポーツ選手は引退が許されるでしょうが、もともとかたちのない芸術作品は永遠に失われることがなく、シナプスの波の向こうに、ゴーストのように蘇り続けるのです。

生身の浅田選手にはこれから先、「ズルしても真面目にでも」人生を十二分に謳歌していただきたい。
でも彼女が残した多くのパフォーマンスは、これからも永遠にファンの憧憬であり続けるのだと思います。



2017.04.12 13:22 | URL | #- [edit]
花屋 says... ""
散りてのち面影に立つ牡丹かな

知ったかぶったらとちっちまった

会見、綺麗でしたね
ローマの休日みたいでした
平成生まれの真央さんが平成と共にひとつの任務を終える
昭和のロートルは泣かされるばかりでおたおたです


2017.04.12 22:34 | URL | #sDFifbQE [edit]
まさきつね says... "Re: タイトルなし"
> ローマの休日みたいでした

本当に気品のある会見でした。
惜しむらくは、へたくそな質問ばかりで、グレゴリー・ペック並みに洒落た記者がいなかったことですね。

平成の記憶もいずれ、昭和と同じように「遠くなりにけり」になっていきます。
フィギュアの黄金時代を築いた平成のお姫さまは屏風の陰に去り、残された者は失ったものの大きさに、今更ながら気づくのでしょうね。

先ほど見ていたテレビ番組で、「腰痛になるのは人の為に生きてきた人」「人にエネルギーを与える人は腰痛になりやすい」というような情報を伝えていて、平成のお姫さまも腰痛や膝痛で苦しんできたことを、改めて思い起こしました。

痛みを抱えながら、決して弱音を吐かなかった氷盤の女王。
人々にエネルギーを、元気を、笑顔の喜びを与え続け、その代償となった痛みや苦しみは、何一つ語らなかった。

どんなに時が過ぎ去っても、忘れることはできませんね。
2017.04.12 23:28 | URL | #- [edit]
みのり says... ""
まさきつねさま、こんにちは。

記者会見で印象に残った言葉のなかから一つだけ。

「この道を選んだのは自分ですし、つらいと思ったことはありません」

以前、同じ言葉を聞いたことがあります。確か、千日回峰行を達成された酒井雄哉大阿闍梨だったと思いますが、やはり「つらいと思うことはありませんでしたか」と問われて、うろ覚えなんですけど「自分が頼んでやらせてもらったことなのに、つらいということがありましょうか」というようなお返事をされて質問者をじっと見つめておられるのをテレビで拝見しました。

真央さんは、悟りを求めて修行するものという意味での菩薩そのものです。弥勒菩薩そっくりとよく言われますが、菩薩像のほうが真央さんに似せて作られたのだと思います。いつの時代にも美しい人は存在して、きっと真央さんのような表情をしていたのでしょう。その美しい人を、人々は菩薩と呼んだのではないかと思われてなりません。
2017.04.14 18:29 | URL | #6wH.DH8I [edit]
まさきつね says... "Re: タイトルなし"
> 「この道を選んだのは自分ですし、つらいと思ったことはありません」

良い言葉ですよね…

コメントいただいた酒井阿闍梨さまの言葉から、まさきつねも示唆を賜ったような気がして、久しぶり(本当に久しぶり)に長い記事を書きました。
大半はいつもお伝えしていたことの繰り返しのような気がするのですが、今どうしても残しておきたい方々の言葉と一緒に、まさきつねが今回の引退会見の映像を見ながら、改めて感じた思いのたけを文章にしました。

とはいえ年々、言葉もおぼつかなくなり、まだるっこしい文面だなあと自分でもげんなりするのですが、またご訪問いただけたら幸いです。

それにつけても、確かに菩薩さまを思わせる美しい尊顔ですよね…
ソチの後も休養から戻った浅田選手のたくさんのプログラムを拝して、ブログにアップしたかった写真も走り書きも山積みなのです。

いくつもいくつも、美しいプログラムを見ることができたソチ以後の年月も、まさきつねには極上のシーズンでした。
順位やプロトコルを確認しなくても、彼女以上に心に響く演技にお目にかかることは、とんとなかったですからね…

若い選手たちには頑張ってほしいと思わずにはいられないですが、今後は「コレジャナイ」感をいつも払拭できないまま、フィギュア競技を眺めることになるのだろうなとしみじみ思います。
2017.04.14 22:50 | URL | #- [edit]

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