月船書林

フィギュアスケートの話題を中心に芸術を語る

月に濡れるジェラシー


アメリカ杯が始まったというのに、頑張っている選手たちには申し訳ないのだが、なかなか記事にまとめる気力が出てこない。アメリカ杯の感想などはまた、結果が出揃ってからということに勝手に決めて、さらに無粋な数字ばかりの話は前のエントリーで切り上げて、空気読めてない感は承知で気になる選手たちの演技と音楽について、いくつか語りたいと思う。

まずは中国杯で彼女らしい演技を披露した鈴木選手のSP『ジェラシー』について。

今ぞ ほのかに香る
夢の窓辺 風のささやきに
愛のともしび消えて
わが悩み果てもなし

君待つひととき 月影白く
胸に忍びよる 悲しき夜の静寂(しじま)よ
変わらぬ誓い やさしい言葉
今宵も我に 与えたまえ
いとしの君よ

今宵も我に 与えたまえ
いとしの君よ(淡谷のり子/歌『ジェラシー』)


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タンゴ『ジェラシー』はデンマークの音楽家ヤコブ・ゲーゼが作曲した、コンチネンタルタンゴの名曲である。
ヤコブ・ゲーゼについては何故かウィキにもあまり詳しいプロフィールが紹介されていないが、とりあえず調べられる限りの情報を掲載しておこう。

デンマーク出身の作曲家では同姓に、クラシックの作曲家で指揮者のニルス・ゲーゼがいるが、作曲活動の傍ら音楽教師として北欧の音楽界に権威ある教育者として功績を遺した彼とは、かなり対照的な経歴である。

1879年にヴェイレという村の楽師の家系に生まれたヤコブ・ゲーゼは、幼少期から祭事で演奏するなど音楽に親しむ境涯にあったが、17歳にしてコペンハーゲンに進学したものの、生活苦のために本格的な音楽教育に没頭することが出来なかったようだ。
ミュージック・ホールのバンドで生計を立てていた彼は、20代半ばから指揮者兼ヴァイオリニストとして活動する傍ら多少のヒットナンバーをものにするようになっていた反面、生活が落ち着いた30歳近くになって本格的な演奏者教育を受けるには時すでに遅しで、その後は主に無声映画の音楽、大衆劇場用の音楽等のポピュラー音楽の世界で指揮者、作曲家として活躍した。中でもタンゴ『ジェラシー』は最大のヒット曲となり、多くの映画音楽などに使用されるなどで莫大な印税を得て、富を築くきっかけとなったが、自身の経歴で音楽教育に疎遠であったことから若い音楽家を支援する基金を創設、ヤコブ・ゲーゼ賞を設けるなど現在も音楽を志す多くの若者たちに奨学金などの援助を与えているという。

『ジェラシー』は、情熱的な躍動と大衆性の強い泥臭さが魅力のアルゼンチンタンゴとは異なり、ロマンティックなメロディーと都会的な哀愁を帯びた響きが特徴だろう。冒頭のヴァイオリンの独奏が印象的だが、震えるようなストリングス、そして重なるようにオーケストラの立体感のある演奏が甘美で切ないメロディーをなぞった後、軽やかなスケール感のある曲想へ変化し、ゴージャスなサウンド・バリエーションを展開する。無声映画音楽を出発点としているだけに視覚的なイメージを湧き起こす、美しい旋律と高揚感のある演奏が洗練されたムードをさらに引き立てるのだろう。

ところで、日本でコンチネンタルタンゴと『ジェラシー』が一般大衆に親しまれた背景には、いささか音楽史的な特徴があるらしい。

日本では戦前からタンゴと歌謡曲が密接な形で結びついており、日本の歌謡曲の創成期にはアルゼンチンタンゴの源のひとつであるキューバの舞曲ハバネラのリズムが使われたという。その後、ポピュラー歌手のみならず、ジャズシンガーやオペラ歌手らもこぞって和製タンゴや外国タンゴのカヴァー曲を歌い、タンゴの本場アルゼンチンで吹込みを行う歌手などもいたようだ。
太平洋戦争中は同盟国であるドイツから主に、アルゼンチンタンゴもコンチネンタルタンゴもひとまとめにしてヨーロッパ経由で紹介されることが多かったようだが、レコード会社やプロモーターからすれば、ヨーロッパではすでに人気のピークを過ぎたタンゴを売り込む市場として、ファンの多い日本に目を付けたのだろう。(このあたり、今のフィギュア・ブームの現状に重なる部分があるようで切なくもなるニャン。)

