月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

復活するプリマヴェーラ

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三美神(グラツィア)が楽しげに集い
美神(ベルタ)は髪を花冠で飾る
好色な西風(ゼフィロス)は花の女神(フローラ)の後を追い
緑なす草は花咲き乱れる
陽気な春の女神(プリマヴェーラ)も欠けてはいない
彼女は金髪と縮れ毛をそよ風になびかせ
無数の花々で小さな花冠を結ぶ
(アンジェロ・ポリツィアーノ『馬上槍試合』)

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四月は復活祭である。

日本の春には欠かせない桜の季節は終わってしまったが、陽はぽかぽかと温かく、西風も心地よい頃だ。
古い話になるが、「復活」についての記事をアップするには好機と考える。

遅ればせながら、2015年に浅田選手が一年の休養を経て、競技生活に現役続行の意志を表明した際の所感について、今更の感はあるけれども覚書として記しておこうと思う。

2015年シーズンの復帰戦は10月3日に行われたジャパンオープンで、浅田選手は141.70点という自己ベストである142.71点に迫る得点で女子選手一位となり、まずは華々しい復活を観衆に印象づけた。

冒頭のトリプルアクセルも着氷、その後のジャンプでは、三回転の3F-3Loコンビネーションで二つ目のループが二回転になり、ザヤックルールから後半の3F-2Lo-2Loが入れられず、二回転ループを一回転にして3F-1Loにせざるを得なかったという瑕疵はあったものの、指の先まで『蝶々夫人』の情感にあふれる振付、優美な体形を保ったスピンとまるで雲の上を飛んでいるような柔らかなステップでブランクのかけらも感じさせない演技を披露して、北米、欧州チームを退け日本チームを優勝へ導いている。

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「ただいまです。復帰初戦ということで緊張もありましたが、男子から始まり、良い演技をしてくれたので、私も足を引っ張らずにやっていこうと思いました。初戦にしてはたぶん今までで一番良いジャパンオープンの出来だったと思います。

(滑り終わったあとに胸に手を当てていたが)無事に終われたこと、昨シーズンの世界選手権のレベルで最後まで滑れたことがうれしくてほっとして、自分にありがとうという気持ちでした。(1年間の休養は)私にとってここに戻ってくるまでのすごく大切なパワーチャージの時間だったと思います。私が休養している間にたくさんの若い選手が頑張っていた。女子も男子もレベルが上がっているので、不安はありましたが、みんなと一緒に戦えることが分かったので、良い試合になったと思います。」

試合直後の浅田選手のコメントに、長かった休養からの緊張と不安が払拭された彼女の正直な気持ちが満ちていたと思う。

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そして誰もがご存知の話で恐縮だが、続くグランプリシリーズに参戦し、十年前シニアGPデビューをした懐かしの中国杯のリンクでの再出発、そして結果は優勝というこの上ない戦績をもっての復帰。

この時の試合でも、ジャッジの判定内容に関しては、山ほど言いたいことがあった。そして、いくつかのエレメンツのミスや完成度については、浅田選手自身が納得できていなかっただろうと思う。

だが、美しく力強いポージングからにじみ出る女王の風格、表現とはもはや呼べないほどの、音楽と一体化した滑りの美学、氷の上のモーションとは思えないほどの、軽やかに解き放たれた身体が創る優雅な世界…すべてがこれまで見たこともない異次元のフィギュアスケートで、まさきつねは、これはもうスケートと呼ぶのがふさわしいのか、それともまったく未知の新しい身体芸術なのか、当時ただただ溜息をついた。

ところで、浅田選手が試合に復帰するという宣言をした後、その復活が劇的なものになるだろうことを、まさきつねが予感ではなく、確信したのは、あの大勢の観客で埋め尽くされたさいたまスーパーアリーナ、ジャパンオープンでの演技や、553日のブランクをものともしないトリプルアクセルを目にした瞬間ではなかった。

