月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

ミケランジェロと祈りの翼

フィギュア308-1

心の中で、僕はあるべき世界を想像する
誰もが平和で、ありのままに生きる世界を
僕はいつでも自由な魂を夢にみる
空に浮かぶ雲のように
解放されて、慈愛に満ちた魂を

心の中で、僕は光あふれる世界を想像する
夜でさえ、暗い闇に閉ざされない世界を
僕はいつでも自由な魂を夢にみる
空に浮かぶ雲のように

僕の心の中には、友だちのようにあたたかく
街から街へ渡ってゆく風が吹く
僕はいつでも自由な魂を夢にみる
空に浮かぶ雲のように
解放されて、慈愛に満ちた魂を

Nella fantasia io vedo un mondo giusto,
Li tutti vivono in pace e in onestà.
Io sogno d'anime che sono sempre libere,
Come le nuvole che volano,
Pien' d'umanità in fondo all'anima.

Nella fantasia io vedo un mondo chiaro,
Li anche la notte è meno oscura.
Io sogno d'anime che sono sempre libere,
Come le nuvole che volano.

Nella fantasia esiste un vento caldo,
Che soffia sulle città, come amico.
Io sogno d'anime che sono sempre libere,
Come le nuvole che volano,
Pien' d'umanità in fondo all'anima.
(シアラ・フェラオ『ネッラ・ファンタジア』)

☆Sarah Brightman - Nella Fantasia (One Night in Eden)☆

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安藤選手が来季も特別強化選手の指定から外れるというニュースが飛び込んできた。

公式戦から二年も遠ざかっているというのが主な理由ということだが、すでに昨年の秋、強化指定の辞退を本人から申し入れているのだから、何故今さらまたこんな報道で、わざわざ要らぬ波風を立てるような真似をするのかと思う。

実際、コメント欄にはあいかわらず、デマや噂話をネタにした中傷まがいの意見や、引退をそそのかす讒言が並び、せっかくの才能ある選手のすねを面白おかしくメディアが先導してつついて、あたら天分をつぶしたり、五輪へ勝負を賭ける気概を失わせたりすることをどうして平気で繰り返すのだろうと、ほとほとうんざりする。

まあ、メディアやアンチの冷たい仕打ちなど、安藤選手本人がもうとっくに経験済み了承済みだろうから、とにかくは周囲に惑わされることなく、彼女の考えている計画通りに人生設計を進めて欲しいものだと思う。

ところで、公式戦には出場していないとはいえ、ここ二年の彼女のEXナンバーは実に充実していて、アイス・ショーでは競技用のプログラムに比べても何の遜色もない、難度の高いエレメンツを盛り込んだ作品を次々に公開しているのだから、その円熟ぶりを評価も報道もしない日本のスポーツ記者はやはり、独自取材もせずに画一化された発表情報を垂れ流すだけの無責任な拡声器ジャーナリストで溢れているのだなとつくづく感じる。

どこぞの選手は、ジャッジの採点がないエキシビションには全くサービス精神がなく、ジャンプひとつ入れずに帽子をいじったり、手をぶらんとさせたりの仕草だけでお茶を濁して平気だが、実のところ、理解し難い数値で順位が決まるわけではないGalaの演技内容の方が、目の肥えた観客はよっぽどうるさくて、あからさまな野次や罵声こそないかも知れないが、冷ややかな反応の応酬をしたり、逆に素晴らしい演技には惜しまぬ喝采を与えたりするものなのだ。

これも改められない不可解な採点システムによって、フィギュア競技がアイス・ショーになり下がったと揶揄される所以だろうが、競技だろうとショーだろうと、ファンや観客の純粋な眼は、選手たちがプログラムによって何を伝えたいのか、そのひとつひとつのエレメンツやモーションから、いろいろなメッセージやテーマを各自それぞれ思い思いに受けとめて、そのオリジナルな世界に酔いしれたいのだ。