ともかくも日本のタンゴ・ブームの立役者となったのが、当時は西ドイツのアルフレッド・ハウゼ(指揮)と、オランダのマランド(アコーディオン、指揮)の音楽で、彼らのムード歌謡的な演奏は実は、純粋なタンゴ本来の魅力からは極めてかけ離れ、形骸化したタンゴの一面を残像として伝えるに過ぎないという弊害をも生み出している。日本で、本格的なアルゼンチンタンゴがその鋭角的な魅力と真骨頂を聴衆から追求されるようになるのにはさらに時間が必要となり、つまりは歪曲されたかたちになってしまった初期の導入が、タンゴの内実や精神を伝えるという意味では仇となったという経緯は、否めない事実だろう。

とはいえ、音楽としての本質を見誤った感がなきにしもあらずのタンゴ人気ではあったが、戦後の日本の音楽を支えた軽音楽とタンゴ楽団、そして歌手らの歌うタンゴ風味のリズムとメロディーによる歌謡曲は、異国的な哀愁と抒情に充ちた情熱のイメージを聴衆に植えつけ、昭和音楽の大事なレパートリーとして位置づけられていることに間違いない。

藤原一郎、二葉あき子、近江俊郎、渡辺はま子ら、名立たる歌手らが和製タンゴの名曲を、戦前の華やかな昭和モダン歌謡の流れに繋ぐものとして世に送り出しているが、いずれも本格的なタンゴの醍醐味には程遠いものではあるものの、日本的なアレンジの加えられた歌謡としてのタンゴの一形態として伝えられるべきものなのだろう。
そして先に紹介した和製歌詞の『ジェラシー』を歌う淡谷のり子もまた、戦後テイチクからビクターに籍を移し、多くのタンゴメロディーをレコードに吹き込んだタンゴ歌手の先駆者として知られているのである。

さて、長い解説の後で申し訳ないが、中国杯で披露された鈴木選手の今季SPの演技である。

☆2010 Cup of China Akiko Suzuki SP☆

言わずと知れた舞踏の名手である選手だから、その自分の持ち味を存分に生かす領域で五輪後のシーズンを着実に固めたかったのだろう。彼女自身の言葉からも「ショートは王道でいきたい」という意識が伝えられたが、得意分野での演技はさすがに真骨頂らしい余裕さえうかがわせた。また中国杯のPCSから見ても、表現力に関してはジャンプ等の失敗にさほど左右されず、一定の水準で評価を貰える域に達してきたと思われる。

SPの内容としてはやはり、『リベルタンゴ』と違うコンチネンタルの洗練された踊りを見せたいのだろうという社交的な明るさ、柔らかさが漂っていた。前者が陽に晒された土煙の立つような情熱を秘めているとしたら、『ジェラシー』は月の光に照らし出される冷たい情念のようなものが滲んでいるのだろうか。
鈴木選手の深い瞳は感情を制御した大人の微熱と、切なさを投影して、激しいステップの中にも優雅な美しさ、端麗な冷静さを残していた。

『ジェラシー』という曲の日本的な解釈が、鈴木明子という演技手によるアレンジによって、男女の恋愛観まで新しい形で提示されたと考えては、いささか深読みし過ぎであろうか。去りゆく浮気性の男心も、捨てた筈の女がこれほどまでに美しく強い生きざまを魅せつけたなら、逆に嫉妬を覚えて戻って来ざるを得なくなるだろう。

鈴木選手は「目線を残す」と語っているが、タンゴらしいステップと身体の動きのタメにも感情の余韻がこぼれて、氷上に影を残してゆく演技、とでも言うべきか刻まれてゆくトレースに視線が釘付けになって、小さな感情の揺れが胸の奥に静かな波を立てるのだ。それは全身を激しく揺さぶるようなラテン的な情熱というよりも、むしろ日本的な抒情というか、余情といったものに近いのかも知れない、消えゆくこころと残される幻影が織りなすような、激しさよりも切なさが、逃げてゆく思いよりも置き去りにされた追慕が強く表現された舞踏だったように思う。

プログラムの内容としては、アイスショーでの披露演技からすると競技に合わせた変更が随所にあり、ダブルアクセルまでの細かな動きがシンプルに削ぎ落とされたりした物足りなさを覚える部分もあるのだが、曲想の雰囲気を壊さずにテーマのイメージを残した表現力は、彼女ならではの巧さだろう。

最後に話を元に返すが、日本には本来浅薄なラテン的なパッションを、北欧の冷気で晒したロマンティックなメロディーによってシャープな味わいに変えたタンゴ『ジェラシー』、それがさらに日本的な哀感に充ちた昭和歌謡の中で長く受容されてきたのだが、無論そんな旧き懐かしき時代を知る由もない鈴木選手のエレガントな演技の中にも、どこか情趣に濡れたような昭和的なノスタルジーを感じてしまったまさきつねなのである。

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