2015年シーズンが始まるひと月ほど前、九月に発表されたストナ製薬の新CMでの、ワイヤーアクションを駆使した浅田選手の快演が、復帰戦にはまだ間があるといささか油断していたまさきつねの眼界を、容赦なく不意打ちした。

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【浅田真央(mao asada)「風邪VSストナ」~ 1コマ0.25秒表示 1181コマの真実!【MAD】】


無論、CMの元ネタは映画の『ブラック・スワン』だろうが、ストーリー的には正義(薬)と悪(風邪)の対比というごく王道なテーマに絞り、ビジュアル風景としては無駄な説明を省いた幻想的な世界観で、その中に浅田選手の圧巻のアクションシーンをこれでもかと見せつけるシンプルな演出が実に小気味よく、数秒の映像にもかかわらず、まるで映画を鑑賞したような充足感と鮮烈なインパクトに襲われる。

常に真っ直ぐで潔く美しい白鳥は、努力家で真摯だった浅田選手のイメージにぴったりだが、同時に艶めいて妖しく不吉な黒鳥を、これもまた不思議に違和感なく演じ切っている。

真逆のキャラクターを、どちらも幻想的なイメージをいささかも壊すことなく不思議な存在感で描くことができるのも、もはや演出とか意匠の域を超えた「浅田真央」という媒体から滲み出るオーラのなせる業だろうが、それにしても(たかがCMと言ってしまうのは勿論失礼千万であることは重々承知ではあるのだけれども)、映像作品としての格調の高さ、ファンタジックな美しさは、彼女の躍動する身体表現あってこそ成立した世界観であろう。

破壊と創造、闇と光、残酷さと情愛というアンビヴァレンツな相克を演じ分けて、そのどちらにも一方を選び難い魅力を与えるまでに進化していた浅田選手のパフォーマンスに、改めて脱帽しつつ、まさきつねは彼女の復活への手応えを感じ、その競技人生の第二章が希望に満ちたものであることを願ったのである。

しかし周知のことをここに書き連ねるのもつらいのではあるが、復帰の2015年シーズンは、グランプリシリーズ中国杯での優勝を最後に、表彰台の頂点から遠ざかることが多くなり、無論その背景に年齢や長年の競技生活からくる心身の疲労が重なっていることは想像に難くないのだが、2015年2016年二つのシーズンに渡って、ソチ五輪のシーズンを超える国際的な試合結果を残すことができなかった。

浅田選手の三度目の五輪競技参戦を目指しての現役復活は、決して彼女やファンが望んだような最良の結果とは言えないものに終わった。

とはいえ、二つのシーズンで発表された競技用とエキシビションのナンバーはどれ一つとっても、円熟したアスリートにしか表現し得ないプログラムの密度で、巷で言われる「ぼろぼろ」な演技などでも、単純に試合結果が伝えるようなお粗末な内容などでもなく、馥郁たる香りが立つかのような美しいエレメンツに充ち、あいかわらず果敢に挑戦し続ける高難度のジャンプが散りばめられていたのである。


※※※※※

閑話休題。

何はともあれ、世は春である。

四月十六日は復活祭。
命の再生と誕生を祝う日だ。

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冒頭にあげたポリツィアーノの詩は、ボッティチェリが『プリマヴェーラ(春)』を描く際に構想を得たとされる詩篇『馬上槍試合』の一節であるが、この詩篇はまた、ボッティチェリにこの絵画の制作を依頼したメディチ家の、ロレンツォ豪華王の弟ジュリアーノと、シモネッタ・ヴェスプッチとの悲恋が元になっている。

シモネッタ・ヴェスプッチは、フィレンツェ随一の美女と讃えられ、フィレンツェの実業家マルコ・ヴェスプッチと15歳で結婚した。
ジュリアーノは騎士がその愛をかけて戦う女性(イナモラータ)に彼女を選び、ボッティチェリが女神の偶像として描いたシモネッタの肖像を旗印にして、メディチ家主宰の馬上槍試合(ジョストラ)に出場した。
試合ではジュリアーノが優勝し、彼女の愛を得たが、その一年後に、シモネッタは肺結核で夭折し、ジュリアーノも二年後には暗殺されている。