まさきつねだってジャンプがないプログラムが一概に悪いとは思わないが、それならば、ステップやスピン、スパイラルやイーグルなど、選手の技量が分かり、なおかつフォギュア競技の凄さや身体表現の美しさを感じさせてくれるエレメンツはやまほどあるのだから、そうした要素も盛り込みながら作品の完成度を高める努力をすべきだろうと思う。

いくらジャンプがないから斬新でスタイリッシュだの滑ってるだけで美しいだのと、訳のわからぬ美辞麗句を並べたところで、単なる踊りやコントを見るだけなら、わざわざ冷たい氷のアリーナに出かける必要はないのだから。



…またのっけの内容が苦言めいたものになってしまったが、本題に入ろう。

まさきつねは以前、村上選手の演技をカラヴァッジオ、浅田選手をボッティチェリにたとえて記事をエントリーしたことがある。

『カラヴァッジオと村上選手の光と影』
『ボッティチェリと浅田選手の愛と夢 其の壱』
『ボッティチェリと浅田選手の愛と夢 其の弐』


別に選手それぞれの個性を論ずるのに、わざわざヨーロッパの(しかも古い!)芸術家を引き合いに出さなくてもとは思うのだが、ほぼ同時代や同じ土壌で生まれ育った絵画作品でも、おのおのの画家の才能や気性、あるいはその頃の風潮や受けた影響の違いによってその作風や求めるテーマは随分違ったものになる。

まさきつねは、それぞれのフィギュア選手たちが別に、端からこうした芸術家や彼らの世界観を目指したり、彼らの求めたような美を追求したりしている訳ではないことは無論、重々承知しているが、それでも創造的活動に打ち込む姿勢において、ジャンルや表現の違いを超えて、どこかに共通する色があり、根底に同じ血が流れていて、同じような美しさを踏襲したりしていると感じる部分を探り当てるのは、なかなか面白い楽しみだったりするのだ。

そこで安藤選手だが、演技表現のその線の太さ、エネルギッシュな強さ、正確無比なジャンプなど、彼女の美しさを語る上で欠かせない側面が、レオナルドでもラファエロでもなく、まさしくルネサンスの巨匠ミケランジェロ・ブオナローティの作品に通じると感じた次第である。

ミケランジェロはご承知の通り、どちらかというとダビデやサン・ピエトロのピエタなど彫刻作品の方が一般的に馴染み深いと思うのだが、彫刻創作においても当然必要となるそのデッサン力は卓抜しており、絵画においてもまさに同時期のレオナルドとヴェッキオ宮殿の壁画をめぐって、しのぎを削って争うほどの力量を示している。

レオナルドがミケランジェロの彫刻を意識して、詩や音楽や彫刻といった一切の芸術に勝る最高の芸術と主張する『絵画論』を記したと、ふたりの個性や才能の拮抗を伝えるエピソードが有名なものだから、画聖のレオナルドと(彫刻の)神ミケランジェロというライバル的な立ち位置が前面に出てしまいがちだが、そこはともに才能のある者同士、お互いの個性をめぐって反目し合うより、追求するものの違いと表現の見事さを認めあっていたのではないかと推測する。

実際、ミケランジェロとレオナルドの個性の相違は、絵画表現の上でも如実に現れている。

三次元のものをいかに平面すなわち二次元に表すかを理知的に追求して、空気遠近法や一点透視図法など(今日では当たり前になってしまった)絵画技法を模索し、学問的にも確立させたレオナルドの絵画は、どこか現実を離れた精神的な高雅さや虚構的でさえある優美さを備え、論理的に解明したくなる謎や科学的に分析したくなる研究対象に溢れている。
レオナルドの作品は芸術の分野ばかりか、物理学や幾何学、化学や医学といった幅広く裾野を広げる総合的な学問の集大成でもあるのだ。

それに対し、ミケランジェロが主に活躍の場とした彫刻は、粗野で野蛮という言い方はどうかと思うが、大理石という素材に対し人間が身体を使ってそれを担いで運び、直截的に鑿をふるって、三次元の世界を三次元に表す、いわば人間の体力と素材の物理的作用が重要な創造的活動である。

石と対話し、舞う大理石の粉塵にまみれて、素材の中からダイレクトに自分の求める主題や対象を彫り出さねばならぬ、身体的苦痛と心身の疲労がつきもののいわば肉体労働である。

勿論、頭脳的計算や理性的な判断が無用という訳ではないが、ミケランジェロの描いたデッサンなどを見ていると、彼がいかに人間の肉体が持つ物質的な美しさ、造形としての面白さや迫力を感覚的にとらえ、そこから端的に滲み出てくる人間の苦悩、生きる喜びや悲しみ、運命に翻弄される生命の脆さやそれに反発する逞しさといったものを主題として、創作対象に向き合っていたかが伝わってくるのである。


ところで、冒頭に掲げたのはミケランジェロによって描かれた、バチカン宮殿内に建てられたシスティーナ礼拝堂の天井画から『リビアの巫女』という作品である。

フィギュア308-2


天井画はあまりにも壮大で、もっともよく知られるのは『創世記』に取材した『アダムの創造』の場面だと思うが、実はほかにも多くの佳品が描かれており、特に五か所のペンダンティヴには天井画の中でも最も大きく人物像が配置され、主題はメシア到来を預言した人物やメシアの容姿を物語った人物十二名で、そのうち七名が旧約聖書の男性預言者、五名が神託を授かる古代の巫女(シビュラen:Sibyl)で、『リビアの巫女』はそのうちのひとりである。

詳細ははぶくが、五人の巫女はそれぞれペルシア、エリュトレイア、デルフォイ、クエマ、そしてリビアと異教から題材をとられ、それはローマ教会におけるキリスト教以前の文化や文物に対する興味や研究が進んでいたこと、また広範の世界との交感を反映したものなどさまざまに考えられているが、ミケランジェロがこうした題材を選んだ直接の意図は分かっていない。

預言者と巫女たちはおのおのの場面でのポーズで沈黙、思想、読書、瞑想、熱狂、恍惚、対話などその精神的状況を表現しており、また図像学では彼らの持ち物などでその象徴的意味を探る研究がなされている。

もっともこうした学問的分析には関係なく、中でも『リビアの巫女』は観光客に大変人気があるが、そのもっぱらの理由は彼女の身体的なポーズにあり、胴をねじって身体の背面を見せるその不安定な造形、そしてその不安定さとバランスをとる巨大な書物の開かれたベージ、光沢のある衣装などの鮮やかな色彩と動きを持ったかたちによる構図のダイナミズムにある。

リビアという地名が示す通り、彼女はアフリカを象徴し、その持ち物が松明と蝋燭であることから、闇を照らす希望の光でもある。そして何より魅惑的なのが、大きな神託の書物の白いページがまるで巨大な翼のように彼女の首を中心に左右に開かれて、爪先だけを床や台に付けて無理なポーズで安定を図っている彼女を、一瞬で空に舞い上がらせようとする鳥のように存在感を顕わにしていることなのだ。

この緊張感に溢れた構図をしかし、ふわふわした幻想的なものとせず、現実に生きる女性の端麗な美しさとともに野性味のみなぎる迫力で描ききったのは、まさに彫刻家であるミケランジェロの身体的な造形美へのこだわりと、理想とするエネルギッシュな人間像の追求がもたらしたものだろう。

モデルとなったのは(この時代にはありがちのことなのだが)実は女性ではなく、ミケランジェロの工房に弟子として働く若い職人で、その堂々とした体躯やしなやかな筋肉の付き方は確かに、美しい少年の伸びやかな肢体が醸し出すものと思われる。
だがミケランジェロは、現実の身体デッサンから基本的な造形と、端正な美の発想を得ながらも、それを柔和な横顔の女性らしい表情や、美しく編み込まれた髪型、優雅な物腰や仕草といったフェミニンな印象を与えるアイテムやディテールで、妙齢の女性像へと昇華しているのである。