ボッティチェリの『プリマヴェーラ(春)』は、一見キューピッドや三美神が舞い踊る「結婚を祝う絵画」とか「神々の庭園に宿る永遠の春」と一般的に解釈されているのだが、このようなメディチ家にまつわる悲恋譚の経緯から、その裏には「死」のテーマが隠され、その象徴として多く例に上がるのが、絵の右端にいる蒼ざめた風貌の「西風(ゼフィロス)」と左端に立つ冥界への案内人「メルクリウス」である。

ゼフィロスは花の精クロリスを捕らえ、冷たい息を吹きかけているが、墓場から蘇ったようなゼフィロスの表情を見ていると、これから芽吹こうとする植物たちをまるで再び、暗い地の底へ呼び戻そうとしているようにしか見えない。

そしてメリクリウスに至っては、美しい女神たちの様子には全く無関心に背を向けて、画面の外側に向いて立ち、画面の中心から外れた方向へ観る者の関心をいざなう。

そもそも『プリマヴェーラ(春)』に描かれる登場人物のほとんどが、ヴィーナスにまつわる「愛」や「エロス」に由来するのに対し、天界と地上そして冥界を行き来する伝令であり、商業にも関係を持つ神とされるメリクリウスだけが異端児で、およそ愛の物語として完結するはずの絵画のテーマに、一石を投じているのである。

ボッティチェリがなぜわざわざ、愛の歓喜や生命の誕生を祝う「春」の中に、不吉で忌まわしい冥界にまつわるキャラクターを描き、統一感のない寓意を画面に散りばめたか。
ミステリアスな真相は学説も侃々諤々、このように、冥界や死のにおいを纏わりつかせたキーパーソンのお陰で、『プリマヴェーラ(春)』は多くの謎を持つ絵画の一つと考えられ、描かれたルネサンス期当時の社会背景の多くもおぼろであるがゆえに、謎解きの諸説が定まらず、真実はいまだに藪の中である。

まさきつねが考えるに、天上界において愛とエロスをつかさどるヴィーナスが侍る庭では、永遠の春が約束されているが、ボッティチェリがメディチ家のためにこの絵画を描いた意図には、単なる神々の楽園礼賛だけでなく、地上の人間へ行き渡る天上界の恩恵すなわち神々から授かる愛を主題とすることが重要なのであり、それゆえに、厳正なる神の審判や冥界からの使者しいてはカタストロフィさえも受け入れねばならぬ、悩ましい生身の存在つまり地上の住人につながる、ゼフィロスやメリクリウスを画面の両端に入れたのではないかということである。

天上から放たれた光は地上に届いて、初めてヴィーナスの恋のエネルギーは、肉体の愛と新しい生命の誕生を人間界にもたらし、万物は神々の至福に満たされて精神の愛を知り、春の訪れを信じるからこそ、死や災厄そして悲しみや絶望に閉ざされた冬も耐え忍ぶことができるのである。

さて、脱線話もいい加減切り上げねばならぬので、結論だけ申し上げると、ボッティチェリは「生」には「死」、「創造」には「破壊」そして「再生」という相克の二重構造で主題を描いたのだろうということだ。

桜の開花に一喜一憂する日本、「盛者必衰」の東洋的自然観ではごく当たり前の考え方ではあるが、恋が生まれ命が育まれる春も、時が満ちれば老いが訪れ冬が深まると、定めなき身は死の眠りにつく。だが再び春が戻るとき、命は再生し、花はまた新しい芽をつけて、世界はまた新しい愛に溢れる。