フィギュア308-27


まさきつねはこの巫女の背中についた筋肉の光を包んだ美しさを見たとき、安藤選手の瑞々しく張りのある身体のライン、女性らしくかつアスリートとして調和のとれた肉体的な完成度を思い出した。

フィギュア308-24


かつてこの成熟した女性美を「ソフイア・ローレン」に譬えた見識深いブロガーさんがおられたのだが(MIZUMIZUさん、また記事書いてくださらないかな)、まさにタフでありながら内面から輝くような女性的な優雅さを損なわないアスリートらしい肉体が躍動して、魅力的なパフォーマンスを顕現させていたのが、二年前のシーズンで安藤選手が見せていた演技だったのだ。

安藤選手の感情豊かで忘れがたいプログラムは無論数多いのだが、近年でまさきつねが気に入っていたのが、2010-2011年シーズン途中で『ブロークン・ソロー』から変更した、映画『ミッション』の挿入曲『ガブリエルのオーボエ』と『滝』を組み合わせたショートプログラムである。

(ちなみに冒頭の詩は、『ガブリエルのオーボエ』に歌詞をつけたもので、サラ・ブライトマンがしぶるエンニオ・モリコーネに再三手紙を出して頼みこみ、ようやく歌曲化が実現した作品らしい。)


☆Feb 2011 Miki Ando 安藤美姫 SP☆

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まさに風に舞う花びらのような、華やかな美しさを持ちながら、一瞬に醜いものを吹き飛ばしてゆく風そのもののような強さも感じさせ、神秘的な輝きの中にどこか情のこもった温もりを伝えるスケーティングである。

モロゾフの振付はともすると技巧に走って、繊細なつなぎをすっ飛ばし、スピードの勢いと大胆で激しいポーズやめまぐるしい上肢の動きで流して、同じ風味になりがちな部分があったりするのだが、このプログラムでは柔らかで無理のない全身を使った動きでしっとりと見せて、沢から優雅に飛び立つ鳥のように羽ばたく希望を、優しく温かく表現していたとただただ胸に沁みた。

思えばこの頃が一番、モロゾフとの蜜月が公私ともに巧く化学反応を起こし、心身ともに充実したエネルギーを与え、彼女が理想とするパフォーマンスの完成形に近づけていたのかも知れない。



「血が通っている」演技とNumber(ナンバー)誌822号の安藤選手特集では評されていたが、確かに彼女の場合、生身の人間としての自分が直截に演技表現に現れる。

それは良くも悪くも、彼女のパフォーマンスにおいて、その魅力の最も根幹をなす情感やドラマチックで色彩豊かな表現に影響を与えるのだが、あのトリノ五輪前後の苦難やバンクーバー、そして世界女王になったワールドなどさまざまな経験値を積み、またプライベートでも恋愛は無論のこと、多くの人々との関わり、多くの人生経験、さらには震災のような悲劇からさまざまなことを学んできただろう今の安藤選手には、すべての記憶が肥やしとなって、身体的表現に滲み出ていると思う。

つまり彼女はすでに生身の女性として苦悩する人生を耐えて生きぬいてきて、そして世界の頂点に立ち、数々のショーで多くの観客に癒しと感動を与えながら、今もフィギュア・スケーターとして世界屈指のパフォーマンスを見せ続けているのだ。

『ミッション』よりもさらに、死者への追悼と希望を求めて彼女の深い祈りと想いのこもったエキシビションナンバーは、『レクイエム ニ短調 K. 626』『Why do People fall in Love』『Over the Rainbow』『千の風になって』と枚挙にいとまがない。

これ以外にも、もっと劇的で、人間らしい葛藤や人生の深淵を描いたドラマチックな『ブラック・スワン』『Music of the Night(オペラ座の怪人)』『You Must Love Me(エビータ)』『アラビアのロレンス』といったナンバーでも、安藤選手は自らの人生でさんざん味わってきた悲しみや辛苦を垣間見せる味わいのある演技を次々に披露している。

「作業」のような小手先の表現や、振付をかたちだけなぞったような計算づくのパフォーマンスでは決して見せることのできない、人間そのものが憑依した身体表現なのだ。

イタリアの炎天下で大理石の粉まみれ、汗まみれになりながら、素材から理想美を彫り出し、憧れのかたちへ昇華させていったミケランジェロの描いた人間の苦悩、絶望、そして悲しみと祈りを思うとき、まさきつねはかくあるべき芸術的創作者の姿をそこに見る。
そしてひとは、何をもってこころを震わせ、胸を傷み、そしてもう一度立ち上がるすべを学び、光へと飛び立つ翼を得るかを考える。

映画『ミッション』でも宗教的正義を貫こうとして、理想と愛に殉教して死んでいく人々が描かれる。
無残な闘いの果て、犬死のように、信念だけをかかえて神父たちが消えていったあとに、残るものは何か。
映画の最後に、一人生き残った枢機卿が吐く台詞が印象的だ。

「法皇様。あなたの弟子たちは死に、私は生き残りました。しかし本当に生きているのは彼らで私たちは死んだのです」

枢機卿はまたこうも言っている。

「人間がつくったのだよ。こういう世界を」

おぞましくも浅ましい、醜悪な利権と謀略の渦巻く世界も人間がつくったものなら、その世界を、美しく静謐な祈りと希望に充ちたものへ変えてゆくのもまた、人間であろう。

希望へはばたく白い翼を、まさきつねはミケランジェロが無機質なものの上に残した美にも、フィギュア選手の嫋やかにしなう血の通った背中にも見たいのである。


フィギュア308-18


***************

ところでついでと言っては何だがこの機会にまさきつねの好きな安藤選手のプログラム、ベスト5を並べておこう。(『ミッション』と以前ご紹介した『アランフェス協奏曲』は残念だが外した。)
長い選手生活を持つ選手なので、とても選びきれないのが本音だが、どれもが違う彼女の個性や魅力を引き出しているナンバーだと思う。
(あれもない、これもないと仰らないで欲しい。まさきつねは多分に癖のあるものが好きなのだ…)


5位 『夜の女王(英国式庭園殺人事件)』
作曲:マイケル・ナイマン 振付:ニコライ・モロゾフ
フィギュア308-26
☆2009 Carnival On Ice Miki Ando☆

4位 『ブロークン・ソロー エジプティアン・イン・ザ・ナイト』
演奏:ナッシン・バット・ストリングス 振付:ニコライ・モロゾフ
フィギュア308-25
☆2010 安藤美姫 GPシリーズ 中国大会 No.1☆

3位 『戦場のメリークリスマス』
作曲:坂本龍一 振付:デヴィッド・ウィルソン
フィギュア308-20
☆Miki Ando 2005 SP NHK☆

2位 『ボレロ』
作曲:モーリス・ラヴェル 振付:宮本賢二
フィギュア308-19
☆Miki ANDO 09 world EX☆

1位 『レクイエム ニ短調 K. 626』
作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 振付:ニコライ・モロゾフ
フィギュア308-21
☆Ice Jewelry 2009 Miki Ando EX "Requiem"☆


愛とは一人の人の中にあらゆる無限性を見出すことだ
生きとし生ける者の仲間、たとえば父、あるいは子の中に
君の善良なその幻想が私をこの世の冷たさの中で支えとなってくれるだろう
さあ、今こそこの手を取って、一人ぼっちの自分を見つめるのだ

すれば魂は天国の暗闇を満たし
その魂は終わりなき熱望の心にあふれ
夢みるあまりにも遠い星の中にも
宇宙のすべて、各々の内に息づいて
我々を何処へとみちびく炎、そして翼にもなろうから

I know that love is seeing all the infinite in one
In the brotherhood of creatures who the father, who the son
The vision of your goodness will sustain me through the cold
Take my hand now to remember when you find yourself alone

And the spirit fills the darkness of the heavens
It fills the endless yearning of the soul
It lives within a star too far to dream of
It lives within each part and is the whole
It’s the fire and the wings that fly us home
Fly us home, fly us home
(ジョー・ヘンリー『心は翼』)


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