プリマヴェーラの足元に花々は咲き乱れ、復活した命に世界は愛の喜びに震えるのである。

再生する命、復活するものたちがもたらす奇跡。

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皇帝プルシェンコがテレビ番組で浅田選手へのビデオレターを送り、その中で「真央もまだ若いから、振付師としてもすごい才能を発揮するかも知れない。フィギュアは演じる競技だから、女優や歌手だってあり得る」と語っていたが、競技のみならずエンターテイメントとしてのフィギュアの本質を見抜いているプルシェンコならではの提案と納得する。

勿論、浅田選手が演じる力の持ち味は、いわゆる通俗的なドラマやバラエティでの俳優業では輝くまい。

あくまでも彼女の持つ身体能力を十二分に生かして、そのオーラがそのまま憑依したような、たとえばストナのCMで披露されたような、この世のものとは思われないファンタジックなキャスティングがショービジネスの中でなされたとしたら、まさに「浅田真央」のはまり役となりうるだろうと想像するのである。

たちまちは無論、本領発揮できるアイスショーで、しっとりと艶やかな演技からコミカルで楽しいキャラクターまで、自由奔放に演じていただければなと思うが、ひとつ前の記事でも述べたように、ダンスやミュージカルを始めとするさまざまなパフォーマンスに挑戦するもよし、CGやデジタルの技術を駆使した映像表現を試みるもよし、プルシェンコが言うように、「浅田真央」という稀代のスーパースターにとって、この世界は縦横無尽に駆け回るには狭すぎるほど、多くの可能性に満ちているとまさきつねの妄想もとめどなく膨らむのである。

そう、この世の春は永遠というわけにはいかないが、冬が去ればまた、春が何度でも繰り返し訪れるように、復活も再生も生涯一度きりというわけでもない。

今日は失意の底にあっても戻るべき希望は再び戻り、よみがえるべき思いは必ずよみがえる。

繰り返し夢見るのは、明日は、光なきものにも光あれ。
光あるものにも光あれ。

愛は愛を求めるものに。
光は光を願うもののもとに、幾度も復活する春のごとく訪れることを。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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【Ⅰ】
明日は未だ愛さなかつた人達をしても愛を知らしめよ、愛したものも明日は愛せよ。
新しい春、歌の春、春は再生の世界。
春は恋人が結び、小鳥も結ぶ。
森は結婚の雨に髪を解く。
明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。
【Ⅱ】
明日は恋人を結ぶ女は樹の影にミルトゥスの小枝でみどりの家を織る。
明日は歌ふ森へ祭りの音楽を導く。
ディオーネの女神が尊い法を読む。
明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。
【Ⅲ】
明日は最初の精気が結ばれた日であらう。
明日は天の血と泡のふく海の球から、青天のコーラスと二足の馬との中に、結婚の雨の下に、海から生れ出るディオーネを産んだ。
明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。
【Ⅳ】
女神は紫の季節を花の宝石で彩る。
浮き上がる蕾を西風の呼吸で暖い総(フサ)に繁らすためにあほる。
夜の微風がすぎるとき残してゆく光の露の濡れた滴りを播きちらす。
明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。
【Ⅴ】
輝く涙は重たき滴りにふるへる。
落ちかける雫は小さい球になり、その墜落を支へる。
晴朗な夜に星が滴らした湿りは処女の蕾を夜明けに濡れた衣から解く。
明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。
【Ⅵ】
見よ。
花びらの紅は清浄なはにかみを生んだ。
そして薔薇の火焔は暖い群りから流れ出る。
女神自身は乙女の蕾から衣を脱がせよと命じた。
薔薇の裸の花嫁となるために。
明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。
【Ⅶ】
キユプリスのヴィーナスの血、恋の接吻、宝石、火焔、太陽の紫の輝き、とでつくられた花嫁は、明日は燃える衣の下にかくされた紅の光りを濡れた森のしげみから恥じずに解く。
明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。

(作者不詳/西脇順三郎・訳『ヴィーナス祭の前晩』)


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Comment

ホビット says... "お久しぶりです"
時々、どうしていらっしゃるかなと思い、訪問させていただいていました。
私自身、いつかは来る日とわかっていたはずなのに、いざ、その日が来てからの喪失感からやっと抜け出したところで、まさきつねさまの投稿!とても、とても嬉しかったです。

フィギュアスケートにはその人そのものがでる、という言葉をまさに体現したような、彼女のまっすぐな生き方が会場中を浄化した引退会見でしたね。
思うことは、本当にいろいろあるのですが、言葉につくせず、やはり喪失感とともに立ち止まってしまう自分です。
強い真央、勝つ真央が見たかったのではなく、幸せにあふれる彼女の顔が見たかったから、息をつめて応援していた、そんなファンの一人でした。
また、記事を読めたことが嬉しく、なんともまとまりのないごあいさつですが、これからもよろしくお願いいたします。
2017.04.18 08:48 | URL | #- [edit]
まさきつね says... "Re: お久しぶりです"
> フィギュアスケートにはその人そのものがでる、という言葉をまさに体現したような、彼女のまっすぐな生き方が会場中を浄化した引退会見でしたね。

本当にご無沙汰でした。ごめんなさい。

引退会見はまるで一つのショーのようでしたね。彼女らしく、凛として静謐な感じでした。
いつもは姦しい取材陣も、彼女の一言一言に敬意を払って、その本音を聞き漏らすまいとしていましたね。


> 強い真央、勝つ真央が見たかったのではなく、幸せにあふれる彼女の顔が見たかったから

ずっと幸せであってほしいアスリートの一人でした。そして誰もを幸せにするアスリートでした。
彼女の真価をもう少し伝えることができたらと、まききつねもブログを続けていました。

もうしばらく、余韻とともに記事をUPできたらと考えております。
ご訪問、感謝いたしております。
2017.04.18 12:58 | URL | #- [edit]
踊り子 says... "復活"
こんにちは。
あの日は一日中テレビにかじりついて会見を見ていました。真央さんのまるで禊の後のような表情とは裏腹に、あれ以来、どことなくピントが合っていない風景を眺めているような毎日を送っていた自分でしたが…こちらの・復活!・に嬉しく、focusし直せそうです。
ストナのCM、「黒・真央」には大変感激しました。「鐘」も思い出しました。ソチ以降、彼女は完全に氷上のダンサーでしたね。身体の中から溢れんばかりの気持ちが、見事に身体の外に表現されていました。もうリチュアルダンスなんて、踊り手としては喉から手が出るほど欲しい振付です。願わくば競技ではなくice skating danceとしてまた見たいと思うのですが…
真央さんから本当にチカラをいただきました。今後の幸せを祈るばかりです。
まさきつねさん、こちらへはまた楽しみにお邪魔させていただきます。
2017.04.19 18:49 | URL | #3cfJX5.E [edit]
まさきつね says... "Re: 復活"
ご訪問ありがとうございます。
こんなグダグダのブログを、まだお見捨てにならずにいただけること本当にうれしいです。

グダグダといえば、巷で浅田選手の引退を「グダグダ」と評するアンチ芸人や、「潔さがない」と言い捨てる自称スポーツライターのことが報道にのぼっています。ファンがいれば、反面、炎上を狙うアンチも増えるのは致し方のないことですが、言葉を生業とする芸人やライターには、もう少し、言葉を扱う怖さをわきまえてほしいものです。
…話が脱線しました。

> ストナのCM、「黒・真央」には大変感激しました。「鐘」も思い出しました。ソチ以降、彼女は完全に氷上のダンサーでしたね。

フィギュアの採点方式の変更が取り沙汰されていますね。
こんなことならいっそ、団体競技戦などより、アイスダンスのシングルを種目として増やせばよいのにと思います。

ジャンプのない、スピンやステップなどのエレメンツだけでどれだけの選手が観衆を魅了することができるでしょうか。
浅田選手は身体のちょっとした動きだけで観衆の心をつかんだ、稀有なダンサーでしたね。
2017.04.21 01:48 | URL | #- [edit]

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